2020-08-11

アイカツの実写融合化に関する一連の賛否現実的希望と虚しさを感じる。

「居場所を奪われた」感について共感は覚えるものの、「そこは我々のために用意された場所ではない」ことは認めなきゃならないんだよな。「逃げてきた」はずの我々が、「奪う」側になったらつまらない。そういう連鎖は断たなきゃいけない。

その現実と向き合える強い人と、向き合えない弱い人と、分断が起こっているのは辛い。しかし、「我々の気持ち」が「存在しないもの」として扱われることもなく、それでいて、決して少なくない「強い人」たちが積極的に明るく振る舞う様子も見せている。

「まあ、そうなるよな」という暗い気持ちもある。でも、何ならそれ以上に安心感もある。きっと、「居場所はそこだけじゃない」人が増えたんだろう。ああ、それだけこの世は住みやすくなったんだろうな、という希望がある。


フィクトジェンダー・フィクトセクシャルを自認する一人として、「同じ気持ち」でその場にいた人々の声には、心強さも感じる。しかしまあ、本件は、「大人にならなきゃならんよ」という話ではあるのだけど。

セクシャルマイノリティーを認めることが、広い目でフェミニズム資すると信じられているように。このようなコンテンツのあり方を認めることは、広い目で見ればフィクト系のジェンダーセクシャリティのあり方を広めることに繋がると私は信じている。


フィクションについて、背後に現実を見出さなければ気が済まないマジョリティに対して、この「気持ち」が目に見えるか?と、チクリと言ってやりたい気持ちもある。

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