はてなキーワード: 霊媒師とは
村人陣営
夜の間にプレイヤーの中から1人を指定し、そのプレイヤーがコロナか否かを知ることができる。
・検死官(霊媒師)
昼に処刑されたプレイヤーがコロナか否かを知ることができる。その性質上、死亡時に役職が公開されるルールでは使用されない。
夜の間にプレイヤーの中から1人を指定し、そのプレイヤーに自粛を促すことでコロナの襲撃から守ることができる。ただし、自らを守ることはできない。
通常は2人一組の役職であり、お互いを抗体所持者であると認識できる。つまり自分以外に1人、確実に人間であるプレイヤーを知ることができる。
コロナ陣営の勝利条件は、人間をコロナと同数以下まで減らすことである。
・コロナ
非感染者(人間)に化けた病原体であり、村人を騙して感染させる。夜の間にコロナ以外のプレイヤーの中から1人を指定して襲撃する。コロナが複数いる場合は、お互いをコロナであると認識できる。
コロナの味方をする非感染者(人間)。PCR検査センターや検死官にもコロナではないと判断される。特殊な能力は持たず、嘘をつくことなどによって非感染者陣営を混乱させ、コロナに有利になるように動く役割を持つ。コロナ同士と異なり、コロナと狂人はお互いを把握できない。
ラグビーW杯でも他のスポーツ、試合の実況等でも時折見聞きする
「魂のこもったプレイだった!」「今のは魂こもってた!」みたいな表現が、自分にはどうにも不愉快に感じてしまう。
特に、試合やプレイを「解説する」ように見せている人が、このような表現を多用するのが嫌いだ。
・抽象的、曖昧かつ精神性も含んでるように思われる表現のみで、プレイを論じている点。
客観的に評価できる戦術やスキル、フィジカルのような要素でまずはプレイを解説して欲しい。
メンタル要素を解説するにしても、もっと客観性のある情報を交えて語ることはできないものだろうかと感じる。
・上述の内容と関連するが、プレイヤーの精神的な内面を断定的に語っている点がとても不愉快に感じてしまう。
これはスポーツの実況や解説に限った話ではなく、いろんなニュース記事等でも共通することだけど…
対象になったプレイヤー本人が「今魂込めてるよ!」と吠えたりした場合は別として、
他者の内面の推測に過ぎない事柄を、さも事実であるかのように語るのがとても嫌い。
ラグビーに限らず、普段は見向きもしないようなスポーツに対して、話題になったとたんにいっちょかみするタイプの人が、
でも、見てない人というか、本編見ずに外から見た限りでは「今時単なるホラーか…」と思われてんだろうな…というか自分も見る前はそうだったし…。
しかしまあ、予想外というか予想通りにというか、全然そんなよくある感じの凡百ホラー映画では全くなかったので、今回ここでその真の魅力が伝わるように、興奮冷めやらぬ内に感想を書き殴らせてください。
あと、そのためにここからまあまあガンガン本編のネタバレも盛り込んでいかざるを得ないんですけども、まあネタバレされて面白さが減るという映画でもないと個人的には思いますし、この映画をネタバレなしで見たいと思うような人ならとっくの昔に自分の意志で見に行っているだろうとも思いますし、大体の二の足踏んでるか興味がない人にはがっつりネタバレしないとこの映画の一番興味を持ってもらえるだろう部分が伝えられないと思うので、そこら辺御了承の上で以下から読んでください。
まずなんでしょうねこの映画、ジャンル分けするとしたら単なる「ホラー映画」というよりも「スタイリッシュ&ハードボイルドホラーアクション」です。
でも、スタイリッシュ&ハードボイルドホラーなのはマジです。ガチです。
そうジャンル分けした理由を説明するためにも、とりあえず簡単なあらすじなんかと共にこの映画の面白い部分を紹介していきたいと思います。
でもなー、ぶっちゃけ序盤かなりつまんない…とまでは言わないんですけど、ペース遅くてキツいんですよねこの映画……。
とにかくまあ、ざっくり説明すると、とある新婚かつ二歳の娘を持つごく普通の家庭が不可解な怪異によって崩壊していくのがまず第一部なんですが。
このパートで描かれる「ごく普通の人生」というものの生々しさがもう凄いんです。すっごいキツい。
まず妻夫木聡演じる「今時のSNSによくいる感じの男」が本当にキツい。
極々普通のどこにでもあるような田舎のそこそこいい家に生まれて、ただただ一般的かつ真っ当な人生を歩んできて、そこそこいい会社に入り、そこそこの女とまともな結婚をしてまともに子供も出来てまともな家庭を築くという、本当にこれこそ日本の中央値みたいな人生をまあ恐ろしい程の生々しさで描いてくる。
これは多分人によっては描写の嫌なリアルさとかも含めて相当キツいし退屈だと思います。
実際自分も序盤20分ほどこれを見せられている時はチラッと帰ろうかなという思考が過ぎった程に生々しいつらさがありました。
しかし安心してください。最終的にこの異様な程の怪演っぷりを見せるSNSによくいる男こと妻夫木聡はこの先もうホント無惨に死にますから。
というよりも、こういう家庭が徐々に忍び寄る怪異によって崩壊していく辺りもそれはそれで面白かったりもするんですよ。
まあとにかくそんな感じで、徐々に周囲に不可解な現象が増え、家庭内に不和や異常が発生し始めたことで初めて妻夫木は他人に助けを求めます。
そこで友人に紹介されて出てくるのはやたらアウトローな雰囲気を漂わせるフリーライターの岡田准一と、明らかメンヘラビッチスタイルなキャバ嬢兼霊媒師の小松菜奈。
まずここで結構勘のいい人なら「ん?」となるかと思います。自分も完全に「ん?」となりました。
そして、ここら辺から徐々に映画本編の雰囲気も変わり始めます。
しかし、残念なことにこのかなり惹かれる感じの雰囲気を漂わせるキャバ嬢霊媒師は、見た目と設定に反して完全な雑魚なので怪異を祓いきれずに更に別の助けを求めることとなります。
そして次に出てくるのが片目が潰れ、ホームレス一歩手前みたいな雰囲気を漂わせる元テレビタレント的な霊媒師でもあった柴田理恵。
この人も相当怪演で、というかこの映画出てくる人達全員マジで演技が凄いんですけども、その中でもトップスリーに入るくらいヤバい柴田理恵です。
そんな只者ではない雰囲気を漂わせる柴田理恵とその辺の中華定食屋で対策を話し合おうとするんですが、何とそこにいきなり姿の見えない怪異がやってくる。
そして公衆の面前でいきなり片腕を斬り飛ばされる柴田理恵。こちらの想定以上に相手はヤバいヤツでした。
「マジ!?」といきなりの急展開についていけない我々を尻目に映画は急にアクセルを吹かして猛加速を始めます。
実家である新築マンションに残してきた家族が危ない。家族を守るために妻夫木は家に戻って怪異に立ち向かおうとしますが、アッサリと返り討ち。
結構なレベルの悲惨な殺されっぷりを晒してしまったところで第一部は終了します。
そして映画はここから第二部へ。そこまでの急加速からしばしスローダウンして残された妻夫木の妻子の陰鬱なシングルマザー生活が始まります。
時もあれから一年後へと移っているのですが、事件はまだ解決はしていませんでした。
まあ一部と同じくやたら生々しいシングルマザーの生きづらさ描写を挟みつつも、怪異の影響を未だに気にしている岡田准一とキャバ嬢霊媒師が何とか彼女達を支えようと頑張ります。
頑張りますが、やはり彼らの手に負えるようなレベルではなく、父親の次は娘を狙う怪異にキャバ嬢霊媒師は撃退されて重傷。
そして母親も無惨に殺され、娘は怪異に連れ去られてしまいます。
何も出来なかった岡田准一は何とかキャバ嬢を助け出して第二部終了です。
そして映画は最終部、かつここからが真の本編と言って過言ではない部分へと突入していきます。
一部の妻夫木、二部の母を経て、ここから主人公はアウトローなフリーライターこと岡田准一へと移ってきます。
というか、スタッフロールの順番的にも岡田准一は最初から普通に主人公のはずなのですが、初登場がとにかくスルッと怪しい脇役のような体で入ってくるのでここに至るまで全然主人公だとは思っていませんでした。
そんな、キャバ嬢霊媒師を助け出して病院で付き添う岡田准一の前に、突如キャバ嬢霊媒師の姉を名乗る黒ずくめかつ黒髪ストレートの怪しい女が現れます。
この女こそが! この映画の面白い部分がギュッと凝縮されて塊になったような存在こと超凄腕霊媒師の松たか子なのです!
そしてこの明らかに圧倒的な強者の雰囲気を漂わせまくる松たか子の登場を発端に、映画本編も完全にスタイリッシュ&ハードボイルドホラーへとギアを入れ替えます。
そう、もうこれが言いたいというか、これだけが言いたくて、紹介したくてこれを書いていると言っていいくらいにとにかくもうこの凄腕霊媒師松たか子がメチャクチャカッコいいんですよ!!
それに映画本編もここからずっともう松たか子がカッコいいだけの描写をひたすら繰り返していくんですよ。
もうとにかく例を挙げればキリがない。
まず黒ずくめにコートを着て黒髪ストレートでサングラスをかけ、それを外した左眼には引き攣れたような傷のある、病人のような白い肌の松たか子。この時点でもうキャラデザが120点。
その松たか子が終始抑揚のない喋り方をしつつ、とにかく煙草を吸う、吸う、吸いまくる!
そしてこの松たか子が宇宙一かっこよく病院の食堂でラーメンを啜る!
底知れぬ権力との繋がりを匂わせつつ怪異との対決の準備を進める!
そして病院の待合フロアで松たか子がスマホでKOFをプレイしつつ岡田准一の買ってきた缶ビールをグビグビ飲む!
松たか子の招集で怪異との対決のために日本全国から霊能者が呼び寄せられる!
そんな中でかなりの実力者である雰囲気を纏っていた沖縄の巫女集団ババアいきなり全滅!
相手が相当の強敵であることを認めて身を引き締め、散らばって現場を目指す霊能者達!
かつて片腕を奪われながらも、再び怪異との対決に臨む柴田理恵!
松たか子の指示で原因となったマンションの前にセッティングされる大がかりな神楽殿と祭壇!
科学分析班なども加えて、まるで双亡亭壊すべしのような雰囲気を漂わせながら松たか子率いる霊能者集団と怪異との対決が遂に始まる――!
とまあ、映画本編のあらすじの紹介は一応ここまでとしておきましょう。
勿論この後もあまりにもキレが良すぎる松たか子チョッピングライトや松たか子タックルなど見所を挙げればキリがないのですが、そこら辺は実際に見ることで映画の結末と共に確認していただければと思います。
さて、これらの語り口の熱量の差からもうおわかりいただているかと思いますが、この映画はそんな風にもうとにかくスタリッシュかつハードボイルドな松たか子を堪能する映画なんですよ。
でも、一番の魅力であり見所は何なのかと言われたらやっぱりもう完全に松たか子なんですよ。
もうそれくらい本当にカッコいいんですよこの松たか子。こんなもん、反則ですよ。
こんなんオタクならみんな好きになって当たり前みたいな要素だけで作られてるんですよこの松たか子。
自分がもしオタクな女子中学生だったらこの映画見た明日からもうこの松たか子の真似をして生きるだろうと思ってしまうくらい罪深いほどのスタイリッシュさなんですよ。
あと片腕を失いつつも戦場へ戻ってきた柴田理恵。そしてキャバ嬢霊媒師こと小松菜奈。あと岡田准一。
とにかくそんなバッキバキに立ったメインキャラクター達がただただ素晴らしい。それだけで見て後悔はない程の味がある。
そしてそれを支えるバキッとした画作りみたいなのも凄いんですよねこの映画。
マンションの前に大がかりな工事で築かれるお祓い専用簡易神社とか、カプセルホテルでスタンバる神主達とか。
とにかく色々なシーンが独特のスタイリッシュさを醸しつつキマっている。
そこら辺もかなり刺さる人にはグッサリと刺さるだろうくらいにいい画がたくさんあります。
ストーリーも、同じようにメインのキャラ立ちで惹きつけるものがありつつも若干のギャグっぽさがあった貞伽椰に対して、終始シリアスかつカッチリしてるのでよりメインである霊媒師達のカッコよさみたいなのが際立っていて良かったかなとも思います。
まあ、そんな感じで、とにかく実はキャラ映画なんですよね、『来る』。
どこにでもよくある家族が怪異に巻き込まれて恐怖するような映画ではなくて、しっかりとした魅力的なキャラクターの活躍が面白い映画なんです。
夜も眠れない程のホラーというわけでもなく、基本的に強いヤツらが強い怪異とガチンコで戦う映画なんですよ。
映像的にもビックリ方面のギミックは少なくて、そこら辺苦手な人にも安心かと思いますし。
だから、是非ともこれまでに書いてきたキャラクター達のどれか一人でも、というか殆ど松たか子と柴田理恵のことしか書いてないですが、それが刺さったならば是非とも映画館へ見に行ってください。
そこに惹かれたならば絶対に後悔はしないと思いますので。ええもう、絶対に。
そして、何とか興行的にいい成績を残させて、続編が作れるようにしてください!
いやもう、絶対勿体ないですもんこの松たか子をここで終わらせちゃうの。もっと見ていたいんですよ、このキャラクター達。
是非ともまあ、そんな感じで『来る』をお願いします。
当時はオカルトブーム、新宗教ブーム、終末思想ブームがあったわけでさ。
今から思えば異常だけど、霊能力者がごく普通にテレビ出るわ、超能力者が科学者と討論するわ、夏になったら必ず心霊写真のコーナーがあって、霊媒師が「これは何とかの霊で……」って言ってタレントがまじめにうんうんって頷いてさ。
今から考えたら信じられないほど、「人智には測れない世界がある!」って受容されてたわけよ。
そりゃたいていの人は「そんなわけない」って思ってただろうけど、「ひょっとしたら……?」という空気は色濃くあったよ。
当時オウムを持ち上げてた文化人って、あれは面白半分に取り上げてたんじゃなくて、「科学じゃ認知できない世界があるのかも……」って空気のなかで、大真面目に「修行するぞ!」ってグループが現れて、勢力を拡大してたもんだから、「やべー! ついに来ちゃった?」って思ったんだと思うよ。中沢新一なんかさ。
とにかく当時の時代の空気をなかったものにして「オウムがやばかった」「当時肯定してた奴らは戦犯」みたいに断罪するのはちょっと違うと思うのよ。
というか、オウム的なものに惹かれるのって、多かれ少なかれ大抵の人にあったと思うのよ。
だってオウムは前世少女とかスプーン曲げとか霊視とか、その延長線上にあるもののはずで、それらは国民のほとんどが普通に受容していたものなんだからさ。
ちょっと前に奇天烈という人たちがいた。その人たちは最後の方で意味深な消え方して話題になった、謎の考察が飛び交い、熊本地震を予知してただの、あの二人が闇の真実を知ってしまっただの、色々あった。しかし、チャンネル主は全然無事で、実際は大した事無かった
そして今、何故か同じ様な事がまた起こってしまった、アシタノワダイと鈴木えりかとかいう霊媒師が原因のようだ、この騒動見た自分は
「あれ?人間ってここまで学習能力無かったの?奇天烈の件もう忘れたのかよ……」
って思った。実際釣られてる奴が多すぎてウンザリする、それに加えて奇天烈の件を変に盛り上げたあの水溜りボンドとたっくーTVがいるから更に厄介な事になってる
最早、意味深な動画を上げて、それを消して、最後に暗い動画を上げれば、誰でも都市伝説になれる気がする。
この二つの件に関して言えることは妙に凝った『編集』してんなって思う、動画編集は大体時間がかかるものである、急いでいる、追われてるのならそんな余裕どっから出てくるのだろう。99%のやつはヘイトと色んな権利的な問題で消されただけだろう、しかも奇天烈の件を変なこじつけをして無理矢理繋げてた始末。その上例のお別れ動画には広告がついている模様
他の都市伝説系ユーチューバーも結構便乗してたが、彼らはネタ切れ状態なのか?
地震やらイルミナティやらはもう聞き飽きたよ、預言するなら人類によって絶滅したはずの動物の発見!ぐらいポジティブことやってほしいものだ
にじさん人狼に影響されて人狼ゲームに手を出してみる。気づけばずっぷりハマって10戦目が終わってた。
ちゃっとだけだからいいけど、これコミュ力という異次元に脳内をかき回されている感がぱない。
初日に占い師2人対抗CO出ていやいや霊媒師として進行役2回務めた時はきつかった。
平沢進良いよねーと二人で盛り上がっていたかったけど、墓場じゃなくてゲーム進んでいたからこらこらと他のメンバに窘められて。
まーその後にグレ確一人だったのでその相方吊っちゃったのだけど。
世は無情。こともなし。
おっさんだし、能動的に趣味を掴みに行く行動力は最近めっきりなくなったけど
どなたか知らんけど対戦するついでに教えてくれた人ありがとー。
おもしろさには様々なものがあり、それは見た人が感じるものだ。
私が感じたおもしろくなさの話をする。
知人が出ている舞台を見た。
平凡な主人公が自殺し、自分の死を惜しむ周囲の人を見て後悔する、という話だ。
この話でおもしろくなかったポイントは、大きく3つある。脚本、演出、それから役者だ。
1.脚本
おもしろくなかった。
この「おもしろくなさ」は、愉快でない、という意味でのおもしろくなさだ。
登場人物は、主人公とその周りの人々、たいした理由もなく死にたがる人達、死んだ主人公のメッセージを伝える霊媒師、主人公と一緒に死ぬ女だ。
主人公は死に憧れている。
なぜか? 理由はない。
これは明かされない、という意味ではなく、本当にないのだ。ただ、なんとなく、死にたい。
だからこそ彼は死を選んだあとに後悔するのだ。が、そりゃそうだ~って感じである。
後戻りはできないのだ。
夫を早くに亡くし、一人息子さえ失った母親が自分の遺体に泣きすがる姿を見て後悔する主人公に、一緒に死んだ女は言う。
「じゃあどうして死んだの? いまさら後悔したって遅いよ」
この女は家族がなく施設で育ち、いまはDV彼氏と共に暮らしていた。当然の怒りである。
彼女が主人公と共に死ぬことになるきっかけは、死を望む人々の集会だ。
インターネットを介して集まった彼らは、自分の死にたい理由を主人公に促されるまま語る。
婚約者と別れた女、リストラされた挙げ句離婚された中年男性、元アイドルの少女、人生うまくいってない女。
日々の生活の辛さを語る彼らに、女は言うのだ。
「自分が見えていない」
「実家に帰ってもう一度やりなおしたら?」
傲慢!
彼女にはすべて見えているのだ、死にたい理由に対する解決策が。自分の生まれ、育ち、現在の境遇に比べれば彼らの辛さはたいしたことではないと言っている!
そして密かな契約を結ぶ。
「あなたならわかってくれると思って。一緒に死のう」
そして二人は主人公の家の居間で死ぬ。(事故物件を残される年老いた母!)
この物語から私が感じ取ったのは「当たり前の幸せに気づけ」というメッセージだ。
ただし、「お前は幸せに気がついていない」し、「お前の悩みはたいしたことがない」という上から目線の言葉に表象されて、だ。
人の悩みは人それぞれだ。
いろんな人がいる。いろんな悩みがある。
自分にとっての恋愛と他人にとっての恋愛の価値が違うことだってあるのだ。
それをこの脚本ではすべて切っている。
疎外された気分で、おもしろくなかった。
2.演出
おもしろくなかった。
この「おもしろくなかった」は、単調であるという意味のおもしろくなさだ。
会話劇である。
みんながずっと座って喋っていて、感情的にも動き的にも変化がなく、おもしろくなかった。
いつまで続くのかな? って思った。
それから、脚本の意図がわかってないのかな? とも思った。後述。
3.役者
おもしろくなかった。
この「おもしろくなかった」は、ちょっと言うのが悪いなあという気持ちもある。
不愉快に近い。
セリフが聞こえない。自分が目立つことしか考えていない。脚本上における役割が果たせていない、どころかミスリードを誘うような。
そこだけ前後のシーンとも繋がりが消え、最悪だった。
周りの人はなにも言わなかったのか?
他の人達は真面目にやっていた。
技術が足りない人ももちろんいたが、この見るものの弱さを攻撃する脚本において、道化の役割を果たそうとしていた。
しかし、その人は本当に嫌だった。
演出家はなにも言わなかったのか? それとも諦めてしまったのか。
役者がおもしろくなかったと書いたが、全員がそうでなかったことが唯一の救いだろう。
しかし、チケット代は主宰団体や脚本家、演出家ではなく、出演していた知人の手のひらに直接握りこませたかった、というのが正直な感想だ。
2017-08-01(うす)曇り
2014-07-17「中学生の頃、女神坂で女神をしていた」を拝見して
2017-07-30「女神と神の人の子供の生み方」を拝見しました。
「女神と神の、人の、子供の生み方」によると、インターネットで、女神を探したら、女神のような女性を女神と表現したり、女神が神話で登場したりする。タイトル「中学生の頃、女神坂で女神をしていた」はてな匿名ダイアリーを見つけました。中学生の頃、女神していたそうです。また他で神話の解説によると、処女の事が創造者とあります。
人間のマリア(聖母)が処女で妊娠したそうです。性交、試験管ベビー、を科学的出産方法とすると、神聖だから例えて表現してるのではなく実際にあった事実として、精神的、霊的な出産方法でイエスは生まれたと私は理解しています。
アメリカ合衆国では、警察の捜査に霊媒師が実際に殺人事件被害者の霊魂と交信し合う交霊現象によって事件を解決、犯人を見つけ出しており、偶然ではない確率で統計学で意味のある数字として科学的な事件の解決方法として認められており、霊魂の詳細は未知の部分がありますが、交霊現象の犯人割出しは科学的な実証される捜査方法と同じ信憑性があります。DNA鑑定も昔は正確さ、的中率が現在よりも低かったです。
現在、女神を探していますが、思う女神とは、誰にも見つからない、神隠しの様に身を隠せて二人だけの時間は自由に出来れば異次元空間に実現して、神ですから全知全能です。何の事件に巻き込まれる可能性もありません。永遠な幸せの暮らしは神レベルの結婚が実現する事だと思います。子供をつくって家庭を持つのも安心できる時空にしか可能性がないと思います。その証拠に少子化問題で、最近は恋愛段階でさえ人々は避けています。
2014-07-17「中学生の頃、女神坂で女神をしていた」を拝見して
2017-07-30「女神と神の人の子供の生み方」を拝見しました。
「女神と神の、人の、子供の生み方」によると、インターネットで、女神を探したら、女神のような女性を女神と表現したり、女神が神話で登場したりする。タイトル「中学生の頃、女神坂で女神をしていた」はてな匿名ダイアリーを見つけました。中学生の頃、女神していたそうです。また他で神話の解説によると、処女の事が創造者とあります。
人間のマリア(聖母)が処女で妊娠したそうです。性交、試験管ベビー、を科学的出産方法とすると、神聖だから例えて表現してるのではなく実際にあった事実として、霊的な出産方法でイエスは生まれたと私は理解しています。
アメリカ合衆国では、警察の捜査に霊媒師が実際に殺人事件被害者の霊魂と交信し合う交霊現象によって事件を解決、犯人を見つけ出しており、交霊現象(心霊現象)による事件解決は偶然ではない確率で統計学で意味のある数字として科学的に事件捜査解決方法として認められており、霊魂の詳細は未知の部分がありますが、心霊現象の一つ交霊現象の犯人割出しは科学的に実証される捜査方法と同じ信憑性でDNA鑑定も昔は確率が的中率が今よりも低かったです。
今、私は女神を探しています。思う女神とは、誰にも見つからない、神隠しの様に身を隠せて二人だけの時間は自由に出来れば異次元空間に実現して、神ですから全知全能です。何の事件に巻き込まれる可能性もありません。永遠な幸せの暮らしは神レベルの結婚が実現する事だと思います。子供をつくって家庭を持つのも安心できる時空にしか可能性がないと思います。その証拠に少子化問題で、最近は恋愛段階でさえ人々は避けています。
――
長谷川豊による「自業自得の透析患者は殺せ!」との一連の言説からの炎上が、
イケハヤのエントリが提示した「あるべき倫理観」によって収束解消されてってる気がする。
けど、あんな御為ごかしで溜飲下げてる阿呆は運動と瞑想と睡眠と野菜とPCの電源落とした後にモニタ映る怪物との対峙が足りない。恐ろしい恐ろしい。げに恐ろしきは人の心。ああ今はスマホか知らん。靄靄するので書き出す。
長谷川の繰言もイケハヤの戯言も個人の責任論に終始している。本来いま議論し深めるべきは、来るべき苛烈な負債処理社会に向かう再分配制度の再設計、人命尊重至上主義からのその基盤となる思想、そのパラダイムにシフトする方策なのだろう。一連の話は関連するがまずはさておき。
それにこの文章は腐れトマトの与太の与太っぷり、味わい深さについて口上を述べるなんていう霊媒師の譫言だ。
――
” いやいや、そりゃあ、卑怯者はいるでしょう。当たり前です。この世から犯罪はなくなりません。”
まず、犯罪者と卑怯者は違う。これ混同すんのは真の与太者の思想だ。
元エントリを要約する。
~~
卑怯者はいる。けれど、「その人が弱者であるかどうか、卑怯者であるかどうか」は判断できない(他人からも自分からでも、)
だから、人々の倫理観を高めるべき。それは他者に対する疑念を捨て、他者を信頼すること。
「大半の人は正しく行動している」と信じることで、自分自身も正しい行動を取るようになる。
「みんなズルをしている」と考えている人は、当然ズルをしたくなる。
だから、ぼくらはまず、信じなければならない。
不正をする人がいても、ほとんどの人はそれを正しく、望ましく利用している、のだと。
~~
自分でも他人からでもその人=自分が卑怯者かどうか判断できないっていう考え方ね。
「その人」とは「自分」と交換可能じゃなければまずおかしい。ここでもう自分だけ特別なのか?
・自分からも他人からもその人または自分が×か○か判断できない、
もしくは、
・自分からも他人からも、その人または自分は×あるいは?、/じゃなければ○。
間違っているかどうかはわからないのに、正しいかどうかだけはわかる。現代詩かよ。
で、この「大半の人は正しく行動している」の「正しさらしさ;正しさみ」を判断している主体は誰?
これは、「大半の人は“ボクにとって正しいと思える”行動をしている」という程度の意味だ。
あるいは「みんなは、ボクから見て正しいと思える行動をしているなあ」って、阿が取れたら呆者だ。
ボクにとって正しいと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとって正しいと思える行動を取ることは容易い。
ボクにとってズルと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとってズルをするのは容易い。
お前はどこからどのようにその価値判断基準を得てきたんだよ。社会から、自分なりに、だろ。
だから大体において自分は正しいわけだ。なのに、差異があり、衝突もある。おかしいな、自分は正しいはずなのに。当たり前だ。みんな自分なりに様々な文化社会から得てるんだから。
みんな違うのです。なので絶対的な正しさはないのです、だから「自分からも他人からも価値判断されるものではないです」などと言うのは誤りだ。それは社会上、相対的に決まる。たとえば法律がある。人がどう思うかによる。
(アプリオリかどうかとかは知らん。;
このひとつの人間の心理、思考回路は、拙筆にも矛盾なく親しく感じられる。私はこの心理を、日常生活においてはあなたや、誰にとっても矛盾なく親しく感じられるものと思っているが、厳密には誰かにとって矛盾なく親しく感じられない可能性があることは理解している。)
――
たとえ、「ボクにとってさえ本当はズルいと思える行動」があっても、他人によってそれがズルかどうか判断される意味はなくなる。
また、ボクに良いこと・自然なことと思えることこそ、他人にとっても良いこと・自然なことだと思えるようにならざるを得ない。
――
ここで正しいとか間違ってるとかいうのは、人間社会での価値の判断だ。それは単純な話、みんなが間違ってるって言ってれば社会通念上の間違いだし、みんなが正しいって言ってれば社会通念上正しいってだけの話だ。
自分にとってどんなに正しいと主張しても、その社会において認められなければ間違いとされるし、自分にとってどんなに間違ったことだと主張しても、その社会において認められなければそれは正しいとされる。Xはなんでも良い。論理の式が真理なだけだ。
自分の価値判断は自由だし誰にも侵されない。考えてるだけなら自由だ。でも、文章をはじめ、行為にしたとたんに何らかの、他者からの評価、価値判断は免れ得ない。
――
懸命な諸氏にあられては既にお気づきのように、紐解けばこれまでの、逃亡トマト師への批判と齟齬ないだろ。で、お前らも揃いも揃ってサイコパスか。って言いたいためだけに書いてる。
――
ほとんどの人が「それ」を、自分にとって正しく、自分にとって望ましく利用しているはずだ。
自分にとって正しくなく、自分にとって望ましくない「それ」の利用が不正と思えるだけだ。
たとえば「それ」がなされなければ死ぬというとき、「それ」が自分にとって正しくないことだ、なんて言えるだろうか。
現に制度が整備され、第三者によって利用が認められ、「それ」なしでは自己保存本能が侵されるときに、「それ」を断てるだろうか。
そこに「卑怯者」はいない。社会通念上の価値判断を外してただ個人の生存から見るならば。
そうなったらみんな同じだよねと。
どんなイメージを持つかは自由だけど、基本的にはただ待ってるだけで自分の存在が脅かされるときに、何もしないで待っていられるのは、そりゃ馬鹿か釈迦か瞑想のし過ぎのどれかor全部だ。
誰もがみな生きることに必死だ。必死で生きてるんだから。必死なのに生きずにはいられないんだから。
死にたくないんだ、より生きたいんだ、卑怯もクソもあるかよ。使えるカードはみんな使うよ。
要するに生存競争なんだからと。それを敷衍してけば、バレなきゃなんでもアリだ。捕まらなきゃいいんだ。バレてもゴリ押せば勝ちだ。大義名分の下に持てる力全て使ってこの先生きのこるんだと。
だから、誰かに対して、あなた方だけはどうぞご遠慮くださいなんて言い出す奴は、お前こそ御免下さいだとよと焚べられるのも当然の流れで。
じゃあどうするのか?爺婆が自分で自分を火に焚べるのをまだかなまだかなって夕ご飯よろしく待つか。あるいはカタワらもまとめて誰かが知らぬまに処理してくれるのを見て見ぬふりするか。とりあえずどう考えても自業自得っぽい麻薬中毒者はガンガン殺してもいいかな。もちろん人殺しはどんどん死刑にしよう。「私達」が安心して生きられるようになるまで、どんどん減らそう。
ね、だいたいそんな感じで人類は衰退するんじゃないかな。トランプが勝って、核もまだいっぱいあるし。おそらくそのほうが最適なのかもね、地球全体にとっても。
自分で自分を制御できないんだから、AIに操作してもらい、バランス取ってもらうのが最後の頼みの綱ではあるよね。環境に適応して増殖し始めちゃって自分達では止められないんだもん。ライフゲームよろしく、絶妙なバランスを、自分たちの手だけで構築できるなら良いけど、どうやら無理っぽいし。ホーキング博士やイーロン・マスクが恐れてるのってそういうことだと思うけど、もうそれ以外に方法がない。自分だけ助かる方法なんてないし、結局みんな死ぬんだから、まあ、それでいいんじゃないかな。