はてなキーワード: 客観性とは
狂気を魅せたという意味ではなくて圧倒的に低レベルなシナリオ完成度的な意味で
理解ある彼くんなワイはオタクへの反撃(Qの恨み)とモヨコとの私小説が書ければあとはどうでもいいだったんだなってすぐさま読み取ったけど
自分自身を映画に重ねるキョロ充の非オタな豚どもは感動したり勝手に意味を読み取ってたな
正解はパンフレットに意味不明だしもっと客観性を持って作品作りをって書かれてたり
NHKのドキュメンタリーでもスタッフに意味不明って言われたし時間切れでああなった様子が映し出されてたりなわけなんだけど
あと映像面ではアングルが面白かった。かなり奇抜なのでたぶん庵野じゃないとできない
これもなにしてるかわからないって評判が多かったけどワイは初めからグルグルアングルは面白いって評してたぞ
ドキュメンタリーでもやっぱり並々ならぬこだわりがあるってやってたね
やっぱワイの理解度高いわ
https://blog.tinect.jp/?p=70708
下手で良いからどんどんアウトプットしろという中国のなんか偉い人の格言だ。
「あ〜これ俺が未だに出来てないやつ、、こんな親が居たらもうちょっと楽に生きれたかな」とちょっと親のせいにした自分に気づいて凹んだ。
訳あってweb制作の勉強を始めて、独学でどうにかこうにか学んでポートフォリオサイトを作るところまで来た。
勉強を始めてから自分の完璧主義を改めて自覚し、修正を試みながら取り組んできたつもりだけど、それが中々上手くいかず、仕事に出来たとしてもこなせるのか不安要素になっている。
数をこなさないと速度も質も上がらない。
遅巧拙速を知ってからそれを散々頭に言い聞かせているのに、いざ制作が始まると、出来るだけ良いものにしたいという意識が段々強くなり、自分で立てた締め切りをぶっちぎる。
記事にもあるような「まずは試作品作るくらいの感覚で作って、見せたりフィードバック得ながら整えようぜ」理論、完璧主義の修正に一番必要な視点だと言うのはよく分かる。
デザインを見せたかったらデザインとして作り切ってないといけないと感じるし、コーディングを見せたかったらコーディングとして機能を作り切ってないとフィードバックをもらう意味がないのでは?と思ってしまう。
見る側も本気で作ったものをレビューしたいはずだし、適当なものを出すのは失礼だと感じてしまう。
自分が納得いっていないものを人に見せる、ということへの抵抗がやたら強いという要素もあるのだろう。
数こなしてない自分の納得感なんて大したものじゃないとこれを書いている今は思うけど、作ってる時はそういう客観性も吹っ飛んでしまう。
結局はバランスで、適当にやりすぎても何も残らないと思うし、良いものを作ろうという気持ち自体は
悪いことでは無いとも思う。
ただ、その気持ちがスケジュールという優先順位を無視し始めることが問題。
毎日継続することだけは出来ているだけに、このバランス感の無さが悔しくて悔しくて悔しくて悔しい。
その割には大したアウトプットにはなっていないのだろう。
有能なはてなの皆さん、お知恵をお貸しください。
たまにこういうこと言う人いるけど納得できない。
中学生が多いジャンルは知らないが、私のジャンルでは2000字の軽い文章なんて全然相手にされてない。
Twitterでは相手にされてるかもしれないが、少なくともPixivではちゃんとしっかりとした文章が評価されてる
評価されないのを自分の長い文章が読めない他者のせいにする客観性のなさがあるから、周りにウケないズレた二次創作しか書けなかったのではないだろうか。
プロなら上手くできてるが、アマチュアの重厚な文章ってとにかく他者に内容を伝える気持ちが薄く思える。小室圭さんの文書の批判意見を読んでほしい。
あと、数万字の作品なのにPixivのキャプションの説明が少ないと、読む気なくす。長い時間かけて読んで地雷引いたら溜まったもんじゃないから。
評価が欲しいなら、読む人のことを思いやることを優先にしたほうがいい。文体や内容を変えなくても、読む人への配慮することはできるから。
社会学→平等平等うるさいくせに自分たちが視点の不平等を抱えていることにはダンマリ。
簡単に言えば「端的な客観性など社会学には存在しない」ということです。
主観を捨てきれない奴らが平等平等うるさいせいで、「贔屓されやすい弱者」だけが社会学によって救われ、「気が付いてもらいにくい弱者」は社会学の研究の対象となりにくく、救ってもらいにくいという、新たな不平等が社会学のせいで生まれています。
よって社会学こそ不平等の根源であり、社会問題で有り、消えるべきです。
法学→権利のためのテロリズム!とかいう思想が法学の基礎の部分にあるのが最高に気持ち悪いですね。
気持ち悪いって僕が考える理由は、これもまた社会学と同じで、「不平等の根源」だからです。
権利のために闘え!とかいう幼い思想では、権利のために闘う力が残っている弱者だけが救われ、権利のために闘う体力すらない「真の弱者」は見捨てられるわけです。
こんばんは弱者男性です。
それは大変つらい思いをしましたね。客観性や公平性について他人からいろいろ言われるかもしれませんが増田が感じたこと自体は真実として受け止めます。
増田が出した内心の結論や今後の人生の選択についても尊重します。それは他人からどうこう言うものでもないですし。
元の記事を読んで想像できなかったんですが、増田が指摘している「理解のある彼くん」を盾に精神障害持ち女性を攻撃していた自称弱者男性はツイッターユーザーだったんですね。その部分で自分の認識に齟齬があったみたいです。
自分は、この手の話題のツイッターは見ていないので気づいていませんでした。ツイッターであれば攻撃者が普段どのような属性を自称しているのかを追うことができますしね。
ところで、なぜ弱者男性の主張がブログなどではなく、はてな匿名ダイアリーに書かれるかわかりますか?まわりに弱者男性だと知られると、余計立場が悪くなり男性からも女性からも激しく非難されるからです。相手に不快感を与える外見や言動を改善しようとしない努力不足だとか、抜け出すための努力をしない怠惰だとか、いつもネットで女性を攻撃しているというような(自分にとっては)身に覚えのない非難です。男にとって自分の弱さを表明することはとても恐ろしいことです。普通は餌食にされるだけでまったくメリットないですからね。
だから弱者男性は日常でもネットでもよっぽどのことがない限り助けの声を上げることができず、それゆえ善良な弱者男性はなかなか目につきません。
自分からすると、ツイッターやブクマのようなハンドルネームとはいえ過去の発言と結びつくようなメディアで差別や被差別について発言できるような人は、ある種の強者に見えてしまいます。ここは増田と感じ方が違いそうなので同意してくれなくていいです。
もしよければ増田の言う精神障害持ち女性を攻撃する自称弱者男性のツイートのURLを教えてください。今からでもツイッターアカウントを作って否定・批判しに行きます。
嘘だと思いますか?ここ数日のはてな匿名ダイアリーで目についた女性に対する酷い発言にはすべて批判のトラバを書き続けてきました。探してみてください。
深夜テンションのポエムだ。メンヘラの戯言だ。つまらん。自分語りに終始して客観性の欠片もない。まとまりも何も無い。吐きたいだけだ。書いていいか?ありがとう。
恐らく、そんなに不幸ではない。
関東の外れの地方都市で育った。自分、妹、弟の三姉弟。上二人と弟の父は違う。
母はパチカスでアル中だった。高校の三者面談の後、ちょっと買い物に行くから待ってて〜のテンションで駅前のカフェに娘を放置して4時間パチ屋に居る人間だ。まあ頭がおかしい。
父は技術職で、雑誌に載っただのコンテストに出ただの聞いた覚えがあるので結構腕は良かったんだと思う。機嫌が悪いと殴るし、会話はほぼ無かったが、少なくともパチカスアル中よりはマトモだ。
父母が離婚する事も、母が再婚して父が変わることも、新しくできた子と折り合いが悪くなることも、よくある話だ。こういう場合、養父とは仲が悪いのがテンプレだろうが、…いや仲は良いとは言えないが、極悪でもない。少なくとも憎んではないない。厳しいが筋の通った人で、尊敬している。好かれてはいないだろうが、キチンと高校を出るまで面倒見てくれた。ありがたい。
実父の事は顔も知らない。声も年齢も知らない、名前は忘れた。母は実父に大層惚れていて、よく2人きりになると実父とのエピソードを話した。酔った母に付き合わされ、夜中の2時だか3時まで何度も聞いた実父との惚気話を聞かされるのはキツかった。勿論内容は覚えていない。
母と自分と妹を捨てた実父をどうしてそこまで褒めそやし、今養ってくれている養父をどうしてそこまで貶すのか分からなかった。
父は仕事で、母はパチで、平日の二階建て3LDKにはほぼ子供しかいなかった。
保護者がいない空間で末子は大いに調子に乗り、殴られたり蹴られたり包丁で刺されかけたりフライパンで殴られたりライターで髪を焦がされたりマ○コや胸にイタズラされたりしたが、5つも離れている子供に何をされても少しでもやり返せば叱責は年長者が受ける。なんでや。納得できないが、大抵は黙ってやられていた。
自分は多少勉強ができた(本当に多少。商業クラスで得意教科なら上から3番目には入る、不得意教科は下から数える、くらいのささやかさだ)
末子はひらがなの書き取りで躓き、2桁の足し算で躓き、勉強というものを憎んでいた。
母の「勉強出来るんだから少しくらい教えてあげなよ」の一声で家庭教師の真似事をしたが、下に見ている女に教わるのが屈辱だったんだろう、母が見えないところで殴られるので数日で辞めた。
極力関わりたくなかった。
サッカー部に入りそこそこ鍛えていた末子と、中高6年文化部で育ち運動神経の欠片も無い自分。力では到底勝ち得ない。
性的いたずらは回数を増していた。
事務は向いていたし職場の風通しは良くとてもいい会社だった。が、家に帰れば性的いたずらに怯え家事に追われる日々。普通にメンタルをやられ、出社できなくなる。半年もしない内に辞めてしまった。会社と高校には本当に申し訳ないと思っている。
会社を辞めてから紆余曲折あり家を出た。このまま家に居たら死ぬと思った。
家を出る前、母に性的いたずらがあったことを打ち明けたが何だかんだ言って弟を庇っていた。
父には言ってないが、口の軽い母なので多分漏れているだろう。どうでもいい。
一人暮らしを始め2年は順調だった。派遣だが事務職で採用され、それなりに仕事をして、恋人もできた。
だが、コロナが流行りその不安から精神的不調に陥って就業できなくなった。もう一年近く無職だ。恋人とは疎遠になってきた。母は頻りに実家に帰れと言うが、多分帰れば昔以上の暴力といたずらでは済まない性的接触が待っている。無理だろ。帰らないならなんの支援もしない、縁を切るらしい。命が貞操か選ばされるならデリヘルででも働いた方がマシだと思う。
一時間で書ききれる人生で笑ってしまった。上記の通り、多分結構限界だ。来月には貯金も尽きるし、生活保護は通らなかったし、メンクリに通う気力も無い。
近いうちに、実家を出た時と同じように、逃げるように死ぬだろう。ダサいけど、この窮地から抜けたところでまた今以上の窮地がくればおしまいだ。来ても対処しきれない。鬱になって動けなくなって死にたいと思い続けるくらいなら、死ねる内に死にたい。死にたくないが、多分死んじゃった方がマシなのだ。
こういう人間が居たってだけだ。長々と申し訳ない。読んでくれた人がいるなら、ありがとう。
妹よ、幸せになってくれ。
ポケゴーをしているとわかりますが、最近のポケゴーはとにかくイベントを連発して忙しい。毎日のようになにかあるし、だいたいどのイベントも重複している。今はレジェンドシーズンでボル・トル・ランの三種が霊獣フォルムで出現しているし、メガミミロップもでるしサカキとも戦わないといけない。GBLもトレードも日々のタスクも盛りだくさん。やることあるのに重要なポケモン捕まえるにはかなり苦労しないといけない。
それにポケストを撮影しろだとか申請しろだとか、どうでもいいことまで要求してくる。また、フレンド登録枠なるものが増えたが、そんなものより純粋にポケモンを沢山沸かせて欲しいし、イベントごとのバグをマジでなんとかしてください。
そんな自分は複アカをしている。昔は単なる興味本位だったけど、他の人が忙しかったりするときは共有しているし、引退した人のを受け継いでもいる。何よりレイドを効率的にこなさないといけないときには複アカが何より重要だ。ガチの人たちの殆どは複アカや共有をつかっているし、そういう人たちのグループはやはり強くて効率的だ。なにかにつけてお世話になっている。位置偽装も1、2度はしている。
昔と比べ、ポケゴーはとにかく忙しくて生活の合間にちびちびするゲームではなくなってしまいました。ガチになろうとすれば複アカは避けられず、オートキャッチを使わなければ歩きスマホでむしろ危険なくらいだ。だけどこれらって規約違反らしいんだ。昔いたグループではそういうことをいうと注意する人がいた。一度だけ複アカを嫌う人と複垢している人たちでバトルがあったけど、あんなの不毛だよな。だってポケゴーを初期からしている人なら位置偽装も複アカも普通の行為だと思うんだもの。今より忙しくなくてポケモンも少なく、バトルリーグや交換もなかった時期ですら、複アカやボットは当たり前だった。そうした方が楽しいから。このゲームは対戦が主じゃなくて、あくまでも自分のコレクションをするゲーム。いわば歩くことを担保にしたガチャゲー。けれどポケストは偏っているし、いつでも集められるとは限らない。だからみんな位置偽装や複アカをするのは当然だった。
確かに対戦を推している今の環境だと複アカは良くない傾向かもしれない。だけどこう忙しいゲームになるとそんなこと言ってられないんだよ。
そう思っていると最近「ブラック校則」が話題に登っていた。真面目な話、ポケゴーの規約ってブラック校則だなと。なぜなら複アカや共有・位置偽装に関して、なぜそれらが定められているのか一切開示されていない。「現実世界を~」とあるけど、現実世界を複アカで歩くと悪い理由はなんにも書かれていない。位置偽装に至っては、公式が位置偽装ツール販売しているんだから草も生えない。
複アカ批判する人も「規約に書かれているから」以上のことを言わない。理由を聞いてもシドロモドロで意味がないとわかっている。
Nianticはなぜに複アカや共有や位置偽装を禁止しているんだろうか。
【追記】
あほか、と言われたら確かにあほではある。実際に違反をしているのだから。規約だって何らかの理由があってのことだろうし思想や歴史を学べば理解できるのかもしれない。だけど実際問題、ポケGOをしていてもその精神性とか理念とかはあまり感じない。複アカが駄目というのは、校則で言うところのスカートの丈は何センチ等の服装規定に近いと思う。あるいは就活での黒髪・リクルートスーツに近い文化。
それが意味あるならいいけど、そう思わないので破っても構わないんじゃないでしょうか?
それより、そういう規約を注意することがナンセンスかと。だって複アカにしろ位置偽装にしろ、誰にも迷惑かけないんだから。対戦要素においては自粛すればいいだけですし、ジムの蹴り出しは複アカ以前のシステムの欠陥。気をつければ別になんてことないものを、わざわざ注意するところにブラック校則的な要素がある気がします。
【追記2】
ガチ勢の成れの果て。沼に入り込むと視野が狭くなって客観性が失われる典型ですね/ダメな理由は「公平性」。ブラック校則と全く別の話で、それを公認したら全てが成り立たなくなる本質的な話。
ジム蹴り出しにしろ、対戦関連にしろ、複垢の方が不当に有利になっては困るんだよ、運営はそれで金儲けてる。パチンコで2台打ちダメとか腕相撲で両手使うなってのと同じレベルの話だ。2台持つ代わりに課金しろ
みなさんこういうのですが、有利不利を決定づけるのはゲーム性そのもの。位置偽装はある程度の知識や技術に依存しチートという認識は強いけど、複アカ程度で揺らぐならおかしいですよね。
本家のポケモンだって1人1ソフトなんて縛りをしたら売れなくなる。
そもそもブラック校則は「校則の成り立ちや存在意義が不透明であり、現実にそぐわない」ものを意味すると思います。はっきりいえば今のポケGOは複アカが基本です。少なくともガチでやってる人でそうじゃない人はまずいない。今の世の中で、黒髪ではないことがいけないことという認識はありませんよね。子供でも染めているのですから。
黒髪じゃないといやという人は存在するけど、他人の髪にまで文句付ける必要性を感じない。学校という閉鎖的な環境であっても、平等の精神からか髪染めを辞めさせたりするのはナンセンスだと思いませんか?複アカも一緒です。
過度に平等・公平な精神を保とうとして、意味の無い規約で縛る理由がありません。もしも縛りたいのであればシステム的にそうできないようにしないと。でもいくつもアカウント作れていくつも端末持てるようにしているのなら、最初から守られせる気持ちがないってことでしょ?
そんなものをなぜ規約に明記する必要があるのか。百歩譲って書いてあっても、それを周りが咎めたり注意する理由が不明です。
みなさん「位置ゲーで複アカは駄目だろう」といいますね。ではなぜ駄目なのか、はっきり言える人っていますか?例えばテクテクライフ(https://www.tekutekulife.com/terms)では規約に複アカは特に明記されていない。つまり「位置ゲーでは複アカはアカン」という話は成立しない。ポケGOに対戦要素があるからといっても、実際にはジム戦自体をしない人もいるくらいだから、対戦より歩いてポケモンゲットするゲームという認識の方がより強いわけです。コレクションゲーで複アカをどうして規制する必要がある?単にGPSでキャラを動かすだけしか他のガチャゲーと違わない。
それともポケGOには位置ゲーとして何か知られていない要素が存在する?
正直、このあたりをいうと罵倒をする人はいても理由を言える人はいないんですよ。ゲームとしての公平性とか運営が儲からないとか、そういうのは聞き飽きた。「位置ゲーで複アカは駄目でしょう。公平性を欠く」という理由を持っている人がいたら教えて欲しい
今ある多くのコメントは「校則を守らないと不平等になるだろ」「おまえが守らないと運営が大変なんだよ」くらいしか言ってない。それは染めている人を黒髪にしようとしたり、下着を取り替えさせようとするのに近い。黒髪じゃないと駄目な理由くらい言って欲しい。
【追記3】
複アカが基本は言い過ぎですね。確かにサイレントマジョリティはそういう不正をしない人です。王道は規約に沿って遊ぶことでしょう。
ただし、デファクトスタンダードは既に複アカや位置偽装です。そうしないと駄目な環境というのが正しい。王道と基本が一致していないのは残念ではあります。
前提として、以下を読みました。
1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755
3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02
ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育と教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。
私は教員→ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域の教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社にGoogleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代にちょっとかじった程度で歴史やコミュニティに詳しいわけではありません。
1の記事についても賛同・異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネットの怪文書程度の位置づけで結構です。
いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。
教育哲学・児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応や謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります。
他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。
ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。
https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。
この文章がタイトルに示されるような謝罪文であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています。
余談ながら、謝罪の本質を中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります。経験上、成績がよく普段は問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手が勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的な体感ですので一般化はできませんが。
これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明と本来の意図をご説明させてください。
先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来の意図の説明は不要です。
背景と意図を説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれるものですから、そのときは真摯に伝え直すのみです。
私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分を鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。
nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなたの事情を説明する必要もありません。
また、自分を鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量の余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。
言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります。
結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。
そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから、競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。
発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。
特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。
5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。
唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます。
歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手の教育に携わっていればどうやってもわかることです。
ですがこれを理由にしてこちらから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。
私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます。東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます。
ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート、障害やハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます。
1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生の選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。
とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当にエンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはだめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。
ちょっとした怒りが湧きました。
今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生は医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります。
このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります。
教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。
この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。
「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィーと教育関係の問題意識の話を突っ込むとこうなります。
1の記事における教育関係の問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれた教育関連の話が、自身の記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます。
自身の教育論を手段として使われることは主張自体の価値や正当性を毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから、教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。
特に教育と一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミックな領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題をバズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります。
以上が教育関連で私が主張したいことです。