はてなキーワード: Jrとは
鉄道を通すとその周辺の交通の利便性が上がって不動産価値が上がるってのはわかりやすいと思うんだけど、鉄道会社自身も駅前不動産を持っていて、鉄道敷設の経費を賄おうとするわけね。でもそのためには、みんなが欲しがらないとまずいわけで、鉄道会社から見ればメディアと広告代理店はパートナーなわけだ。
下北沢や吉祥寺など東京の西側、二子玉川なんかも含めて、「若者が住むおしゃれな街」みたいな紹介がメディアによってなされるんだけど、それって自作自演であってあんな場所は昔は農村と雑木林と湿地と谷間だった。下北沢なんて下北沢村だった。そこに堤が電車通してメディアが「お洒落だ!」って煽って大学キャンバスや小劇場やライブハウスがやってきて、立派な財産になったわけだ。
あるいは苗場もそうだ。なんにもないただの山だったところをバブル期にリゾート開発(悪名高きコクド)がやってきてホテルとスキー場を作り、ユーミンに「サーフ天国、スキー天国」とか歌わせて人工的に盛り上げた(結果、実際盛り上がって日本にはスキーブームがやってきたんだから馬鹿にできない)。越後湯沢なんかはJRも大いに潤った例だよね。
メディアって結局は広告を乗っける下請け業務がビジネスの構造なわけだけど、広告費でメディア自身を維持することによって「広報力」というリソースを自社保持することが可能になるわけよね。このリソースを財産に変換するモデルとして、「なんらかの財物を購入しておいて、後付でこの財物の価値を広報で盛り上げる。財物の価値が高まったところで転売するなり、貸し出すなりして金銭を得る」っていうビジネスモデルが発明された。
このモデルの主な戦場が不動産で、鉄道(主に私鉄だが時にはJRも)とメディア(テレビ&新聞)と広告代理店の三位一体が我が世の春を謳歌したのが、バブルという時期だったわけ。そういう意味では西武も堤王国もJR-SkySkyもチューチュートレインも森ビルも全部同じ文脈に属している。
私がドリフェスを知ったのはアニメからだ。そのあと、これが「若手俳優を使ったアイドルコンテンツ」であることを認識した瞬間、「あ、近寄らんとこ」と思った。
私は特撮が好きで、でも俳優そのものは好きにはなれないタイプのオタクだった。漫画も好きだけど、2.5次元舞台、ミュージカル的なものもどうしても好きになれなかった。そしてもうひとつ、私はとあるジャニーズアイドルの、Jrからのファンだった。男アイドルを下積み時代から追っかけていた。
これらの経験が、私にとって「どうしても5次元(2.5次元)アイドルコンテンツであるドリフェスを好きになれない理由」だった。そしては私は、それは好みだからしょうがない、と、ドリフェスを好きになれないことを自分に許した。だから、ドリフェスのファンの仲間入りが出来なくて、すぐにドリフェスから距離を置こうとした。
そんな時に、TwitterでAGFでのドリフェスのツイートがいくつかRTされてきた。どれも楽しそうで、でも私はもうドリフェスから離れる覚悟を決めていたので、他人事のようにそれを眺めていられた。2016年秋、ドリフェスに出会ってたった数週間目のことだった。
その時に流れてきたRTのひとつで、私は石原くんに興味を持った。俳優の活動まで追いかける気はさらさらなかったけれど、それでも、三次元のドリフェスまでなら応援してもいいかな、と思えるくらいには彼はアイドルとして魅力的だった。
二次元と三次元は別物として好きで、俳優(ここでは敢えて俳優と言おう)をキャラとしては見れなかった。TwitterのTLで「三次元みてないファン嫌い」とか「五次元分かってない」とか「三次元を二次元で見れないひと可哀想」って言われる度に自分のことだと感じてしまって、ドリフェスのこと呟くのやめた。確かに私はドリフェスを好きだったのに、そういう目線で、他の人と同じように好きにはなれなくて、他の人と同じ好きではないことを非難されるのが辛くて、結局は逃げた。それでも私は確かにドリフェスが好きだった。人とは違う好きかもしれない。そういうファンは受け入れられない、認められないかもしれない。それでも私はドリフェスが好きで、公式の言う「ドリフェスのファンの皆様」になりたかった。いつか、なれるんじゃないかって希望と夢をもって、円盤買ったり、アプリに課金したり、グッズ買ったりした。1人でライブ行って、1人でコラボカフェ通って、1人でシーパラダイスに行った。(1人で水族館行ったwww)
武道館2days、本当は1人で行く気だった。
仲間にされたくなかった。誰かに、勝手に、私の想いを、キラキラした綺麗事で飾り立てて欲しくなかった。
20日。
私は二次元は主に慎くんのファンで、でも三次元は慎くんに見れないから、たったの一度も慎くんのドリカを飛ばしたことは無かった。でも最後だからと思って、青いパンツに青いアクセサリーつけて、慎くんのドリカを用意した。一番好きなURホーリーナイトと、SRシュガーリーカルーセル。三次元の匂いがしないものを選んだ。
ライブに、慎くんはいたのか、と言われればやっぱり居なかったと思う。溝口くんは溝口くんで、及川慎くんを演じた素晴らしいキャストさんだった。慎くんそのものは、やっぱり私には見えなかった。
三次元が嫌いなわけじゃない。大好きなキャラクターを真剣に演じてくれて感謝しかない。それでも、私はアイドル及川慎のステージを見ることなく終わった。別に後悔はなかった。楽しかった。そして、それでいいと思っていた。
この日のラスト、石原くんは「ドリフェスはまだ終わらない」と言った。言い回しは明確には覚えてないけど、たしかに終わらないと言った。
私は嬉しくなってしまって、その日その足でレターセットを買って、次の夢を書いた。中国版アプリが出るから、次は中国ツアー行きたいです。その次はヨーロッパ、そして全米デビューだ!その時わたしは本気でそう思っていたし、ドリフェスというものがそれから先も続いていくのだと思っていた。そういう意味でその言葉を受け取ってしまった。
翌朝、恥ずかしくなってホテルに手紙を置いたまま九段下の駅へ向かった。その手紙は未来永劫、私の本棚に眠ることになるだろう。
21日、アリーナ。
一日目のような驚きは無かったけど、やっぱり楽しかった。ペンラを振るのも、ドリカを選ぶのも、昨日見た演出も、見なかった演出も、すべて楽しかった。でも、時間が経つにつれて、この次がこの曲で、これがあって、そしたらアンコールがあって、終わる。そういう気持ちが強迫観念のようにのしかかってきて、上手くペンラを振れなくなっていった。それでもアンコールが終わるまで、全力で楽しんだと思う。ファンになりきれなかった残念な私は、その時必死にファンを取り繕っていた。
最後の挨拶、石原くんは、ドリフェスが終わると言った。昨日は終わらない、と言ったのに、今日は終わる、と言った。
そして、ライブは楽しい100%だと言った。わかる。私もそう思う。ライブはいつも楽しい。アプリも楽しかったし、アニメも大好きだ。グッズも沢山買って家に置いてある。楽しかったし、大好きだった。
ドリフェスという作品が、こんなに大きな舞台で気持ちよく終わる。それはすごいことだと思う。でも、それでも、私はその時まだドリフェスのファンになっていなくて、ファンを名乗る自信もなくて、そして同時に私はドリフェスのファンになることが夢で、明日にはドリフェスのファンなれるかもしれないって思っていて、素直にすべてを受け入れて好きだ!って叫べるようになるまでドリフェスに終わってもらうわけにはいかなくて、最後を受け入れられなくて、挨拶の間ずっと唇かんで俯いてた。
昨日、「まだ終わらない」と言った石原くんは、今度は「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言った。
感情的には「無理っしょ!」って感じだった。絶対むり。無理っしょ!
それから直ぐに、一話の奏と純哉くんのシーンを思い出した。
無理っしょ!無理っしょ!言ってた純哉くんが、奏に「無理っしょ」って言われて、「イケるっしょ」って返したあのシーン。無理だった。どうしても無理だった。でも私は、全力で「いけるっしょ!」って叫んでいた。
叫んだあと、ショックで椅子に座った。
言ってしまった、ドリフェスがない明日を「いけるっしょ!」って言ってしまった。まだドリフェスのファンになってないのに。まだ何にも始まってない、まだ何にもなれてない、何も出来てない、なれなかった、辿り着けなかった、ドリフェスは勝ったかもしれないけど、私は負けた。1度も勝てずに負けた。ドリフェスのファンの皆様にも、ライバルにもおじいちゃんおばあちゃんにもなれずに、負けた。無力感でいっぱいだった。
そのあと、2度目のアンコールが起こった。
私はもう言えなかった。「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言ったのに、ここでもう一度ドリフェスを見たいなんて言えなかった。2度目のアンコール、1度も「いけるっしょ!」って言えなかった。何がいけるのか、分かんなかった。7色に変化するドリカ型ペンライトを見つめて、座ってることしか出来なかった。
石原くんが、あの時、いろんな感情渦巻いた武道館のファンを、問答無用で、終わらせた。しかも、ファン自らの手でドリフェスを終わらせるように、させた。
あの時、いけるっしょ!って言えなかった人も、きっといるんだと思う。そういう人は強いなと思う。私は、無理だった。「いけるっしょ!」って言われたら、「いけるっしょ!」って返すファンになりたくて自分を取り繕っていたから、本音を叫べなかった。だから、私はその時、自分の意思で、声で、ドリフェスを終わらせた。ドリフェスを好きになって初めて、自分の感情に嘘をついた。私は自分の感情に反した意思で、本当に、ドリフェスを終わらせてしまった。ファンにもなれず、夢も希望も何もかもあの瞬間に自分で終わらせた。
私みたいに、三次元から二次元を感じ取れない、取りたいとも思わない人っていたと思う。キャラが好きだからこそ、キャストに対してどうしても厳しくなってしまう人も、当然いたと思う。
ドリフェス追っかけている過程で、私はそれがすごくしんどかった。三次元のライブ行ったあと、二次元のキャラクターが「ライブに来てくれてありがとう」と呟くのが、耐えられなかった。私はどう頑張っても二次元のライブに行くことは出来ないことを実感した。他にも色んなことがあった。他の人たちにもあっただろうし、お互い理解できないところで苦しんでいたこともあっただろう。
その声はどんなに隠しても確実にキャストやスタッフに届いてしまっていたと思う。それが嫌で、Twitterでつぶやくことをやめた。不満怨み恨み、そんなものを感じるのも、口に出すのも嫌だった。それでも、確実に、キャスト達は知っていた。
ドリフェスは完璧なコンテンツじゃなかった。人にすすめるのを躊躇うくらい、不完全で不愉快なコンテンツだった。少なくとも、私にとってはそうだった。これを読んでいる人達の中にも、いるかも知れない。凡そ、少なくない人数がドリフェスに複雑な感情を抱いていたことだろう。
ドリフェスに関わった人達すべての心に感情があって、それはドリフェスが嫌い、憎い、というのも含まれてて、それ含めドリフェスだった。
こんな言葉を言わせてしまった、こんな言葉を言わせるまで追いかけなきゃ良かった。不満があるなら離れれば良かった。バレていた。こういうのがあるから、相手に認知されるのは苦手なんだ。
私はただの一度も胸を張ってファンです、と言えたことは無い。終わってしまった今、未来永劫言える機会を失してしまった。しかも、自ら終わらせてしまった。
ドリフェスを好きなフォロワーさんも居たけど、ただの一度も会えなかった。
行ってない、会えない、現場にはいない、と嘘をついた。現場で知り合ったファンの人からTwitterアカウントを聞かれても、一度も教えることは出来なかった。いつきのぬいぐるみを抱えたお姉さん、1月寒空の中上着をロッカーに入れた私を心配してくれた純哉推しのお姉さん、推し被りして慎様の方ですと訳の分からない言い訳をしてしまった溝口くん推しのお姉さん、クロスエコーを模したドレスをお召になられたプリンセス、他にもお話してくれた色んな人。twitterで楽しそうにドリフェスを楽しんでいた皆さん。ごめんなさい、私は仲間にはなれなかった。それでもご一緒させてもらった時間は楽しかったように思う。それも多分、ドリフェスだったのだろう。私は負けた。ドリフェスに負けた。ドリフェスの求めるファンになりきれないまま、終わってしまった。終わらせてしまった。
これからドリフェスにハマる人もいるかもしれない。それだけのコンテンツ力を持ってると、私は思う。アニメ見て、ライブDVD見て、楽しんで欲しい。
それで、武道館のDVDで石原くんが言った「渦巻いてるいろんな感情」には、私みたいな薄暗い、苦しい、醜い感情も含まれていること、ドリフェスはキレイなだけのコンテンツじゃなかったこと、それでも一切の妥協をせずに走り抜いたこと、知って欲しいな、と、少しだけ思った。
消えるべき存在だった私が、自分をファンと名乗ることを許せなかった私が、どうしようもなく、ドリフェスの一部になってしまっていたこと、知って欲しいような、絶対にバレたくないような、複雑な気持ちで今、あの日々の明日にいる。
### 日時
### 場所
### 形状
液体に近いペースト状
### 当時の状況
当日朝は天気予報によると最高気温が20度を切るとのことで、ヒートテックを着用した。
買い物中に歩き回っていたところ体温が上昇、トイレでヒートテックを脱ぐことにした。かなり汗ばんでおり、汗冷えが懸念されたが構わず買い物に戻った。
30分後、買い物を終え電車に乗ったタイミングで腹部に違和感を覚えるが20分程度は我慢できるだろうと思った直後、事件が発生。
ドア付近に立っていたため特に周囲への影響もなく、下着内に収まっている様子だっためそのまま乗車し続けることも考えたが、液状であれば染み出す可能性もあるため電車を降りトイレに駆け込んだ。
予想通り犠牲になったのは下着のみであった。また帰省途中だったため丁度替えの下着を持っており、トイレ内で着替えることで事なきを得た。惜しむらくはウォシュレットがついていないトイレだったため洗浄できなかったことだが、乾拭きだけで十分な量であったため大きな問題にはなっていない。下着はビニール袋に入れてトイレ内のゴミ箱に捨てた。掃除の人、ごめんなさい。
### 再発防止・今後の展望
汗冷えからの腹痛という鉄板パターンに対する意識の低さが原因と言える。また、汗冷えの懸念があるのに気温の低い生鮮食品コーナーにいたのにも一因があるだろう。
また、現在痔の治療中なのだが、治癒していくにつれて排尿・排便まわりのヒヤリハットが増えている気がする。今回のように大事に至ったのは初めてだが、以前より思ったように駐留させておくことが難しくなってきている。30歳とはいえもう老化が始まっているのかもしれない。医師への相談や自分の引き締め能力の認識を改める必要がある。
確かに表参道駅は千代田線・銀座線・半蔵門線が通っているかもしれないけども、
芝地区、高輪地区、港南地区に住む人間はそう簡単に行ける場所ではないんですよ。こちら側はJRと都営地下鉄は通っているけど、東京メトロの路線は神谷町と虎ノ門、新橋くらいで特に三田より南が本当に行き難い。
公共のバスも通ってない。さらに数年前区役所から表参道まで運行する区営バスのルートは廃止されたという。
確かに東京の児童相談所の総数が少ないから、ただここに出来るだけで意味のあることなんだろうけども、肝心の港区民が行きづらいという所がなにか引っかかっている。
ただ区営バス(ちいばす)のルートを追加してくれるだけでこの疑問は払拭されるんだけども、なんかこう、新宿渋谷に近い方に建てるしか本当に無かったのだろうか。
あと、田町がどうこうと出ていたけど、芝浜中学校跡地とか旧芝浦小学校跡地とか、結構広い場所があったと思うんだけどなあ。特に芝浜中学校の方はレンタカー屋と駐車場ですよ。法改正されたのが数年前であったとは言え、安易に売り飛ばしていざ必要になったら変な不動産屋に絡まれているんだからなんかもう本当にしっかりしてくれや。
休日出勤のために早朝のJRに乗ってたんだけど、同じ車両にご老人のグループが3つくらい乗っていた。
車内を見回すと自分を含めた40代以下の人たちは一様に疲れた表情で目を閉じていて、対照的にご老人方は実にいきいきしてる。服装や荷物からするとどのグループも行楽に行く途中のようだ。
これから仕事だし少しでも寝たいんだけど、とにかくご老人方が騒がしい。
特に女性のみのグループはくそでかい声で途切れなくしゃべり続けてる。
だからどうってわけではないんだけど、とにかく下の世代の疲弊しきった様子と、ご老人方の人生を楽しんでいる様子が対照的だった。
高度成長やバブルを体験し、年金ももらえている彼らが本当にうらやましい。
自分や自分の子供がこれから先何十年も彼らを支えていくのだと思うとやりきれない気持ちになる。
自分が老人になる頃はろくに年金などもらえないだろうし、もらえるとしたら若い世代に相当な負担を強いることになる。
もちろん世代間で対立しても何も解決しないしただの嫉妬だとは分かっているのだけど。
まあ愚痴くらい言わせてくれ。
じゃあ仕事してくるわ。
シガニーウィーバーです!
深夜3時頃、
「おにぎり買わなきゃ!おにぎり!おにぎり!」って言いながら突進してきた
面白かったです。
私もボーッとしてたのが悪いんだけど、
深夜走ってたらとにかく眠たいの。
おかげで目が覚めたわ!
猪がものすごい勢いで突進するぐらいの頑張りの意気込みを現す四文字熟語ってあるじゃない、
そんな感じ。
残念ながらお店にはおにぎりなくって残念そうだったけど、
これも運命ね。
と言うわけで、
西葛西から高田馬場までどうやって行けばいいの?って思ったけど、
あと交差点で
手を繋いで引っ張り合って
きゃはははって漫画みたいにぐるぐる回ってるカップルも初めて見たわ。
ものすごく楽しそうだったわよ!
なんだか東京の人は洗練されてるように見えるわ~。
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ここ最近、ポリコレがどうの男女差別がどうのとよく言われているけども、そんなに若い女の子が頷き役で添え物になってるテレビ番組って多いかなあ…と考えてみると、それらの番組はたいてい東京のキー局の番組なのだった。
完全な印象論でしかないけど、関西のローカル番組って「へー!そうなんですか!?」「えっ!?すごーい!!」「おいしそー!!」っていう役は関西ジャニーズJrや若手の(時にはベテランの)芸人さんが担ってるんですよね。
可愛い若いだけの女の子ってさほど需要ないんですよ。可愛い若い女の子が来ると、「えっ普通の感想やな」「はーよろしいなあ可愛い女の子はそんなコメントでギャラもらえて」みたいな反応されることもあったりして、なにかもうひとつ求められる。そもそも美しいモデルさんや女優さんは関西にはいない。
実際、実力を認められた若い女の子や女性アナウンサーは結婚しようが子供を産もうが普通に産休育休をとって戻ってきており、それでレギュラーを去ることも非常に少ない気がする。お天気お姉さんが産休とっているケースもある。そして年をとったからといって退職もしていない。ちなみに「おもろい女の子」の需要が他の地域よりはあるので、女性芸人さんも普通にモテるし結婚してる傾向にある。
関西のテレビ番組って、ひょっとして一番テレビを視てる層である関西のおばちゃんの声がすごくデカいんかなあと思う。そもそも関西テレビ界の女帝として上沼恵美子がいて、すぐ下にハイヒールがいて、やすとも、なるみちゃんがいるわけで。
つまり関西でテレビを視聴する分にはそんなに男女差別を気にする必要ないんですよね。だからポリコレ棒で殴るべきは東京のおっさんだと思うんですよ。
私は、運動嫌いでも動くことになる趣味を探した結果、美術館巡りにたどり着いて、
関西在住の身として京都国立博物館、奈良国立博物館、兵庫県立美術館、国立新美術館、神戸市立美術館、京都市立美術館、天保山ミュージアム、東洋陶磁美術館、堺市ミュシャに、
寺社仏閣の特別拝観などなど手当たり次第に見に行って、結果一日の平均歩数が1万歩を超えることができています。
さて、個人的には昨年、京都国立博物館120周年記念で行われた「特別展覧会 国宝」が、展示替えのたびに拝見させていただいたほどよかったのですが、
その開催と、展示替えに合わせて行われたニコ生が同じようによかったのです。
(多くの博物館、美術館、個人所蔵の品などを集めて行われたためか、視聴期間が会期と同じで、現在期限切れとなっています。)
その道の専門家が、目を輝かせながら担当範囲の魅力を思う存分語ろうとするものの、
時間不足で押され、先輩の圧で揉まれながらねじ込んだ結果大幅に時間が過ぎる、
映像はテレビと比べたら荒いけれど、それは実物を見ればいいわけで、現地で貸し出される音声解説をはるかに超える深い話、
なつやすみ子供科学相談のようにさらっと、今の研究ではそうなっているんですがと言い出したりするのを聴けるすごい番組だったわけです。
そして今年は、「京のかたな」が開催されます。今週末、9月29日からです。
こちらも今までになかった刀に集中した展覧会で、かなりの国宝、重文、作刀が少なく格を定められていないだけの希少で優れたな作品などがたくさん出展されます。
現在は、6月に行われた展示予定の記者発表のニコ生がアーカイブで残っていますが、
この時点でもどの時代のだれの作品がなぜ重要で、どのように技術がつながって、どの博物館から集めたのかが語られていて、
すでにわくわくしながら前売り券を二枚準備しています。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv313659246
【出品刀剣 発表】京都国立博物館 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」記者発表会 生中継
当時はまだ固まっていませんでしたが、現在は公式ホームページに、展示替えの時期を含めて掲載されています。
ここまでは前段、京都博物館の皆様ありがとうございますというPRですので、読み飛ばしてもらって結構です。
解説のようなことも書いていますが、全て素人目線、ただの高卒おっさんの感想を書いているだけですので、
的外れなことが書かれていた場合は突っ込みを頂けるとありがたいです。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv296737289
みんなで巡ろう「ミュシャ」展 【niconico×国立新美術館】
ミュシャさんのお名前が、日本一有名な錬金術師兄弟の弟にも使われているアルフォンスで、それきっかけで私は見に行きました。
アルフォンス・ミュシャで検索してみてください。絶対に見たことがある絵があるはずです。
多くの方に影響を与えていて、初期はポスター、舞台衣装と多くのデザインをされた方で、
北斎漫画が動きを抽象化して書いていたように、草木を抽象化してデザインに取り入れていて、
抽象化がうまかったのは、当時のポスターも浮世絵も複数人により量産される作品だったからかもしれないと思っています。
そして、生涯最後の大作「スラブ叙事詩」が世界初チェコ国外に出ると話題になったのが今回のニコ生の展覧会ですが、
日本が最初に選ばれた理由の1割くらいは、ミュシャ作品の世界一の所蔵数が土居君雄さんが寄贈したミュシャ美術館で、
多くの作品を丁寧に保管されてきたことで文化功労章をもらったことも影響していると思います。
こちらは500円で入館できるので、JR大阪駅からでも、先日何とか復旧した関西国際空港からでも、関空快速で乗り換えなしで約40分、堺市駅に直結ですので、ぜひお立ち寄りを。
(スペースが小さいので、展示内容は時期により異なります。季節ごとくらいのペースで展示替えあり。現在は挿絵中心の展示ですが、白い象の伝説は絶版なのが惜しいほどに美しいんですがkindleで完全収録されているようです。未見)
スラブ叙事詩はヴェレトゥルジュニー宮殿にあるので、プラハ城の聖ヴィート大聖堂のステンドグラスと一緒にチェコに見に行きましょう。写真はこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
https://www.travel.co.jp/guide/article/17165/
http://live.nicovideo.jp/watch/lv296734542
みんなで巡ろう「海北友松」展 【niconico×京都国立博物館】
カッコイイ龍が見たいなら、とにかく見てください。
龍が嫌いな男の子はまずいないと思うのですが、
わざと暗くした部屋で闇夜に浮かぶように見せるなど、
どうすれば一番格好よく見せられるのかを追及した展示で、
たらふくかっこいい龍をたくさん見られます。
最高傑作の一つは建仁寺にあった本坊大方丈障壁画の雲龍図(京博所蔵)ですが、
同じかそれ以上にと学芸員の方が絶賛している「月下渓流図屏風」が日本に帰ってきたのもすごいこと。
アメリカ・ミズーリ州のネルソン・アトキンス美術館所蔵ですので、次に日本でみられるのはいつになるか。
最後の最後の展示がこの図屏風で、思わず立ち止まって10分は呆けていました。
そのあともう一度龍を見に行ったんですが。
雲竜図は大きすぎてなかなか展示できないようですが京博所蔵ですので、他の方の龍との比較など、国内の他の企画展で展示される機会があるかもしれませんし、
迫力は万分の一ですが、高精細複製画像がWebで見られます。実物大の複製でしたら、建仁寺に展示されています。
Canonさんはほかにもいくつかこの事業をされていますので、ぜひ一度ご覧下さい。
https://global.canon/ja/tsuzuri/works/08.html
東京は実物見れてないのが多いのと、力尽きたので以下は気が向いたときに。
タイトルで検索すれば、プレミアムなら今でもご覧いただけますので。500円でも十分元は取れるはず。
東京国立博物館 特別展「名作誕生―つながる日本美術」を巡ろう ...
東京都美術館「プーシキン美術館展――旅するフランス風景画」を巡ろう 【niconico美術特集】
国立西洋美術館「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」を巡ろう 【niconico美術特集】
東京国立近代美術館「生誕150年 横山大観」展を研究員たちが自由奔放に語り尽くす生放送【niconico美術特集】
横山大観 大作「生々流転」日本一長い画巻40.7mノーカット放送 ~東京国立近代美術館「生誕150年 横山大観」展より~【niconico美術特集】
京都国立博物館 「池大雅 天衣無縫の旅の画家」展を巡ろう 【niconico美術特集】
東京国立博物館 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」を巡ろう
葛井寺の秘仏・国宝「千手観音菩薩坐像」と対話する24時間放送 ~ 東京国立博物館 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」より~
特別展「深海2017~最深研究でせまる“生命”と“地球”~」を巡ろう~解説生放送
【niconico×大兵馬俑展】みんなで巡ろう大兵馬俑展 解説付き
新発見があったパブロ・ピカソ『海辺の母子像』だけど何か質問ある?【ポーラ美術館】
世界遺産・国立西洋美術館を巡ろう! ~無限成長美術館とル・コルビュジエの夢~
八王子についてネットでいろいろ書かれるといつもモヤモヤする。
田舎でいいじゃん、都会でもいいじゃん、郊外でもいいし、なんでもいい。
他の県の同程度の地域だったらここまで叩く感じで書かれるか?東京の悪口は言っていい...みたいな雰囲気が嫌いだ。
町田とか足立区のことをいちいち悪く言うのも嫌い。住んでる人の気持ち考えろよ。
八王子って言ったって、駅だけで19ある
・JR:八王子駅、西八王子駅、高尾駅、八王子みなみ野駅、片倉駅、北八王子駅、小宮駅
・京王:長沼駅、北野駅、京王八王子駅、京王片倉駅、山田駅、めじろ台駅、狭間駅、京王高尾駅、高尾山口駅
・モノレール:中央大学・明星大学駅、大塚・帝京大学駅、松が谷駅
はぶいたけど、あと登山用のがいくつか...(ちなみにwiki見るまでこんなにあるってことも知らなかった市民です)
八王子駅の近くか、線路のどっち側か...山の方か、新興住宅地か...の差もあるから人の雰囲気も全然違うし、
中学校なんて50個ぐらい?あるから同じ市内出身者と合っても住んでるエリアが違ったら全然話通じないよ。(そんな中学校の名前知らない、どこにあんの?ぐらいのレベル)
出身者でもよくわかってないのに、イメージだけで叩くのやめろ。
こういうこというと八王子の人って八王子好きね、とか言わそうだけど
この三人がメインに居たジャニーズJr.は強そうだった、というか強かった。
同い年の三人。この世代は嵐と関ジャニ∞あたりが含まれる。凌ぎ合いが激しかった世代なので、おのずと個々のアイドル能力芸能能力は高い。
まさか…その中でこの三人が真っ先に去るなんて思いもしなかった。
タッキーがジャニーズJrを引っ張っていたのは、ジャニーズファンには有名な話だ。
彼は十代のころからJr.プロデュース業を一任され人気が出そうなジュニアを選び、曲を与え、組み合わせを作り、真ん中に立っていた。
趣味という名の仕事でMVを撮っていたこともあれば、番組OP映像を作っていたこともある。
そこに寄り添うように居たのが今井翼だ。今井が嵐のメンバーから漏れたときはびっくりした人が多かった。が、人気ゆえだったのかもしれない。
(嵐はピラミッドの頂点というよりも二軍、三軍に居たメンバーを集めたグループだった)
デビュー前の早くからタッキー&翼の二人のセットは見られていた。
今井は特にJr.全体では受動的なキャラで大人しいほうだったが、滝沢の指名で一緒にデビューすることになった。
滝沢は本来ソロデビューする予定だったのだが、指名できるくらいには事務所に一任されていたといえる。
タッキー&翼がデビューしたときに残されたのは渋谷すばるだった。彼は滝沢の次に人気があったのだ。
滝沢渋谷は仲も良かったので、デビュー当初は勘違いした人も居たらしい。
その際不仲説もあったが、誤解だったことを去年テレビで二人で話していた。
渋谷にもソロバンドデビュー話があったようだが、紆余曲折で悪いタイミングも重なり中止になったらしい。
その後、先輩たちの不祥事が続いた関西ジャニーズ復権のために横山村上と共に大阪で活動を始めることになる。これが後の関ジャニ∞になる。
数百人以上のジュニアの中で真ん中に立つことと、デビュー組で真ん中に立つことは、どちらが凄いのだろうか。
大勢の同世代をバックにセンターに立って絵が締まる。そこには誰の文句もない。言わせない。それだけの気迫とオーラがあった。才能だった。
それが故に浮いていたことも事実だ。同世代でさえ彼らのことを話すときは凛とする。彼らの背中にはいつも孤高があった。
まだ驚きが勝っていて言葉が締まらないが、もう一度だけでも彼らがセンターに立つあの世界を見てみたかったと思う。
もう言っても仕方ないのだが。