はてなキーワード: ジェンダーとは
男らしさとかジェンダーの問題でなく、年取って外で仕事がしんどくなってきたから、自分は引っ込んで仕事は妻にさせようてのが問題なのでは…
しかも、子どもが小さい時はいくら配偶者も負担してても家事育児は大変なもの。その大変な時期は妻にさせて、子どもが大きくなったからしんどい仕事は妻、育児がなくなり家事だけ自分、てのはさすがに都合が良すぎると思う。
若い頃はかなりジェンダーレスであることを意識してて、髪を短く刈ったりメンズっぽい服を着たり体を鍛えてみたりもしてたけど、どうしても「女の子扱い」されることってあるんだよね
昔、知人男性に「女の子扱いされたくない」と言ったところ、「でも女の子じゃん。甘いもの好きだし、髪長いし」と返されたことがある
髪が長かったり甘いものが好き=女の子なら、棚橋弘至(プロレスラー)もスイーツ真壁(プロレスラー)も女の子ということになるが…
女らしさから降りたと思われようとしたら、明治時代のバンカラみたいになるしかないのかな
身だしなみは整えず、酒、女、ギャンブルに溺れて、甘いものや可愛いものには一切興味を示さず…
というか、「女らしさから降りる」=「男より男らしくなる」ってことではないと思う 女性っぽい(と言われる)ものをすべて拒否する必要はない
一話だけ読んでみたけど、エルフがイケメンじゃなければ初対面で「もっとお近づきになりたい」と言った時点でセクハラだし、ドワーフも「男のプライドを傷つけていないか」みたいなジェンダーに囚われた決めつけをしていて、相手を尊重している風の偏見説教漫画だな〜って感じだった。
そんなにまでして(生物学的な性以外の)「性別」という概念を残そうとするのは何故ですか?
無数にあるなら「ない」と同じでよくないですか?
LGBTQの運動を見ていて、結局何かに帰属したいのではないか(個性の尊重と言いながら個で独り立つ強さを感じない)と感じる時があります。そもそもLGBとTQは別個議論されるべきこと(性志向と性自認)のはずですが、「連帯」のために雑に一緒くたにされているわけで。
ジェンダーという意味での「性別(らしさ)」はなくなるべき、それが今のLGBTQ運動の根本でしょう。無数の性別なんてものは存在し得ないですし。
「降りなければいけない」というフェーズだと思うけど?
○性らしさというものが存在する以上、ジェンダーロールが生まれてしまうので、
たとえ個人の思想の中にも「○性らしさ」という概念はあってはならないのだ。
○性らしさという概念の消滅が完了するとともに、ジェンダーという言葉は無意味化し、生物学的な性(セックス)だけが残る。
まず、読んでもらうために煽りタイトルにしたことを謝っておきます。その上で、データを恣意的に解釈してジェンダー対立を煽るのはやめませんか?
『正社員や高スキル業種を選択する比率の差によって男女の賃金格差がある』ことと『中核的業種で男女の賃金格差が存在する』ことは普通に両立するし、普通にどちらも賃金格差の要因と言われてますよね。前者は性別職域分離と言われていて、先進国における男女賃金格差の要因として問題視されているし検索すると普通に以下のような論文が出てきます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/36/1/36_65/_pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ksr/11/0/11_KJ00008138062/_article/-char/ja/
性別職域分離による賃金格差自体が女性のスキルに対する不当評価(女性が得意なケアスキルをもっと高く評価すべき)という論はあり得るにしても、直接的に関係のない中核的業務の賃金格差を持ち出して性別職域分離の問題そのものが吹っ飛ぶという主張はかなり無理筋なんじゃないですかね。
あとこのすり替えめちゃくちゃ不誠実だと思います。職域分離の問題があることを指摘すると、なぜ『職域分離"だけ"が全ての原因である』と主張していることになるんでしょうか。意味がわかりません。
まず、中核的業務における賃金格差の要因TOP3は役職、勤続年数、労働時間(下記P9参照)なんですよね。
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000970984.pdf
元増田の主張はその違いが男女間の社内教育の格差によって生まれているってことですよね。確かに以下の調査結果を参照すると男女間で教育格差はあり男性社員に多く教育の機会を与えている企業が16.2%存在します。一方で『男女同様』、『女性の方が多い』、『実施していない』と回答した企業が合計75%で圧倒的多数派なので教育格差が賃金格差の主要因という推論はかなり乱暴だと思います。
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000057do-img/2r985200000059h4.pdf
ここからは私の推測ですが、中核的業務の賃金格差は日本の育休制度が"優れている"が故の影響は大きいと思っています。日本の女性育休取得率は85%と高水準であり、取得期間も6ヶ月以上が95%、ボリュームゾーンは10ヶ月~(31.1%)、12ヶ月~(27.6%)と長期の育児休業を取得することがスタンダードになっています。一般的には育児休業を取得すればそれだけ昇給・昇格が遅れるため、子供を二人、三人と産むことで同期入社に比べて2年、3年分の給与格差が発生することは想像に難くありません。なお念のため断っておきますが、これ"だけ"とは言っていません。女性が男性に比べてキャリアを継続しづらい理由は様々あると思いますが、中でも育児休業は取得する人も多く影響が大きいのではないかと考えています。
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000851662.pdf
この問題を解決するためには『米国のように産休復帰直後から子供を預けて働く』や『育児休業取得中も昇給・昇格出来る人事制度とする』等があると思いますが、昨今の少子化を考慮すると前者はあまりにもハードルが高いですし、後者も公平性の観点から理解を得るのはかなり難しいと思っています。
これは一面的かつ拙速な結論で、『男女のどちらを救うか』よりも差し迫った問題として『女性を救ったコストをどこに転嫁するのか』という問題があります。元増田が主張するように男女間では賃金の格差がありその差を埋めることは必要なことではありますが、そのコストは税金や社会保険、あるいは職場内の業務負荷として社会全体で担っています。女性当人やパートナーが利益を享受できる既婚男性は負担したコスト以上のメリットがありますが、受益者ではない弱者男性から不満が出るのはある意味で当然だと思います。ましてや結婚を望んでも出来ない人たちに対して、『お前らの不満は高望みなのだから黙って増税を受け入れて育休取得者と同じ給与で働け』といっても納得はできないのではないでしょうか。
また「一人で生活できない、生きていけないことが弱者だと思う」と前提をおいて男性は賃金等で恵まれているのだから弱者ではないと言いたいようですが、男性の自殺率が高いことと整合が取れていないように思えます。彼らの多くが『結婚を高望み』して叶わなかったがゆえに自死を選んだのであればその理屈も成り立つのかもしれませんが、普通に考えれば彼らには文字通り生きていない事情があり、救われるべきなのに取りこぼされてしまった人達なのではないかと考えます。
ネット上の議論では得てして対立煽りになりがちですが、実際にはどちらが重要なのかではなくどのように落とし所を見つけて全体を最適化するかだと思います。例えば高スキル人材になれなかった弱者男性に対して女性の多いケアワークへの道を示すことはケアワークの人材不足解消や労働環境の解消など女性労働者のメリットにも繋がりますし、また男性が多く参画することで不当評価が見直される可能性もあると思います。また結婚を『高望み』と切り捨てて弱者男性にコストの負担を強いるのではなく、出産や育児、介護などのキャリアを中断せざるを得ない事情が社会運営に必須で社会全体として負担していくべきことであることについて理解を広げ、ある程度納得してコストを負担できる、また望めば受益者側に回りやすくなれるような制度設計を目指すといったように、対立を煽る議論ではなく落とし所を探っていくのが”大人”のやるべきことではないでしょうか。
※ネットにおける…と前置きしたのは何年も前からすでにデータや研究で結果が出ているものに対しても特に調べず、思い込みや、データを自分の都合の良いように解釈して議論遊びをしていることを揶揄しています
大学教員の友人、知人と何度か似た話題で話したことがあるのですが、残念ながら先行研究やデータを調査してある程度適切に解釈するには修士論文程度は書いていないと難しいと思います(もちろん、個人の資質にもよります)。日本の修士進学率は22歳人口比で5.5%程度なので若い世代でも20人に一人、人口100万人に対する修士号所持者は588人らしいので皆がデータを調べてそれなりに解釈して議論をするのは難しいでしょうね。
これは俺も前から「具体的に何をどうすればいいの?」って気になってた。
ブコメで日傘の件が言われてるけど、俺が日傘を差さないのは「通勤は自転車で、屋内ワークだから仕事で日傘を差す機会がない」「多少の日焼けはしていた方が格好良い」「建物と建物の間の短時間の移動でいちいち傘出すのめんど」という理由がメイン。「男が日傘を差すなんて恥ずかしい……」という理由は特にない。え? みんな恥ずかしいから必要でも日傘差してなかったの? そんなにアホだらけなの?
その「日焼けは格好良い」という価値観が「男らしさ」なんだ、ということかもしれないけど、俺が何をかっこいいと思うかについて他人から降りろと言われる筋合いはどこにもないしなぁ……好きで化粧してる女の人に向かって「女らしさから降りていいんだよ」って言ってるみたいなグロテスクさがある。もちろん化粧の強制は滅ぶべきだけど、好きで化粧する分には自由だし、他人からどうこう言われる筋合いないでしょ。それと同じだよ。
あとは、最近話題になったのだと「転勤」とか? あったよね、転勤を命じられた女性が次々に辞めるっていう増田(anond:20230807134943)。俺は正社員でい続けたいから転勤を呑むけど、それは男女関係ないよな。正社員の身分保障の手厚さを知ってしまうと、たかだか東京から離れたくない程度のことで正社員の地位を失うなんて考えられない、って思っちゃうけど、これも別に男らしさどうこうの話ではないし(もちろん「非正規の身分保障も正社員並に手厚くするよう要求する」という手法もあり、それを期待して共産党とかに入れてたんだけど、昨今の萌え絵叩きでまあ無理になりましたよね。お前の票なんか要らないよって堂々と言われてまだ入れ続けられるほどマゾヒストじゃないので……)。
過度な競争心をなくせ? いやいや、ぼーっとしてたら男女問わず優秀な奴らがどんどん業績を上げてポスト獲っていくのを見たら焦りもしますわ。後輩が素晴らしい業績上げてきたときの感情とかもうグチャグチャですよ。競争しないと生き残れない業界なので、競争せざるを得ないっす。これも男女関係ないけど、最近は採用で女性が優遇されるようになってるから(しかもお役所公認というね。アホかよ。性差別やめろ)、男の俺は女より多くの業績を上げないといけないわけで。「アファーマティヴ・アクションの一環として、業績が同等なら女の方を優先して雇う」と言われてる世界なんだから、男に生まれた以上は女以上に頑張らないといけない、というインセンティヴが生まれるよな。あたりまえ体操。
趣味は既に男らしくないしね。少年誌的なバトル漫画よりも可愛い女の子が出てきてワチャワチャする漫画を好む、というのは普通に「男らしさ」からは外れるし、キャラクターの掛け合いの妄想をネットに書き込んだりするのも男らしくないしなぁ(某掲示板では、キャラクターの掛け合いを妄想してネタにすることを「お人形遊び」と表現していたけど、すごい的確だと思う。オタクがキャラの会話を妄想するのはお人形遊びだよ)。むしろ女の人の方が熱心に少年漫画読んでる説ないですか? 知り合いの女性が『バクマン』にハマったかと思えば、別の女の人が『ハイキュー!』にハマっていて、俺より少年漫画読んでるじゃんw と思ったもん(ガルパン劇場版に通い詰めながら。要するに少年少女はプリキュアやライダーみたいな同性に憧れるけど、ヘテロセクシュアルの大人は魅力的な異性がいっぱい出てくるコンテンツを好む、ってことなんだろうね)。
パフェやケーキとか笑う。毎週どっかの喫茶店で甘いもん食ってるわ(そして毎回写真も撮ってる。はいふりカメラで)。スーパーで甘いもんよく買うわ。美味しいよねスイーツ。久しぶりに帰省したら親から「明らかにお前の横幅がデカくなっている。健康に悪いから改めろ」と言われたけど、それは男女関係ないし……。で、俺は甘いものが好きだから甘いもの食べてるけど、特に甘いもの好きじゃない、とか、喫茶店で食うくらいならスーパーで買うわ、っていう男も大勢いるわけで、彼らにわざわざ喫茶店でパフェやケーキを食べろというのもおかしな話だし……え? ひょっとして世間の女の人って「『男らしさ』の呪縛に囚われてスイーツも食えない男の人かわいそう……」って思ってるの? アホか。食わん奴は好きじゃないかカネがないか身体的な事情があるだけだよ(糖尿病予備軍とか、アスリートで体脂肪率を厳密に管理してるとかね)。
女子供を守るとか? そもそも彼女いないし、童貞だし、警察官や自衛官でもないから、必然的に守るべき女子供とかいないし……。まあそりゃ他人を助けることくらいはあるけど、これも別に男女関係ないよね。災害とか通り魔とかに遭ったら、友人やら家族やらはもちろんなるべく見捨てないようにしたいけど、他人を見捨てて我先にと逃げるのはまあ男女関係なく当然というか。避難するときの「おかし」は「おいてけ、かまうな、しかたない」の略だって義務教育で教わるよな?
モテを求めるのが男らしさとか意味わからんわ。異性愛者なんだから異性からの愛情が欲しいと思うのは当然だろ。オスもメスもあるかよ。こないだ喫茶店でケーキ食って茶飲みながら読書してたら「あー早く彼氏作りたーい」とか話してる若い女がいたぞ。一部の男女論に熱中してるジェンダーオタク以外はそういう温度感なんだよ。男に男らしさから降りろどうこう言うならまずは「早く彼氏作りたい」とか言ってるそのへんの若い女捕まえて「女らしさから降りろ」って説教してこいよ……って思ったんだけど、ラディカルなフェミニストの人たちは割とやってるなそれ。うん、男女平等でよろしい。
見た目に気を使う? 知らんわ……髪型やファッションは全部「自分にとって快適か」で決めてる。毎日シャワー浴びるのも自分がそれで快適だからだし、登山用Tシャツで職場に行くのも快適さを追求してのことです(服装規定が緩い職場でよかった)。ファッションに興味を示さないのは男らしさの証だから降りろ、とか言われてもマジでどうでもいいから困る。服装選びとか最短で済ませたいんだわ。モンベルとユニクロで全部揃うのに何軒も店回りたくねーよ。興味ないことを延々とやらされるのは普通に苦痛だよ。電車や恐竜に興味を示さないのは女らしさの証だからもっと女らしさから降りてお人形よりも電車や恐竜に興味を持て、って男が言ってまわったら狂人扱いで終わりだと思うんだけど、なんで似たようなことを女が言うのは咎められないんだろうな。
(もちろん本気でモテたいと思うなら服装の改善は当然だろうけど、大抵の服がダサい男の言うモテたいは初詣で世界平和をお願いするようなもんだから)
ともかく、抽象論で言われてもわけわかんないんで、もっと具体的で、かつ、俺がQOLを上げられるような指針をくれませんかね、って思う。「男らしさ」から降りて、それで俺のQOLが下がるならそれにはなんの意味もないんだわ。日傘とかスイーツとかそういう的外れなやつじゃなくてさ。興味ない分野に興味を持てという圧力かけるのでもなくてさ。
例えば男として生まれて女になりたいトランスジェンダーを考える。この人の中での女というものは髪を長くしスカートを履きすね毛を剃り落とし化粧をするというものである。おっぱいがある必要があるしちんこは切り落とさなければならない。頭の中で女のイメージをとても強く持っていなければそもそもトランスジェンダーになろうとしない。男はこうである女はこうであるという思い込みが人並み以上に激しくなければそもそも自分のジェンダーを否定したり別のジェンダーなるものに近付こうとはしない。トランスジェンダーほどジェンダーに囚われている人達はいない。
女性(=フェミニストであるわたし)と同じ精神を持った存在となることだ。
旧態依然としたフェミニズム理論において、「男らしさ」「女らしさ」というのは全てジェンダー、つまり、文化の強制によって押し付けられたものである。男性と女性は本来同質のはずであり、異質な部分があるとすればそれは伝統的なキリスト教家父長制文化によるものなのだ。それがなければ「彼」は「私」と同じになるはずなのである。
そういう文化は、男性間のコミュニティによって継承されている、ことになっている。
女性に性欲を抱くこと、勇敢さを美徳だと考えること、進んで危険に挑んだりリスクを冒したりすること、お花よりも武器や車が好きなこと。体を鍛えたりすること。なにより、それらを男性と男性のコミュニティで相互に褒め合ったりしないこと。
要するに、なんか洋ドラの酒場にたむろってる不良男たちみたいな、道行く女にヒューッとか声かけるコミュニティを、撲滅したいとか言っている。フェミニストの脳内では、全ての男はどんな陰キャだろうとああいうコミュニティの影響を受けている。そのせいで、暴力性が抜けきらない、「悪しき男性性」を脱してないというわけ。
ま、ちょっと突っついたら明らかに間違いだと、わかる理論だけどね。生まれつきの男女差はあります。ジェンダーだけで説明はできません。
適当で有名な社会学も、いまはもう流石にこんなことは言わない。本来は。でもツイフェミは昔のままの理論を使っちゃうんだな。
フェミニズムの悪いところだ。
有害な男性性に背を向ける、というのはそういうことじゃない。全然違う。
自分を「男性」とカテゴライズして、自分の思う「男性性」から得られる特権を当たり前のものとして享受することを止めようということだ。さらに言えば、目の前の人を「男性」や「女性」とカテゴライズするという発想から、まず自由になろうということだよ。
だから、
「暴力でいろいろ解決する発想から放たれる」はまあ、いい。有害な男性性の典型だからな。ただし、専守防衛を旨とし自衛のための最低限の戦力を保持することは、国際法の観点からこれを違法とまではされないらしいから(※)、自衛のための最低限の戦力は保持して、殴りかかってきた相手を怯ませるくらいの力の行使は許されるとして、あとは逃げるための脚力くらいは鍛えておけ。暴力的なこの社会で暴力から身を守るには、いろいろと努力が必要だ。
「性的に消費」は、内容によるけど、表現の自由の範囲内のことなら自分が疚しくない範囲で好きにしたらいい。ただその場合も、対象が「女性だから」興奮する、とか考えてはいけない。興奮する対象であるかないかだけが重要で、対象が男性か女性かなど些末なことにこだわっていはいけない。それはフェミニズムではない。Ok?(※※)
「女性にモテたいという願い」は、いけない。とりわけ「女性に」というところがよくない。冷静に考えてほしいが、あなたは生物学的・社会的に女性であればどんな人にでもモテたいのか。生まれつきそう願っていたのか。あなただって、小学生のころは「●●ちゃんに好かれたい」とか、あるいは中学校くらいでは「アイドルの〇〇ちゃんサイコー」とか、そういう対象を個人に絞った願望をもっていたのではないか。それが「相手を人として扱う」ことの第一歩だったのだ。その基本を踏み外してはいけない。いつからか、現実の対象に絶望したあなたは「女性」という仮想のカテゴリー全般に仮託して自分の願望を語るようになってしまった。それはよろしくない。従って、「女性」というカテゴライズを行った上で、これに「モテよう」という目標は、差別的で醜悪なものとなってしまう。だが、目の前にいる「誰か」に好かれたいと願って努力することは、極めて真っ当であり、なんならその姿は美しい。たとえば尊敬する先輩の期待に応えようとしている後輩、偉人の言葉に突き動かされて地球の裏側までボランティアのために邁進する人、そんな人の姿は誰もが応援したくなるはずだ。
「女性を女性として扱う以前に、人間扱い」という心構えも、よくない。「女性を」と始まっている時点でもういけない。あなたが心がけるべきなのは、相手を「男性/女性」とカテゴライズしてしまうその発想自体だし、何なら自分自身のことも「男性/女性」とカテゴライズするのをやめたらいい。それは、「中性的に振舞え」ということではなく、あなたの自認が何であろうが、それを、あなたが何かをし何かを考え装い行動する際の足かせにしない、と考えるということだ。あなたの行動が、結果として、この社会で一般的とされる男性的な行動であるとしても女性的とされる行動であるとしても、そんなことはどうでもいいことだ。そして。あなたが自由であるように、他の人も自由である、そう考えるということだ。
「目の前のあなたは女性であるが、私はあなたを女性ではなくて人間と考えますよ」とか、そういうややこしい操作を頭の中でするのは止めてくれ。そんなことを考えているうちはあなたは全く自由ではない。それよりも、ただ「目の前のあなた」それ自体を、一人の人として見つめよう。その結果、その「目の前のあなた」がたとえば最高だと思ったら、ただ「あなた最高ですね」と言えばいい。「ねーちゃん、おっぱい大きいな」とか「エロい」とか「美人だね」とか「好きです」とか、そういうジェンダーロール的に学習したようなセリフを吐くのは一端止めよう。「男」として振舞うのは、止めよう。そういうことだ。
どうだろう。少しは理解いただけただろうか。
(1) このエントリはマジか、ネタか。あなたはどちらだと感じたか。
※念のために言っておくが、この一文はジョークだ。「個人の生き方には国際法の常識は適用されないのでは…」みたいなクソレスがつく前に言っておくけど、そんなことは100%分かった上でジョークを言ってるんだからな?
第一に、既に女性は社会的に「弱者」としてカテゴライズされているので、あらためて「弱者女性」という言葉は必要ない。それに対して男性は「強者」とカテゴライズされているから「弱者男性」という概念が意外性をもって受け止められる。
第二に、男性は「女性と子供を養うための稼ぐ能力がある」ことが普通に期待されている。女性は非正規雇用で非婚でもあっても「一つの生き方」として承認されるし、非婚女性を揶揄することはジェンダー差別という規範も確立されつつある。それに対して、男性は非正規雇用で非婚である場合は文字通り「落ちこぼれのダメ人間」と見做され、多様な生き方の一つとして承認されているとは言えない。
第三に、これが一番重要な点だが、男性が「童貞で金もない」というのは、依然として「笑える」だけの余裕があり、自虐としての「弱者男性」が成立しやすい。他方で、女性の「男性経験がなく金もない」は、想像される状況が深刻で全く笑えないので、「弱者女性」という自虐が成立しにくい。事実、独身中高年女性の貧困率は極めて高い。「バキ童ちゃんねる」の女性版が全く見当たらない、ということがそのことを象徴している。
https://twitter.com/shihohomachi/status/1693036622063997388
なんで乳袋とかスカート股間張り付き絵には「ただの絵じゃん!」みてーなことばっかり言うのにセクシーな格好してるだけの女性に「性を売ってる」みたいな拡大解釈するんだろな。現実の女に対する憎悪すごない?
「ゲイ男性の持つミソジニー」のように、「フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー男性の持つミソジニー」というものについても、シスヘテロ対人性愛者男性の持つミソジニーとは異なる独自の構造と課題について語る必要性というのは間違いなくあるんだけど、そんなセンシティブな議論をセクシュアルマイノリティに対する差別にならないよう丁寧にやれる程には社会が醸成していないことを嘆くしかないんじゃないかな。
ぶっちゃけると人種やジェンダーが絡む課題は「他人事」になってしまう確率が高いんですよね。例えば元記事に挙げた本『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』の中で夫がモラハラしてしまう理由の一つに男性社会特有の「競争に勝って出世すること、負けてはいけない」ってプレッシャーから妻に対しても精神的暴力ふるってしまうって事例があって(実際加害者の夫はDV加害者男性の自助グループでアドバイスもらいながら頑張るストーリー)、私のような女性がそのプレッシャーを完全に理解し対策打つのはかなり難しい部分があると思います。このようにDVとかの福祉問題って問題提起にしろ解決方法にしろ、果たして当事者性を無視して他の属性の人間が勝手に対応していいのか?そこが大変難しく、現実問題としてそれぞれの属性にフィットした対策打つのが解決が早いんですよね。このようなジレンマは問題解決には常について回るものだと私は考えてるので他人事のように見えるとは思います。
仮に「親権のない父親のために活動するぞ!」って女性の私がいきなり言って問題解決できると思います?有効な対策とれると思います?そこがマイノリティの問題解決が時間がかかり難しい原因の一つだと思っています。
男性のDV被害の問題は「解決しなければいけないが、その実践は非常に難しく時間がかかる。人材もいない。過去の女性問題のように」だと思っています。
ちなフェミニズムの世界でも「インターセクショナル」って考え方があって、フェミニズムの目立つ意見って反ポルノみたいな「裕福で高学歴の女性」の意見が目立って、貧困のため生活や学費のため売春で稼ぐアフリカ系女性の声が小さくなってしまう、って問題があるんですよ。
フェミニズムに(も)「インターセクショナル」な視点が必要な理由。【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.5】
「フェミニズムが階級的に恵まれた白人女性たちを中心にして進みがちであること、けれども彼女たちの経験は非白人の女性たちや貧困層の女性たちとは大きく異なるものであること」
あんなにオタクだったのに、最近は色々疲れて漫画アニメを全然見ておらずちいかわしか楽しめていない
もしグッズとか大量に収集するようなガチファンになったらムカつくことがいっぱい出てくるかもしれないが、底辺弱者がゆるく楽しむ分には現状もっともストレスが少ないコンテンツに感じる