はてなキーワード: 徴収とは
残業代未払い(サービス残業)が悪である事を分かりやすく示すため
A社はチケット発行事業に新規参入した企業である。もともとは日用品の製造販売を長く行っていた。
BさんはA社システムで旅行チケットを購入しようとしたが発行手数料がかかる事が気に入らない。
Bさん…ブラック会社
サービス残業やらせる上司の理屈 「仕事はやりがい」「カネは後からついてくる」
https://news.careerconnection.jp/?p=7828
https://anond.hatelabo.jp/20130908230648
→俺達客が喜ぶ顔を思えば企業側の発行手数料徴収なんてどうでもよくなるので徴収すべきではない。
→まずは金の事を考えずに俺達客に対してがむしゃらにサービスを提供するべきだ。収益は後から付いてくる。
→発行手数料を取らないサービスはいろいろあるが、A社に対してチケットの発行手数料を支払うと、
発行手数料を徴収している企業が得してしまうので払えない。払うのは不公平だ。
→いや、別に発行手数料を取らなくて良いんだよ?ちゃんと収益が出るならさ。
→A社の発券サービスがどれほど良いのか分からないうちは発行手数料を払う事は出来ないよ。
そりゃそうだろ?発行手数料を支払ったのに便利でなかったでは客が困る。
→やりがいが楽しさがあれば発行手数料を支払えだなんて言ってこない。
→会社は俺達客のやり方に合わせるべき
→客に全てをささげるくらいの気持ちが無いとサービス業は務まらない。
→企業は細かな仕事では無くて客の満足度という成果で動いているので発行手数料は徴収しない方が正しい(細かな手数料を徴収せず固定であるべき)。
→発行手数料ゼロでも嫌がらずに実施して客から認められれば会社が成長できる。
→利用者に発行手数料を支払わせることで客の体力を落とそうとしている勢力が存在する。
→企業には金の為に働くようになって欲しくない。
→数回くらいの発行手数料未払いならば客へのサービスで許容される部分はある
→みんな客の為に頑張っているのに発行手数料を要求するのは協調性がない。
→発行手数料を払いたくない人をモンスター客だと批判する企業はなんでこんなに労働意欲が低いのだろうか。
→発行手数料を毎回支払っていると客がチケットを購入できなくなりA社サービスを使用できなくなる。
→その発券自体は俺が直接満足するものでは無いので発行手数料は払えない。
→発行手数料を要求しているが、俺がこれまでにA社製品を購入していたことにありがたみを感じないのだろうか?
→俺は発行手数料を認めておらず会社が勝手に請求しているに正当な手数料ではない。
しかし残業代を支払うべきという風潮がおかしいと主張する経営者?社畜?は後を絶たない。
そこで残業代未払いを正当化する詭弁がいかにおかしいかを分かりやすく出来ないかと思って例えてみたが。滑っていたら後免。
他に、手数料では無くてPS5やニンテンドースイッチのような商品に例える案とか、旅行チケット追加購入に例える案とかもあった。
マンメンミ!
せっかくいいエントリ上げてくれたので思うところを書いていくよ。(あくまで個人の意見です、3では叶えてくれたらいいなあ…程度)
まず元増田も書いてるけど、P2P方式、これマジでやめてほしい、チックレートとかそんなの以前に、スプラ2って自社にサーバ持たずにマッチング用のプアなサーバだけおいて、ゲーム時には1台親機に仕立てて、残りは子機、みたいな処理をしてるのね。
結果どうなるかって、親機になったひとの海鮮がじゃなくて回線がやばいと部屋全体がラグくなる。
かわしたはずの攻撃でやられることの理不尽さよ…まじであれはやばい。
あと、親機に指定された人物がブチギレて回線引っこ抜いたりすると、全員の腕前が下がるという意味不明なクソ仕様なわけで…。
Nintendo Online以外にサーバ使用料徴収してもいいからサーバ立ててくれこれマジで頼む。
ウデマエ演出云々はどんな演出になってもコントローラー投げることは間違いないので特に思うところはない。
投げても壊れない、使い込んでも粉をふかないプロコンをリリースしてくれれば特に文句はない。
それよか改善してほしいのはマッチングで、このゲーム、マッチングの待ち時間短縮優先で、とんでもない武器構成で部屋を組む。
例えば部屋8人中5人がデュアカス、みたいな偏りひどい部屋だったり、片側がロラブラプライムリッターで反対側がZAPわかばクーゲルバレルみたいな、塗りの強さに大きな差がある部屋だったりだ。
時間が限られた子供に配慮してそうしてるんだろうけど、もーちょっとなんとかなんないかこれ。
例えば後者の例だとロラブラプラどれか1つをわかばといれかえるだけで幾分マシになるのに。(個人のパワーみて割り振ってるんだろうけど…)
逆に武器途中で変えれるようにして、とかは最初の編成さえなんとかしてくれれば要らない、というか途中で持ち替えとかしたくないけど普通に。
PvEはほしいよね、サモラン楽しいよね。ただ、どうしてもガチマがメインコンテンツなので調整がおざなりで大雑把。
麻雀とかどうでもいいから、とんでもなく使いにくい武器種(フデ全般、ロング)はテコ入れしてくれ。
ロング、PvPの方では唯一性能弄られてないブキだけど、サモランではかなりの上方修正あったのにあんなよわいのなんでなん?
ガチマはアサリが色々言われがちだけど、あれなくすのはやめてほしい。
逆に野良集めてやるのは厳しいルールなのはわかる。低ウデマエだとゲーム成り立たないもの、パブロ嫌いになったわ。
ただ、それだけに、野良で連携決めれたときは気持ちいいんだよね、めったに無いけど。
現状ナワバリって扱い悪いやん?エリア至上主義じゃないですか。
ガチのナワバリってフェスしかないわけだけど、フェスってたまにしかやんないやん?
フェスのための練習したくても、あのカオスなナワバリでは練習にならんし、ガチマはオブジェクトが違いすぎて撃ち合い鍛えることしかできないし。
最後に、Splatoon3 ではフェスの結果を受けて混沌なゲームになる、という噂でもちきりですが、後衛持ちとしてはあんまり無秩序なゲームにされちゃうと動けなくなっちゃうから、うまいこと調整してほしいなって。
2のゲーム性がいまいち陰湿(代表的なのがアメフラシやハイプレみたいなスペシャル)で嫌われているという話で、3はそのへん振り切っちゃうよー、みたいな調整はしないでほしいなあ。
たまーに2の実況者が1の実況してたりするけど、あれ2から勢の視点で見ると、バランス調整雑でクソゲーにしか見えん。
かと言ってナーフ前のハイプレゲーな状況も大概ヤなのでそのへんはうまいこと調整してほしいなあ。
2であとから追加したナイスダマとウルトラハンコが、調整後は割と上手いバランスになったと思ってるんだけど、あんな感じじゃダメかね?
はてなー諸氏にとってはヤングジャンプの連載漫画なんてなんてほとんど知らないという人か、アニメ化した「キングダム」や「ゴールデンカムイ」、「かぐや様は告らせたい」ぐらいは知ってるという人がほとんどだと思うが、実は未だに本宮ひろ志が連載しているという事実をご存じだろうか。
ヤンジャンで本宮ひろ志と言えば「サラリーマン金太郎」が有名だが、現在連載している「僕、いますよ。」は平たく言えば暴走族じゃない公務員のサラリーマン金太郎みたいな作品である。
主人公は架空の戸川市という自治体で窓際公務員をしていたが、いろいろあって戸川市を自然エネルギーで独立採算できる自治体にしようとするみたいなお話で、主人公に嫌がらせをする首都電力(まあ東電だよね)とか、主人公を妨害する嫌な市長とか、孫正義っぽい人とかが出てくる、まあどこにでも良くある本宮ひろ志漫画だ。ちなみに今週(2/18発売号)では江戸時代と言っても通じそうな家屋でわらじを編んでいる老女や、家を訪問してきた主人公に酒を進めて断れれるといきなり猟銃を向ける熊みたいな男から、滞納している市税を主人公が徴収してくるという令和の漫画とは思えない展開なのだが、本題はここではない。
おそらく、この漫画、自然エネルギーをテーマにしてるはずなのに専門家のチェックが全く入っていないという点がなかなかヤバイのだ。
先週の話で戸川市に風力発電の風車が立ち始めたという描写があり、今週の冒頭で風力発電が稼働し始めたという描写があるのだが、そこには「風力発電が3割ほど稼働し、約7千万kWの送電を開始した」と説明されているのだ。
いや、7000万kWって…原発で比較すると東電が持つ原発の柏崎刈羽の総出力が約820万kWだから、これだけで日本のエネルギー問題の大半は解決しそうな勢いだ。ちなみに、実際の風力発電の風車何台分になるかというと、7000万kWが定格発電出力だとして計算すると約4万基の風車が、3割稼働なので定格出力が2億1000万kWだとすると約12万基の風車を架空の戸川市という自治体に建てた計算になる。いや、首都電力も日本国も今すぐ戸川市に土下座して電力を融通してもらう&ノウハウを教えてもらった方が良いと思うし、私が担当者なら間違いなくそうすると思う。
しかし、そうは問屋がおろさない。何せこのとんでもない発電量は「戸川市の5千世帯に送電されている」という記載があるため、原発を軽く凌駕するとんでもない発電量を風力発電で賄っているにも関わらず、余剰電力が全くないというとんでもない事態になっているのだ。単純に7000万kWを5千世帯で割ると1世帯当たりの消費電力は1.4万kWとなる。戸川市民は1世帯でタワーマンションみたいな家に住んでるのだろうか。それとも、あの囲炉裏がある家もとんでもない消費電力をしている何かがあるのだろうか。
更に戸川市の電力需給に関する描写は続き、どうもこの戸川市全体の消費電力を賄うにはこの超出力の風力発電だけでは足りず、1億6千300万kWの発電が必要だというのだ!
…あのスミマセン、ちょっとデータが古くて申し訳ないんですが、2018年の日本全体で消費電力が一番大きかった日に消費した電力が1億5千600万kWなんですが、戸川市はマジでこの莫大な消費電力で何をしてるんですかね…。というか、首都電力はこんな大口需要家がある自治体の代表者に対して、よくあんな塩対応できたなと思いますね。
こんなことになってしまった原因は発電出力とかに使われるkW(仕事)と消費電力量として使われるkWh(仕事量)の単位の違いが分かっていないことだと思うのだが、物理学を学んでる普通の高校生でも分かりそうなミスを、誰も指摘せず数週間も経っている時点で、この漫画に専門的な監修者がほとんどついていないと思ったわけだ。
ということで、賢明なはてなー諸氏にはヤンジャンでは本宮ひろ志の漫画よりも、2/19に新刊が発売になった「スナックバス江」を是非読んでいただきたいと思います。
風力電力の発電出力の出典
https://www.sbenergy.jp/study/illust/wind/
日本の消費電力についての出典
https://anond.hatelabo.jp/20210212190921
https://anond.hatelabo.jp/20210212214154
これらの問いに対して、人類が歩んできた歴史の視点からの回答が無いので、記しておきます。
お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない?それにしてもお前らの「本を大事にしろ!本を傷つけるな!」的な反応は過敏で異常だよ。宗教なの?
それは「図書館」っていうシステムが原因だと思う。なんで本だけ特別視されて、自治体が無料で貸出しなくてはいけないのか本当に謎。
これは人類が、本そして情報を手に入れる為に、血みどろの歴史を歩んできたから。
その歴史の教訓によって培われた共通認識を ”宗教” と呼ぶならば、そうかもしれないが。とりあえずは、なぜこうなったのかを紐解いてみましょう。
古来、文字や書物(パピルスや木簡など)は特権階級の軍人や貴族や宗教家のものでした。なぜ特権階級が独占していたかというと、文字を記す為のパピルスや木簡の製造コストが高かった事や、地図や軍事情報など機密に関する内容が記されていたなどが理由です。庶民の識字率も低く、市民が文字を使うとしても帳簿や資産管理としての利用が長年続きます。
しかし15世紀にグーテンベルクの活版印刷機の発明により状況が激変します。書物が大量複製できるようになり、庶民に知識が行き渡るのです。
これまでの世界において、知識や文化とは、口伝や継承によって高いコストをかけて伝承されていく特権階級のものだったのが、複製された本を手に入れることでも誰でも知にアクセスできる時代が到来しました。
当時の特権階級の宗教家達の心情を記した言葉が残されています。
教皇は知識と印刷術を廃止しなければならない。さもなくば、印刷術が最終的には教皇を廃位に追い込むことになろう。
From the Days of Great Dedications - John Fox's Book of Martyrs
印刷術による本の普及により、知が民衆化した。それにより特権階級だったカトリック教会の力が弱まる。
そしてゆくゆくは18世紀にヨーロッパ市民革命に繋がり、ついに貴族の統治する時代が終焉し、民主主義が産声を上がった。
それまで特権階級が保存していた、価値ある美術品や博物品は、市民の手により Museum として共有される事になりました。(英語の Museum が博物館と美術館の両方の意味を備えるのは、貴族から奪った貴重品をいっしょくたに展示した為、美術品や史物の区別をつけなかった事が定着したからとも言われている) 一方、図書館は革命時代より一足はやくに制度化が進んでいたため、 Library という名前で普及していく事になります。
概ね図書館および本という存在が、市民の地道な活動により普及し、普及した成果がさらなる民衆の活動を促した。という見方ができるといえます。
日本図書館協会の「図書館について - 図書館を支える理念」を引用します。これこそが、図書と書籍の歴史を端的にあらわしています。
図書館は、それを生み出す社会の特徴や条件を色濃く反映してきました。戦時下では国家の思想を広める役割を果たすこともありましたし、一方では社会的マイノリティーの権利を守るために働くこともありました。社会の変化の中で、図書館はさまざまな状況におかれてきましたが、いくつもの波にもまれながら、いかなる状況の下でも、すべての人たちに情報を提供するのが「図書館の自由」(Intellectual freedom of libraries)なのだという理念を獲得するに至ります。アメリカでは「図書館の権利宣言」(Library bill of rights、1948年採択)、日本では「図書館の自由に関する宣言」(1954年採択)です。これはあらゆる種類の図書館が守るべき自律的規範として、広く支持を得てきました。また、この原則を守るための専門職の行動規範として、「図書館員の倫理綱領」(Code of ethics for librarians)があります。
私のシンプルな記述だと物足りず不満に思う人もいると思います。興味がある人の為に、図書館の歴史と近代ヨーロッパの歩みについての書籍を紹介するので、それで理解を深めてください(と逃げさせて頂く)
書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで
まあ総括して言える事は、本が重要だと長い歴史の中で認められてきた為、今の扱いの重さに至ってるって事ですね。
同じ理屈で、他の疑問にも答えられる。
米とかもそういう節がある気がする(平均的な食品の大事にされ方を遥かに超越して大事にされてる)けど、どういう心情からそれが発生するわけ?
お米は長らく税として徴収されてきた歴史がある。つまりお金と同じ価値でした。
宗教なの?
同じ理屈で返すなら、あなたの財布に入っている一万円札。これはただの紙切れなはずですが、破いて捨てないのはどうしてですか。社会的・歴史的に一万円札の価値と通念が形成されてるから、大切に扱うわけでしょう。ただの紙切れなのに。
本も、米も、お金も、同じことです。
図書館基準で考えるなら、体育館の施設利用自体も無料にしてほしい。図書館は法律がそうだからというのは理解している。それなら体育館もそうすればいいのにってこと。オリンピック的な勢いでそうならないかなぁ。運動する人のことも考えてほしい。
図書館にも有料のものも多くありますが、まあ置いておくとして。この理屈は分からなくはありません。
しかし図書館と同じように、社会に必要とされる意味合いが重くなるなら、きっと体育館も無料になるでしょう。
実は歴史の上でも先例が多数あります。オリンピック繋がりでスパルタの例を紹介しましょう。
古代オリンピック発祥の地にも近い、ギリシアのスパルタ。7歳になった子供はスパルタ国家の寮で生活し、毎日運動がさせられます。費用はもちろんスパルタ国家が全部負担してくれます。無料です。立派な運動教育のすえ、子供は屈強な戦士としてスパルタ国を守る存在となりました。めでたしめでたし。
これはスパルタ教育という言葉で現代にも伝わっていますね。大げさな例を出しましたが、このように社会に必要とされ価値が認められれば、無料になる例には事欠かないと言えます。
日本も高齢化社会が進んでいますし、健康寿命を気にした予算投入も珍しくありません。スパルタ国ほどオーバーな例はないにしても、無料になるところは今後増えると思いますよ。社会に必要とされていますから。
父親を信用しているしていないは関係ないと思う。(信用はもちろん必要だけど、それだけでは価値は生まれない)
だって、いくら信用されている父親とはいえ、「名刺を集めろ」と言っただけでは名刺に価値は生まれないんだから。
「名刺を納めなければいけない(でないとこの家には住ませない)」と義務を課さないと名刺に価値が生まれないってことだよ。
1億枚集めろと言われたら、兄弟に借りたり偽名刺つくったりして集めようとすると思う。
そこで信用を失うかどうかなんてわからないよ。現に今の日本でも政府が強制的に税を徴収するから、貧乏人でもひぃひぃ言いながら消費税払っているでしょ。
これも「信用が切れるから」ではなく、お金が民間に回りすぎるとモノの価値より貨幣の価値が下がるからだよ。
だからMMTでは国債発行は無限にできるが、インフレ率を見なきゃいけないっていってるわけ。
あと、国債発行は「国の借金」ではなくて、正確には「政府の借金」ね。んで、この「借金」って言い方が悪いイメージしかないからほんと良くない。
だって国債発行して得たお金で、政府は予算執行して民間にお金を流すわけで(建設事業者への支払い、社会保障の支払など)、そしたら民間の預金(お金)が増えるでしょ。
公務員の宿舎ってご存じでしょうか。築30~年、建てられてからほとんど手直しされていない住宅がよく出回っているかと。
トイレは和式か伊奈製陶の時代の洋式が当たり前。ウォッシュレット?なにそれ食べられるの?お風呂はバランス釜標準。換気扇などというハイソなものがついている訳はなく家中の湿気が家の中に留まり続け、すべてのものがカビだらけになるという伝説の住宅。外観は住む地域が変わっても恐ろしいほどにどの宿舎も似ています。
そんな宿舎住が先日、NHKの社宅にお住いの転妻のお家にお邪魔する機会がありました。
これが、国民から受信料を否応なしに徴収している方々の住まいなのかと納得。現代的で文化的な最低限度の生活がそこには広がっていました。
何が嘘なのか全く理解できないが、国債償還のことを指してるなら、それって9年前に決まってることだよね。
で、その償還の一部を取りやめて保育所予算にします!って安倍政権が言ったとき、批判だらけで「子育て予算を増やすのに賛成!」って意見はほとんどなかったと記憶してるけど。
まず国は「これから少子高齢化で社会保障費が増大するから消費税が不可欠」といって消費税を設けたわけだよね。
国債の償還に使いますなんて1つも言ってなかったよね。その後の増税についても同じく。(わざわざポスターまでつくって広報してたし)
国民はそれを信じて仕方なく受け入れたのに、ほとんどが借金の穴埋めに使われてたわけだ。それをウソと言わないなら何なのかな?
そして、消費税と反比例するように法人税率が下がっているのは?ついでに所得税も下がって富裕層への優遇とか言われちゃってたよね。
あと、保育所予算にしますって批判されたってのは、保育園無償化のこと?
無償化より待機児童を減らせって批判されていたと思うんだけど。。
1200万円なんて別に資本家でも金持ちってわけでもないし、、
少子高齢化で子どもを増やしたいって国が、なんで子育て世帯からお金減らすようなことするわけ?
逆に高所得者からすれば、頑張って稼いで税金多く払ってるのに支援されないんだから、
あぁ国は自分たちが子どもをつくる事に歓迎ではないんだなって感じてしまうでしょ。
結果的に、消費税によって消費が冷えこんだことや、タバコ吸う人は歓迎しないから税金上げられる理屈と同じで、抑止効果を生みかねないんだよ。
1200万円と1199万9999円の間に壁をつくって良いことなんてあるか?分断うむだけだろ。
こっちも「????」なんだけど。マジで何が言いたいのかわかりませんwwwごめんなさい
anond:20210203010745で「財源確保っていって法人税減税するんでしょ」の発言に対して、
anond:20210203012027の増田が「法人税減税したおかげで税収が増えた面もある」と教えてくれたんだけど、
自分としては国の税収増えたから結果オーライとは思わないわけ。
消費税は福祉財源ですって国民から増税までして徴収しているんだから、それを今回のに使えよってことだよ。
消費税取って一方で法人税下げれたおかげで、法人税増収につながったんならそれも回して子育て世代から取るなよ、ってこと。
てかさ、政府は国債発行する1択で解決な話なのに、なんでこんな分断生むようなことするのか。
国債発行して誰が損するの?損する人誰もいないよね。
こっちじゃなくて、政府に牙むけろよ。
それは健康保険を例にして考えてみればいいのでは。国民皆保険制度で、患者の医療費の自己負担率は年齢(6歳未満・70歳未満・75歳未満・それ以上)だけで区切られてて、「年収1200万円以上のひとは自由診療になります」みたいなことはしないじゃん? それは、国が提供する社会保障制度の水準は、対象者の所得によらず一定に保つのが公平だという社会的合意があるからだと思うんだよね。あと、再分配の局面で年収とか資力の制限をつけると、制度や運用が複雑になって、行政処理のコストが跳ね上がっちゃうから、というのもある。
根本から考えてみると、政府がもつ重要な機能のひとつとして、租税制度と社会保障制度の組み合わせによる所得再分配があるわけだよね。お金持ちから取って、貧しい人に(手当や保障や行政サービスとして)配ることで、格差を是正して、社会的な公平性と活力を維持するということになっている。ここまではいいよね?
そんで、ここが重要なんだけど、もともと「収入のレベルに応じて多く取って貧富の差を緩和する」という仕組みは、租税制度(=徴収の側)に組み込まれている。だから、再分配の大枠はこの時点で調整するのが好ましい。租税でやれる調整を社会保障でもやるのは二重処理で無駄が多いし、全体として貧富の差がどの程度緩和されたかを定量的に把握・調整するのも難しくなるから(一応、再分配所得ジニ係数という指標では手当・給付系も算入されているけどね)。
再分配の程度を強めたい時には、高額所得者への課税強化で対応して、社会保障制度のほうはなるべくシンプルで一律な仕組みのままにするのが筋が良い。増田が例に出している児童手当も社会保障制度=分配の側での所得再分配なので、ここには収入制限を設けないで一律に15000円にしてしまい、原資は高額所得者への課税強化で賄うほうが良い制度設計といえる(だから児童手当についての「960万以上は5000円」という減額枠も、高校教育無償化にある所得制限も、自分はなくしたほうがいいと思ってる。ちなみに幼児教育・保育の無償化には所得制限はない)。
「所得での調整だけだと子あり高所得者世帯と子なし高所得者世帯に不当な差が付くのでは」という反論もあるだろうけど、そこは子供の数による非課税限度額という項目でも調整できると思う。といっても自分は、子供を1人生み育てることによる社会全体への効用(貢献)は、世帯収入によらず同じだと考えてよいと思うので、子供を持つ高所得者世帯にも所得が低い世帯と同じように再分配することには何の問題もない気がするけどね。