はてなキーワード: 児童とは
共産主義がうまくいかないのは、人間の欲を制御できないからだよ。
人間は隣の人より少しだけ良いものを食べたいし、少しだけ良い暮らしをしたいと思っているものだ。
資本主義で隣の人より良い暮らしをしたければ、良いものを作って販売して儲ければ良い。
ビジネスが成功したら大金が手に入り、隣の人より良い暮らしができるだろう。
一方で共産主義で、隣の人より良い暮らししたければ、どうすればいよいか?
それは官僚になることだ。
なぜなら人は食べ物を始め、いろいろなものを毎日消費しないといけないので、共産主義であっても、食料や物資を生産する必要がある。
ただ、資本を否定しているので、物資の生産は国が計画を立てて、それを作ることになる。
となれば、その生産計画を立てて管理する官僚が必ず必要になる。
その官僚になって役所の要職につけばつくほど、より利益を得ることができる。
実際に物を生産するよりね。
そうなったときに、上の階級に上り詰めるために壮大な出世レースが発生することは想像に難くないだろう。
資本主義だと、大企業病が発生して、本業より出世レースが大切になった会社は、当然業績が落ちて、競合との競争に敗れて消えていくことになる。
いつまでたっても社内で出世レースを続ける大企業病を起こして、機能不全に陥った官僚機構が国が潰れるまで居座ることになる。
資本主義下であっても官僚機構は肥大化していくものなのに、共産主義だとそれにより拍車がかかる。
もし、ワークするとしたら、奇跡が起きて人間に欲がなくなったり、食料とかの生活必需品を公園の無料の水ぐらいの価格で提供できるようになって、生産のための巨大な官僚機構がそもそも不要になったときだろう。
民間は資本主義で競争を続けて経済発展と技術開発をしてもろたほうがいい。
人の欲は止められないので、それを原動力に社会を動かしたほうがいい。
一方で国は、競争の結果、一部に偏りすぎた富の再分配に務めて、競争に破れた人を助けて、できれば再度競争のリングに上ってくれるように手助けして、教育を推進して、より競争が発生する状態にしたほうが良い。
これが現時点においての最適解だと思う。
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// 国のこのようなレフリーとか審判とかのような姿を社会主義という人もいるかもしれないが、
// ルール無用なんでもありな自由競争は、児童労働やブラック企業を生み出してしまうので、ルールは必要だ。
// そして競争からあぶれた人がホームレスになるようでも行けないし、
男の強弱というのは「その場のヒエラルキー」で決まるものだから。
女の場合は残念なことにいつでもどこでもだいたい容姿が基準にされてしまうが、ある意味わかりやすい。
一方、男のヒエラルキーというのはある程度共通する基準はあっても、時期や場所によって結構バラバラだ。
あるスポーツがうまい奴も別のスポーツは全然ダメということもあるし、よく言われる芸人やホストやバンドマンなんかも、自分のテリトリーを離れれば別の場ではただの雑魚だったりする。
そして女はその場その場でヒエラルキーが高い男に群がる。
小学校では足の速い児童に、高校大学では体育会系やイケメンに、サークルでは3年の幹部に、就活となればギョーカイの偉そうなおっさんに、婚活では医者や弁護士に、そして新興宗教なら教祖のジジイに。
極端な話「非モテで軟弱なインセル気質のオタクくん」でも、例えばYoutubeみたいに特定の界隈で王様扱いされていれば、やっぱりグルーピーみたいな女がついちゃうわけだ。
男が女を主に容姿で選び容姿でランク付けしてしまうように、女もまた男のヒエラルキーに乗っかり男のヒエラルキーを食っているわけだが、残念ながら女にはその自覚がない。
「弱者って何が弱者なの?」って言ったら、そりゃその場で雑魚扱いされている奴のことで、だから周りの値付けに便乗してお前も一緒になってバカにしてるとそういうわけなんだけど、
オウム信者に地下鉄サリンの責任はあるのか、統一教会信者に霊感商法の責任はあるのか、という疑問。これらは新興宗教だから厳しく見られているけど、一方で伝統宗教は逆に甘く見られすぎじゃないかと思う。
例えば、カトリック司祭が世界中で児童を虐待しまくっている事実がある。日本でも司祭に性的虐待された女性がいる。ここまで世界中で同様の事例が続出しているのは単に司祭個人の資質の問題ではなく、教義や組織そのものに児童虐待を黙認する風土があったとしか思えない。さらにカトリック組織が被害の訴えをもみ消そうとしたり、加害者の司祭を別の場所に赴任させてほとぼりを冷まそうとしていたこともある。この実態を知ってもなおカトリックを信仰している信者は、性的虐待に加担しているのと同じでは?カトリック信者はペドフィリアと見做して良いのではないか?
米カリフォルニア州のギャビン・ニューサム知事は1日、米食品医薬品局(FDA)が正式に承認した場合、州内の学校に通うすべての児童・生徒に新型コロナウイルスのワクチン接種を義務付けると発表した。州レベルでの児童・生徒に対する義務化は全米で初めてとなる。来年1月以降の実施を目指す。
義務化されれば、ワクチン未接種の児童・生徒は医療や宗教上の理由があるケースを除き、校内で授業を受けられなくなり、保護者らの反発も予想される。
オタクって日本と一部の日本コンテンツが浸透している国の中のさらにごく一部のマイノリティなのよ
対してリベラルな思考の人、フェミニストっていうのはどこの世界にも一定数いる
日本ではオタクだらけなのでかなり目立つし、またそれのかなりの数がネトウヨ化しているので、
俺たちがマジョリティだと思い込むんだけど(実際日本ではそうかもしれん)
今の状況は世界的にみるとかなり、とてつもなく異常
女子高生や児童を性的に見てるよ、実際行動にも移すよっていう人間が、普通に闊歩してる
欧米では懲役20年(未成年への犯罪)の性犯罪が無罪になったりする
今のかなりの数の日本のオタクは、異常な洗脳状態(女性はモノとして扱って良い)にあるというのが正しい認識
風俗やアダルトビデオが当たり前に街並みに浸透しているっていうのも珍しい国だからね
いまだ全国的に体育の時、肌着着用を認めていない小学校があるのか確認したい。
2年生時も、同じく。
さすがに3年生にもなれば、着用が認められるだろうと思っていた。
幸い、他の保護者が学校側に肌着の着用許可について要望を出してくれていた。学校側も以前より許可を出している事を回答してくれた。
しかし、実際は違った。
着用してもよいはずはのに、「肌着着用だと汗で身体が冷えるから」の一言。女児達は、叱られる恐怖と従うしかない不安により、仕方なく肌着を脱ぐ。
水泳の授業も男女同室着替えが必須であり、男の目の前で裸体にならなければならない女児達。
インターネットの治安の悪い界隈では、リベラルやフェミニストを自称する皆様すら、気軽にこんなことを言ってしまう
そうすれば風俗で働く女性の苦しみがお前にも理解できるだろう、というわけだ
しかしそちらについてはここでは触れない、重要なポイントは他にある
そこの理由を、そういう人らはもちろん、下手すりゃ当事者の女性すら理解していないのだ
まず女というのは、とにかくその場でヒエラルキーの高い男に群がるという習性がある
小学校では足の速い児童に、高校大学では体育会系やイケメンに、サークルでは3年の幹部に、就活となればギョーカイの偉そうなおっさんに、婚活では医者や弁護士に、そして新興宗教なら教祖のジジイに
これらは男目線では単なる節操のない行動にしか見えないが、全て一貫した動機から生じている
「その場でヒエラルキーの高い男に群がり、そいつに取り入ることで、自分も同じヒエラルキーに上がった気分になる」というわけだ
単に箱の種類とヒエラルキーの基準が違うだけで、やっていることはみんな一緒である
まず客を選べない
そしていくら高級なそれであっても、金のやりとりをすれば、基本それで終わる
女にとっては、やること自体ではなく「ヒエラルキーの低い男とやらされること」「やったのに自分のヒエラルキーが全然上がらないこと」こそがたまらない苦痛であり、そして搾取に他ならないのだ
そりゃメンタルも病むだろう
戦国時代の小姓とかならともかく、現代社会では「自分の性を使って自分のヒエラルキーを上げる」というのが、女相手であれゲイ相手であれ、そもそも単なる夢物語でしかないからだ
どこぞのアナウンサーやなンだわの人みたいな例がないわけではないが、相当のレアケースである
だからゲイ相手に体を売ったとしても、もちろんそれにはそれなりの肉体的精神的苦痛は伴うだろうが、しかし風俗嬢の本当の苦しみとは全くかけ離れている
見下している相手とやることの悔しさ、そして本来なら当然得られてしかるべきだったヒエラルキーの喪失感
どちらも男にとってはハナから無縁であり、ゆえに想像もしづらいのである
そして当の風俗嬢自身すら、それを感覚としてはわかっていても、論理として消化できていないのかもしれない
ハフポストの記事をいくら読んだって、そんなこと理解できるわけがないのだ
ところで、これらを踏まえると、江戸時代の遊郭の「位が上がれば客を選べる」とか「身請け」とかのシステム、あれはもう悪辣なほどによくできているのではないだろうか
マイナー作家であるという自覚はあるが、自分の描いた漫画のコラ画像が若干出回っているくらいの知名度です。
他愛のないコラや面白いコラは楽しく見ていますが、どうしても看過できないコラがある。
セリフを変えただけでこうも違うものになるのかと驚愕したのだけど、児童への性虐待を肯定するような内容にされた。
見る人が見れば一発でコラだと分かる内容ではあるが、「見る人」だけが見るわけでもないのがインターネットだ。
こんな言説が自分の絵付きで出回ることに耐えられないし、まかり間違って自分の作品がそういう作品なんだと一瞬でも誤解されたくない。
そもそもこんな内容を面白がって楽しむような人が、思うだけなら法には触れていないとはいえ、脳内妄想は制限されるものではないとはいえ、自分の漫画の読者であることがしんどい。
やめろと言いたい。削除してほしいし、このコラの作成者は二度と自分の漫画を使わないでほしい。
が、分かっている。不快です、著作権違反です、やめてください、とSNSで発言したとたん大炎上するのだ。
もちろん、表向きは作者である自分を擁護する読者が大半であろうが、外野や表現の自由を標榜する人からは、狭量で無粋でインターネット文化を無視した面倒くさい作者という烙印を押されるのだ。その嵐の中では自分の作品など、それを通じて伝えたい思いなどは、あっという間にどこかに行ってしまうだろう。
まず、自分は「児相・弁護士会ルートでの一時保護専用施設や児童養護施設の受入対象ではなく(あるいは馴染めず)、DVシェルターに親と一緒に入所できる対象でもないが、家庭内で虐待を受け、孤立している子」については、性別を問わず広く受け皿が整備され、より多くの対象者が保護・救済されたらいいなと思っています。
その受け皿のひとつである子どもシェルターは、まいと@虐待どっとネットさんのおっしゃる通り、女性用子どもシェルターが主で(といっても絶対数自体が非常に少ないですが)、男性が入れる子どもシェルター(両性用・男性用)は非常に少ない状況だと思います。
一方で、そうした男性対象者の受け皿としては、歴史的には自立援助ホームが中心的な役割を果たしてきたと思います。主な対象者は20歳未満と子どもシェルターの中心的保護対象とほぼ同じで、都市部にも地方にも多数存在し(子どもシェルターの約10倍)、男性・女性の定員は全国で450人程度でほぼ同数です。http://zenjienkyou.jp/%E8%87%AA%E7%AB%8B%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%80%E8%A6%A7/ (法的には、子どもシェルターも自立援助ホームの一種として公費支給されているそうです)
ご指摘の「カリヨン子どもセンター」では、「カリヨン子どもの家ボーイズ」と男性用自立援助ホームの「とびらの家」が併設されていますが、他の子どもシェルター運営団体では、シェルターは女性のみ受け入れつつ、自立援助ホームでは男性または両性をケアしているところもあります。例えば「ピピオ子どもセンター」は、子どもシェルターは女性用で、自立援助ホームは男性用です。「子どもシェルターモモ」は、子どもシェルターは女性用で、自立援助ホームは男性・女性それぞれの施設があります。
こうした性別によるケア体制の差は、ひとつには「女性より男性のほうが、20歳以下でもそこそこの収入を得て自立できる仕事があった」という歴史的事情もあるのかもしれません。男性は未成年でも「自分で働いて稼いで暮らしていく」というルートに早期から乗せやすいから、(入所中に一定の費用負担がある)自立援助ホームを中心に「孤立や虐待で家庭にいられなくなった子」を救済してきたように思います。一方で女性の場合は、この年齢で自立生活できるだけの収入のある仕事が相対的に少なく(あってもいわゆる夜職が中心)、最初から自費負担しながら自立援助ホームに入るというコースが取りにくいことから、先行する配偶者DVシェルターの枠組を一部援用する形で、自費負担のない「女性用子どもシェルター」という救済枠組が整備されていったように思います。カリヨン運営の方もこのような認識は持たれているようです。
社会福祉法人カリヨン子どもセンター事務局長の石井花梨氏は,「男の子の場合は,いわゆる『ガテン系』(肉体労働)の仕事があるので,特に若いうちは日給で働いても,割と安定的な収入を得られます。しかし女の子は,どうしても飲食系の仕事が多く,特に今はほんとうにアルバイトしかないので,よほど頑張らないと,アパートで独り暮らしするところまで,なかなかいけません。そこで頑張れなくなったときには,性産業に走ってしまう。そのことも含めて私たちは性被害だと思っています」
もうひとつ、これは個人的印象によるところが大ですけど、DV加害者である親側の「子に対する執着」の傾向には子の性別による違いがあり、親の家を出た18〜20歳の子は、男性の場合は親側には子を奪還しようとする意思がより弱く、女性の場合は親側の奪還意思がより強いため、現場では配偶者DVシェルターと同じように保護対象のセキュリティを重視し、運営場所を秘匿して運営される「女性用子どもシェルター」のニーズが強く認識され、提供されるようになったのではないかと思います。
最後に、物理的事情もあると思います。子どもシェルターも自立援助ホームも一軒家を借り上げて定員6人前後で運営するパターンが多いため、団体のキャパシティが小さければ男性は自立援助ホームでケアし、大きければ男性向けもシェルターと自立援助ホームを分けて、入所者のステージと課題の変化に対応したケアを提供しているように感じます。東京拠点でキャパシティも大きいカリヨンは、男性対象者の支援を2ステップに分け、緊急・短期支援段階は「ボーイズ」で、生活構築段階では「とびらの家」でと切り分けているように思いました。
(なお、まいとさんの場合、児相ルートの児童養護施設と自立援助ホームどちらにも入所を検討されたものの、精神的不調がある、精神科への受診歴があるという理由で入所できず、不幸にもこれらの受け皿の両方にアクセスできなかったとのことでした。https://readyfor.jp/projects/gyakutaiN_first これは確かに制度の欠陥であり、改善されるべきだと思います)
こういう事情もあって、「虐待に遭う男児・女児は同数なのだから、子どもシェルターも同数あるべきだ」という一部の論旨には、自分は首肯しかねます。一方で自分が「それと別に男性専用シェルターが必要かと言われると、自分はその当事者ニーズをあまり認知してない」と書いたのは、多くが女性スタッフで運営されている女性用子どもシェルターの対照物として「男性スタッフによって運営され、男性のみが入所することで『セキュアな空間』を提供できるシェルター」が当事者に求められている、という感覚があまりなかったからなのですが、ここについては、振り返ってみると、自分も勝手に「対照的存在としての」という(元の文脈にはない)読み込みをしており、反省しています。「児童福祉法の保護対象から外れた未成年のDV被害」という要素に対して、多くの自立援助ホームの枠組では最重視されていない種類のケアを男性向けにも提供できるなら、それが当事者にとって「よりよい」ことなのは間違いないです。そういう観点にもとづいて既存の男性用自立援助ホームの機能強化・支援強化を図ること、あるいは自立援助ホームとは別に男性が入所可能な子どもシェルターを作ることは、どちらも賛成します。
一方で、男性用子どもシェルターが希少なことで、あたかも家庭で虐待を受けている男性当事者を保護する仕組みが全く存在しないかのような印象を持たれている方々が批判者・擁護者の両方に見受けられるのは、それはそれで実態と乖離しているとも思います(nero氏のまとめだけを読んだら、そう思う方は多い気がしますが)。児相の一時保護所・子どもシェルター・自立援助ホーム・DVシェルターの随伴入所など、相互に補完しあう分散的な児童福祉セーフティネットが現にあることを前提に、どうやってこのセーフティネットを「より漏れや隙間がなく、きめ細やかな仕組み」に整えていけばいいか、という観点で話をしていくのが良いように思いました。
個人的に、その参考になるのが更正保護関連の仕組みだと思っています。保護司制度、更生保護施設、自立準備ホーム(自立援助ホームとは別)など法的根拠を持った救済基盤が整備されていて、就労支援事業者機構という組織を中心に官民連携も密になされており、企業会員の寄付や協力雇用主会員をベースにした生態系を作っています(地方の大手企業の役員などが機構メンバーになって、中小企業相手にこまめに案内・勧誘したりしています)。制度化によって硬直化してる面も感じなくはないですが、こういう、金の出処も確保した官民連携が更正保護以外の分野にも拡大されていったらいいなと思います。
ここまで書いて思ったんですが、もしかしたら、2022年4月からの成年年齢の引き下げによって、「制度の狭間」(民法上の親権下にあるが、児童福祉法の保護対象ではない)となる18〜20歳の救済を中心に構築されてきた子どもシェルターの性格は、今後は大きく変わって行くのかもしれないなと思いました。児童福祉法の定める保護年齢と成年年齢が一致したことで、結果的に制度の隙間が解消され、「個別入所者にコタン弁護士がついて、親権者との調整を図る」という子どもシェルター独特の法的支援要素が不要になるわけです。今後は子どもシェルターは自立援助ホームと再融合していくのかもしれませんし、よりDV被害のケアを焦点化した支援組織になっていくのかもしれません。そのあたりは両方を運営している団体の方々がどう考えているのか知りたいなと思いました。
アスペルガー症候群(以下ASD)の者は定型発達者が繰り出すある種のコミュニケーションに反応できなくてバグることがある。
タイトルはもう大分昔に読んだ発達障害についての本で出てきたエピソードで、詳細は正直忘れたが
宿題を忘れたか出来なかったかしたASD児童が教師に叱られる場面で皮肉でこう言われるのだが
ASDには教師の意図が読めず、しかし教師が本気でそう思っているわけではないということだけはかろうじて分かるため
「自分は宿題をやってきたがそれを犬に食われたわけではないということを説明すべきか否か」考え込んでしまい
まさかそんなことで悩んでいるとは思わない教師に更に叱られる、というやつである。
んで本題は棘のこれ https://togetter.com/li/1779562
いわゆる感動話だが、ASD者である俺、客の立場だったらこのフリに反応できないなあと思ったのでつらつらと書く。
この話の「お客様が来る前娘さんが来て半額払った」というセリフにはASD者が死ぬ要素がこれでもかってくらい詰まっている。
まず第一にASD者は予想外の出来事に弱い。突然会計が半額になった時点でかなり焦る。
次に突然娘の名前が出る点だ。ここは多分定型のこのおっさんも戸惑っているし、ASDは正味関係ない。
ASD者であっても平常時なら、突然娘の名前がバーテンダーから出ても「あれ自分が漏らしてたかな」くらいの
推測は可能だが、定形であっても理解が遅れる処理量はASD者にも同じだけ負担となる。
そして問題のセリフだが、もし俺がこのおっさんだったらと考えると、
まず名前の件から復帰するのにおっさんと同じかそれ以上。そして冗談ではなく
「本当に娘が来て払った」可能性を考慮するのに多分万全のコンディションでも最低0.5秒は使うと思う。
不意打ちで飲酒時でもあることを考慮するとここだけで10秒くらい止まっても不思議ではない。
もちろん孔明が走らせるアレからガチ心霊現象まで大真面目に脳内検証するのである。
体調が良ければどこかで「そんな訳あるか」とぶった切ってプロセスをキルするのだが、この流れだと出来ないかもしれない。
定型発達者には多分理解できないと思うが、「なぜピッタリ半額だけ払った?」あたりで躓く可能性すらある。
(本当に生前来たとして、注文内容を予測してぴったり半額払うことは可能か?とかまで考慮し始めてしまう可能性だが、
この辺はASDというか、俺の数少ないADHDっぽいところなのかもしれない。しらんけど)
で、紆余曲折を経て「実際には娘は来ていない」と結論を出せたとする。
次に来るのは「このサメはなんでそんな事を言いだしたのか」だが、どう考えても俺はこの場の手札で
「今俺は気を使われている」という結論を導くことが出来ない。
俺がこれに気がつけるとすれば、早くて翌日の昼くらいだと思う。
じゃあどう反応するかというと、まず「娘が来たはずがない」と反論を始めてしまう可能性が50% これは空気が壊れる
1/2のガメオベラを乗り越えて反論を飲み込んだとすると、やはり押し黙ってしまうだろう。
心の理論が弱いASD者は、相手の心情を推し量るとき「相手は何を考えてこの行動をしたか」ではなく
「相手がこの言動により自分に望んでいることは何か」と考えがちである。
あとから一人反省会して、いわば見下ろし視点で考えているときなら「この人が何を考えているか」
という問いはすっと立てられるのだが、FPS視点だと相手の視界を想定しようという発想がなかなか出てこないのだ。
そもそもお会計という定型コミュニケーションに突如割り込み処理が入ってストレスが掛かっている状況である。
頭の中は「損害を出さずにこの場を切り抜ける」で一杯だろうし、ほぼ戦闘態勢と言っても過言ではない。
(余談だが「アスペの奴妙に喧嘩腰になることあるよな」なんて印象を持つことがないだろうか。だいたいこれである)
冷静になれば損害どころか割引を提示されているのだが「嘘をつかれた」「相手の狙いが不明」「自分の取るべき行動が不明」
となると、果し合いの最中に急に相手が武器を捨てて隙を晒したような不気味さすら感じる。
なので不用意なアクションは取れない。脳内で相手の意図を推定するプロセスが延々グルッてるのを感じながら
自分が宿題を忘れた理由に突然飼ってもない犬を持ち出してきた教師に対する反応と、おそらくは同じものである。
漫画のおっさんは「崩れ落ちるように泣き出した」とのことだが、これは国語的に読解すると
気遣いを察した→緊張の糸が切れた→抱えていた物が溢れてきた
ってことだと思う。バーテンダーが娘の名前を出したことに泣いた……とかは×になる筈だ。
俺の場合、最初の気遣いを察するでもうだめなわけだが、緊張の糸が切れる、も無理だろう。
前述のように、俺がこの対応をされたらまず第一にめっちゃめちゃに構えるからだ。
だいぶ打ち解けて会話していたとはいえ初対面で不意を突かれたのに緊張を解いていた、というあたりも
おっさんと俺の違いを感じたし、このおっさんすげぇなと謎な感心をしたポイントでもある。
※予防線
足が不自由で車椅子を使う者がいたとして、その人が小説の中で登山の楽しみを語るセリフにまで文句をつけることは適切とは言えない。
風光明媚な土地を称賛する表現物は視覚障害者への敵対ではないし、それを見られない者への配慮は必要ない。
同様に元漫画についてASDへの配慮を欠くと言うような非難をする気はないし、そうした批判は的外れと考える。
またこの文章は発達障害について周知、啓蒙その他を意図したものでもない。
発達障害は個人差が大きく、また俺はASDではあるがADHD傾向は弱いため発達障害全体においても多数派とは言い難い部類に入る。
本稿は「発達障害者はこういうふうに考える」という紹介ではなく、そのように受け取ると誤解を招く可能性が大きい。
(っちゅうか手帳もなければコンサータとかも効かんから通院はしとらんし、厳密に言うと俺DSM4のPDDだからASDですらない可能性があるっつーか、なんというか
はい。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO76055910V20C21A9EA3000/
「立憲民主党は低所得層や中間層の所得税の実質免除などを柱とする次期衆院選向けの経済政策をまとめた。公約として訴える。年収が1千万円程度を下回る世帯について、税法の見直しや現金給付などで免除する。所得再分配の拡大を通じて経済成長を目指す姿勢を打ち出す。」
これを見てどう思う?
立憲民主党によれば年収1000万未満は低所得者に含まれるらしいよ。
児童手当の廃止やホワイトカラーエグゼプションも年収1000万位からだよね。
年収数百万円台の労働者がいくら自分達は低所得者なんかじゃない、ってプライドを持っていても、客観的に見たら所詮こんなものです。
一人の(どこからかの陣営からつけられた蔑称での定義ではなく)広義の「表現の自由戦士」として言うけれど、
実在の児童や少年少女を性的に搾取する表現に対しては明確に否定している。
桶ダンスは擬似的に裸を見せており、特に18歳未満の少年が出演する場合については、少年本人が本心から望んでいようが明確にNGだ。
また、出演者が18歳以上の場合は、権力などによって強要しているケースはNGだが、本心から同意し望んでいるなら、好きにやればいいと思う。
それは別に男性だけでなく、女性に対しても(むしろ女性に対してだからこそ)、昔から同様に思っている。