はてなキーワード: 直立不動とは
マクドナルドの二階、階段から一番近い席で、おれはポテトをパクつきながらスマホをいじっていた。
その奧、壁際の席ではおばさんが二人、向かい合って談笑している。
おれの席からはその姿が嫌でも目に入る。
階段を上り切るその瞬間、少年は最後の一段につまづいてバランスを崩し、飲み物をトレイから落としてしまった。
床に広がっていくコーラ、直立不動で固まる少年、少年を見つめるおれ。
少年と目が合い、数秒間見つめ合う。
「え、こぼした。飲み物めっちゃこぼれてる。え、助けた方がいいのか、何してんのトレイを一旦横の回収棚かテーブルにでも置けばいいんだ、助けるっていっても出来ることないよな、外国の子かな、ナプキン余ってるから拭いてやるか、こっち見てる、二枚じゃたいして吸えない、いやそこまですることないだろ、なに固まってるんだ、棚に置いて店員呼びにいけばいいのに」
時間にして3,4秒。咄嗟のことで何も出来ず、ただ頭の中でぐるぐる思考を巡らすおれ。固まるおれたち二人の間に奥の席で談笑していたおばちゃんの一人が割り込む。
「あらあら〜、もう一回店員さんのところに言ってこぼしちゃったって言っといで!たぶん新しいのくれるから」
「優しいわね〜、やっぱり子どもがいると違うわね」
ということが先程起こったんですが、おれの情けないことと言ったらね。
なんであそこで動けないのか。優しさを発揮する前に「でもそこまでする必要があるかな」とか余計なことを考えてしまうんだよな。
少年がマスクをしていて表情が読めなかったとか、落としたのがハンバーガーだったら拾ってやったけど飲み物はもう拾えないし特にしてやれることがなかったとか、このパターンは初めてで戸惑ったとか言い訳じみたことは色々思いつくものの、おばちゃんの方が立派だよね。人として。
自分が行動を起こす妥当性というか「これ、おれが助ける必要があるか?一人でなんとか出来そうじゃない?」とか一旦考えてしまうんだよな。優しさなんてその原理からして妥当性を超えたところにあるんだから、余計なこと考えずに助けてやればいいものを。とりあえず近付いて「大丈夫?」とか声を掛けてやればいいものを。
もし、飲み物を零したのが自分だったら、即座にカップの残骸を拾って捨ててトレイ一旦置いて店員さん呼びに行くから、なんで子どもが何もしないで突っ立ってるのかマジで理解できなかったんだけど、中一ぐらい?ってあんなもんなのかね。どうしていいかわかんないものだったっけ。お兄さんもう覚えてないや。
しかも、その時スマホで見ていたのが倫理学の講義のレジュメだっていうのが、また情けなさを引き立てるよね。「医師は、重度の知的障害者を持った新生児が命を落としかけていた場合に、両親が望まぬ手術を施すべきか」なんて問題を医者になる予定もないおれがうんうん考えてる暇があったら、もっと現実的な問題に目を向けろ。「マックで飲み物をこぼした少年を助けるべきか」を考えろよ。知行合一でないと。頭だけでっかちでも仕方ないんですよ。実践経験のない現代っ子はこれだから困る。
でも本当に子どもと関わる機会なんてゼロだからね。どこで実践なんて積めばいいんだ、という話でした。少年はトレイに新しくもらった飲み物を乗せて、今度は転ばずに階段を上り切り、それじゃおばちゃんまで届いてねーだろってぐらい小さい声でボソッとお礼言ってました。おわり。
有名なのは和田アキ子さんだろう。毎年、芸能界の重鎮、アッコファミリーの面々が集い、大々的に開催される。その豪華メンバーに、一昨年はAbemaでテレビ中継もされていた。
勿論、ボクは参加したことはないのだが、毎年、幹事は誰、誰が何人規模で参加したか、などが話題になるので、ある意味「芸能人の靖国参拝」とボクは呼んでいる。(無論、漫才のネタですよ)
対称的に殿は歳を取るに連れ、毎年、誕生日が地味になっていった。
と仰られ、軍団に集合をかけることもなくなった。
誕生日後に、スタジオで偶々、お会いして祝福の言葉を言うと、口に手を当て「しー」とする。
「そういうのは言わなくていいんだよ」
弟子が誕生日を強調して、スタッフや周囲に気を遣わせることを良しとしないのだ。
70歳に成られた時は、古希の祝いとして、ご自宅にお届け物と個人的にお手紙を同封した。
殿にお手紙を書くことなど、弟子志願の時、以来なので緊張した。
内容についてはまだ書かないが、ハガキ職人が書くような、くだらないことだけを書いた。
翌日、フジテレビのバイキングの生出演後、移動の車に乗っていたら電話がかかってきた。殿からだ。車の中なのに直立不動してしまう。
「おい、水道橋!オマエの手紙は笑ったよ。なんだあれ、あれは最高だったなー。まー笑った、笑った。とにかくありがとよ!」
と言って切れた。
自分の勤務先では毎年6月に全社員参加のボーリング大会を開催している
新入社員が2ヶ月間の研修を終えて6月に配属されてくるので、その歓迎ということも兼ね、かつ他部署の人たちとの懇親も深めるという意味合い
ハンデとして女性には+30点加算されて総合順位が決まり、上位だと結構な豪華賞品が貰えたりする
自分はボーリングがそこそこ得意で調子が良いと170~180くらい出せるのだが、昨年は組み合わせが悪かった
他部署との交流も目的なので全部署ごちゃ混ぜで4人毎に各レーンに割り振られるわけだが、同じレーンにとんでもない巨乳の子がいた
胸にボーリングの球…はさすがに言いすぎだがメロンかスイカが2つ入ってるんじゃないかというレベルの爆乳
つい気になってチラ見してしまうので全然集中出来ず、その子が投げ終わると胸を揺らしながら戻ってくるので更に集中出来ない
自分の投げ順はその子の次だったのだが、ボールを顔の前に構えて直立不動の姿勢になるとちんちんも直立不動になっているのがバレてしまうので
仕方なくメジャーリーグの投手のセットポジションみたいな前屈みの体勢で勃起を誤魔化して投げていた
そんな状況だからスコアもボロボロで、2ゲーム合計でスコアは200点もいかず、入社以来最悪の成績で大会を終えた
平日は帰宅後に水を入れたバケツをボールに見立てて水を溢さないように腕を動かしてフォームを固めるとともに、
カーブボールを何回投げても手首が疲れないようにするため、砂を入れたペットボトルを持って手首を返す練習を毎晩行った
「あんな酷い仕打ち受けたんだから、神様がそのぶんの罰をあいつらに与えないのは、自分に果報を授けてくれないのはおかしい」
こういう風な、道徳心や信仰心に根ざした見えざる手による調整への期待を心の深いところで持ってたんだけど、それがまずかった。
無職期間長引いたり、生きててとにかく辛かったりしたのはこの「神の眼差しへの期待」が原因だったと今振り返って思う。
上司から親を中傷されたり、先輩から事故の濡衣着せられたり、フロアのみんなの前で直立不動で人格攻撃食らって絶叫謝罪を強いられたり……そういう酷い経験も「こうなったら仕方がない」と受け入れて自分で行動しないと浮き上がってこれないのがこの世の仕組みだとわかった。残酷だけどね。
俺に酷いことしてきた人たちは悪行の報いを受けずに、仕事も順調、家族円満、生き生きと日々暮らし続けているとしても「そういうもんだから仕方ない。神なんていないから、寓話的な展開など発生するかもしれないし、しないかもしれない」と割り切って行動するしかない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sino6/status/1228376583821414400
いや、しのふー先生が描いたような動きでシワが入るなら全く不自然じゃないけど件の画像は直立不動じゃん。明らかに不自然なかたちでエロネタぶっ込んでくるからなに考えてんだって話になるわけであって。
https://twitter.com/LoveLive_staff/status/1227422254998392832
https://pbs.twimg.com/media/EQiuCTsW4AEzhJJ.jpg
普通にひざが前に出てんじゃん。
直立不動なんて言葉ぶっ込んでくるからなに考えてだって話なるわけ、こっちは。
Y on skirt理論の補強もしくは反論のための妄想ストーリーが流行ってるらしいからそれに乗るけど
カメラマン(想定)が富士山、水平線、みかんの木の位置などを踏まえて「もうちょい下下!」と絵の女に要求。それ答えて中腰にした結果な。
これな
https://cdn1.diodeo.kr/cdn/webzine/2016/08/24/20160824172632_kkyauosa.gif
by https://www.diodeo.jp/webzine/view/38828
「そもそもこれにオッケー出すほうが云々」な方向には乗りません。ほかをあたってください。
じゃぁ何もしない!異常なくらい何もしない。普段よりも何もしない。直立不動 あなたがいいたいのはそういうことでしょ
息もしなければいい?なにかしちゃいけないんでしょ?
本来なら横のつながりのない乳幼児スナイパーの業界で、唯一ひそかに徒党を組んでいると思われる同業者たちがいる。この季節になるとなぜかステンカラーのコートを好んで着たがる女性だけで構成されたその部隊を俺は「ステンカラーズ」と呼び警戒している。
コートの色がそれぞれ違うのは、きっと彼女たちの中で仲間を識別するためと思われ、特にベージュのそれを身にまとう者は士官クラスであると俺は踏んでいる。
ステンカラーズの恐ろしい所は、俺のように鬼気迫る一瞥や、標的を恐怖のどん底に突き落とす表情や、特殊攻撃モジュールも必要とせずに、「にっこり」と笑顔だけで乳幼児の動きを封じてしまうスキルにある。おそらくは精神波による強制暗示の使い手だろう。射程距離は多少短めだが、その分至近距離から確実に乳幼児を仕留める恐ろしい奴らだ。この業界における、目的のためには恫喝も白兵戦も厭わない彼女たちの専横ぶりを同業者たちの警戒を促すべくここに記す。
さて平日の朝の、ここはとある私鉄の某駅に停車中の車内である。乗り換えの急行から降りてきた家族連れが満員の車内に乗りこんできた。ベビーカーをたたみリュックを前に抱えたパパがいる。つまりそれはその背後にママに抱っこされた赤ん坊がいる事を意味している。あのスーパーのワゴンみたいなんじゃなくてたためるベビーカーと言うことは首が座ってるくらいの赤ん坊だろう。長年の電車通勤をしている大人の俺はそれを肌でわかっている。
果たして俺の狙撃の標的となるやもしれなかった赤ん坊はママに抱っこされてだらしなく口を開けて惰眠を貪っていやがった。何かおいしいものを食べてる夢でも見てるのかときおり口をもぐもぐさせている。いい気なもんだ。とりあえず勘弁してやろう。大人だからな。
状況が動いたのは表参道の駅で乗客が大勢入れ替わる乗り降りの瞬間だった。目を覚ました赤ん坊は周囲をキョロキョロして「あぁ」とか「たぁ」とかわけのわからない言葉を発し始めた。本当に語彙が貧困で活舌も悪いガキだ。もちろん俺は一瞥を開始している。しかし赤ん坊はなかなかこちらを見ない。にぶいガキだなあ。ところが「つぎはぁ霞ヶ関ぃ」とスピーカーから聞こえてきた瞬間泣き始めた。霞ヶ関に何かトラウマでもあったようだが、遂にプロの出番だ。しかし今日は立ち位置に問題がある。俺の隣にリュックとベビーカーを抱えて直立不動の父親がいるのだ。
「えへっえへっえへぇぇっ・・・・」と赤ん坊が肺の中の空気を残らず吐き出した。これはシン・ゴジラよろしく次の瞬間一気に「すうっ」と深呼吸して「っびゃああああ!」と大泣きするサインだ。プロの俺は知っている。乳幼児スナイパーが警戒すべきなのは親に気づかれることなのだが、周囲の目にも気を遣わなくてはいけない。目撃者の存在は自分を危険に追いやり、ときに社会的地位を脅かされるリスクもあるのだ。大人には大なり小なり社会的地位があるからな。たとえ底辺リーマンであってもだ。
しかしこれはA+級の泣き声を上げるサイン。ここは多少の傷を負うことは覚悟して俺はバッグの中にしのばせた、昨日酔っぱらってゲーセンのクレーンゲームで両替機に足を運んでまで入手した特殊攻撃モジュールの在り処を確認した。頭にゴム紐のついたライチュウ(ハロウィン仕様)のぬいぐるみだ。
間髪を入れず彼女は至近距離から「にっこり」攻撃で赤ん坊の精神を支配下に置いた。初弾でこの威力!まさにステンカラーズ。赤ん坊は恐怖のあまり泣き声をピタリと止めて凍り付いた表情で彼女を見つめている。
くそ!俺の獲物を貴様!頼むからそっち向いてつむつむでもやっててくれよ!そんな俺の殺気など意に介さず彼女は「ひとがたくさんでびっくりしちゃったねぇ」。なんと恫喝まで加えるコンビネーション。おそらくはステンカラーズの中でも相当の上級者と見た。
ステンカラーズの女の攻撃はなんと母親にまで及び「うちの甥っ子もこれくらいなんです」と恫喝し、母親のガードも破壊した。なお父親は空気である。俺も空気である。
多少ぐずりつつも少し落ち着いた赤ちゃんに、彼女は人差し指をそっと突き出した。おいやめろ、まさか白兵戦に引きずり込む気か。目の前に突き出された人差し指を赤ん坊は反射的にぎゅっと掴んだ。これは・・・指握手!ステンカラーズ士官のあざやかな手口に母親は「すみませぇん」父親は「ありがとうございます」と完全に彼女の支配下におかれた。俺は空気だった。俺のバッグの中のライチュウ(ハロウィン仕様)ももはや出番はなかった。
家族連れは日比谷で降り、なんと別れ際には赤ん坊の降伏を意味するバイバイまでせしめ、ステンカラーズの女は何事もなかったかのように二重橋前で颯爽と降りて行った。その後ろ姿はまさしく大人の女性の貫禄。
後から突然現れたステンカラーズに戦況をがらりと一変させられ、何もできず一方的な敗北を喫し車内に取り残された俺はぼんやりと、目に留まった週刊文春の中吊り広告に今週の原色美女図鑑をチェックしていた。ヤンジャンのグラビアのチェックじゃないぞ俺は大人だからな。
『万歳三唱令』(ばんざいさんしょうれい、萬歳三唱令)は、1990年代の日本で、「万歳三唱の作法を定めた太政官布告」と称して
出回った偽文書。創作者の素性や動機、文書拡散の経緯が判明した数少ない偽書の例である。
『万歳三唱令』には、明治12年(1879年)4月1日施行の「太政官布告第168号」という趣旨の表記がされており、一見本物のように
一部には、その存在を信じた者の発案による実施例も存在し、特に復古主義的団体による実施例や紹介が見られる。
『万歳三唱令』に定められている万歳の作法は「両手を真上に挙げると同時に右足を半歩踏み出す」という一般的でないものと
なっており、布告日が書かれていないにも関わらず、番号が打たれている。
実施要領
1.直立不動で両手は指をまっすぐ下方に伸ばし体の側面にしっかり付ける。
2.万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と挙げる。
その際、両手の指をまっすぐに伸ばし両掌を内側に向けておく。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%AD%B3%E4%B8%89%E5%94%B1%E4%BB%A4
やってみなかったのか。
結論から言うと、最高だよ。3Dの自由度とモデルがオープンだという恩恵を享受できて幸せ。
こんな精巧なおもちゃをタダで遊べるなんて、思春期に出会ってたら人生狂ってたかもしれないぞ。
パソコン室のCRTモニタのパソコンで課題をやってフロッピーディスクで提出してた頃からは隔世の感があるね。
さて、インストールして、かわいい某お姉さんのモデルをインポートしたら、まっさきにやることは決まってる。
視点をグリグリして、まあ真下からのぞき込みますよね。ああ、至極の幸せ。
自分で動きを作ることは素人には難しそうだったので、男女の「合体」モーションを読み込んでみた。
なんてこった! 再生ボタンを押すと直立不動のお姉さんがあの態勢で腰をガクガクしているではないか。
視点を動かして、拡大して、じっくり見る。すごい興奮する。
だけれど、ちょっと冷静になってみると無表情では魅力半減との気づきがあった。課題は表情の研究だな。
ところで、ぼくは女の子と女の子の「合体」がじつのところ大好きだ。大好きだが供給が少ない。
地獄の光景が目の前に広がった。まあ、ピストン運動なんだが、どっちかというとガチなエンジンのピストンとクランクなんだよな。
全身の関節があり得ない方向に延びていて、笑うしかない。この世界では全く男女の体の構造が全く違うようだ。
かわいかったお姉さんのピストンとクランク運動にすっかり興ざめしてしまったので、モーションの学習から始めるかと冷静になった。
結局かわいいを作るためには、かわいいを理解する必要があるとわかった。
表情とか、ポーズとか、モーションとか。中身がおじさんだからこそ、キモオタの心を射抜いているあのおじさんvtuberみたいにね。
むかし萌え絵が描けるようになりたくて、ひたすら筋肉人体模型みたいなものをデッサンしてるうちに飽きちゃった。(あのサイトまだあるのかな?)デッサンは全く上達しなかったけど、なぜかパースの知識だけは身についたので、今の仕事で活かしてる。
イラストはダメだったけど、幸いにしてMMDは既存のパーツを組み合わせることでかなりのクオリティが出せそうだから今後が楽しみ。
治験の、それも希少疾患の薬剤のアレンジをしています。薬が世に出るまでには、10年15年といった長い年月と、信じられないくらいの巨額の投機的投資、フェーズ1、2、3、4くらいの段階的試験と分析が必要です。私はその主にフェーズ3の、グローバル治験全般と物流をアレンジしています。今日は(次があるのかどうかわかりませんが)その「ラスト1マイル」の話。
ドイツ、スイス、アメリカ、イギリスなどの諸国の製薬会社から薬剤が成田に着きます。その薬剤はいったん専門業者の倉庫に収められ、盲検が施され、厳格な温度管理がなされて、病院と治験者が整った段階で、どんぴしゃりのタイミングで病院の薬剤部に運び込まれます。
温度逸脱が最大の敵のひとつで、もちろん専用の保冷箱に温度計が同梱されて運ばれるわけですが、薬は極力、物流倉庫で、あるいは薬剤部の倉庫で落ち着いて眠っている時間が長いほうがいい。したがって、物流/配送時間を最小化する課題が生まれてきます。たとえば、3月14日14:00さいたまの大学病院配送なら、都内の倉庫から逆算して、12:30ぎりぎりまで薬を取り出さず、保冷箱に移し替えるまでの間、外気にふれる時間を極力短くして、デジタル温度計を起動し、あらかじめ用意した書類を同梱、封緘して、その時間に来るように手配したドライバーに保冷箱を手渡し、ドライバーは13:45に病院の業者用ヤードに駐車、13:50に薬剤部の担当の方に電話をかけ、携帯の電源を切り、13:55に薬剤部のゲート前に到着し、13:58に窓口を軽くノックする。13:59に担当の方が現れ、後述の合言葉を唱え、14:00に「開封させていただきます」の声とともにカッターナイフを取り出し、テープを切り、箱を開け、書類と薬剤を手交。署名を得たら「ありがとうございます」回れ右して退出。
この間、ドライバー(イコール配送担当者)は、黒子に徹しなくてはならない。無駄な発声は一切禁止。どの製薬会社の何の疾患のどの薬剤でということも原則、口にしてはならない。盲検性に触れるおそれが必ずしもゼロではないからです。前に「○○(物流会社名)の△△です。XXさん(製薬会社)のPP(疾患名)のMM(薬剤名)、あ、今回はプラセボ(偽薬)ですね。お届けにまいりました」と滑舌よくいい放って数百万円の損害を出して即日クビになった伝説の猛者がいました。
「14:00の○○(手交管理番号)の件です」「はい。どうぞお入り下さい」。あるべき情報交換は、本来これだけ。服装も、リクルートスーツは基本中の基本、声の抑揚は「お通夜の司会のつもりで」なんてことを教育される世界であります。
今回、同行させていただいたドライバーさんとは、13:45に業者用ヤードで待ち合わせをしました。13:35に僕が先に着いた。まだだれもいない。13:40にもいない。13:41、スマホを取り出して(ついうっかり)「黄金頭 サクラ」で検索する。師匠たしかサクラ絡みで何か面白いことをつぶやいていたはずだ。黄金頭さんの中毒性のある筆致にすこしネットに夢中になる。13:45イタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! どこから姿を現したのかわからない。左側、3歩ほど離れたところに、薬剤を両手で抱え、植田まさしのかりあげクンを地味にしたような30代半ばと思われる地味なメガネ氏、中肉中背のリクルートスーツが場に溶け込んでいる。僕のほうを見ない。顎を引き、猫背気味、心もち遠くを見るようにして、肩の力が抜けている。「(只者ではない…)」歩を寄せ、「13:45お約束の…」「はい。では、行きましょうか。その前に電話を入れます」。(僕だという確認もしない。わかるのだろう。)
かりあげ氏、そこから先は前述の時刻進行通り。なのですが、特筆しようと思ったのは構内を歩く挙措の無駄のなさ。トラックヤードの上り框から、どの角をどこで曲がり、どこに目配せをすればいいか、足が覚えている感じ。とりわけ、通路の交差点手前では必ず気持ち歩速を緩め、ひと呼吸立ち止まり、左右確認をして会釈をしてから再び歩みを進める。「万一、薬剤を落としては元も子もありませんから」「会釈をして歩く業者を見て気分を損ねる先生や看護師の方はいないと思うんです」。5分前に薬剤部ゲート前に到着してからは直立不動(肩の力は抜けている)で、1分ごとに腕時計で時間を確かめる。
もちろん、何かしら、間違っていると思います。リクルートスーツとかね。そもそも、みんな忙しすぎる(´;ω;`) こんな配送日時指定、調整に血眼になるのは日本の治験だけだとよくグローバルの親分からは聞かされ、嘆かれる。批判も、しようと思えばできる。でも、しない。当面、しないことにした。代わりに、待遇を上げたい。物流のラスト1マイルはどうしても、C向けでもB向けでも、多層の中間搾取の残りの霞をかつかつで食べさせて、その割に重いプロトコル(お作法)を押し付ける傾向があります。特にB向けで専門性の高い、今回記したような薬剤配送の世界はその傾向が強いと感じます。
帰りに「ありがとうございます。お見事でした。どうしてこの業界/仕事に?」と尋ねたら「10年ほど前に弟が珍しい型の白血病にかかりまして。幸い治ったのですが…いえ、余計な話を。申し訳ありません」とかりあげ氏。「すごいプロがいる」と聞いて、今回、普段は管理側にいる私も、それだけではだめだ、現場をこの目で見ないことにはと思って、スケジュールをやりくりして同行させていただきました。さわやかな気分で病院を出、途中の川沿いの桜に、すべて実薬で治験の行われる日を願いつつ、帰途についた次第です。ありがとうございました。
そしたら、amazonさんがPSVRとかいうのもお勧めしてくれてですね、
そいでもってだね、DMMだかFANZAだかFANTAだとかわからないアプリを入れて、起動、ですよ。
そしたらですね、何というかもうね、凄いの、没入感。
すでに耳タコな話かもしれないが、この没入感はエロのためにある、そう確信しましたね、私は。
最近枯れてて、恋愛はもとより自慰さえメンドクサイと思っていた私がですよ、
私の愚息共々、ウルトラソウルですよ、これですよ。
愚息の直立度で年代を図るヤング率は10代と言われる直立不動。
ありがとうテクノロジー、ありがとうソニー、ありがとうDMM!
ふぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
それでできないことは色々あるが、特にキツかったのはボール投げと、バレーのアンダーサーブ(上に投げ上げるサーブなんて別世界の話)。
それで最近、方法をネットで調べてみたのだが、それでもなおうまいやり方がわからない。
自分は背が高いからかもしれないが基本直立不動が最も楽で、多分あらゆる動作は可能な限り直立不動で済まそうとしている。
だから、体重を移動しろと言われてもなんのことかサッパリわからないし、腰も膝も、要は中腰なのでしんどいだけ?
てか、それをするとしないのとで、なにか違うの?大して変わらなくね?と思ってしまう。
今となっては試す場所がないので、上に挙げた動作の有無によるアウトプットの違いが全く実感できない。
そんなに違うもんなの?
今週末、姉が結婚式をあげる。それが終わったら私は親と絶縁しようと思う。
実家が地獄だった。はっきり言って幼少期から精神的虐待を受けていた。
学業も趣味も親の意に沿わなければ人格否定、機嫌が悪いと私に金(学費、生活費など)を返せとヒステリーを起こし何にでも隷従を強いられた。
仕事や夫婦、嫁姑問題などのストレスで理不尽に怒られることが多く、小4の頃には自殺を考え始めたのを覚えている。
はっきりと実家と決別しようと決めたのは中2の頃だった。
理由は覚えていないが親は座って、私は直立不動のまま延々と説教をされていた。その歳には親の説教の理由は全て「気にいらないから」に集約されるとわかっていたので内容は聞かずただじっと耐えていた。そんな説教が1時間近くたったとき、突然意識が飛んだ。
失神か貧血だったのかはわからないが、唐突に目の前が暗転し気がついたら天井を見上げていた。
そのとき私は、あぁこれ以上この人と一緒にいたらいずれ明確な殺意をもって私はこの人を刺すなぁ、と確信した。流石に少年院行きは勘弁だと思い、実家から離れた学生寮のある高校に進学し、それから実家では生活していない。
地獄を離れバイトや一人暮らしを経験し社会で働く力は得たものの、親の呪いは強く自己肯定感は皆無、友人もまともに作れずずっとぼっちの立派なアダルトチルドレン。
しかし姉はと言うと性格は明るく、活動的、友人も多く、とうとう結婚する。
私と決定的に異なるのは、姉は親に愛されていた。姉自身は知らないかもしれないが、確実な姉妹格差があった。
姉は高校を卒業するころ免許を取った。自動車学校の費用は全て親持ち。しかし姉は免許を取っても自分で運転するのを面倒くさがり親に運転を任せるペーパードライバーになった。親はなんとか姉に運転させようと車まで買い与えたが結局進んで運転しなかった。
そして私が免許を取れる歳になったころ親は愚痴っぽくこう言った。
「お姉ちゃんには自動車学校のお金〇〇万も出してあげたのに全然運転してくれない、ペーパードライバーなんて勿体ない。あんたは自分のお金で免許取りなさいよ。もう私は出さないから。」
披露宴で新婦から親への感謝の手紙も感動溢れるものになるんだろう。私はその光景を見ても1ミリも響かないだろうが。
私には家族なんていなかった。