私には明確な「こうありたい」という人生目標はないが、「こうなりたくない」という像がある。地元の企業で一般事務として勤務し、そこそこの年齢で結婚して子供を生み、一生コミュニティを出ないような人々だ。
そのような人間は高確率でお嬢様だ。親(特に母親)との仲が良く、ブランド品を身につけ、気まぐれで海外へ旅行する傾向がある。
私がそのような人間に恐怖と憐れみを感じるのは、自分も一歩間違えたらそちら側になってしまうからだ。
残念ながらキレ者揃いの学校ではなく、比較的のんびりとした学生が多い学校だった。私もその中でのびのびと学生生活を送った。
もちろん、クラスはスクールカーストのトップ層が仕切っていて、文化祭や体育祭ではひと際目立っていた。
派手な女の子と言えど、彼女たちは優しかったしとても面白かった。しかし、じっくり話すと話題に上がるのは他人の噂話ばかりで、空っぽのプラスチックのような印象を受けたのだ。
大学生になり、一度彼女らと会った。彼女らは口々に「腰掛けの仕事に就きたい」「金持ちを捕まえたい」「地元でたくないなあ」とこぼした。そして同級生の色恋沙汰をつまみに酒を飲むのだった。
もちろん、生き方は人それぞれだ。自分の人生に満足していたらそれでいい。ただ、主人公的な生き方ができないことに恐怖を感じるのだ。閉塞感の強いコミュニティの中で、井の中の蛙になるだなんて惨めすぎる。私はもっと他の場所で活躍しなければ、という焦りが出てきたのだ。
極め付けは母の一言である。「○○ちゃんは地元で就職して結婚するっていう具体的なヴィジョンがあるのに、あなたは何故いつも地に足が着いてないことをボヤいてるの?」と。
この言葉を聞いた時、とてもショックだった。母こそは理解してくれていると信じていたのに。と同時に私は必ず自立してこの町を出なければという意思が明確になった。