「はえ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: はえとは

2021-09-28

物心ついた時からオタクやってきたので一般感覚というものがわからなかったんだが、

一時期環境がかなり変わったことで数年脱オタクをし、そしてまた戻ってきたら、俺が当時から感じてたオタクに対する同族嫌悪理由自分なりに明らかになってきたのでチラ裏に書き出す。脳内整理。

 人間はえてして自分の加害に鈍く被害には敏感なものだけれど、オタクはそれが顕著。なんにおいてもそう。男オタクも女オタク萌え豚腐女子オタクの種類を問わずそう、また対一般人でも対身内でもオタク同士のコミュニティにおいてもそう。自分の加害の可能性を棚に上げて他者糾弾するのに必死すぎる。誰かに非難されると、非難した側の属性を指して「お前がいうな」論に持ち込む(大概ただの詭弁)。議論解決において重要な”相互の主張を正しく理解して互いの妥協点を探る”という目的は誰も持っておらず、とにかく受けた被害鬱憤を晴らさんと他者を殴ることしか考えてない。醜い。

 何か世の中に対する不満でもなんでもTwitterで呟いていたとして、それに当てはまるフォロワーが「それ自分です、ごめんなさい」とリプしてきたとする、すると「あなた○×からいいんですよ!」と自分の主張を棚に上げて詭弁しかないフォローをする。掌ドリルである。そうじゃないやつも多く見かけるようになってきたけど、コミュニティが狭いと未だに掌ドリルオタクはどこにでもいる。

 自称S人間の痛さみたいなもんだろうか。それに加えて、オタク特有コミュニティ内でのヨシヨシが発生するのが痛気持ち悪いのである。「お前まじ頭おかしいよな!w」「え、なに?!そんなんじゃないが?wちょっとキャラが痛めつけられてるの見るのが好きなだけでw」「それを頭おかしいというw」みたいなノリを大の大人がしている。面白さと紙一重なノリではあるんだが、大抵のオタク別に面白さとかではなく自尊心を満たすためにやっていることなので、普通に怖いし気持ち悪い。

なんか他にもたくさんあるが疲れたし結局俺もオタクなので嫌になってきた。一旦おわる。

2021-09-25

LGBTQ+の権利拡張の風潮がどこまで続くのか怖い

LGBTQ+の権利の拡大が叫ばれている。

そのうち、特にトランスジェンダー権利の拡大が行われるたび、これはどこまで続くのだろうと、少しの恐怖もある。

なぜ怖いのか、書きながら正直な気持ちを整理してみた。

まず、そもそもこの分野の言説では、男女を区分けする意味が雑すぎて、混乱が生じてる部分が多そう。

私の意識では、性自認アイデンティティの部分だと本人が言ってることが正。意識領域から意識が出してる答えが正。

でも例えば、スポーツ男性部門に出るか女性部門に出るかとかの問題だと、このホルモン値だったらとか、体に影響する治療をしてるのかとか、社会としてガイドラインを整備した上で、医師判断するなどがよいのではないか

身体は完全に生物学的にXYなのに、アイデンティティにあわせてXXの競技に出たら、筋肉量が少なかったりなどXXの選手にとってすごく不利になってしまうので、なぜ分けているのかの理由を考えてそれにあわせて対応する必要がある。

それと同時に男性部門女性部門っていう呼び方をやめるとか、トランス当事者苦痛の少ない方法模索していく必要がある。

他にも例えば地震が来て避難所ナプキンを配る数を知りたいから男女どちらですか?って確認してるのに性自認で答えてたら双方困るよね。

不要な人に渡すのは物資もったいないし、逆に性自認男性でも身体生理が来るならその人はナプキン要るでしょ。

からここでもそもそも男性女性という区別質問方法がふさわしくないという話なんだけど。

そう、男性ですか女性ですかという区分けは雑だし、伝統的だからステレオタイプ的でもある。

これまでの男女どちらかの区分けでは対応できないことが社会的に認知されだしていて、2区分だけでは絶対足りない。どっちに押し込んでも潰される人は出る。

私としては、トランス女性女性だし、トランス男性男性だと思う。

その考えに従うと、今後は「女性」や「男性」という言葉の中に、身体的な特徴がXXの人、XYの人、どちらも含まれる。女性にも男性にもバリエーション存在する。

から、雑に男女で分けてればOKだった時代はもう終わったから、より明確に何のためにここでの区別存在しているのか、という目的を改めて考えて、明示する必要があると思う。

それと同時に不必要区別であれば撤廃していけばいいと思う。

個人的に一番気になるのは、自分生活に影響してくる部分であるトイレや浴場での区分けで、安全を重視して考えたときに今後も残る区分だろう。

歴史的男性から女性への加害が多かったことを考えると、ここで一番多数の人の安全を守れる可能性が高い基準というと、身体の持っている特徴がXXかXYか、というところに依らざるを得ないのではないか

私は女性だが、相手性自認に関わらず、ペニスがある人と同じ場所で着替えたりしたくない。

ペニスはえていなければ、相手の自認が「男」でも構わない(というか、気付きようがない)。相手こちらを性的に見ているかどうかも関係ない。伝統的な女性(身体がXXの特徴だった人)の中にもレズビアンバイセクシュアルの人はいたわけだし。

平均的にXXはXYより力が弱く、膣に強引に挿入される形での性被害を受けやすい。

誰かの身体がXXあるいはXYであるとき、本人がその事実に苦しんでいたとしても、それを反対のようにみなすことはできない。意識上の自認が違うということは理解はできる。けれども、現にここに存在している身体ペニスあるいは膣のついた(もちろんどちらにもあてはまらないあるいは両方である人もいるが)身体の、現実の特徴を無視することはできない。

身体性自認は違う。身体無視することはできない。

性自認のみで考えろというのであれば、その要求安全を考えたときに行き過ぎだ。

安全を譲歩することは、できない。

もちろん、トランス当事者ほとんどは性犯罪者ではない。

からトランス当事者が怖いのではない。

ルール変更によって加害を受ける可能性が高くなることが受け入れがたいのだ。

ペニスのついた体の人も「女子更衣室」を使ってOKです、となったときに、性自認しか基準がないと、それがトランス当事者なのか、トランス当事者を装った性犯罪者なのか、他人が容易に判断できない。加害の可能性にさらされ、その上不安を訴えれば自分が「差別者」になるのではないかという葛藤まで負わされる。不当だ。

公共のスペースで判断基準を設けるなら、他人判断できるもの、つまり自認以外のものであるべきだ。

からそもそも男性女性という区分けをやめ、ペニスはえてるかはえてないかとかの事実しかない区分けに変更するとかはしてもいいと思うが、自認が女性から、(これまでの意味での)「女性用スペース」に入っていいとかにはしないでほしい。

誰にとっても苦痛が少ない社会にしたい。

でも、トランス当事者を含め女性にも男性にもバリエーションがあって、そのすべてのバリエーションを同じには扱えない。

自分身体現実の形を受け入れてほしい。

から、どこまで権利拡張が続くのかということが怖い。

トランス当事者権利拡張されるべきだ。例えばトランスジェンダーであることを理由就職差別される、容姿

揶揄されるなどはあってはならない。

でも、次に主張される権利は私の安全を脅かすものではないか?その恐怖が頭をよぎり、手放しで応援できない。

男女の2区分では対応しきれないことは明らかなのだから、これまでの区分で言う男性用/女性用スペースに入る権利拡張していくのではなくて、そもそも男女の区分でなくてもよいのでは、という見直しも含めた形で、苦痛の少ない社会を目指していければいいのに。

2021-09-23

増田は(わい含め)ばかばかりなのだ

たまに頭よい増田やこうちんぎん増田、せんもんか増田が現れるので

はえーと思ってみてしまうのだ

好き嫌いは本当に成長を阻害するのか

僕の好きな食べものはえび(茹でてあるやつ)で、嫌いな食べものカレーカレー味含む)

まっとうに真面目なオカンは僕の好き嫌いをなくそうと、カレーを出すたびにえびをつっこんできた

犬や猫の餌に栄養分(その子が苦手な味?)を小さく刻んで混ぜて食べさせる話があるくらいだし、別にそれくらいって普通だとは思う

だがちょっと待ってほしい

好きなのがカレーで、嫌いなのがえびだったら別にいいと思うのだ。だって最悪えび避ければ食べられるんだし

でも僕が好きなのはえびで、嫌いなのがカレーだ。カレーに突っ込まれえびは最早カレー味のえびしかない。丸洗いしたところでカレー臭は消えない(何度か母の目を盗んでやったことがあるが食材への冒涜なので普通にやめましょう)

えびカレー別々の状態で皿に出されて「カレーひとくち食べるごとにえびが一尾(小さいやつ)食べられます」みたいな約束された方がまだ素直にカレーを食えたと思う

それを、カレーえびをつっこむという最悪の荒業のため大好きなえびの味も失われるしカレーは嫌いだしでいいことが何一つとしてない

そんなわけで嫌いなものに好物をつっこまれたところでカレーに対する憎しみが増すばかりなわけなのだが(この茶色野郎、俺のえびを汚しやがって)母にはそれが分からなかったらしい

僕はカレー以外に嫌いな食べものは無いが、えび以外に好きな食べものもないので、業務センターで買った冷凍ボイルえび毎日ちまちま焼いて刻んだにんにくとしょうゆで頂いているのだ

オカン、好きなものを好きなだけ食べられる大人ってサイコーだぜ

2021-09-22

anond:20210922212103

はえ

結局サラリーしながら副業で小銭稼ぎが一番安定してお金貰えるか…

フリーランスだと結局残業まみれになりそうだし副業するフィジカルを身に着けるしかいか

ホワイト企業に勤められるよう頑張ります

2021-09-21

anond:20210921101440

はえー なるほどなー

本当かどうかはともかくありそうで面白い話だ、ありがとう

2021-09-20

ものすごくいい加減なディズニー映画史

ディズニー映画に埋もれた名作などというもの存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。

以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ制作長編アニメ映画史を概観したい。

メイクマインミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。

1. ディズニー黎明期白雪姫』(1937年からバンビ』(1942年)まで

おすすめ作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ

ディズニー長編アニメ歴史アニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写ピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。

ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代価値観垣間見える。

例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心象徴としてジミニークリケットという名前コオロギが登場する。この「ジミニークリケット」という名前ジーザスクライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。

ピノキオ自体は退屈な作品ではあるものの、歴史時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。

ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。

2. 最初の低迷期 『ラテンアメリカの旅』(1942年からイカボードトード氏』(1947年)まで

おすすめ作品:なし

バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編物語映画はなく、とくにおもしろ作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリ総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。

この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観三位一体となった教育映画制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカ外交安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。

丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。

3. ディズニー復活期 『シンデレラ』(1951年から眠れる森の美女』(1959年)まで

おすすめ作品:『ふしぎの国のアリス』『眠れる森の美女

シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリードタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないもの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出成功する。

眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。

ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。

ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パン未成年淫行炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。

わんわん物語』では都市自由謳歌していた野良犬ペットとして不自由幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。

4. えんぴつ作画期 『101匹わんちゃん』(1961年からくまのプーさん 完全保存版』(1977年)まで

おすすめ作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』

眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフ描線作品構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。

技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。

『おしゃれキャット』は金持ちペット使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニー節操のなさがすごい。

5. 模索時代ビアンカの大冒険』(1977年からオリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)まで

おすすめ作品:『オリビアちゃんの大冒険

この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。

前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワーク作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立メタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴である

『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。

シャーロック・ホームズ翻案であるオリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児パンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者集中力が乱される。

6. ディズニールネサンスリトル・マーメイド』(1989年からターザン』(1999年)まで

おすすめ作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン

この時期ディズニー批評評価興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニールネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。

しか作品クオリティ過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンス言葉通り、ある種の保守回帰時代に当たる。

おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術テーマ設定ではなく、安定して高品質作品を量産する社内の体制組織づくりの技術にあったのではないか

個別作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。

美女と野獣』でははっきりと他者理解テーマに打ち出し、また女性主人公男性から求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え他者尊重することを覚えた野獣が救われ、他者存在最後まで容認できなかった村のヤンキー破滅する。主人公読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解プリンセス側に一方的負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。

ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカン民族団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。

ターザン』もインディアンゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後白人研究者たちがゴリラ部落に居残ることでギリギリバランスを取っている。ここにはターザンポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。

ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画障害者活躍を描いた点は積極的評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本コンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。

そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術進歩を見て取ることができる。

7. 3Dへの過渡期 『ファンタジア2000』(2000年)からホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)まで

おすすめ作品:『リロ・アンド・スティッチ

みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり2D映画最後の全盛期に当たる。

作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスもの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要作品である

自分欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命スティッチが、貧困家庭ネグレクト問題SFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画からかい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。

残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観アップデート」を図ることになっていく。

アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディア宮崎作品みたいなものアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公オタク青年採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公イケメンマッチョではなく非モテオタク主体となっていく。

白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテ小人たちが「社会的にただしいとされる」物語主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本アニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板キャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。

ブラザーベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20210920162554

2021-09-19

河野太郎ブロック魔な件について

問題視される様になった初期からずっと思ってて、その初期から思ってる事に変化がないので、そのお気持ちを書いておく。

ブロックするのは問題か?

行政公共サービス情報ツイートするのに、市民ブロックする事

そもそも私人アカ? 行政アカ

まとめ

anond:20210919143621

はえーーー

わざわざ丁寧に書いてくれてありがとう、納得したわ

文章上手いなあ

2021-09-18

anond:20210918133948

専門誌はパーソナルな部分は生い立ちと最近日常生活ぐらいなのがせいぜいなのに対して女性向け雑誌はえげつないほど人の好みとかに踏み込んでくるのをサカナクション 山口一郎女性誌でインタビュー受けたときに痛感したので、まあ言い出すことに不思議はない

2021-09-17

anond:20210917214252

逆にマスクはずすときはひげをそる(女もわりとはえるぞ)んだから

パンツぬぐときはちんげまんげも剃るのが一般的になるとか謎風習になるかもなぁ

2021-09-16

はてな自分意見言える増田はえらい

言葉尻取る奴とか関係ない話して勝った気になる奴とかが跋扈してる世界なのに…増田ガチャに失敗したら最悪精神スギスもんだよ…

2021-09-14

anond:20210914201711

はえ

かに男男だったらどっちも気持ちいいけど女女ならどっちかが気持ちよくないもんな

2021-09-13

ゾーニング反対論って、今の日本にはないの?

vtuber中野ブロードウェイ芸術家アツギ……

この最近でもいろいろあったけど、表現規制反対側というかオタクたちの言動みてると、疑問があるんだよな。

フェミがどーたらとかではなくて、内輪の論理として。

オタク、多分、いまだに自分たち表現文化に自信ないだろ。なんかすごく、威張りと卑屈さが奇妙に入り混じってる。しかも頑なに「エロ認定を拒む奴もいる。エロくて何が悪い?って言えないのか。

クラスに一人二人いたタイプが、そりゃ53万人だっけ?も集まってくと、あんなチグハグブームになるよなと思うわ。場当たり式、泥縄式のことしかしないもん。自称軍師様々だわ。

そんで議員先生とかも本気で問題に取り組みたくないが票だけは欲しいから、問題が起きた時だけポーズとって「アニメ漫画日本の宝!」で終わり。「俺たちのアソー」の時と変わってない。

別に「ズリネタ至上主義」が悪いとか言うんじゃないんだよ。むしろ俺がここで書きたいのは、どこまで表現やその規制に向き合ってるかってことなんだよ。だけど、見た感じ、53万パワーとか自民陳情をーとかそういう奴しかいない。深みなんかない、ただ国に認めてもらって都合の悪いことは考えないで波風立たないようにしたいだけなんだろ?

で、それは表現を守ったり育んだりしたことになるんか?

海外活動家ならままいる、そもそも国家介入反対、ゾーニング反対論者がいないかTwitterで調べてみた。その立ち位置があってそこからまず議論が始まるはずだからな。

でも驚いた。ずっと訴えてそうなのはほんの数人だった。艦これおしっこ同人作家非国民を名乗るハーフニッチジャンルっぽいvtuber、それくらい。この人たちは相対的にそれだけで立派だよ。

議論として踏まえておくべき漫画家とかのなかで、これを俎上にしとる人は一人もいなかった。もし知ってたら教えてほしい。

中国とかロシアBL規制ニュースみて「はえー大変だねー、日本自由があって良かったねー」じゃないんだよ。日本不自由なの。それもフェミとかポリコレとか以前に、自分たち運動不自由なの。まずは文化の原点に立ち返れや。なんで表現文化の一員を気取ってる奴が合法ぬるま湯に浸かってんの。戦えや。自民だろうが共産だろうが関係ない、常にモザイク倫理規制も気にしない、自分フリーダム表現しろや。そこからだろ。

2021-09-10

女性ヒゲはえ

結婚相手を紹介しに実家へ寄ったのだが、両親に相手を紹介する際、横目で彼女を見るとヒゲが生えてた

立派なヒゲだ オレはここまですごいのはえたことないっていうくらい 立派なヒゲだった

最近女性ってヒゲはえるの?ってきいたら「うん、はえるよ!」という答え 軽快なノリだ とうていウソついてるとは思えない

パッと正面向くとオレの母親ヒゲはえてる 立派すぎるヒゲだと思ったらトゲに近かった トリケラトプスの鶏冠を顎につけたくらいの武力が見える

最近女性ってヒゲはえるんだなあと感嘆した 最近女性男性化がすすんでいるとつくづく思う

2021-09-09

ワイは文章が書きたいんや

書きたいんやけど、書きたいことがないんや。

例えば、政治とか世間ニュースとか、見れば感想ぐらいはあるやろうけど、わざわざ文章にして主張したいことなんてないんや。みんなそうやん。偉そうに一言言えば気がすむ。それで満足や。

じゃあ、他に何を書けばええか。普通自分のことやな。でも別に凡人がただ生きてるだけで、文章にして伝えなきゃいけないことなんてないやん。日々の愚痴とか聞いてもしょうもないやん。

他には、社会的問題を提起してみるとかか。やーワイには無理やな。興味ないもん。

あとは、笑えるような面白いネタを書くって方向性もあるわな。面白いことはええことよ。でもな、面白いってめっちゃ難しいわな。簡単にできれば芸人も苦労せんやん。

本の感想とかゲームとかアニメとかマンガとか映画とかそんなもんの感想レビューとかならかけそうか。そういうのなら、まあ需要はあるし、文章も書けるわな。モチベ湧くかわからんけど。

関係ないけど、岸本佐知子エッセイってとんでもないやろ。こういうのがワイも書ければええんねんけどな、そんなのは無理やから、憧れるぐらいやな。

2021-09-08

anond:20210908142732

どこぞの不動産屋に管理移管したら

手数料なんぼか抜かれた程度で管理してくれるで

素人設備とか契約管理頑張るよりはええやろ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん