はてなキーワード: 日焼けとは
いままで3人の「65歳を過ぎてもモテモテの男」に会った。
どの方も、セフレを複数人もっていて、体の関係のない女友達も多い。
この3人に共通点があったので共有したい。
偶然一致しているだけっぽい事項と、因果関係がありそうな事項が混ざっているけど、
・出会い系サイトで日記を書いたり動画をアップしたりしている。
・ストライクゾーンが広い。すごく広い。
・フットワークが軽い。50kmの移動を苦にしない。
・安くて美味しいお店をたくさん知っている
・男に対しても気を使う。
・日焼けしている。
参考にどうぞ。
おまけ。共通点がないこと
・頭髪。フサフサもツルツルもいる
テレ朝の例の連中の話に付随して。
緊急搬送されるようなリスクのある行動は極力避けるべきかと思う。そういう意味で、テレ朝のあの連中は叩かれてしかるべきである。
しかし緊急搬送されたことそのものは叩いてはならないのではないか。世間がどういう状況であろうと、緊急搬送される判断に影響すべきではない。本来されるべき人が影響されることは避けるべきで、そういう言説は極力ネット上に載せないように、解像度の高いコメントをする努力を我々はしないといけない。でなくばメディアを笑えない。
これまで同様、タクシー替わりの使い方(酔って寝た(危険状態でない)、日焼けが痛い、子供が指先を切った、歩けるのに腰が痛いと呼ぶ、料理しててやけどした、等)はNO、これは「病床がひっ迫してるから」とかそういう話は関係ないはずである。
急性アルコール中毒で倒れているのであれば(大イビキをかいてギュッとつねっても反応がない、ゆすって呼びかけてもまったく反応がない、体温が下がり全身が冷たくなっている、倒れて口からあわをふいている、呼吸が異常に早くて浅いまたは時々しか息をしていない。https://www.ask.or.jp/article/535)、すぐに救急車を呼んだうえで元気になったらそいつをぶん殴るべきで、その場で「そう言う奴のために救急車呼ぶな」と言うべきではない。そういう意味で、その周りにいる連中がその場であーだこーだ文句を言って救助を阻害しようとする行為は、「そいつが死んでもいい」という未必の故意を含む行為であり、本人は正義を盾にしているつもりだろうが、実際は悪である。どうしても言いたいのなら、救急搬送されたことを確認し、そのうえで講釈を垂れたらよろしい。まず人命だ。
どう考えても日傘を使った方が楽になるのに、なぜここまで男女差があるのか。男性が日傘を使わない理由を考えてみた。
なお、増田は日傘を使う40代後半の男性である。男性を煽る意図はない。
たぶんこう答える男性は多いだろうけど、根本原因にはならない。
女性が日傘を使う理由として、昔は日焼けしないようにというのが主流だったような記憶がある。
それがいつの間にか猛暑のつらさを緩和するためのアイテムに変わった。男性はその変化に気づいていない。
あるいは、男性は日焼けして黒くなった方がカッコいいという価値観がある。日焼けしても赤くしかならない僕でさえ、日焼けしたい気持ちは少しはある。年配の人ほどその傾向は強いのでは。
ポケットに入る荷物しか持ち歩かないという男性は少なからずいる。あるいは小さなバッグだけとか。
女性は色々と持ち物が多く、そこそこの大きさのバッグを持つ人が多い。
女性の中には実用性よりもファッションとして持っている人もいるのでは。
周りを気にしているという点で1と類似。
同じ暑さでもしんどさは女性の方が上なのでは。
日焼けが目立たなくてええな
ある古本を見つけた。
その本は、当時大学生だった人が書いたもので、随筆のようなものだった。
日々、感じていることや考えていること、日常のちょっとしたできごとなどが、そこには書かれている。
発行年を見ると、50年前くらいに発行されたらしい。
当時大学生、つまり20近いくらいの人が書いたものが、50年後の自分にまで届いているのだ。
今、これを書いた人は70くらいだろう。
しばらく、その本を読んだ。
何を考え、何を感じたのか。
その本には、この本が重版されないであろうということも予測されていた。
著名な人の本であれば、今後も重版されたりする。
しかし、自分は時代に名を残すような人物ではないから、重版されることはないだろうというものだった。
実際、他にも本を出版してはいるが数は多くなく、重版された様子も自分が確認する限りは見つからなかった。
感傷的な気分になる。
それらのものから、人柄を知ることができ、その人がどのようなことをした人なのか知ることができる。
しかし一般のような個人的な人物については、有名な人と比べ、調べようと思っても、なかなか調べられないように思う。
知ろうと思っても知ることが難しいのである。
4年かけて髭をほぼ撲滅したので、その体験談を備忘録を兼ねて共有する(※個人の感想です)。
自分は男性であるが、もともと女性に憧れていて、髭を無くしたいと思っていた。
定期的に毛抜きとかで抜いていたが、手間がかかることと、一定頻度で埋没毛→炎症のコンボを喰らうのが嫌になった。
一時期自宅で脱毛器を使って処理していたが、うまくいかずに頓挫していたので、
インターネットで検索して情報収集した。事前に得られたのは以下の情報だった。
これらの情報から、費用よりも効果を重視し、医療用脱毛にすることにした。
来院して、一通りの説明を受けたのち、契約書への記入と支払い(前払い)を行った。
自分が契約したコースは、口周り+あご+もみあげ周りの4年間無制限コースであり、約12万円だった。
無制限と言っても、照射から2ヶ月は空けないと次の照射ができないので、実質的に最大24回のコースであった。
・電話またはウェブで予約する。いずれも大体1ヶ月先くらいまでは予約で埋まっていた。
・番号で呼ばれて(名前では呼ばれない)個室で施術を受けるという流れである
・男性と女性は待合室から別々であり、受付以外で顔を合わせることはない。他の男性とは待合室で顔を合わせることはある。
・隣の部屋とはカーテンで仕切られているだけなので、隣の個室の音は聞こえてくる
・髭周りの脱毛だと、1回15分くらいで終わる
・保湿を十分に行うよう指示される
・日焼けはNG、日焼けしていることはもちろん、日焼けの予定がある場合も照射できなくなるケースがある
・脱毛のレーザーは毛根の色素を攻撃するので、毛抜きなどで抜いている毛根には効果がない
・自分が通ったクリニックの場合、施術する看護師は全て女性であった。肌が綺麗ですねと褒められたのが嬉しかった
・痛みは口周り、特に上唇の周りが最も痛い。輪ゴムをバチン!とされる感じである。あまりの痛みに涙が出てくる
・照射後一週間ほど経つと毛がスルッと抜ける、この時点で照射した部位の毛はほぼ全て抜ける。見かけ上は毛が撲滅したように見える。少し気持ち良い瞬間である。しかし一ヶ月くらい経つとまた毛が生えてくる。
・というのも、一回の照射で完全に処理(もう生えてこなくなる)できるのは全体の1割にも満たないようである。無数のベロリンマンを相手するようなものである。ほぼ完全に脱毛するには何回も照射しなければならない
・不十分な出力で連日照射することは、ただ痛いだけで脱毛効果はほぼないということになる。自宅でやっていた脱毛に挫折したのは、このことと前項のことを知らなかったからである
・しばらくは上記のサイクルを繰り返していて、見かけ上変化はなかったが、1年を過ぎた頃から段々と生えにくく、また薄くなってくる
・照射開始後2年くらいで、顎下の毛はほぼ根絶に成功した。一方でもみあげ周りはしぶとく、4年経っても薄い毛は残っていた。口髭周りもほぼ絶滅できたが、数本は最後まで残ったままだった
ニューヨークからフロリダへとヒッチハイクの旅はトラックを経由した。光り輝くフロリダオレンジの太陽が私の帽子を貫く。木漏れ日に目を細めるとトラック運転手は荷台へ向かって大声を張り上げた。
「おまえさん、こんななにもない場所へどうしたんだい!」
私のうまく起こせない上体はトラックの端にある紐で結ばれている。少し前運転手はバスケットコートのカメラから見るボールみたいに目を大きくした。私の身体は動かず、車椅子に支えられていたからだ。あんたそんなのでどうして遠出しようってんだ、と運転手は感嘆の声を上げた。それが二時間ほど前のことだ。
私は運転手に家族の集会があることを伝え、その用事がバーベキューであることを教えた。それからフロリダ州の看板が見えたので、コントラストを強く投射する景色を風に流しながら、私の名前を伝える。そうかい、メグっていうのかい、と運転手は陽気に答えた。林立するビルを縫って突き抜ける青が歯科医に飛び込んでくる。フロリダはオレンジの国じゃない。避暑地だ。だからバーベキューには都合がいいのだ。多分そうだし、そういうことにしよう。うちの家族に振り回されたことは忘れて。<溶け出しそうな>夏の頃が思い出されたとしても。そういえばあの日もこんな風に感想した風が髪の毛をさらっていったものだ。サングラスが反射する光のその先に目的地があった。
◆
「どうしてそんな事を言うの」
電話の向こう側でケンがなにかの言い訳をしている。言い訳の仕方はまるで父そっくりだ。もうそんなところばかりだ。わたしときたらそんなケンに向かっていつもは冷静なのだけど、彼が父のように逃げ続けるさまを見ていると、どうしても声を張り上げてしまう。ケンはそんな時に決まって「メグはママにそっくりだよ」と吐き捨てるようにいう。全く美味しくないチリソースをアスファルトにぶちまけるようにだ。理由はこうだ。本当はここで開催される予定だったバーベキュー大会が、父の会社の都合で大きな話になり、他企業を巻き込んだバーベキュー大会に発展したらしい。それも開催地は何故か日本。私はケンに、肉よりも寿司の日本でなぜバーベキューなのかと問い詰めたが、頭に血が上っているのかケンは日本だって神戸牛があるし、開催地としてアメリカとは違った面白さが出せるんだといい始めた。違う、そういうことじゃない。少なくとも久しぶりの家族のバーベキューが行われ、とってもプライベートなものだって聞いていたのに、どうしてそれがお父さんの会社と関わっているのか聴きたいのだ。しかしケンはこれは日本と米国の絆を結ぶためのものなのだ、と主張してやまない。ALS-CoVζ+が未だ収まっていない時期になぜそんなに話を大きくしてしまうのだろうか。そんなことはどうだっていい。それよりも、家族の一致団結できる機会が失われた事実が私にとってショックだった。素晴らしい日差しの下でトロピカルフルーツソーダの飲みながら、サンオイルで日焼けをしている人達もいるのに。
◆
「やあケン。今回は会社から大会の趣旨が発表されてね。ぜひ神戸牛とアンガス牛の対抗戦をという事になったんだ」
「それで、勝った方には?」
「純金製のメダルが贈呈されるだけだよ」
「だけ?」というケンの声がスマートフォンの不協和音とともに響いた。父のノキア製は日本ではマイナーだと聞かされて、その音質に少しだけ疑いを持ち始めたばかりだ。父はケンの懸念事項がバーベキューの開催予定地のことばかりだと思っていたが、どうやらそのノキアで聞く限りそうではないらしいことが理解された。ケンは明らかに家族の集会が壊されたことを怒っており、主催は誰だと問い詰めてきたのだ。父はやむなくドビュッシー会長という人物だと述べたが、俺はクラシックの名曲よりも古いラップが好きなんだと皮肉交じりに父の言葉を投げ捨てた。まるでそれじゃあ、ダディはまたしても「お山」の大将「だ」ろうとまでいう。ダディーはクールじゃないとまで言い放った。それは一体何のジョークだいというと、日本版の4chのセリフさ、と返すばかりだった。ゼータ株はあの頃の僕たちのキャンプを奪ったが、父は僕たちから家族の有り様を奪おうとしているのではないか、そんな懸念がケンの頭をもたげた。そのくせゼータ株は活発に人々を結びつけようとしていやがる。ニューヨークからメグを追いかけるケンはハンドルを回しながらそうつぶやいた。
◆
ケンがメグと合流して数時間後、隔離が完了して未感染者のみが利用できるビーチで突然人が溶けた。その液体は灰色と真っ黒な血をビーチに滴らせ、バーベキューの肉のようにビーチの砂を汚した。それとは関係なく海鳥は通り過ぎ、メグは声にならない声とともにジーザスという単語をピンク色のリップを塗った唇から漏らした。到着したばかりのケンは目の前で人々が弾けて溶けてゆくさまを見て、エボラか何かかと目を疑い、それが数年前に起こった悪夢の再来であることを知覚した。フロリダ州に緊急事態宣言が敷かれ、州知事は政府の圧力によって州ごと隔離されたことを発表した。通信網は途絶え、父との国際連絡も取れなくなったメグとケンは、暴徒鎮圧用のゴム弾を装備したSWATたちに誘導されて収容施設へと向かった。発電の電源はかろうじて発電機型のバッテリーとして供給され、被災地には水が運び込まれた。しかしそのどれもが決死の覚悟で運ばれてくるものであり、運転手は全身防護用の白い服を着て入念な消毒を経た後にフロリダへと入り、そして出てゆく際にも消毒を行わなければならなかった。ひとまずイントラネットとして暫定的に繋がれた外との通信によりニュースだけを見ることができた。
そうして避難所での生活が進む中、ウィルスで隔離された人々の間に奇妙な一体感が生まれようとしていた。それはヒステリックな怒りであったり、それを鎮めようとするものであったり、また話し合いによって解決しようとする者達や、殴り合ったあとで肩を組み合うレッドネックたちなどによってだ。彼等はお互いをファミリーと呼び合い、外にいる連中をウォーキング・デッドだと笑いとばした。正気が保てない人々は、普段忌み嫌っている低所得層のレッドネックたちの話をよく聞いた。富裕層たちは臨時の学校を開いて塾を作り、黒人たちは放課後と称して子どもたちにバスケットボールを教えた。そうして閉鎖空間は小さな社会になった。ケンもメグもよく話し合った。とりわけ、ゼータ株のことについてだ。彼等は先日の家族のことを思い出して悲憤慷慨し、やがてウィルスによって僕たちの絆が深また奇妙さと、ウィルスによって人々がばらばらになった悲劇を語り合った。
その頃からメグの夢枕には、なくなった叔父の姿が映るようになった。叔父は家族の異事で何かをいいかけていたが、そのたびに消えてしまう。そんな夜が繰り返された後のある朝、フロリダの海岸にある変化が起こった。その変化はイントラネットTVに映し出されると、やがて通信の全てが回復した。日本の企業ソフトバンクが提供する緊急ブロードバンド回線につながったメグたちのスマートフォンは、あるものものしい人物たちを映し出した。それは水陸両用車両のようにも見え、中から防護服をつけた人が降りてくるのが見えた。車両には見慣れない文字が書かれており、不意にケンがそれを見て叫んだ。まるでパーティーが始まったかのような喜びようだった。見なよ、あれは"セルフ・ディフェンス・フォース"だぜ! ケンの指差す画像の向こうにあったもの。それは自衛隊の揚陸艇であった。第十七小隊、フタマルマルこれより状況開始。という声とともに彼等は海岸に落ちた血や散らかった廃棄物、まるでタイフーンにやられた風に映るカビの生えた建築物を撤去し始めた。そんな作業が一週間もつづくと避難場所の衛星問題はすっかり快適になり、自衛隊の面々と記念写真すら取れるまでに改善した。ケンはその時彼等にどうして来たのが十七小隊なんだいと問いかけたが、ある隊員は、十七小隊は俺達のメダルみたいなもんさ。と笑って返すのみだった。ケンはそれを聞いて、じゃあ俺たちはあんたたちに助けられたから十六小隊でいいさ、と破顔した(筆者注:2021/08/01)。
◆
日本にいる無責任な父は流石に心配な顔をして息子たちを迎えた。ただし父は両名が無事であることを確認すると1、バーベキュー大会は玉石混交のパトルロワイヤルでありジャパニーズヤキニクとチンギスハーン、バーベキューの三つ巴の戦いだったと熱く語り始めた。勝敗の決し方があまりに不透明な競技だが、メグにとってそんな話はもはやどうでも良かった。怪しげなバーベ審査員のことにも興味がなかった。父がミヤゲに持って帰ったネギマをケンは頬張っていたが、メグはどうしたって騙されることはなかった。クールビューティーと目される荒川静香のイナバウアーが見たかったというわけの分からい答弁を無視して、メグは今回の隔離事件の顛末を事細かに語った。父はそんな事知ってるさと遮ろうとするが、メグは人差し指を父の唇に当てると子供を諭すように父と目を合わせた。彼女は、「それで今回の事件でとっても頼もしいステディな人ができたのよ。自衛隊員の人なの」、という。父は喋りかけていた口を閉じると、目を白黒させた。あのフロリダオレンジの目を見開いたトラック運転手のようにである。
しかしやはり父は普通の人間と少し違った。それなら早く紹介しなさい。次のバーベキュー大会があるんだ、と彼を巻き込もうとし始めたのだ。メグは両手を上げて首を横に振ると、やはりちょっと前の出来事を少しだけ回想しながらジーザス、と小声でつぶやいた。
ケンはそんな様子を見て、口の中のネギをすっかり胃袋の中に押し込めながら、こいつにケチャップをかけると日本人とも仲良くできるかもね、と一人で口角を上げた。ゼータ株が運んだ全ての問題は、まるでその性質のように全てを溶かして人々をつなぎ、父子は空港で呆れながら仲良く語り合った。避難所のメンバーのメール着信がなり響いてメグがその知らせに目配せする。
※別作者です。おしまい。
うちの男どもはみんなキャンプバカで、私が小さい頃から、兄ちゃんもお父さんもおじいちゃんも、しょっちゅう仲間たちとキャンプ場に数日籠もっては、別人かってくらい日焼けして帰ってきていた。
お父さんの取引先?が持ってる山奥の豪華な別荘地に泊まる年とかもあって、
あとで写真とか動画を見せてもらうと、めっちゃ綺麗なコテージ。テントもピカピカしてて、楽しそうな雰囲気ではあるのだけど、
「じゃあメグも来るか?」と言われると、酒飲んで騒いだり、踊ったり、時には号泣するようなノリにはついていけないかな…と思ってしまう。
今は部屋で絵を描いてる方が楽しいし、私だって子供なりに友達付き合いとかあるし。
コロナになってすぐ、おじいちゃんがゲーセンで感染して入院してからも、残った二人はキャンプ活動を続けていた。
お母さんは心配そうにしてたんだけど、5月のある日、仕事から帰ってきたお父さんが嬉しそうに「今年はうちの庭でやることになった」と宣言したのを聞いて、とうとうキレる。
「うちの庭って、この庭でしょ?」
お母さんにつられて窓から薄暗くなった庭を見てみる。
広く見積もっても車2台も入らないと思う。私は聞く。
「何人来るの?」
「でも、キャンプファイヤー実際に見たら…感動するよ?」
という訳のわからない弁解に、工場勤めから帰ってきた兄ちゃんが「それは確かにそうだ」と同意しだしてバカが一人増えるけど、看護師として働くお母さんは理路整然と撥ね付ける。
「誰かがウイルス持ってたらどうするの?検査は簡単にできないし、ワクチンも間に合ってない状態で、集団感染しないようにキャンプする方法を提示できる?できないよね?もし感染したらおじいちゃんの面倒を見れなくなるし、私も仕事できなくなるよ?」
「キャンプの間、窓を締め切ってれば安全なんだよ!そのためにリーダーが完璧なマニュアルを」
「ちょっと待った」
「なんだよ」
「……『リーダー』って誰よ」
その後の両親とバカ兄の喧嘩とも呼べないようなやり取りによると、お父さんは数年前から「キャンパーズ」なるグループの一員になっていたらしい。
取引先やら飲み友達やらのキャンプ好きが集まって、毎年誰かの家や別荘とかでキャンプを開く、15人程度のサークルで(このあたりで兄ちゃんが「やべえ!」と叫んで会話が中断)、遂に今年のキャンプ地をうちが勝ち取った、それはとても名誉なことだし、今更覆せないと、お父さんは主張している。
「いや違うけど」
「取引先でもないんだよね?」
「だからさっきから言ってるだろ、行きつけのバーのオーナーで」
「じゃあ断れるでしょ!」
「だから!ウチの理事も通ってる店で、理事の友達なの!このキャンプがうまくいったら、確実に出世できるんだって!メグの進学とか……あるだろ?」
いきなり私の名前を出されてお母さんが黙り込み、グダグダだった空気に気まずさが加わる。
「…私はいいよ、大学行けなくても…このままでも」と私は言うけど、私の本音を知っているお母さんは何も言わない。
「感染とか金は心配しなくていいから…絶対家には迷惑かけない。お前はいつも通りにしていい。きっといいキャンプになるよ。な?」
お母さんを抱きしめながら言うお父さんに、兄ちゃんが泣きながら頷いている。
私は誰とも目を合わせられない。
◆
近所で感染者数が少しずつ増える中、1ヶ月後に控えた庭キャンプの準備は着々と進んでいる。
後で兄ちゃんから聞いたら、お父さんはキャンパーズに「うちの庭は狭いけど、キャンプには最適で、家族も大歓迎と言っている。そして何より病床の父に希望を与えたい」と、だいぶ話を盛ってプレゼンしていたらしい。
てか兄ちゃんもいつの間にかキャンパーズのメンバーになっていた。
キャンプで得られるサバイバルの知恵とか、協力することの素晴らしさとかを、食卓で私やお母さんに毎回説明してくるようになったけど、キャンプそのものを否定しているわけではないことに、兄ちゃんは気づかない。
テントなどの資材がメンバー持ち込みじゃなくて全部うち負担だったことが発覚して、両親の喧嘩は激化する。
庭キャンプまで残り7日。
夜中、部屋で新しいペンタブを試していたら怒鳴り声がして、リビングに行くと、お母さんがテンティピの高級テントをケースから出して、裁ちバサミで切ろうとしていた。
「やめろ!」とお父さんが止めに入るけど、かんたんに撥ね飛ばされる。お母さんも長年の病院勤務で腕っぷしは強いのだ。
「これ、リーダーのために買ったんでしょ」静かな声でお母さんが言う。「キャンプが終わったらリーダーにプレゼントするって、ケンから聞いたけど」
「あいつ」
「いくらしたの?」
「………」
「領収書見せてよ。あるんでしょ?」
右手のハサミが反射でギラリと光る。
「…わかった。キャンパーズの事務所に置いてあるから、明日持ってくる」
「……………」
「わかってくれよ…このキャンプで、きっと我が家はいい方向に進むんだ。メグの未来のために、な」
「…私をダシにしないで」
気づいたら口が勝手に動いていた。
「お父さんがキャンプしたいだけでしょ…?そんな高そうなテントとか、ピカピカのウッドデッキとか、バーベキューセットかいっぱい買ってきて、それも全部私のため?私の夢とホントに釣り合い取れるの?」
「………」
「知ってる?クラスの皆、うちのことでヒソヒソ言い合ってんだよ?友達も遊びに誘ってくれなくなったし、フェイスブックで『殺人キャンプ一家』とか書かれて、すぐ先生が言って消してくれたけど…夏休みじゃなかったら、私…」
絶対泣きたくないと思ってたのに、出てきた涙は止まらなかった。
「もう夢とか言わないよ…キャンプなんてやだよ…」
お母さんが私の肩を抱いてくれるけど、お父さんは「絶対大丈夫だから。お父さん疲れたから」とか言いながら2階に行ってしまって、私は追いかけられない。
翌日、お父さんが会社に行ったまま帰ってこなくなる。
その夜キャンパーズからの連絡で、お父さんが胃炎を理由にキャンパーズを脱退したことを知る。
「もしかしたら癌かもしれない。続けられないのが無念でならないが、息子のケンが立派に後を継いでくれる」と言ってたらしいけど、癌は多分嘘だ。会社にはどっかから律儀に通っているらしく、後日フェイスブックで、ステーキを美味そうに完食してるのを撮られていた。
責任を押し付けられた兄は、父を恨むこともなく、よりキャンプ一筋になる。
当然家からお金は出せないので、付き合ってる彼女に借金を無心して、即座に振られる。かわいかったのに。
◆
残り5日。
兄は「感動キャンプのライブ配信」を掲げてSNSでクラウドファンディングを呼びかけるけど、このご時世でのキャンプなんて世間の理解を得られるわけもなく、その日のうちにバッシングをドバドバ浴びる。
でも、一部の好事家が結構な額を出してくれたらしく、リーダーからTwitterで褒められた兄ちゃんは泣いて喜ぶ。
残り4日。
「キャンパーズ」が金持ちの道楽趣味で、中流階級から搾取しているみたいな大げさな記事もあって、反対意見が飛び交う中、「環境に優しい取り組み」「SDGsにも沿っている」「悪と断じるわけにはいかない」みたいな支持コメントもあって、兄ちゃんがまた泣く。
残り3日。
「キャンパーズって、金持ちもそうでない人も、男も女も、どんな人種でも、誰でも参加できるキャンプを目指してるんだ」
最近女性メンバーが増えたキャンパーズが、ネットで脚光を浴びたのをきっかけに、世間に顔向けできる団体になろうとしてるらしい。
「だったら庭キャンプを中止してよ」と言いたいけど、兄のまっすぐな瞳を見上げて私は黙ってしまう。
兄ちゃんはすぐ泣くし鬼バカだけど、長年見てきてたから純粋なキャンプ愛はわかる。
何があっても一つのことに打ち込む姿はかっこいいと思うし、だから私も叶わぬ夢に追いすがっている。
「メンバーにメグのこと言ったら『大歓迎する』って」
「…窓から見てるだけじゃだめ?」
「うん…全然いいんだけど、キャンプファイヤーって実際に皆で囲んだ方が感動が大きいからさ…返事は当日でも良いよ」
そう言って兄ちゃんは買い出しに出かけていった。
残り2日。
リーダーがやってくる。
アウトドア派とは思えない、ゆったりとした体格で高そうなスーツに身を包んだリーダーは、玄関で私たちに深々と頭を下げる。
「この度は、ここをキャンプ地としてくれて、ありがとうございます」
兄ちゃんが例のテントを抱えて持ってくると、リーダーの隣りにいた使用人みたいな人が受け取って、なぜかベンツのトランクに載せる。
それを確認したリーダーがうちの中を眺めながら「僕はどの部屋だい?」と聞いてきて、お母さんと私は「は?」と声を揃える。
あのバカ親父は、リーダーだけテントじゃなくて、部屋に寝泊まりすることを約束していたらしい。
お母さんは出ていった父の部屋を掃除して、ついでに父がキャンプの度に持ち帰ってきた古い雑誌コレクションをすべて処分する。
キャンプ前日。
おじいちゃんが死んだ。
「葬儀はキャンプ後に執り行って欲しい」というリーダーの頼みを、兄ちゃんは断れなかった。
お父さんに連絡すると「安全面を考えて明日のキャンプファイヤーには参加しません」という謎メールが返ってきて、私はすぐ削除する。お母さんは手続きや仕事で疲れて寝込んでいる。
◆
キャンプ当日。
朝から兄ちゃんは資材チェックや芝刈りを一心不乱にやっている。
隣近所の住民たちは、コロナ感染を恐れ隣町に行っていて、いつも以上に静かだ。
夕方、我が家の庭に、リーダーを含む8人の男女が集まってくる。メンバー20人の半数以上が参加を辞退したらしいけど、それでもウチの庭には多すぎるような。
兄ちゃんに負けないくらい瞳がキラキラしているメンバー達は、準備していた資材をものすごい速さで組み立てていき、1時間もしないうちに庭がキャンプ場になる。
空間を無駄なく活用して、コンパクトなテントや炊事場、キャンプファイヤーが整然と並べられていくのを、窓越しに眺めながら思わず「凄い」とつぶやく。
この日から連休を取ったお母さんは、時々メンバーの人にお水をあげたり、手伝ったりしている。せっかくの休みなのに、お母さんは本当に偉い。
そんな様子が兄ちゃんのスマホ越しにインスタライブで配信されていて、1万人くらいが見ている。
やがて日が暮れて、キャンプファイヤーが始まった。
メンバーはそれぞれ、おしゃれな服に着替えて火を囲む。マスクもカラフルだ。
兄ちゃんは既に泣いている。勝負服のジャージはダサいけど、揺らめく炎に照らされてなんとなく様になってる。
昔はお父さんと一緒にキャンプしていたお母さんも、この時だけは幸せそうに火を眺めている。
私も参加しなきゃと思うけど、恥ずかしくて窓を開けることができない。
「皆さん、第20回キャンパーズ定例キャンプへようこそ。この場所に集ってくれたすべてのキャンパーに感謝を伝えます…」
それからしばらくの間、コロナとか社会情勢とかキャンプ用品に関する話が続くけど、死んだおじいちゃんの名前は一回も出てこない。
「…そして今夜、新たなキャンパーが私達の仲間に加わってくれます。メグ!」
ウトウトしてたところで名前を呼ばれて、驚いて目を開けると、火を囲む皆がこちらを見ているのに気づく。体がビクってなったの見られてたかもしれない。
「あなたは希望の象徴です。あなたの参加は、きっと世界中に勇気を与えることになります。どうぞ、共にこの火を囲みましょう」
かなり大げさな歓迎ぶりは鼻につくし、恥ずかしいけど、お母さんを見たら優しく頷いてくれるから、窓を開けようと思った時、リーダーが「さあメグ、立ち上がって」と言った後「ヴフッ」と笑うのを見て、私は一気に冷める。
他のメンバーさんや兄ちゃんには悪いけど、こいつと同じ空気は吸いたくない。
「どうしたんだメグ?…っ今から、君のエホッ、キャンブがっハ、始ばるんだよゼヒ」
リーダーの声が、いつのまにか強烈な咳に変わっていて、振り返るとリーダーの顔が真っ赤に歪んでいる。
ていうか、溶けてる?
「窓をッ、バハ、開げでぅレん」
そのまま崩れるように倒れ、シュウシュウ音を出しながら溶けていくリーダーを見たメンバーから悲鳴が上がる。
「ゲホッ、何だこデべ、デュぼホッ…」
見ると、他のメンバーも咳き込みながら、倒れはじめて、お母さんが駆け寄る。だめ、お母さんも感染する。
「お母さん!」
「開けちゃだめ!!!」と叫ぶお母さんも、苦しそうだ。
庭を見渡したけど、兄ちゃんはどこにもいなくて、勝負服のジャージが脱ぎ捨てられたみたいに芝生に落ちている。
◆
2年前の冬、北欧で見つかった新型コロナウイルス「ALS-CoV」は、宿主の肺胞を溶解させてしまう、致死性ウイルスだった。
感染力は高いものの、寒冷地でのみしか発症例が無かったため、アメリカ南部では感染対策が結構緩かった。
体が頑丈だったおじいちゃんも新型を甘く見ていて、ニューオリンズ郊外のゲーセンで若い兄ちゃんとマスクをせず口論になった時にウイルスをもらって、肺が溶けて亡くなった。
そして、ルイジアナ州の一軒家で突然変異した「ALS-CoVζ+(ゼータプラス)」は、感染後即座に発症するだけでなく、内臓はおろか筋肉や骨組織まで溶かしてしまう最低最悪のウイルスだったらしい。
「らしい」というのは、私が入院中に看護師から盗み聞きしたり、SNSから拾ったりした眉唾情報だからだ。どうやらネットニュースやTVでは報道を差し止められてるっぽい。
でも私はこの目で見た。
きっと買い出しで熱い中毎日駆けずり回ってた超人的な兄ちゃんの体でウイルスが変異したんだと私は勝手に決めつける。
我が家周辺が封鎖されて数ヶ月後、ゼータプラス株の全身溶解現象は消え、ショッキングなライブ動画は「悪質な合成だった」という結論で、みんなすぐ追いかけるのに飽きていった。
残されたキャンパーズも解散、おじいちゃんの葬儀は私の知らない所で執り行われ、お母さんと兄ちゃんのお墓はどこにもないままだ。
私は、CDCの検査と手厚い補償を受けながら、病室で絵を描いている。
1ヶ月前、人懐こいマフィアみたいなおじさんがやってきて「ここに閉じ込めているお詫びがしたい」と、最新型のモジュールを持ってきた。
確かにそれも私の夢だったけど、私以上にその「足」を必要としてる人はいるはずだし、別に立ち上がらなくても、私は私だ。見世物じゃない。笑うヤツは溶けてしまえばいい。
◆
そういえば、50年くらい前、同じようなウイルス流行の真っ只中で、大々的なスポーツイベントを行って世界中から人を集めた国があったらしい。
それまでなんとか感染者数を押さえていたのに、そのイベントの影響で感染者数が爆上がりして病院がパンクしたとか。
きっと、その時も家族をなくして悲しんだ人がたくさんいたに違いない。
キャンプ当日の朝、兄ちゃんお母さんと3人で撮った写真は、ずっと枕元に置いてある。
◆