はてなキーワード: プレッシャーとは
敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。
容姿や風貌に関しては客観的な指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。
身長157.5cm
体重37.1kg
BMI数値14.96
参考までに
身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg
日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。
以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。
しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。
酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。
幸い、月経は毎月きちんと続いている。
*
私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、
幼稚園児時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。
幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。
給食で出されたものがほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園児時代・小学生時代の私に昼休みなどなかった。
皆が昼休みを終え、教室の掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師が給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。
辛かった。
どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生からも怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。
中学校は弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。
食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーからの解放、他の人と同じように食事をとり、昼休みを満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。
ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまったからだ。
小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。
真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分で自分を律していた。
それなのに。
これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。
私はワガママを言うような子じゃなかったのに。
日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。
今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか。
「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?
もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか!
小学生の頃はそこまで考えが至らず、
今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。
ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。
苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。
さて。
中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。
朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。
間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドやサイゼリヤ、時には一蘭で替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…
今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。
それでも痩せ型なのは変わらなかった。
現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。
当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。
その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。
当時は「糖質制限ダイエット」なるものが流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質が体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯に納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。
結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。
当時何より悲しかったのが、内科のかかりつけ医が私の体型、体重を見かねて
「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、
時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんとご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。
冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。
母はちゃんとガッツリとご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。
これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。
今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである。
*
大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。
冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロ台しかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?
家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。
前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である。
たしかに生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気のリスクはあるのに。
現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。
*
私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。
はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。
ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。
しかし、太っている人には
「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般の道徳観念があるにもかかわらず、
痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、
好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、
そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言。
このような感情で書き連ねたといったところかと思う。
世の中にはダイエットの情報や商品、摂食障害にまつわるあらゆる研究、考察が流布されているが、
もちろんTwitterで検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくまで当事者だけだ。
正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。
私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分は自分」と、割り切ることができるようになった。
自分のことを認めてあげられるようになった。
上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。
ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。
しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。
現在、平日フルタイムで仕事をしているが、こんな状態でちゃんとやっていけるのか?と不安な気持ちは拭えない。
俺も弱者男性であるがなぜ弱者男性はこうも異性恋愛至上主義であるのかがわからない。
下方婚厨はその「現実」を繰り返し主張してなにをしたいのだろうか。
経済的な苦境を打破したいのなら政府に訴えかければいい。そのために団結すればいい。
「結婚できていないこと」それ自体に苦しみを感じるのならその自縄自縛をやめればいい。周囲からのプレッシャーがあるなら社会の風潮を変えるため発信すればいい。
「女が下方婚しない事実」が問題だと思うならそのために自分がなにをできるか考えてくれ。自分の言動が分断を煽り「女が下方婚しない事実」をより強固にするものだと自覚してくれ。
俺達の苦境はお前の都合のいい武器じゃないんだよ。
単純に日本の女には甲斐性がないし、一家を養うみたいなプレッシャーもないから
ガキの頃のお花屋さん! ケーキ屋さん! みたいなノリそのままで進路を選んじゃう奴が一定数出る
ただそれだけの話だよ
働いていたのはもう5年以上前のことだけど大変だったことをなんとなく書いてみる。
①人間関係
私が勤めていたところは男女比が同じくらいで年齢は18~40代とバラバラだった。男はパチンカスかオタク、女は揃って全員病んでいた(酷い子だとスタッフルームで気がついたら自傷していたり、薬でフラフラしながら出勤してくる子もいた)
表ではそこそこ仲よくやっていたがマネージャーや店長がバイトとデキていたり、そもそもバイト同士がセのつくフレンドだったり、三角関係だったり、裏ではかなりごちゃごちゃしていた。送っていくよと言われて車に乗ったらホテルに連れ込まれそうになった事件などもあった。
②仕事内容
メダルコーナーは基本を覚えたらほぼ補充とエラー対応だけなので楽だった。問題はクレーンゲームの方である。ゲーセンにもよるが私がいたところは景品の設置方法などをほぼ自分で考えないといけなかった。マニュアルはないので先輩がやっているのを見て真似してみたり、他の店舗で置き方を見て研究したりするしかなかった。
設定に失敗すると半日でほぼ景品をとられてしまい大赤字ということもある。特に責任をとらされたりはしないがかなりのプレッシャーだった。新人の頃やらかしてお局的な先輩に怒られて涙目になったのは今でも覚えている。今では多い確率機はほとんどなく、本当に取れるかしっかりチェックしていたのでとても大変だった。
③客対応
私がいたところは家族向けだったこともあり家族の客が多かった。もちろん普通の善良な客もいたけれど、いかにも馬鹿な親、そしてアホそうな子供的という家族が本当に多かった。そういう客はだいたいルールに反した遊び方をする。
「こんなの詐欺だろ」「店長を呼べ」「お前の名前と住所教えろよ」「訴えてやるから覚悟しとけよ」と何回怒鳴られたかわからない。最初のうちは本当に怖かった。しかし1年ほど経つとすっかり慣れてあーまた始まったよ、とスルーする力が身に付いた。ゲーセンで働いて一番身についたのは精神的忍耐力だと思う。今でもこの忍耐力は役に立っている。
夜はチャラついた客が多かったがそういう客は見た目と雰囲気に反して普通である。そういう客より先に述べたような家族や老人のが厄介なのだ。老人はとにかく本当にめんどくさい。
こんな職場でも結局4年間働いた。
店舗や地域で環境は全然違うと思うのでもしゲーセンで働きたいならどんな人間が働いてるかと客層を見てから行くのをおすすめする。
大学から伝統派空手を部活動として始めて現在まで練習を続け、もう10年以上になる。
そんな自分が今回の空手のパワハラ問題を聞いた時は意外に思った。
学校・町道場を問わず空手コミュニティでパワハラはあまり聞いたことがない。
おそらくパワハラがないのではなく、パワハラを受けた側がコミュニティからあっさり抜けてしまい問題が公になりにくいからだ。
空手を頑張っても金銭的に報われる事がほとんどないため、嫌な思いをしてまでコミュニティに踏みとどまる理由がない。
空手は大学卒業後に社会人選手として実業団や警察に受け入れられる人数が柔道・剣道に比べるとすごく少ない。
現役時は華麗な成績を残し、高校・大学空手の指導者と町道場の指導者を兼ねるような人物でも空手一本で家族を養うのは難しい。
町道場の練習場所は学校の体育館や公民館を借りるが、これらの施設は営利目的では借りられない。
従って高額な月謝も会員から取れない。
これは伝統派空手の話であって、フルコンタクト空手は格闘技ジムに近い組織体系なので飯を食える人も居る。
町道場の指導者と反りが合わなくなり、通う道場を変えたり独立して新しい道場を立ち上げる人も少なくない。
そんな道場を飛び出した人が何食わぬ顔で普通に大会に参加していたりする。
日本代表選手、強化委員という立場ではかかるプレッシャーも凄かっただろう。
これは4月1日の明るさに耐えられなくなったため書き散らす戯言であり社会への当たり散らしのようなものだ。
だから今からここに書かれることは社会に出られ日夜経済活動に貢献している方々にとっては非常に目に余る文ばかりだと思う。
推敲、校正いっさいなし、増田にベタ打ちの文章を読みたい変人の方は以下に目を滑らしてほしい。
さて、さきほど無職と自己紹介させていただいた自分だがもちろんこんな将来を2.3年前は想像をしていなかった。
様々な映像・文学作品のなかの描写や大学に入ってから先輩たちに聞かされた話から常々恐ろしさを感じていたため、正直まわりの友人達よりも早めに活動を始めていたと思う。
大学2年生の終わりごろには企業研究や適職診断などを行い、3年生の夏にはインターンへ参加した。高い講習費用まで払って就活塾にまで通った。
ここまで読むと意識高いと思われるかもしれないが、その逆意識が低いから予防線をたくさんはっておこうと必死だったのだ。
正直インターンと授業だったら後者を取るほど大学の授業が好きだった、学生インターンましてや自分が参加したような短期のものは業界や企業理解のための講習がほとんどで実務に触れる機会はなかなかない。(そもそも学生インターンに実務内情を明かせる企業などないと父親から聞いた)
そのため中小企業やベンチャーに絞ってインターンへ行って面接慣れをしようと目論んだ。おそらくここで面接慣れは出来たと思う、多少トリッキーな質問でなければ笑顔で回答できるほどには慣れた。
怪しげな個人就職エージェントではないが100社は落ちた。どれも2次面接、もしくは最終面接まで行ってから不採用通知を受け取った。
こういうことを言ってしまっては非常に品が無いかもしれないが周囲の友人と比べて喋れるほうだと思っており、面接では逆に喋りすぎないことを意識したほどだ。
「2次、最終まで行けるのに落ちる、何故」
ググるとたいていキャリアプランが出来ていない云々、企業への理解が出来ていない云々、そもそも相性が悪かった、などなど様々なifが出てくる。
キャリアプランとか働いたこともないのにわかるかよクソが、と思いつつインターネットやインターンで会った社会人を参考にして作ったんだけどな、日経新聞読んでいろいろ勉強したけどな、と絶望する。
就活後半戦の7月ごろ、そんなのばかり見てたら「くだらねぇ」の一言しか出てこなくなり人材派遣会社ばかりを受けた。しかし面接の志望動機もなにも出てこないので面接辞退を繰り返す無意味な時間を過ごした。
そして卒論のための調査などに追われ就活どころではなくなり、あっという間に新年を迎えた。
日に日に就活への焦り、身内からのプレッシャーで精神的にまいっていった。
夜中は泣きながらぬいぐるみを抱えて眠れない夜を過ごし、正直料理の匂いで吐き気を催すこともあった。(そもそも食事が好きではなかったため過去にもちょくちょくこういう症状は出ていた)
昼間に起き、リモートワークで仕事をしている家族に引け目を感じながら寝間着で求人を漁り応募する日々。たまにスーツに着替え、就活メイクなるものを施した自分の顔面に辟易しながらリモート面接。
地獄要素は書ききれないほどあるが大まかに分けると3つだ。配慮の無い人事との面接、家族への引け目、友人との比較。
配慮とは何か、一言で言うと就活生を尊重しながら会話をしようとする姿勢だ。
就活生と人事は対等であるだなんて詭弁、1ミリも信じてない。しかし、あまりにも就活生をおもちゃにしすぎている人事がいることは今回の就活で痛いほど知った。
「一発芸をやって笑わせてください」、「珍しい名字だから早く結婚して分かりやすい名字になるといいね」、「あなたが上司に従えることをここでアピールしてください」
Adoさん呼ぶぞ。
上記は一例だが人事からの質問はパワハラまがいなものからセクハラ、人権侵害なんでもござれの見本市。
もちろんコンプライアンスがしっかりしている企業もあったし、コロナに翻弄された就活生をいたわってくれる人事もいた。
しかし100社以上受けてみると割合としては少ない。あと企業規模が大きいほど質問はしっかりしている。なるほど皆大企業を目指すわけだ。
一発芸云々言ってきたところは大手芸能事務所だから業界的な色もあるのだろうが、パワハラすぎて固まってしまった。
腹立ったから逆質問で「先ほどの一発芸についてですが、実際に人事さんはどのような芸を披露されるのか見せて頂いてもよろしいですか」って聞いたら無礼すぎるってキレられて落とされました、草。
次に家族への引け目。家族が家で仕事をしている中、同じく家で就職活動するのは非常にしんどいものだった。
リモート面接、これがとにかく鬼門。いままでは対面の中で行うので多少キャラづくり、外部の人に見せる自分をいつも通りやっていればよかった。
しかしコロナの野郎のせいで対面面接が難しくなり、世はリモート面接時代に突入。
自室は防音機能0、部屋での音は共用部に筒抜けになる仕様のため、いままで友人との電話すら習慣になかった。
ましてや面接となるとさらにハードルが高い。自己PRを家族に聞かれながら面接するの非常に苦痛、一瞬でいいから露出狂の魂を取り込んでこの苦痛を快感にしたいと何度も願った。
また、就活後半になると家族が目の前で働いている中自分には職がないってことがすごい精神的に苦痛だった。
父親に就活が上手くいかなさすぎて慰められたとき、「惨めだよな、みんなは働いているのに」って共感(?)してくれたとき本当に死のうかと思った。
今まで自分は自分、己の道を行くタイプで生きていたので授業を一人で受けるとか、マラソンが周回遅れだとか本気で気にしたことがなかった。
そもそも気にしたところで精神的に負担になり、追い詰められていくと思っていたのであえて見ないようにしたりしていた。
しかし就活はそうもいかなかった。6月ごろに来た誰だかも思い出せない輩から「就職先どこ?俺は○○!」みたいなマウントLINE、やっと落ち着いたからみんな遊んで!みたいな匂わせインスタストーリー。さらにはメディアから随時発表される内定率。
周囲を気にしなくてはいけない、他人ではなく自分を選んでもらわなければいけない。そうだった、この世は競争社会だった。
幼稚園の頃大好きだったしまじろうの「自分だけを優先するのではなく誰かに譲ってあげようね」というストーリーで出てきていた「おさきにどうじょ」(ドジョウのキャラクターがとても可愛かった記憶がある)。彼はいま元気だろうか。
競争社会に絶望し、粘液が干からびていないだろうか。自分は体液が干からびるほど泣いて今まで他人を優先してきた自分を誇っていた気持ちが全部溶け出てしまったよ。
とまあ脱線したが他者と比較して自身を魅力的に見せ採用してもらうという就職活動に、マイペースな自分はどうにも適合出来なかった。
最終で落ちた企業にも、落ちた理由をフィードバックしてくださいって連絡したら他の就活生との兼ね合いでって返されたのでやはり競争に向いていないんだな。最終まで行けたのはたまたまなのかもしれない。
だらだたと書いていたら1時間を溶かしてしまった。これがクソヒキニートの第1日目であった。旧約聖書もびっくりな不毛さ。
これから自分は既卒就活生としてまだ就活を続けるつもりではある。しかしこんな就活クソだという気持ちを捨てられずに活動継続するため、きっと毎晩泣くだろうし苦痛を覚える日々を過ごすだろう。
ここまで読んでくれた人に自分は何を伝えたかったのかまとめることも出来ないが、とにかく就活は辛くて厳しい。働きたくないけど金は必要で働かなくてはいけない。とりあえず年金の徴収に怯えている。
働いている人がみんなこんな苦行に耐えて職を得ているという事態に非常に頭が下がる思いである。
皆さんこれからの新学期、ご自身の体に気を付けて過ごしてください。就活に耐え抜いた新社会人、また社会人の先輩方は本当に立派です。
自分はとりあえず職と金を手に入れるべく頑張りますので、お互いに頑張りましょう。
働きたくねえーーーーーーーー!!!!!!!!!!社会はクソ!!!!!!!!!!
以上、書き散らし終わり!
追記:まじ皆優しくて泣いてる、地元の友達かって並みに優しい言葉をありがとう。アドバイスとかもまじで心救われました、感謝。
都会の人はエスカレーターと同様、左側に寄って、右側は急ぐ人用に空けてある
今日その動く歩道に乗っていたら、右側にずっと立っている人がいた
足が不自由なのか杖を手に持っていた
だんだんとその人の後ろに人が溜まっていって、明らかにボトルネックになっていた
左によればいいのになぁと思いながらもあと1mもないので静観していたら、降りる時にスピードが落ち、
後ろにつかえていた人たちで雪崩が起きそうになった
その時、その場にいた人がさっとその先頭のつかえていた人の手を取って支えてあげて
転倒は免れた
その人は「大丈夫ですか?」と声をかけ、しばらく付き添ってあげていた
後ろに並んでいた人も早くどけよと言った感じで言葉に出さないまでもプレッシャーを与えていた
何をそんなに急いでいるんだろう
優しい人間になりたい
同期にハラスメントしちゃったのかもしれない。少し前に転職し日常的に英語を使う環境で働いてる。私に一週間遅れててあるバイリンガルがチームに加わった。海外で10年以上暮らし、現地大学を卒業した即戦力という噂だったので、かなりの期待と敬意を持って彼に接していた。願わくは、私に振られていた山積みのマニュアル翻訳のタスクを分散したい、という腹積もりもあった。
私はiBT100を越えない程度の英語話者で、純ジャパにしてはぼちぼち、バイリンガルには一生敵わないというレベル感である。同期は当然、私なんかよりずっとすげえんだろうな、と下から目線で接していた訳だ。
研修がある程度、進んだ段階で例の同期がかなり苦しそうにしていた。心配になり声をかけた。
大丈夫ですか?
きっと大丈夫ですよ。慣れ親しみのないジャンルですもんね。業務の中で繰り返し使っていけば身に付きますよ。
─「そういうものですかね」
それにドキュメントが英文なので○○さんには言語的アドバンテージがあるからきっと習熟早いですよ。
─「そういうの、プレッシャーなんです。私、英語をちゃんと勉強してきた訳ではなくて。アドバンテージなんてないんです」
あっ...... いや、ごめん。
よくよく聞いてみると日本人学校に通っていた期間も長く、今は英語よりも日本語の方が得意とのことだった。セミリンガルという概念がある事も初めて知った。後の祭りだが、勝手に期待してプレッシャーかけてすまんかった。
同期にハラスメントしちゃったのかもしれない。少し前に転職し日常的に英語を使う環境で働いてる。私に一週間遅れててあるバイリンガルがチームに加わった。海外で10年以上暮らし、現地大学を卒業した即戦力という噂だったので、かなりの期待と敬意を持って彼に接していた。願わくは、私に振られていた山積みのマニュアル翻訳のタスクを分散したい、という腹積もりもあった。
私はiBT100を越えない程度の英語話者で、純ジャパにしてはぼちぼち、バイリンガルには一生敵わないというレベル感である。同期は当然、私なんかよりずっとすげえんだろうな、と下から目線で接していた訳だ。
研修がある程度、進んだ段階で例の同期がかなり苦しそうにしていた。心配になり声をかけた。
大丈夫ですか?
きっと大丈夫ですよ。慣れ親しみのないジャンルですもんね。業務の中で繰り返し使っていけば身に付きますよ。
─「そういうものですかね」
それにドキュメントが英文なので○○さんには言語的アドバンテージがあるからきっと習熟早いですよ。
─「そういうの、プレッシャーなんです。私、英語をちゃんと勉強してきた訳ではなくて。アドバンテージなんてないんです」
あっ...... いや、ごめん。
よくよく聞いてみると日本人学校に通っていた期間も長く、今は英語よりも日本語の方が得意とのことだった。後の祭りだが、勝手に期待してプレッシャーかけてすまんかった。
高校の定員の総和と高校入学希望者数はほぼ同じなので全体的に見れば入試を行う必要性はゼロなのです。
またこれから高校生の数は減少していくので高校の定員は余っていくでしょう。
また高校入試は中学生の子ども達に大きなプレッシャーを与えています。
内申書に悪いことを書かれないよう中学生は教師の目を常に気にして学校生活を送っています。
中学生3年生になると毎日何時間も受験勉強をさせられることになります。
これは間違いなく高校入試のせいです。
塾の月謝は中学生の子供を抱える家庭の大きな負担となっています。
YouTubeでたまたま見つけたとある不登校関連の動画見た感想を書こうと思う
その動画には前の学校で不登校になって不登校の子が通う学校に転校した中学生の女の子とその子の親が登場する
自分の知らない人のことについてあれこれ言うのは本当は良くないことだが思ったことについて色々書こうと思う
その親は高校は普通の学校に行ってほしいというように普通という言葉を何度も言っている
その女の子の小学生のころの卒業文集には中学生になったら勉強を頑張りたいというようなことが書いてある
中学校には定期試験があったり高校受験の内申があったりするのか親に試験でいい成績をとりなさいと言われ続けたり成績が悪いと怒られてしまったりしてしんどくなってしまった気がする
そんな状況が続くと同級生に劣等感を感じてしまったり試験でいい成績をとらないといけないという気持ちで潰れてしまうに決まっている
小学生の頃は学校に行けてたし転校先の中学校で友達ができた様だしアイドル好きらしいし本当は他の同級生と同じように学校に行きたいという気持ちがある明るい子なんだと思う
何年も前に投稿された動画だから今はその女の子は成人してるはずだ
自分らしく生きれる道を見つけて元気にしてたらいいなと思う
もうすぐで社会人5年目が経とうとしている。
1年目は最悪の部署につき、パワハラのオンパレードで毎日泣いてたがなんか乗り切れた
2年目は異動になり前の部署よりいい感じだったが人の顔色見て仕事してた
3年目は人がいなさ過ぎて残業オンパレードだがこの時が1番平和
4年目は
・頼れる人がいなくなり同期と後輩だけで
全員若く、女性ばかりの職場なのでお局がイキるわお局同士でバトるわ互いの愚痴と同期と後輩の愚痴を聞かされる
・人がいないから出勤出来ないか色んな人に聞いて回るが申し訳ない気持ちや頼みすぎと言われそうで(と言うか思われてると思う)怖いのがある
・同期の家庭環境や身体や後輩が心配で体調不良で休めないしどうしたら職員全員残業しなくていいか考えるのに必死になってる自分
・1年目にいた部署が全く人がおらず部内応援に駆り出される、ミスしたら終わるプレッシャーともち暖房効いてないので極寒。足の怪我が治ってないので立ってるのも痛いが我慢
4年目やばくね?マジで今年なんなんだろうな
将来の不安なのか分からないがモヤモヤが全く取れない。職場のこと考えたり行くだけで気持ち悪くなったり苦しくなったりする。
今月に入って体調不良が続いてる、以下の通り
・お腹の不調
・吐き気
・息苦しさ
・体のだるさ
・勝手に涙が出てくる
でもこのままの人生でいいのかってのも思っている。
しかしここ数年漫画、アニメ、小説を読んでも心から楽しんでないと思う
自分には夢があるし夢のために仕事をしてお金を貯めている(自覚がないかもしれない)
叶えるために行動は一応しているがめちゃくちゃ焦っている、歳だけ取っていくし本当に叶うのか怖い、無駄に1年を過ごしたとも思っている。
今の世の中夢で生きていけるのだろうか
しんどい、叶えたいのに、夢で生きていたいのに
何から何まで自分でやれよと思っているし今年に入ってから手伝いが出来なくなってきてる、家にいても何もできない。はぁ
今日もどこも人がいないので部内応援と残業をしたが終わりがけに涙が出てきてトイレで泣き喚いても止まらず
Aは特に慌てずゆっくりとした口調で「どした?」と聞いてくれたしうんうんと相槌もしてくれたしAの悩みも話してくれた。
マジこう言う時焦って聞いてくるやついるけどマジでやめてほしい、もっと不安になるから
話してたら上司に大丈夫か?と聞かれてビビった。お前いたんだって思ったけど大丈夫です〜って軽く流しておいた。
電話切った後に帰ったら一緒に散歩するか?って言われたけど断った。
極寒の中にいたし今日は寒過ぎたので断ってしまった、ごめんな。でも嬉しかったぜ。
また一緒に散歩して話し合いたい、多分また泣くと思う。
一時あ、縁か切れたなこれ。と思った時はあったが今でも話したり会ったりしてくれるのでこんな自分と仲良くしてくれてありがとう。死ぬまで一緒にいたいよ(重過ぎ)
あと次、会った時はハグさせてくれ人肌が寂しいんだ。