はてなキーワード: 利便性とは
って言ってるの多いけど、事実だろ。
もっと狭くて交通量も多い危険な通りを僅かな引率の大人だけでまとまった数の園児歩かせてる園沢山あるけど
2歳児なんてどんなに躾けても車道に飛び出す可能性も十分あるし、
2,3人程度の大人の引率で十数人歩かせるのは危険としか思えないが、あちこちでいる。
一人車道に飛び出して車に轢かれた、って程度の事故ならいちいち報道してないだろうけども。
で、それは個別の保育園の問題というより、園庭無しでも認可する方針にしている国の問題でしょ。
「事故の原因は園庭がないせいだ」と言うのは
そういった、一つの社会問題に対する提起として成立する論だろうに
保育園が悪いって言ってるマスゴミー!で終わるんじゃ思考停止だよ。
あるエリアが、「クルマが無くても生活できる」か、「クルマがないと生活ムリなのか」
人口密度とか、人口集中地区とかの指標はあるが、平成合併で水ぶくれした行政区で計算しても、あまりアテにならない。
で気付いたのだが、「タイムズカーシェアのステーションが出店してるか、否か」が、そのエリアの公共交通機関の発展度
、そして「都会か、田舎か」の度合と、多分に相関してるのだ。
首都圏で確認してみると、概ね16号以内にステーション多数エリアがあることが可視化されてるし、鉄道沿いにステーション密集エリアがあることが可視化されてる
地方都市でもステーションの多い都市、少ない都市があって、ステーション少ない都市は、やはりスプロールの都市。
過密な那覇市は70ステーションあるのに、スプロール都市の浜松市は10しかステーションが無かったりする。
名古屋市と福岡市でステーション数は大差ない。つまり公共交通の発展度は名古屋市は福岡市程度でしかなく、大阪市とは段違いであることが判る
横浜市は日本第二の人口だが、ステーション数では大阪市の半分でしかなく、都市公共交通の利便性では「大阪市の半分」であり、「実質的には、日本第二の都市は大阪市である」ことが可視化される
東日本の県庁所在都市と西日本の県庁所在都市を比較すると、相対的に西日本の方がステーションか多い、つまり「西日本の県庁所在都市の方が、クルマ無しでも住みやすい」ことが可視化される
地方都市に移住する際に、「タイムズカーシェアが、それなりに存在してるところ」という基準で街選びしたら、交通難民にならないし、そういうエリアは住民マインドも都市的だから、「田舎の人間関係が大変。地方移住するんじゃなかった」という不幸も防げるんじゃないか?
免許返納に「老人イジメじゃないの?」 武田邦彦氏が発言、ネットには異論続出
https://www.j-cast.com/2019/04/23356057.html?p=all
https://kumanichi.com/column/syasetsu/984238/
関連:老人運転は危険か 高齢者ドライバーの事故激増のウソを暴く
https://ironna.jp/article/5002
恐らくこれが最低ライン。
でもその場合はタクシー会社はたまったもんじゃないだろうけどね。
ある意味では行政との大口契約になるから助かる所も出るかも知れんが。
それでも農家とかやっていたり、田舎暮らしだったりする場合には返納しない人も多いだろうと考える。
そもそも農家でなくとも高齢者でも働いている人も多いんだしねえ、今は。
この問題も年金を減らしたせいとかその手の問題も絡んでくるわけだしね。
それに今現在、返納のメリットなんざ余りにもケチくさくしたおかげで、ほぼないし、そんな事しているから、普通の人間はまず返納するわけがないよ。
幾ら年寄りでもね。
それは当たり前。
結局の所、やたら最近ニュースで高齢者の事故や不幸な事例をあげて、煽っているのは警察や政府、行政がその辺に金をかけたくないからだと思うよ。
警察かマスメディアどっちが主にキャンペーンを貼っているのかは知らんけどな。
いつもやってる事だ。
それに交通に関してだけでも不幸な事故をマスメディアに取り上げさせまくって、世間の感情論とやらを煽って、規制を強行する手法を行ったりしたのは、飲酒運転や危険運転の時などでもみられたことだしな。
しかし不幸な事故が起こるのは悲しい事だけどもそれを警察やマスメディアは悪用し、規制等に利用するのが一番卑怯だと思う。
こういう連中こそ人の不幸を喜ぶ連中であり、悪用している連中だと思うんだけどね。
こいつらやたらモラルとか言うけどもこの点に関してはモラルとかこいつらマスメディアにそんな言葉自体存在していないとしか思えない位の酷さだしな。
後、免許返納が進んだ場合、国内の自動車の売り上げにも悪影響が出るんだけどね。
それこそ彼らの馬鹿にする団塊の世代は彼らの作るテレビ番組の傾向を見ていてもその母体数が多い事が良く判るしね。
余りやらかせばそれこそそっち方面からも逆に文句言われる気がするんだけどねえ。
それと自動車乗る人が減れば当然需要も減るわけだし、取り締まりとかの人員についても削減されるわけだし、需要が減ると言う事はそれこそ自動車学校や免許証交付等の小銭稼ぎも減り、結果交通課の影響力も減少となるのも目に見えているんだけどね。
さっきも言った通りで。
多分声高にこれ進めていようとしている人間はその事に気づいてなさそうだ。
しかしマスメディアはその高齢者、俗に言われる団塊の世代とやらに喧嘩を売って大丈夫なんかね?
今回やっている事はそれこそ当時やらかしたオタクは犯罪者予備軍です的なアレと大差ないと思うんだけどねえ。
これマスメディアが高齢者は犯罪者予備軍ですと言っているのとほぼ変わらないからな。
でもマスメディアは年寄りはボケているし、奴等高齢者はテレビ世代だからテレビお得意の情報操作でこれに関しても何とかなるとか考えてそう。
これでマスコミの連中が、痛いしっぺ返し食らったら面白いのにな。
タバコが嫌われているのは
それを利用する人以外にも悪臭を撒き散らすところだろう。
健康被害の疑いのない残り香のような匂いについて論じているから
もちろんニンニクに代表されるように強烈な臭いが忌避されることはあって、
シュールストレミングを人が集まる屋内で開けたらそれなりに怒られる。
「されるだろう」じゃなくて、
だからその違いはなに?
(そしてここでは健康に害のある副流煙は除いて匂いの話をしているとツリーの最初から明示されてる)
自動車は排ガスによる大気汚染というデメリットを上回る利便性があるから許容されているし、
法律の話であればタバコは現状条例による歩きタバコ規制などはあるものの
匂いについて取り締まる法はないので
何事もバランス。
このやりとりで明らかになってきているのは
バランスだのナンセンスだの非論理的な言葉に逃げていくあたりは
てめえの頭で考えろコンプライアンス。
自分の主張の論拠を人に考えてもらえるわけないだろ。
まぁそれはその通りなんだけど、
精神障害者・知的障碍者なんて抹殺してくれた方が健常者は生きやすいし、
70歳以上は毎年更新で更新料をどんどん高額にしていくとかさ。
「地方では車がないと生活成り立たない」とか言う人いるけれど、老化によって色々衰えて活動が辛くなったら利便性の高い土地に移り住む(金銭負担ある)とか介護を頼む(金銭負担ある)とかに結局はなるわけでしょ? 自由気ままに車で買い物に行く権利だけをそこまでことさらに特別視して保護する意味ってあるのかな。金銭負担してタクシーで買い物行くなり宅配するなりすればいいわけで。それで金銭的に辛いなら介護の一環として金銭補助ってのは検討すべきかもしれんけれど、殺人事故を起こす権利だけをことさら保証するのってなんか制度として歪んでないかね。
世界はだんだんよくなっているって記事を読んで思ったのだけどそこまで世界がよくなっているという実感がない。ここでいう「世界」とは利便性に限定されすぎている。
利便性に限っていえばこの世界=先進国ではよくなっているだろう。ユニクロやトヨタ、セブンなど海外の労働力やフランチャイズシステムによって安く物を売ることができるようになった。今の日本がよくなっているというのはそのギャップに支えられているに過ぎない。その利便性もいつか崩れるだろう。金融資本やITの発達によって日本は中国やアメリカの後進国になるのは自明だ。その時にいままでの資本構造、とりわけ薄給の労働者によって支えられていた供給システムはたちゆかなくなる。
ところで世界がよくなっているというがここでいう世界とは何のことを言っているのだろうか。自由という意味に限って言えば利便性が向上した世界はよくなっていると言えるが人間が自由であるというのは哲学的には完全に否定されている。基本的に人間は環境の動物で与えられた名前、与えられた環境によって何を感じるか何を好きになるか何を幸福に思うか「後天的」に刷り込まれる動物である。
自由とは前提条件であって必要条件ではあっても意志そのものをかたちづくるものではない。日本ではたびたび閉塞感が言われることがあるがこれは自由の問題ではなく世界が自由であること、その自由ゆえの閉塞であると言えるだろう。
自由であることは人間を苦しめる。以前の共同体ベースの社会では人間関係がその共同体の中に組み込まれていたので自らの役割をこなせばよかった。どのように振る舞えば幸福になれるのかがある程度の指針として機能できていたが自由をベースにした社会では人間関係は社会に組み込まれてはいない。組み込まれていないとはつまり社会が人間関係をつくる場所として「閉じている」ということだ。これを閉塞感という。つまり閉塞感にたいする反論として自由は反論になっていない。人は自由ゆえに閉塞するのだ。
世界は自由になった。その文明、利便性の向上によって。それはいいことだ。よくなっている。しかしその一方で個人の選択が無限に広がった結果、自由を意志できる人だけが自由に生きられるようになっただけでその他の人達、つまり自由を使えない人達は宙ぶらりんのままになっている状態である。それすらも自由であるといえばそれまでだ。しかしなんの共同的な意志をもたず、はたまた自由意志ももたない人達がかなりいるように見受けられる。自由が共同体を無意味化した結果自由を行使できる人だけがまるで自由は普遍的な概念であるかのようにその重要性を説く。いや重要なのは重要だが自由は一般的な人々にとっては意志を形成する基盤にはならない。
さて,来る平成25年3月から,登記情報提供サービスの運用拡大として,毎月1回,土曜日にサービスを利用することができるようになりますのでお知らせいたします。
誰も使わないからやめたんだとさ。
平成25年3月から実施しております「登記情報提供サービスの運用拡大」(月1回土曜日にサービスを利用することができるようにするもの)については, その利用実績が著しく低調(平日の1割程度)であることなどから,平成27年3月14日の実施分をもって終了することとしましたので, 何卒御了承くださいますようお願いいたします。
月1回じゃ浸透するわけないよな、休日サービス拡大をしないための口実作りだよな。
まあ、せっかくの休みに、問合せ受付のために出勤はしたくないわなあ。
旅行では両手があくリュックを愛用してるけど、ごちゃついて出す度にイライラ。
普段はトートに百均のマチがあるメッシュバックを入れて整理している。
バックサイズに合わせて形を変えられるので重宝してるけど、リュックだとそれが仇。リュックと一緒にクタッとなってしまうので意味がない。
そこまでお金かけたくない。
プラスチックのカゴに決定!
暗い色のバックでも見やすい白色、かつリュックの底と同じサイズ、ある程度深さがあるものをチョイス。
これに直接荷物を入れても良いし、私の場合、いつも使ってるバックinバックをすっぽり入れて使用。入れ替えの手間なし☆
リュックの利便性はそのまま、トートと同じように中身を上から一望できる。
私にとって完璧!
整理の基本でしょ。
自分でも何が言いたいのかわからないんだが、自分の居場所がわからなくなる感覚がしてしまった。
自分は関東のとある県の田舎から、東京の大学に通うために上京した。
その後就職し、しばらく埼玉神奈川に住み、ここ2年都内に住み始めた。
自分は引っ越し魔で、上京してから15年間で9回引っ越ししている。
仕事の都合で引っ越したことは一度もなく、パートナーの都合もあるが、何となく環境を変えたくなったらすぐ移動してきた。
こんな感じだから、あまり地域の人と深い付き合いをしてくることがなかった。
だから「好きな街」や「第二の故郷」といったフレーズにまったくピンとこない。
田舎のやることの無さや会話レベルの低さは体感しているし、東京の素晴らしい利便性や23区民のマウントも体感している。
また郊外生活も長いため、23区に憧れを持つ人々の、「中間」な雰囲気にもどっぷり浸かってきた。
前置きはこのあたりにして、あの投稿を見たら自分の生い立ちというか人生に全く根が張っていない感覚を覚えてしまった。
医者を目指しているあの学生さんは、きっと自分の生い立ちに確固たる自信を持っていて、戻るべき場所のようなものを持っているように感じた。
かといって故郷に戻りたいとも思えない。こんな性格だから、人付き合いを強制されたり、常に見られているようなあの感覚がどうしても嫌なのだ。
何を言いたいのか自分もよくわからないのだが、根が張っていない、戻るべき場所がどこにもないことに猛烈に不安になってしまった。
わかる人いるかな。どうすればいい?
東京にも郊外にも地元にも海外にも、どこにも自分の居場所が無いみたいに感じてしまうんだ。
助けて欲しい。
他のうだつの上がらないゲームストリーミングサービスと違ってワンチャンあり得るのは
数多のビジネスマーケットを焼き払ってきたGoogle様の得意技「ダンピング」が炸裂するかどうかが不明だから。
無料は厳しいにしても、データを囲うためにコストから考えてあり得ないレベルの低価格で攻める可能性は無くはないと思うので
もしそうなったらゲームストリーミングサービス市場を焼き払って覇者になるかもしれない。
ただ、正直そこまでしてゲームの進め方に関するデータを囲う意味があるかというと、頭の悪い俺には無いように見えるので、可能性は低いんじゃないかな。
今のAIの盛り上がりに浮かれてる人達は「スゲェ!」って言ってる人も居るけど、そのAI育てるためにはデータ喰わせて調教する必要があるが、ゲームの進捗に関するデータの保持形式が縛られて開発側に余計な面倒が増えないかというのが少し気になる。
AIに喰わすためのデータはキチッとフォーマットそろえる必要があるから、ゲームの進捗に関する部分とは相性悪そうな気がする。
既にわかりきってる事とはいえ、スピードの早い対戦系のコンテンツは絶望的。
でも、コマンドバトルのRPGとか、ターンベースのシミュレーションとか、比較的理想郷が近いタイプのゲームもあるのでモノによっては入力遅延より場所を選ばずに遊べる利便性が勝る場合も結構ありそう。
でも、グラフィックなり内部処理なりが高負荷のかかるコンテンツでないとデバイスからの解放のメリットが薄いので、そのフィルターも合わさるとゲームストリーミングサービスのメリットがデカいコンテンツの幅はかなり狭まるのが難点。
そして何よりこれ。どんなに大々的に発表されたって、メンツのためにズルズル延命させることがないGoogle様のご機嫌伺いながら金払える人がどれほど居るのか。
いくら世界中にDC建てまくってもリソースは有限なので、社内政治に負けて金引っ張れない、みたいなことにならないのかな?ってのが心配。
「利便性か安全性」の選択で「安全性」をとれば電子書籍よりも紙の本ということになる。
つまり電子書籍を「選択する」ということは「なくなっちゃってもいいや」という言外のメッセージを含むものである。
明示的でないから普段は意識しないかもしれないが「選択する」ことには意味があるのだ。
電子書籍がメインの方々もお気に入り作者の作品を手に入れるときは紙の本にすべきだろう(あるいは両方か?)。
また電子書籍で買ってしまったとしても、そのことを作者に伝えることは控えるべきだろう。
「電子書籍で購入した」という選択は「お前は選ばれなかった」というメッセージなのである。
Suicaが金と時間と人をかけて普及を図ってきて現時点で最も使える場所が多い電子マネーサービスなのは異論ないけど
Suicaは結局JRの運賃パスにチャージした金が他所でも使えるってだけであって、
運賃パスに金をチャージするっていう基本部分を変えるわけがないし変える必要性もJRには無い。
けど、それじゃ利用者側として利便性はいずれ頭打ちになるので、存在してもいいけど
電車賃を主軸に据えたものではない他の電子マネーにも普及してほしい。
別に万が一ほかの電子マネーが爆発的に普及したって今更Suicaが滅びるわけないんだし
もっと便利な電子マネーが出てきたってそれがSuica代わりになるわけでもないし、どっちも困らないと思うんだけどな。
実際やっと金を扱うのが本業の金融機関が電子マネーに重い腰上げ始めてるんで便利な電子マネーは出てくるだろうから
もうしばらく待ってれば利便性はもう少し上がりそうかな。