はてなキーワード: リクルートスーツとは
本当は後悔文だけど、敢えて反省文、と書こうと思う。ある日夢を捨てた。それからのまだ短い人生について書く。
何のために大学に入ったのか。最近よく考える。何のためだったんだろう。今更レールから外れて生きていこうとは思わないけど、そうしたら全然違う将来みたいなのがあったのかな。そんな風に。
努力は嫌いだった。嫌いだったけど、全くしないわけではなかった。できるだけ最小の努力で得られる中で、世間的に一番いい未来を選び取ってきた。
夢がないわけではなかったけど、いつの間にかこっちを選んでいた。大切な家族はわたしの夢を嫌っていたし、わたしは夢よりも家族を選んだ。その程度の夢だったんだと思う。
18の春に、田舎の高校から都内の国立大に進学した。一般入試は面倒だったから、公募推薦で入った。昔から小論文は得意だった。自由に述べる文章は苦手だったけれど、テーマを与えられるものはそうだった。何故だかいつも、求められている答えがぼんやりと分かった。課題文や、設問の言葉の選び方や、注の入れ方で、いつも何となくこう書けばいいんだなと分かった。その時も、生まれてこのかた考えたこともないような"自分の考え"を、誰かの本で読んだことのある言葉を、自分の言葉に言い換えて目の前の紙に書き連ねた。志望理由書でも面接でも自分の本心には一つも触れなかったけれど、滞りなく合格通知が届いた。
努力は嫌いだった。嫌いだったけど、努力の使い所みたいなものは分かっていたつもりだ。海流を捕まえることができたときにはただ流されて、いつの間にかそこから外れてしまったときにだけ、ほんの少し自分の力で泳いだりした。そうしてまた流れを捕まえた。その繰り返しで生きてきた。その海流が、自分をどこに連れていくのかなんて誰にも分からなかったし、わたしにも分からなかったのに。今考えると馬鹿っぽい。
大学で学びたいことなんて、多分一つもなかった。学ぶことが嫌いだったとは言わない。学ぶという行為が好きだった時期も多分あったし、ずっと好きだった分野も、多分あった。でもわたしが大学に行って手に入れたかったのは、世間的に良いなと思われるような人生への海流だけだったと思う。そういう意味ではわたしは行き着く先を分かっていたし、実際その流れは、確かにわたしを目的地まで運んでくれたんだろう。
ゴールデンウィークの前、早々に内定が出た。何個か落ちて、何個か受かった。受かった中から選んだのは、かつての夢とは程遠い位置にある少しお堅い大企業だ。来年の春になったら、わたしはあの企業で働く。かつて夢を思い描いていた自分には、きっと考えられなかったことだと思う。それでもこれは、リクルートスーツを纏って精一杯背伸びしたわたしが掴んだ一つの未来だった。それは本当だった。わたしが本当に辿り着きたかった場所だったかどうかは別として。旅というのは、案外そういうものだ。目的地なんてない方が上手くいく。少なくとも、到着して辺りを見回したとき、「こんなショボいところだったんだ?」なんて思うことはないだろうから。
一昨日、卒論を書く手を止めて、ふと、何のためにこの大学に入ったんだろうなと考えていた。窓の外に、台風でぐちゃぐちゃになった道が見えた。校内にイチョウを植えるなんてどうかしている。銀杏を潰した女の子が、隣の友人ときゃあきゃあはしゃいでいる。悩みなんてない風に見える。彼女たちも、いつか思ったりするのだろうか。何のためにここにいるのだろうと、考えたりするのだろうか。そうだとしても、わたしとは違って夢を持ってこの大学に入ってきたんだろうな。そう思ったら、少しだけ羨ましいような気がした。
羨ましい、というのは少し違う。わたしは何も捨てられなくて、何も得られなかった。そんな自分が少し恨めしかっただけ。それでもわたしはこれからもそうやって生きていくんだろうな。
今朝、窓を開け放して鼻から思い切り息を吸い込んだら、鼻の奥がツーンとした。台風が去れば気温は上がる。暖かい日はしばらく続くのだろう。それでもわたしは、もうすぐ冬がくるんだなぁと、そう思った。わたしはペンを握る。この論文が書き上がったらわたしは新しい海流を見つけて、もうあの頃の夢を思い出すこともなくなるのかもしれないと、そんなことを考えながら。
「7月1日時点での大学生の就職内定率(速報値)は78.6%」とのことだ。
引用 https://www.recruitcareer.co.jp/news/pressrelease/2017/170711-01/
もちろん会社によって調査の方法等も違うため、会社によっては調査結果で80%以上と出しているところもある。
私は8月になんとか内定をもらい、就活を終えた。7月1日は未内定者だった。
就活中、内定率という言葉やニュースにどれだけ追い詰められただろうと思う。
21.4%側の人間だと突きつけられることがどれだけ苦しかったか。
とはいえ、その理由がなんであれ、とにかく約2割の人間はまだ内定を貰っていなかったことになる。
(理由というのは、留学等で最近就活を始めたとかそういうことだ。ちなみに私は3月からばっちり説明会へ通っていた)
しかし会社説明会や面接なんかに参加すれば、人事は当然内定はあるんだろうと考え、その通り質問もされる。
そこでまだ内定を持っていないと答えると、内定がないならうちにきてくれるだろう、というよりは、80%の人間があるのにまだないのか、という目で見られる。
内定率ニュースの嫌なところは、そういった人事や就活生だけではなく、なんだか知らないが親戚連中や最悪電車で隣に座ったおばさんまで知っていることだ。
「バブル並の売り手市場なんだってね」なんて言葉を知りあいにかけられた就活生は多いだろう。
ただの雑談のつもりでも、未内定者にとっては返答が見つからないほど困る会話だ。
就活生なんてその家族と人事だけが気にしていればいい存在で、そのほかの人間は無視してあげてほしい。
いつまで電車でリクルートスーツを見ようが、エレベータで乗り合わせようが、いつものように他人に興味を持たないでほしい。
というのを用意した。
仕事柄、自分のいる部署は服装は結構自由なので、毎日、公私とも変わらない格好をしている。
それでも年に数回ぐらいスーツ着て外出、という機会はあるので、その都度「適切な格好をどうしようかな」と慌ててしまう。
当たり障りない黒皮のバッグ(自立すること、書類が入ること、そして何より重くないことを重視すると、案外好みの物が少ない)
当たり障りない黒いヒール靴(足のサイズの関係であまり合うものがなかったため、これは吟味してセミオーダーした)
プラス、
スーツのインナー用Tシャツ(私服として単体で着るとイマイチなデザインだが、ジャケットを羽織ると首元の開きが良い感じ)
を揃えた。
もちろん、どれも今までどおり他の私服と組み合わせはできるけど
忙しい時にオシャレとか何も考えないでパッとこれらを身につければ良い。
別に誰も止めてないんだから、好きな国で好きに暮らしてくれればいいのに…運良くというか何と言うか、比較的世界に行き易い国籍だよ。
いわゆるリクルートスーツが個性的だなんて誰一人言ってないのに、「リクルートスーツが個性的でない」みたいな話をされても、「はぁ…」としか成りませんよ。意識お高いんですね…としか。
https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8340387.html
茂木さんが弁解がましくいろいろ書いてあるが、別に弁解なんてする必要はないだろう。
どこの国でも、採用面接にはパリッとした服装で望むだろうけど、日本の「リクルートスーツ」は画一的すぎる。
茂木さんのツィートを批判するツィート群を見て本当に暗い気分になった。
ああ、日本というのは本当にそういう国なんだな、と。
空気を読んで自分の意志とか関係なく行動をいくらでも曲げられる人たちのあつまりなんだな、って。
本当に日本を出て行きたい気分になるよ。
私は日本生まれの日本育ちだが、だからといって日本好きとは限らない。
どこの国でも一定の割合で自国と合わない人たちがいるんじゃないかと思う。
私はまさにそういう人間の一人だ。
やりたいことがなく、やりたくないことを考えて消去法で職種を定めて就職活動をしてきた。
中小企業の事務職は決まっているから、この結果次第でそこに行こうと決めていた。
まず、リクルートスーツを着るのが嫌だ。
ずっとそう思っていた。友達にもそう言った。
まだみんなやってるのに、もう辞めちゃうってどうなの?って言われた。
みんなって誰?みんしゅう見てると終わってる人もたくさんいる。
やりたいことをやりなって言われた。やりたいことなんてない。
お説教?をくらっているうちになんでもいいから大手に行けって言ってるんだなって思った。
確かに大企業はなんだかすごい。友達に社名を言ったらいい気分になれるだろう。
でも、それより今の自分が嫌だって思わない方法で生きたかった。
もうこれ以上就職活動を続けたくなかった。
職種的にあんまり残っていないだろうし、まず消去法で決めたから思い入れもない。
俺は特別仲良くなった女性にはどんな痴漢にあったことがあるか聞いたりするんだけど、
過去に数十人(50人は聞いてないと思う)に聞いたけど、言わない女性はいても痴漢されたことがないって女性が一人だけだったな。
お尻触られるとか股間押し付けとかが大多数。
吊革に捕まっておっぱいを肘でーとかはもはや多すぎて痴漢としてカウントしてない女性多数。
陰部直接はだいぶ減る。1〜2割くらいかな。
痴漢されて嫌で嫌で予定じゃない駅で降りたらいきなり腕を捕まれて「なんですか?」って言ったら『なんですかじゃねーよそのつもりで降りたんだろ!』って言われたりとか。
一番おもしろかったのは、疲れて座ってたら目の前のおっさんがギンギンのチンコを露出してて、でも自分は気づかず、隣にいたDQN男が急に笑いだして「お前気づいてやれよwwwww」って大声で言ったらおっさん慌ててチンコしまおうとするもギンギンだからしまえずドタバタして隠しながら電車を降りていったって話。
一番聞いて失敗したと思ったのは、就活で面接の日に、リクルートスーツ着てた雨の日の満員電車でお尻を触られ、嫌がったらすぐにやめたらしいが、おそらく傘の柄かなにかでスカートを引き上げられ、しかもそれに気づかず電車を降りてからホームをしばらく歩いてから指摘された話。まぁパンツ丸出しで数百メートル歩いたって話。それで精神状態ボロボロで一番行きたかった会社に落ちたとかなんとか。
『泣いた』なんて表現は安っぽさというかミーハー感があって好きじゃないから、多分おそらくきっと『泣いた』は、この22年間で一度も使ったことのない言葉なんだけど、今日は初めて使うことになりそうだ。
大学4年生の僕は、だいたいの人と同じように年明けくらいから就職活動を始めていて、だからそろそろ半年を迎えようとしている。リクルートスーツもそれなりに様になってきたし、おかげで春服も夏服も、もしかすると秋服まで買い足さなくて良さそう。
こんなはずではなかったというのが本音で、3月末にはそれなりに大きなIT企業の最終面接にいくつか呼ばれていたから、わりとすんなり内定は取れそうだしGWはどこに行こうかなんて考えていたんだけど、その慢心というかもともとの人間性が正当に評価された結果だろうか、結局ことごとくお祈りを喰らい今に至っている。
はっきりいってヤバい。5月の大型連休は明け、依然として『無い内定』だ。
就活解禁の3月に余裕をかましすぎて学内説明会を始めとした企業研究を一切やってこなかったし、自分なんか一生かけても見つからないだろうというどこかで聞きかじったような知識で自己分析を疎かにしているから自己PRなんてできないし、そもそも中学校受験ぶりのテスト勉強(SPI)に四苦八苦している。
なんとなく東京のキレイなオフィスでなんとなくカッコいい仕事をなんとなくするんだろうなあと漠然に描いていた人生設計は早くも崩れそうで、ときたま深夜に『みん就』を見ていると将来の不安と、将来の不安と、将来の不安で本当に切なくなってくる。
そんなときに見つけたのが、マガジンハウスという出版社の新卒採用ページ。
各部署の所属長たちが未来の新入社員に向けてメッセージを送っていて、僕は毎月欠かさず買っている雑誌『POPEYE』の編集長である木下孝浩さんの言葉に文字通り『泣いた』。
少しだけ引用させていただく。
“大切なのは、学生時代、何かをして満足するのではなく、それを経て、今何がしたいかだと思う。人生のピークはハタチじゃない、これからもっと楽しい事が待ってるよ。”
かっこいいなよなあ、ほんと。
はあ、就活がんばろ。
学生時代に頑張ったことが書けなくて悩んだ。それが公の場にふさわしい物語ではなかったからだ。
サークルの役職やボランティアに参加した経験はあるが、いまいち熱が込めて書けない。
私が本当に、それこそ中学時代から「頑張ってきたこと」は親との確執に関するもので、今までの人生のうち多大なエネルギーを使ったものであった。
家庭でいつ親が爆発するかわからない、地雷原を歩く心境で息を殺していたのに比べれば、サークル程度での人間関係や運営の困難など鼻で笑える。
一応大学から親との関係は落ち着いていて、今更グダグダいうつもりもないけれど、学生時代に頑張ってきたことで、それらに比べたいして苦しむこともなかった活動を語るのはどうにも難しかった。
だが、就職活動が進むうちにエピソードなど所詮仕事につかえるか示す道具に過ぎないと割り切るようになった。
主体性、チャレンジ精神、コミュニケーション能力など求める人材の文言によく登場するが、結局「教えなくてもある程度勝手に仕事を覚えて、仕事をお膳立てする手間がいらず、かつ会社内を波立たせない安全パイ」として使えるコマを企業は欲しているのだと思う。
それならそれを示せばいい。口では何とでもいえるから、真実味をもたせなければならない。主張を補完するのが「学生時代頑張ったこと」なのだ。
使い勝手のいいコマと示せるなら、エピソードなどなんでもいいのだ(難関企業は小手先では太刀打ちできないとは思うけれど)。
良い買い物ができた。2年分くらいの在庫の中から選べるのでデパートでプロパーで買うより選択肢が広くてよかった。
お客さんはお年寄りばっかりで、意外にゆっくり買い物ができた。若者は本当にブランド服を買わなくなってるんだなぁ。
売れないからだと思うが定番ブランド服の値段はここ2、3年ものすごく上がっている。ダーバンや五大陸の男性用スーツなんかでもいわゆる既製服なのに
ちょっとおしゃれ要素が入ると定価で10万円超はザラで輸入生地だと20万円超の値段がついていたりする。
定価22万円、半額で11万円で大変お買い得です、と言われても既製服消耗品の値段としては何か一線を越えているように思う。
20万円のスーツというのは社長さんがオーダーメイドする価格帯という印象。
一方で数万円のものもあることはあるが、「紳士服の○やま」とかイオンなんかで売ってるポリ混のリクルートスーツと生地や仕立てが変わらない。
さらにコストダウンしてポリエステルジャージ生地のスーツなんかも最近見かける。値段も安いしたしかに楽なんだろうけど・・・・。
就活のやる気が起きない件。
就活のやる気が全くといって起きない。正直、自分としてもそろそろ準備をしておかなくてはいけないと
思ってはいる。だが、やる気がでない。リクルートスーツすら買っていない。エントリーシートや志望動機なんてもってのほか、
履歴書の準備すらしていない。
(就活やビジネスにおける『やりたいこと』とは違う意味での)やりたいことも、あるっちゃある。だけどそのやりたいことを
やっても、食える保障は正直言って数%もない。(食える保障がないというのは、現在から将来に渡って食える保障がないという意味ではなく、
もしそのやりたいことをやったとして、向こう一カ月分のお金を稼ぐことすらままならない、という意味だ)
だから自活してちゃんと生きていくためには、やりたいことをやる傍ら、どうしても働かなくてはいけないという現実が
横たわっている。だから自分は働かなくてはいけない。だが、やる気が起きない。
どうすればいいのだろう。就活のことを考えると、今日もうなされる。それにもうすぐ試験も近い。
レポートの期日も迫ってきている。
一体自分はどうすればいいのだろう。とりあえず今やれる範囲のことをやろうとは思っていて、
就活サイトを見て興味ありそうなインターン(ただし行けるかどうかはわからない)にエントリーしてみてはいるのだが…。
はぁ。元から毎日が楽しい方ではなかったが、最近は輪にかけて毎日が楽しくない気がする。
一体僕はどうすればいいのだろう。
https://kakuyomu.jp/works/4852201425154963487
先に断っておくことですが、自分が読んだのは
時候の挨拶とか書けないのでさっさと始めてガンガン褒めていきます。
どの作品を取っても、舞台は現代日本をベースにしています。それを大きくプッシュするつもりはありませんが、わかりやすいことは良いことです。
しかしあくまでそれは「ベース」です。例えば「疾風怒濤商店街」、このタイトルでありながらメインテーマは「ドラゴン討伐」。商店街がある世界にドラゴンなんか来るのか。ドラゴンが居る世界に商店街なんてもんがあるのか。つまり、現代日本ひいては地球に「みんな知ってるファンタジー」が融合する世界観です。「消防庁から派遣される聖騎士団」とか「勇者になるため日々鍛錬している女子高生」とか、そんなんワクワクしちゃうだろうがー!!!
とにかく、そういった要素が、上記作品の中では常識なことが多いです。現実世界の私達が「ユニコーン?は?ごめん何言ってんの?ゲーム?」なのに対し、作品世界では「ユニコーンっすか、うおー珍しい」みたいな感じです。現代日本を舞台にするからには、私達の生活イメージを壊さないレベルで、ファンタジー要素が点在しています。この距離感は素晴らしいと言えます。
バカです。
その、「キャラクターについて一項目設けよう」と考えた時に、当然色々なキャラクターが浮かび、その色々な魅力を語ろうとしたのですが、それらを総括してタイトルに据えられたのがこれでした。ほんとバカ。
バカバカ言っていますが、それもまた良いことです。というか【ロケット商会】さんは意図的に登場人物をバカであることにしています。なぜなら、キャラクター性におけるバカさとは、カワイイことと直結するからです。
また付け加えるならば、上記作品群におけるキャラクターは、どちらかと言うとチンピラめいた性格であることが多いです。考える能力が無いタイプのバカというより、全うな教育を受けていないタイプのバカです。いわゆる「育ちが悪い」人達。こうしたバカな人物達は、純粋で、無鉄砲で、欲望に正直で、あまり面倒なことを考えません。この性質は、読者には読みやすさとキャラクター(=作品)への愛着を与え、作者にも展開の妥当性や派手さ、スピード感を与えるものとして、大きな効果を担っています。
ちなみにですが、当然ながら(比較的)に賢いキャラ付けな人物も登場します。しかしこの作品群におけるバカの方々は頭脳がバカなのではなく性格がバカなので、マリファナに依存していたり、一人の時間にカッコつけた仕草を練習したり(※推定)しています。もう全員カワイイで良いですね。
そしてアツい要素として、バトルの描写も欠かせません。「勇者のクズ」に至ってはジャンル名「現代アクション」を冠しておりますから、大変重要なポイントです。 しかしながら、この見出し文に違和感はおありでしょうか。「超クレバー」て。「賢い」とか「利口」とかそういう言葉やぞ。お前さっきまで登場人物をバカバカ言うとったんちゃうんかと。・・・なんでですかね。(投げた)
説明に入りますが、各作品内での戦闘描写は主に白兵戦です。少なくとも主人公は剣を使います。現代日本においてそれをやる理由付けみたいなものは当然あり、かつ納得できる内容になっていますが、自分は「まあ目的ありきでいいじゃんそういうのは」とか言っちゃうタイプなのでここでは特に書くつもりはありません。
とにかくは近接で刀剣で緊迫で刹那なバトルです。当然のことを言いますが、そういった場面での決着というのは常に一瞬です。極端な例で言えば、その一瞬に向け、時には剣戟さえしません。駆け込む所から、相手の迎撃を予測し、いなし、隙を作り、一撃。実際にはそれぞれの動作と応酬には動機も含めたもう少し微細な描写が盛り込まれ、その一瞬の妥当性を裏付けます。それは読みやすい上で、とにかくカッコいいの一言に尽きます。実際に、読んでる最中何度も濡れました。嘘です。
ここまでで「スッキリ超クレバー」の「スッキリ」です。マジで言ってます。
その一瞬へ辿り着くために、キャラクター達は考察を重ねています。特に各作品の主人公がそうで、目的のために静かに動くことが出来るタイプです。(あるいは舞台の状況が彼らをそうさせます)
いかに相手の不意を突くか。いかに相手の弱点に剣をブチ込むか。いかに散乱した戦場で安全を確保するか。読者が知らない方法で、手順を踏んで、その瞬間に出来ることを選択していく。時に防がれ、上手くいき、そのそれぞれが論理的で、心地よく納得した感覚で読み進むことが出来ます。(実在するかは知りませんが)現実の技術や武術になぞらえた表現での解説も入ることがあり、その側面からも地に足の着いた戦闘描写を感じられます。
ぶっちゃけ具体例については読んでください。
曖昧なことを言いますが、文字でしか表現できない文章の世界で、「存在の雰囲気」を表すのはまずその名前です。固有名詞に、センスが輝いています。この意味では、作中で名前くらいしか出てこない存在だとか、そういうものに対して威力を発揮します。
《新桜庭ゴブリンズ》・・・疾風怒濤商店街。主人公所属の草野球チーム。メンバーの半分は口癖が「クソが」「殺す」みたいな人達。ちなみに作中に「ゴブリン」という単語はこれ以外に出てきません。
《細川まる子》・・・疾風怒濤商店街。もしかしたら《まる美》かもしれない。舞台の市長の娘。基本的にお邪魔系のキャラ。リクルートスーツが似合いそうな高圧的アホ。
《琥珀の茨》卿・・・・勇者のクズ。魔王の一人。ヤク中気味で脆さがある。自分の能力が名前に現れている。
《嵐の柩》卿・・・勇者のクズ。魔王の一人。《琥珀の茨》さんよりかなり格上。《琥珀の茨》さんみたいな単純な命名ではない。(※作中で名前について語られた事がある訳ではありません)
《七つのメダリオン》・・・勇者のクズ。作中で主人公達がハマっているカードゲーム。ルールについては全く言及されない。よくわからんカッコ良さと、なんか深そうなゲームっぽいぞというのが多分に感じられるネーミング。
・・・とかとかとか。これはまあ、かなり自分の主観が入っていると思います。どちらにしても、ネーミングに限らず、場面と作品世界の雰囲気作りに余念がないということです。意識してもしなくても、ガンガン入ってくる要素ですので、すぐに楽しめます。
少なめ(に感じる)容姿描写、とでも言ったほうが正しいかもしれません。読んだ後の感覚としてなのですが、「描写量の割にイメージが沸く」「しかも他の人の描いたファンアートが俺の思ってたのと近い」ということがありました。描写の費用対効果が高いとでも言っていいかもしれません。
当然ですが、そういった描写というのは言わば説明パートで、読みやすさのハードルを上げる側面があります。これが費用です。恐らく【ロケット商会】さんはそれを操り、物語冒頭で登場するヒロインくらいにしか、一度で詳細な描写をしていません。他のキャラクターに関しては、上記の命名や行動により醸し出す雰囲気、シーン毎のちょっとした追加情報でイメージを構成させ、大きな効果を生んでいます。
また憎いことに、主人公に関しては一切の描写をしません。だいたい性別くらいしかわかりません。年齢さえ、
「高卒らしくて、二十歳はいってるっぽい」「高校生だけど学年がわからない」「もしかして三十行ってる・・・? 無いか」といった有様です。(3作品各主人公)
ただし性格に関してはしつこい程に読み取れるので、読み手たる我々は都合よくニヤニヤすればよいものと思います。
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・・・ふう、これくらいにしておいてやるぜ・・・(書き慣れない文字を連ねすぎた)
ええと、長々と書いておいて最後に言うセコい手法なのですが、正直な所自分は普段ほとんど小説を読まず、評価のポイントなどというものはまったくわからん身であります。他作品と比較して~なんてことは到底出来ない程度の経験です。なので、おそらくめちゃくちゃ普通で当然のことを並べてるんだろうなあ、という自覚を感じながら書いておりました。
それでも、久しぶりに小説というものを読んで「やべーなにこれ楽しい」ってなったので格好をつけました。というか、「勇者のクズ全部読んじゃったよおおおお」って言ってたら「何らかの感想行為をしたりしたらもしかしたらロケットさんのモチベが上がるかもしれんぞい」って言われたのでなんか表現しようとしてこうなりました。はい。もっと私に続きを読ませてぇ!!
最近いくつかのニュース記事を読んでいて思ったのが、タイトルである。
それはつまり自分の微々たる体験を元にしたのではなくて、いくつか別々の事柄についての記事を読んで、その背景として共通するものが、他人を信用してないことではないかと思い当たった。
昨今なにやら保育園が足りないという問題が声高に叫ばれて、国や自治体も増設に向けて動いているけれど、全然間に合ってなくて、さらに地域と摩擦が発生しているなどという記事をちらほら見かける。
女性の社会進出を政策として掲げているのだから、子供を育てる場所を他につくらなければならないという話は、もっともに聞こえる。
ならば他の手だてを考えることもできる。ベビーシッターとか、他の家庭に子供を預ける仕組みとか。他国ではすでに普及しているものも多い。
残念ながらそちらの方面に積極的な記事はあまり見かけず、保育所を増設する論調ばかりもてはやされている。
一応日本にもベビーシッターはあるのだけれど、費用が高額で、シングルマザーが現実的に利用できる可能性は小さい。
つまりこれは、余程の保育のプロ(資格を持っているとか)でないと、子供を預けるに足る信用を持っていないと、暗黙の了解があるのではなかろうか。
子供が親の元で育てられることは、世界的に推奨されている。孤児の場合は里親になる。
しかし日本では、ほとんどの孤児は施設に入れられてしまい、家庭での成長を経験できない。このことが海外からも指摘され、子供の人権を守るよう勧告されている。
なぜ日本で孤児が里親の元に行けないかというと、行くためには実親の同意が必要であり、実親はそれを拒否することが多かったり、あるいはそもそも連絡がとれないこともあるからだそうだ。
連絡が取れない場合、実親の同意も取れないため、結局里親の元には行きづらくなる。
ここにも根底に、他人の家族に子供を預けるのは不安という心理が、実親側にも行政側にも働いていると思う。
海外では学生などが大きな部屋を複数人で借り、家賃を分割して払うというルームシェアが広く普及している。
プライバシーは侵害されやすいが、費用は減り、複数人と言えどいい部屋で生活することができる。
これも日本では普及していない。理由としてワンルームマンションが普及していたり、大きい部屋はほとんど分譲向けで賃貸には出てこないから。
とはいえ不動産業界側も需要が見込めればこれらの物件を手がけるはずで、普及してないということは、需要が見込めないから。
さて日本人が人間不信かというと、そうでもない。代わりに信じるものがある。
大学を卒業する前に、大学生は皆同じリクルートスーツに身を固め、革靴を履き、髪を切り黒く統一し、説明会やら面接に通う。
企業のほうも見る点はどこも同じようなもので、学歴で書類選考をし、適性検査やら、同じような選考を課す。
どちらも学生を同じ型をはめ、より良い型にはまることがまず評価されることを示している。
学生の優れた個性や特性はその型以下に扱われる。たとえばいくら優秀でも面接にジャージを着ていったら落とされるだろうし、留年や浪人はすればするほど評価が落ちる。
自分は移民賛成派なのだが、反対派の意見を聞くと、外国人を信用してないんだなと思うことが往々にしてある。
外国人には型が通用しないしね。
2012年に学校を出て新卒の猶予である3年間もとっくに終わった。
もう応募して90社になる。
内定は1社もない。
消せないボールペンが嫌いな私が初めて履歴書で1本使いきった。
リクルートスーツもテカり始めてきた。
そこまでやっても相変わらず面接がてんでだめで、
会社へ行くたびに腹痛がする。
好きな人がいたら、まずどうする?」なんて説教されて悲しくなった。
納得しないままよくわからない、未来のなさそうな職業に収まっていく。
これが1億総活躍社会とやら、なのか。
社会が動くには誰かがババを引かなければならない。
今、私の前には透けているババを引けと言わんばかりに見せてくる悪魔がいる。
ババにすら見放される前にババを引くべきか。