はてなキーワード: 日本企業とは
Amazonで本を買うせいで、日本の書店が潰れるんじゃなくて
年功序列とか空気読めとか、不合理なことを繰り返してきたせいで、Amazonを超えるものが作れない国家なことが問題であって
合理的で実力のある企業に、勝てない。なぜか?不合理だからだ。
優秀な奴は、まわりがそいつと同じだと思われるから周りを不幸にする。みたいな、出来ないことバンザイ!出来ない人で団結して団結することで給料上げよう!という社会主義的な給料の上げ方をしたからだ。もちろん、ストは合ってしかるべきだが。それしかない。
優秀な人間は糞だと口では言わないが、社会システムはそうなってる。
つまり、Amazonを超えるものが作れない国家なことが問題であって、それをAmazonのせにするのは、ナンクセもはなはだしいし
そうやって、優秀な奴(Amazon)が悪い!みたいな事を言っていては、いつまでたってもこの国は変わらない。
口ではなくて、実力でAmazonで勝てないようでは、だめだ。
いずれ、全部奪われるだけだろ。泣きたいのはこっちだよ。
外資に負けないように合理化を進めて、国内の産業をもり立てたい!というやつはこの国では非国民だよ。そんなにはたらかなくていいじゃないorあなたの言ってることが理解できないと言われるが落ちだ。
例えば雇用面では今後非正規化に伴う雇用流動化が大きく進むだろう。その一方で給与体制や労働条件を経営者側に大幅に有利になる仕組みを作って労働意欲を損なわせ、貯蓄に励み、消費を押さえがちになる悪循環に陥ってしまっている。そしてこれを常に煽動し更には増税路線を取ったため、誰も彼も国民年金を納めようという気力がなくなるのだ。
これではお話にならない。子供のお遊戯ではないのだから、絞るだけ取っても回収率が低いのは当然でその辺り安倍総理および自民党は経済音痴と言わざるを得ない。
無い者から取って何になるだろうか、与えて国民を潤わせて初めて税金を納めようと努める余裕が生まれるのだ。
日々、困窮している人間に追い打ちのように雇用流動化を進めては、あるはずの労働力は賄えるはずがない。その上、賃金が安い外国人労働者を採る移民政策を立ち上げようとするのは、
如何にも現状を理解出来ていない、目先の利益しか考えていなさそうな人間がしそうなことだろう。これには大きな問題が含まれる。
例えばドイツは東西時代には、トルコ人や中国人など安い労働者を大量に獲得し労働を強いていたが、東西統一後、西ドイツの労働者が東ドイツでも働き始めた影響で外国人労働者の問題が浮き彫りになった。後にネオナチと呼ばれる外国人排斥運動家が増加し社会問題になった。
近年ならば、中国に進出し中国の安い労働力を軸に生産工場を次々に起こしていた日本企業が、その後技術や資本が軒並み現地労働者に乗っ取られた、いわゆるチャイナリスクの被害を被った事は記憶に新しいと思う。
今、正にこれと同じ状況が日本国内で行われようとしているのである。
日本人に生産力が乏しいから外国人を積極的に採用するとか外国資本を導入していくといった発想をどうか見直して欲しい。
フランスの移民問題は現在も深刻化しており、安易に移民政策が如何に愚かしいかを物語っているが、これを実践しようとしているのである。
外国資本に乗っ取られるなどは前例があるため多少リスキーだが問題ない。
しかしながら、日本国内の問題を日本人に求めず海外に求めて成功した試しがない事をまず実感するべきである。
日本人の生産力が低下しているのは、終身雇用制度の崩壊や非正規雇用の大幅な緩和政策が原因であり、また今後実施されようとしているホワイトカラーエグゼンプション等正規労働者にすら、労働を強制する等の措置が取られれば、今の生産力ないし国民総生産が確実に減退するだろう。
日本の企業が日本人労働者に見返りのない安い労働力を求め過ぎたために、疲弊し生産力が落ち込んでいるにも拘らず、今後も今以上の労働者に痛みを伴わせる悪法を実施しようとしている。
そうではなく、古の名案を採用し、与えて行く事が将来的な大幅な回収や生産力の向上に結び付く事である。
これは実例がある話であり、また明治期の日本の急進的な成長、富国強兵路線にしても戦後経済成長にしてもまず与える事を実施した結果、生産力が増えて国民の中に愛国心を芽生えさせていったという素晴らしい軌跡がある。
界隈で喧しく「生産性の概念欠如」が取り沙汰されている。曰く、日本の企業や社会には生産性という概念が欠如しており、これが経済の停滞や労働搾取をもたらしている、
というものだ。多くは企業者の立場からのもので、日本企業の文化的・制度的な生産性軽視を論じている。そうした「文化的背景」や「企業の人事制度」という点は今後も
議論されるべきであろう。、、、だがこのエントリーで論じたいのは、他エントリーで多くなされている下記のような主張が「本当だろうか?」というものだ。すなわち
>生産性を向上させれば、同一のアウトプットに対しより少ないインプットで済む
>従って、生産性の向上は「アウトプット量の拡大…よりよい商品提供」か、「インプット量の減少…余暇の拡大」を生む
>かくして、生産性の向上により、社会の富や厚生の拡大がなされるのだ!
という主張である。一見正しいように思えるし、うん、実際の所間違いではない。
だが筆者は、多くの論で曖昧に付されている点があると考える。それが何かといえば、「インプットは労働力=時間だけど、アウトプットはお金なの?それともモノなの?」
という点だ。生産性の問題を経済の問題として考えるのであれば、そして個々の企業ではなく将来に渡る社会全体の変化を取り扱うのであれば、それが「名目」なのか「実質」
なのかという点を明確にしなければならない。そして実際、この点を明確することでより有益な論点が摘出できる。
そこでひとつ、明確に「生産性」と区別して論じられるべき概念を提案しようと思う。「生産力」だ。
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本論では下記のように用語の定義を行いたい。
・「生産性」:一単位の労働力投下に対し、アウトプットとして得られる「金額」の増加分
・「生産力」:一単位の労働力投下に対し、アウトプットとして得られる「モノの量」や「モノの質」の増加分
簡易な例を提示しよう。
皆さんが田んぼを耕して農業生産を行うとする。一定面積の土地に対し、100の労働を投下し、100kgのコメを生産し、それを100万円で売っている。いまここで新たな技術が
開発され、80の労働で100kgのコメが生産できるようになった。するとどうなるだろうか?
・「生産力」は、100kg / 100労働 だったのが 100kg / 80労働 となった。1労働に対する生産「量」でいうと、1.25倍となったわけだ。
・「生産性」は、100万 / 100労働 だったのが 100万 / 80労働 となった。これも「生産力」と同じ、1.25倍となっている。
かくして我々は 「いままでと同じ量働き、1.25倍の所得を得る」か「いままでと同じ所得で、80%働き、20%を余暇に充てる」という選択肢を選ることになる。
、、、だがここには重要な大前提が存在する。生産力と生産性がおなじ動きをするのは、「コメの価格が変わらない場合に限る」のだ。
ではモノの価格を決定するのは何であろうか?
もし「生産力」の拡大が個々の企業のみで起こったのであれば、その企業が他社に比べて競争優位を持つにとどまる。つまりその企業が「今より低い価格でも戦える」ように
なるだけで、価格はその企業の戦略によるだろう。だが検討するべきは、こうした「生産力」向上が社会全体で実現した場合、つまり我々の望む「日本社会の生産性拡大」が
実現しようとした場合だ。
社会全体でみた商品の価格決定は、極めて単純に「需要量と供給量のバランス」によって決まる。つまり「足りなければ高く」「過剰なら安く」だ。そして、、、賢明な読者の
方ならお気付きの通り、「生産力」の向上は「供給量」の増加をもたらし、その供給量に「需要量」が追いつかないのであれば、、、価格は下落し、「生産性」は向上しない。
労働に対する貨幣的評価が変わらなければ、給料(名目賃金)は、上がらない。
もちろん、価格が下がれば需要が増える場合もある。つまり「欲しいけど価格が高くて買えなかった」製品の生産力が向上した場合、価格の下落が需要の上昇を呼び、全体として
収益が拡大、生産性の向上をもたらす。これは成長産業のモデルであり、企業間の厳しい競争と市場の拡大が循環している場合、生産力=生産性の拡大は至上命題となるだろう。
例えば例に挙げた「コメ」。食べ物という商品は、いくら価格が安くなっても食べる量がそんなに増えるわけではない(かと言って不足すると大問題)。コメにしろ野菜にしろ
、需要量に対して供給量が10%上回っただけで、価格は20~30%下落したりする商品だ。つまり農業の「生産力」向上は「生産性」を減少させる。(蛇足となるが、TPPの議論
などで「農業の生産性を上げれば万事上手くいく」と言っている論者には、量と価格の関係を厳密に区別できていない方が多い)
さらに、「需要」が拡大しない産業における「生産力」拡大は、単純に失業者を増やす。なぜかといえば100の固定需要に対し、それを満たす供給量の生産に必要な労働力が減る
からだ。生産力が向上しているから、より多い生産が不要なら、「働く人が過剰になる」。こうした「特定産業における過剰人口」は、本来であれば成長産業に仕向けられる。
成長産業はその需要が満たされるまで労働力を吸収し、その需要が満たされるよう生産力の向上を図る。つまりよく言う「生産性の低い産業から、生産性の高い産業へ労働人口が
移行」するのだ。、、、だがいま見てきたとおり、「生産性の低い産業」とは単に「需要が満たされており」「且つ生産力向上を図り」「過剰人口が発生した」産業も含まれる。
必ずしも努力や工夫の足りない・低レベルな産業ではないということを留意するべきだろう。
さて、今までのところを整理しよう。
1.「生産力」の拡大が「生産性」の拡大をもたらすのは、価格が変わらない場合
2.「需要」が頭打ちの環境下では、「生産力」拡大は「生産性」の縮小をもたらす
3. 社会全体で需要=成長産業がない場合、「生産力」拡大は失業をもたらす
多くの方がお気づきと思うが、今の日本は完全にデフレ経済=需要不足だ。そうした環境下での「生産力」向上がなにをもたらしたのかは想像に難くない。産業の多くが内需に頼る
この国で、デフレ経済を15年ほども続ければ、企業内での「生産力」向上への意欲が毀損されているのは驚くに値しない。むしろ、厳しい雇用規制により失業者が街に溢れかえる
ような状況が避けられていると考えるべきであろう。(もっとも、雇用規制が新たな成長産業の誕生を阻害しているという論者もいるわけで、循環的な問題を紐解くのは一筋縄では
いかないということか。紐を解くのに縄では足らぬとは皮肉なことだ)
また、アウトプットの量が給与に評価されないというのもご納得いただけるのではないだろうか。これは必ずしも労働者だけの問題ではなく、企業自体が「生産力」向上=「生産性」
縮小というジレンマを抱えているのであり、作ったものが貨幣として実現しないという社会全体の問題を内包していると見るべきだろう。
、、、そして、こうした「モノやサービスの実体的生産」が「貨幣としての生産」に結びつかないという問題は、一国の経済においてより根本的な問題として取り扱われる領域でもある。
http://sencha77.blog.fc2.com/blog-entry-338.html
さて、筆者もこの国の根本的問題は少子化にあると考えているし、少子化に限らずいかに「人間の活動」を活発にするかが社会に幸福に直結すると考えている考えている。しかし
これまでの議論を踏まえると、ひとつの疑問が生ずる。
上で「生産性」を金額による評価基準と定義した。しかし子育てはカネを生むだろうか?残念ながらノーだ。いやノーであるどころか、、、子育てはカネを生み出さずむしろ消費する。
つまり「生産性」で見ればマイナスだ。実際我々はそう感じているのではないだろうか?子供を産み育てれば、それだけお金が必要になるではないか、子育てにかかる金額と子供を持つ
ことによる幸福とはどちらが大きいだろうか、と。いや、子育てに限った話ではない。今や恋愛も、結婚も、はたまた地域へのボランティア活動すら、「カネを費やす消費活動」と
化しているのではないか?
本質的に我々の社会を豊かにするのは「生産力」のはずだ。モノを作り、サービスを生み出し、それを社会の成員と分かち合うことで世の中が豊かになる。しかしそういった「生産活動」
の中には、「貨幣経済」を基に置くものとそうでないものとがある。「貨幣経済」に基を置く活動、一般に我々が「仕事」と呼ぶものは、すべからく貨幣=金額によって評価され、その
評価によってより効率的な生産を志向し、新たな生産物を生み出し、社会全体に流通する。一方で「非貨幣経済」貨幣によって評価をされない活動、例えば家事や、友人との交歓や、
恋愛から結婚まで、お金にはならないが社会に欠かすべからざる活動が行われている。
「貨幣経済」(あるいは市場経済・資本主義)は、あくまで「生産力の発揮」をより効率的に行うのに資する存在であって、それ以上でもそれ以下でもない。事実これまで見てきたように、
社会全体として需要がある限り「生産力」向上が図られてきた。、、、では「非貨幣経済」の効率性はどうだろう?結論を言えば上昇した。家事を例に取ればわかりやすいが、すべて
手作業でやっていた時代から、炊飯器・洗濯機・システムキッチンなどなど「生産力」の向上は著しい。しかし、しかしだ、こうした「非貨幣経済」の活動を支える機械や設備が増加した
ということは、それの購入や維持により多くのカネがかかるということだ。しかし「非貨幣経済」の生産活動自体はカネを産まない。
つまり、「非貨幣経済」においても、「生産力」の拡大は「生産性」の縮小、、、というよりマイナスへの増進を意味する。そして「貨幣経済」においては失業者が生み出されたが、
こちら「非貨幣経済」においては、マイナスとなったカネの補填が絶たれるが最後、単純にその活動自体が萎縮し、消滅する。
さて、話が随分と大きいところに来てしまった。
上記のような問題を如何に解決するか?については意見がないことはないが、本来の話題から外れるのでここでは省略しよう。ここで主張したいのは、「生産性」を考える上では「カネ」と
「モノ」を厳密に区別するべきということだ。そして「モノ」の生産は必ずしも「カネ」として実現しない。それは「貨幣経済」においては「需要」(…同じく「モノ」単位としても観測
されるべき)との関わりのため。そして「非貨幣経済」においてはもともと「カネ」でその活動を評価していないためだ。従っていかに社会を豊かにするかを考えるときは、まず「モノ」的な
個人的には、貨幣経済がなくなることはないだろうし、資本主義に限界が来たとも思っていない。しかし、それらはあくまで社会全体の機能の一部として位置づけられるべきものであり、
その一部にすぎないセクターの「カネ」という評価基準をありとあらゆる部面に適応させるのは、おそらく「非貨幣経済」の縮小で見たとおり、我々の生活を徒に貧しくするだけに終わる
だろうと思うのだ。
なるべく短く、平易にまとめたため、こうした分野を専門に取り扱っている人なら「なんて適当な内容なんだ」と思われること請け合いの論となっている。例えば価格下落は実質賃金の上昇を
もたらすとか、失業者の増加は人件費を引き下げ新たな均衡をもたらすとか、はたまた供給は需要を作るから需要不足は社会的に起こりえないとか?
また私個人としても、未だ考えのまとまっていない領域が多くある。「質」の向上は「生産性」に結びつくか?社会的に見て「余暇」と「失業」は何が違う?海外貿易による影響は?貨幣に
とはいえ、一般の方々へ思考の枠組みとして「生産性」と「生産力」の区別とその必要性は明快に提示できたと思う。また、単一企業視点にとらわれず、マクロレベルで「生産力」と「需要」を
見なければ、我々が抱く本質的な課題には接近できないこともご理解いただけると思う。筆者個人としては、後半の「貨幣経済によらない生産活動」というところをもう少し掘り下げたいが、
私的にまとまっていないこともあり、簡易に付した。当論がネット界隈の皆様方にとって有益であればありがたい限りであるし、私個人としても皆様の様々なご意見・反論を得たいという気持ちに
溢れているということをご提示し、筆を置きたいと思う。
204 :ソーゾー君:2013/10/01(火) 19:46:05 ID:0eojlyBI
それに小泉安倍構造改革で日本企業の経営権を売り渡して株主の許可下りねーよ?
カルロスゴーン達株主に任命されて役員になった連中=経団連が株主の命令で何したか知ってて物言ってんの?
「企業利益を上げて利益配当を上げろ」と命令されたから何したか知ってて物言ってんの?
「従業員のリストラ=派遣社員に入れ替え」「派遣法改正」「従業員の賃下げ」「設備研究費の削減」
↑これやって強引に利益を上げて利益配当爆上げしてこのざまになったんだぞ?
この原因を放置して収入が上がるわけねーだろ?収入が上がって消費が増えなきゃデフレ脱却出来るわけねーだろ?
「収入上がる=消費増える=デフレ脱却」となるり供給<<需要になると企業は勝手に設備投資や雇用を増やす。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
しっかし、まったくもって感動のない商品ですね。
なんか、appleが面白くない企業になったのは、今にはじまった話ではありませんが、
電子書籍ぶーむ とはなんだったのだ。
なんかどこも似たようなものばっかりだしやがって
何か 全体的にダサい ておもうのは、僕の主観・感性なんだろうか?
じゃあ、お前もっとカッコイイものつくってみろよ!ていう話は、どっかの棚の引き出しにでもいれておきます。
音が良い。ていうのに対して反論する人は、低音が・・・
とかそういう話かもしれないが、以外と
もっと、カッコイイスピーカーていうのは、でてくるのかもしれない。ておもったんだ。
やったら高い、100万とかするような高級スピーカーとかじゃなくて。
美しい機械からの方が、美しい音がでそうだ。ておもうのは、たぶん、間違いじゃない。
は、appleに市場を破壊されて、淘汰されたり、新しくされて
変革の時期。まあ、そんなのいわなくても、今更書かなくても誰でもわかるわ。ておもう。
パッとしないよね。
あと、誰も突っ込まないから言いたいんだけど、
PS4、個人的にはあまり期待していないが、
ある程度は、売れるんだろうなぁ。
PS3ぐらいは、売れるんだろうか。
だけど、今後もそうかと思うか?て思えばそうでもない。
ス・ゴ・イ アイデアの種やら、デザインやらがあるて確信している。
だけど、会社全体なのか今と昔では社風が変わったのか知らないけど
外資が資本に入ってきた会社て何かコストカットして短期的利益をだしたり、していくうちに
長期的なものづくりしにくかかったり、上司の指示に従わないと、
査定が悪くて、半沢じゃないけど、出向とか、
よくわからないキャリアなんとかていう部屋に入って、自分の新しい転職先探せとか
結構厳しいていうか、
おいおい、女神転生じゃないんだよ。現実は、仲間はどこにいるんだ。
無理無理!て思って、独立したり、どっか別の会社に転職したり、
ひっそり、会社で波風立てずに仕事ができる人になってしまったりするのかなぁ
ていう事は、経営者だろ?社長だろ。 頭取は、一部の銀行だけみたいだな。
スティーブ・ジョブスじゃないけど、取締役会でクビになるぐらいの覚悟で、
多分いないだろうし、いない方がいい。
ただ、グローバル・地球全体で通じるようなものがでてきて欲しいておもう。
答えらしきものがでてくるとしたら、
同じようなものがでてくるていうジレンマていうか、必然性があるような気がしてしょうがない。
だからといってマーケティングがいらないかといえば、そうでもないともおもう。
ソニーのウォークマンて何か高校生ぐらいをターゲティングにしているのか知らないが
ただし、シリーズWは除く。あれて、走ったり、水泳もできるからも
ダッシュマンだよな。ておもうのは、俺だけか。
PSVITAは、子供向けぽくない。新型がやや大学生ぐらいのもんか?ておもわなくもないようなデザインになった印象。
DSi、Wii、3DSて万人向け【老若男女】ぽいデザインだな。ておもう。
なぜ、3DSLがでないのか、あの宣伝好きのI社長に問い詰めてやりたい。
まったく面白くないくせに、なぜか社長が恒例で開発陣にインタビューしている
話は変わって、ドスパラが、GooglePlayランキングから少し落ちてきた。
そろそろブーム終了のお知らせなんだろうか。
ダウンロードが減ってもプレイしている人が減らなきゃいいのかもしれないが。
という結論も起承転結もない文脈で終わりたい。
無くても死なないものは、無くなる時は速い。
当たり前だけど、
戦争がない今の日本は、花火のように散っていく流行が好きなんだと思う。
平和だよな。
もっとも、流行が散って、職を失い、希望を失い、絶望の中で死んでいく
じゃあ、中国、韓国、北朝鮮て平和なのか?て聞かれて、100%賛同する人てどれだけいるんだか。
合法的に民から、税や米、麦を強奪していく強欲な人達がいるのは、
有史以来変わらないんだろう。
何が言いたいんだか、わからなくなってきた。
だが、何か書いてて、認識が誤っている部分があるかもしれないが、
正しい認識を持つという事は、人として絶対的に正しいと思う。
わかった上で、正論を唱えるのか、その場で合わせるのか?
より高次元で考えるなら、正論を唱えて変化するのか?て考える方が得策だとおもう。
話がめちゃくちゃになりっぱなしのエントリー
ただし、庶民からは嫌われがちな人が使うお金の使い道てなんだろうな?
とかいろいろあるんだろうけど、
スイスの高級時計ていう選択があるんだな。ていう事をなんかテレビみてて思った。
オシャレなアイテム。
だけど、おもうに、やつら競争していない。
独走している。競争相手がいないじゃん!ロレックス・オメガとか。あんまり知らないですが。
どっちがいいて比べるものじゃないでしょ
てすげーおもう。
さっき、書いたことと矛盾してるのかもしれない。
日本は、ごちゃごちゃしているところから、秩序のある街から、様々だし、
プライドないのかよー
ブラックジョークいうなら、
の対は
あまくだり
かもしれない。
というか、スポーツて見てて面白いてあんまり思わないからかもしれん。
東京オリンピックをしている最中に、何か別の事をしていたいとおもうタイプだ。
合間、合間の暇そうな時とかに・・・
以前は、面白い事したいて思っていたが、
カッコイイ事したいて同時に思う。
その合反しそうなところで両立できれば、
きっと、新しい何かがでてくる
特に男なら
ておもう。
久米宏が先日東京五輪開催に反対表明をした件でネット上、主に2ちゃんねるを中心に波紋を広げている。
その中で、ネトウヨと呼ばれるネット上における政治的右翼はこの発言に早速いちゃもんをつけている。
そこでは、ネトウヨは2ちゃんねるの匿名性を利用して根も葉もない便所の落書き程度の噂だけで非国民、非日本人扱いしている。
民主主義なのだから、反対意見もあって然るべきであるし、問題は東電擁護する奴は官軍で否定する奴は悪であるかのような見方がされている事が如何に愚かしい事だということだ。
問題の所在が大きくズレてしまっていたり、クローズアップされるべき点を本人が描いたものからフェードアウトしてる、いわゆる飛ばし記事を真に受けたネトウヨが何の根拠もなく、
自分の意見にそぐわなければ非国民だとする主張はあたかも軍国主義・帝国主義時代の大日本帝国を想起させるものであり、ネトウヨはまた悲劇を繰り返そうというのか。
また、一番の問題である五輪招致によって、齎されるであろう経済効果と東北の復興支援の両方が果たして実現するのかというと、些か疑問である。
東京五輪決定後に発覚した、実は安倍総理の“原発コントロール”は嘘で、東京電力自身が否定している。
更に、トルコやスペインのように経済破綻しつつある国で雇用情勢も悪化し続けている状況下での五輪招致で数千億円も費やしたにもかかわらず、果たす事が出来なかったが、
もしも東京に決まっていなければ今あるトルコやスペインと同状況であった可能性が大いにあるし、北京五輪の件では黄砂や工場汚染などで環境汚染が社会問題となり、十分な環境整備が出来ないまま開催されたが、経済効果はあったのか。答えは否である。
中国では、現在経済成長が頭打ち状態に陥っており、また新卒の採用率は低下し続けている上に失業率も上昇している。
また、次期五輪であるリオデジャネイロでも現在アメリカの金融緩和の煽りを受けて大不況に陥っていることや経済成長が最悪の状態になりつつある中で環境整備が殆ど全く出来ていない状況である。
五輪招致に破格の予算が注ぎ込まれても経済が安定、好景気になるといった考えは危険であることを先年開催国が教えてくれている。
増して、日本は現在一部富裕層だけが恩恵を得られるインフレ不況に陥っており、これの対策にはアベノミクスの三本の矢が打たれるとのことだが、実際公共事業がなされるとしても、一部富裕層である大手ゼネコンが取り仕切るために、中小零細はその受け皿に入る事も出来ず、不景気が続いている。また、自由貿易以降、日本企業の海外進出が顕著となり、日本の中小企業が大いに疲弊し空洞化が進んでいる。その結果、金銭が市場に全く出回らず一部の富裕層だけが儲かるといった仕組みが出来、その結果好景気であるかのような雰囲気だけが世の中に漂っているのである。
東京オリンピックを行うのであれば、まずこうした一部の人間だけが儲かる仕組みを打開し金銭が市場に出回るようにしていくことである。
更には情報発信を常に行っていくことである。隠蔽などは後で分かる事なので包み隠さず話していくことが現状を打開していくのである。
いやいや、「日本のコンテンツやモノ作りは凄いんだ!世界に発信するぞ!」ってやってる中で
首相自ら外国企業のサービスを率先して使うのってどうなのよ?ってことなんだけど
国産で同等のものが存在しないならしょうがないけど、フェイスブックと同じような機能を持ってるミクシィがあるわけで。
それなのにフェイスブックを首相が選択するってことは「日本企業のサービスは外国に劣ってるんで外国のものを使います」ってことでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20130909165612
これ読んだ
常々思ってたこという。
つーかさ、世の中の家庭問題や離婚問題見てるとさ、もう呆れる。
夫婦がお互いに信頼してない。結婚以前の問題だろ?お前ら付き合ってる時、なんでもっと相手のこと知ろうとしなかったんだよ?
5年でも6年でも、どうして時間かけて相手を知ろうとしない?バカなのか?結婚だぞ?
んで、こんなトラバがついてた
http://anond.hatelabo.jp/20130910003843
そうか。日本企業からサビ残が亡くならない理由は、家庭の地獄化にあり、か。
会社の中で好き好んで残業やってる連中ってのは、タイトルの通りで家に居場所がないから、少しでも帰宅の時間を遅らせようと残業してるんでしょ?
妻子は持ったが妻とはセックスレス、子供は反抗期で口聞いてくれないかわいそうなおっさんたちよお?
お前ら、就業時間中にダラダラ仕事やって、終わんね-と言いつつ定時には上がらずまたダラダラ残業やってだろ?家にはできるだけ居たくないからな。
ダラダラ残業やってるお前らのせいで、関係ねえ若手まで空気読んで残んなきゃ行けねぇんだろうが!ふざけんな!さっさと家に帰れよ!
自民党の片山さつき議員が、新日鉄住金の戦時徴用訴訟に関連して、こんなことを言っている。
「韓国との経済関係も見直すときかもしれません。中国なら市場は大きいですが、
韓国の市場は小さく、人件費も高い。そのうえで、投資リスクが高いとなると、どの国が好んで進出するでしょうか。
韓国も『反日』に凝り固まらず、その点を考えるべきです」(ZAKZAK より)
戦時徴用賠償は解決済みであり、日本企業がお金を支払う必要はないという
片山議員の主張はその通りだ。しかし、勢い余って韓国との断交(経済断交)まで示唆するのはいただけない。
というのも、名実ともに「世界の中心国家」 である韓国と断交することは、日本の死を意味するからだ。
「終わった国」でしかない日本は、今や、韓国によって生かされているといっても過言ではないのである。
たとえば、多くの読者も真っ先に思い浮かべるパプリカだ。
日本全国の食卓では、ほぼ毎日、韓国産のパプリカを使った料理がならべられる。
パプリカご飯、パプリカの味噌汁、パプリカ茶、パプリカの漬け物、パプリカ炒め……
もし、韓国と断交してしまえば、日本人の主食であるパプリカが食卓から消えることになる。
それから、サムスン製のスマホ・タブレットも重要だ。ほぼすべての日本人がサムスン製のスマホを利用しているだけでなく、日本中のオフィスではサムスン製のタブレットであらゆる業務が行われている。
ちなみに、日本人は見たこともないだろうが、外国ではアップルという会社の「アイホーン」とかいうスマホが使われているところもあるらしい。2007年に登場した「アイホーン」は、2010年頃に現在の形になったサムスン製のスマホとデザインがそっくりである。
韓国の独創性の高さに、改めて「世界の中心国家」 の偉大さを感じる。
もし、韓国と断交することになったら、サムスン製のスマホ・タブレットが日本中から消えて、大パニックに陥るだろう。日本人はコミュニケーション手段を永遠に失い、あらゆるビジネスが活動を停止する。
首脳会談や政府間協力などが完全にストップした日韓関係は相変わらず冷え切っている。
韓国からすれば、小汚い日本の政治家と関わるのはウンザリということなのだろう。
確かに、「世界の中心国家」 である韓国が、日本のような「終わった国」と交流することに何のメリットも存在しない。バカな私でもそれくらいの厳しい現実は理解できる。今後1000年間、日韓の政府レベルでの交流が途絶えたとしても、しょうがないとあきらめている。
これ以上、日本人からの一方的かつ身勝手なラブコール で、韓国の人たちに不快な思いをさせるわけにはいかない。おとなしく引き下がって、1000年間、じっと耐えることが、日本人なりの精一杯の誠意の示し方だと思う。
パプリカとサムスンがなくなれば、日本人は本当に困ってしまうのだ。
せめて、パプリカとサムスンだけは日本に与え続けてもらえないだろうか。
最後のお慈悲を乞う。
65歳定年とはいえ、最近は引き継ぎ等の問題もあって70ぐらいまでは
普通に雇われてたりするわけですが、それにしたっていずれは仕事がなくなる高齢者は
結構多いわけですよね。
そんな人たちが今どんどん増えてるわけです。
生産活動をしないのに消費はする人たち。
この消費の恩恵を受けることが出来ていない業界もあるにはあるでしょうが
恐ろしいですね。高齢者がいずれ寿命を迎えたら人口の年齢層バランスはよくなるって
話もあるでしょうが、バランスよくなってもその時日本企業どうなるんでしょうか?
そんな感じは全く見受けられませんが。
けど、違ったね。
ない。少なくともアホな俺の頭じゃ代案出てこない。
正確に言うと「最安のものは買わないようにしている」ぐらいかもしれない。
安すぎるものはハズレの場合が多いとかっていう品質の話ではない。
相場より大きく安いものはどこかにしわ寄せが行っているものだと思っている。最近話題のブラック企業が運営する飲食店や服屋もその一例だ。人件費を削り、下請けを叩いて商品を安く提供する。
家電はなるべく国産を買う。中国とかベトナムの工場で生産してたりもするけれど少なくとも完全な外国製よりは日本企業の利益になるので身近な誰かの給料とかとして周囲に還元されるかもしれない。
食品もなるべく最安の中国産ではなく国産にする。安全性や味をどういう言っているわけではない。どんな基準であれ自給率は高い方がいいし、やはり回り回って(国に税金として入るなど)自分たちの利益につながるはずだから。
外国産 VS 国産 に限った話ではなく、国内企業同士の比較でも、なるべく自分(たち)の利益になりそうな商品を選ぶ。
家電屋さんで実物を見てからネットで買うことはしない。ネットで買うつもりならば実店舗では見ない。実店舗を維持するのにはコストがかかるのにそれを無視して「ネットの方が安いからネットで買う」と言うのならば実店舗の恩恵を受けてはいけないと考えている。もちろん、店舗で見てからネットで買われるのが嫌ならば、店舗側が対策を取るべきなので、うまいこと利用しているユーザに罪はない。ただおれは実店舗が減ると生活がつまらなくなるので嫌だというだけの話だ。
お金持ちではないから高級品を買う訳ではないし、価格差によっては最安品を選ぶ時もあるのでせいぜい心がけ程度の話だと思って欲しい。
スーパーやコンビニにはプライベートブランド(PB)の商品が増えている。何かのニュースで読んだ話だが、PB商品を生産するメーカーにとっては悩ましい事らしい。自社商品とPB商品が店に並べば価格の安いPBが売れる。実際はどちらも同じ会社が作っているので品質にそれほど差は無い。PBが安く売られているのは、小売店が大量発注を条件にメーカーから安く買いたたいているからだ。メーカーからすれば同じような商品をPB向けに安く卸さなきゃならないわ、自社ブランド商品は売れなくなるわで踏んだり蹴ったりだが、PBを断ると自社ブランド商品の取り扱いを減らされるので受け入れるしかない。ということでPBを買う事ははおれの主義に反するんだけど、他のモノに比べてPB商品を買わない動機がやや弱い。
野菜なら「国産の方が安心じゃん」とか言えるし、家電も「中国製は爆発するかもw 国産の方が性能もきっといいよ」とか一応(自分に対して)理由を付ける事ができた。
でもPBはそうではない。「メーカーがかわいそうだからPBは買わない」って言ってみる。いやいや、どのメーカーも大企業ですよ。おれごときに心配される筋合いはないですわなあ、と我に返る。でもやっぱりPBを買うのはなんか嫌だ。昨日とあるスーパーで買ったPBのごま油とミックスナッツを眺めていたらついこんなことを書いてしまった。
結局は自己満足なのだから自分の好きにすればいいのだろうけれど、それほど裕福ではない身として最安商品を買わない事への罪悪感を減らす建前が必要なのかもしれない。
日本企業=猿
そして、そのすぐ下にはバナナに届く台が用意されている。
檻に入れてまもなく、一匹のサルがバナナを取るために台に近づく。
その一匹が台に触れた瞬間に、他の4匹に冷水を浴びせる。
しばらくして別のサルが同じように台に近づく。
しばらくして、別のサルが同じように台に近づくと、他のサルたちが一匹のサルを止めるようになる。
つまりサルたちはバナナを取ろうとすると冷水を浴びてしまうと学習する。
さて、ここで冷水は片付けて、5匹のうちの1匹のサルだけを別のサルに入れ替える。
もう一度試みるが、同じように攻撃されるのでそこでやめる。
同じようにまた別のサルを入れ替える。
そして4匹目、5匹目と入れ替え、最初にいた5匹はいなくなり、もはや冷水をかけられたサルはそこからいなくなる。
それにもかかわらず、誰かがバナナに近づくとみんなで攻撃する。
その理由は何か?