はてなキーワード: どですかでんとは
黒澤明は、羅生門の撮影では、鏡を使った本来存在しない強烈な光を役者の顔に当て、緊張感を演出した。
用心棒では、望遠レンズの撮影のために、鬘から煙が出るほどの強いピン照明を当てた。
夢では、川の中の水草を映すために、太陽光の反射を遮るシートを川全体に被せて撮影した。
これらは全て「リアルでは有り得ない光源・照明処理」の話である。
ブコメは、あまりにも「ぼくのかんがえたさいきょうのしょうめいりろん」に溢れていて泣けてくる。
件のイラストについては、白すぎて変だと思うのはよくわかる。
しかし「逆光ながら、キーライトを落として額と鼻頬の立体感を浮かび上がらせる」という当たり前のテクニック自体を否定するのは、あまりに愚かだ。
「そんな光源は存在しない」という意味不明すぎるコメントには爆笑した。馬鹿か?
トリュフォーの映画で、映画に愛をこめて アメリカの夜 という作品がある。
アメリカの夜とは昔の映画技法で、昼間の映像に青などのフィルターをかけ、夜のように見せるという「非常に不自然な」手法のことだ。
つまり「映画とは、撮影とは嘘の塊で、みんなそれをわかった上で愛しているよ」という粋なタイトルだ。
逆に、浅はかで無粋なことを言いたがる人種に限って、ろくに知識もないことへの皮肉でもある。
この映画では、「小型ライトが仕込まれた蝋燭」というアイテムが登場する。
「蝋燭ごときの光源では照明にならないので、無理やり電灯で顔を照らす」ための小道具だ。
素人が考える「自然な照明」がいかにアホらしい妄想か、よくわかるだろう。
上記のように、映画の撮影ですら「不自然な」照明など当たり前なのだ。
彼らは映画を見るたびにあり得ない光源に文句を言っているのだろうか。
(思いつきで知ったかぶりをしているだけだから、無論そんなことができる筈もないのだが)
クリエイティブに関わった経験のある人間なら、ああいう馬鹿なコメントはしないものだ。
批判するにしてもせいぜいが、「やりたい演出はわかるけど、下手だね」という観点からである。
クリエイティブ経験がなくとも最低限の知識さえあれば、「クリエイティブとは不自然の塊である」ことなど常識のはずだ。
その私がWikipediaの記事を編集しようとすると、こんな事が書かれたページに出くわす。
このご使用のユーザー名またはIPアドレスは投稿ブロックの方針に従い、MaximusM4 によって投稿をブロックされています。具体的な理由は次の通りです。
よって編集できない。
「ログインしたら編集出来るのかな?(MaximusM4?どですかでん?誰だ…?)」
そう思った私は、Wikipediaのアカウント作成を試みた。
しかしこんな事が書かれたページに出くわす。
この IP アドレス (106.188.***.***) を含む、IP アドレス範囲 106.188.0.0/16 からのアカウント作成は、MaximusM4 によってブロックされています。
MaximusM4 が示した理由: UQコミュニケーションズ(無線接続・都道府県不明)、利用者:どですかでんまたは模倣者使用帯域
よって作成できない。
「死ね!MaximusM4死ね!無茶苦茶な規制してんじゃねえよ死ね!」
「それとどですかでん!多分お前の巻き添えだろうが!ついでに死ね!」
「最後にWikipedia!こんな方法でしか荒らし避け出来ないテメェ自体が一番死ね!」
そう思った私は、どうでもよくなって諦めた。
ピリピリとした空気の中だった。関西のとある都市に若き家電メーカー営業マンが降り立った。
彼は某社神戸営業所に赴任するなり1ヶ月で1000円の売り上げを記録。「半年でもう伝説やった」と当時を知るものは言う。当時、大学卒の初任給が50円ほどの時代であったから、ものすごい。
彼の武器は1つだけ。新人とは思えない、有無をいわせぬ威圧感だったという。そして顧客に向けその威力を存分に発揮した後、必ず発せられる決めぜりふがあった。そのセリフを聞かされるときには、すでに彼の精神圧迫に巻き込まれているわけだから、言葉自体に力があったわけではない。しかし、関西の営業マンの間では、戦後のある時期までその決めぜりふがまるで護符のように受け継がれてきた。つまり、かの有名な
「どうです家電?」
がそれである。
もちろん、“伝説の営業マン”とは若き日のクロサワであることは言うまでもない。「クロサワが残っとったら、関西の戦後復興は5年早く進んでいたやろうなぁ」そう関西実業界の元老たちが目を細め昔語りをするのも、うなずける話である。