はてなキーワード: 矯正とは
この記事が話題になっているけど、どう考えてもアホです。
いや、2chのせいで他のSNSが恐ろしいサービスと化してるんだろ
http://anond.hatelabo.jp/20110723204316
何がアホかって「砂場としての2ちゃんねる」の意味を読み取っていないからアホ。
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1174
「砂漠としての2ちゃんねる」を簡単に説明すると、2ちゃんねるは
・恐さを体験できる場
・良くも悪くもリテラシーを考えさせられる場
このような働きがあるから、ねらーは自ずと防衛策やリテラシーを身につけた。しかしmixiやTwitter民は、全然そういう意識や経験をしていない人が多い。しかもSNSは基本的に「友達と友達のつながり」だから、馴れ合いもひどい。本来、叩かれるべき問題もスルーされたりする。2ちゃんねるは、そういう残念な部分を矯正する働きもある。しかしmixiやTwitterはその働きは弱い。ネットリテラシーが培われていないにも関わらず、ネットは進化し、多くの人が使うようになった。しかし多くの使う人は進化していない。「砂漠としての2ちゃんねる」は、その部分を問題提起した。と、考えている。
「砂場としての2ちゃんねる」は2ちゃんねるのせいで他のサービスがおっかなくなったとか、そういう話じゃないでしょ。「砂場としての2ちゃんねる」が提起している問題は、ネットは複雑化しているのに、使う人が進化していないということ。「誰でもネットができる」というのは、言い換えれば「バカでもネットができる」ということ。だからバカな炎上が起こる。
Twitterがバカ発見機なら、2ちゃんねるはバカ通報機と言えよう。ある意味ジャーナリズムの精神だから、別にそれはそれで良いんじゃないか。バカな発言で人生を終えたくないなら、バカな使い方をしないことだ。まぁ、バカはそんなこと気付かないんだろうけど。
コミュの中の共通の友人が全く愚痴を言わず綺麗なツイートをしていたので
自分もそうせざるを得なくなり、辛くて苦しい時も無理に「綺麗」なツイートをしていた
その人はネガティブなツイートをする人を「汚い」物として次々と
切り捨てていっていたので「綺麗」なものしか見たくなかったんだろう。
共通の友人もネガティブな発言をした事で以前、交友を切られかかった。
切られない様に「綺麗」な言葉や「ポジティブ」な対応で居たら、
いくらかは矯正されるかと思ったが違った。
こんなの些細なことだろうし「綺麗」な言葉を使った方が周囲の
人の気持ちや見ている側も不安な気持ちにはならないだろう。
もし、その禁を破ってしまえはコミュには居られなくなるだろう。
他にも共通の友人が居てネガティブな発言をしないように
その人が来るまで雑多な感情の吐き出し場だった所でもあった。
自分も矯正しようとしたが染み付いた性格や行動の矯正は今更無理に近い。
息苦しくて本当に辛いものでした…。
一時期には睡眠導入剤のお世話にもなった。
隔離アカウントで愚痴などを吐き出すようになって多少は落ち着いてきた。
良くあろうと無理に人に合わせてまでポジティブであろうとするのは
紆余曲折を経た結果、
常にポジティブで「おひさま」の様ななツイートをしている人に多いけど
自分のルールにそぐわないと言う理由でネガティブな発言をする人を暗にdisったり、
綺麗な物だけ見ていたいって気持ちも…多少は分からなくも無いよ。
何とか精神を保ってやって行っている人もいる訳。
全ての人が常時「おひさま」のような発言を出来る訳じゃない。
私がやっているから貴方もこうしなさいと直接ではないにしろ
人に「常にポジティブ発言でいましょう」「常に笑顔でいましょう」
人と関わると言う事はある程度妥協も必要。
もし、「おひさま」に無理合わせる事で
「あなたは何も悪くないし、気に病む必要も無い」と。
いう事で苦手で倦厭する人も多いけど
世の中は綺麗な物だけで出来ているわけじゃない。
負の面を含めた貴方を理解している人に開いておけばいい。
自分の小さいころからすると、まったく信じられないことなのだが、このころでは小児科の先生から幼少期においてすでに包茎を矯正するような処置をした方が良いと指導されることもあるらしい。
家内がママ友からその話を聞いてきて、「お父さんの役割なんだからやってあげて」と指示してきた。
6歳の息子と一緒にお風呂に入ったときに、「皮をかぶったままだと、おしっこがのこって病気になることもあるから、おしっこをしたときに毎回むいてきれいきれいにするんだよ」と言いつつ、まずは自分がむいてあげた。
わりと簡単に「ぷるんっ」とむけたことと、それほど痛がりもしなかったことが意外だった。息子が結構面白がってみていた。
しばらく後、トイレから出てきた息子が一言。「ちゃんと『ぴの』できたよ。」
なんだ?ぴのってと聞くと、どうもむく行為をそう呼ぶことにしたらしい(誰も教えてはいないのに)。
10年前から少しずつ30kg体重が落ちた。ダイエットと小リバウンドの繰り返しで、100から70kgに。身長は166cmの男で短躯ガッチリ系。
よくある内容ですが、もし必要な人がいて役に立てたらと思い、覚書風に何が効果的だったかまとめてみました。。
自慢くさい話になったら、すいません。
・とにかくよく噛む
他に虫歯を防止して、免疫を高めるそうです。30-50回。できればそれ以上。
早食い人間には、苦行に思えましたが、ゲーム感覚で一食やるだけで、効果を大実感。
その後は楽しいくらい。
・腕立て、腹筋やる
限界までやっても、最初は時間にして1-3分だからとりあえずやってみた。
以下は集中して落としたいときにやったこと
カロリー計算は、途中でサボって間が空くと、途端に忘れてしまう。
でもカロリーブックは持ち歩きにくいので、そこから自分の良く食べるもの、
好きなものを抜き出してA4用紙のカロリー表をオリジナルで作る。
それを数枚印刷して、持ち歩いたり、冷蔵庫、食卓などの食品周りに張る。
普段から時折眺める。一回作っておくと、ずうっと役に立つ。
・朝晩体重を2回量り、記録する。
頭でこれの効果が分かっていても、実際にグラフにするまで、
やってみるのとでは、その効果実感度は、全然違った。目からウロコ。
出来るだけ快速で。競歩まで行かなくても、そんなイメージで。一日総歩数が一万歩になるように。
番外編
おいおい、ってことは元増田はとっくに成人してるのか。どっから矯正したらいいかわからんな。
しかしそれだけ年齢を重ねたらもう少し世界が広がるはずなんだが。
母親が「自分は献身的な母親だ」と主張し続けたせいですっかりそれに取り込まれてしまってるようだが
世間には本当に献身的な母親というのは存在する。普通に。そこらじゅうに。
元増田の親がそういう親だったことは本当に同情するが、取り立てて悪人でもない。
元増田は母親から精神的に離れるべき。ずっと憎い憎いっつってしがみついてたらどんどん人生に出遅れるぞ。
簡単には行かないだろうが、離れようって努力はしておくべき。
多かれ少なかれ、みんな容姿にコンプレックスはあると思うけど、それをバネにしておしゃれに励む人と、
ある程度あきらめてモッサリしてるひとがいると思う。おしゃれが楽しくて仕方ねえ!って人も、やっぱり
容姿がいいとトクをする世の中から取り残される恐怖から逃げるために見栄えをよくしてるところもあるだろう。
さて、自分はモッサリタイプなわけだが、それでもある程度最低限は身だしなみに気を使っているつもりではあった。
すごくおしゃれに気を使ってるわけじゃあないけど、風呂とか洗顔・整髪料や髭剃りアイテムあたりで清潔感は
どうにか出そうとしていた。それがどうだ、最近メガネが古くなったってんで、今まで矯正視力0.9だったのを1.5になる
ようなメガネに換えた。
うほほっほっ俺キメェェェェェェェェェェwwwwwwwwwwwww
誰でもメガネ変えたら人の顔のシワなんかに目が行くもんだが、それより俺の髭剃りあとやべぇ!青々としすぎ!
顔テカテカ油顔すぎ!目の下のクマやべえ!髭剃りでミスった傷痕恥ずかしい!
0.9のメガネで鏡にぐっと近づいてもなんか気づかなかったのに、このメガネで見たらやばい!やばすぎるよ…
というわけで帰りドラッグストアに寄って、ケア用品を買い込みましたという話。その後、いろいろ気になって
コンタクトも作ってみたり床屋から美容院に買えてみたり服に金をつぎ込むようになった。今まではオシャレと
いうものに対して何か気恥ずかしさがあったけど、そうも言ってられないほどグロメンだったんで、それの手入れを
ふと気になって、元増田じゃないけど、ブコメ観測。この手の話題に対するはてなーのリアクションって、こういう感じなのね。初めて見た。
「武道習おうとしない人信じられない、自分の身を守れるのに」「利き手を直そうとしない人信じられない、○利きに便利な世の中なのに」「ピーマン食べようとしない人たち信じられない、栄養あるのに」変だと思わん?
あえてコストパフォーマンスの低い例に喩えてみるケース。
あるいはそうではなく、容姿改善のコストは武道習得や利き手矯正並みに大きいと見積もってるということか。
これは「差別されないための努力をしろ」ってのと根本的に同じ。「抑圧の内面化」を「努力」と捉えサヴァイヴしてきた人はしばしば、それを拒否する人に対して苛立ち、抑圧する側へ回ろうとする。
「他者評価は努力によって向上しうる(のに何故しないのか)」という言説が、不当な差別の正当化と同根なんだろうか。
後半は別増田にも似たような主張があったけど、「ダメな人の例」を持ち出すことで価値観全体を否定しようとする試みか。
あのねぇ……やってないように見えるけど、実はやってるんだよ。でもやってないと言われる。この虚しさ、きっと容姿レベル高めの増田にはわかるまいね。
具体的に何をやってるのかは分からないけど、「やってない」とまで言われるのは、容姿レベルがどうこうという問題じゃなくて、やってることの問題だろうなあ。
容姿改善に限ったことではないが、「実はやってる」程度の変化や気遣いは、実効性に欠けること多し。
あえてこのタグ。苦手なことって忌避しがち。普通レベルに持ってくにも大変な労力だから。ものすごくがんばってもせいぜい普通よりちょっと下レベルにしかなれないだろうと思うとモチベが。でもしないより全然マシ
「普通レベルに持ってくにも大変な労力」という認識。「やってみたら大変だった」のか、「やってないけど大変そうだと思う」のかが気になる。
なお、「あえて」のタグは、[生活]、[美容]、[コミュニケーション]。
最近流行のフレーズに乗せて「見た目を改善しようとしない人達は犯罪に近い」くらい言えばもうちょっとウケたかも知れないのに…半端な悪意って罪ね。
「悪意」という受け止め方。この人(とスター付けた人たち)はこれを、単なるブサメンDisとして読んだのだろうか。
同感。
マライヒの人は割愛。
こうして見てみると、やっぱり「努力」「コスト」というキーワードが目に付く。
個人的感想だけど、気負いすぎじゃないんだろうか、この人たち。何するように言われてると思ってるんだろう。
それこそPC整備を奨めた相手に「努力」「コスト」とか言われたら、いやいやいやって感じだろうに。
元増田の「フツメン」「ブサメン」という言葉遣いから整形とかそういうのを想定したんだろうかとも思ったけど、だったら「努力」は論じないよな。うーん。
+、「そう記事から読み取れるのに『記事には書いてないけど(ry』と言うブクマを付けてるこいつは
ろくに読んでない癖に『記事には書いてないけど』と言い切る馬鹿or読んだけど理解出来ない、読解力が欠如してる馬鹿のどちらかだろう」
と言う意味で書いた。
ログ残ってるのにw
議論の余地がないようにそのまま引用するけど
■http://b.hatena.ne.jp/entry/www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2803663/7289800
記事には
西アフリカでは、児童の人身売買が横行している。多くは農園や鉱山、工場の働き手として、家政婦として、あるいは売春婦として売られるが、
とあるが、「家政婦」や「売春婦」は女の子だろう常識的に考えて。
こんな記事でまで「女には全く価値が無いから買い手など居ない、だから処分されている筈だ」とミソジニー振りまくのが凄い。
常にそんな事ばかり考えてなければこんな発想出ないよなー。
それに対する俺のツッコミこう。
わかるよね?
お前の文に
ろくに読んでない癖に『記事には書いてないけど』と言い切る馬鹿or読んだけど理解出来ない、読解力が欠如してる馬鹿のどちらかだろう」
と言う意味で書いた。
こんな箇所は一切出てきません。
「と言う意味で書いた」じゃねえんだよw
そんなお前に
「ただのおっちょこちょいとか、よく読んでないだけじゃねーの?」
と反論したのはおーれ。
何丸ごとかっぱらおうとしてるんだよw
俺とお前の唯一共通する見解は、
「このブックマークコメントは記事の内容に合ってない」って点です。
お前の主張は
「このブックマーカーは常に女を見下してるミソジニー野郎だからこういう発想になった、つまり差別意識が原因である」でした。
それに対して俺の異議は
「ただのおっちょこちょいという以上のものは読み取れないんだけど、どこからどうやって差別意識だって言う確信を…?」でした。
てめえがいったことや俺が言ったことを後から改竄なんか出来ないんだよ?w
大概にしようねおばかさん。
「子供を我が子として公的に認知して育てる場合の需要」と「モノとして売買する場合の需要」では前提が全く違う。
うんうん、
だからね、
推論が合ってるか合ってないかはどう~~~~~~でもいいっつってんだろ。
推論が当たるか外れるかからわかるのは、その問題に関するそいつの知識が十分か十分でないかってことだけだ。
「〇〇がある市場に好かれる(好かれない)」と推測することは、推測者本人の趣味や選好を表すものではないってこと。
「そこでは女の子が売れ残って処分されるんじゃない?」と言った→「こいつは女の価値を認めてない、嫌ってる」というオバカンチン論法は間違いだよねー、と例示してあげてるの。
「男の子はバカ売れだろうね!」と推測したからってそいつがゲイだとかいう根拠にもならない。
間違った推論を述べたってことからわかるのは、推論者が知識を十分持ってないってことだけ。
後は延々ズレた話をしてるから省略。
(こんな奴が「読解力」とか言ってるのは今週一番の驚愕だ…!!!)
まーでも
「こんな記事でまで「女には全く価値が無いから買い手など居ない、だから処分されている筈だ」とミソジニー振りまくのが凄い。
常にそんな事ばかり考えてなければこんな発想出ないよなー。」
はもうまるで恥ずかしくなってなかったことにして誤魔化したくなってるのはよくわかったw
辛抱強く突っ込んであげた甲斐あって恥知らずがほんの少しだけど矯正されたわけで
全くの無駄じゃなかったなと思う。
客観的に考えれば、非常に非効率で誰も得しにくい考え方なんだけど、なかなか抜け出せないんだよね。
「完璧主義でもなんでもなくて怠慢なだけじゃねーか」って一蹴する人は、こういう考え方をしてしまう人を理解出来ていないんだと思う。正論だけど。
この考え方は、自分を苦しめるだけだし、結局成果が出にくくなって周りにも迷惑をかけるというLose-Loseの結果につながりやすいから、直せることなら直したい。
ということで、一年くらいかけて考え方の矯正をしてみようと思う。実験だ。
その方法をここhttp://goo.gl/oiywlとかを参考にして考えてみた。
まずは
①自分がオール・オア・ナッシングの考え方をしやすいことを認め、その考え方は非効率であることを認識する
次は、いろいろ方法があるから、並行していくつか試してみようと思う。
最近試しているのが、
で、これは瞑想とかイメージトレーニングとか、やり方はいろいろあると思う。
オール・オア・ナッシングの考え方をしやすい人ってストレス発散とか、サボり方とかが下手なんだと思うんだよね。自分はそうだ。
うまくリラックスする術を持つことで、コントロールの精度を上げたい。今ところ第二までは習得した。
他には何がいいかな。
ということがいいだろうか。完璧な状態に焦点を合わせるのではなくて、0から始めてどれほど増えたかということに合わせるよう意識しよう。
これって自分がダメな存在であることを認めるということでもあると思う。「自分は完璧な存在だと考えてみよう」とか書いている人がいたが、それは逆効果だと思う。実際オール・オア・ナッシングで成果が出にくくなっているのだから、その点を認めて、だめならだめなりに頑張るかという勢いが必要だ。
合言葉は、
だな。
おっと、でもこの方法ってあんまりダメダメ言っていると自分を責めることになるから、注意が必要だ。まだまだ、自分を責める癖は治っていないようだ。忍耐が必要らしい。
夜の反省の項目に、「今日一日で何ができたか?」を追加しよう。
あとは、
ことにしよう。評価は80%からの乖離の小ささで考えて、90%は目標設定が甘くて70%と同じ評価、さらに100%は目標設定が甘すぎて60%と同じ評価といったように。
結構頑張ってみてやっと80%達成できるような目標を立てる能力を高めることが大事。1日12時間勉強する計画を立てて、達成できないと諦めるパターンは、計画を立てる能力に問題があるはずだよね。
⑤やらないことリストも作る
⑦優先順位を「書きだす」
⑧毎朝部屋を少しだけ整理する
とかかな。
以上!
あとは適宜修正してやってみること。ダメならダメなりに努力あるのみ!
まとめ
②自律訓練法を続ける
⑤やらないことリストも作る
⑦優先順位を「書きだす」
⑧毎朝部屋を少しだけ整理する
と別のエントリで書いていたけど、自分のそういう性質をどうしても矯正できないのなら
「人間関係を捨てる事での損はしたくないので恋愛や人付き合いは人並に続ける。仲良くなった人のダメな所を見て嫌になっても、損をしない為と割り切って我慢する。」(とにかく普通の生き方にこだわる)
「嫌な思いをしてまで人とは付き合いたくないので恋愛や人付き合いを諦める。恋愛や人付き合いがない事によって生じる不利益は仕方ないものとして我慢する。」(普通の生き方は諦める、捨てる)
いわゆる普通の幸せ、たとえばいい人見つけて恋愛して結婚して、気の合う友達と仲良くやって…というものは普通の感覚の人が言う「幸せ」なんだから、普通の感覚を持っていないと実現は不可能。
増田のように感覚が普通とはずれている人…普通の人のする振舞いで苦痛を感じてしまうような人が幸せを感じたかったら、普通の幸せは諦めて全然別の、ずれている人なりの幸せというものを探すしかないと思う。
表題の通り。
夫は、機能的で丈夫で暑くも寒くもなければそれでいいというレベルの服飾感覚で
在宅の仕事だし、必要な場面があってもスーツでしのいできたので、社会的に私服センスをまともにする必要にかられたこともない。
着ているのはユニクロ・ジャスコ等で買ったありあわせのアイテム必要最小限。
しかも長持ちするものは10年以上着るのでヨタヨタになってるしサイズに統一性がない。
お気に入りのひとつにピッチピチのYシャツがあるのだけど、いつだったか「それどこで買ったの?」と聞いたら
これ中学の時母さんが買ってきたやつだから、わからない。と返されて、驚愕したことがある。
靴はスーパーで購入の運動靴、カバンは高校の時使っていた通学カバンのエナメル。
ひとことで言えば、年齢不詳。更に言えば、夜歩いてたら職質されそうな感じ。
デートは正直言って辛い。小学生くらいの幼い弟と歩いているみたいな気分になるから。
家で部屋着でいるぶんにはダサいことは気にならないからますます好きになる。
7年前に出会って告白された当初、短所はこの服装だけだと思った。
でも服装なんてたかだか布数枚の問題だし、服装を理由に交際を見送るのは残念すぎるほど、他の面は相性がよかった。
付き合っていくうちに私がうまく褒めたり小物をプレゼントしたりして長期的に誘導していけばお洒落になれるんでは?と気楽に考えていた。
昔から、いい年した男性が「服は全部女房が買ってきて用意するのを適当に着てるからわかんないんだよ~」と言うのを
なんどか見てきたので、服にこだわりがない男の人ってそういうもんだという楽観があった。
積極的にファッションの話題を振ったし、彼が負担に思わない程度のプレゼントもした。
前から思ってたけどこのパンツ似合うよね!これに合うと思ってこのシャツ買ってきたんだ、どお?
でももし要らなかったら兄にあげるから、気にしないで。とか言って。
「なんかお洒落な感じがするから気恥ずかしくて嫌だ、いらない、ごめん」と返された。
他人から、あ、コイツお洒落な服を着てお洒落しようとしているな、と思われるのが果てしなく苦痛らしい。
わたしの当初の目論見は甘かったと思い知った。
もしファッションになんのこだわりもない無風人間なら、妻の促すままに着せ替え人形になってくれただろうけど
夫にはお洒落でありたくないというマイナス方向の強いこだわりがある以上、彼の服装を矯正することは誰にもできない。
今はもうそういうことは全て諦めて、夫が服を買わない分、金が浮いていいやと思うことにしている。
夫自身も、俺は服にお金は使わないから、そのぶん君がおしゃれしていいよ、と言ってくれるし。
良い夫だ。
A: 笑顔が素敵な人がいる。いつもニコニコしている。人からは結構好かれてる。
B: 笑顔が苦手な人がいる。いつも暗い顔している。 人からは暗い人と言われている。
さてここで考えてほしい。
上記のAとBは自分にぴったりの仕事を見つけることに成功しました。
さてどんな職業でしょうか?めちゃめちゃ大雑把で構わない。
ニコニコしたら(していたら)喜ばれる職業は何か?ニコニコしてるとお客から不謹慎だと思われる職業は何か?
逆に。
ブスッとしてるほうが喜ばれる職業は何か?ブスッとしてるとお客から不謹慎だと思われる職業は何か?
だいたいこの4つのカテゴリーに分けられると個人的には思うんですよね。
答えは…求められたら書きます。ただ、私の主観なので絶対的な正解でもないとだけ言っておきます。
私が言いたいのは、自分の”特性”を真剣に考えて、それを”活かす”ってことに焦点を絞ったほうがいいと考えています。
もしその”焦点”がわからないのなら本を買って読んだらと思います。(極力、ネガティブなメッセージ性の本はおすすめしません。あと命令形のも。)
他人なんて本当に自分のことしか考えていません。(私も含め。)
他人があなたのことをどうこう言おうが、あなたにはまったく関係のないことですし、
あなたが自分のパーソナリティをどう思っていても相手には関係のないことなんです。
だから他人の目を気にする(気になって仕方ないと思いますが)のは辞めたほうがいいと思います。
話をめちゃめちゃ飛躍させてもいいのなら私がおすすめするのは、海外にでることだと思います。3ヶ月くらい。1ヶ月でもいいのかもしれませんが。
だいたい他人の目を気にし過ぎるのは日本人特有の物だと痛感しています。「美徳」と捉えるかはあなた次第ですが。
断っておきますが、モノには程度というモノがあるので悪しからず。
私としては過剰の「美徳」ってのは「強制/矯正」だと考えていますが、ある程度の「美意識/誇り」は何事も必要だと思っています。
最近の”ホント”の若者にこの「美意識/誇り」が無くなってきている(もしくは元々持っていない)人が増えてきていると個人的に思っています。
それはそうと、
だいたい他の国の人見てて時々、「もう少し他人の目と言う物に気を配れよ」と思うとき多々あります。
まぁそれは国々によりけり、文化ってもんなんで仕方ないと思っていますが。
まぁそんなところです。
元小泉チルドレンで今は国会議員返り咲きを狙ってる杉村太蔵さん。
あの人って明らかに変だよね。
太蔵さんはTVに出てくるたびいつも会話がまともに出来ない。
自分の番が来たら、用意してきたらしいことをドバーッと喋るんだけど
他の出演者からの合いの手や質問や突っ込み、司会による整理、はまるで受け付けない。
だから、やり取りをしながら盛り上がっていくとか膨らむってことが全然無い。
司会が「なるほどそうですかー」で終わらすか
お笑い芸人が外側からの茶化しでオチをつけてくれて終わるかになる。
ちょっとあがってるとか、照れ屋さんだとか、口下手だとか、そういうのとは全く異質。
更に先日、
ゲストが悩み相談する番組(相談に応じてくれる学者とのやり取りが必要な番組)に
太蔵さんがゲスト出演してたんだけど、そこでの彼は普段以上にその異常性があらわだった。
太蔵さんの質問は「人の名前を覚えきれない」で、
政治家は1日に数百人と名刺交換するんです、なんてミニトリビアも交えて
相談内容の説明まではスラスラとやってた。
でも質疑応答が始まるともうおかしくなって
症状の程度を具体的に質問されてるのに答えられない。
というより、聞かれてることにまともに答えることがほとんどない。
「会ったことも思い出せないんですか、顔と名前が一致しないだけですか」っていう二者択一質問されても
「いや、違うんです!」とか言いながらまた自分の話を始めちゃう。
とはいえ番組構成上、学者からのアドバイスや処方箋を聞く段になるんだけど
「こういう記憶のテクニックがありますよ」って女医か何かから教えられてるあいだ
太蔵さんは明らかに真面目に聞いてない。
表面的には口開けて大げさに何度も頷くという感心のリアクションをしてるんだけど
ちょっと注意して見ていれば無言で伝わってくる「聞きたくねえ」「我慢してます」感。
あと、太蔵さんはすごくわかりやすい癖が未矯正で残ってるんだけど
嫌なことに耐えてるときに露骨に細目になる。
「興味が無いことについては脳は記憶しにくい仕組みになってます」
かろうじて口では「ああ~ なるほど…」とか言いつつも
腕を組み首をひねって顔を斜めに向け、眉毛を寄せ、上唇が上がり、細目通り越して薄目になって聞いてた。
もう全力で「これ以上聞きたくないです!」っていう意識が表面に現れたボディランゲージ。
彼はもしまた議員復帰しても外交とか交渉ごとはやらないで欲しい。
・・・でも最近こういう人物をリアルでもネットでも散見する気がしない?
2a・表面的には明るく快活で社交的
3a・口では新進の立派な信念やビジョンを述べる
↑↓
2b・作ってるキャラと裏腹に対人ストレスに弱くてすぐ地が出る
3b・掲げたビジョンはどっかからのパクリで本人はよくわかってない
4b・ほんとは人の話聞くのが大嫌い、まして苦言なんか1秒も我慢できない
あと10日ちょいでできそうなことをいくつか書いていく。
デビューというより、最低限のことかもしれないけど。
オサレ眼鏡が流行っているが、とりあえずコンタクトを作るべき。
最初は合わない人もいるが、そのうち慣れてくる。
その人に似合う眉毛の形は人それぞれ。ただ清潔感がないのはいただけない。
口の下に生えてる産毛は剃れ。
③髪を切るなら今
ただし変なパーマとかはかけちゃだめ。冒険はいけない。たぶん失敗する。
④化粧はほどほどに
あせって変なものばっかり買うのはだめだ。
今までぜんぜん化粧とかしてないのならなおさら。
化粧できる顔になってないもん。
とりあえずアイブロウ(眉毛書く道具)、茶系のアイシャドウ(まぶたに乗せるやつ。彫りを深く見せられる)
もし余裕があればアイライナー(目の縁を黒くするやつ。目がでかく見える)くらい?
化粧は鏡を見ながらするもので、つまりみんなが見る自分とは左右対称の絵になる。
なので化粧したらデジカメで自分撮りしてみろ。不自然なとこがあったら直してな。
あともしニキビで悩んでるなら皮膚科に行って来い。薬ってすごいから。
まずベースになるのが黒。黒いカーディガンを一枚持ってると使い回せて便利。
インナーに着るものを選ばないからね。Tシャツでもキャミでもなんでもどうぞ。
余裕があればキュロットとかショートパンツ+レギンスもおすすめ。
一気に垢ぬけるよ!
春でまだ寒くて上着がほしいならカーキのモッズコート着ておけ。
⑥安物でいいから、パンプスを一足買っておく あといいからリュックはやめておけ。
スニーカーをやめろとは言わないが、パンプスを一足買っておくといいよ。
変な色のやつとか柄物はやめておけ。黒ベースとかがやっぱり無難。
ここまできたらその中学から使ってるようなリュックは捨てるんだ。
いや捨てるは言い過ぎたけどとりあえず大学に持っていくな。
無印とかで売ってるやつでいいと思う。
⑦仏頂面をなんとかする
これが一番の難関かもしれないが、鏡を見て笑顔の練習をしておけ。
ということでなんか7つ以上言ったような気はするけどキニシナイ!!
しかしできないと結構つらい。
ということで最初の印象は肝心だよ!
みんながんばってね!
「宮城の人が一万人死んで福島の農家の人の仕事がなくなっても、自分の家族には泣いて欲しくない。」
宮城や福島の人が亡くなったり、泣いていたりするのは悲しいけれど、悲しいだけで自分の中では「それだけ」で済む。
非人道的、だとか、不謹慎とか言われるのは承知だけど多分こうなのです。阪神大震災の時もそうだった。
だけど、家族の誰かがガンになったり、これから産まれてくる家族の子供に影響があったら堪えられない。
涙が枯れるほど泣いて、それでも足りなくて、どうしようもないことも分かっていて、また泣いて、
何年たった後でも、何かのきっかけで記憶が蘇る度にまた泣いて。
普段は思い出さないようにして心の隅に置いていますが、
自分は家族を亡くしたことがきっかけですごく臆病になったと思います。
臆病は自覚しているから、周りに支えられながら少しづつ矯正してきたけど。
臆病になりすぎて、きっとなにもできなくなる。
そうしたらもう生きていけない。
今回のことでも放射線の影響について、家族と話したら「心配しすぎだよ」と言われたけれど、
家族の一人が死んだ時に、
家族のみんなが何日も何日も泣いていたのを覚えている。
私の前では歯を食いしばって、涙を堪えようと、声を押し殺そうとしていたのを知っている。
もう家族が不幸になるのはイヤだ。
そんなのイヤです。
多分家族のみんなも心の底には私と同じ臆病な気持ちを持っているんです。
だから自分は自分のできる範囲でリスクを少なくする努力をします。
できるだけ関東・東北の食べ物を買わなかったり、原産地の分からない加工品を食べること・外食を少なくしたりします。
風評被害といわれるかも知れませんが、譲れません。
自分には自分の、何物にも大事なものがあります。農家の方や猟師の方、加工会社や食べ物屋さん、ごめんなさい。
書きながらボロボロ泣いたら、少しだけ心が落ち着いた気がします。
ありがとう。
「深読み思考」と「極度の反省思考」は認知行動療法に通じるものがある。認知行動療法をいい加減に紹介しよう。適当な説明なのでちゃんとした理解はちゃんとしたところでよろしく。
認知のゆがみとは、ささいな失敗で「自分はもう終わりだ」と思ってしまうようなのを直す。
よく考えれば、そんなに悲観することはないんだけど、思考がそこまで進まない、もしくはとても時間がかかる。
その「よく考えれば」のところまで、なるべく早く行き着くようにしようというのが認知行動療法。
なにかのできごとに接したとき、頭の中に浮かぶ考えをなるべく正確にとらえる。「自動思考をとらえる」という。
元記事の「いつもは言葉をかけてくれるのに今日は頷くだけであった」→「もしかしたら嫌われたのかも……」は認知のゆがみの典型例だ。
嫌われたのかもしれないと思って気分が落ち込んでしまうと、ますますマイナス思考へ陥ってしまう。
ふり返ってよく考えれば、そんなことはないと思えるだろう。そのことに気づく訓練をする。
「もしかしたら嫌われたのかも……」→「たまたま声を出しづらい状況だったのだろう」「集中していることがあって、人と話したくなかったのかもしれない」など。
そういう結論にたどりつくようにする。
しばらく続けていれば、「いつもは言葉をかけてくれるのに今日は頷くだけであった。」→「もしかしたら嫌われたのかも……」→「いやいやそんなことはないだろう」の流れがすぐに出てくるようになるだろう。
本もいろいろ出ているので、興味のある方はぜひ。
http://www.wikihouse.com/cognitive/index.php?%BB%B2%B9%CD%BF%DE%BD%F1
の4つである。
尚、ここで挙げる4つの思考は殆どがマイナス思考の一部と思ってもらっていい。
1つずつ説明していこう。
これはあらゆることを必要以上に深読みしてしまう思考のことである。
「相手がこのように言ってきた。率直に意味を汲み取るとAという解釈が出来るがもしかしたらBということを伝えたかったのかもしれない。」
これがプラス的なことだったらいいかもしれないが、マイナス的に深読みしてしまった場合、精神的に来てしまう。
極端な例を挙げる。
これが深読み思考である。以前の私はこの傾向が顕著であった。
これは精神病の原因にもなりかねないので出来るだけ早く修正するべきである。
修正方法としては「そんなことはない」「気にしすぎだ」と割り切ることである。
ある程度の反省思考は自分の行動を矯正し、より良い人生を送ることができるが、ここで挙げる極度の反省思考はそうはいかない。
Aに仕事を頼まれた。「はい」と言って受け取ったがあそこは「分かった~」とフランクに返した方が良かった。
これはそこまで害は無いにしても直した方がいい。
「過ぎてしまったことはしょうがない」と割り切ろう。
普通の人ならすぐに実行してしまうが、この思考は何かをしようとしたときに色々思いを巡らせて、開始が遅れたり、最悪の場合中止してしまったりする。
Aに仕事を頼もうかな。でも無理すれば自分で出来るけど、時間的に厳しいな……どうしよう……頼むのは止めよう
上が例である。
良く言えば「じっくりと考える」と言えよう。
判断基準を設けたりして、フィルタリングして決定していこう。
これが出来る様になったら普通の人と同様にすぐ実行できるよう努めよう。
能動的でなく、誰かにアクションを起こしてもらうのを望む思考である。
この仕事一人じゃできないなぁ。でも頼みづらいし……忙しそうにして向こうから手伝ってくれるよう仕向けよう。
上が例である。この思考は非常によくない。
まず貴方の印象が悪くなるし活動の開始が遅れる。
この思考は優先的に直すべきである。
解決方法は能動的になる、だけである。
そういう意味ではタイトルは釣りですよ。すいませんねどうも。でも130キロあった俺が、3ヶ月で100キロを切ったのでそれを記念して手法を増田に書いてみるぜ。いつもやってるブログじゃ私生活(笑)の事は書いてないのでね。すごく久しぶりに増田を利用するぜ。昔の空気しかしらんからズレているかもわからん。でもまぁ検索でもされて誰かの役に立てばいいと思って書いておくぜ。
道半ばだがね。
その手法とはすごく簡単だ。
この三つだ。
中途半端な動機付けではとてもじゃないが100キロ超まで太らせた奴に決心させることは相当難しい。人によっては恋の力とかそういう途方も無いものをどこからともなく使うリア充もいるらしいがそんなもんがそこらに転がっていれば誰も苦労はしちゃいない。
だから誰にでもできる動機付けをやろう。それは医者に行くことだ。
スポーツマンとかをのぞけば、標準的なアジア系日本人なら、100キロも体重があったらまず確実に病気になってる。
だから医者に行け。できたら肥満症系の専門医がいい。一番なのは糖尿病系の開業医・専門医がいい。
糖尿病なんて関係ないって?そう思うなら以下に思い当たることがないか考えてみることをすすめる。
これな、ほかからみるとのんきな元気な奴に見えるんだが、これに複数思い当たる節があったらこれは糖尿病の可能性があるぜ。
一つずつ説明するとだな…。
そうして病院に行くと「糖尿病ですね」あるいは「肥満症ですね」もしくはその予備軍ですねと言われる事となるだろう。すると近頃は肥満症・糖尿病の治療は非常に体系的になっていて、きちんとダイエットの方法などをアドバイスしてくれる。
またさんざん脅してくれるので、相当でもない限りきっちり動機付けは出来るだろう。
実はこれだけでほとんどダイエットなど成功する。ただ俺がやった方法を後に書いておこう。
まずはこれだ。これに尽きる。食わないというのは量を食わないのではなくカロリーの高いものを食わない。
食って痩せる?そんなことはできっこない。そんなモノはほとんど幻想と言ってもいい。
適正体重内の奴がより理想に近づくために、2キロ減量とかそういうのだったらいいかもわからんが、130のデブが30キロ急いで落とさなければならんとか言うのは無理だ。まず食うな。
これは手で計算しろと言っているわけではない。が、自分に逃げ場ないくらい精密に行うべきだ。そういう点で、ソフトウエアと、キッチンスケールを利用する。
カロリーを記録するという触れ込みのサイトは幾つかある。またソフトウエアでも数千円からプロが使う並に充実したソフトウエアが購入できる。そう言うのを探してもらえばいい。
俺はマッシュルームソフトウエアというところのカロリー計算ソフトを使用している。これはプロの栄養士も使っている比較的高度なものだが簡単な操作で計算ができるようになっていて便利である。クラウドというかASP型の無料サービスもある(ただこちらは時間がかかりすぎる印象があって毎日ぱぱっと行うにはローカルのアプリのほうが良いと判断している)
昔だったら大変だったんだろうが、今は優秀なサービスが多いのでわりと簡単にできる。
具体的な食べ物については、こうして記録していくと自然に自分のライフスタイルの中でカロリーが低く好きなものが出てくる。また自然に嗅覚も付いてくるので、それほど心配する必要ないと思う。
むしろこうでないと、なにか特定の食材に頼ったダイエットをすると必ず無理が出る。いかに習慣化するかというところがキーポイントだからだ。
次がこれだ。よくダイエットというと食事だけで減らそうという奴が出てくるが、原則的にそれは成功しないと思ったほうがいい。(逆に運動だけでももうまくいかない。だから食うな、動けということになる)
よくカロリー計算をすると多少運動をしても全然痩せないのだから運動などしても無駄だという意見があるが、実際のところこれは半分事実で、半分間違っている。たしかにカロリー計算すると純粋にその運動だけで消費されるカロリーはずいぶん少ない。だからそれ自体では大して効果がないというのは事実である。だが半分事実としたのは、実際に運動した効果はその運動による消費以外にも及ぶからだ。人間は少し動くとそれだけで体が活性化される。これは運動の前後でカロリーを消費しやすくなるという効果と、運動することで身体能力が向上して動けるようになってくると言うことである。ここまで計算に入れればかなり違う。
同じく、以前NHKの番組で「『筋肉増で基礎代謝を増やし、それによって減量する』というのは、実際には筋肉増による基礎代謝がふえる量は微々たるものでそれは嘘である」と紹介されたが、これは事実だが誤解されやすい。ここで言われている基礎代謝は学術用語で厳密な意味での基礎代謝だ。一方ダイエットというか肥満症の治療に詳しい理学療法士が言うのは「運動によって基礎代謝が増える」ではなく「運動によって生活代謝が向上する」あるいは「同じ運動でも消費カロリーが増える」ということを指している。ここを取り違えて運動の効果を軽視してはいけない。
この運動も、これもいかに習慣化するかということがポイントだ。だが状況によって手法はいくつかあるしそれが誰にでも当てはまるのはおそらくない。歩くのが好きな奴、自転車が好きな奴、そもそも外に出たくない奴などなど。
だからこれは全く参考にならん人もいるかもしらんし、参考にしてくれる奴もいるかもわからんが俺の手法を書いておく。
以下の道具を用意した。
今の時代に幸いにしてといったらいいか、仕事はあるのはよいのだが帰宅が11時などが連夜続くこともあり、運動を続けるのはなかなか大変である。そこで組み合わせたのが趣味といっしょにするということだ。
まずさすがに無駄にしたらヤバい金額の運動器具を買う。これはまず第一に動機付けをするということと、きちんとした機械を使うことで故障することなどへのリスクを回避する効果を狙う。
安くても意思があれば大丈夫と言われるかもしれないが、このとき重要なのは、100キロ超の体重にも対応する運動器具など実際には殆ど無く、市販で売っている安価なものを100キロ超の人間が使うといとも簡単に壊れるという点だ。これは単純な話で、力というのは質量×加速度だ。掛け算で効く。そのため同じ運動速度でも体重が大きい奴が使うと運動器具にかかる力が非常に高くなるということだ。おそらく動くだろうという程度で安物を買うとあっという間に壊れる。ここにケチってはいけない。ヘタをすると適正体重の人でもちょっと運動をして筋力が付いてくると壊してしまうようなやわなものも出回っている。
次にパソコンと大型ディスプレイ、マウスとキーボード、そしてネットレンタルDVDの契約だが、これはつまり、趣味である。俺は典型的な消費型オタクである。アニメ、シミュレーション系を中心としたゲーム、漫画、小説を愛する。(これで130キロ超、今でも100キロ、さらに顔面が先天的に不自由だし、服のセンスもないし最近声優にも詳しくなってきたし、きっちり世間一般キモオタの要件を満たしているがまぁそれはそうだとしか言いようがない)
そしてこれらを運動する器具の周りに配置して、ネットレンタルしたアニメを見ながら、シムシティをやりながら、エロゲをやりながら運動するのである。するとかなり時間が早く過ぎる。これにより毎日30分、1時間などあっという間…というのは言いすぎかもわからんが、ずいぶん楽にできるのは確かだ。
運動するぞといって意識してやるのはたしかに重要だし集中するのもいいだろうが、毎日続けることが重要である。だから集中するのではなく、”ながら”で毎日やる楽しいことと一緒にやるのである。
以上のような方法で3ヶ月で30キロ落とし、130キロあった体重が今日100キロを切った。
こうやってかくと怪しげな健康食品や壷系石系の怪しげな広告文句に見えるが、事実だ。
とりあえず30キロ痩せるということは、30キロ分の荷物をおろして歩くようになったのに等しい。一日中歩きまわっても足が痛くならなくなったし、どこにでも行けるようになった。
背が伸びたのも事実だ。正確には伸びたというわけではなく、今まで過大な体重を支えていた背骨や関節の軟骨が伸び、1センチぐらい測定値が伸びた。
また、どうも今まで腹に重たいおもりを積んでいたので自然と前かがみに、姿勢が悪くなっていたのが矯正できるようになった。今まで姿勢をよくしようとしても前についた肉を持ち上げるだけの背筋が必要になるため、かなり困難なことだった。さらに前に向かって体重をかければ、肉がつっかえるようになってそこで体重を支えられてしまうので楽にしようとすると姿勢がどんどん悪くなっていた。これがなくなって姿勢を良くすることが苦ではなくなった。
すると自然と背が高く見えるようになったらしい。これも含めて同僚には「こんなに背が高かったでしたっけ」と言われたりもした。
仕事ができるようになったのも事実だ。今まで夕方になると低血糖になって明らかに生産性が落ちていた。これもなくなった。というか全般に体調がえらくよくなった。
その関連か、血色がよくなった、というか、肌がツヤツヤになった。正確にはふできものができなくなったと言えるし、抜け毛も明らかに減った。
女性には関係ないことに思うし、少々お下品な話であるが、最後にチンコが長くなったことも書いておこう。これは正確には長くなったと言うよりやせたことでチンコ周辺の肉が落ち、露出するチンコの長さが増えたことにより相対的に長くなったように見えるのである。同時に根元がやせた分皮が引っ張られることで若干顔を出すようになった。日本人の大半は仮性包茎である統計もあり特に気にしてもおらず、誰かに見せて使う予定も今のところ残念ながら惑星間に浮かぶ微細な塵一つほどもないのであんまり関係がないのだが、小便をするときに楽になった。同じく、下を向くと自分のチンコが見えるようになったことも書いておこう。実利はあまりないが、男性諸君は分かってくれることと思う。これは地味に自分がやせたのだという実感を感じさせてくれることだった。
ただ体調としてはいいことばかりではない。人間は一ヶ月に落とす体重は、最大で1%以内にするべきなのだそうだ。そうでないと体のバランスがおかしくなる。またリバウンドの危険性が大きくなる。
今回は一ヶ月に1割近く体重を落としている。そのため、体重が減ったことで腰痛が出たり(腰の体内圧力が落ちることで起きるのだそうだ。そのため今はコルセットを付けている)、肉のエプロンというか、余った皮が体の前に垂れ下がってきたり、うまく体のバランスが取れないと感じることもあるが、それはいずれなれると思う。
ちなみにこんなことを書いているが、俺の理想体重は70キロである。まだ30キロもある。まだまだ道半ば…より手前だ。運動は体重が減ると自然に負荷が減ってしまう。だからこれからはさらに困難になるだろう。
ただ自分の言うダイエットは、本来理想体重前後にある人が外観的な理想を求めて行うものと異なりかなり痩せやすいと言っていい。その点でそういった苦労しているというイメージのあるダイエットよりかなり簡単だ。
また、それらよりはかなり切実なものだ。
ぜひ100キロ超の諸君、ぜひダイエットをして軽くなろうではないか。俺も頑張るので。
使ってる道具について質問いただいたんで、そのあたりのエントリーも書いてみたぜ
http://anond.hatelabo.jp/20110307112404
他にも何かあれば分かる範囲で答えるぜ
Togetter - 「francesco3氏」と「めがねおう氏」の炎上ツイートまとめ
その昔非モテというものがあり、今では二つに分かれ、ひとつは『関わってはならないサイト』に、もうひとつは非モテを名乗ることをそのものをやめた。
なぜそうなっているかと言えば、「ママのお人形」と形容される元来の資質もあるだろうし、他者に不快さを与える先天的な顔の造作の悪さもあるだろうし、今で言えば発達障害などの広汎的な不良もあるだろうが、いくつかの要因を元に、慢性的に幼児期からカジュアルに疎外されつづけた結果といえると思う。
カジュアルな疎外というのは、単にキモいといわれるようなこと、それだけである。
長年にわたり複数からキモいとか、なんでお前もいんの?とか、私の机に触らないでとか、二人組作ってーなどと言われ続ければ、塵も積もれば山になるのであって、人格の奥底に自分が自分であるが為にキモいという意識が形成されていく。
『自分が自分であるが為にキモい』というのはすなわち、自己表現してはならないということである。
自己を表現したら不快と思われるような存在否定の意識であり、自己表現をしないか、キモい自己表現のみが許される。服装は典型なオタクルック、闇に隠れるように地味さで、声は誰にも聞かれぬよう細々と小さく、趣味もキモいと思われるような一人遊び。
そのために非モテたちは、非モテとなる以前は名前のない誰かであった。分かり易く憐憫・同情されるほどのエピソードは持たず、しかし慢性的にカジュアルに疎外され、誰からも慰めて貰うことなく、その結果哀れで卑屈な人格が形成されているが、他者からみれば『努力不足』『甘え』と形容される、どこにでもいる名前のない誰かである。
ネット時代が到来し、名前のない誰か達に自己表現の春がやってきた。
彼らはいつのまにか集い、巣を作り始める。だが看板無き場に人が集うことはない。大きな前提条件として『モテない』が自然発生的に選択された。『モテない』は実に分かり易いカジュアルな疎外の経験として、大多数の『キモいひと』に共有されていたからだ。そして彼らは、喪板や非モテと言ったコミュニティを作り上げた。
カジュアルな疎外経験を自分語りすることによって、彼らははじめて互いに憐憫・同情・受容する場を得たのだ。
匿名か顕名というネット特有の大きな距離感はむしろ、疎外されることのない安心感としてうつった。
真の自己が孤独だと感じていた者が、自分以外の同じような経験に触れることは、なによりの癒しとなる。
場に癒された者は、自らも場に溶け込もうとし、その為の経験は十分に豊富で、そしてその経験も平和的に共有されていった。
自己表現の病を抱える者にとって、名前が付くことは実に安心できるもの。しかし、非モテで安心することは、失敗である。
コミュニティが形成されれば、時と共に煮詰まっていくのは仕方ないこと。
コミュニティが生まれればそのなかで更なる承認を得たいとする意識がうまれ、ばかげた内部闘争が始まるが、全くもって無意味なゴミに過ぎない。大別すれば2種類あり、一方はとにかく『モテたい』ひと達である。自己否定の表現である『モテない』と、希求の『モテたい』はおおいに違うので、自己を非モテに受け渡した人は揉めたのだろう。
そもそも欲望の大本は何だったのか・・・といえば、彼らはただ、自分を知って貰い憐憫・同情・受容されたかった。でなければ、コミュニティが形成されることもない。
『自分を知って貰い憐憫・同情・受容されたかった』という感情。
非モテの感情を規定する両輪。慢性的なカジュアルな疎外のなかで肥大化した攻撃性と、受容されたいという弱々しい自意識。具体例を挙げるなら、秋葉原加藤の理不尽に暴発した攻撃性と、被害者よりも加害者加藤の生活史に思いを馳せてしまうやさしさ。これがいまでは具象化され、非モテコミュニティに顕現している。一方はミソジニーであり、もう一方は同族に対する共感。しかし、この共感さえローカルなものであり、矯正されるべき共感とされる。
ミソジニーといえばフェミニズムに関連があるが、非モテはフェミニズムと親和性が高い。
痴漢vs痴漢冤罪に代表される主語の大きな人たちによる性別間代理戦争も親和性の高さの表れと言えば確かにそのひとつであるが、何よりも『自分が自分であるが為にキモい』から救済されたいとする意識が、『女性性からの解放』つまり自己表現を闘うフェミニストと親和的といえる。
なぜミソジニーになるのか。単に誤爆してるだけだ。抑圧移譲。弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く。たとえ疎外されたとしても、誰かを疎外してはならない。疎外の中で肥大した攻撃性を纏って許されるのは、『性差別構造』を背にする女性か、その立場にたつ者のみである。慢性的なカジュアルな疎外は、そのカジュアルさから『敵』を固定することができない。非モテが背にするものは何も無く、敢えてあるとするなら非モテホモソーシャル程度なので、孤独に籠もることは正しい選択肢だ。
さらに言えば、性別間代理戦争は、権利を勝ち取ったフェミニストに対する非モテの嫉妬でしかない。単純化すれば、なぜこちらを助けてくれないのかという叫び。何故お前らは『俺<男性>の理不尽な被害にも思いを馳せないのか』、という怒り・妬み・嫉みを、最も強く表現できる闘技場。『痴漢vs痴漢冤罪』は場として使われている。
すべての被害体験は理不尽なものだが、女性の被害はたまたま『構造的な問題』と合致していたが故に、同情され、受容される。もっと言えば、女性への同情・受容は、『男性への攻撃』を纏っている。誰からも慰めて貰うことない非モテは、受容される女性の姿に妬む。そして個人的な被害体験の記憶に、『なぜあちら側だけ』『なぜこの上殴られるのだ』というような思想的疎外感が加わり、ミソジニーは加速していく。
女性の被害意識が『構造的な問題』として処理されても、非モテには適用されない。なぜならば、非モテの被害意識はきわめて個人的な女性からのいじめや暴言を発端とするからで、男性・女性全般とは無関係なのだ。『男性の最底辺』が理不尽な被害を受けたに過ぎず、男女全般で見れば男尊女卑の構造は維持されているのだから、転嫁することは不可能である。『構造的な問題』があるならば、非モテが被害を受けたことではなく、被害の声を上げられなかった場合に限られ、これは男性性暴力被害者が女性のそれよりも過小視される問題と地続きといえる。男性は何があろうと、強く逞しくあらねばならない。
弱々しい自己を守ろうと、パワードスーツのごとく男性性<攻撃性>を身に纏うミスを犯したあわれな非モテの、女性全般やフェミニストへ向けられた言論なんてものは、単なる無知か差別意識の発露として処理され、一方で男性性防護服を脱ぎ捨てた非モテは、代わりに身を守ってくれる<他者のやさしさ>も得られないのだから、自らのために立ち上がるような力すら失い、わずかに残る白馬の王子的な空想を胸にして、世界との関わりから後退していくばかり。だいたい、未だに男尊女卑がスタンダードなので、このような非モテ男など取るに足らぬ『例外』に過ぎず、決して『マイノリティ』を形成するほどではないのだ。
一部の非モテたちは何を思ったのか、個人的な左翼趣味を土台に恋愛至上主義を打倒するなどと言う大いなる目標を掲げたが、残念なことに、こんなものは『例外』が個人的充足の希求を社会そのものに直結してしまった時点で無理筋である。結局、Twitterでゆるゆると馴れ合う以下の充足しか得られず、破滅に至った。
男性性を剥き出しのままにする自制なき非モテは、そのアクティブさから結婚なり、非モテを道具に用いて商売に転化するなりで成功し、それはまさしく健常な男性の姿。これが正答である。
一方、自制ある非モテは元あったところ『名前のない誰か』に戻っていった。攻撃性は厳しく律され、女性全般などに誤爆することなく、過去の記憶に、自らの内側に、抽象的な世界そのものに向かい、生まれてこなければ良かった、既に全ては終わっているという意識に至る。その自制の強さ故に自己表現の病から抜け出せないのなら、孤独のまま人知れず終えるしかない。
非モテは死んだ。出口など無い。あるものは残骸のみ。