はてなキーワード: 携帯とは
発達障害はスマホがないと落ち着かない状態になりやすい。「過集中」といってスマホに集中しすぎて他に何もできない状態になる場合もある。スマホから少しずつ離れていくことが必要。スマホや携帯などで常に頭を動かしている状態が続くと、頭も休むことができない。携帯から離れる方法を身につけなくては、日常生活に支障が出てしまう可能性があるんだぞ。
お前の事だ。
続・30歳からでも人格は変えられるのかな「行動指針を決めた」
要約しますと、30歳の男が地方から東京への転職話をきっかけに、
キャリアアップは無理のない範囲で試みよう、という行動指針を決定したというものです。
その後の一年と少し、彼女とのお付き合いを優先に考えて行動し、関係性はより深められたと思います。
キャリア面においても、半年ほど前に東京ではなく地元の大企業に転職でき、
転居を伴わずしてキャリアアップの道筋をつけることに一定成功したのではないかと思っています。
最近では結婚の話も出るようになり、彼女からの信頼を獲得できてきたのかな、と嬉しく思っておりましたが、
ぬああああああああああああああああああああああああああああん
なんだよ人が心入れ替えて彼女第一で大事に大事にしてきたつもりなのに!!!
半同棲してるのに俺がたまに出張行ったらすかさず男連れ込んで、ってマジか!!!
それには飽き足らず自分が東京出張の際も麻布のクラブで男漁りですか!!!
男好きすぎるやろ…。女性は30歳付近が一番性欲高まるってほんとだったのか…。
彼女が風呂入ってる時に携帯がやたら振動するから、なんとなくディスプレイ見たら
ロック解除のキーは彼女の誕生日だってなんとなく知ってたからつい出来心で解除して見てしまったら。
めっちゃハメ撮り写真送られて来てたンゴォォォォォォォォォォォォ!!!
そいつ以外にも3人の男と同時並行でメッセージしていた。ちょいちょい逢瀬していたようだ。
ちなみにハメ撮り男のモノはおれの1.5倍はありそうだった。死ね
男とのやりとりを吐きそうになりながら読んでると彼女が風呂から上がってきたので一方的にただ「帰る」とだけ伝えて自分の家に帰った。
一晩明けて少し冷静になり、彼女とはLINEでやりとりをして別れたい旨を告げた。
今日の夜最後にあってお別れの挨拶をして、週末にかけてお互いの家に置いてある荷物を送りあうなどする予定。
愚痴でした。
売り切れて手に入らないなら大ヒットって事にするの?それとも出荷台数?
言っとくけど、売れなさ過ぎて値下げまでした3DSと同じくらいしか売れてないんだよね。
君マリオランは失敗っていうけど1500万ダウンロードしてるんだよ
君のあほな定義でヒットなのか失敗なのかよくわからん手首クルクルな感じをやめてからにしてほしい。
https://pbs.twimg.com/media/DJD7MqVXgAE1F5s.jpg:large
ニンテンドースイッチの品切れが意図的じゃなかったのなら無能でしかないって話
https://anond.hatelabo.jp/20170623105643
そんで出荷が少なくて売り切れている現状をどう思うかだね
人気だと思うのか、品薄商法で煽ってるだけなのか
わたしも忘れ物が多く、大学生になっても、旅行や合宿先まで、母に県や国をまたいで忘れ物を届けに来てもらったり、宅配してもらったりしていました。友人にも何度助けられたかわかりません。
わたしの場合は「忘れ物は絶対にある」として開き直ることで改善が見られました。「あれも持ったかこれも持ったか」確認すると、その確認の過程で一度荷解きしてしまって戻すのを忘れたり、確認したのに現地で無いとパニックになるので、私にはよくなかったです。
「忘れ物を無くすのは無理、どうせ忘れるなら、忘れたらとても困るものにはならないようにしよう」作戦です。確認は家を出るときだけ、最低でも「財布」と「携帯」と「メガネ」があればなんとかなるはず、と確認する項目を減らすだけで随分マシになりました。
小学生のときは忘れ物が多かったのでどうあてはめればいいかわかりませんが、「あれも持ったかこれも持ったか」確認するより、「あれ(一個か二個)だけは持っててね、他は忘れてもママや先生がなんとかできるから」というスタンスはいかがでしょうか。
M君が家に来た。約1ヶ月ぶりの来訪。
シャワーも入らずに、事に及ぶ。
中に出したら彼はそのまま寝てしまった。
うーん。S君のサイズに慣れてしまったので、挿入の瞬間、思わず「え?入ってる?」と聞いてしまいそうになった。
今年の4月から遠距離になってしまったので、久しぶりに会うと、会話も身体もぎこちない。
少し声を聞けただけでも嬉しい。S君に会えるのは来週。早く会いたいな。
彼女にフラれた。
先月21歳になった僕は、誕生日を迎える2日前に「別れよう」といった旨の長文メッセージを受け取った。そして今日、"正式な別離"が相互に了承された。以下は、別れを告げられてから今日までの鬱々とした日々に散々思考し散らかした自己分析を綴る、ただのマスターベーション日記である。
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友人の友人から繋がり、遠距離恋愛での付き合いを始めたのは去年の冬頃だった。社会人一年目の彼女は、ある程度の遊びは経てきたという大人の余裕を匂わせつつ、一方では学生感が抜けきらないのか、社会に翻弄されつつも理想を見つめる、等身大の素朴さを感じさせた。友人宅の飲み会で出会った彼女の、その妖艶な魅力と純真さのバランスが僕にとってドンピシャだったようで、出会って数日で告白をした。最初はネタだと思われてサラリと流されていたのだが、その熱意が本物だと伝わるには一ヶ月もかからなかった。
東京の大学に通う私と、大阪の企業に勤める彼女の間に広がる"距離の問題"を解決するには、ラインや電話を多用することとなった。毎日連絡するなど今までの付き合いでは考えられなかった僕だったが、現実に問題として立ちはだかる"距離"を目前にして、情報で距離を圧縮する手段に頼らざるを得なかった。しかし思ったよりそれは苦ではなく、バイトからの帰路の20分に電話をしたり、帰宅したらゴロゴロしながらラインを打ったりなど、段々と生活の中に溶け込んでいく感覚があった。最初は20分だった電話も、敢えて遠回りして1時間にしたり、朝までラインが続いて翌日死にかけながら学校に行ったり、コミュニケーションを取る時間だけが指標たるべきではないのだが、それは僕らに確実に愛を感じさせていた。
また、直接に会う機会も月に一度は必ず設けていた。どちらかがどちらかの場所へ。次の月は逆方向で。と、よくある遠距離恋愛のパターンである。金のない僕らは夜行バスを使ってお互いの家を行き来した。8時間、眠ることが出来なければ非常に辛い環境の中、互いのことを思ってバスに揺られるのであった。その時間さえ、貴重に思えたのだった。
とある夜、彼女が東京に来た日だった。自宅周辺の飲み屋を何件かハシゴし、ある程度知性が無くなりかけた頃合い、彼女は帰宅早々布団に潜り込んで寝始めた。片道8時間の移動に疲れていたのだろう。僕はなんとなくぼーっと起きていて、眠くなるのを待っていた。少し経つと、突然彼女の携帯が鳴り響いた。男性の名前での着信だった。酔いに任せて、というと自己弁護臭くなってしまうのだが、いいやーと思ってそのまま電話をとってしまったことが、全てを狂わす元凶となったのだと、今になって思う。
「もしもし?」
電話の向こうの男性が声を発した。彼以外にも何人か後ろにいるようで、様々な雑音が聞こえる。
それに対して僕は黙って耳を澄ませていた。
「今から○○と家いっていい?」
僕は黙る。向こうも酔っている。却って冷静になる。
「あれ、なんも聞こえねー。もしもし?」
「男といるんじゃねーの?」
「じゃあなんで出たんだよww」
「…」
彼女の家には頻繁に男が出入りしているのだろうか?
僕は彼女の私生活を全てを知っていると思っていた。何故なら、毎日連絡を取り合っているから。しかし今まで男が出入りしているなんてことは一度も聞かなかったし、疑ってすらいなかった。この時から、彼女に対する猜疑心が少しずつ芽生えるのを、それを認めたくない気持ちと拮抗しつつ、感じ始めていた。
その日のことは彼女には告げなかった。彼女は全て開示しているようで、そうではなかったからだ。心の最終的なパーソナルエリアまで僕が触れることは、ついになかった。そして電話に出たという事実は彼女のその領域を侵すことになると、僕はどこかで気づいていたようなのだ。
しかし猜疑心の侵食は止まらなかった。連絡を取るときはどこか監視的な意味合いを込めた言葉をつかったし、何をしているのか、何処にいるのか、誰といるのかが気になって仕方が無くなった。夜に突然連絡が途絶えると不安になった。そんな日の翌日には、連絡をしなかったことを咎めた。友人と遊んでいるなら遊ぶ前に連絡をしてくれ、と。彼女はごめんと言いつつも、最終的には同意をしなかった。それに対しても、謝るなら直せ。納得できないなら言うな。といった言葉を浴びせ続けた。そんな状況で彼女が怒ることは稀だったが、その時には信頼されていないのが辛いと訴えていた。自由を得るにはまず信頼を勝ち取らなければならないと、私は信じているのだが、その順序の認識が僕らの間では相違していた。しかしこの時点で既に僕が彼女を信頼することは、支配すること以外には不可能だっただろう。
私の未熟は、幾つもあるだろうが特記すべきは、支配することで人間関係をコントロールしようとしたことだ。今までの彼女との付き合いを考えると、支配的な関係を築いてきたように思える。
しかし彼女は違った。彼女にとって、人に支配、被支配は無いのだ。だからこそ無条件に信頼してほしいと訴えていた。そんな彼女の"素朴さ・純真さ"に惹かれたのは、僕自身が支配的でありながらも本当は"非支配"を望んでいるからなのかもしれない。僕の続けてきた俗な人間関係よりも、彼女のような純粋な付き合いを求めていたのかもしれない。
それに気づいた時、涙が止まらなくなってしまった。単純に惜しいという気持ちと、僕のわがままに長く耐えた彼女のことを思ってだ。
しかし僕がそれに気づけたのも、彼女が耐えかねた瞬間の感情の発露によってだった。すでに、手遅れであった。
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男は元カノの成分で出来ている、といった記事が少し前に話題になっていたが、僕にとって彼女は紛れもなく僕の一部になった。滅茶苦茶に傷つけておいて、学びになったというのもおこがましい限りであるが、僕は彼女にフラれて、一つ大人に近づいた。
大した方法ではないし、同じことしてる人もいると思うけど。
携帯電話に迷惑電話がかかってきたら「結構です」と言って切る→「迷惑電話2017」などという名前をつけて連絡先に保存する。
これだけ。
再び同じ番号からかかってきたら「迷惑電話2017」と表示されるので、応答せずに切れば良い。放置でもいい。
もし知らぬ間に見慣れない番号から着信が入っていたら、番号をネットで検索すれば、迷惑電話かどうかはほぼわかるので、それも登録する。
意味のわからない文字列をバンバン考えるくせに、何でパスワードを考えて下さいって言うとそんなに面倒臭がるんだよ。
アドレスのドメインより前の部分を考えればいいだけなのに、「パスワードとか考えるの面倒いからなぁ。」とか言って、数字だけの簡単なパスワードを使い回す人が俺の周りに多い。(以外と若い人もいる)
昔は携帯のアドレスをよくこんなの思いつくよなぁ、って考えさせるようなよく分からんアドレスを作っていたはずなのに、なんでパスワードになると途端に考えられなくなるんだよ!!その訳の分からん厨二病的フレーズやLove〜Loveとかラブラブアピールしているフレーズを息をするかのように思いついていた時のことを思い出せよ、パスワードの時も。
父のスペック:60代、会社経営、ネットには疎い、目が悪い(契約書の文字は一切見えない)
父の主張
********************
数年前にJ:COMの人がテレビの電波が悪く、今後見られなくなるかもしれない。
調査結果はやはり見られなくなるかもしれないから、TVの横に機械が必要だ。
インターネットを使うこともなくなったので、インターネットは解約しようと思っていたが、仕方なく契約。
********************
私はずっとおかしいと思っていたので、TVの横にある機械を外した。バッチリテレビが映った。
父は激怒。
J:COMに問い合わせた。
回答はだいたい次の通り
1、騙すつもりはなく、誤解させただけ
2、契約書を正確に読まない方が悪い
3、契約した当該社員は協力会社のもので、直接の取引がないため実際はどういう風に案内したかわからない
私は、目が悪いということは伝えていたので、契約内容を正確に伝えない方に問題があると思った。
そして、なぜ協力会社の社員に聞き取りをしないかわからなかったし、説明も全く納得できなかった。
説明に来た社員にもし自分の父親が目が悪く、同じようなことをされたらどう思うか?と聞いたら、(私の主観でしかないが)目を潤ませながら個人的なことは答えられないということだった。
電気ガス水道等(ネットや携帯の機種変も含む)の点検や見積もりは取ってもいいが、契約はしたらダメだということを徹底しないとダメだと思った。
特にネットや携帯の契約は非常に複雑なので、安易に契約すると、あとからこのプランは初月無料だから後日外してくれ!といったのに強制加入させられ、解約の仕方がわからないなどの問題も出てくる。
学んだ教訓は、実家の両親の光熱費等の契約は帰省した際には確認すべきだということ。
以上
追記
点検商法という言葉があるのか。本当に情弱を騙すクソのようなビジネスだ。
追記(9月18日14時)
このJCOMの「点検商法」はもっと厳しく罰するべき。あたかも電気ガス等の点検で必須かのように見せて、しつこく連絡してくる。キッパリと断って良い、義務は一切ない。点検を受けなくても映りは変わらない。
これは本当だ。法規制出来ないものか。J:COMは委託業者がやったことだと言い逃れをして、委託業者とは今直接の取引がないからわからないとかおかしい。
id:poupe うちのアパートにも一斉点検の日程調整チラシが入って来るけど、毎回必ずネット勧めてくるから点検の日程調整チラシ無視するようになった。特に問題にもなってない。
ite 引っ越しした際にさも「常識ですから」ってふりして点検しようとしに来たことは憶えてる。日本人の「基本的にはルールに従う」という常識を悪用して望まない契約を結ばせる企業は徹底的に攻撃するべき。ラスボスはNHK
一斉点検で大家から委託を受けているというような言葉で点検に来たことを思い出していた。
大家にキックバックとかしてるのか?と聞いたら一切そのようなことはないと答えていた。
私は騙されない(と思う)が、騙されそうな情弱をカモにするのは許せない。
病気で目が見えなくなったばかりだったので、テレビなくても困っただろうし、契約したこと自体は仕方ないと思っている。
greenstation 一時期JCOMで働いた。JCOMはテレビやネットに疎い層を狙って抱き合わせ契約を行う。営業もコールセンターも契約社員だらけ、ギスギスした職場だった。
リアルだ。
bigburn J:COMの点検商法についてはここに詳しく書いてますね http://www.warorince.com/entry/jcom-inspection-sales
これを見て腹が立って来た。もう一度戦ってきます。
三浦弁護士 id:miurayoshitaka とか弁護士ドットコムとかで、お金を取り戻す方法とか書いてくれないかな。
本当に誠実にやってるとか全て嘘じゃないか。
何が凄いってアルバムの大多数を専用の薄型ケースに移し替えてること!
その為、スペースに対するCDの陳列数が多い。
他所の店舗に置いてなかったCDもここならきっと見つかる。かもしれない。
(ちなみに借りたいCDを扱う店舗を調べたい時はTSUTAYAアプリを使うといいよ)
いやいや、渋谷なんて借りたとしてもまた返しに行くの大変だし……と思ってる人へ。
そこで郵便返却っすわ。
郵便返却というのはTSUTAYAのほとんどの店舗が行っているサービスで、
会計時に利用を伝えることで専用のバッグにしてもらえて、近所の郵便ポストに手紙よろしくバッグを投函するだけで返却できる。
そして通常のアルバムであれば1バッグに6枚くらい入るのだけど、薄型ケースにしてる渋谷だと10枚入っちゃうことも。薄型万歳。
ただし郵便返却は返却日の朝8時までに投函しなければならないので注意。←店舗によっては違うのかも。
あとネットでTSUTAYAの郵便返却について検索すると、期限までに返した返さなかったのトラブルが時々あるっぽい。
なので投函時に携帯で撮影くらいしといた方がいいかもしれない。
それから東京の一等地で営業してるだけあってレンタル料金の設定が高め。
アルバム7泊で通常1枚380円、5枚以上で1枚240円、10枚以上で1枚200円。←変更されてたら失礼。
図書室というのは不良生徒の溜まり場で、よく同じ部活のKが顔を出していた。
掃除の時間、クラスに戻るよう嗜めると唇の前に人差し指を添える。見て見ぬフリをして仕事を続けた。本を期限以内に返却してくれない生徒が多過ぎたのだ。忠告しなくなった私に気を良くしたのか、不良生徒は図書室のベランダに居座るようになった。エアコンの室外機の影に体を縮こめて携帯を扱う。何をしているのかは知らないが追い出すのも可哀想に思えた。
どうせ頭の良くない彼らの将来なんて決まりきっている。いや、そういう事ではなくそこに居場所を見出した彼らにほんの僅か同情心が芽生えてしまった。何故教師の側ではなくそんな所を選ぶのか。不良生徒というのは全く考えが読めない。読めないなりに面白いと感じていた私がいる。彼らは成長して今頃何をしているだろうか。
スマホゲームって最新のゲームを装ってるけど、その根底にあるのはウィザードリィシステムだよなぁ。
ウィザードリィはPCやゲーム機で動いた市販ゲームソフトウェアだが、その前身にあたるゲームは、確か米国の大学の学生二人が、学校で生徒みんなでログインして使う共有コンピュータ(unixだったかな?)で動くものを作った。
特徴的だったのは、二人の学生が作っていたプログラムをニコイチしたこと。
3Dダンジョンの画面上をプレイヤーが探索して歩くピコピコゲーム部分と、特徴的な項目を複数用意したモンスターやキャラクターデータのデータベースの両方が融合したことだった。
この融合により、キャラクターを成長強化したり、毒を喰らって定期的なダメージを喰らうようになったり、敵キャラクターに雑魚からボスまでの段階的な強度をもったバリエーションを持たせたりといった、より詳細なキャラクター設定をゲームの中に持ち込むことが可能になった。
ウィザードリィ以前のゲームといえば、画面上でドットやキャラクターピカピカ光ったりBeepBeepうるせぇピコピコゲームの部分だけのことを言ったが、ウィザードリィ以降はピコピコゲーム部での操作がキャラクターデータベースに変更を加える進化形のことを言うようになる。
でもって、これを現在のスマホゲーに当てはめてみると、まるっきりそのまんまじゃんと思うのよ。
大体スマホゲーって、アクション/パズルパートとキャラクターの強化などのマネジメントパートの二つに分かれてるでしょ。
ウィザードリィ以降スマホゲーム以前までは、プレイヤーから見てアクションゲームパートがすべてに見えるように作られていて、データベース部分は裏方として直接的に見えないようにしてあった。
それが携帯スマホゲーが登場して、逐次課金システムが成功して一般化すると、所有キャラカードデータの一覧表示が必須になった。
金払ってキャラクターカード手に入れてる客に対して 、買ったものをはっきりと見せる一覧表示が絶対的に必要な機能となる。
それ以降キャラクターデータの明確な表示を含めたマネジメント機能が、ゲームの機能のひとつの柱として分離され大型多機能化した。
「障害者が生まれるから禁止」ってのは別に一因でしかなくて、これが全ての禁止に至る理由だという勘違いのせいで、論点が合わないんだよね。
そんなんもっともらしく説得力を高めるための方便の一つにしかすぎないでしょ?(実際に影響があるから、かなり強い言い分だけどね)
たとえば極端な例で、携帯電話の電車内での利用が禁止になったのは「心臓ペースメーカーへの影響があるからだ」みたいな話と一緒でさ、実際はそんなことぶっちゃけどうでもよくて(事故も1件も起きてないし)、それより「車内で携帯で話をしている人が目障りだ」という事を解決したかったってのが本音でしょ?
そこに誰かがもっともらしくペースメーカーとか理由をつけただけ。
たぶん多くの「社会常識」や「道徳」ってその程度のものだし、人間が作る社会ってそういうものなんだよ。
LGBTだって最初はそうだったはずで、それを覆そうと頑張った人がいたからだんだん変わってきたってだけでさ。
出現人数が比較的多いLGBTですら何年も何年もかけてやっと市民権を得てきたわけで、感情レベルでの価値観を変えるってすごい労力がかかるんよね。
まして近親なんてめちゃくちゃハードル高いんじゃない?
初めて匿名ダイアリーを使って自分用メモ。これは推奨する記事じゃないです。
自宅のある駅から少し離れた都市へ行き、マクドのポテト(大好き)を食べながら会員制出会い系サイトの掲示板に内容と場所、何時頃までいるかを書き込み募集をかける。
ガンガンくるメールを見て、条件の良く今から会える人をピックアップし返信、約束を取り付ける。
サイトの掲示板を見る限りたくさんお金をもらって体を売ってる同年代の子もいるみたいだけど、自分は手コキまで。
で、わかりやすい駅やランドマークを拠点に周辺でちんこ握らせてくれる男の人をはしごする。
疲れたら帰る。
相場はよく分からないけどだいたい3〜5千円くらいでやってる。まあ10代で黒髪なんで高校の時の本物の制服を着て行くこともできるから、色つけてくれる人もいる。
車の中や多目的トイレを指定されることもあれば、ラブホでやる人もいる。ホテルは若いおにーさんに多いかも。
「人肌が恋しい」と言ってキスして自分を抱きしめて自分はホテルの映画見てるだけで1万円くれた人もいた。変わった人だなと思った。
コツは自分のキャラをちゃんと決めること。SかMかはもう演技力がダイコンすぎて変えられないと自分は思ってるので、上京したばかりで怖いですう〜とか言ってた田舎っ子なのにちんこ握ったら超ドSとか、黒髪ボブの大人しそうな優等生なのにオラオラ系とか、なんかギャップがあるといいかもしれない。普段の自分とは全く違うキャラだと色々傷つかない。
気をつけてるのは世間話に色々聞かれてもフェイク入れられるように架空のプロフィールを考えておくこと、携帯は身につけとくこと。
自分は大学の専攻が割と特殊な学問なんで「文学部です」とか、世間話程度ならごまかせる程度に知識のあるどこにでもある学部を言っとく。実際、司☻遼太郎が好きすぎて死にそうだった時期があるのでだいたい大丈夫。坂の上の雲とか燃えよ剣とかベタだけど最高だよね!携帯は普通に危ない時使うと思うし、金取られても携帯あれば通報できるから。まだないけど。あってたまるか。
どうでもいい自分の話でなんでプチやってるかっていうと、自分は金遣いが荒い。というか、管理がうまくできない。(どうでもいいがこれはADHDってのもあるかもしれない)
しかも多趣味だから金がガンガンなくなるんだけど、それを賄う為に始めた。接客バイトの給料が入るまでのつなぎに、月数日って感じ
将来どうなるかわかんないけど自分レズでちんことかまっっっっったく興奮しないしおっさんがイく為に乳首いじらせてとかほんと不快すぎて2万くらい吹っかけで断られたら帰るくらいだし、ちんこ握って食って行く気はさらさらないんで大学のうちにやめると思う。お金の管理ができるように訓練してるけど、なかなかうまくいかない。
なんで発達障害の話になったんだろう。以上です。
良い子は真似しないでね。悪い子もできたらやめた方が賢明だよ。
中学生の頃、というか、昔から変わったことと言えば外見だけだと思っていて、それでも、周りには中身も変わったなんて言われたりする。
丸くなっただとか、話しやすくなっただとか…。
けれど、自分はそう思ってなんてなくて、これからどこに進むのかわからない、秋の入口。
夜空を見上げると、夏の星座はとっくに姿を消していて、こうやって季節は巡るのかと実感させられていく。
焦りもありつつ、でもどこか変わることを恐れて、踏み出せないままじたばたと足踏みをしている。
私の季節は、まだ夏の中だ。
夜の秋の風は、確かに私を包んでいく。
少し遠くに聞こえる電車の音は季節が変わっても相変わらずで、少しホッとする。あの電車の向かう先は何となく分かっているけれど、私は分からないふりをしている。
ぼうっと、温かなオレンジ色に変えられたデスクライトに照らされる白い壁は時間を忘れさせる雰囲気を持っている。この時間がこのまま続けば、迷うことも悩むことも落ち込むことも、いつまでも立ち止まっていることさえも、罪悪感に苛まれることなんてないのに。
そんな淡い願いを、携帯や録画機の時計表示が消し去っていく。今日ももうこんな時間で、そろそろ大半の人がまた明日のために眠りにつく時間。そんな時間にも関わらず、毎日毎日寝るわけでもなく、私はネットの海を徘徊していく。
…別に、こんなこと、心の底から楽しいと思ってやっているわけではない。
真夏に比べて涼しくなった外の空気を開けた窓から吸い込みながら、遠くで聞こえるパトカーのサイレンに耳を傾ける。
私がこうやって、なんの生産性もない時間を進めている最中でも、世界では生産的な行動を繰り返す人々で溢れている。この、私がどうしようもない時間を生きている間にも、ああやって仕事をして世界を回す人達がいる。
かつては、私もあちら側の人間だったかのように思う。少なくとも、高校を卒業するまでは勉学とアルバイトの両立でまあまあ忙しく、今より人間らしい生活をしていたように思う。
私は、今でも私自身に少しというか、かなり期待をしている。
もしかしたら、何かのきっかけがあれば、その過去の私よりも輝けるようになるのではないか…とか。
私はあまり好きなものを作れない。何にもハマれない事が多い。ハマったとしてもまあ、1年、2年くらいですぐに投げ出してしまう。だから何かを好きだと思っても、それは一時の感情にすぎないのだと思う。
でも、そんなことを言うと、私の周りの人は決まって言うことがある。
『でも、絵を描いているじゃない』
…絵なんて、ただ物心付いた頃から知らず知らずに描いていた、ただの習慣に過ぎない。別に暇だったら描くし、やれと言われればやるものだ。
働くことや勉強することと、絵を比べたら、絵のほうが百万倍マシだと私は思っている。
まあ確かに、働くことも勉強することも大切だし、それによって自分の視野が広がるなんて、ありきたりだがままあることだ。
だからといってそれを進んでやるのかと言われればまたそれは違う。
第一、私は自分が絵が得意だとか思ってもいないし、こうして文章を頭のなかで組み立てるのも人より長けているかと問われればそれはまた違うと思っている。上には上がいるのが世の中だ。
その世の中で戦おうなんて考えるほど、私は野蛮な人間ではない。競争社会なんて、生きづらくて息が詰まる。まるで、水の中というか、宇宙空間に何も装備せずに放り出された気分だ。宇宙なんて行ったことあるわけないけど。
普段の私が、何をして過ごしているかなんて結構たかが知れていて、午前中に起床することは最近はほぼないに等しい。気づいたらもう夕方に差し掛かる15時っていうパターンが多い。
起床してからPCに向かうか、スマホを覗き込んでいつも通りソーシャルネットの海に飛び込むか、そんなもんだ。
PCを起動させてからは、当たり前のようにここでもネットを開き、アニメを見るか、ある言語を勉強する。それか、絵描きソフトを立ち上げる。そして時々、PCのメモ帳を立ち上げて物語を文字に起こす。
そんなことをしながら過ごしているとあっという間に夜に差し掛かる。
ほとんど外に出ることのない私は、実は夜や夜中、散歩がてら涼しくなった外を歩くことが好きだ。しかし、最近はそんなことをしていない。心配性の人が心配してしまうから。
別に心配されることをウザイだとか、面倒だとかは特に思わない。むしろ母親にそんな感情を向けられたことがないに等しい私はそれが心地よかったりもする。
世界中の人が表面上、幸せに暮らしているように思わせていても、その中には必ず陰があると私は思っている。
道行く、笑いあっている家族や友人同士、夫婦、カップルでさえも、自分の人生全てを相手に伝えることは困難だろうし、自分がこんなことで辛かったことがあるだとか、今こんなことで少し悩んでるんだ、なんて素直に言えるのはきっとごく僅かだから。
陰が強ければ強いほど、光はその分、陰からは眩しく見える。
本当はわかっていることだ。内に篭っているばかりではなく、何らかの形で外に出る勇気を持つことだとか、人と心の底から笑い合うだとか…。
普通はみんな、そんなこととうの昔にやっていて、子供の頃になんの違和感もなくやっていて、私はそれに遅れているだけ。
別に恨んだりはしていない。今は。そりゃ昔は誰に対してかもわからない怒りを持つことは多かったと思う。それでもなかなか表立って何かアクションを起こすこともなかったかのように思う。
世の中には、こんな空っぽの私を素敵だと言ってくれる人もいる。その全てがお世辞だと分かっていながらも、私はちゃんと笑顔でありがとうを伝える。このやり取りに一体どんな生産性があるのだろうとか考えながら。
私は生産性というものにこだわりを持ちすぎているようにも思う。それは多分確信だ。思い過ごしなんかじゃない。
消費するだけの人間はいつか必ず淘汰される。この世から淘汰されることを望みながら、なのにその淘汰を恐れているのが紛れもなく私なのだ。
私は決して頭がいい方でもないし、かといってスポーツ万能ってわけでも、芸術に特化しているわけでもない。
平凡から外れた単なる落ちこぼれだと思っている。こんなことを言っていても、周りはやっぱり、そんなことないよ、と笑う。私はまたそれに、そうかな。ありがとう。と笑う。また、これに意味があるのかと考えながら。
ふと、頭のなかで文章が浮かんでくる瞬間がある。なんとなくスマホのメモ帳に書き留めて、それをどこに発表するでもなく、結局はメモ帳を埋めていくだけのただの文字列と化す。
勿体無い。
そんな言葉が頭の端っこで揺れながら、同じように何にも代わり栄えしない、消費しかしない日々を過ごす。
いっその事、みんな私のことをこの能無しだとか、ゴミだとか、罵ってくれたら楽なんじゃないかとも考える。それでも、実際にそんな場面になったらと思うと、また怖くなってそういった淘汰を恐れる。
結局のところ、私は何になりたいのかわからずに蹲ったまま、また今日を迎える。
何者にもなれない私は、何者かになれている人々を羨むだけなのだ。