はてなキーワード: 統合失調症とは
ワークライフバランスの概念が浸透するにつれ、あるいは労災認定における精神疾患の割合の上昇を受けて、メンタルヘルス対策に力を入れる企業が増加していますが、増田共の会社はそんなのお構いなしに残業やらパワハラやら無理な納期やらを押し付けてきますが、いかがお過ごしでしょうか。
ビジネスパーソンが罹患しうる精神疾患は、うつ病、新型うつ病のみではなく、適応障害、摂食障害、パニック障害、強迫性障害、双極性障害、社交不安障害、パーソナリティ障害、アルコール依存症、(若年性)認知症、統合失調症、ナルコレプシーを含めた睡眠障害など、実に様々です。例えば、会議恐怖などの社交不安障害からうつ病を発症し、逃避的行動からアルコール依存に陥って職場で不適応を起こすなど、複数の精神疾患に罹患して、複雑な病態を示すケースも少なくありません。ですが増田共がお勤めのブラック企業では、精神疾患羅患による人件費損失なんかには慣れているため、豊富な精神科臨床経験を伴う最新の医学知識を有した箱田病院の専門家を企業内に配置することなど検討もしませんものね。
過剰服薬やリストカットは、双極性2型だよ。単極性のうつ病じゃないよ。
過剰行動が激しくて、危険レベルになると入院になっちゃって、それは双極性障害1型。
双極性2型なのに、単極うつ病だと早合点(誤診に近い)して、元気が出る方の薬(抗うつ薬)を出すんだから、そりゃ自殺もするよ。落ち込みと高ぶりの両極があるのに、自己否定感覚をもったままで高ぶったタイミングで、さらに元気が出る薬を飲んでるんだから、自殺する最後の障壁を、医療が取り除いてるっていう感じだね。
ここ3年くらいかな。躁転リスクが高いから、抗うつ薬はキホン出されなくなったのは。オレは個人クリニックが信用できないから、大学病院に移ってきたけど、双極性だと正式に方針変更になるまで5年かかっている。その間も躁防止のリチウムは出てた。個人クリニックなら、今でも抗うつ薬だけのままなんじゃないか。ちゃんと精神病院に勤務して、双極性や分裂病(統合失調症)を診てきたのかな。あれだけ激しいのを見ておけば、自傷行動もそのマイルドバージョンだと分かりそうなもんじゃん。
よっぽどの陰性症状(落ち込み)のときに抗うつ薬がとんぷくで出るけど、デパケン(前はリチウム)でクスリといったらそればかりで眠剤を少々という感じか。
最近の若者系のうつ病で、仕事は落ち込んでてできないけど(陰性)遊びはできる(陽性)というのは、双極性にしか見えない。芸能人でうつ病自殺して、痛ましくて防げなかったのかなとなるけど、医者が陽性を見抜けなくてリチウムもらってなかったんだろうなと思うんだよね。それでも死ぬ人は死ぬから。
リスペリドンと言う薬を処方されてた。
変だと思って診断を受けたら、詳しくは言えないけど発達障害の一つだと診断された。
それで医者にはこの薬を飲めば時期に治るから問題ないよと優しく諭されて服用する決意をした。
一週間くらいして確かに調子はすこぶる良くなったものの、勤務中眠くなる事が多くなった。
ある時つい居眠りしてたらしく、上司にすごく怒られた。
検索したら、副作用で眠くなりやすいとあったが、特別医者には言われなかったので大した事はないのだろうと思ってたのに
蓋を開けたら副作用だらけの薬だと判明した。
そして、この薬についてもう少し調べたら“統合失調症専用薬”とあって驚いた。
そして強い薬でもあると聞いた。
確かに強い薬で即効性で嬉しい事は嬉しい。
さすがに勤務中の居眠りは駄目だろ
こういう説明を何で聞かなきゃ教えてくれなかったんだ。
だが、書いてて思う。
そう判断されたら仕方ないのかもしれない。
俺は納得できないが、医者がそう判断するのなら、そうかもしれない。
鬱だ。
・強迫と一級症状は概念としては区別できるけど、因果的には類似している感じ。
たとえば、馬鹿げていると思っているのにそうしないと不安でやらざるを得ないって症状は、させられ体験と類似しているかも。
また、強迫行為ができなかったときのぜんぶダメになった感は世界没落体験とかと類似しているかも。
おおまかには、強迫では悪い結果が強い不安とともに生々しく思い浮かびやすい。
典型的な被害妄想では、自分の好ましくないとされる特徴や不当な非難などが生々しく思い浮かんで頭から離れないことが原因で、そのことを外部からの犯罪的な(場合によっては独特な? 異様な?)影響によって説明してる感じ。
考えないよう、思わないように頑張っても、それが頭から振り払えないことが続けば、その考えが自分にはどうしようもできないもの、より強く言えば自分のものではないと感じるかも。
・似たような症状を体験していても、その体験の説明の仕方によって、診断が変わってしまうのではないか問題。
主観的なだけではない共有できる出来事の体験でも、話盛っておおげさに話す人とかいるが、そういう人は統合失調症とされやすいのではないか。
いや出される薬が適切なら診断の違いは重要ではないか。
私は対人恐怖症をこじらせてうつ病を発症、ひきこもりの後、一人で動きまわって仕事(長期ブランクがあるので時間的にはほぼフルタイムだがもちろん正社員として就職などできなかった)をするまで何とか社会復帰するも統合失調症になって障害者手帳持ちに。
先日、兄弟の一人がうつ病で休職して実家へ戻るも、結局うつというよりもアルコール依存症であることがわかる。本人は未だ止める気がない。
毎日のように酒瓶一本空けてはコンビニへゴミを捨てつつ買い物に。
私についてもそうだったが、なかなか一人ではどうしようもない。都会であれば色々と支援もあるが地方には無い。
お金がないのを恨みはしないが、家族が病気になっているのに、本人が解決するものだといって、その家族の病気について本も読まず、テレビなどのチェックもせず、何も調べないというのはどういうことなのだろうか?
私については子供の頃から色々とストレスから来る精神疾患のようなものはあった。しかし、一度も病院へは行くことはなかった。
病院へ行くことで私がショックを受けることがあるかもわからないが、自分ではどうしようもない症状を「止める努力をしろ」と言われてもどうしようもなかった。
世間体を私は親以上に気にするが、他の町の病院へかかっても良かったと思う。
子供の頃からの問題でもそれは「心配だったが様子を見た」と言い、大人になってそれをさらにこじらせれば「大人なんだから自分でどうにかしろ」でここまで来てしまった。
私だけが特別おかしいので病気になったと思いたかった親の願望は、兄弟のアルコール依存症で脆くも崩れた。
しかし、それでもやっぱりうちの親は何もしない。そもそも酒を昼間から飲んでいることに気が付かなかったらしい。
お金もないのに人が動かず、変化に気がつけないのに様子を見るだけ。
依存症の場合、家族が酒を飲ませないようにしてすら、行動に不都合を感じない依存症者が隙を見ては酒を買いに行ったり、勢いで衝動的に散財したり、暴力沙汰を起こすなどトラブルを起こすというのに、そもそも家族が酒を飲むのを認めているとかそもそも気がついていないという有様。
ひきこもりが長期化したり、それでも支援団体に繋がらない親とか、サリン事件の実行犯の親を含めた信者の家族の話をメディアで見ると、やっぱり共通する問題があるのだと思う。
そういうものを見る人はそれだけで全然違う人なのだが、そういう人たちほど、それを見て自分にも反省するところがあるという。
そういう人の子供は問題が起こっても、少しずつ必ず変わるものだと思う。
実際、こじらせ続けている人と、図書館へ出かけられるようになった、買い物をできるようになった、バイトを始めたと徐々にではあってもあるいは生きつ戻りつしても、ステップアップする人の両方を見た。
こじらせ続けている人は、私の家族と同じで支援団体につながることも何の情報を得ようとすることもせずに、「真人間になってくれ」と事あるごとに言われていたらしい。
私はその人を見て自分の将来が見えるようだった。
アダルト・チルドレンというのはアルコール依存症の親を持つ子供に共通して見られる性格傾向から来ているようだが、今ではアルコール依存症でなくともアダルト・チルドレンを生む機能不全家族はいることは認められるだろう。
親や家族自体が、当人の症状を悪化させるので、生活保護を受給させて自活させた話も以前、新聞で読んだ記憶がある。
その人は確か女子高生だった気がするが「あのままだったら家に火をつけていたかも知れない」と当時を振り返った言葉が印象に残った。
今の生活保護受給者に対する風当たりを考えるとそれも難しくなってきているとは思う。
それなりに順調な人生を歩んでいる人は誤解していることだが、障害者年金だけで生活出来ている人はほとんどいない。
精神障害では国民年金では2級でないと障害者年金は受給できない。厚生年金に入っていれば3級でも受給できるそうだ。
さらにバイトをしてその収入と年金を合わせれば生活していけるという人でも、継続して働いていることを持って等級を下げられて年金が受給できなくこともあるそうだ。
自治体によって対応がまちまちらしく、東京では障害者枠で就職し年金と合わせた収入で自立できている人もいるそうだ。
生まれた家や地域によって、生きる困難さも病気になった後の生き方も随分差があると思う。
問題から病気になって薬を飲むが、そうするとぼんやりしてしまって何もできなくなり、家族の問題に対応できなくなる。
ただクリアになればその分、元の苦しさが蘇ってくる。当然だ。
そろそろ本当に医者の言われた通りの薬を飲んで、ぼんやりぐったりして障害者としてふさわしくなり、施設へ行きたい。
向こうもそう思っているだろうが、こちらも家族を捨てたい。
薬を完全に抜いて文章が書けるくらい頭を幾分かクリアな状態に戻しても、することが愚痴を書いて匿名ダイアリーを汚すくらいなのが情けない。
この投稿自体が妄想で、投稿者が統合失調症である可能性もあるわけだよね。
本人はイングレスのレベルが8になったと思い込んでいて、地域のコミュニティにも参加してるつもりになっている。
みたいな・・・
レベル8になったので、ここから先はただレベル上げ目指してソロプレイだとつまんなくなりそうだと思って、Google+で地域のコミュニティに入った。
ハングアウトとかで毎日他のエージェントたちと話している。楽しかったんだけど今日、ハングアウトであるメンバーが
「今○○公園近くのデニーズにいるんだけど、店内に少なく見積もっても5人は敵エージェントがいる」
と言い出した。
「私の顔を見て何か言ってる。他にも私を見てこそこそ笑っている人がいる。あれも敵だと思う」
「こんなに敵エージェントに囲まれたら怖くて動けない。帰れない。だれかたすけてください。むかえにきてください」
これって統合失調症だよな?
と思っているんだけど、その発言をまるっと信じて
とか言うメンバーがいる。妄想につきあうと助長するからヨクナイって林先生が言ってた気がするんだが、医者でもない人間が他人を統失と決めつけてそういうこと言うってのは、名誉毀損とかにあたりそうな気がして何も言えなかった。
そうなんだよ、何もできないんだよ。このメンバーはここ数日急にばんばん投稿するようになってるし、見知らぬ外国人に付け狙われていて怖いとか言ってたのも今思うとあれも妄想ぽいし、なんか今頭がぐるぐる動いて状態悪化中なんじゃないだろうかって思うんだけど、エージェント名くらいしか知らないしさ。何もできることない。
よりによってその統失ぽいメンバー、若くてきれいな女の子なんだよ。だから「迎えにいきます」とか言ってる男も下心あるかもしれなくて、ただの下心なら自由にすりゃいいけど、メンヘラだからヤレそうとか思ってるんだったらそれを放置するのはちょっと後ろめたい。けど、どうしたらいいかわかんない。
こういうことがあって初めて気がついたけど、Ingressって統合失調症の患者にはあまりいい影響なさそうだな。昔ジム・キャリーの「トゥルーマン・ショー」をみて、統失の人間には悪影響あたえそうな映画だなーと思ったけど、Ingressも同じっぽい。街にいるごく一般の人たちの中にひそかに敵エージェントがまざっているっていうゲームだから、ものすごく妄想助長しやすそう。
クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイトは存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。
ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。
ゴールデンウィークを有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義なゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。
まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。
1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫が設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。
特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。
そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。
エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公を精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。
こうした中、フェアリーテールはブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初のエロゲである『ネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。
物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。
原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。
作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しかし現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。
ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。
『ネクロノミコン』から1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である。
『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。
物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの。
クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものである。ディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前をクトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。
そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。
あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み、連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である。
前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である。
クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である。
一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛」である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。
『ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初のエロゲであると言え、また原作の二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである。
一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。
クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態である。クトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。
他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Elise ~エリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。
こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である。
物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。
前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である。
これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人で表現されたものや「向こう側」はグロテスクなものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。
「SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。
しかし踏切の赤信号のアニメーションの演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。
のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品はエロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味な登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。
さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売である。タイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。
だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。
1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipediaの日本語版の「クトゥルフ神話」の記事が最初に出来たのは2003年8月)。
現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。
そうした状況下において『マジカルディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。
問題はパロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ『這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。
一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である。
シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることから、エロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。
さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。
そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。
物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである。
この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキストを確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。
しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。
こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである。
また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。
本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しかし抑制的ながらも明白な狂気、グロテスクな死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。
そしていよいよ世紀末、電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。
ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である。
正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。
……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。
というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。
本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去のエロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。
正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。
2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールのブランド、キャラメルBOXが姫屋ソフトのブランドであることを考えると、少し面白いものがある。
なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。
さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話系エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)
債務者が債権を害することを知って責任財産を逸出した場合には債権者は詐害行為取消権によりその債務者の法律行為を取り消すことができる。こういう制度がある国で、ネットの糞絵や違法動画があること自体が、制度的実定的政治的に相容れない。
債務者が債権者を害する行為をした場合、それを取り消しうるという制度をもつ社会が、たとえ形骸にせよ、何らかの醜悪極まりない概念や心象を類推させるものを容れているということが社会論理的には矛盾。
こういう美しい制度をもつ社会は、勿論、事実を完璧に認定するという美しさも持つはずであって、そこに糞絵や違法動画があることは明白なので、今の日本は統合失調症、分裂病的。
読んだけどさっぱり知りたいことは書いていない。
見合いというか、仲人みたいな人と一緒に食事しろって言われただけなんだけどね、
1回会うだけでもいいからとか、あっちから断られるかもしれないからいいだろとか言われたけどね、断った。
婚活らしきことを今年の夏から始めるつもりで、貯金をしたりたまにファッション誌を見ながら準備をしていた。
美容室に行ったら、あんまりにも適当過ぎる手入れの仕方をしていたもので、馬鹿にされたり説教されたりする始末。
学生時代の友人が次々と結婚していって、子どものいる人だって珍しくはないけれど、焦りは感じなかった。
私は私でそれでいい。平日に仕事して、休日は書き物をしたり、絵を描いたり、運動したり、身の回りのことをしたり、ぼんやりとして過ごしていければ満たされる。
恋はほとんどしたことがない。好きになった人がいたけれど、さっさと結婚して他のところに行ってしまった。
あー、これで私は嫉妬とか肉欲とかそういう煩雑で処理が難しい諸々の感情から解き放たれて、私だけの世界で安穏と暮らしていける。失恋の日にはそう思った。
それでも、女一人だけで生きていくには辛い世の中だからとか、両親を安心させたいとか、とどのつまり正規雇用ではない身分だから経済的な不安も少なからずあるからと思って、婚活を始めるつもりでいた。
家にお金を入れているとは言え(予防線のような書き方だな)、いつまでに実家にいるわけにはいかない。
祖父母は全て亡くなり、両親は老いた。いつまでも私の傍にいてくれるわけではない。
今でも、婚活をするつもりでいる。
恋愛感情だけで結婚するよりも、最初から己の現実を晒してから話すお見合いの方が合理的だと思う。
だけど、両親が持ってきた見合い話のようなものを、私は拒絶した。
結婚したくないの? 夢はないの? 家庭を作りたいとは思わないの?
行かず後家と言われたいの? 私たちの老後は誰が見るの?
母はそう言って悲しんだ。私は主に価値観の違いだと返した。
結婚したくないわけじゃない。夢はISBNのついた本を一生のうちに1冊でもいいから出版することだけど、文才がないから余命宣告でもされたら文芸社に連絡を取るよ。
家庭を作りたいなんて、とても思えない。もし結婚するとしても、二人だけの夫婦でいるつもりだ。お父さんとお母さんはそろそろ孫がみたいだなんて言うけれど、我が家は精神病質で、私たちの弟や従姉妹なんかは統合失調症だし、自律神経失調症の親類なんか山ほどいる。優生思想はいけないと教わったけれど、もしかしたら自分だって狂っているかもしれないのに、その血を残したいなんて私はとても思えないよ。
そしてね、お母さん。お母さんの思う幸せと私の思う幸せは明らかに違うものだ。
お父さんとお母さんの思う「私の幸せ」は、ほとんど同じものだろう。
嫁いで家庭を築き上げてこそ、女は幸せになれる、そんな旧態依然とした考えなのだろう。
だから、兄や弟には何の家事も教えないで、成人しても茶碗ひとつ片付けない男に仕立て上げた。
兄弟らが茶の間でテレビゲームをして遊んでいるのに、私は台所で食事の準備。どれだけ理不尽に思ったか、あなた方は分からないだろう。
私は反抗期のない子どもだった。優等生でありたかった。能力がなかったから、優秀な人間にはなれなかったけれど、それでも両親にとってのいい子でありたかった。
受験の時もあなたたちの言うとおりにした。お金がないから、確実に入れる公立高校に行けと言われたからそうした。浪人してでも行きたい大学があったけれど、結局は現役で入れるところに行った。その選択に関しては、両親が正しいとは分かっている。おかげで私は、奨学金を背負わずに済んだのだから。
たぶん、従順な女の子が欲しかったのだろう。普通の女の子を娘に持ちたかったのだろう。
家事を手伝い、父や兄弟らを立て、少女時代は反抗することもなく従順で、成人すれば自然と結婚して、外孫を見せてくれるような女性に育てたかったのだろう。
子ども時代は兄のお下がりを好んで着ていた。兄らと粗暴な遊びをするのが好きだった。小さな頃から男女平等という言葉に焦がれた。
一度だけ、何故私にばかり家事をさせて、兄らは自由にさせているのかと尋ねたことがある。
男女平等とされている世の中だけれども、家庭に入って家事をするのは、結局女性なのだ、そのときに困らないように家事をさせているのだと、両親は答えた。
絶望した。
働き始めて話す時間が減ったせいか、両親とこういう話題で言い争う機会は少なくなった。
それは両親の諦めかと思っていた。
私がもし結婚するとしても、両親のためじゃない。
私は私の人生のために結婚したい。たとえ見合いだろうが婚活だろうが、誰かに宛がわれたものではなく、自分自身で決めたのだという確信が欲しい。
理解なんていらない。私は私が望む私でいたい。
1、その人たちは何を目的にそれを行っているのか
2、その人たちの給料は誰が出しているのか
といった兵站部分を分析してみると、あまりにも非現実的であることがわかると思う。
たとえば道行く車のナンバーをすべて張り替えてメッセージとして読めるようにするためにどのくらいの金額が必要かわかるだろうか?
ドライバー一人に日給として1万円払うとして、メッセージとして読めるくらいにするためには100台くらいは必要だろうから、
最低でも100万円はかかる。当然、レンタル代もかかるし、ちょうどいいナンバーの車を探す手間もあるから200万くらいだろうか。
もしも実際に集団ストーカーを行うと、年間何億円もかかってしまう。
中2病についてどう思う?
「世界のどこかに秘密組織がいて、自分を狙っている」というアイデアはリアリティがありますか?
もしも、「リアリティがある」と思うならば統合失調症の可能性が高いので、心療内科を受診されることを強く推奨します。
昔に比べると投薬が有効なケースもあるようだ。
2015年3月、兵庫の5人刺殺で逮捕された無職、平野達彦容疑者(40)が集団ストーカーにあっていたと供述したことから調べた方も少なくないと思う。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1832114.html
ここで集団ストーカーとぐぐってみると一番上にNEVERまとめが出てくる
http://matome.naver.jp/odai/2138428465175441201
標的となる人物(ターゲット)の感覚喪失、妄想、悪評、トラブル等を捏造または演出し、ターゲットの社会的評価を失墜させ、ターゲットの自信、自尊心及び評判を破壊し、ターゲットの人生を思い通りのレベルまで破滅させ、自殺に追い込むことまで出来るにもかかわらず、ターゲット自身が自滅したかのように見せかけることの出来る数々の手口、及びその段階的な計画の総称を「ガスライティング」と呼びます。
これは本当に行われているのだろうか。
実は本当に行われている。
もともと創価の脱退防止の相互監視の仏罰ビジネスだったが低所得者層の多い創価学会に在日が多く入り込むようになり、日本人憎しで一般人にも被害が及ぶようになった。
創価は警察や法曹界に信者を送り、何らかの事件が起こると総動員でいっせいに火消しを行ってひた隠しにしてきた。
安部政権に変わり韓国へのごり押しが効かなくなるにつれ在日朝鮮人も住みづらくなってきた。
その結果、裏切るものが続出した。
こういう一致団結しなければならない犯罪で裏切りが出ると致命的だ。
うわさがうわさを呼び、自分だけは助かろうと創価を抜ける人間が続出した。
しかしこの集団ストーキング、そんな生易しいものではない。対象となったものはかつては社会的に抹殺されるまで何が起ころうと続けられた。
24時間監視、仄めかし、オナニーの公開、会社での信者とのトラブル、etc etc..
最終的には自殺、統合失調症として社会的排除、今回の平野容疑者のように実際に犯罪を犯し逮捕のいづれかゴールは多くない。
そんなもののターゲットになりたくない信者は嫌々ながら続けている人も多い。
創価の名前を隠している信者たちが多いのはこの強力な仏罰ビジネスのためだ。
一番上の痛いニュースのリンクも信者たちが我先にと火消しを行っている様子が見れる
それは最近多くの集団ストーカーの実行犯が逮捕や消されているということである。
はてぶで火消しした人は皆マークされている。
警察の力が集団ストーカーよりも上回ったのは数年前、安部政権になってからは加速度的に力の差が開いてきた。
もちろん信者などに当たったりやる気がない人たちもまだ多い。
なるべく多くの警察を回り、真摯に聞いてくれる人を探すべきだ。
もとより正義の為に選んだ人が多く、親身になってくれることは多い。
これは自分より上位の集団ストーカーに用済みとして消されることが多い。
もちろん通常の人はそんなことはないだろうと思う。
しかしそこはもとより人の人生を壊そうとしている犯罪者、誰も守ろうとはしない。
もし上位の加害者から集団ストーキングを強要されたら真っ先に警察にその人間をチクることだ。
そうすればその人間に用済みとして消されることは少なくなる。
日本人が正しく生きられる世の中もそう遠くはない
未だに統合失調症に対する偏見が丸出しなコメントが多く、ああ、まだこのような認識なのかと肩を落としました。
みなさんの考えているステレオタイプな統合失調症患者は減少しています。
というより統合失調症患者そのものが減少傾向にあります。統合失調症の入院者数も減っています。
薬も良いものがあり、早期発見し適切な治療さえできれば寛解もしやすいです。
もっとも、現在の統合失調症患者は全体的に軽症化していると言われていますから、犯罪を起こすほど重症の陽性症状の強いタイプはあまりいないと思われます。
まあ、妄想や幻覚、思い込みの強さが伴う精神疾患は他にも色々ありますし……だいたい統合失調症でもずっと妄想や幻覚の症状が続くわけではありませんからね。
むしろあなたが、うつ病や双極性障害、解離性障害などにならないように日常生活を見直したり、ストレスを軽減するよう努めたほうがずっと有意義だと思いますよ。