はてなキーワード: 統合失調症とは
異性の幼なじみで、小さい頃は互いの家を行き来してよく遊んだものだ。
中学までは同じ学校に通っていて、同じ高校を志望していたけれど、私は受かり、彼は落ちた。
歩いて3分とかからない距離なのに、会話どころか会うことすらなかった。
大学に進学したにはしたけれど、途中で病気になり退学したことは聞いていた。
互いのことを人伝てに聞くのみの関係で、結婚したらしいということも、私は母経由で聞いたのだった。
別に何の感慨もなかった。日々ころころと流れていくばかりのニュースを聞くかのように。
ただ、気になっていることがある。
それは、遺伝性の病質を抱えているということだ。
彼の母はその病気が原因で若くして亡くなった。
病気の影響からか、彼は同年代の男性に比べて、きっと私よりも白く細い体つきをしている。
子どもも生まれたと聞いたけれど、そう滅多にできるものでもないらしい。
よく、よくも、子どもを作り、育てることになったものだと、その点においては感心した。
私は怖い。子どもを産むことが。
その影響か、母の姉妹の半数程度は自律神経失調症を患っており、従兄弟と、そして私の妹は統合失調症を発症し、障害者手帳の交付を受けている。
もしも、自分の子どもが病気になったら、それも自分の血筋を受け継いだために、と思うと恐ろしくて堪らない。
恋人と呼べる人はいないけれど、もしこの先結婚するようなことになっても、子どもは産めないと思う。
だけど自分が生きた証をどこかしらに留めておきたくて、細々と話を書いている。
ただ生きるだけは生きて、父母ともしかすると妹を見届けてから、誰にも迷惑を掛けないようにぽっくり逝くというのが理想だ。
我が身の血脈そのものを遺したいとは思えない、不幸が蔓延するかもしれないから。
これ使ったらその瞬間にお前は「キチガイ」として扱われるだけって事に何で気づけないのか。
いやその程度のこのすら自力で気づかない奴にはこのままずっと知らず知らずに透明NGされていた方が幸せなのかだろうか。
作品に少し否定的な事言っただけで「アンチ」って言うべきじゃないよ、それは論理的かも知れないし感情的ではあっても筋は通ってるかも知れない。
作品をやたら持ち上げるような発現をした時にすぐ「信者」とも言うべきじゃない、本人は実際にすごく感動してたり君が気づいてなかった作品の深い部分を理解出来てるのかも知れない。
あっ最悪なのは「○○さんかな?」な。
本人は名探偵のつもりだろうけど周りからは統合失調症にしか見えてないから。
絶対にやめとけ。
http://b.hatena.ne.jp/downtothedevil/
ってひと、学生時代からどんどん絵が下手になっていってるんだが、普通そういう人っていない。あれ見て統合失調症に罹患する前と後の猫の絵を思い出した。そういうことなんだろうな。
だよね。
あと、
http://nuryouguda.hatenablog.com/entry/2015/08/25/170331
これは参考になった。
夢とは睡眠時に生じる現象である。また、夢についてのその他の定義としては以下の要素が挙げられる。
・特異な現象が生じる(人が生身で空を飛ぶなど)。
・ある種の強烈な慣性力がはたらいており、思考が通常通りにはたらかない(人が生身で空を飛んでいたとしてもそれを不自然と捉えられない場合がある)。
大まかに言えば以上の二つが夢を構成する最も根本的な要素である。
ここにおいて、以下の実際的事実に関して述べた言説によって、現実が夢でないという結論を導くことができる。
・現実においては特異な現象が生じない(反証可能性を満たす事象が起こっていない)。
現実が夢でないことについての論述は基本的にはこれで終えることができる。しかし、一部の例外に基づく反論が存在しないというわけではない。よって、以下にそのような反論を記す。
・統合失調症患者などの事例においては睡眠下ではない現実においても特異な現象が生じる。
これについて、統合失調症患者の定義は以下のものとする。〈自〉を〈他〉と誤謬することがあり、〈他〉を〈自〉と誤謬することがある。つまり、自他の区別が時に曖昧になる人間のことである。このような患者においては、自己の〈想像〉の内部においてのみ起こり得る事象を――つまりは特異な事象を――自身の外部から感じ取ることができる場合がある。これが主な反論の一つである。
この反論については以下の形で論駁する。統合失調症は非可逆的性質を持った病であり、ある段階を過ぎると一定以上の回復が見込めなくなる病ではあるものの、薬剤によって一定のコントロールが可能である。先述できていなかったが、これはいわゆる夢における非因果性(因果性:ある入力に対し条件さえ一定であれば一定の出力が返る、といった性質)に矛盾している。よって、統合失調症の例を出したところで現実が夢であるという結論を導くことはできない。
しかし、以上の反論以外にも別種の反論が存在する。それは以下のようなものである。
・現実において、ある種の慣性力から我々が自由であるということを証明できない
夢の中においては我々の思考は慣性力にさらされており、正常な論理的思考への推進力を得ることが難しいのは自明であるが、かといって現実における我々が正常な論理的思考能力への推進力を常に獲得できているかと言えばそこには単純に肯定できない事情がある。これが第二の反論である。
この第二の反論については以下の形で論駁し得る。因果性(ある条件下の入力においては一定の出力が返るという法則)に基づく反論である。
現実においては、ある条件下の一定の入力に対して一定の反応がある場合が多い。換言すれば、ある種の理性的事柄が十分に理性的に示されるならば、その反応も理性的になり得るということである。
例えば完全に理性的な(どんな人間でも納得し得る程に理性的)かつ可読性に富んだ「現実が夢でないことの証明」の論文を読んだ場合に、通常の人間ならばこの証明について納得し得るし、実際のところ納得する。しかし、夢の中においてはこのような納得が生じない場合がある。慣性力の影響である。
しかし、現実においては極度に理性的で極度に可読性に富んだ文章を読みさえすれば、万人に完全で理性的な情報を伝達することが可能である。これによって、「現実において、ある種の慣性力から我々が自由であるということを証明できない」という反論は、反駁され得る。
まあ、努力はした。その努力が、何のためになるのかは分からないが。一応自分がワンランク上に行くために勉強した。
しかし、どこまで行っても別にたいしたもんでもなさそうなので、意味なんか無いと思うんだけど。
無為に一日を送ったではなく、一応将来のやらなきゃいけない負担を減らした。
多分、あんまり良くない精神状態だし、あんまり未来も明るくないし。だけど、まあその内自分のターンも来るから、職場と自宅の往復を細くてもつなげておく。
はたして、意味なんか無いんだろうけどさ。
死んでもいいとは思うけど、家族もいるし、一応寿命まで生きるっていう選択でいいと思ってるなあ、と帰り道に思った。特に暗くも無い。
この世はあとは耐えゲーで、お勤めを終えたら何もかもこの世に返して裸で死んでいくんだけど。裸で生まれたし、そんなもんだと思ってるけど。
とりあえず、そういう無意味なんだよな、っていう心持ちで、心にストレスをかけないように、とりあえず作業的に、今日生きる意味を刻んだ。
週間目標や、月間目標もあるし、年間目標もあるし、だいたいそれに準じて生きている。
そういう意味を刻んでるってのは、どこの企業や個人でもあるだろうし、その歴史にはたして意味があるのかも了解できないんだけどさ。
あまりにも自分の人生は無意味なんだけど、こんなもんかなって寂寥感っていうか、寂寥感から寂しさが抜けて、ただ化石ってか、植物が現実を見てるみたいってか。
解離障害ではないけど、多重人格みたいな。統合失調症でもない。
つい最近、知り合いの精神科の先生に相談しても、なんも問題なしだった。
今日生きる意味を刻んだし、明日も刻むし、そこには進歩っていうか、まあ、生きてる中でのデューティーっていうかな。
やらなきゃいけないものを責任もってやるっていうそういう感覚があって。それをコツコツこなすって感覚がある。
知識が増えるので、まあ今後の人生はそういう知識を持ったまた新たな人生になるのかなって。知識があれば見える世界も違うし、優秀な成績で資格をとれば、また世界が違うのかなってのも思うし。
だけど、過去はもう取り返しがつかなし、自分のたかっていうか、その限界みたいなところはもう自動的に決まっているし。
そういう中で、モルモットが檻から出られないように、一生を過ごすのかなっていう寂寥感から寂しさぬいた、そういう気持ちがいっぱい。
相手を叩いた結果が自分でわかると思ってる時点でお前は駄目なんだよ。
>「今の俺では(略)攻撃力が低い」
は?
妄想?
妄想癖?
なんで病院でお薬貰って毒まみれのインターネットから離れた生活送って治さないの?
叩くことで相手が立ち直れないようにするのに必要なのはただひたすら数をこなすことなわけ、だって誰がどれぐらいのダメージを受けるかなんて本人じゃなきゃ分からないんだもの。
それでも一つだけコツがある。
それは
・相手にお前が相手を叩きたいだけの気狂いだと悟らせないこと
これな。
そのためには論理的破綻を減らすこととお前の妄想による決め付けを減らすのが重要なんだよ。
安易に分かりやすい悪口に飛びついて隙を見せないこととも言い換えられるかな。
たとえばだ「お前IQ低いだろ?(ドドーン(脳内効果音」と書いてみたとしよう。
それで相手がネットのクソゲーでいいからIQ150出してたら「は?こいつただ無理やり叩きに来てるだけのキチガイじゃん」とバレてしまうんだよ。
するとお前の言った言葉がどんなにそれまで相手にダメージを与えていても「頭のおかしい奴の戯言」としてスルーされてしまうんだ。
これは本当に最悪。
相手に苦痛を与えたいなら「俺とアイツのどっちがおかしいのか」と堂々巡りさせる必要がある。
その思考迷路に出口を開けるようなことをお前の側がしちゃったらそれまで相手の中で悶々と溜まっていた物が一気に逃げ出しちゃうわけよ。
凄い簡単だろ。
でもこれを実行するには自制心が必要だからお前みたいなすぐ他人に答を求めたり他人の決め台詞パクろうとしているような奴には難しいかも。
医学部出てるし、論文も書いてる。お前さんは、どこから低脳って結論出したのか理解できないな。思い込みだろ?
証拠としては何だが、「医学部は解剖生理などを低学年でやり、4~6年あたりにポリクリをやる」こんな感じでどうだ?医学部出た奴しかかけない内容だろこれ。
統合失調症は脳の病気だから、精神科で薬飲まないと治らないよ。
って別に考える考えないでなく、冷徹に答えが出てしまう。現状、それしか答えが無いとしかいいようが無い。
なぜ、効果も実証されてるものをやらずに、心理療法がどうこうと言い出すのか、むしろ逆効果。という反論が出る。
今回の増田も俺が書いたままじゃないの。他ないだろ。無いことが分からないのは、あなたの勉強不足なだけ。
欧米はアルコールどころか薬物依存症でもかなり放って置かれているというのが本当かも知れませんよ?
薬物依存症の人も最初は酒から入っているはずですし、モーガン・フリーマンはアルコール依存症を克服するのに大麻を使った、あれはコントロールできて良かったみたいなことを自伝で言っているらしいです。
ロシアでは昔は貧乏だったからこその強い酒だったのかも知れませんが、経済発展で手に入る酒の種類や量が増えたらアルコール依存症で死ぬ人が相当増えたらしいです。
日本酒4号を毎日というのを10年続けると依存症にほぼ確実になるらしいので、日本の潜在的な患者はうつ病や統合失調症の人よりも多いという相当深刻な状況らしいです。
酒をたくさん飲めたら良かったという人はうさを晴らす目的で飲むことが多いと思うので、余計に危ないですよ。
ひどい時は家の中の物ぶっ壊しまくったり、近所の人に迷惑かけて警察のお世話になったりしていたよ。
退院したあと、しっかり投薬管理してきちんと薬を飲ませていれば、落ち着いた生活ができるよ。
うちは投薬管理がうまくできなくて、状態が悪化するたびに入退院を繰り返していたんだ。
父親が薬を飲ませていたんだけど、母親が嫌がったり暴れたり飲んだふりしたりしてね。
あとは物凄く体調悪いから飲めないー!、とかね。
今は俺が1日3回、薬を飲み込むまで確認する様にしてからは、安定しているよ。
妄言や気分の上下は無くならないけど、物壊したり人に迷惑かけたりする様なことはなくなったよ。
1ヶ月に1回の通院の付き添いは、父親がやっているよ。
ショック大きいかもしれないけど、そんなにビビることもないから、
親父さんと協力してうまく面倒みてあげてね。
当時自分はまだ小さかったが、母親が祖母に対して、凶器を持って追いかけていたのは今も鮮明に覚えている。
その後、入院したりもした。しかし、おかしなことを言ったりとか、症状はずっとあまり良くならなかった。
そして、最近色々な事情で両親も上京してきた。それからだいぶ症状が悪化した。やはり環境が変わったせいか、誰も周りに知人がいないからか。。
父に話を聞くと、父親が医師だとか誰かと話しているとヤキモチをやくらしい。しんだ魚のような表情の時と、ニコニコしている時と、ニコニコしているが調子が悪い時と3パターンあるとのこと。
そして会いに行った時は、やはり幻覚幻聴がみられた。変なことをベラベラと喋るのだ。
入院するのはその私が小さかった時以来である。ものすごく不安だ。そんなにまたひどくなってしまったのか、、とショックも大きい。
誰かにこのことを聞いてほしくて書いた。
とにかく不安で、はち切れそうだ。
そのあとは、おねしょ防止のクスリを転用してたりするけど、イミプランというトフラニールとかいう三環系のクスリの登場まで、クスリらしいクスリってなかったそうだ。
それで最近、向精神薬の依存を批判した医療ジャーナリストの本を手に取ったんだけど、SSRIとかデパスとかの依存になりやすいクスリの大批判をしてたのね。
それで思ったんだけど、オレは抗うつ剤とか安定剤とかを使い出して、15年以上になるのかな。正直言って治んないんだよ。麻薬だろうがなんだろうが、いまの暗黒生活にほんの少しでも光があたって、人並みに活動できるようになるんだったら、クスリの依存なんかどうでもいいと思ってるのね。精神疾患の人って寿命は短いらしいから。統合失調症なら20数年短くなるらしいよ。
それで角度を変えて見てみて、アヘンの起源を調べたら、メソポタミア文明からだったんだよ。そのころから社会生活のストレスを緩和するためにクスリとしてアヘンは使われてたんだよ。いまのように工業技術で濃縮されたりしてないだろうけど。いちおう文明社会になったので、麻薬はダメですよ、医療用で限定ですよってなって、タバコも禁止に近い。そうすると、その隙間を埋め合わせるかのように、三環系抗うつ剤とかSSRIとかが登場して、合法で使えるようになってるんだよね。それで、トヨタの役員じゃないけど、アメリカでは麻薬成分が入っている鎮痛剤というのがアメリカのセレブでは流行っているらしく、ヒース・レジャーとかホイットニー・ヒューストンとか、フィリップ・シーモア・ホフマンとか、全部が全部ではないだろうけど、ほかの麻薬といっしょに使うかとか、酒をガンガン飲んで鎮痛剤も使うとかして、中毒死してってると思うんだよね。(麻薬中毒ではない人もいるのかな)
オレ自身の生命体としての能力として、何もしなきゃますます能力が落ちて、最終的に死ぬだけだね。第二次大戦の戦記とかを見ると、生命力のない個体って、無残に死ぬだけなんだよ。感染症になったり捕虜とかになってね。明日を生きるために、クスリを飲んでなんとか持たせますよ。バルプロ酸とアモキサンとロラゼパムくらいなんだけど。これくらいで済んでいるだけまだマシじゃん。クスリ飲むなと批判する人って、飲まないでがまんして、何もできない人生を10年とか過ごさせて、それで責任とれんの?って、まあ取れないじゃん。ドーピングでもなんでも、人間は活動できてナンボなんだよ。ほんとのチョビっとしかクスリ飲んでないやつが離脱するのはできると思うよ。でも、オレみたいのは違うんだよ。なんとか直らないかなと思っているうちに15年以上も過ぎちゃった。その間にクスリをやめてみたこともあるよ。1年とかのオーダーで。収穫なかったよ。悪い収穫だけで。断食とか変な修行もやってみたよ。なんともならなかったよ。
オレが戦時中に生きてたとしたら、零下20℃くらいのノモンハンとかのソ連の国境地帯に行って、爆弾もって突撃して敵の戦車のキャタピラーに爆弾を差し込んでお前も自爆してこいって言われて、そうしてるよ。そのくらいしか社会の役にたてないんだから。2年も3年も軍にいて、軍の運営に役立つ人間になんかなれっこないんだから。体力がないから、仮にオレが多少の知恵人でも徹夜で仕事できないんなら軍にいらないってなるよ。軍属でもむろんいらないってなるだろうし。謀略立案するアタマなんかないし。
親に愛されていないことを知った。昔から愛がなかったのか、それとも今になって愛がなくなったのか、それは分からない。しかし、両親は問題に直面する勇気はなかった。
優等生の私、劣等生の姉。勉強ができな姉を虐待する父。虐待されている姉を救わずに仕事に打ち込む母。
父は、姉が勉強できないことを理解せず、ひたすら怒り、わめき、叩いた。母は、その場は止めたりしたが、父親と真剣に向き合って、父親の態度を改めさせようとしなかった。
母は離婚するのが怖かったのではないかと思う。世間体や収入を失うから。
姉は学習障害だったのだと思う。父や母が姉に丁寧に勉強を教えていた記憶はない。個別指導塾に丸投げして、親は最善を果たしている気になっていたのだろう。
私は、姉のようにならないようにして育った。幸いなことに勉強はできたので、一人暮らしをしないといけない遠方の大学に入学。その後、遠方で就職。実家のことはさほど意識せずに過ごした。
それから10年以上が過ぎ、妻の指摘で、姉を抱え込むことが、我々夫婦ならび私の子供にどれくらい負担になるかを知る。そこで、親に直面してみたが、現状何もせず逃げることしか考えていない。逃げることとは、後の世代に責任を押し付けること。
国歌レベルの無責任はいいよ。だって国は変えられるから。でも家族レベルの無責任されても、家族は変えられないんだよね。
可哀そうだった姉は、統合失調症という病気をかさに着て、義務から逃れて権利だけ主張するモンスターになっていた。
暴力父は、表面上は改善したかに見えて、実はこけ脅しで周囲を威圧して会話が成立しない性格はかわっていなかった。
一番まともと思われていた母は、責任逃れの最右翼。今日良ければそれでいい、という享楽的な性格が露呈。
色々やりとりをした後で、私はある覚悟をもって母に電話した。しかし、責任逃れ、責任の先送り、厳しい現実に直面しないを繰り返すのみ。子供に愛情があれば、そんなことは言わないよね、そんな言い方はしないよね、という発言を繰り返す。
そう、私には頼れる両親も兄弟もいないだ、ということを改めて知った。
昨日電話が終わった時には、特に怒りはなかったが、今日になって、他の人にお互いの家庭の話を小出しにしたところ、かなりのハードモードであることが判明。そして怒りがふつふつとこみあげてきた。
怒りと悲しさがないまぜになった血の煮こごり風味。