たまに人と話しててびっくりするんだけど、自他境界が曖昧な人って結構いるのね。
いや、俺はお前じゃねーしあなたは私じゃねーし、ってその度に結構思う。
ただコレ、断絶の絶望は味わってこなかったんだな〜とも思う。
みんなと同じようにやればやり過ごせた(あるいはその違いに気づけない程度に鈍かったか)んだろう、と嫉妬すら抱く。
自分語りゴメンだけど、自分はいわゆるセクシャルマイノリティってやつで、もうねえ、そこまでの年じゃないけどひたすらに打ちのめされてきた。
何かが好きならきっと証明できたんだろうけど、本当に他人を恋愛感情で見られない。
ある意味女子も男子も、あるいはどちらでもない人ともどちらでもある人とも、見た目とか年齢関係なくフラットに接するから、無駄にジェラシーを燃やす人やら、低く見てくる人やら逆に高く見てくる人やらに多く接した覚えがあるよ。
でもさ、わかんないわけよ。
愛してしまって苦しい気持ちとか、狂おしいほどの性愛とか、それ故に遠ざけたり近づいたり喜んだり悲しんだり怒ったりする人の理由がちっとも理解できないわけ。
これは、圧倒的に私と他人が違う生き物なんだなって言う理解に進んだ。
他人から見て私はとても奇異に映ったかもしれないけど、正直私の方がよっぽどその感情を抱いてると思うよ。
他人に感情を振り回されることってほとんどない私にしたら、だれかの言動に怒ったり泣いたり喜んだりしてる人の方が本当に理解できない。
自他境界の話だと、「別に敵じゃないけど、味方でもない」っていう認識も、自他境界曖昧な人と話してると捗らねえなと思う。
敵じゃないっていうといきなり自陣扱いされるとさ、正直困るやん。逆も結構いるけど。
世の中には敵でも味方でもない人ばっかりで、一握りの敵と味方がいるだけなのにね。
この「理解できない」という絶望感を感じることが多ければ多いほど、自分と他人の溝は深まって、世界はソーシャルディスタンスで平和になりそうなもんだけどな。