はてなキーワード: 利便性とは
そもそもセルフレジで現金しか使えなかったところなのにPayPayだけはサクッと対応してるの見ると
ホントにSuica対応するのって商売人には負担が重いんだな、と痛感する。
どんだけ金をかけて国際規格にねじ込んでも海外での採用事例が増えないのはそういうことだよな。
そもそもが金融やサービスの外販が本業じゃない鉄道会社の作ったサービスだから仕方ないのかもな。
エンドユーザーとしては便利なんだけど、Suicaにとっての客はエンドユーザーじゃなくて商売人なので
商売人が手を出せないようじゃ辛いよね。
それでも今ここまでSuicaが普及してるってのはホントに凄いし、それ相応に時間も人も金もかけてきたんだろうけど
金融機関が本腰入れて決済手段のサービス作ってきたらはっきり言って先行して普及してる以外の部分では
戦えないんだよな。
みずほ銀行のダッサイ名前の「J-Coin Pay」とか、ダサい名前以外は相当強いしな。
初めから地銀大量に巻き込んで当事者にしてるから営業力が桁違いだし、商売人の負担もSuicaなんぞ比べ物にならんほど低いし
しかも銀行にとって口座獲得のための宣伝ツールだからそもそも「J-Coin Pay」単体での採算を考慮しなくていいどころか
個人間送金や口座への戻しがいつまで無料かはわからんが、正直100円程度かかるようになっても、そもそも不可能なSuicaには
太刀打ちのしようがない。JRは口座抱えてないから有料無料以前にそれを可能にする事すら難しい。
もちろん高い金かかってるんで現状Suicaの方がエンドユーザーの利便性はいいが、それも技術革新の早い昨今でいつまで続くのかはわからん。
元ネタから組み立てるに、このネタにおける「ニュータウン」って言葉の意味は、「何らかの用途や利便性があり、街が開発され、そこに住む人々がその利便性に惹かれたというところから拡大して一定の性向を持つ」――つまりは結果論的に似た者同士が集う、という話ではなくて、そもそも最初から「似た性向を持つ同士の人々が一緒に過ごすと気持ちいい、外部社会のその性向排斥圧力に対して自衛力を得る」という意味なわけだよね。
ある種のゲーテッドコミュニティなわけで、そういう意味ではmixiもそうだしFacebookもそういう側面があるし、Twitterのタイムラインもそう。「つるみたい人でつるんでそれ以外の人はなるべく関わらんですごそう」だ。
前者の意味でのニュータウン、つまり「利便性に惹かれた住民は結果的に似たものだった」という意味で、はてなはまさにニュータウン(いまは村)だし、その意味で住民ははてな民なわけだけど、後者の意味のニュータウンを形成するにあたっては、はてな民って、軸になる主張が欠如してるんじゃないかな。ふわっとリベラル、ふわっと理系、ふわっとガジェット好き、ふわっと電子書籍好きみたいな感じ。とはいえそこからハズレた人も抱えているし、人生相談なんかも多いし、意識高い系もだんだん後退してきた。
現状、「はてな界隈」ってふわっとしてて、はてなBlogと増田とはてブの合流したクラウドっぽい運用がされていると感じるのだけれど、そのふわっとした感じって別に偶然じゃなくて、住む人々の中心的なテーマがふわっとしているからそれに呼応してふわっとしたコミュニティになっている/ふわっとしたコミュニティなので中心的なテーマが収束しないでふわっとしたままでいられるだと思うんだよ。
例えば、はてなの中心がフェミニズム!でコミュニケーションの過半数がフェミ話題だったとしたら、こういう運用体にはならなかったんじゃなかろうか。というか、耐えられないんじゃなかろうか?(運用の携帯も主義主張も両方が)
コレはもちろんフェミの問題ではなくてアンチフェミだろうが嫌韓だろうが全く変わりない。つまり、いまのこの運用体は強烈な主義主張をするのには向いていないし、そこに住まうはてな民はふわっとしていて先鋭的な主張運動を出来ないし好まないし、ゆえに今のはてな界隈以上の防衛強度を持つ「はてな民だけの街」なるものは求められてもいないし、そういう城塞都市みたいなものを仮に作ったとしても、はてな民はそこへ移住しない(なぜならふわっとした活動に向かないから)。
寄り道ながら触れてみると、それに最も近かったのが「意識高いライフハックやら自宅勤務を主張する一派がオンラインサロンを設立した」ってのが、元増田のいう「はてなニュータウン」にもっとも近いナニカだったと思う。でもそれって、見て分かる通り大多数のはてな民からはスルーされたしいま実際に後退しつつあるよね? はてな村奇譚も結局内輪向けの自虐であってそれ以上のものではなかった。つまりは「そういうこと」なんじゃないかな。
2012年に大学を卒業し、新卒で入社した某NTT事業会社を最近退職しました。
そこでは同期や先輩や後輩や上司に恵まれ、良い経験ができたなぁというのが正直なところです。
NTT関連の退職エントリーについては「またそのネタかよ」って思う人もいるかと思うが、まぁお付き合いください。
辞めた理由は単純に別の業種であるウェブ系のメディアで働いてみたくなったから。
しかもそこそこ大きめのメディアがあるとこを希望していて、そういうプロダクトは前の会社には無かったため思い切って退職しました。
もう一つの理由としては業界全体として人材が流動的になり転職しやすくなったというのもあります。
基本的に僕自身はそこまで不満はなく、「なんとなく」今までいた派なのですが、
優秀な若手が悪い大人に騙されて無駄なことをやらされて、若い時間を消費させられてる話を聞くと可愛そうだなぁと、
それが外圧で少しでも救われるといいなぁ、かつ騙される若者が少しでも減るといいなぁと思い今回退職エントリーを書きました。
(中にいるときに頑張ってあげろよって言われるかもしれませんが、それはその通りでそれは申し訳なかったなぁと反省しております。。。)
おそらくNTT事業会社近辺で言える事だが、ここ最近ソフトウェア開発経験があったり、その方面で活躍している優秀な若手をバンバン採用している。
しかし、そういう若手に適した現場がいっぱいあるという触れ込みで採用しているものの実態そんな現場はほとんどない。
かつ、人事的や環境なところもソフトウェア開発する人に適したものでは決してない。
詳しい説明はしないが基本ソフトウェア開発というのは製造業的なエンジニアリングに比べて各々の成果にバラツキが生まれやすい。
バラツキのある成果に対して弾力のある人事評価とそれに紐づいた給与を付与えるべきであるのに、新人という事だけで出した成果に関わらず半自動的に「平均的な評価」が与えられる。
ここでいう「平均的な評価」というのは「毎日会社に来て、服着て、椅子に座ってさえいればもらえる平均的な評価」の事である。
理解がないため、「とりあえず新人なんだから~しろ」みたいな画一的な兵隊を生み出すための言葉しか喋れない。
(画一致的な兵隊がソフトウェア開発において生産性を上げるのは難しいというのはわざわざ説明するほどの事ではないと思う。)
そして生産性がないことをやらされ続けた若手は疲弊し、絶望し、結果転職していく。
ちなみに生産性を上げるための努力を全くしないソリティアおじさんは、彼らより良い給料をもらって、服を着て、ただ椅子を温めているだけである。
社員の生産性を上げるためにどうするべきかを真剣的に考えてくれる総務がほとんどいないので、
必然的に用意される物・道具類は総じてあれな感じのものが多い。
最近話題だが、利便性とか機能性とかは特に気にせず机の上が綺麗する施策を進めているらしい。
ここまでいくと何か違う世界線に生きてる感じがする。
色んな現場があるので、ソフトウェア開発が絶対できないとは言わないが、平均点は総じて低いのであまりお勧めしない。
ただし、インフラ関係、特にネットワーク関連については優秀な人が多く大きいプロジェクトに関われる機会があって比較的良い方だと思う。
迷わず転職活動を始めるか、それに向かった準備を始めた方がいいと思う。
じゃあの!
Amazonで日用品の買い出しから欲しいものまで全部まかせてるし
なんでこう何もかも生活に密着するサービスが海外製ばかりになっちゃうんだ?
俺ははてなーと違って日本が普通に好きだからできる限り日本のサービス使いたいと思うけど
当然生活の質や利便性は犠牲にできないから結果海外製を使うことになる
もういっそ、中国みたいに完全な管理経済にするか、アメリカみたいにゴリゴリの競争原理を組み込んだ資本主義やるしかないんじゃないか?
俺は貧乏人が死のうが老人が死のうがどうでもいいからもっと日本が浮上する政策とって欲しいよ
死にたくなかったらみんなが言ってるようにとっとと海外逃げなよ
最近、ついに近所のスーパーでレジ袋が有料化した。これまでは特に追加料金なく利用できていたレジ袋が1枚あたり5円での販売になるという。こうした動きは、何も私の地元だけで起こっているわけではなく、全国的に見られるものだと思われる。その証拠に、昨年の秋「環境省が小売業を対象にレジ袋の有料化を義務付けることを検討している」との報道があった。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36683740Z11C18A0EA2000/
しかし、レジ袋の有料化は本当に「環境保全のために」行われているのだろうか?
そもそもレジ袋の使用量を減らすことは、環境保全につながるのだろうか? 他にもっと有効な手段があるのではないか? 私は環境問題の専門家ではないので、具体的な統計データは持ち合わせていない。しかし、身近な状況を考えても、レジ袋の削減が直ちに環境問題の改善に直結するほどクリティカルな対策とはとても思えない。マイバックを持参してレジ袋を使うことをやめても、日々のゴミ捨てには同じようにプラスチック製の「ゴミ袋」が必要である。また日本では食品類を中心に、菓子が1つ1つ個包装されるなど、過剰な包装が至るところで行われている。そうした企業に対して過剰包装を規制するよりも前に、個人に対して負担を求めるレジ袋の有料化を優先的に行う合理的な理由が語られているところを、私は見たことがない。
また、レジ袋の「有料化」というが、実は今までも決してレジ袋が「無料」だったわけではない。独自の割引サービス等を行っていた小売店を除いては、レジ袋を利用する/しないに関わらず、レジ袋代は「商品価格に上乗せされて強制的に徴収されていた」とみなすのが妥当だろう。その前提のもとでは、レジ袋を不要とする人に割引を行うのが筋であって、そもそもレジ袋代が含まれていた商品価格を据え置いたまま、レジ袋に対して課金を要求するのは「便乗値上げ」以外の何物でもないのではないか? 1枚あたりたかが数円と言う声も聞かれそうだが、スーパーやコンビニなどの小売店は個人差はあれど市民が極めて頻繁に利用するものである。少なく見積もっても1週間に平均して5枚のレジ袋が必要で、それらが1枚5円と仮定すると、レジ袋代だけで1年あたり1,300円の負担増になる。逆に、毎日大量の客が来るスーパーのような店の立場から見れば、この便乗値上げによる売上増はかなりの金額になりそうだ。いい商売である。
地元のスーパーは「レジ袋代として得た収益は、環境保全のために寄付します」としている。これが何の言い訳になるのだろう? 消費者としては、仮に最初の数年は実際に寄付を行ったとしても、このスーパーが永久にそれを続ける保証はないし、監視する手段もない。第一本当に環境保全に協力したい気持ちがあるのであれば、顧客から徴収したお金ではなく、自社の利益分から費用を捻出すればよい。何でスーパーの身勝手なファッション環境保全活動に、顧客がお金を出さなければならないのか。
私は別に「環境保全のために買い物に行くときには、極力マイバックを持参するようにしましょう」というささやかな取り組みに対して猛烈な批判を展開したいわけではない。それだけであれば、可能な範囲で喜んで協力もしよう。しかし、いま地元のスーパーがやろうとしていることは、そういった素朴な環境保全キャンペーンと言うよりは、環境問題を隠れ蓑にした便乗値上げでしかない。他にもっと合理的な環境保全手段があるかどうかの検討もまともに行わず、消費者に経済的な負担と利便性の低下という重荷を押し付け、その上あろうことか自社は儲け、あわよくば環境保全に取り組む優良企業ですとアピールしようとしている。こんな厚顔無恥な「偽善」を、我々は黙って見ていていいのだろうか?
ソシャゲーは人の金を奪う.
この糞煮込み鍋の如きソフトウェアどもはプレイするためにあらゆる手段でリアルマネーを使わせる.基本無料だから云々という文句は受け付けない.なぜならこいつらが行っているのは実質第一種価格差別であり,それは最も効率よく企業が金を吸い上げるシステムであるからだ.
要するに500円で売り切れば500円以上出してもいいと思う人だけがきっちり500円払うのに対して,基本無料で無限に課金させるようにしておけば,100円くらいなら払ってもいいかなという人が0円ではなく100円払ってくれ,5000兆円課金して全部の絵柄が欲しいとぬかす豚は500円でなくちゃんと5000兆円払ってくれるのだ.500円の価値のものに5000兆円.そういうことだ.
おれはゲームが大好きだ.これまでの人生の少なくとも1割はゲームをしている時間だと思う.それくらいに好きだ.
ゲームのプラットフォームは時代とともに移り変わってきた.昔と比べればPCでゲームをするという行為も日本に馴染んできたと思う.しかしそれ以上に,スマートフォンでゲームをするという文化は日本の奥深くまで浸透している.
おれはスマホゲーを批判したいわけじゃあない.スマートフォンの携帯性や利便性とちょっとしたミニゲームの相性は抜群だし,指一本でプレイできる戦略性の高いゲームもたくさんある.
しかしスマートフォンというハードウェアの制約上,そこには間違いなく限界がある.全てのゲームが,スマホがスマホである範疇で快適にプレイできるわけではないのだ.少なくとも今の技術では.格ゲーやFPSをタッチパネルと指でまともに操作できるとは思えない.おまえらはどうせこの一文に対して「ボクたちはできるもん!ぷんぷん!」などと怒りを顕わにするだろうが,トッププレイヤーがスマホ対CS,スマホ対PCで同じゲームを対戦してスマホプレイヤーが勝つと本気で思っているなら病院に行った方が良い.プレイヤースキルは操作性の不自由を絶対に覆さない.
要するに,スマホでゲームを作る以上実現可能なことには限界があって,それを逸脱しようとしてもまがい物にしかならないということだ.
問題は,この国ではまがい物の方が売れてしまうということである.
ソシャゲー.他のゲームから丸パクリした取ってつけたようなゲームに,いつでも制作サイドで換装可能な絵を適当にひっつけ,あとは0.00000000001%の当たりを仕込んだゴミのような宝くじを実装した,それはもうまがい物としか言いようのない廃棄物に対して消費者が金を払うというシステムがこの国では完成している.笑えるような低コストで笑えるほどに利潤が得られるのだから,近視眼的に金を得たい企業が飛びつくのは必然である.
だがそれは逆に,真にゲームを愛し,真にクオリティの高い作品を世に送ろうとする者を殺す.苦労して作ったゲームが売れない.ふざけんじゃねぇよ.
おまえらがドブに捨てた金で本当に楽しく価値のあるゲームをプレイしようという気になっていたならば,もっとたくさんのゲームがその価値を認められていたに違いない.その機会を奪ったのはソシャゲーという巨悪であり,頭を使わず楽して金儲けをする企業であり,それに金を垂れ流すおまえらだ.
ここ数年この国では毎年E-Sports元年を迎えている.競技的にゲームをすることが毎年毎年毎年毎年ちょっとずつちょっとずつちょっとずつちょっとずつ市民権を得てきた.プロゲーマーの処遇に関してもまあ色々と問題があると思うが,それはまあ本題ではないので誰か詳しい人が語ればよい.
何がダメなのか.ソシャゲーとゲームが同値であるこの国において,ゲームの競技性が向上する余地が存在しないということである.
この存在する価値のないデジタルデブリ達は金さえ払えばゲームをクリアさせてくれる.意味が分からない.お前らは何のためにゲームをしているのか.
おれは人生において金に物を言わせショートカットをすることを批判したいんじゃあない.だがこれはゲームである.敢えて言うがたかがゲームである.たかがゲームで楽をして何が嬉しいんだ.
ゲームの目的は何だ.ゲーム体験の楽しさ,クリアによる達成感,ライバルとの切磋琢磨,プレイヤー内でのランキング,そういったものだろう.その過程にリアルマネーの入る余地があってはいけない.Pay2Winはゲームバランスを崩壊させるし,課金による近道はゲームというシステム自体を否定する.金を払うことが気持ちいいなら募金でもしてろ.
しかしながら,金を払うことでゲームをクリアするのが常識になったこの国では「自らの技を磨き,実力一本で強くなろう,人に勝とう」という意識が欠如してしまうのは必然である.
実際には,日本でも少なくない数のプレイヤーが上のようなマインドでゲームをプレイしているだろう.だがその数は,日本という国のゲーム人口や市場規模と比べると驚くほどに矮小だ.なぜなら未だに大多数が,げーむにまじになることを貶め,金の力で達成感を得ることを生業にしているからだ.これでは優秀な競技プレイヤーが一向に増えないのも当たり前だ.どれだけよい品種でも,畑が干からびているなら育つべくもない.
それでもお前らはお目当てのかわいいおんなのこのために金を貢ぎたいと言うかもしれない.だがその貢いだ金はどこに行くのか.クリエイターではない.制作会社だ.お前がかわいいおんなのこにいくら払おうが,そのかわいいおんなのこに魂を吹き込んだ偉大なるクリエイターはびた一文も儲からない.お前がこれまでに失ってきた巨額の資産は,直接クリエイターに絵を描いてもらうために使ったほうが良かったんじゃないか?
はっきり言って,ソシャゲーを根こそぎ刈り取るのは不可能と言っていい.パチンコに貧乏人どもが狂喜乱舞する国で,ソシャゲーとかいう脳を眠らせたまま金を垂れ流しているだけで快楽を得られるカスのような娯楽が流行るのは致し方ない.
ならばギャンブルに倣って規制を行ってはどうか,となるわけだが,ソシャゲーに対してそれを実行するのは非常に難しい.なぜならソシャゲーとそれ以外のゲームの線引きは非常に難しいからだ.
おれは課金制度を批判したいわけじゃあない.世の中には優良な有料DLC()が多数存在するし,それらには追加的に私財を投じる価値がある.だがそれらとソシャゲーの区別は余りに曖昧だ.個々のゲームを見て「これはソシャゲー」「これはソシャゲーではない」を論ずることはできるが,演繹的にソシャゲーの定義付けを行ったとして多数の例外が出ることはまず間違いない.結果的に課金制度そのものの規制につながりかねない.それはよくない.
そもそも一部を除いてソシャゲーは法に背いていない.お前らは自らの意思で合法的にじゃぶじゃぶ金を落としているのであって,それを理に適った大義名分で規制する術などありはしない.そしてそれらと優良なゲームの追加DLCとの間に線を引くことは,実質不可能である.
ご覧の通り,ソシャゲーはまごうことなきクソである.しかしそれと同時に,おれはそのクソをどうにかする術を何一つ提示できなかった.
結局,ソシャゲーという日本にはびこる病霜に対して,おれはほとんど無力だ.だからこうやって叫ぶしかない.
おまえらは、
今すぐ、
ソシャゲーをやめろ。
誰しもが口を揃えてとんでもなく便利だと言うので、家事の手間を減らせるかと調べたりしてるのだけど、これそんなに手間減らなくない?
煮物とか超便利!とか言うけど、煮物の工程って、材料を切る→煮る、だけなんだけど、この煮る工程が楽になるってこと?
煮る工程なんてもともと鍋に火をつけて放っておくだけじゃん? 焦げる?いや焦げないでしょ
味噌汁とか作ってるって記事もよく見るけど、味噌汁なんて炒め物作ってる横で適当に材料ぶっこんで火にかけといて最後に味噌入れるだけじゃん?
レシピ一覧でポテトサラダとか見て、おっ?って喜んで開いたら、じゃがいもを細かく切ってホットクックに入れて、煮終わったじゃがいもを別の容器に移して潰したらおしまいとか。そんなの鍋と何も変わらなくない?なんならレンジとかを活用した方が楽じゃん。
予約機能はちょっと便利かなーとか思って調べたら予約調理できるレシピはカレーとかシチューとか数種類しかないとかもうね。どうせ朝材料切る時間なんてないんだから、そんなの前の晩に作るだろうと。
ちょっと上から目線で書いてしまったけど、もともと料理を普通にする人でホットクック導入したら楽になったって人がいたらどの辺が楽になったかぜひ教えてください
なるほどな、そういう話をしたかったのか(元増田と同じ人かは知らんが)。
まぁ、未来の話は知らんが、俺はAIという呼称については分かりやすさや利便性の問題だと思ってるから、少なくとも「ヴァーチャル3Dアシスタント女性」や「中国語を日本語に変換するお仕事」をAIと称してカテゴライズするのはナンセンスだと思っているだけだよ。AIっていう言葉の根幹には「情報技術」というものがある筈だからな。
あと既に名前がついている技術をわざわざAIって呼び替えるのも混乱の元だから、"IT業界内では"やらん方が良いと思うね。
別に広告や企画としての名目で大衆向けにAIと称することは好きにしたら良いと思うよ。
一番近いのは近くに団地があることだと思うんだよね
正直俺は近くに児童相談所作りますとなったとき、それが必要な施設ならばまったく反対しない(むしろ大賛成)なんだけど
「嫌だな」とか「別のところでもいいならそっちにして欲しいな」って気持ちはよくわかるんだよね
質問したいんだけど
まず思い浮かぶのは
駅までの距離以外は同条件の土地があっても、高い金を払って駅近土地を買う人がいるように
「ガラの良さ」に金を払う人は大勢いる
どっちに住みたいだろうか
前者と後者の「ガラの良し悪し」ってのは、もしかすると「そういう傾向がある」程度の差でしかないかもしれない
でも住居を買うというのは決して安い買い物ではないし、買い直しが難しい
にも関わらず「住んでみないとわからない」ということはあまりにも多い
なので、そういったリスクを最小限にするためにコストをかけたいという想いは理解できる
そしてそういったリスク軽減のためのコストを最も惜しまなかった人たちが南青山のタワマン住民なのだろう
なので彼らにとって近所に「ガラが悪くなる」可能性のあるものができるのは
駅近に魅力を感じて土地をかったのに最寄り駅がなくなった、くらいの衝撃なのだ
そりゃ反対したくなる気持ちもわかる
高い住居費をかけて東京に住んでるはてな民には割りと共感しやすいことだと思ったんだけど
ブコメ見てると、まるで反対意見をもつやつは人間じゃねえ!みたいな雰囲気で
え、じゃあなんで君らタダで住める実家に帰らないで、東京でクソ高い家賃払ってるの?
ってなる