「宮城の人が一万人死んで福島の農家の人の仕事がなくなっても、自分の家族には泣いて欲しくない。」
宮城や福島の人が亡くなったり、泣いていたりするのは悲しいけれど、悲しいだけで自分の中では「それだけ」で済む。
非人道的、だとか、不謹慎とか言われるのは承知だけど多分こうなのです。阪神大震災の時もそうだった。
だけど、家族の誰かがガンになったり、これから産まれてくる家族の子供に影響があったら堪えられない。
涙が枯れるほど泣いて、それでも足りなくて、どうしようもないことも分かっていて、また泣いて、
何年たった後でも、何かのきっかけで記憶が蘇る度にまた泣いて。
普段は思い出さないようにして心の隅に置いていますが、
自分は家族を亡くしたことがきっかけですごく臆病になったと思います。
臆病は自覚しているから、周りに支えられながら少しづつ矯正してきたけど。
臆病になりすぎて、きっとなにもできなくなる。
そうしたらもう生きていけない。
今回のことでも放射線の影響について、家族と話したら「心配しすぎだよ」と言われたけれど、
家族の一人が死んだ時に、
家族のみんなが何日も何日も泣いていたのを覚えている。
私の前では歯を食いしばって、涙を堪えようと、声を押し殺そうとしていたのを知っている。
もう家族が不幸になるのはイヤだ。
そんなのイヤです。
多分家族のみんなも心の底には私と同じ臆病な気持ちを持っているんです。
だから自分は自分のできる範囲でリスクを少なくする努力をします。
できるだけ関東・東北の食べ物を買わなかったり、原産地の分からない加工品を食べること・外食を少なくしたりします。
風評被害といわれるかも知れませんが、譲れません。
自分には自分の、何物にも大事なものがあります。農家の方や猟師の方、加工会社や食べ物屋さん、ごめんなさい。
書きながらボロボロ泣いたら、少しだけ心が落ち着いた気がします。
ありがとう。