今週末、姉が結婚式をあげる。それが終わったら私は親と絶縁しようと思う。
実家が地獄だった。はっきり言って幼少期から精神的虐待を受けていた。
学業も趣味も親の意に沿わなければ人格否定、機嫌が悪いと私に金(学費、生活費など)を返せとヒステリーを起こし何にでも隷従を強いられた。
仕事や夫婦、嫁姑問題などのストレスで理不尽に怒られることが多く、小4の頃には自殺を考え始めたのを覚えている。
はっきりと実家と決別しようと決めたのは中2の頃だった。
理由は覚えていないが親は座って、私は直立不動のまま延々と説教をされていた。その歳には親の説教の理由は全て「気にいらないから」に集約されるとわかっていたので内容は聞かずただじっと耐えていた。そんな説教が1時間近くたったとき、突然意識が飛んだ。
失神か貧血だったのかはわからないが、唐突に目の前が暗転し気がついたら天井を見上げていた。
そのとき私は、あぁこれ以上この人と一緒にいたらいずれ明確な殺意をもって私はこの人を刺すなぁ、と確信した。流石に少年院行きは勘弁だと思い、実家から離れた学生寮のある高校に進学し、それから実家では生活していない。
地獄を離れバイトや一人暮らしを経験し社会で働く力は得たものの、親の呪いは強く自己肯定感は皆無、友人もまともに作れずずっとぼっちの立派なアダルトチルドレン。
しかし姉はと言うと性格は明るく、活動的、友人も多く、とうとう結婚する。
私と決定的に異なるのは、姉は親に愛されていた。姉自身は知らないかもしれないが、確実な姉妹格差があった。
姉は高校を卒業するころ免許を取った。自動車学校の費用は全て親持ち。しかし姉は免許を取っても自分で運転するのを面倒くさがり親に運転を任せるペーパードライバーになった。親はなんとか姉に運転させようと車まで買い与えたが結局進んで運転しなかった。
そして私が免許を取れる歳になったころ親は愚痴っぽくこう言った。
「お姉ちゃんには自動車学校のお金〇〇万も出してあげたのに全然運転してくれない、ペーパードライバーなんて勿体ない。あんたは自分のお金で免許取りなさいよ。もう私は出さないから。」
披露宴で新婦から親への感謝の手紙も感動溢れるものになるんだろう。私はその光景を見ても1ミリも響かないだろうが。
私には家族なんていなかった。
今日も女は毒親叩き
お疲れ様。 しっかり休んで、人を見る目を持って次の人生歩んでね。 毒親持ちはどうしても人を見る目が歪んじゃってるから、そこを見分けて有害な人から逃げれるようにしないと。
結婚式でなくていいよ
ここに書いたことを結婚式でスピーチしろよ