はてなキーワード: ワールドワイドとは
むかしダウンタウンのコントで精神障害者を笑うものとかがあってな。
今はできへんやろうなーってのがいっぱいあんねん。
そもそも笑われる人に対しての「同情しない、心ある人と思わない」という差別の萌芽みたいなもんが存在しとってな。
この辺は詳しく知りたかったら哲学者のアンリ・ベルクソンの著書『笑い』を参照してくれたらようわかると思う。
まあ、例えると、古いディズニー映画でミッキーマウスが急にダッシュを始めて、下半身が先走りすぎて首を忘れるとするやろ。
これは笑えるわけ。でも実はここで放送されているミッキーマウスは元になった人がいまして、こちらがこの映像です。あ、この映像の方はやっぱりすぐにお亡くなりになったんですけど。
あ、ちなみにこれ私の父です。それからとても苦しくて……ではもう一度、ミッキーマウスを。となるとスゴく微妙な気持ちになるわけ。
翻って、ダウンタウンの笑いやけどな。
黒塗りに対して、黒人差別の文脈を読んで、同情してしまい笑えへん人がおる。
そこに差別を読み取って不愉快になる人がインターネットを使って発言できる時代になりました
ということやと思うわ。
今までテレビの内輪の論理で通用しとったけどな。インターネットはワールドワイドやし、いろいろモノ言えるからな。
ただ絶望するのは早い。優秀なお笑い芸人がもっとお笑いを探求しておもろいもん見せてくれるはずや。
去年のM−1でその萌芽を感じることができた。
https://cinema.ne.jp/friday/casshern2017050517/
なぜかいまさら紀里谷和明監督の記事が書かれているが、内容を読むと「当時は評価されなかったけど才能が認められてめでたしめでたし」みたいなことが書かれている。
まったく動向を知らなかった自分は「あの人、今はそんな感じなのか」と思ったのだが、ネットで調べてみるとどうも話が食い違う。
2015年公開のハリウッドデビュー作『ラスト・ナイツ』は日本ではいまいちだったわけだが、海外でも惨敗だったらしい。(そもそも情報が少ないのだが)
評論家の評価もユーザーレビューも一貫して退屈・ありがちな内容と断じられ興行的にも失敗。
その後はハリウッド監督の肩書でのインタビュー記事が何本か見つかったが具体的な仕事は不明。映画の企画を進めているらしいがラスト・ナイツの制作難航と興行成績を見る限り監督業は難しいように思う。
記事の方は
『CASSHERN』の国内での批判をものともせず、己の実力を信じ、今やワールドワイドな映画制作を成し遂げた紀里谷和明監督。その原点を今こそ見直して再評価してみるべきなのかもしれません。
と締められているが、国内での批判をものともせず海外に進出した結果、海外でも批判されまくった現状を理解した上での記事なのだろうか?
CASSHERNの評価といい、まるで紀里谷和明監督が世界的に名声を手に入れたパラレルワールドを舞台にしたSF小説を読んでいるような錯覚におちいった。
技適があるからガラパゴスみたいなクッソ頭悪いコメが散見されるが、ワールドワイド製品で技適通すの、ほとんど誤差みたいなものなので、
大体BVやTUVやSGSといった認証機関で通すので、どこまでカバーしたいか指定すればどのように認証スケジュール・テスト設計するかはソリューションに含まれてる。
どの製品もKCC(韓国)他NCC(台湾)、ANATEL(ブラジル)他の認証を通しているが、
実のところそれらよりBVやSGSでの認証取得ならMRAでちょっとした追加試験で済む技適の方がずっと楽に通る。
中南米より技適取得時の方が書類少ないよ。おそらく日本よりも小さい市場の面倒な認証も通してる時点でそういう問題じゃない。
Pixelに関しては、LTEバンドの時点で明確に日本をスルーしている。というよりカバーする気が無い。
逆に言えばGoogleのハードウェア事業としては日本の位置づけはその程度のものだと言うだけだろう。
毎回本当に頭悪いコメントにうんざりなのでさらに言っておくが、
大体の世界中で使えるIEEE規格は地域毎のパラメーターについては規定しない。各国規制に従えってなってる。だから各国の認証を前提とする。日本向けの11jみたい例外を除いて。
5GHzなんかは共存前提なので地域毎にCh設定自体が違う(EUとUS、JP、その他も違う)。電波は陸上通信だけのものじゃないので、そうなる。
ニュースピックスで話題になっていたのですが、みなさんのコメントを見ていると、これまでの経緯を知るものとしては違和感があったので、まとめます。
https://newspicks.com/news/2254315
「途中で本が無くなったら嫌だな」というコメントがありましたが、もともとアンリミは出版社側が取り下げることもあるし、今回のようにAmazonが停止することもあるサービスです。
そのあたりは、電子書籍界隈で有名な鷹野さんが毎月タイトル数の変動レポートをしてくれています。
http://www.wildhawkfield.com/2016/10/compared-with-2-month-ago-of-Kindle-Unlimited.html
そして、利用規約でももともと「指定されたタイトルリストから選び、何度でも読むことができます」とあり、つまり読み放題の本を自分が0円で好きに買えるのではなく、漫画喫茶のように無制限に読める権利を得ている、ということに過ぎません。
https://www.amazon.co.jp/gp/help/customer/display.html?nodeId=201556940
読み放題として読まれる書籍のロイヤリティは、さすがにAmazonでも無限にあるわけではありませんので、その原資は基金から支払われこれも変動します。
https://kdp.amazon.co.jp/ja_JP/help/topic/AI3QMVN4FMTXJ
そうすることで、読み放題が成り立っていてAmazonも作者さんに安定してロイヤリティを払えることが継続できています。
佐藤氏はKindleのプライスマッチという戦略を逆手にとって1億円以上もの印税を得たことがあります。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1605/27/news116.html
プライスマッチというのは、Kindleが自主的に本を値下げして、他の電子書籍ストアで売られている同一作品の値段と価格を合わせることで、最安を維持する戦略です。いっぽうで、その差額はすべてAmazon持ちです。
つまり、佐藤氏ほどのブランド力を持つ作者が、大手のAmazonで11円という破格の値段であれば売れることは明白で、その戦術を逆手にとったハックとも言える手法で大金を稼いでいます。じつは、楽天koboなどで自分でプライスを下げてプライスマッチを狙うことが簡単にできるのです。
そももそ氏は、ブラよろ、かくえもん、というタイトルハックもわかっていて使うなど、以前から巧みな手法には明るいのです。※作品のタイトルには著作権がないことを利用し、そのハロー効果を狙ったタイトル付け。そのことで注目される。
佐藤氏はこれまでもさまざまな問題提起をすることで、注目を浴びる戦略をしばしとります。先日も驚いたのがこちらの件。
プレスリリースに配信されていた画像をニュースサイトが使ったら指摘されたというもの。詳しい経緯は当人達しかわかりませんが、それでもリリースに載っていたら使うのが一般的なメディアでしょうし(配信した元にかみつくならまだしも、利用したメディアに食いついた、ほんとかわいそう)、それをいろいろというのも炎上マーケティングを狙ったと言われてもおかしくないかと思います。
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2017/04/11/25458
こういう経緯を知っているものからすると、ニュースピックスのコメントでもっとも本質的なところをついているのがホリエモンだと思います。漫画に明るい堀江氏だからこその切り口だと思いますし、わたしも彼にもっとも同意します。
ブラよろも著作権フリーとして広げつつも、たしかそのあと噛み付いた事例もあるくらいで、ほんとうに近寄りたくない人の1人です。近寄らないくらいしか対応策がないというか。
佐藤氏の行動はときとして正義を貫くこともありますが、ときとして純粋に残酷に鋭利な刃を振りかざすことがあります。わざわざ炎上させずとも、穏便に済ませようと思えばすませられるトラブルもあったはずです。作品は好きなのですが、そういうところが残念に思います。
今回、これを書こうと思ったのも、そもそもそのアンリミが無くなってしまったら嫌だな、ということです。
じつは私も電子書籍を出していますが、アンリミが登場して電子書籍の売上は確実に減りました、わたしだけかもしれませんが。別にそれは仕方のないこととして受け入れています。
いっぽうで、過去のほとんど読まれなくなった作品も読まれるようになりました。つまりわずかではありますが、利益を生み出してくれるようになったのです。
つまり、アンリミが作者にもたらしたことは「平準化」でした。これがないと瞬間風速だけで話題をもっていけるような消耗品としての本ばかりを書く前述をとらざるを得ません。
しかし、アンリミがあることで、今まで以上に、長く読まれるよう、作品自体をよくしようというモチベーションがわいたことも事実です。
ですから、アンリミがなくなってしまうと、多くのアンリミ作家の戦略に影響が出るだろうなと思うわけです。
なので、あと危惧することは他の出版社が追随すること。完全にAmazonが悪者扱い。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/05/19/kiji/20170519s00042000235000c.html
Webサービスをやっている自分としても、悪かったところはすぐに誤って正す、そういうことは普通だと思っていたのですが、ここまで荒立てるとは本当に近寄りたくない。
Amazonはワールドワイドでレギュレーションがあって、日本独自の、漫画がやたら読まれる、という事情を考慮してそもそもローンチはできないですよ。
もちろんそれを、「あえてAmazonのために頑張って何日も苦労してゼロから作ったのに!」ということで憤慨するのであれば同情はしますよ、その場合はAmazonひどい!です。
でも、今回は既存のものを配信するかしないか、という状況下で蓋を開けてみたら違っていたごめんなさい、という話ですよね。ちょっとそこまで言わなくてもいいんじゃないかなあというのが正直な実感。
契約にも、おそらく何かの際にはAmazon側に裁量権がある、というくだりはあると思うのですが、ただ訴訟で佐藤氏が勝っても負けても、その秘密条項が陽の目に浴びるという点では、佐藤氏は得をするのですよね。
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1205/25/news007.html
マンガ図書館Zの赤松さんも「TPPの知財関連よりヤバい。騒いでる漫画家が殆どいないのもマズい」という権利で今回の訴訟でも武器にしてくるのかなと想像してしまいます。
・ ・ ・ ・ ・
今回、取り上げること自体が炎上にのっかることなので、本当は書くことを迷ったのですが、あまりにもアマゾン酷いよねという論調が多いように思ったことと(佐藤氏が言うんだからとまで書く人もいるくらい、そりゃハックのほうにも明るいくらいですけど)、アンリミや佐藤氏のこれまでの経緯があまり認知されていないなあという印象から、少し公平じゃないよなと思いまとめました。
http://anond.hatelabo.jp/20170420151301
貧困女子(まあ男子でも同じなんだが)のこの種の貧困アピールの良くない点は、結局「それ以下の境遇の人」が挙手した時点で、外部からの状況改善援助が全部ストップしちゃうってことなんだよね。
理屈として「わたしにはXXX、XXX,XXXという不幸がありXXX,XXX,XXXという極めて不遇不幸な環境ですので、外部の人どうにかしてください」というものだから、当然、よりさらに不幸不遇な対象があれば「そっちを先に助けるか」という話になってしまう。つまり、不幸な状況への愚痴としては機能してるのかもしれないけれど、援助要請としてはあまり有効ではないと思うんだよ。結果として「よりどちらが不効果の自慢をし合うマウンティング合戦」が始まり、見せられる側も「またか」と消耗し、「貧困層は放っておこう」となってしまう。
だいたいそもそも論として、日本でどんなに貧困不幸自慢をしたところで、ワールドワイドにはより凄まじい猛者がいるわけであって、善意やら人権をテコにして援助を望むなら、日本の貧困層に勝ち目なんか最初っから全然ないのだ。
近所付き合いが嫌いだ。田舎に帰るとよく言われるだれそれが結婚したとか、あそこの家の息子はロクデナシだとかどうでもいい。
他所の家の事情なんてどうでもいい。金にもならないのによくそんなどうでもいい話題考える暇があるなと思う。
そんな自分が見ている投稿サービスで「ストリエ」というのがある。
スマホを意識しての「縦読み」に特化したUIで一部の人が見ると爆笑するか胸が痛くなるかもしれない。自分は後者だ。
基本はユーザーの投稿だが、ライトノベルレーベルと提携して無料配信しているがやっぱり苦戦しているらしい。
最近は露骨に勧誘をしているようでアメブロやらライブドアやらtwitterやらなんでもかんでも引っ張っている。
その中に家族を題材にしたブロガー連中がいた。どうも大量に引きいれたらしくエッセイ特集と銘打ち取り上げまくっている。
最初に書いた通りでそういったものも嫌いだが大衆に受けているのだから何かしら面白いところがあるのだろうと思って挑戦してみた。
一人目
自閉症の子供を育てているらしい。そこそこ読めたが別にドラマチックな展開も無いので2つくらい読んで飽きた。
二人目
二世帯住宅で暮らしてる嫁のブログの再掲。やっぱり調べたら姑がボケたり死んだりしてた。
三人目
普通の子育て日記、子供が喋ったとかどうとかで記事書いてる。それだけ。
四人目
同上。年の差兄妹なのが特徴らしい。一三歳と五歳くらいでそこまで言うほどのものなのだろうか。
五人目
海外で嫁いでる女の記事。夫が金持ちらしくひけらかしてんのかと腹がたった。
適当に読んでいたが五人目で心が折れた。何が楽しいのかさっぱりわからなかった。
家族の出来事とか世界中に見世物にして何が楽しいんだ?ついでに障害持ちでもなんでもない家の様子とか見て楽しいか?
ビックダディもいないぞ?
LaTeXで書けばいいのか悩んだり、ワードで書くと名前欄が無駄に改ページされたりしていらつくやつ。
で、なんかせっかくだから、「学振申請書の書き方」ってやつをちょっと考えてみたんですよ。
なんかそういうのいっぱいあるじゃないですか。
自分もね、学振通ったことあるんです。二回。DCとPD。落ちたことないの。
といっても、特定の地域とか特定の文化とか、ある種の「受かりやすい」テーマってわけでもなく、大分地味なテーマです。
だから以前はよく後輩や先輩や同輩の申請書の相談に乗ったり添削したりしてました。
「ここ、もっとわかりやすく」とか「ここ、もっと強調したら?」とか「フォント変えてこの部分は箇条書きにしなよ」とか。
今日日ネットで「学振 申請書 書き方」とかで検索すると百回くらい書かれているようなテクニックを参考にしてね。
大体自分だったら、ここらへん気をつけるかなー、みたいなことを考えたりしながらね。
それでどうせ増田だし、面と向かって「アドバイスして」って言われた時に言いづらいことを書いてみます。
専門的なのはわかるし、テーマがご近所さんの自分が仲間としてみると「ほほう、興味深いねそれ!」って感じなんですけど、赤の他人が聞いてもワンダー感じそうにないようなやつ。
例えば「AにおけるBーCの関係について」みたいなテーマがあるとするじゃないですか。
その時にそのまんまそれを書くんじゃなくて、そこで一捻りいれたら?ってことなんですよ。
なんていうか、メインディッシュのテーマがあるとして、みなさんいきなりメインを出し過ぎなんです。
じゃなくて、「このテーマを別の角度から見ると、こういうテーマにもなるぞ」っていう観察をしてから、もう一回テーマ設定しなおしてみませんか?みたいな。
あるいは前菜になるような前置きとか問題提起をいくつか用意して、そこから入れるようにしたほうが、読み易くない?みたいな。
この点について具体的に言うなら、最初に「これまでの研究」って書くじゃないですか。
いきなり「研究」を書きすぎなんです。いきなり専門的すぎるんです。
やっぱり読む側は申請書を書く人間にも、そのテーマにも興味をもっていくれるわけじゃないんですから、読む側にも納得できそうな問題提起を明示して、そこから「これまでの研究」と「現在の状況」をつなげていくのがいいんじゃないかな、って。
あと「見通し・インパクト」が尻窄みだったり滑ってるのも多いですよね。
文系界隈だと書きづらいのはわかるんですけどね。
テーマ局所だけの「この分野ではこれこういうインパクト」っていうのももちろん大切なんですけど、なんかもっとワールドワイドに、時事ネタとかもしっかり見たほうがいいんじゃないかな。
でも荒唐無稽になると困るんですけど、ぎりぎりそこは頑張ってって感じで。
「アリの目と鷹の目を使い分けて」とか言われたことがありまして。小さい所も遠い所も両方見ておけってことらしいです。
とりあえず申請書のフレームは忘れて、一度自分の研究に関係ない人を捕まえて、ちょっと研究の話をじっくりさせてもらったらどうだろう。
そうすると鷹の目になったり…しませんかね。
それと申請書全体にストーリーラインがまったくないのはどうかと思います。
「学振の申請書には質問がしっかり書かれているんだから、それを読んで答えよう」みたいによく言うじゃないですか。
それを意識してるのか知らないけど、一問一答みたいになっちゃうやつ。
申請書って一問一答形式ではなくて、全体を通して読んだ時に「どういう問題意識があって」「それにはどういう意義があって」「そのために何が必要で」「自分はなにをやるんだ」っていうのが明確に示されてないとダメな気がするんですよ。気がするだけね。
申請書の質問内容にしっかり答えるのは大切だと思うんですけど、まず脳内で大雑把なラインを作っとけばいいような気がします。
業績の問題については議論がつきないところがありますよね。自分もよくわかりません。
でも観測範囲で、そこまで業績で殴りあう感じに最近なっていないように思うんですけども。
がっつり業績ある人が落ちたり、いまいちな自分が通ったりしてるんで。
スタートダッシュで業績つけなきゃ、みたいに考えた時期はあったけど、正直レベルが低い中身のない論文を量産してもなんにもならないし。
地球に厳しいだけだし。
それよりも堂々と抜き刷り渡せるようなギュッと詰まった論文をじっくり書き上げたほうが素敵ですよね。
あ、でもPDでさすがに業績欄真っ白はきついと思います。ある程度のラインみたいなものはあるような気がする。思ったよりもそのラインが高くないだけで。どこなんだろう、それ。
あとこんなの書いて難ですが、「いろんな人に添削してもらう」って副作用もあるので注意したほうがいいです。
人のアドバイスって結構拘束能力が高かったりして。あんまり従って整理しきれなかったパターンもみたことがあります。
どちらかというと一貫したラインが大事なので、相談したりしてガタガタになるよりも、「ストーリーが通っているか」「わかりやすいか」の確認程度に見てもらう程度に抑えたほうがいいんじゃないかな、って。
自分はあんまり人に相談して申請書を書いたりはしなかったんですよね。
というわけで。
真面目に数学とか英語の講義動画を作成してYouTubeにあげたら、安定して再生回数を稼げると思うんだけど、今までどうして無いのだろう。
東進とか代ゼミが90分の講義1コマ三千円くらいで展開しているビジネスを講師自身がタダでやるイメージ。
ターゲットは自習出来る小学校高学年〜高校生で好きに決めて、学校の授業に沿ったものでもいいし受験対策でもいい。扱う問題は教科書の例題や受験の過去問を用いつつ、単元毎にPDFも配布する。講義して動画あげるサイクルを繰り返していくだけなので、ネタ切れもないし無理なくつづけられるはず。
スマホかPCとネット環境があれば受講可能なわけで、地方でろくな教育環境がない子供や経済的に余裕がなくて塾に通えない子供への支援にもなって教育格差の是正にもつながり、かなり重宝されるだろう。
本職の教師や塾講師がやると割りが合わないし業務上の支障が出るかも知れないのけれど、アルバイトなんかで経験を積んでノウハウをもった学生なんかであれば大してしがらみもない訳だし、わりとたやすく可能なんじゃないだろうか。
もしくは予備校講師としてすでに一生分の給料を稼いでしまったような方々(林修とか西きょうじとか)は社会貢献だと思ってやったらいいと思うけどな。
(追記)
すでにワールドワイドに色々あるよって指摘はその通りだと思うんだけど、国内のものでYouTubeのチャンネル単位で人気があるものって知らないなぁ。
いわゆるユーチューバーと言われる人達が固定客を掴んで再生回数を伸ばすスキームに、予備校の人気講師がキャッチーな講義によって生徒を集める手法を当てはめて展開していけば、けっこういい線行くのではと。
20億ドルの資産があるという話だが、20年前のオウムは確か10億円ぐらいの資産があったと言われていた。
橋本治がオウム真理教について書いた本に、バブル当時ならどこの骨とも分からないような人でも10億円ぐらい集められたのでは、と書いてあったのを思い出した。
2000年代ぐらいから、中東諸国は原油輸出だけでなく投機によって国家経営をする傾向が強まっていて、中東バブルなんて言われてた時もあったが、
そういえば、中東バブルはじけたなんて言われてた頃と、アルカイダと分裂して今のISISの原型に近づいた時期って重なってたりする。
日本人2人を誘拐したのも、何となくたまたま居たからってだけなんじゃないか。
身代金が欲しいならもちょっと粘ればいいのに、それをせず、大して重要でもなさそうな人物との人質交換を申し出たり
これも行き当たりばったりというか、隣国へのぱふぉーまんすにしても筋が悪いというか…
主張や行動のバランスが悪いというか、要望に論理性に欠けてるというか、それでいて主張は原理主義的で柔軟性が全くないようなところとか、
http://anond.hatelabo.jp/20150123205946
これ見て思った事。
(私は腐女子だから腐女子界の偏った情報でしか語れない、と前置きさせて欲しい)
私が中学生の頃インターネットが流行りだし、同時にいわゆる「個人サイト交流」が腐女子界隈でも主流になっていった。
それが何年かして廃れていったのは、SNSが台頭してきたから。
今と昔(だいたいここ10年)で何が変わったかっていうと、いわゆる「人気ジャンル」の流行の仕方がトレンドを模索する形から爆発的な流行、あえていうなら感染型になっているなという事。
増田が艦これについて語ってるけど、現在進行形で腐女子を騒がせている刀剣乱舞も似たような状況になるんじゃないかと思ってる。
刀剣乱舞に関わらずなんだけど、最近の「人気ジャンル」はあっという間に広範囲を染め上げる。それも短期間で。
タイムラインを見てれば多くの人が私も始めた、私もやりたい、とつぶやいている。
中には「みんなとうらぶやってて私だけやってないの焦る」だとか「私はやってないんだけどすごい疎外感」とかなり素直な事を述べてる人も居た。
今と昔を比べるのはナンセンスだろうけど、昔はちょっと違った。
なにより人気の広がり方がこんなに速くなかった。
刀剣乱舞を例に出したのは、このゲームがあまりにも「感染力」が強かったからだ。
私が見る限り配信を開始して数時間後にはTLを埋め尽くしていたと思う。
この流れを見て何かに似ているな、と思った。
何かが流行るとあっという間にクラス中に広がり、流行りに乗っからない子は疎外感から自分も乗っからなきゃ!興味ないけど興味あるフリしなきゃ!と焦りを感じる。
もちろん本当に小学生ではないので、いじめや嫌がらせには発展しない。
でも目の前で繰り広げられている「キャッキャウフフ」を、流行りの輪の外で眺めながら妬ましい気持ちになってる人は確実に一定数居る。
何が言いたいのかというと、インターネットはワールドワイドではない。小学校の教室だ。少なくとも「腐女子のツイッター界隈」は閉鎖された狭い世界なんだと思う。
私の最新のインスタグラムはwwwこちらの画像を使わせて頂きましたww
時々、画像を他から引っ張って、自分の言葉と合体させて、皆にメッセージを贈るwwこれは少し前からの私のやり方ww新しいメッセージ法ですw
自分の写真だけでは表現しきれず素敵な画像を見つけ引用するwwそして、何より伝えたいのは、世の中には、こんな素敵な絵や言葉があるんだよ!って言いたくてねwww数年前からpinterestをやっている私www今回もこの画像は、pinterestから見つけてwwやり始めた時誰も知らなくてww私の世代は、雑誌を切り抜き、よくそれをファイルにしたり、ペタペタノートに貼っていたwwどれだけ、シンディクロフォードを切り抜き集めたことかww
今は、それがWeb上で出来て、自分の好きなモノをカテゴリーわけして、自分のオリジナルボードにどんどんピンしていくww
自分の感性が再認識する場所でもあるpinterestww感性が近い人と繋がれて世界Levelwワールドワイドに脚を踏み入れ人と繋がれてww家の中にいても、気分は世界中をテンテンしたww時には、ニューメキシコ、時にはパリ、時には、バハマwwその他沢山www素敵な画像を皆が共有する世界に夢中になり、当時は睡眠不足になるほどでwww本日のテーマは心の友だったwwそう!数少ない心の友の話ww字の通り心で話す友www親友ではないww
夏が始まり、共に笑い、共に怒り、共に泣いたww長年私を支えてくれてwwwだから私より私を知っていてwww私をずっと見てきたからねww私達は、生きる世界も違うし、人間も異なるww一緒に撮った写真をアップするコトは簡単だけど、あえてしないww人として相手を守るコトも人の勤めであるからwww明日心の友は、アメリカに帰るww私の想いが今回の画像になったwwそして、インスタでは珍しく、この画像を使う意味が理解出来ない人がいましたw
コレ私が描いた絵だよ!!って言ったら罪ですがww
この場を借りてですが、その方の文に対し、
キチンと発言をして下さった方がいましたww
フォローさせて頂きましたwww
残念ながらその場を壊す様な発言をする方は、ユーザーブロックにさせていただいていますwイチバンの理由は、せっかく皆が楽しくポジティブな気持ちを表現し、書いてくれているのに、前の方や、皆さんのコメントを台無しにする行為だからですw人に対し失礼にあたるコトだからwww私は言葉を大切にし、人を大事にしますww人を甘くもみませんwwその方ですが、そんな意味で言ったわけじゃないwて言われてもですww時は遅いww私は言葉使いにも気をつけていますww頂くコメントには、全て目を通しますwwそして、私がフォローした方ですが、基本キチンとコメントをしてくれた方なのですww中には、違う方もいますwwん~www勘と言うかwww
勝手に、フォローしたら、驚かれたりww(笑)喜んでくれてwwたった1枚の写真や、言葉で、人が明るい気持ちになれたらってwww私はそう願いたいのであるw
ーーー
このところあまりに頻繁に見かけるので雑感。
結論から先に言うと
「生モノは本人が許可していない限りは目に付く場所でやって叩かれても甘んじて受けろ」
「半生は作品のキャラクターとしての取扱いである限りは通常の二次創作と代わりはない」
「いずれにせよ性的表現が存在しているのならゾーニングは必要だろう。これはルールというよりは礼儀や行儀の話」
である。
これをごちゃまぜにして話をするとややこしくなる。
1 いわゆる二次創作をすること、発表する事は、著作権者あるいは権利者が禁じていない限り自由である
2 いわゆる同人誌即売会で有償で二次創作作品を頒布することと二次創作を行うことは当然だがイコールではない
3 生モノと呼ばれる「ジャンル」が人目に晒されるのを恐れるのはモデルとなる人物及びモデルとなる人物を知る人々にとって不快感を与える恐れがあるからだ。これもルールというよりは礼儀や行儀や思いやりという話
さて、まず1だ。
たとえばあなたが読み、あるいは見たなんらかの作品について、「もしこれがこうだったら」「もしこの登場人物がこうだったら」と考える事は自由だ。
同時に、それを書き記し、公表する事も自由だ。
だが、明確に「原作」が存在し、その原作なくしてはありえない内容である限り、「原作」の権利を侵害する事はもちろん許されない。現状、明確に禁じられている場合を除き、概ね世界的な傾向として、これらは「ファン活動」として黙認されている。
黙認されている限り、節度を守ってどこでどのように「ぼくのかんがえたさいきょうの○○」を語ろうと自由である。それは自分のサイト、タンブラー、ピクシブ、ツイッターなどのあらゆるツールを含めて自由だ。
これは誰はばかることなくやればいい、自由に。
例外は、ここに年齢制限要素があるかどうかである。年齢制限要素は、それがオリジナルであろうと妄想であろうと二次創作であろうといずれにせよゾーニングされるべきだろう。これは「二次創作」であるか否かとは別問題として存在する。
では性的表現、いわゆる同性カップリングについてと言われれば、現状ではこれもまたルールというよりは礼儀/行儀の話。端的に言えば上品であるか下品であるか程度の問題ではある。
では2になるとどうか。
現状、日本国内を見回す限り、いわゆる同人誌即売会において有償頒布をする事は、「黙認」されている。
これは「ファン活動」の範疇に収まっている限りの話であり、どこから範疇を超えるかは権利者による。
「黙認」されている以上、「許可」ではないので堂々とおおっぴらにする事はともかく、こっそり楽しむ分には一応文句は出ない、ことになっている。
よって「こっそり楽しみましょう」という大前提の下に、これらは全て動いている。
ところが、これが海外になると、「頒布」であろうが「販売」であろうが、金銭を得た時点で権利は侵害されたとみなす権利者のほうが圧倒的に多い。
無償で楽しんでいる分には日本以上に野放図であり自由であり文句を言わない権利者が、金銭が絡めば即座に侵害とみなすのは、原則的に「ルール」で動く西洋的な価値観の中では当然ではある。
ではそれらは有償頒布出来ないのか、というと、それこそ程度問題だろう。
儲けが出るほど大々的にやるのは完全にルール違反だし、わずかな同志間で楽しむ分にはかろうじてお目こぼしはしていただける可能性が高い「ので」こっそりやる、という話になる。
グッズのように「原作の原型を留めていなければ求められるはずもないもの」を作ろうとするなら、これは権利侵害以外の何者でもない。ただ、極度に手を加えられ、作り手の能力によってしかなしえない表現をされている、となると若干はなしはかわるかもしれないが、「原作」から逸脱しない以上はやはりこれもアウトなので「こっそり」やるか許可を求めるべきではある。
日本での「同人誌即売会文化」とでも呼ぶべき市場については、これは「印刷その他、掛かった金銭の分だけを負担していただいている=頒布である」という理屈で成立しており、原則的には「儲けは出ない」建前になっている。
これが建前で実際がどうかという話はここでは置いておくが、それでもこの「建前」は海外の権利者には通用しない。従って、「自分は悪い事はしていないが、見つかると禁じられて楽しい遊び場が崩壊するから隠れる」というのは当然の流れだろう。ワールドワイドに「宣伝する」などもってのほか、という事になる。(つまり少なくとも検索にひっかかるような場所でおおっぴらに語ったり披露したりすべきではない、ということになる)
3と、それに付随する半生については、これこそ「礼儀」の話でしかない。問題は一つずつ切り離して整理し、考えるべきことだろう。ただし、個人的には半生については個別の「作品に登場するキャラクター」を使っているという時点で特に「中の人」に対する遠慮が必要だとは考えない。何故なら彼らは「その作品の中ではその世界に実在する」からだ。
もしそれを「申し訳ない」と言い出すならそもそも二次元のキャラクターであっても「その世界に実在する」んだから申し訳ないという話になる。
以上、書き連ねたが、「ルール」と声高に喚き散らす状況には違和感しか覚えない。
原作ありきの二次創作に存在しているのは、許可されていない限り全て「こっそりやるべきもの」には違いないのだ。
その上で、そもそも創作自体は自由だ。
ここには自由しかなく、誰もルールなど作らない。ただ、個々人が自分の倫理観に従って存在するだけである。
いわゆる学級会の「隠れろ!」という「命令」は、それに従う従わないではなく、個々人が自分で判断して自分で何をするか決めれば良いだけだ。
もし、自分で考えられず決められないというのなら、その時にこそ、いうべきだろう。