はてなキーワード: 女子校とは
小学校から女子校で女性ばかりの職場勤めで男性が何を考えているのかよく知らない、と言う設定なのに
「強い女性が求められるのに疲れる」って、
女だらけの場で弱い女性が必要とされないのは昔から当たり前じゃ…
私はよく何も分かっていないふりをして、相手の「自分は彼女の面倒をみてやっている」という充足感というか、優越感を満たす。こうして媚びへつらうと安全で楽だからだ。
最近はネットでいろんな情報が手に入るので、共学や男子校出身の人でも知っている人は多いかもしれない。女子校は男性の三歩後ろを下がってついて行く淑女を養成する学校ではない。
1人でも社会の中を生きていく力のある、自立した人間を育てる学校だ。
少なくとも、私の通っていたところはそうだった。
フェミニズムは節度を持っていれば悪いことではないと思う。女性が優遇される必要はないが、冷遇されるいわれもない。男性と女性、同じ権利と義務を持っているべきだ。と考えるのは、学校の教えが染み込んでいるからか、はたまた近年の風潮のせいか。
多分、両方だと思う。
どんな出自であれ、この頃の若い女性は権利意識を強く持っている人が多いように感じる。有名人でいえばエマ・ワトソン、映画でいえばズートピアのジュディだ。
いまや男女ともに「ジェンダーレスな強い人」であることが求められる。
多様性が認められているようで、実際はそうでもない。「女の子はプリンセスじゃなくてもいい」のではなく、「女の子はプリンセスではいけない」になりがちだ。一億総活躍しなきゃならないのだから、当然かもしれない。
これは男の人も同じだと思う。「不器用な日本男児」は糾弾されがちで、「細やかな気配りのできるポリコレ意識のある男性」が求められるのではないだろうか。(これは完全に推測なので、違ったら申し訳ないです。小学校からずっと女子校で、就職先も女性ばかりの職場だったので、男性についての理解が低いです。)
これはとっても苦しいことなのではないだろうか。
女性の中には、女性の権利なんてどうでもいい人だって、内助の功を立てたい人だって居ると思う。
我々はサラダを取り分けたって、かまはトトからできているの?と尋ねたって構わないのだ。
それで馬鹿にされようが、考えの古い人間にこれだから女は思われても、誰からも責められる筋合いはない。女性だからといって、無理に戦わなくていいのだ。媚びたい人は媚びればいい。戦いたい人だけが戦う。すべての人間は自由なのだ。
私はよく何も分かっていないふりをして、相手の「自分は彼女の面倒をみてやっている」という充足感というか、優越感を満たす。こうして媚びへつらうと安全で楽だからだ。
一生懸命、戦わなきゃと思っている人、実際戦っている人、それは強制ではない。逃げちゃってもいいのだ。少しでも生きやすい場所を見つけられることを願います。
媚びるのは、誰にでも媚びます。男性にも女性にも。年上にも年下にも。
先生にも「そうやって(媚びへつらってい)ればどうにかなると思ってるでしょ」と言われたりしました。
職場は女性ばかりですが、男性が0ではありませんし、社外の方は男性が多いです。
それと、私は強い女です。別に誰に「媚びるな」「あなたみたいな人がいるから女は地位が低いままだ」と言われても、強い意志を持って太鼓を持ち続けます。そう、それにすら強さがいるのです。
これを書いたのは、社会人になった友達に辛そうな人がたくさんいて、遣る瀬無さが募ったからでした。強くなくてもいい社会になればいいのに、と。私は強くても、友達1人慰めることのできない無力な人間です。
アドミッションポリシーとか、それに類するものに「国際社会で活躍していく女性」みたいなことが明確に掲げられることが多いと思います。
身バレしたくないので詳細は省きますが、私は社会系を専攻していたので、特に昔の社会についてはそれなりに理解があるつもりです。その上で言いますが、鎌倉〜昭和の社会は女性にとって日本でもっとも悪い時代だったと思います。
私が思うのは、「女性はみんな強くあって権利を勝ち取っていかなければならない」というのが古いということです。これからは「男女平等であることが当然で、弱い人が弱いままで生きられる社会」を目指すべきです。理想論すぎますが、よりよい社会のために理想は必要です。今の社会は発展途中ですから。
あと、男の人のことをよく知らないので(母子家庭で本当に周りに男性がいなかった)、女性という表現で書いていますが、弱い男性だって生きやすい社会になるべきです。
どうして「若い女だから」特別に甘やかされなくてはならないんでしょう?「若い女」が「甘やかされる」のではなく、「弱い人」でも「受け入れられる」社会がいいと思います。もっと言えば、強い人、お姫様になりたい人、主夫になりたい人、王様になりたい人、みんなに居場所がある社会です。
》「女だからお茶を入れろ、サラダを取り分けろ」と戦うってこと…?
そういうことになるんですかね……
女でも男でもしたい人はお茶を入れてサラダを取り分ければいいと思うので。男女問わずというところでは「女だから」と戦うことになるのかもしれません。
私は空気を読んでやった方がいいなと思ったらやります。それは「女だから」ではなく、「場を円滑に進めたいから」です。
私は狡猾なので、女であるということを利用するときも、若さを利用する時も、愛嬌を利用することもあります。それをここでは「媚びる」と表現しています。多分、歳を取ったら別なことを利用していくと思います。
友達はこうした卑怯なこと(と私は思いませんが)をするのが後ろめたくて、「1人で頑張らなきゃ」と追い詰められているようです。人は助け合って生きていくものなのに。こう思ってしまう原因がフェミニズムなんじゃないかなぁ、というのが私の考察です。自立した強い女性という呪縛。
https://anond.hatelabo.jp/20190925195456
産まれてすぐに選別されて、オスとメスに分けられた。
オスのヒヨコはどっかにつれてかれちゃった。処分されちゃったのかな、可哀想。
あたし達はしばらく、エサを食べてピヨピヨ鳴いてるだけの三食昼寝付き。
でも回りはピヨピヨ言うだけのバカばっかり。
それにあたりまえだけど、メスばっかりじゃ素敵な出会いとか無いよね。
まあ、前世でも女子校だったから何もなかったんだけど、しくしく。
大きくなって連れて行かれたのは養鶏場。
狭い部屋に閉じこもってのぐーたら生活は前世を思い出させる。ネットは無いけど。
でも毎日エサを食べて、卵を産んでの繰り返し。
それに卵は無精卵。何もしないまま、歳をとってくのかな~。
歌じゃないけど一度くらい恋するニワトリになってみたいな。
つづく、かなあ。
何年も前に教えていた学校(ちなみに女子校)には一定数の黒ギャルたちがいたのだが、
その黒ギャルたちの相手をするのを新鮮に(何せ周囲にいたことのないタイプなので)思った記憶があるので備忘録として書く。
Episode.1
黒「先生、男が発情してるとこに行きたいんだけどどこか知らない?」
俺「知らない。というかなぜに」
本当は場所に心当たりはあったが、教育上良くないので教えなかった。
ついでに、『承認欲求かな』と理由にも心当たりはあったが、まだこの時点では確証は無かった。真相は後述。
Episode.2
相手が生徒じゃなかったら『じゃあこの後ホテルに行って確かめてみる?』と言うところだが、流石に言えなかった。
というかこれ女→男のセクハラだよね?
Episode.3
黒「先生、男って、愛してもいない相手とでもエッチできるの?」
俺「できる。当然」
『というかお前がそれ分かってなかったのか』という喉まで出かかった言葉は飲み込んだ。
後に本人のツイッターを発見し、好きな男と付き合いたくてセックスしたらセフレになってしまった経験があることを知る。
Episode.4
ある日。2分ほど早めに教室に着いたところ、入り口付近の席でそいつが誰かに電話していた。(註:そもそも携帯電話禁止をしていない学校だった)
黒「あ、先生ゴメン」
黒「あと休み何分ある?」
俺「1分半」
俺「どうぞ」
黒(電話で)『これこれだけど、何々に決まったから。それじゃあね、愛してるよ』
俺「なあ、黒。さっきから『愛してるよ』って連発してるけど、本当はそれ自分が言われたいんじゃないの?」
黒「そうなんだよね~。っていうか女子校にいたらみんなそう思うでしょ」
Episode.5
俺「絶対に教えません」
黒「何で? 『風俗行った』とか書いてんの?」
俺「それは無いな」
黒「じゃあ『おっぱい触らせて』とか?」
俺「あー、それは確かに書いてる」
黒「私のなら、触らせたげるよ?」
俺「……はいはい、モテない男をからかうのはそれくらいにしておけ」
承認欲求というか、単に寂しがりなのだろう。この頃にはある程度理解できるようになっていた。
私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校を卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意
中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料と化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。
中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん。体育祭の時に疲れたと愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み、家族でハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別なものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。
高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私から話しかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。
高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。
しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校は私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。
高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラスは私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験が純粋に心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的に作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校はキリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。
ある日の放課後、雑談をしながら謝恩会の作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分も女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。
冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかしたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。
それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。
謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。
バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園に手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作りで学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族にキモいと叱られた。
その後、彼女の第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日の受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。
合格者発表から数日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験のストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。
卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラスの打ち上げも解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学は地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。
本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方に自分は行くのに、Dが大学で彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。
俺は高校生の頃、一部の同級生達や家庭教師に勉強できないのをすごいバカにされてた。悔しかったけど全然勉強する気になれず、ただ高校や家庭教師の時間が過ぎるのを待っていた。そしてなんとか耐えて高校からも家庭教師からも解放され進学。大学は早稲田もマーチも落ちたから駒澤大学だ。進学はできたけど、時々夜になるとあの頃言われた事を思い出して悔しい気持ちになる。でも今から何をやってもあいつらを見返すことができない。俺がどんなに頑張って結果を出しても、あいつらの記憶のなかでは勉強ができず何も言い返せずただただ黙るしかない無様で哀れな姿のままなんだから。人生には年齢ごとにやるべきことがあるんだ。それをやらないと一生後悔することになるんだ。後から取り返すことはできないんだ。高校生の問題は高校時代に解決しないとダメなんだ。今はダメだけど後から見返してやる!と思ってもダメなんだ。悔しい、悔しいよ。くそー。でも見返せないのを理由にして勉強しないのは言い訳っぽいから大学の単位はちゃんと取ってるし中退もしないつもりだけど、未だにあの頃の俺が勉強頑張ってあいつらを見返してる妄想をついついやってしまうんだよな。本当に情けない。
おまけ。奴らに言われたこと
「頭良さそうな顔してるのに馬鹿なんだね」
あとふざけて名前を忘れたフリされたり「誰だっけ?」とか言われた。絶対知ってるのに。彼らによると何の特徴もない奴だからしょうがないらしい…俺は「お前らだって大した特徴ないだろう」と思ってた。
「もういいから、考え込むのやめてくれる?どうせ出来ないんでしょ」
「〇〇君、僕が教えに言ってる女子校の子達に似てる。ちなみにその学校、スッゲー馬鹿なんだけど」
ああ。
中高大を女子校で過ごして唯一男子高校生と関わったのが教育実習中の2週間だけなんだけど、実際男子校ってどんな感じなの?
ちな女子校だと泊まり行事の度に王様ゲームやって1分間くすぐりとか全員とキスとか押し倒してディープキスとかやってた。うちのとこだけかもしれんけど。あと先輩にガチ恋しすぎて度が過ぎて先生に呼び出し食らってるやつがいたり先輩の写真が後輩の間で取引されたりしてた。
最近ツイッターで日本のジェンダー指数が低いとか性犯罪がわんさか起きているとか何を規制すべきかとか色んなものが流れてくる。
最初に断っておくと私は生粋のレズであり、女性が大好きだ。男が性的対象になった事は一度もない。えっちな夢も何度も見たことがあるが全部相手は女性だった。深層心理までレズ。
中学1年くらいまでは自分が女である事が嫌で、男らしい格好ばかりしていた。
ただそれで苦しんだかと言うと、多分ほんとに苦しんでいる人……性同一性障害障害の方とか……の0.5割も苦しんでないと思う。ざっくり言ってしまえば中高女子校で育ち、そこが滅茶苦茶に楽しかったので卒業する時に女で良かった、と思えたから。女子校は女でなきゃ入れないしね。
で、大学は理系に進んで周りは男ばっかりだった。最初からレズと女好きを先生にすら公言していたからここでもそんな嫌な目には合わなかった。とは言え君みたいなのがいるから少子化が進むんだよとか、一切女として見られたくない相手に「でも普通に女の子だよね?」って何故か上から目線で言われたりはしたけど、まぁその程度。ほんとにトラウマになるような事は無かった。男友達も普通にいる。
だから、男で良いヤツがいっぱいいる事も知ってる。何ならセクハラも判定グレーみたいなのを1発食らって微妙な気分になったのが1回あるくらいで痴漢も受けた事はない。よくツイッターにいるフェミニストが「日本人女性の殆どが性犯罪を受けています!」みたいなこと言ってるけど、私には当てはまらない。ちょいちょい嫌な事はあったもののまぁ概ねそこら辺の男と変わらない人生を送っている。今のところ。
でもさ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜そんな私だって日本人女性の殆どが性犯罪に巻き込まれてるって言葉が嘘じゃない事ぐらい痛い程知ってるんだよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
男と対して変わらない生活を送ってる。私自身は被害に遭ったことない。
でも周りを見ていればいかに日本のジェンダー指数が低いかすぐ分かる。なんせ女の子の友達は沢山いるし、友達には中学生から今に至るまで散々相談されてきた。中学や高校の頃は痴漢に遭ったって話をされて私が登下校に付き添ってあげた事もあるし、友達と一緒に歩いてたら明らかに友達が座った瞬間にスカートの中身を見ようと屈んだオッサンを追っ払ったこともある。私がレジに並んだ瞬間に1人になった友達に握手を迫ったおじさんを見て慌てて撃退した事も。大人になった今では友達から初対面の会社関係の男にいきなりセフレを打診されたって電話が掛かってきてうぉ〜〜〜〜殺せ殺せ〜〜〜〜!!!!!って全然関係ない私がブチ切れたりしている。
まぁつまり何が言いたいかってちゃんと女性が周りにいて、その人を女としてじゃなくて人間として考えてたら明らかにおかしいって気付ける点、わんさかあるんだよね。そんで手助けできる時も沢山ある。
なのに何でか男ってこういう事実を否定する人が妙に多い。や、勿論このままじゃいけない!って思ってる人も当然いるとは思うけど異様に少ない。
なんかもう…人間の理性として当然、友達が困ってたらどうにかしてあげなきゃ!ってならない??大好きな友達が女ってだけで性的に消費されてんだよ??そんな事する奴は許せん!!!ってならない??てか友達じゃなくても赤の他人でも「特に悪くない人間が悪意に晒されて悲しんだり苦しんだりしてる」っての見て、まずは憤ったりしない???別に自分で力にはなれなくてもさ。ただそのツイート見てそんな奴がいるのか…本当に酷いな…と思うだけでも普通の感覚だと思う。てか大半の人はそうだろう、おそらく。
でもそういう性犯罪系のツイートって滅茶苦茶に被害者を叩いたりまぁ女性軽視のリプライが死ぬほどついてる。なんでそんなことすんの??純粋に疑問なんだけど。
私は顔も別に整ってる訳じゃないしスタイルが良い訳でもない。最初からレズを公言して男からのジャッジを受けないようにしているから面と向かって言われた事はないけど、多分男に感想聞いたら普通にブスって言われるだろう。でも別に可愛い女の子に嫉妬したりしないよ。まぁレズだってのもあるけど。何でか男は女VS女の構図作るの大好きだよね。女♡女の方が普通に可愛いし平和だし見ててほっこりすると思うんだけどなぁ。
なんか脱線しまくったけどとりあえずここまで一つ目。ツイッターで異様にフェミニストを汚い言葉で罵る男、周りに女いないのか?という疑問。
で、次にこうなった原因と何を規制するかって話。
なんか日本って幼女趣味とかAVの内容がおかしいとかエロ本が普及しすぎてるとかなんか……色々言われてるじゃん。
まぁ分からんでもない。分からんでもないけど、なんか、まずするのがそれ?と思っちゃう。
私はロリエロイラストとかも見るしもう匿名だし時効だという事にして言うけど小学生の時からAVも見てた。小学生ってやっぱりどっか残酷な面があるのかSMが大好きで縛られて玩具責めされる女の人見て興奮してた。今はなんか明らかにAVって分かる馬鹿な企画みたいなやつが好き。確かにAVって女性の人権無視してるような内容が多いと思う。AVに限らずpixivの作品とかもそういうのはほんとに多い。性欲と加虐欲と支配欲が一緒くたになってるようなやつ。
正直興奮する。もうこれは性癖だから仕方ない気がする。そういう空想の世界として考えてうぉ〜〜エロいな〜〜〜〜!!!って思う。
pixivの絵なら小学生のキャラクターが全裸でいるようなイラストもおぉ…って見ちゃうけど、現実の小学生に対して思う事なんてあぁ〜〜〜〜危ない前見て〜〜!!道路飛び出さないで〜〜〜〜!!!!元気でいいなぁ小学生は…今は夏休みか……ぐらいの事だよ。絶対性的になんて見れない。だって人権のある子どもだし。
女性に対してもそう。バスの中で大胆痴漢…そのうち感じてきてしまい…とか部下のOLを会議室に呼び出し身体検査と偽って……とか、そんなAV普通に見る。見てたら興奮する。でもじゃぁ自分の周りにいる女性に対してそういう事しようかって絶対思わない。そりゃつい目に入ってうわっあの人メッチャ可愛い…と思ったりうぉっ胸デカ……と思ったりするけどそんな見ちゃいけないなってすぐ目をそらすし誰にも言わない。
なんかこの、誰にも言わないってのが出来ない男多すぎない??
顔可愛いとか胸でかいとか、やっぱり思っちゃうのは仕方ないよ。よく男だから仕方ないよって言うやついるけど女だって女見てうわめっちゃあの子可愛いとか胸大きいとか思うよ。ごめんレズだからあんまり説得力ないかもしれんけど多分思ってる女の子は多いよ。でもそれを他人と共有して「エロそう」とか勝手なジャッジしない。一切知らない人間見て「あの子可愛くね?おっぱい大きいし揉んでみたい」みたいなこと絶対言わない。何故かそういうこと言う男、男同士ではそういう会話許されると思ってるよね。普通に周りに聞こえてるし死ぬほど不快だよ。
なんかまた話が逸れたな。何が言いたいかって結局はAVとかエロイラストが悪いんじゃなくて「それをフィクションと捉えて現実と乖離させる事が出来ない」のがいけないんじゃないのかと思うんだよね。
世の中には拷問シーンのあるようなスプラッタホラーだって山ほどあるし犯罪を扱った映画だってゴマンとある。でもそれ見て犯罪ってやっていいんだ!とはならんでしょ。だって現実じゃないこと分かってるし。
AVは見る側を興奮させようと試行錯誤した結果、リアリティが高まってそれを現実と考えちゃう馬鹿が増えちゃったのかな。今AVをもっと大人しい真っ当なものに変えた所できっと性犯罪が減ることはない。確かに暴力とかAV女優が望まないことをさせられるのとかは絶対無くした方が良いけど、そうじゃないものはもうフィクションとして受け入れて良いんじゃないかなと思う。それよりもっと重要なのは、現実世界の人間に危害を加えないという常識の刷り込み。それだけ。
もう言ってしまえばサイコキラーの映画でオナニーしてるけど現実で男女分け隔てなく個人を尊重して優しく接する事が出来る人と恋人同士のラブラブAVが好きだけど現実で痴漢したりセクハラしたりする人だったら前者の方が672094372864675倍マシじゃない???だって危害があるの後者だけだし。
そういう訳で表現の自由云々とかも騒がれてる中だけど、AVとかの規制に対してはそれより先に性犯罪者を去勢するとかGPSつけるとかそういう「現実に行動を移させない対処」をするのが先じゃないかなぁと思う。
まぁこんな事言われなくても普通分かってるべきだけどね。 だって作られた映像ってもうその時点で現実とリンクさせちゃいけないものだから。なんで分かんないのかなぁ……
太田尚樹 on Twitter: "昨日女子校出身のお友達が言ってた「女子校ではみんな人間になる」というの、面白かったな。 男子校はみんなで男になろうとする。 男子が集まって生まれるのはジェンダーによる結束で、女子が集まって生まれるのはジェンダーからの解放なんだな。"
恐らくこの理論は正しいのだろう。
zyzy 女子大行ったけど本っ等にそうなんだよなぁ。リベラルでしんどさのない世界だったもんな。男子校は知らないけど、必死に「いんしつなはずぅどうぶつめぇ」してる人達を見てると、なるほど捕らわれまくってる、となる
こちらの方のように、実際に女子校に行くことで人間の尊厳を取り戻した人もたくさんいる。
とはいえ、現状でも全ての問題が解決されている訳ではないし、解決策を考える場合は一筋縄ではいかない。
女子が行く学校を全て女子校にしてしまえば女子をジェンダーから解放して人間にすることができる。
しかし、裏を返せば男子が行く学校が全て男子校となってしまい、男子はジェンダーの元に結束してホモソ化・ミソ化しかねない。
男子のジェンダー観を矯正するためには女子も含めた共学を作る必要があるが、共学に進んだ女子が人柱にされてしまう訳だ。
男女混合の職場がセクハラで溢れかえるのと同じで、共学の女子がジェンダーの抑圧を受け、人間でなくなってしまう。
つまり、男女別学にしようが、共学にしようが、必ず男子側のジェンダー観が暴走してしまい、なんらかのトラブルに発展してしまう。
これ、詰んでいるのでは?
もちろん、男児の出生自体を抑止することで防ぐことは可能だろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ot_john/status/1155341308019347456
私には明確な「こうありたい」という人生目標はないが、「こうなりたくない」という像がある。地元の企業で一般事務として勤務し、そこそこの年齢で結婚して子供を生み、一生コミュニティを出ないような人々だ。
そのような人間は高確率でお嬢様だ。親(特に母親)との仲が良く、ブランド品を身につけ、気まぐれで海外へ旅行する傾向がある。
私がそのような人間に恐怖と憐れみを感じるのは、自分も一歩間違えたらそちら側になってしまうからだ。
残念ながらキレ者揃いの学校ではなく、比較的のんびりとした学生が多い学校だった。私もその中でのびのびと学生生活を送った。
もちろん、クラスはスクールカーストのトップ層が仕切っていて、文化祭や体育祭ではひと際目立っていた。
派手な女の子と言えど、彼女たちは優しかったしとても面白かった。しかし、じっくり話すと話題に上がるのは他人の噂話ばかりで、空っぽのプラスチックのような印象を受けたのだ。
大学生になり、一度彼女らと会った。彼女らは口々に「腰掛けの仕事に就きたい」「金持ちを捕まえたい」「地元でたくないなあ」とこぼした。そして同級生の色恋沙汰をつまみに酒を飲むのだった。
もちろん、生き方は人それぞれだ。自分の人生に満足していたらそれでいい。ただ、主人公的な生き方ができないことに恐怖を感じるのだ。閉塞感の強いコミュニティの中で、井の中の蛙になるだなんて惨めすぎる。私はもっと他の場所で活躍しなければ、という焦りが出てきたのだ。
極め付けは母の一言である。「○○ちゃんは地元で就職して結婚するっていう具体的なヴィジョンがあるのに、あなたは何故いつも地に足が着いてないことをボヤいてるの?」と。
この言葉を聞いた時、とてもショックだった。母こそは理解してくれていると信じていたのに。と同時に私は必ず自立してこの町を出なければという意思が明確になった。
先日、金魚すくいのアルバイトをすることになり、子どもにはポイ(金魚すくいで使う網)の枠色を選ばせてあげるんだけど、女の子の半数以上が水色を選んだからちょっと驚いた。
そこで私は「女の子はなんだかんだいってもピンクが好きでしょ」とバイアスがかかっていたことに、やっと気づいたと思う。
しかし、よくよく考えると自分が小学校低学年の頃には水色を選ぶ女の子が多数派だったと思い出した。大体の理由は「ぶりっ子と思われたくないから」だった。
ピンクが女の子らしさの象徴であり、それが好きだと表すこと=異性に媚びている
それは屈辱であるし、苛められるかもしれない。自意識過剰…。しかし小学校は閉鎖的で、小さな小さなコミュニティで上手くやっていくには色々と気を遣わなければいけないのだ。
もちろん水色が本当に好きな女の子も多かったと思うが。
女子校に入ると、ピンクが好き!ふりふりした可愛らしいものが好き!という子は増えた。ここで異性は存在しないから、どんなものが好きでも「あの子はそういうスタイル」で片付けられるのだ。仕草や声音がとても可愛らしく、共学ではぶりっ子と囁かれたかもしれない子も、女子校では「もう誰に媚び売っているの」と笑われながらも、女子も愛想の良い子が好きなので結構好かれていた。
女の子が周りの女の子を気にせずピンクも水色も何の色でも選べるようになったらいいなと思うがそれが難しいんだな。
ちなみに男の子はほぼ水色を選んでいました。なんでだろうね。個人的には男の子の方が「男の子らしく」を強要される場合が多い気がする。