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はてなキーワード: 主人公とは

2024-02-20

無料配信Do It Yourself!!を見てる

主人公のせるふちゃん、多分"マジ"で発達障害の子だしそれをアニメ的に描くためのフィルターも本当に最低限でビビってる

それを受け入れてくれるコミュニティの優しさみたいなのが主題だと思うんだけど、今のアニメってここまでマジな描写やっていいんだ

anond:20240219210419

なんで嫁に発見してもらえなかったの?

https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000038868

 

https://comic-days.com/episode/13932016480030665972

 

さよならタマちゃん

武田一義

いつか漫画家になる事を夢見て、漫画家アシスタントとして日々を暮らしていた35歳の主人公。そんな彼に突然襲ってきた癌という大きな試練。睾丸の癌に冒され、片タマを失った主人公が、家族や他の入院患者との出会いコミカルな絵でリアルに描ききる。後が無いのはわかってる。でも諦めるには早すぎる!夢を掴むための闘病記!

乙女ゲーム転生令嬢物って作者の性格が悪いと

だいたいモブとか悪役令嬢に転生した主人公

ヒロイン役に転生した自分勝手性格が悪い女との

ドロドロした女の戦い漫画になる

せっかく異世界漫画なんだからもっと人間関係的なストレスなしの楽しい漫画にすればいいのに

2024-02-19

見ず知らずの凡人庶民恋愛とか子育ての話とか、どうでもいいいし勝手幸せになって産めよ増やせよ国益になってくれればそれでよくね?

煩わしいことごちゃごちゃ言われても俺たちなんかどうせ大したことない凡夫の1人に過ぎないんだから

ドラマ世界系の主人公みたいに自分選択世界や世の中の物語を大きく変えるなんてこともないしのほほんと生きていけばいいんだよ

俺もお前たちも別に勇者じゃない

ゲームって二つのストーリーが同時に進んでるよな

前置き(「なんとなくわかった」と思った時点で飛ばしていいよ)

第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。

「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語

「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤー物語

もちろんこの二つを両立させることは出来る。

それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。

クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。

それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界スタート出来てしまう。

同時に、まだプレイしたことがないゲームネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。

ゲーム物語」と「プレイヤー物語」は絶対的独立している。

それを打ち破ったのがMMOゲーム凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤー物語ゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。

ゲームスポーツとしての側面を追求することでプレーヤー物語ゲーム勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒しかなくなるのではないか

将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤー技術向上に伴いただの記号となる。

本題

その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。

だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブ重要性が語られるようになる内に「プレーヤー物語」こそが重視されるようになった。

たとえばSEKIROだ。

主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したとき世界時間のものが巻き戻る。

第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。

主人公物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイト動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。

そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐物語である

ゲームごっこ遊び場所だ。

プレーヤーコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。

独裁政権暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。

ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店レバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。

「難しいゲームスイスイ攻略するゲーマー」という役を演じていた。

レトロ世界人間想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。

そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである

段々とゲーム映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクター冒険追体験する」という感覚を求めるように変化していく。

そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。

ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体目的ではなくなっていった。

そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。

単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。

選択ゲーム世界に影響を及ぼすことにより、その世界構成要素としての没入感がより強まることが発見される。

だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由選択もまた単なるフラグ管理確認作業へと認識が変化していったのである

自由選択」や「選択責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。

再び「ゲームを遊び倒しているゲーマー自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである

これには配信SNS関係している。

トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。

その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。

「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。

一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである

それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。

考察が盛り上がるタイプゲームということだ。

苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイト議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線かますゲームコントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。

「やり込んだプレーヤー自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。

ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。

人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。

だが簡単はいかない。

現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。

カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功感覚を、自分物語として味わっているのである

現代ゲームに求められるのは「自分成功したという物語」をプレーヤーが味わえることだ。

ゲームにおけるストーリーの良し悪しは、脚本ではなく、プレーヤーナラティブによって決定されている。

火傷するやん

いま観てる映画で、怪我をした主人公が傷口にグツグツに煮えたった蜂蜜を塗ってたんだけど、ちょっと待って。

火傷するやん。

100歩譲って、蜂蜜を塗るのは抗菌効果を期待してるのかなと思ったけど、グッツグツに煮えたった蜂蜜を傷口にブワーッて塗ったら、下手したらII度熱傷して余計酷いことにならんか?

蜂蜜を鍋で煮てるシーンが映ったとき、あぁこれを敵の顔にぶっかけ武器の代わりにするんだなと思ったのに、おもむろに赤チンみたいな使い方したかビックリですわ。

映画ファイブナイツ・アット・フレディーズ

・クソつまんねえ!金の無駄!ってほどではないけどおもんなかったわという感じ

ゲーム要素薄くない…?知識不足のせい?

主人公の夢のくだり、原作ゲームにあるの…?

なんかモニターチラチラしていつ来るか怯えるというゲーム要素が少なく割と対峙してやり合うみたいな怖がらせだった…

現在時刻何時の表示がたくさん来るんやろうなあ!原作みがあってええなあ!と思ったら一度しかなかった

・昨晩の眠剤が残った状態で観る眠剤映画や〜なかなか貴重な映画体験だなあいやこれ眠剤残ってるんじゃなくてシンプル映画面白くなくて眠くなってるだけやったわという気付き

・色々ガバガバじゃない…?

絵で「こいつは敵」って伝えるとことかもうガバすぎて白けた

・その年齢差で妹は無理があるだろ!!が最後までちらつき続けた

・もし弟誘拐夢のくだりが映画オリジナルだとしたらそのテーマ単品で映画制作にこぎつけなかった作成陣がゲーム原作のガワだけ借りて作った感あるな…と思いながらみてた

opドット絵回想は目茶苦茶分かりやすいかオサレかつゲーム原作感出してきてよかった

・寝る気マンマンで出勤すな〜

ウサギ被ってる

・フレディ達の表情はよかった

・しょうもねえジャンプケアしやがって…

3回も…(初回目茶苦茶ビビった)

もっとビビりちらかしたかった

・基本うっすら女(ショッピングセンター店員さん・この人はギリ死なないんじゃいやダメだったネキ・警官おねえさん)に好かれる主人公くん、子供は持つのは重いけど子供キャラ要るから目茶苦茶歳の離れた妹を配置等陰のものにやさしい設計

恋愛アドベンチャーって呼ばれるジャンルゲーム

主人公が男で女と恋愛するやつだとギャルゲーとか美少女ゲーってなって、ゲームに何が出てくるかの説明になるけど

主人公が女で男と恋愛するやつだと乙女ゲーとかロマンスゲーってなって、何になるゲームかってなるの

おもなターゲット層の違いで何を説明したらそこに刺さるかってやつなんだな

anond:20240218181829

からなくはないけどなにLGBTのMTFの声パスみたいなことやってんだとおもう。

ブクマもみたけどそういう過度の潔癖症?への信仰と支持が結局ジブリ作品女性主人公神聖化とアホロリに結実しちゃってるんだろ

自分たち処女信仰を強く根深く支持してるということを常にわすれないほうがいい

東京電車マジでスクラキャバクラみたいになっとるやんけ逆にキモい

加齢を認めろ ここは尿漏れ脱糞ネタ大歓迎匿名ダイアリ増田

2024-02-18

[]2月18日

ご飯

朝:ポロイチ醤油おじや。昼:ばかうけアルフォート。夜:豚肉おじやネギ。間食:ばかうけアルフォート

調子

むきゅーはややー。おしごとは、おやすみー。

○ いづみ事件ファイルVol.2黄昏

携帯電話専用ゲームとして発売されていたADVニンテンドースイッチ移植版。

非常にコンパクト作品で30分以下で最後まで遊べる。

美女を自認する編集木戸いづみが、担当作家事件に首を突っ込みたがる鏡月正宗作家業に専念させるために、事件捜査をする。

今回は自殺と見られる変死体が本当に自殺なのかを追う。

現場捜査関係者の聞き込みをした後、真実推理する流れだ。

30分もかからないボリュームなこともあり、物語ミステリというよりは、脱出ゲームなどにおける”謎解き”やクイズ領域評価した方が良いかもしれない。

主人公木戸いづみの奇妙な言動や、シリーズを通して出演している容疑者の滑稽な挙動などコメディとしてクスッと来る場面はそれなりにあって、独特の味になっている。

肝心の謎解きパートはこのボリュームなら仕方ないとはいえ、流石に議論余地が残る大雑把なもの

ミステリと、脱出ゲームなどにおける”謎解き”やクイズとの大きな差はまさにここで、唯一無二の絶対真実なんてもの絶対性の保証されなさからミステリ議論を尽くす、即ち謎解きに費やす文量こそが最大の魅力だと思うが、本作はまあクイズ寄りだろう。

ジャンルを包括した何か大きなことをどうこう言うような規模の作品ではないが、自分の好みが謎を解く過程議論にあることを再確認できた。

勿論、好みの大小に過ぎずこれはこれで嫌いではなく、プレイ中は楽しく遊んでいた。

anond:20240217184402

佐伯泰英の「酔いどれ小籐次留書」シリーズ

10年ぐらい前のNHK正月時代劇でやってて面白かったけど、単行本を読み進めていくにつれ主人公無双すぎて萎えた。

うおおおお、雑なラノベ語りをしたくなったー!!!

スレイヤーズTogetterまとめみてたらしたくなってきたー!

ということでしていきます


そもそもライトノベル歴史というものを語る時に、ライトノベルというものが「オタクカルチャー交差点である」という事実に目を向けなければなりません

ライトノベルというのはとかく、他のオタクカルチャー漫画アニメゲーム鉄道ミリタリー最近だとVtuberとか)にめちゃくちゃ影響を受けやすジャンルです

これはそもそも出自出自で、

まず前提としてライトノベル前身として、「時をかける少女」や「ねらわれた学園」などのSF的なジュブナイル小説があり、

なんて素敵にジャパネスク」を書いた氷室冴子新井素子の諸作品による現代口語体を使った文体表現を使った少女小説があり、

D&D日本に来て、派生ゲームであるドラクエやらFFが売れたりしたおかげで、TRPG流行、それらのリプレイ集も人気になり、

さらアニメで「機動戦士ガンダム」が爆発的なヒットをして、それのノベライズ監督自身の描きおろし)も人気になり、

こういったものを一緒くたにまとめて扱ってたのが、角川スニーカー文庫であり、富士見ファンタジア文庫であり、角川の内紛やらで派生した電撃文庫なのである

まりレーベル説的な史観から見ると、その出自自体オタクカルチャーカオスの中からまれたのがライトノベルなのだ

で、この中で出てきた「スレイヤーズ」がなんだったかというと、これらの要素を一通り取り込んで、かつ、「TVアニメ化」して大ヒットした作品だった、というところである

上に書いた通り、ラノベレーベルというのはリプレイ集だったり、ノベライズといういわば「メインのコンテンツの傍流」としての側面があった。

なので、オリジナルコンテンツ自体は作っていたにせよ、あくまで、二次創作としての見方が強かったものであった。(ロードス島も元はTRPGリプレイ派生であるので)

ところが、そこから出た「スレイヤーズ」という作品主人公のリナの視点口語体で進行して、

ゲームファンタジーお約束茶化すようなメタ的なコメディ雰囲気を持ちつつ、

あらいずみるいアニメ的な表紙があって、

そして強敵とバトルでの少年漫画的な要素という属性全部盛りながら、それをうまく調和した作品となっていた

さらに、それがアニメ化して夕方に流れて大ヒットしていった。


まり、傍流であったものの中からオリジナル作品が生まれ、それが本流の方で大ヒットしたという意味で「スレイヤーズ」はライトノベルにおける大きな意味があったと言える

で、これが売れたおかげで、何が起こったかというとライトノベルで一攫千金できるやん!というバブルが起きて、90年代後半から00年代ライトノベルオリジナル作品群の発生につながっていくという流れになる

これは個人的見解になるが「元祖」というものを考えた時におそらく「ライトノベル表現元祖」というもの考える人は多いだろう

だが、何度も書くがライトノベルそもそもその表現手法自体も他オタクカルチャーの影響を大きく受けるのでその起源や由来があまりにも複雑化している

なので、「スレイヤーズ」というもの評価するなら「ライトノベル元祖」ではなく「ライトノベル文化が醸成していく上での(資金的にも、コンテンツ的な認知度としても)起点となった」という評価がよいかなと思う

それであったとしても、「スレイヤーズ自体ライトノベルに与えた影響はいささかも揺るがないのだから

※2024/02/19

少女小説のくだりでタイトルが間違っていたところを修正。すまんやで。

・あと富士見ファンタジアの発生の指摘があったからそこも修正。この辺り、角川のごたごたも相まって本当にござるか~?があるので助かる

anond:20240217171907

しいていうなら……ファミコンで出たときドラクエ3をあの時の状況で、かな。

実は主人公こそが後にいう勇者⚪︎⚪︎で、すべてはここから始まった…!

当時は堀井雄二さんのことを知らなかったけど、初めてクリアした時はもう、子ども心にすごい仕掛けだと。

散々ドラクエ特集しておいて、この仕掛けを黙り通したファミコン神拳もすごかったな。

今思うと作者さんたちが記事を書いていたのだから当たり前なんだけど。

2024-02-17

anond:20240217184402

イムリは結局最後まで読んでも「この難しい設定必要だったか?」って気持ちしかなれないので、この先プレゼンしても同じ理由で何回も止まるはめになる

ただ、クライマックス前の全部の紋章を体に宿したキャラが出始めた辺りから主人公の体調に大きめの変化がでるまでの部分だけはおもしろかったので、買ってあるならそこだけ読んでほしい

anond:20240217184402

舞妓さんちのまかないさん

舞妓さんが想いを寄せ続けてる故郷の幼馴染の動かし方があまりにもご都合主義すぎる(かつ幼馴染に魅力も感じないのでどうでもいい存在

頭の足りない主人公フィルターを通して「やさしい世界」と認識されてる地獄描写かと思ってたら、単に作風として舐め腐ってるだけってのが判明したので、もうええわって放置

 

おおきく振りかぶって

脇役の学校描写にページ割きすぎだし、作者の実生活や体調の事情を鑑みても30巻くらい費やして作中時間1年は、流石に読み手として体力がもたん

キャラクター性格ロボトミー手術でも受けさせたんか?ってくらい改変しすぎで辻褄が合わなくなった辺りで放置

 

あと増田と被るがダンジョン飯

和風パーティが出てきたあたりからなんか話がとっちらかってきて、つまんねーなって思いながら惰性で読んでたけど、例の存在料理を食べさせるあたりで完全に飽きて放置

ビアンカ処女だったのか?非処女であったなら主人公はどのような感情を抱いたのか?

というか主人公自分だったな。

ビアンカ処女である可能性は低いと感じる。

まああくまイメージなのだが。

それゆえに最初から処女ビアンカに求めることはしていないのではないだろうか。

たいしてフローラに対しては処女を求める可能性はある。

あと最近ドラクエはもうひとりいるらしいがそんな人のことは知らない。

暇空茜に訴えられてる者の1人である高遠るい、はぐれアイドル地獄変の連載再開するってよ

中断してた間も別名義でエロのないキレイ漫画描いてたけど

はぐれアイドル第一部(?)は、登場人物の1人の結婚式主人公が参列するところで終わった

主人公は元来はノンケ女性であるが、押し切られやす性格であるためレズビアン女性に迫られるまま肉体関係を結んでいる

相手は性欲は強いが優しく思いやりのある女性であり、主人公に色々あった時も支えになり、次第に主人公彼女を愛するようになり体だけではない恋人になった

才媛である恋人東大法学部生で、海外弁護士資格取得も目指している

同性婚日本ではまだ遠いため、いつか海外で挙式をあげることも視野に入れ海外生活にも対応できるようにだ

高遠るい同性婚に関するニュース引用しながら「ノンケ結婚式お茶を濁してる場合じゃないな」みたいなことを言っていたので、

第二部(?)では主人公恋人同性婚がゴールになったりするのかなと期待している

主人公琉球空手の使い手であるが、術を教えた父親の死には謎の存在が関わっているようなので、そこらへんの解決編もくるのかな

あと、「日本漫画ロシア人はよく出るがウクライナ人はあまり出ない」と言われたりするが、この作品にはウクライナ人がメインキャラに出てくる

ウクライナ侵略よりも前に登場し、ウクライナ人キャラチェルノブイリ被爆二世であることが大きなアイデンティティになっている

時事ネタをけっこう取り入れる作品なので、ウクライナ人キャラがせっかくいることだし、ウクライナ侵略についても取り上げるのかな

ロシア人キャラもいるけど、トーナメント最初の方で負けちゃってこっちはそんなにキャラ立ってないんだよな

anond:20240216234057

豚汁味噌汁カウントしてなかった 笑 映画の中でどの食べ物が好き?に主人公味噌汁って答えて「夕飯時にあたりから味噌汁匂いがして幸せって感じがして羨ましい」ってセリフがあって、カレーならわかるけど味噌汁!?しかも夜?!朝ではなくて?ってびっくりしたけど、確かに冷静になれば余れば出てたから出てるわ。ありがとう

2024-02-16

anond:20240216044617

編集長増田です。僕はキミの発想良いと思うよ。

時事ネタから着眼点を得るのはセオリーだしやったもの勝ちなところあるけれど、やっぱり料理の仕方だよね。

あとは編集長の言うとおりで、強さを目指すのが良くない。

よくあるなろうのテンプレを付け足すんじゃなくて、男らしさの脱却というテーマを膨らませていってほしかったなそこは。

たとえば、男らしさが蔓延する世界で、全く違う価値観を持っている主人公は言ってみれば異物だよね。

その世界主人公がいることで、周りの人間はどういう反応をするのか、また主人公は男らしさこそが正しいとされる社会でどのような行動をするのか、

そういうことを考えながらストーリー展開していくと、何か面白い物が出来る気がするよ。

まずは、男らしさとはなんだろう?と突き詰めて考えていくのが良いんじゃないかな。

自分もつくたべは嫌いだけどこれはないわ~

その正社員の人が子育て生活が苦しいとして、

それは自分で選んだ選択の結果でしょうに。

ただ生活しているだけで苦しい非正規とは全然違うんだが!?

好き好んで産んだ子供のために使う時間が「自由時間」ではないという感覚がもう意味不明

あとそもそも派遣社員の女は結婚出産も、したくても出来ない人が多いんだよ!まさに金銭的な問題でな!

まあこの主人公には同性愛問題があるから別にしてもさ。

https://twitter.com/crote_tsu/status/1750744282259239337

てつじ

@crote_tsu

野本さんがてめーは正社員から毎日社食でいいよなぁって思ってた人も子供がいたら生活苦しいと思うし野本さんのほうが自由時間お金も持ってると思うよ

そんな話いわれなきゃわかんないかもだけどそしたら周りの人だって一緒だよ…

2024-02-15

anond:20240214190528

ブクマカがいってたことに同意するんだけど

もうちょっとわかりやすく言う。

新海誠好きの女とつきあってた元彼」なのか、「女とつきあってた元彼新海誠好き」なのかがはっきりしなくて

新海誠好きの元彼」のタイトルだけであたまわるそーで読む気がしねーわ

(あっLGBTの可能性を排除してごめんね)

さらに「の同人誌」がつくと4つ以上に解釈分岐する

「~の書いた同人誌」、あるいは「~を主人公にしたインタビュー同人誌

「~を主人公キャラにしたフィクション同人誌(その場合新海誠肖像権侵害気味のBLなんか別のナニカなんか)」

「~を統計的手法で調べた批評同人誌

また別のもんか、どれやねん、と。なにもんやねん。

まあでもまさか「それ」は、ないよなあ……っておもって本文よみつづけると、

批判をうけた本人の言い訳により「まっすぐ直球いちばんアウトコース」だったことがわかったwわけだがな

単なるプライベート開陳花束みたいな恋をした? おもんない……

 

ラノベのクソ長いタイトルの方がまだマシ

本当に男である俺も、胸がデカいキャラが苦手

元増田には「男じゃないだろ」という言及が集まっているが、実際に男である俺も異常に胸がデカキャラが苦手だ。援護射撃ではないけれど、どう苦手なのかを語ろうと思う。そういう男もいるのだ。




まず前提として、俺の場合は正直リアルの人でもオエっとなる。オエっとなるというか、見るとストレスがかかると言った方が正しいか

感覚としては、情報として無視できない重みがあり、居心地の悪さを感じる。




じゃあアニメ漫画だとどうか。これがまたよりオエっとなる。居心地の悪さが半端ではない。

ただこの居心地の悪さは「胸であるから」「胸が大きいから」という単純な話ではないと考えている。

せっかくの匿名なので、実例作品名を挙げて語ろう。




2023年に放映されたアニメで、最もクオリティの高かった作品は何か?

もちろん『お兄ちゃんおしまい!』だろう。この答えに疑問を挟む余地はないと考えている。

中学生女子になってしまった主人公パニックや成長を、素晴らしい作画演出によって余すことな表現していたこの傑作にも、難点があった。胸のデカギャルである

ギャルの胸だけ異様に肉感があり、異様に歪み、異様に光沢があり、異様に陰影がついているのだ。

『お兄ちゃんおしまい!』は色彩もデフォルメも美しい作品だった。だがこのギャルの乳ばかりは受け入れ難い。

技巧に溺れ、揺らすために揺らされた乳に、魂はない。

それは肉の塊であり、人の身体ではない。

肉体の変化によって膀胱の容量に変化を来し、慌ててトイレに駆け込もうとするまひろの肢体のような、繊細な美しさはないのだ。




これは勿論『お兄ちゃんおしまい!』に限った話ではない。

俺が思うに、日本サブカルチャーコンテンツにおいて「お色気」要素として提示される乳・尻表象は、その技術的水準が低い傾向にあるように思う。

他の巧みさに比べて、お色気だけ稚拙と言うべきか。誇張された乳や尻を描く時だけ、不自然な動き、不自然な光沢が発生するのだ。

美しい調和世界を壊さないでほしい。

察しの悪い消費者のために、「これはお色気なんですよ。だからここで興奮してくださいね」と親切心からわかりやすい誇張をしているという事情もあるかもしれない。それはあまり消費者を信頼していないように思う。フェルンの乳は揺れないし光沢もない。けれど、きちんと消費者は乳を盛ったイラストをこさえているじゃないか

(フェルンのデカい乳は俺的にOKです。たまに本編でしょうもない下ネタ対象になってるけど、映像的にはそんなに視線誘導されないし、変な揺れとか変な光沢とかないし。話めちゃくちゃ逸れるけどフリーレンって作風とか受容層の割に、谷間がガッツリできてるキャラ多いよね。アウラとゼーリエの乳が結構デカいことを、人の指摘で初めて気がついたよ)




話が逸れた。

調和に満ちた映像表現の中に、ゴロリと紛れ込む異物。それが俺にとってのアニメ漫画デカい乳だ。美しくない割に、やたらと存在感がある。

誰かのツイートで、お色気表現マヨネーズに喩えているものがあったけれど、これには俺も深く頷ける。

それで喜ぶ奴がいることはわかるが、そこになぜマヨネーズ(乳)をぶち込んだのかしばしば不可解であり、無視するにはくどい。

しかも、そのマヨネーズ(乳)は、しばしば人気があるということに胡座をかいており、品質が低い。




そんな風に思っている男もいるのだ。

本当に男である俺も、胸がデカいキャラが苦手

元増田には「男じゃないだろ」という言及が集まっているが、実際に男である俺も異常に胸がデカキャラが苦手だ。援護射撃ではないけれど、どう苦手なのかを語ろうと思う。そういう男もいるのだ。




まず前提として、俺の場合は正直リアルの人でもオエっとなる。オエっとなるというか、見るとストレスがかかると言った方が正しいか

感覚としては、情報として無視できない重みがあり、居心地の悪さを感じる。




じゃあアニメ漫画だとどうか。これがまたよりオエっとなる。居心地の悪さが半端ではない。

ただこの居心地の悪さは「胸であるから」「胸が大きいから」という単純な話ではないと考えている。

せっかくの匿名なので、実例作品名を挙げて語ろう。




2023年に放映されたアニメで、最もクオリティの高かった作品は何か?

もちろん『お兄ちゃんおしまい!』だろう。この答えに疑問を挟む余地はないと考えている。

中学生女子になってしまった主人公パニックや成長を、素晴らしい作画演出によって余すことな表現していたこの傑作にも、難点があった。胸のデカギャルである

ギャルの胸だけ異様に肉感があり、異様に歪み、異様に光沢があり、異様に陰影がついているのだ。

『お兄ちゃんおしまい!』は色彩もデフォルメも美しい作品だった。だがこのギャルの乳ばかりは受け入れ難い。

技巧に溺れ、揺らすために揺らされた乳に、魂はない。

それは肉の塊であり、人の身体ではない。

肉体の変化によって膀胱の容量に変化を来し、慌ててトイレに駆け込もうとするまひろの肢体のような、繊細な美しさはないのだ。




これは勿論『お兄ちゃんおしまい!』に限った話ではない。

俺が思うに、日本サブカルチャーコンテンツにおいて「お色気」要素として提示される乳・尻表象は、その技術的水準が低い傾向にあるように思う。

他の巧みさに比べて、お色気だけ稚拙と言うべきか。誇張された乳や尻を描く時だけ、不自然な動き、不自然な光沢が発生するのだ。

美しい調和世界を壊さないでほしい。

察しの悪い消費者のために、「これはお色気なんですよ。だからここで興奮してくださいね」と親切心からわかりやすい誇張をしているという事情もあるかもしれない。それはあまり消費者を信頼していないように思う。フェルンの乳は揺れないし光沢もない。けれど、きちんと消費者は乳を盛ったイラストをこさえているじゃないか

(フェルンのデカい乳は俺的にOKです。たまに本編でしょうもない下ネタ対象になってるけど、映像的にはそんなに視線誘導されないし、変な揺れとか変な光沢とかないし。話めちゃくちゃ逸れるけどフリーレンって作風とか受容層の割に、谷間がガッツリできてるキャラ多いよね。アウラとゼーリエの乳が結構デカいことを、人の指摘で初めて気がついたよ)




話が逸れた。

調和に満ちた映像表現の中に、ゴロリと紛れ込む異物。それが俺にとってのアニメ漫画デカい乳だ。美しくない割に、やたらと存在感がある。

誰かのツイートで、お色気表現マヨネーズに喩えているものがあったけれど、これには俺も深く頷ける。

それで喜ぶ奴がいることはわかるが、そこになぜマヨネーズ(乳)をぶち込んだのかしばしば不可解であり、無視するにはくどい。

しかも、そのマヨネーズ(乳)は、しばしば人気があるということに胡座をかいており、品質が低い。




そんな風に思っている男もいるのだ。

2024-02-14

新海誠好きの元彼の一人として言いたいことがある[追記あり]

新海誠好きの元彼」が何を指すのかについて誤解が生じているようなので下の方に追記しました。

はじめに

新海誠好きの元彼についてアンケートを取り元彼達についての同人誌を出す企画があったが、その企画に対して「新海誠好きの元彼」を馬鹿にしているとの批判が出たこから企画が延期(中止?)になったらしい。

「新海誠が好きだった元カレ」がいた人々にインタビューしてみた|ペシミ

「新海誠好きの元彼」同人誌企画への3つのモヤモヤ、あるいはごく個人的な悲しみについてのこと - ささやかな終末

同人誌の企画中止につきまして|三宅香帆

おそらくこの批判をした人も、そして野次馬の多くも「新海誠好きの元彼」ではないだろう。別に新海誠好きの元彼」を代表するつもりはないのだが、そのうちの一人として意見を表明しておくことに何らかの意味があるかも知れないと思い増田に書いておくことにする。

先に結論を書いておくと、この投稿で主に自分が伝えたいのは「新海誠好きの元彼に関する同人誌」を是非世に出して僕たちの古傷をえぐって欲しいという意見表明であるとともに、そこに少しだけ当時(現在のではない)感じたであろう愛情を添えておいてくれると助かるというお願いである。

新海誠好きの元彼」というステレオタイプ

まず自分の「新海誠好きの元彼」としてのバックグラウンドを話しておきたい。僕が新海誠作品出会ったのは高校一年生のときである中学三年生の時いい感じだった同級生がいたもののお互いに奥手だったので付き合うには至らず、卒業と同時に単身赴任中の父親の勤務先近くに引っ越ししま彼女との別れを経た僕に当時話題になっていた秒速5センチメートル死ぬほど刺さった。その後大学生になってからその同級生と5年間遠距離恋愛をしたり(因みに再開した当時桜木町バイトをしていた、そんなとこにいるはずもなくもなくもなくもなくもなかった。)、彼女の家から帰る時に毎回涙ぐむのを彼女バカにされるのが定番化したり、夜行バスの中で長文LINEメッセージを生成したりといったような自己陶酔ロマンチシズムの激しい人間自分である

そんな自分なので上記新海誠好きの元彼がいた人へのインタビュー記事を読んで自分にも間違いなく「新海誠好きの元彼」としての要素があると思ったし、自分と似た人は世の中にそこそこいるのだろうなとも思った。インタビュー内容からは「集団の中では浮いている教室の隅で本を読んでいるタイプオタクなんだけど、恋愛にはそこそこ興味があって一部の物好きな女性の心をくすぐることがある」というようなイメージがなんとなく浮かんでくる。つまり新海誠好きの元彼」とは、単に新海誠が好きなだけでなく「遠野貴樹」や「秋月孝雄」、「寺尾昇」といった新海誠初期~中期のウジウジとした主人公感情移入し、心の中に彼らが住んでいるような男性を指しているのではないかと思う。

新海誠好きの元彼同人誌が人を傷つける可能性について

まず新海誠好きの元彼同人誌(以下、元彼同人誌と言う)が一方的元彼バカにするだけの目的作成されるというのは誤解を含んでいるのではないかと思う。正直、インタビュー記事の中には自分の行いが書かれているようで目を背けたくなるものもあり、古傷をえぐられる羞恥心となんとも言えない快感に襲われた。あのインタビューバカにしているかいないかで言えば、バカにしている要素を含むのだろう。一方でそこに当時受け取った愛情も同時には感じなかったというと嘘になる。企画自身も弁明しているが、同人誌企画趣旨には「新海誠好きの元彼」と付き合っていた自分という自虐も含むらしい。これは受け取り方によっては「こんな馬鹿な男と付き合っていた私」という追い打ちとも取れる(というかそう取っている人が多いように見える)が、おそらく真の意図は『そんな男を好きになっていた私も同じ穴のムジナ』という意味でありまたそんな思い出も忘れがたい青春の1ページとして同人誌の形で残す意図も含まれているのではないかと思う。なお過去の美しい(?)記憶や思い出をわざわざ言葉という劣化コピーの形で残すのが新海誠作品の読解的に正しい行いなのか、という議論はここでは置いておく。

そもそも論で言うと、自分新海誠に会ってから新作を見るたびに(あるいは動画を見返すたびに)傷つけられてそれが快感になっている。そして「新海誠好きの元彼」の中には同類が数多くいるのではないかとも思う。成長した元彼元彼同人誌を見て「こんな馬鹿なこともしたな、懐かしいなぁ」と心中悶え苦しみながらも穏やかに過去自分、そして成長した自分に向き合う、そういった同人誌になるのであればウェルカムだ。ただ本当に馬鹿にされているだけの同人誌だったら後で泣いてしまうと思うので、どうか当時の愛情を少しだけ添えておいて欲しい。

自分以外の「新海誠好きの元彼」へ

自分元彼同人誌が読みたい。そして忘れている過去の恥ずかしい思い出を掘り起こされて悶絶しつつ『あの頃』に浸りたい。きっと共感してくれる元彼もいると思うし、それを発信することで企画が前に進むこともあるのではないかと思う。もちろんそんな思い出は見たくもないというのであれば読まなければ良いし、そんなものが世に出ること自体が許せないなら反対の声を上げるのも自由だ。ただ今は自分たちの声が置き去りにされて無関係人達だけで議論が進んでいるようなので、当事者として声を上げることが大事だと思う。

元彼同人誌に反対の声を上げてくれた人へ

結果的余計なお世話だという趣旨記事になってしまったが、元彼の中には自分気持ちを代弁してくれてありがたい人もいると思います。代わってお礼を言わせてください。ありがとうございます

追記

新海誠好きの元彼」について少しだけ補足させてください。「新海誠好きの元彼」を定義することは元彼同人誌がやるべきだと思ったのであえて本文中ではボカしたのですが、それが「新海誠男性ファン」とイコールで捉えられることは本意ではありませんでした(元彼同人誌炎上根本的な要因も、「新海誠好きの元彼」が指す範囲ボタンの掛け違いなのではないかと思っています)。実際の「新海誠好きの元彼」が指す対象は「新海誠男性ファン」よりも(今となっては)かなり狭く、あえて乱暴定義するなら「新海誠初期~中期の作品感傷マゾ性癖クリーンヒットしてしまった人」でかつ「現実の男女関係にも感傷マゾ性癖を持ち出してしまう」ような人達のことを指すのではないかと思っています。なんなら新海誠作品出会っていないが「新海誠好きの元彼」的な性質を持っている人もいるはずで、「新海誠好きの元彼」の「新海誠」とはあくまでも当時感傷マゾをしばき倒していた代表格としての意味しか持たないと自分理解しています。(この辺りが同人誌作成過程の調査で明らかになると良いと思っています。)

そんな気持ち悪い、本質的には新海誠作品とあまり関係ない生物呼称新海誠名前を使うのは失礼という指摘に対しては、まあ一理あるけど概ね当然の報いなのでは?というのが自分の偽らざる気持ちです。

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