はてなキーワード: 病欠とは
十年以上前のことだが、インフルエンザにかかってパートを一週間休んだ。
(ちなみに、高熱・風邪症状と同時に酷い嘔吐下痢も発症して白便まで出たんだけど、インフルと同時にロタウイルスにも感染する事なんてあるの……?病院ではインフルの検査だけして、A型インフル確定だった)
そしたら、一週間後に出勤すると、上司が「有休にしてあげたから☆」と事務連絡なのか恩に着せてるのかよくわからないことを言った。
で、それをそのまま同じ部署と隣の部署のパートの先輩達に言ったら、先輩達が怒って、上司に
「この子はあんたと違って病欠を有休消化に使われたら、家庭のことで本当に休みが必要になったときに無断欠勤するしかなくなって、クビにされちゃうんだよ!」
と言ったらしい。
今思えばそれもどうかと思うけど、感染症は当然に出勤停止しなければならない業種で、感染症での欠勤を隠匿するために有休使うのもいかがなもんかと思うし、おかげさまで有休は自由に使えることになったのでよかったのかもしれない。
昨日はオーナーとのシフトだったが、オーナーは次の人が来る30分前に「俺もう疲れたから帰るわ。悪いけど一人で店番してて!」と言って帰ってしまった。
そしたら、オーナーが帰った途端に混み始めて、レジに長蛇の列が出来た。
お客様の一人が
「今日は君一人なのかい!!え!?今日は君一人なのかい!!それは大変だなあ!!!あはは大変だ!!!!!」
とやり場の無い怒りをもて余していらっしゃった。ご迷惑おかけしてどうもすみませんでした。でも、私のせいではないのでどーにもできません。
そんな混雑の中、一度に五千円くらいお買い物をして、くじを7枚引いたら6枚も当たったというお客様、悪い顔でニヤリと笑って、
「今引きかえてください。」
と言った。まぁくっそ性格悪いなと思ったけど、それでレジ混むの私のせいではないしまあいいか、と思って引き換えした。当たった時にすぐ引き換えないと、あとで当たり券持ってきたところで品物が無い、ということがよくある。そういう時のクレームめちゃ恐いので、まあいいか、長蛇の列出来てるけど。長蛇の列が今出来るか、来週か再来週当たりに暴言付きで出来るか、という違いだけである。
私のせいではない。
長蛇の列に苛立ったお客様が何人か、買うのをやめて帰って行ったけど、私のせいではない。
そもそも、疲れたオーナーが夕勤まで居なきゃならないのは、ベテランパートの一人が私に対して業務に支障が出るほど嫌がらせをしたために、私と組んでシフトに入ることが出来なくなったせいだ。
私、一ミリも悪くない。
オーナーが、夕勤に入れる女の子のアテがある!これは期待出来るので、増田さんも期待して待っててね☆と言っていた。
まさか、私の前の職場を一人で滅茶苦茶に引っ掻き回した子じゃないよなぁ、と、嫌な予感がする。
彼女は仕事の覚えは物凄く速くてデキる子だったんだけど、色々と問題を起こしすぎた。どんな問題を発生させたのかというと、ヤバすぎて書けない。コンビニバイトであんなトラブル起こす奴、珍し過ぎて書いたら即身バレしそう。
コンビニって一度仕事を覚えたらどこの店舗でも勤められそうな気がするので、店員が自分の生活圏周辺の各店舗渡り歩くとかよくある話なので、あの子がうちの店にやってくるというのもあり得るわけで。
実際、以前私が勤めてた店で早朝勤務をしていた人が、いつの間にか今の職場で早朝勤務をしているw
時間いっぱい精一杯働き、清々しい気分で上がろうとしたら、夜勤の男の子に突然言われた。
「俺、今日までで辞めるんすよ。今までありがとうございました」
と。大学生で、就職先も既に決まって後は卒業するだけらしい。都会に出て医者になるので、もう二度と帰って来ることはないと思うとかなんとか。
なお、夕・夜勤のバイトは若い男子ばかりなのだが、多くが同じ大学の同じ学年であるらしく、年内には殆んどの人が辞めていく予定だとか。
残るのは、夕勤限定の私、夜勤も出来るが私への嫌がらせに余念のないベテランパート、早朝まで勤められるフリーター男子、最近病欠してる男子の四人だけなのだそう。
しかも、長らく夜勤早朝勤務をしていたAさんも辞めてしまうらしい。Aさんが辞めるとなると、Aさんの事を大好き過ぎるフリーター男子の勤労意欲も怪しくなる。
当店は大ピンチの冬が、すぐそこまで来ているのだった。
一旦終了
再開
まさしく資格職で週二回楽な仕事やって月5万~10万稼いでるお気楽主婦だけど
・取るには3年以上フルで学校通う必要ある資格だから30代社会人が取るのは難しい
・子供は預け先確保済(延長保育充実していて保育園代わりに使ってるフルタイム勤務ママも多い幼稚園に通ってる)
・夫が高収入
だから出来る事だよ
別に働かなくても夫の収入だけで子供育てられるけど、働きたいから働いているだけであって
働かないと食えないとか子供にろくな教育与えられないとかそういう立場じゃないし
職場側もそういうのを薄々分かってて「こいつは無理言ったらすぐ辞めてしまうだろうけど、資格者は貴重だから多少の我儘を聞いても留めておきたい」
と考えてるのがよく分かる
逆に仕事辞めたら食えない、って立場だと職場の方も足元見てくるだろうし
社会人でも簡単に取れる資格って事は、それだけ持ってる人も多いわけだし
どこから書いたもんか。
あらかじめ言っとくけど、長い。
どのへんがターニングポイントになってんのかはよくわからんが、ここ10年以内のことではあると思う。簡単にいうと、利益を上げるための手段が、経営努力から人件費を削ることになった。まあ人件費削減がコスパでいうともっとも王道ってのは昔から変わらんのだけど、ほかの方法がいっさい通用しなくなった、というほうが正解かもしれない。ちなみに現在でも利益はかなり出ていて、その面から考えればコンビニをやめる理由はない。実際、やめられるもんでもない。
人件費を削るというのは、具体的にはどういうことか。レジに立ってりゃいいってことである。さらに昨今では削りたくなくても勝手に削れるという事態がけっこう頻出している。つまり、募集かけても人が集まらない。集まったとしてもこちらの希望の時間帯が集まるわけではないから、オーナーみずからが穴埋めをすることになる。生活リズムはガタガタだし、まとまった休みがない。
要約すると、オーナーの仕事はこうなる。1分でも長くレジに立ち、ひたすら接客を繰り返し、バイトのシフトの穴埋めをし、病欠があればかわりに埋めて、連休をとることもなく、てゆうか休みじたいがとれず、ただただ無限にレジに立っていればよい。それだけである。5年後も、契約を更新すれば10年後もひたすらレジに立っていればよい。
もちろんこれは極論だ。実際にはバイトにレジやらせてる時間だってかなりあるし、机に向かって仕事をしなきゃいけないこともある。品出しだってゴミの交換だって重要な仕事である。
あとそもそも現在でも成功の方程式はきっちりある。けど俺はその方程式が嫌いだったし、嫌いであったがゆえにこんな現状に追い込まれているというだけの話である。あれだ、つまり自己責任。
さて、なんでこんな事態になったのかなのだが、ひとつには本部のたゆまざる努力がある。コンビニ関連のホッテントリが出るたびに、本部は一方的に悪者になっているが、向こうだってチェーンが壊滅したら困るので、ちゃんと努力はしている。具体的には、可能な限り少ない人手で店を回せるように、さまざまなところが機械化され、電子化され、要するに店の運営のためにかける手間が飛躍的に減った。このへんは実感している関係者も多いのではないだろうか。よって、そのぶんバイトがを減らすことができる。そのぶんオーナーがレジに立てば人件費は浮く。
そしてすべての根源的な原因だが、人件費の高騰である。これもう、首締まってるオーナーかなり多いと思う。実際には、多少人件費が上がろうがなにしようが、余裕で払えるくらいのロイヤリティにしろよって話でもあるのだが、まあ向こうもそう簡単に下げられないだろう。なにせ数字になって跳ね返ってきて株価でも下がったら目もあてられない。
というわけで、俺は毎日のようにレジに立っている。レジも含め、基本的に複雑なところはあまり頭を使う必要がなくなった。だからレジに立っていればよい。本部の施策も進歩した。オーナーみずからがなんらかのコスト(主には人件費だが)払って、新たな努力をする必要もない。下手なことをするくらいなら、レジに立っていればよい。
毎日が単純作業である。そしてバイトが増える気配はない。明日も明後日も、たぶん5年後も同じ毎日だ。休みもない。金はまあまあふつうにあるが、どうせ家と店の往復以外にやれることがないので使う意味がない。せいぜいエロゲを買うくらいだが、そのエロゲもあまりやる時間がない。
こういう状況になると人間はどうなるかというと、なにもかもがどうでもよくなる。摩滅していく。人が足りなくなってさらにシフトがきつくなるのはわかっていても、もう募集をかける気すらしなくなる。なぜなら募集をするためにかけなければいけない手間、時間のことを考えると、家で寝てたほうがましだからだ。どうせ状況は悪化することはあっても好転することはない。むしろ死ねばレジやらなくて済むわけだから、うっかりシフト中に死ぬと楽である。
もちろん、そう簡単に死ぬわけにはいかない。どうせ待ってりゃあと数十年と経たずに死ねるわけなので、いま急いで死ななきゃいけない理由もない。そして俺には文章書きという無敵の趣味がある。金もかからない。最近はようやく小説を書けるような気がしてきた。人間諦めずにがんばってみるもんだなあとか思ってた。
しかし、気がついたらある日、すべてのテキストファイルを削除してた。
ストレス耐性には自信がある。体力も人並み以上にはあるほうだ。しかしやはり人間なので、高いストレスはどこかに悪影響が出る。俺の場合、それは物を壊すことにあらわれる。過去にもノートパソコンとかいろいろぶっ壊してきた。これは高価なものであるほど、自分にとってたいせつなものであるほどストレス軽減効果が高い。ひっとしたら紙幣とか燃やすとすっきりするかもしれない。
最近は年くってきたおかげなのか、そういう衝動的な行動はなくなってた。どうやらテキストやらアカウントやらを片っ端から削除したのは、その代償行為であるらしい。Dropboxからローカルやら、片っ端から丁寧にテキストを削除しているときは「これで楽になれる」くらいのことしか考えていないし、その作業に没頭している。
なんで俺はこんなことをしてるんだろう、と。
人生のほとんどの時間、なんらかの文章を書いてきた。ネット環境を入手してからはほぼ20年、なんらかのかたちでどこかには文章を公表してきた。そのすべてを削除するということは、俺という人間の少なくない部分を消してしまうにひとしい。
そこまで考えてようやく気づいた。
どうやら死にたかったらしい。
なるほど、ならば物を壊すにも高価なものほどよいこと、自分に近いものほどよいことも道理である。自分を消すことの代償行為なのだから。
そういえば思い当たる節がある。
実は最近、わりと派手に下血した。貧血でぶっ倒れるようなレベルのやつで、それじたいはまあ「運が悪かったっすね」程度のやつで、だれにでも起こりうる程度のものだったらしい。入院も1泊2日で済んで、つらかったことといえば大量の謎の味の下剤を飲まされたことくらいだ。
けどそれも、さんざん検査されたりアナルに指つっこまれてお尻アツゥゥゥイとなったあげく、やることなくてフルメタ1巻から読み直してテッサさんにも下剤飲ませておそろいになりたいなあ、てゆうより3日くらいお風呂に入れなかったテッサさんの頭皮のにおいすごいかぎたいなあなどと思っていた俺に、医者が「どってことねっす(要約)」と言ってくれたからわかったことで、実はそれまで大腸がんの可能性を疑っていた。わかってる。テッサさん特に必要ない。わかってる。
というのも、下血はこれが初めてではない。んで、下血で調べてみると、たいていの場合、まず大腸がんってのが挙がってくる。だからまあ、なんでもないよって言われたらほっとしていいようなものなんだけど、そのとき俺が最初に思ったのは、
「これでレジ打たなくて済むようになると思ったのに」
ということだった。
そのときには「そこまで仕事したくないのか俺」みたいなことしか考えてなかったんだけど、ここ数日の精神の動きを考えると、どうやら俺をして「死ぬ」という思考に進ませなかったのは、単に「俺がいなくなったらあちこち回らなくなる」という義務感だけだったらしい。まあでも、あんがいだれしもそんな部分はあるのかもしれない。空っぽになったDropboxのフォルダ、アカウントを消してしまったなろうのトップページをぼんやり見ながら俺は、これが無かーなるほどなーなどと思っていた。
自分がかなり追い込まれてやや病的な状態なのはわかるし、なんならブコメでプリントアウトして病院行けとか、睡眠運動瞑想野菜末路悲惨(最近あんますすめてるの見ないな)などと言われそうなこともわかっているのだが、かといって、俺は明日もレジだし明後日もレジだ。おまえは頭を使う必要はない。おまえはただの道具だ。そこに長時間束縛されていることだけがおまえの価値だ。そういう声を聞くともなく聞きながら俺はレジに立っている。なにをすればこの状況を脱出できるのか、どうすれば状況は好転するのか、そのすべてを理解しており、それを実行するだけのスキルを持ちながら、やる理由も意欲もまったくない。ただすべてが早く終わってくれと、それだけを願っている。
んで、これだけなら別に書く理由もなかったかもしれないのだが、実はここまでで前置きである。
アカウント消す系のやつはけっこう昔から頻繁にやってて、そのうちのかなりの比率はパスワード忘れた系のやつなのだが、そうでない場合は、今回と似たような軽めの自殺的な意味合いが強かったらしいことを理解した。昔からそうなのだが、読まれたいという気分は人一倍強いくせに、実際に読む人が出現すると、とつぜん逃げ出したくなる。その矛盾のなかで、それでも読まれるとうれしいというほうが強かったから、今日までいろいろ書いてきた。とはいえ、ここ数ヶ月は「だれかが自分の存在を知っている」と思うだけでもう無理、という気分が強い。この気分は強くなる一方で、改善する余地がまずなさそうである。反対に書いたものをだれかに読まれたいという欲望はどんどん薄くなる一方だ。人は結局スタート地点に戻るものなのか、だとしたら俺は、だれにも読ませるあてのなかった文章を大量にワープロ専用機に叩き込み、フロッピーディスクを何十枚となるためこんだ、あのころに戻るわけだ。いままで晒してきたぶんはどうしようもないとして、もうこれ以上、自分に由来するなにかをネット上には残したくない。そこに俺の刻印があろうとなかろうと、記名だろうと匿名だろうと、とにかく俺が存在している事実をだれにも検知されたくない。
なんでまあ、外向けの文章書きの臨終の地として増田を選んだわけだ。
というわけで、本題はお礼である。
ネットに文章を公表するようになってからは20年だが、それ以前から大量の文章を書いてきた。ネットに公表するようになってからは、ほんとうに読む人に恵まれてきた。いちいち名前を挙げていたらきりがないし、増田はそういう場所でもないだろう。ただまあ、お礼は言っておきたい。心当たりのある人は、だいたい心のなかで俺にお礼を言われているはずだ。これだけ癖の強い人間につきあってくれた人たちには頭が上がらない。特に、最後の数年間を過ごしたツイッターのタイムラインの方々には心からお礼を言いたい。あなたたちがいたからこの数年、俺はプライベートで退屈もしなけれは、いくらだるくてもなんとかやってこれた。深夜どころか朝方に近い時間帯に勃発するエロゲ談義、ほんとに楽しかったです。ネット上では、ことに長文ではまず使ったことのない言葉をここで使いたい。
あとつけくわえることがあるとすれば、ワールド・エレクションはクルルがやばいくらいかわいいという意味で隠れた名作だし、ココロネは菜砂が想像以上にやばいくらいかわいかったのでやったほうがいいです。乳圧は精神力で耐えるしかない。あとリールゥ意外にかわいいんですけどこれはどうしたら。
元は割と同じ位置のスタートだったイギリス人の友人が転職に結構成功して外資の偉いポジションになった。子育て中で共働きなので、家に住み込みのワーホリヨーロッパ人を雇って語学教育と家事その他をやらせている。その妻も自己実現バッチリで夢だった職業に就いてる。
そんな人たちが、夫婦でなぜか私に好感を持ってくれていて、やたらメッセージやイベントのお誘いが来る。
自分はといえば、大学卒業して就職のスタートラインでつまづいて(自分のせい)、転職もつまづいて(自分のせい)、病んで引きこもって病欠3年くらいして(自分のせい)、低収入で病がちな配偶者と結婚して子供も生まれたけど、その夫婦からメッセージが来るたびに正直鬱になる。
自分の家庭にはまったく不満はない。本当に愛してるし。
でも、家で皿洗ったり洗濯したり子供迎えに行ったりしてる時にふとその友だちからメッセージが来ると、ああ、皿とか洗わなくていい人なんだなあとか、この洗濯物たたまなくていい人なんだなあとか、子供は労せずバイリンガルになるんだなあとか、自分らにないものに恵まれていることに嫉妬してしまい、返信が滞る。そして返信してないこと自体に対して、「自分は嫉妬から友人とのコンタクトを拒否するような卑しい人間だ」と、更に鬱になる。
実家も都内で子供預け放題、記念日には夫婦でデート、泊まる宿は5万から、出張の延長でのイギリス帰省旅行も普段の都内のタクシーも会社持ち。金のかかるプリスクールとインターに子供は通い、教育環境もバッチリ。
今からクタクタになって帰宅して、散らかった家を見て、ああ、住み込みのヨーロッパ人がいたらこれ片付けてくれるのかな、って思うんだろうな、自分。
あまりにも嫉妬の気持ちが強いから友だちを辞めて自分の心に平和を取り戻したいのに、友だちを辞めるにも自分が最低過ぎて理由が言えないし、無言で消えて今までの信頼を裏切るのも申し訳ない。そんなことで悩んでしまい余計苦しい。
小論文を書くのはゴールデンウィーク中に出された課題でした。しかし、去年、大した文も書いていないのに学年代表に選出されて全校生徒の前で大恥をかいたトラウマがフラッシュバックしてしまい、なかなかペンが進みませんでした。
どうしようどうしようと思っているうちに11連休が終わって(私の学校は何故か11連休ありました)、私は小論文のために学校を休むことにしました。某ユーチューバーに影響されたわけじゃありません。という文を書くのが面倒なのであの子には世に出てきて欲しくなかったです。
仮病は使いすぎてもう親には通じないので、一度行ってきますをして通学の途中で学校に電話を入れました。役員さんに病欠の旨を伝えて、親の出勤時間まで公園で時間を潰して家に帰ってきました。
家に帰ってからは、どうしてこんなことで学校を休んでしまったのだろう、なんでみんなが当たり前にできていることが自分にはできないのだろうという罪悪感と焦りに駆られて、自傷をしてしまいました。止血が終わる頃には親が帰ってきていました。怒鳴られる覚悟をしていたので、学校から親には電話していないことを知ってほっとしました。
結局食べることが無かったお弁当をこっそり捨てる時に一番死にたくなりましたが、「じゃあ今から死ぬ気で小論文を終わらせて明日こそは登校しよう」という気持ちにはなれませんでした。もういいや、と思ってしまったのです。
二日目はもう完全に「今日も休もう」という気持ちで起きました。家に一人だとまた鬱になりそうで怖かったので元彼に連絡しました。
一度ヘラチンじゃない元彼と復縁を決めたことがあります。ヘラチンに「お祝いでご飯を奢る」と呼び出されて、ヘラチンのアパートで暴力を振るわれました。
ヘラチンは泣きながら謝ってきて、その後暴力されることはありませんでしたが、怖いしヘラチンのことも好きなのでなあなあになっています。
そのヘラチンと、学校をサボってドライブに行きました。ヘラチンも大学をサボってくれました。ヘラチンとぼーっと海を見て、ご飯を食べて、ヘラチンのアパートで傷を舐めあいました。ヘラチンとは堕ちるとこまで堕ちてる気がします。
三日目は自分の家にいました。
ヘラチンはちょうど何も無い日らしいのですが、今日こそは学校に行くぞ、小論文をやっていなくても学校には行った方がいい、と思ったのでヘラチンと遊ぶのはやめました。
しっかりと準備をして家を出たのですが、暑いし、だるいし、歩く度に太ももが筋肉痛でびくびくするのでだんだん暗い気持ちになってきてしまって、結局一日目と同じことをしてしまいました。
三日目になると休むことに対する抵抗もあまり無くなっていて、動画を見て笑っていたら一日が終わりました。
そして今日、連続の欠席を不審に思った担任の先生の電話で、親にも学校を休んでいることがばれました。怒鳴られたりはしませんでした。もともと情緒が不安定気味なのを親も知っていたのであまり刺激しないようにしたんだと思います。怒鳴られないだけであって怒りはしていました。親には毎日早くに起きて朝ごはんもお弁当も作ってもらっていたので、学校に行っていなかったことを知って怒るのは当たり前だと思います。また、娘が親に何も相談せずに三日間も欠席していたので心配もしているのだと思います。
親の心労にならないようになるべく自分の気持ちをきちんと話そう。という思いは親のため息ひとつで吹き飛んでしまいました。
実はうちは母子家庭です。お母さんは、基本的には、やりたいことをやらせてくれるいい親ですが、「私はシングルマザーで毎日辛い思いをして子供を養っているんだから、ねぎらって」という感じをぷんぷん出しているところは好きではありません。ため息はその合図です。親の彼氏が面倒臭い性格をしているので、そこらへんのストレスも擦り付けられている感じがします。
ここで私が欠席していた理由を話せば「私の方が頑張っていて、辛い」という風にマウントをとられるに違いありません。私はそのような言葉をかけられたくなかったので事実は話しませんでした。
「小論文が終わっていないから」の中にあるいろんなモヤモヤというかなんというか、をうまく説明できる気がしなかった、というのもあります。
ぐちゃぐちゃしながら書いているので読みにくかったらすみません。
私はどうしても悲劇のヒロインになりたがる節があります。ヘラチンのくだりとか家庭の詳細とかは別にいらないのに書くことで同情を引こうとしています。だから同情しないで怒ってほしいです。私は自分への甘さを捨てきれません。同情しないで怒ってほしいなら同情を誘うような文を消せばいいのに消せません。
バイトもブッチからの音信不通を二度もしてるしまだ制服も返していません。一万円弱のお支払いをバイトをしていないせいで踏み倒しています。受験勉強どころかテスト勉強すらしていないし、将来のビジョンも不透明です。
怒ってください。
それで、私がちゃんと小論文を書いて、学校へ行って、バイト先に謝って制服を返して、お支払いをして、毎日五時間は机に向かって、ヘラチンとお互い自立したお付き合いができるようになって、親に感謝できるようになったら褒めてほしいです。ぜんぶ普通の人間はあたりまえに出来ていることだと分かってはいます。でも褒めてください。
去年あたりから67歳の母の物忘れがひどくなったので今年の4月に神経科にいって脳のMRIスキャンをしたら、脳全体の萎縮、特に海馬のあたりが同年代の平均よりも縮小が早いらしく、このままだと認知症やアルツハイマー型認知症の原因になると診断された。
正直僕には認知症とアルツハイマー型認知症の違いがよくわからないのだが、母親はすでに自分の停めた車の場所がわからなくなったり、以前なら作れた料理のレシピを忘れていたり、昔住んでいた地区に電車で行こうとしても現在地がわからなくなったりパニックを起こしたりと、私生活に支障がでるレベルになってきている。一緒に住んでいる父親も最初は健忘症か寝不足によるストレスじゃないか?と話していたが、さすがに最近は認知症らしいと認めざるを得なくなってきた。
担当医からはドネペジルとメマンチンという薬を処方されて、とりあえず母には忘れないように毎日飲んでもらっている。ただこれらもうまくいっても進行を遅らせる程度の効果で、一度始まった認知症を回復させる方法はおそらくないのだろう。
担当医からは薬の服用以外にも、進行を遅らせる手段として日頃から散歩などの運動、または手芸、生け花、絵画など脳をよく使う趣味、そして人とのコミュニケーションを増やして脳を活性化させることを勧められたのだが、困ったことに母がなかなかその気になってくれない。最近は家庭内トラブルが続いて長期的なストレスで自分から行動する気力がなくなったようだ。以前は人付き合いが得意で話上手だった母だが、些細な事で怒ることが増え以前まで仲良くしていた友人たちと次々と疎遠になっていった。
そもそも病院への診察も非常に嫌がり、結局僕が病欠をとって会社休んで同行することでやっとMRI検査までこぎつけた。正直車で2時間離れている距離にいる僕が今後も毎回通院の際に仕事休んで同行するとか経済的にもしんどい。
一緒に住んでいる親父は僕からみてもよく頑張っている。事情があって弟の高校1年の娘を引き取って高校卒業まで一緒に暮らしているのだが、75歳の高齢でありながら年金だけでは暮らせないので週に5,6日ほど仕事を続けながら出不精になった母をなんとか散歩に連れ出したり、料理のレシピを忘れた母とyoutubeのレシピ動画を見ながら一緒に料理も作っている。昔は傲慢で家庭をほったらかしだったあの親父があそこまで頑張っている姿は毎回感心するし、42年生きてきて最大級に親父を尊敬している。
こんな日記を書いている僕といえば、すでに実家から離れ結婚して子供もいる共稼ぎ夫婦。なんとか月に1度程度、まだ小さい息子を連れて遊びにいったりたまにアマゾンでギフトを送るのが精いっぱいである。
母は以前はウザいくらい僕に電話してきたので、今年になって俺が「病院に行け」だの「趣味を始めたほうだいい」だの言いすぎたせいか、あっちから連絡が来ることがぱったりなくなった。僕からの電話も素っ気ない対応になった。まぁ息子にあれこれ言われてウザいんだろうね。
実家近所の役所やらNPO団体などを探せば、高齢者向けのサポートサービスがいくつかあるのは知ってる。ただどれも本人たちが自発的に訪ねていかないと何もしてくれない。役所やNPOも暇じゃないから当たり前の話なのだが、うちの母のように精神的にふさぎ込んで助けを求める気力すらない人間はどうすればいいんだろう。主治医にはあまりに母が落ち込んでいるのでうつ病の可能性も指摘されたが、どうやって母に自発的に精神科に通院してもらえばいいのか見当もつかない。(もちろん頼んだが「そんなとこいっても治らない」と拒否)
このままにしたらどんどんひどくなる。わかっているのになにもできない。どうしたらいいんだろうか。
追記:みなさん暖かいコメントありがとうございます。日頃は手厳しいブコメを残してる方々も親身にアドバイスしてくださって、感謝の気持ちと自分たちが置かれた状況の深刻さをかみしめてます。
地域包括支援センターにはすでに相談に行きましたが、現在の母親の状態ではまだ本格的なサポートは受けられないみたいです。介護付き老人ホームなどすでに探してますが、どこも5年~10年待ちです。忙しい父親に頼んで仕事の合間に申請書類を用意してもらってますが、正直いつ入居できるか検討もつかないのでこんな事務作業やらせるなら少しでも休ませたほうがいいんじゃないか?と自問自答の日々です。
主治医に診察に連れていくのが正直しんどいです。嫌がる母親をなんとか説得して一緒に診察にいっても、主治医は簡単な質問をいくつかしただけですでに処方してもらった薬を追加するだけ。しかもその薬も効いているのかよくわからない。(調べたところ、認知症について現状処方されている薬以外の代案がないのもしってます)こんなのが続くと僕だって「こんな診察を嫌がる母親を説得してまで行く必要あるの?」って思えてきます。
今後のことを考えると憂鬱になりますね。幸いにも姪は成績優秀なのでなんとか返済なしの奨学金(ローンじゃないほう)をもらって大学に進学できそうですが、彼女が高校卒業する2021年までは父親も頑張る、でもそのあとのことは考えたくないと言っています。今後の母親の介護プランについて考える余裕もないようです。なにせ高齢の親が高校生の孫を養うだけでも一苦労です。いままでは姪とその父親であるクソ弟の対応に振り回されて、ストレスでボロボロだった母親に対応する余裕がありませんでした。
会うたびに両親からは「お前に苦労ばかりかけて申し訳ない。これ以上お前に負担をかけたくない。姪が大学に進学したら早く死にたい。これ以上生きていても辛いだけだ」といわれます。そういわれて「とりあえず今はできることからやっていこう。後のことなんて誰にもわからないよ」とお茶を濁した対応をしてますが、正直僕も逆の立場になったら現在幼稚園児の息子にそんな苦労かけるならさっさと死にたいって思うだろうから返答に困ります。
うちの両親は決して完璧ではなく、大人になった僕から見たら過去に「なんであんな馬鹿な決断をしたんだ」「あのお金をもっと大事に運用してたら今もっと楽できたのに」と思うことも多々ありますが、それでもこんな悲惨な老後を送らなければならないほど酷いことをした人間ではないです。先のことを考えすぎてもどうしようもないので、なるようになるさっと割り切るしかないですね。
そこまで病欠者が多いとも聞かないのでいた部署が尽く悪いのかなと思ってたけど、もともとどの部署も炎上プロジェクトでもないのに、途中から炎上し、病欠者が発生したパターンばかりなので、部署のせいというより上のマネジメント能力の問題だと思う
営利企業ならお客さんがいるから分かるが、公務員で議員対応が多い部署でもないのに、どうしてこうなるのか疑問だったので整理してみた。
共通するのは、①それなりに出来る部下が集まってる、②上司の業務進捗の把握能力および交渉力がなく、体力の消耗戦に持ち込んでる事だ
主な原因
①欠員補充出来てない
こればかりは人事とちゃんと調整してくれ…
②優秀な部下に残業させまくる
プラスαを求めすぎ。最低ラインを超えてたら良しとしてくれ。交渉してもクオリティは下げられないとの一点張りだが、人員減ってたらクオリティは下げるかスピードを落とすしかないだろ、両方下げられないなら人事と交渉しろ。
③部下の暴走を止められない
いくら部下がやると言っても超勤で産業医から注意されたら、その内容を素直に聞いて帰宅させろ。病院通いの人だっていたし。
上で散々赤信号出てたじゃん。他部署に仕事を渡そうと交渉してくれたのは良いんだが、他部署も繁忙期に前触れもなくいきなり仕事を渡そうとしてもそりゃ受けてくれんだろ。計画的に減らさないからこんなことになったんだ…そして断られたからといって他部署に八つ当たりするなよ、八つ当たりするなら人事にやってくれ…
プレイヤーとして優秀だったからこうなるんだろうけど、マネージャーには向いてない上司多すぎねぇかと思う。出来る人達だから、先手を読んで仕事するってしてこなかったんだろうなぁ…
体が弱めの部下だからこそ、先々を見越して、早めに手を打てばみんななんとかなったのではと思ってしまう…
ちなみに全部提案してみましたが皆さん揃って聞く耳持たないですね。まだ良いだろで流されます。問題起こってからじゃ遅いのにね。
公務員だと出世がインセンティブ持たないから、仕方ないのかもですが、こんな上司ばかりだと、自分を守ることでこちとら精一杯です…
自分は中規模な外資IT企業に勤めていて、妻は総合病院の看護師をやっている。
今年もインフルエンザが大流行しているなか、ついにうちのこどももA型インフルに罹患してしまった。最低5日間の出場停止である。
病児保育のための書類を揃える余裕もないので、妻と相談して交互に休もうという話になった。
アメリカ系企業しか知らないが、外資企業にはSick Leaveといういわゆる病欠の制度があって、これが有休とは別に一年に数日もらえる。
このSick Leaveは子どもの看病を目的としても取得できる良い制度である。
妻の職場でも看病を目的とした病欠の制度はあるらしいが誰も取得しないという。聞けば、年次有休が余ってしまうので先に有休を消化されてしまうのだそうだ。
このあたりの論理がそもそもおかしいが、自分も今の職場に就く前は国内大手総合うんこIT企業にいたので、そのあたりの空気がわからなくもない。
また妻の病院では看護師が万年人手不足の状態で、頭数が余っている日はほとんどないことも休みを取りにくい空気を色濃くさせているように見える。
ただ幸いにして妻が休むことになっていた日は看護師の頭数が+1の状態らしく、休むことに問題はないはずと言っていた。この際、病欠だろうが有休だろうがどっちでも良い。
さて、自分の休みはメール一通でさっくり取れたのだが、妻の方は休みが取れたのか取れなかったのかはっきりせず、看護師長に直接相談すると言って翌日は職場に向かった。
こどもはゾフルーザが処方され、家の中では隔離。というか一日中寝ていてくれたので大した看病もなかった。
その日の夜、およそ2時間ほどの残業をして帰ってきた妻の言葉にびっくりした。休みが取れなかったのだ。
自分もさすがに2日連続で急な調整はできなかったので、こどもを実家に託すことでことなきを得た。
が、妻の職場の理解のなさに不満が募る。インフルエンザのこどもを一人で留守番させてもオッケーとでも思ってんだろうか、あの病院は。
とはいえ、妻の病院がなにも特殊なわけではなく、これは旧態依然としている日本型組織にとっては「あるある」だろう。
もし、自分がまだ国内大手総合うんこIT企業にいたら多分休みはとれていない。うんこだからだ。
もう少し噛み砕いていうと、課長(奥さんが主婦)から「俺の子どもが病気のときは~」と武勇伝を語られ、部長(独身)から「いきなり言われても困るよ!」とひたすら渋い顔をされるのが関の山である。
ちなみにこういったことは今回が初めてではない。夫婦の取り決めで、こどもに何かあったときは、そのときに融通が利く方が対応することになっているが大半は自分の職場の方があっさり調整できてしまうので自分が対応している。
自分の職場には「家族と健康が最優先」という文化がしっかり根付いている。日本支社なので大半が日本人にも関わらず、そういった文化にしっかり染まっている。
妻の職場はあまり調整ができないし、そもそも言い出しづらそうだし、一旦仕事が始まってしまうと職場からなかなか抜け出せない。母親にとっては本当につらいことだろう。
子育てするなら外資系企業に行った方がいいと思う。アメリカ系IT企業だけ特別なのかもしれないが。日本型労働環境が根付く企業や団体にいたらこども育てられないよ。