2019-10-16

「魂のこもったプレイ」という表現が嫌い

個人的愚痴、に近いモヤモヤ吐露です。

ラグビーW杯でも他のスポーツ試合の実況等でも時折見聞きする

「魂のこもったプレイだった!」「今のは魂こもってた!」みたいな表現が、自分にはどうにも不愉快に感じてしまう。

特に試合プレイを「解説する」ように見せている人が、このような表現を多用するのが嫌いだ。

理由は以下のようなものかなと思っている。

抽象的、曖昧かつ精神性も含んでるように思われる表現のみで、プレイを論じている点。

 客観的評価できる戦術スキルフィジカルのような要素でまずはプレイ解説して欲しい。

 メンタル要素を解説するにしても、もっと客観性のある情報を交えて語ることはできないものだろうかと感じる。

・上述の内容と関連するが、プレイヤーの精神的な内面を断定的に語っている点がとても不愉快に感じてしまう。

 これはスポーツの実況や解説に限った話ではなく、いろんなニュース記事等でも共通することだけど…

 対象になったプレイヤー本人が「今魂込めてるよ!」と吠えたりした場合は別として、

 他者内面の推測に過ぎない事柄を、さも事実であるかのように語るのがとても嫌い。

最後に、これは自分の度量の狭さだと思いつつ…

 ラグビーに限らず、普段は見向きもしないようなスポーツに対して、話題になったとたんにいっちょかみするタイプの人が、

 「よくわからないけど」と予防線を張りつつ、「魂のこもったプレイだった!」と連発して「解説」するのがすごく苦手。

 そんなに他人の魂が見えるのかと。お前は霊媒師か何かなのかと。

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