2019-02-09

外的価値評価されるの辛い

自己愛性人格障害Wiki見てたら、自分かと思った。

毒親に養育された子供は、親の期待を満たすために頑張る。

勉強が出来るとか、見た目が良くなる、とか。

しかし、それらは全て相対的価値なので、どこまでやっても満たされる事がない。

故に、常に劣等感を感じ、完璧主義になり、いつまでも幸せになれない。

それに気づいたのは、子供や妻がモタモタするのを見て、すごくイライラしてしまった時。

自分は、家族に対してすら、外的価値価値判断をしてしまっていた。

自転車に乗れる、とか、家事効率的にこなせる、とか、生産性が高いかいか、でしか

認めていなかった。

そういえば、自分に対しても常にそういう判断をしていた。太っているのは醜い、だから大好きな甘いものは食べずにダイエットしなきゃ、とか

男で30を超えていたら、年収はいくら以上ないとダメだ、もっと仕事頑張らなきゃとか、賢くないといけない、本をもっと読まなきゃ、とか。

そうでなければ、生きる資格はない、などの外的価値での判断を常にしていた。

なので、生きていてもちっとも楽しくなかった。常にもっともっととなり、満たされない。

穴のあいた船で、常に水を掻き出しているような状況で、焦りしか感じてこなかった。

少し成功して、他人からすごいね、とか言われても、壁はどんどん高くなり、評価が下がると

自分の全てを否定された気がして、ものすごく傷ついて、何日も気分が落ち込む。

このままではいくらお金持ちになっても、いくら見た目が良くなっても、ずっと不幸のままだ、と

思ったので、この習慣を変えようと思う。

まずは、家族はもちろん、会社の同僚、自分の周りにいる人々を、外的価値で測るのを意識的に止めるようにした。

こいつ仕事できねーな、とか、資料作るの遅すぎ、とか、あいつは太っててみっともない、とか

40こえてるくせに年収低すぎだろ、とか、そういう相対的価値他人判断するのを止める。

また、相対的価値観で判断するような人が寄ってきたら、離れるようにする。

昔、学生時代にも、「お前は人を能力が高い、低いでしか判断しない寂しい人間だ」と言われた事があったが

20年以上経ってから初めてその意味理解できたような気がした。

  • こんなマウンティング動物園にいるやつにそんなこと言われても説得力ゼロだわ

  • まあ、そりゃそうだな。とにかく起きて稼いで食って寝て。本来人生はそれだけでいい。

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