はてなキーワード: 歌手とは
2008年、僕はその世界に恋をした。
そう、あれは今から8年も前のことで、僕はまだ大学生だった。軽い気持ちで入ったオタサーに所属しており、新作アニメで目についたものを、取り敢えず視聴するのを習慣にしていた。それらの内容について、サークルメンバーとうだうだ語るのが日課だった。とはいえ、ぬるま湯めいたモラトリアム生活にそろそろだれ始めたまさにその時、破格のアニメ、既存の枠組みをぶちこわすような、エポックで世界観をもったアニメシリーズが放映され始めて、僕は瞬く間に虜になった。アニメ一期の遥か前からOVAや企画などの展開があって、物語の背後にとてつもない情報量を含んだ異世界が広がっているのを知って、沼にはまり込むようにその世界へ沈んでいった。DVDを買い、マンガを買い、小説を買い、ゲームを買い、記事の載っている雑誌を買い、ドラマCDを買い、同人誌を買い、SSを読み、ラジオを聞き、イベントに足を運んだ。絶叫上映会で吠えた。自分がこんなに深く、何かに夢中になれると初めて知った。
就職活動をして、社会人になり、いつの間にか新作アニメを追う習慣が失われていっても、そのアニメに対する想いは失われなかった。劇場版やライブイベントに、欠かさず足を運んだ。声優イベントや歌手のライブやアニメ会社のイベントもだ。補給が何度か途切れそうになっても信じて待ち続けていた。だからイベントで、テレビアニメの第3期制作が発表された時には狂喜乱舞して、夜、サイゼで仲間と祝杯をあげた。
1期、2期、劇場版、OVAと違って、今回からは新キャラたちの物語になるのだけれど、大した問題ではなかった。もう一度あの世界がテレビで観れる、と考えるだけで多幸感に満たされた。 第3期の第1話はまず先行上映会で観た。少し引っ掛かる部分はあるにはあったけれど、その場の興奮や、長い時間を経てようやく新作を観れた感激が、不安を押し流した。先行上映会の帰りに、アニメショップで即座にBDを予約した。第1巻にはイベント参加チケットも付属していて、早めに予約しないと参加券が無くなるという危惧もあった。 その後、第1話をとうとうTV画面で観ることになり、少し引っ掛かっていた、違和感めいたところが更に目立つようにはなっていたけれど、それでもまだ、この世界をもう一度TVで観れたという喜びが上回った。録画を何度も視聴し、次回を待つのは幸福な時間だった。
その1週間後、第2話が放映され、地獄に叩き落とされるまでは。
第2話の大半を占め、物語全体でも重要な転機となる戦闘シーンが、正視に耐えない代物だったのだ。いまや流行りのアニメを多少追うくらいの超ライトオタクに過ぎない自分が、耐えられないほどの惨状だった。1期、2期、劇場版、OVAと、8年続いてきた映像の魔法が、一夜にして解けたようだった。海面は水色の板になり、艦船は書き割りになり、航空機は張り子になり、キャラクターは棒人形になった。画面を覆っていたのは、僕を釘付けにした踊るようなキャラの動きではなく、素人でも稚拙と分かるCGの人形遊び、ハリボテの継ぎはぎだった。これがいわゆる「作画崩壊」ならまだ救いはあった。円盤での修正に望みを繋げばいいのだから。でも、そこには欠片の希望も残されていなかった。CGでボロを出さないようにするためだろう、一定の距離を置き続けた、単調で臨場感皆無のカメラワーク、物語や世界観や戦いのリアリティを根こそぎ崩壊させるコンテがそこにあったからだ。万一円盤に修正が入ったとして、コンテから切り直されることはないだろう。
そこからの1週間は、うってかわって、処刑を待つような気分で過ごした。まともな第2話が放映される夢を2回見て、2回とも、目覚めた後、激しい悲しみに襲われた。そうして迎えた3話は、ストーリーに集中することさえできなかった。前話のことは何かの間違いだったのでは、と、祈るような気持ちで画面を見つめ、もう一度裏切られた。戦闘シーンに移るたび魂が削られ、どうかもう日常だけ映していてくれ、と思った瞬間に、突然、反射的にテレビを消した。そしてもう一度電源をつけることも、続きを見ることもできなかった。電源を落として真っ黒になったテレビ画面の前で、リモコンを握り締めたまましばらく金縛りにあったように動けなかった。激しい動揺が自分の中で荒れ狂っていた。
たかがCGが壊滅していたくらいで、自分が、もうこの世界の実在を信じていないのだ、と、気づいてしまって、もはや、続きを見ることはできなかった。
驚いたのは、自分の中にこんな逆鱗があったと気付いたことだ。自分のようなライトオタクとしては、キャラの絆や誇りさえ美しければ良いとまで思っていたし、このアニメについて他人に紹介するときも、世界設定や関係性の話ばかりしていて、戦闘シーンがカッコいいから観て、と言ったことはなかった。そんな自分の不見識を心より恥じたい。あまりにも当然のように実現されていて意識にのぼっていなかったが、この世界や、キャラの喜怒哀楽といったものは、戦闘シーンを含む特殊な動きのリアリティによって説得力をもたされていたのだ。それに以前は、一般論として「作画に比べてCGはダメ」と言われているのを見ても、老害の迷信に過ぎないと考えていた。あの戦車アニメのCGは凄いし、あの劇場アニメのCGは格好いいじゃないか、などと思っていた。今なら分かる。CGは、舐めて使う連中、省エネを考えて安易に利用する者たちの手にかかれば、作品を抹殺する、世界を絶命させる力さえあるのだ。
円盤をキャンセルすると決めた理由は、最初は怒りだった。この世界をこんな風にした連中に、一文たりとも落としてやりたくない。あり得たはずの3期を奪った奴らに、免罪を与えてはならない、と。アニメが壊れていても、まだ小説やマンガは次々出る予定がある、そう考えて、自分を慰めようとした。これまで集めた小説やマンガを読んで、心を鎮めようとした。 しかし、駄目だった。かつて僕の心を満たした幸福も興奮も甦ることはなく、ページをめくるたびに、奪われたものの大きさが実感され、胸を絞られるような痛みが襲った。もうこの世界は壊れてしまったのだ。いま僕の本棚に収まっている無数の物語は、かつて確かに存在した、けれど既に潰えてしまった世界の残骸でしかなく、僕の心は、死者の生前の姿を眺めて安息を得られるような、鈍感な構造をしていなかった。やはり耐え切れなくなって本を閉じた時、怒りよりもずっと深い悲しみが僕を包んで、ああ、きっと僕はもう、この物語の円盤どころか漫画も小説も何もかも楽しむことはできないのだろうと悟った。
僕より度量の広いファンは、「この程度で円盤を買わないというのなら、お前はファン失格だ」と言うかも知れない。だが僕にとっては、円盤を買ってこの作品を認めてしまったら、その時こそ僕は、ファンとして死ぬのだ。
今シリーズも、爆発的にではないだろうが、そこそこ売れるはずだ。昔からの視聴者でも僕より大らかな人間は、作品に満足し、あるいは満足しなくてもお布施として、ソフトを買うだろう。当初目標とされた売上からは大きく落ちつつも、まだ戦える、と、制作側は思い込む。既に戦争は最悪の形で終わってしまったことにも気づかずに。 そして4期なのか劇場版なのかOVAなのかが既定路線的に作られ、しかし売り上げはジリ貧となり、遠からず作品を閉じることになるだろう。そうなったら、なぜコンテンツが死んだのか犯人探しが始まり、新しいキャラや新声優やシナリオが濡れ衣を着せられ、いわれなき誹謗中傷を受けるかもしれない。その時のために、だから、僕は、宣言しておく。
CGだ。あのCGを作った連中が、翼を折り、魔法を潰し、少女たちと世界の息の根を止めた下手人なのだ。
今考えれば、電話などで済ませられたのかも知れないが、円盤のキャンセルなどしたことのない僕は、予約したアニメショップまでもう一度赴いた。ここまで辿り着いたのに踏ん切りがつかず、広くて階層もあるアニメショップをうろついて、このシリーズの小説新刊が目立つように並べられているのが目に入ってしまって、出し抜けに嘔吐しそうになった。声優の結婚が発覚して吐いた、みたいな、よくある都市伝説が、自分の身に起きかけると思わなかった。すっぱいものが、何の前触れもなしに体の奥、心臓のあたりから、とがった感じでせりあがってくるのだ。それを無理やり押しとどめなくてはいけなかった。ほとんど破れかぶれでレジに向かった。キャンセルをしたいという僕の説明が下手で、BD予約に来たと勘違いしたらしい店員が、一旦は、新たな予約申し込み書とイベント参加券を渡そうとしてくれた。ああ、急いで予約したのに、まだ余っているんだな、とぼんやり思った。あまりにも、精神の均衡が狂っていた僕の説明が要領を得ず、店員さんにキャンセルの旨を伝え、イベント参加券を返却して、前金を返してもらうだけの行為に、20分もかかってしまった。
すべてが終わって、地下鉄に揺られている間、これまでの8年間で堪えていたたくさんの悲しみが、走馬灯のように蘇って、一挙に僕に襲い掛かってきた。イベントでアニメの発表がされなかったとき。トラブルでコミカライズの終了が決まったとき。小説を書いてくれた作家が亡くなったとき。世界が壊され、死んでいくのを看取ったとき。週末の夕刻、都営新宿線の座席で、ぶざまに泣きじゃくっていた三十歳近いキモいオタクを目撃した人がいれば、それは僕である。
さようなら、僕の愛した世界。8年間、たくさんの楽しい時間をくれて本当にありがとう。そして、あなたが死んでいったときに、何もしてあげられなくて、本当にごめんなさい。
「どういうことですか? いきなりスウェーデンまで呼び出して……」
「ミスター・山中、お忙しいところをすまない。が、なにせコトがコトでな。ボブ・ディランの件はご存知だろう?」
「ええ、そりゃあまあ……」
「クソ文学アカデミーめ。だから文学に賞を与えるのは反対なんだ。
たかだかポップ歌手ごときに国王陛下と委員会の威厳を汚させるわけにはいかん。
そこで……ここにディラン氏の毛髪があるわけだが」
「いや……その……
なんていうか……
よく誤解されますけど、ips細胞ってそういうんじゃないんで……」
「どうした? 万能細胞ならクローンくらい楽勝だろ? 出し惜しみするなよ」
「できないこともないっちゃないんですけど……向いてないっていうか……」
「逆らうつもりはないんですけど、ただ……」
「問答無用! しょせん、アジアのサルか。信用した私がバカだったわ!
存命の受賞者が一人いなくなるのはさびしいが――是非もなし!(ジャキッ)」
「うわあ! う、撃つなァ!」
ドキューーーンン!!
「う……撃たれて……ないのか?
でもさっきの銃声は……?
う、うわああ!
委員会の人が死んでる!」
「フッ……間一髪だったな。怪我はないかい? ジャパニーズ・ボーイ」
「あ、あなたは――
ボブ・ディラン!!
助けてくれたんですね!?
でも、どうして?
「声なき人々の叫びを聞き届ける……それがオレの生き様なのさ」
「カッコイイ……やっぱりボブ・ディランはヒーローだったんだ。
ボブ・ディラン!」
――どれほどの道を歩かねばならぬのか
男と呼ばれるために
どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
砂の上で安らげるために
どれほどの弾がうたれねばならぬのか
殺戮をやめさせるために
その答えは 風に吹かれて
(『風に吹かれて』の歌詞と夕陽をバッグに荒野を去っていくボブ・ディランの背中。それを見つめる山中伸弥教授の目には熱いものが溢れている。そう、彼の無垢な涙こそ、ディランにとってのメダル――ノーベル賞などよりももっと価値のある勲章なのだ)
KinKi Kidsデビュー時の盛り上がりをリアルタイムに目撃しているにも関わらず、当時は彼らの音楽をあんまり気に留めていなかった。さすが山下達郎だなー、歌もまあまあうまいし売れるのわかるなーみたいな。
それがなんだかんだで今年事務所が話題になったときに、なんとなーく昔の曲を聴いてみたら、なんかちょっとツボに入ってしまった。
これだけなら単に、おー20年近く、「アイドル」のクオリティを超えて音楽活動もがんばっているね、いいね、で終わる。
が。
堂本剛のミラノコレクションの音楽監修が話題になっているのを知って、「え、そんなマルチな音作りしてんの?」と気になり、うっかりソロ活動を検索。
数年前に立ち上げたshamanipponのコンセプトがやばいと話題になってたときは、「あーなんかスピリチュアル的なものにかぶれてしまったパターンかー」としか思っていなかったのだが、もったいないことをした。ざっと数曲聴いた限りでも、近年のインスト曲とか、とてもいいじゃないですか。
名義をいろいろ変えてた頃はよく知らないけど、今うまく技術とセンスがマッチして、成熟してきたんだなあと感じる。
戦略的に「売る」ことは志向していないように見えるので(複数形態での発売はレコード会社の都合もあるだろう)けっこう当たり外れはある気がするけど、今はFUNKを全面に出しつつも、それまでの自分の音楽経験を生かした音作りに真摯に取り組んでいる感じ、これからも応援したいと思いました。すごい。
あと、優れた声を持つ非整数次倍音と整数次倍音のデュオとして、個人的にはチャゲアス不在の今いっそうがんばってほしい気持ちもありますので、へんなこととかに巻き込まれず、ご自分のペースや気持ちを大事にしつつも、ソロの作曲家・歌手としてのみならず、デュオとしてもいっそう活躍してくれたら嬉しいなと願っているところです。
仮に楽譜はプロの曲と同じだとしても、カラオケはあくまで汎用の演奏でしかないんだよね。
楽器(音色)選び・チューニング・エフェクト・演奏の強弱(音量)調整と、より歌手の声を生かせるようにいろいろ気を配っているのよ。
遊びレベルでDTMやってるけど、この差もかなり影響するのは確かかな。
アマの歌い手の曲になれすぎたティーンズがよくプロの特徴的な歌手の曲に文句付けてるけど、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000527-sanspo-base
このライブに実際に行ってた。
ただこのニュースの書き方を見てすっごく後味悪い。
その時はこんな記事は出てないと思うが、今回は運が悪すぎる思う。
特に天候。
あんなのどう頑張ったって上から養生している以上、腐ってしまうよ。
ジャンピングしてた奴もいるとかヲタクガーとかそんなんじゃなくて。
配慮したのか知らんけど、“ある歌手”ってわざわざ書いて、当該ソースに別記事でがっつり名前が出る。
意図してないんかもしれんけど、なんか悪い印象に誘導されてるようで後味悪い。
楽しかったけど、すっげー後味悪い。
近所の店の前でたまにイベントをやっている。
だいたい聞いた事もない歌手が歌ってたりする。
いつもならあー今日もやってんなーくらいに思ってた。
でも昨日は久しぶりに晴れた日だった。
疲れてた。
でも窓を開けたら歌が聞こえてくる。
我慢できなかった。
店に電話した。
うるさくて窓を開けられないんですけど、と言ったら店側は動揺してた。
イベントは店がやってたんじゃなかった。
商店街がやっていたようだ。
お店の人はとても申し訳なさそうにしてくれた。
イベントは終わったのかやめたのかすぐ静かになった。
ごめんね。
来年で30になる。
子どものころ海外に行って別れて、久しぶりに地元に帰ってきたKくんはモデルを目指すという話を噂で聞いていた。
どうにかしなければならないと思いつつも完全に対人恐怖症になっていた。
電車の中の女の子たちの笑い声ですら動悸がして、非常にストレスになる、今思えば完全に病気だった。
あえば当時10年ぶりの再会となるが、俺は旧友とは誰とも会わなかった、会いたいと思わなかった。
その時、成人式で親友だったやつと目があい、頑張って明るく挨拶したが無視されたのを思い出していた。
こんな俺をみてもコメントに困るだろうし、俺もK君の中の思い出を汚したくないし、何よりとても辛いので会うことができなかった。
会わなければいけないことは頭では分かっていたが何もできなかった。
都合が悪いふりをして会わなかった。
ドアには電話番号が書いてある紙がかけられていた。
考えて考えて、やっぱり電話を掛けるべきだと思ったが、とても何を話せばいいのか想像が付かない。
どう受け答えすればいいのか全くイメージができない。
何を言えばあの頃の思い出を汚さずにキラキラとさせたまま期待を裏切らずに電話を切れるのか考えた。
家の前のアスファルトの道路の上に、靴を履いてパジャマ姿で立っていた。
長い時間が経ったように思えた。
答えは出なかった。
それからしばらくはそのことがずっと心のしこりで残り続けていた。
俺はというと頑張って大学を卒業して何とか就職して働きだした。
もちろん忙しいときはそんな暇はないが。
何とかまともな社会人になってきたところでふとそのことを思い出した。
名前が特殊なだけあってネットで簡単に今の近況を調べることができた。
モデルを目指している人間がブログやツイッターを本名でやらないわけがないからだ。
10年前の俺にはできないことをしている。
今度ライブをやるらしいが、あいにく見に行くことができない距離だ。
特に大きな病気もせず活動を続けてきたんだなということがわかった。
残念ながらTVドラマに出まくるとか大ヒット歌手になるというところまでは行っていなかったが。
今の俺は何が違うのだろうか?
今でも俺は自分の武器を取られたらオロオロして自信を無くして取り乱す人間だろう。
少し仕事ができるようになったせいで偉そうな精神性と虚ろな自信を身に着けたから、
今連絡を取りたいとか応援したいとか思い出しただけだ。
要は、自分に必至じゃなくなったから他人の人生にちょっかいかけたくなったのではないか。
どうしてもその疑惑が晴れることはなかった。
俺が伝えたいことはこうだ。
「10年前Kくんに電話をかけなかったのは決して嫌いだとか関わり合いたくないからではなく、
今の汚物のような俺がモデルを目指す君のキラキラとした思い出を汚しかねないと判断したからだ」
「そして汚さないように交流を持つということも当時の俺の能力では不可能だったからだ」
「もし、嫌われたとかそう思っているのなら誤解だ、10年間何も言わずにすまなかった」
「今はバンドしたり歌手をしたりして幅広く活動してると思うけど、もし機会があればライブを見に行きたい、頑張って」
10年後である今の俺に、これを誤解なく、かつ円満に伝えられるだけの自信はなかった。
どうやら俺は10年前の俺と同じように、あの当時から10年後の未来の俺は同じように、
きっとまた連絡を取れずに終わるのだろうか。
俺が自分の心のしこりである重荷を解き放たれたいという欲求があるのか、
それとも未だに自信がなく怯えているのか、
あの当時自分の選んだ選択を一生責任を取って肯定するべきなのか、
難しいことを考えずに連絡を取り、何事もなく終わるのを期待するべきなのか、
Kくんにとって何が望ましいことなのか、古傷をえぐることにならないのか。
Kくんが増田なわけはないが、
万が一にも増田なら、
あの時俺が会わなかったのは、どんな顔で会えばいいのか分からなかったんだ。
電話を掛けなかったのは、どんな話をしたらいいのか分からなかったんだ。
そして今も連絡を取れないのは、もう自分が何を本当に従っているのかも、
すまん、Kくん。
立派になったら連絡を取ると誓ったが、
俺には一生無理かもしれない。
どうすればあの時と10年間を軽く謝って応援できるのかイメージが付かない。
俺は何も変わらなかった。
とても悲しい。
夢を叶えてください。
でも日本語を忘れかけていると書いていたのを見て、
もうこちらでのことは忘れて新しい生活になじむのを優先した方がいいのではないかと
いっしょに遊んだこととか、今でも全部覚えてる。
本当にありがとう。
また、いつか。
Wより
【2―1 邦画最大のアドバンテージ「TV宣伝」と、その将来性 】
前項のとおり、現在の国産映画が、クオリティで上回る輸入映画に対抗する方策としているのは、
製作に参入したTV局の番組露出を最大限利用した、企画・宣伝のスクラム展開である。
放送倫理面の問題は上述のとおりだが、それは別個の案件とし、以下はその将来性について分析する。
→出演俳優を公開前〜同時期に他の連続ドラマやCMに出演させ、人物の話題を維持する など
これらはTV局芸能界隈と連携することで得ていた国産映画のアドバンテージだが、TV離れが進むと、これらの効果は低下する。
特にTVドラマは視聴率低下が顕著で、それに伴い映画化の本数や興行は急速に縮小した。
【シネマ羅針盤】なぜ実写邦画は『シンデレラ』に勝てなかったか?
http://headlines.yah...8-00000006-cine-movi
>番宣とは「番組宣伝」の意味だが、最近は「映画の番宣」という言い方がされ、
>バラエティ番組などで「そう言えば、○○さん、映画が公開されるそうですね」というやりとりをよく見かけるはず。
※このダイアリーは長文です
いきなりだが、次の一文を読んでみてほしい。
「私は世界でひとりきり」
さて、あなたはこの一文についてどのような解釈を持っただろうか。少し考えてみてほしい。
別に心理テストをしているわけでも何でもないのだが、自然に(1)の解釈を持った人は色んな意味で幸福な人生を歩んできて、今現在も歩み続けている人なんだろうと思う。少なくとも(2)の解釈を持ってしまうような人からすれば、そう思える。かくいう私は「ひとりきり」という言葉を聞いて「個性」よりも「孤独」を連想するタイプの人間である。
話は少し逸れるが、数年前まで週刊少年ジャンプで連載されていた「魔人探偵脳噛ネウロ」というマンガがある。知らない人のためにこのマンガをざっくりと紹介すると、「魔界から来たドSの魔人が女子高生を奴隷化して数々の難事件を解決していく」SMアクション謎ときマンガである。本能に忠実に従って爆弾を爆発させまくる主婦や直接注射すると筋肉ゴリゴリに変身できるスープを作るコック、自分でこしらえた家具を身体に装着して戦う家具屋など、常識の枠にとらわれない犯人が毎回登場することで少し話題にもなった。私は中学生のころジャンプを購読していたので、毎週このマンガを読んでいた。別に「魔人探偵脳噛ネウロ」が読みたくてジャンプを購読していた訳ではなく、「せっかくジャンプを買ったのだからついでに読んでおこう」程度の気持ちで読んでいたのだが、このマンガがあるエピソードに入ったとき(正確にはそのエピソードが終わった時)、私は強い衝撃を受けた。それは「こんなにも私の気持ちを代弁してくれるようなマンガがあるのか」というものだったが、その衝撃は今でも覚えている。人に「一番心に残っている作品は?」と質問されたとき、すぐに「魔人探偵脳噛ネウロ」と答えるくらいだ(作品自体がめちゃくちゃ好きというわけではないが)。
さて、猿のような中学生にそこまでの衝撃を与えるエピソードはどんなものかというと、以下のようなものである。
①探偵事務所に超有名歌手の「アヤ・エイジア」という人物が現れ、仕事を依頼する
②依頼内容は事務所で首を吊っていた彼女のプロデューサー・マネージャーへの警察による自殺判断の調査
③ネウロと主人公が探偵調査を行った結果、実はプロデューサーとマネージャーは自殺ではなく、他殺だった
⑤謎解き終了
私のミジンコレベルの要約能力では読者の方は恐らく何のことかサッパリ分からないと思うが、興味がある人は原作(2巻だったかな)をあたってみてほしい。
ここまで簡潔・適当に要約したのは、私が衝撃を受けたのはこの事件のトリックや謎解き、犯人ではないからだ。私が最も衝撃を受けたのは自身のプロデューサーとマネージャーを殺害したアヤの動機だった。動機については当日記の核心となる部分なのでもう少し丁寧に説明する。
アヤはある特殊な能力を持っている。それは「ある特性を持っている人間を、『歌』を歌うことで失神させる」というぶっとんだものである。では「ある特性を持つ」人間とはどんな人間かというと「自分は世界にひとりきり」と感じている人らしい。アヤによると、全ての人間の中の数%(正確な割合は忘れた)は先天的にこの特性を持っており、この特性はなかなか消滅するものではないという。そして、アヤ自身も「自分は世界にひとりきり」と感じる人間だった。彼女は「ひとりきり」であり、「ひとりきり」を完全に理解できたが故に「ひとりきり」の特性を持つ他人の脳に直接干渉・失神させることができたのである。彼女はこの能力を歌手としてフルに発揮し、数年のうちに全世界に名を轟かせる超有名歌手になった。
そんな彼女を影で支えていたのがプロデューサーとマネージャーだった。両人ともアヤがデビューしたての頃からアヤのことを親身に、時に厳しくサポートしており、アヤにとってはかけがえのない人物となっていたのである。しかし、彼らがアヤに近づけば近づくほど、アヤは「ひとりきり」という感覚を失ってゆく。彼らがかけがえのない人になればなるほど、アヤの能力は弱まり曲の売り上げも悪くなる。アヤは悩みに悩んだ結果、能力の消滅を恐れてプロデューサーを、その次にマネージャーを殺害した。2人が死んで「ひとりきり」の感覚を取り戻した後のアヤの曲は再び世界的に大ヒットするようになった。
孤独を感じない人間などいない。しかし、例えば恋人とデートしていても常にどこか心の中に相手のことを信じていない自分がいたり、友人とどれだけ楽しく話せていても心の中に高い壁があるように感じたり、家族と食卓を囲んでいるのになぜか他人と食事しているように感じたり…と、明らかに異常な場面・異常な頻度で孤独を感じる人がいる。少なくとも私は「ひとりきり」の人間だった。だからこそ、訳の分からないぶっ飛んだ謎解きマンガに信じられないくらいの衝撃を受けたのだ。今考えれば「中二病」と呼ばれる症状の一種なのかもしれないが、しかし20代中ごろを突っ走る今現在も、私自身の「ひとりきり」という感情は存在している。さすがにもう中二病は卒業していると信じたいのだが…。
私がなぜ数年前のマンガを扱ったこの日記を書くに至ったかというと、アヤと同じで「ひとりきり」の感覚を失いつつあるように感じたからだ。私はこれまで孤独とともに生きてきた。この孤独は常に1人であるという意味ではない、常に1人であるように感じてきたという意味だ(実際1人でいることが多いのだが)。1人でいると心が安定するので勉強や仕事も捗る。学生時代は1人でいたので受験には成功したし、そこそこの職に就くこともできたし、社会人になってからそこそこの仕事もこなしてきた。しかしここ1年ほどで状況が大きく変わった。職場でかけがえのない友人や心から尊敬できる上司と出会い、彼らとの交流を深めてゆく中で自分が「ひとりきり」でないように感じてきた。そして明らかに仕事の出来が悪くなった。きっと交友関係に無駄な時間を割いているからだと自分には言い聞かせている。
他人からすれば「ひとりきり」でなくなることは良いことだろう。しかし生まれてからずっと「ひとりきり」だと感じてきた私にとって、「ひとりきり」の感覚を失うことは自分自身を失うようでとても怖い。また、今はまだ問題の無いレベルだが「ひとりきり」でないことが生活にまで影響してきていること、さらに今後も悪化しそうなことも怖い。
もしこの日記を読んだ人の中でこのような精神病を知っている人がいればぜひ教えてほしい。
それにしても、私と同じように自分を「ひとりきり」と感じる人はどれくらいいるのだろうか…
断然、小林幸子だと思う。
彼女なら、アニメやゲームのキャラクターとも、ボカロとも共演して違和感がないし、
ARでもプロジェクション・マッピングでも、あらゆる最先端の演出にも対応できるはずだ。
もちろん、派手派手な装置(衣装)で世界の度肝を抜くのはお手の物だろう。
しかも、出てきただけで「あ! 小林幸子!」と日本全国の老若男女が盛り上がること請け合い。
パフュームやベイビーメタルだと、年配者の反応がいまひとつになると思う。
まあ、世界的には無名だろうが、どうせ、ロンドンでポールがヘイ・ジュード歌う、みたいな「世界中の誰もが知っている歌手が聞いたことある歌うたってる」というシーンは
だったら、「日本人なら誰でも知っている」人を堂々と出せばよいと思う。
多分、クライマックスでド派手演出の小林幸子が登場すれば、会場は異常に盛り上がるはずで、
その空気が中継でつたわれば、「ああ、なんかよく知らんが、このベテラン女性歌手はニッポンを代表する人気者なんだろう」ということは伝わるはずだ。
それで充分だろう。
遡ること30年ほど前、
今考えてみると18禁なことが何でもしてみたかったんだと思う。
のちのちこの映画館は大槻ケンヂの「グミ・チョコレート・パイン」に記述があったので東京の中高生がこっそりピンク映画を見に行くメジャーな映画館だったのかもしれません。
内容は豪華3本立て
1.高部知子のニャンニャン事件をモチーフにした話。干されて「仕事をください。」って言いながらSEXしてた。
2.処女を捨てたい女の子の話。昔はグループサウンズやっててモテモテだったが今は鳴かず飛ばずの歌手のおっさんと初体験をしてた。
3.蒲田行進曲のパクリでアニキが病院に入院して看護婦に言い寄る。でも看護婦は見舞いに来ていた弟分が好きでアニキが毛じらみ持ちなのでアニキの下半身の毛を剃ってSEX。その後弟分と看護婦が井の頭公園でアハハウフフと追いかけっこしてEND。
面白かったのでタイトルがわかる方がいらっしゃったら教えて下さい。