はてなキーワード: お絵描きとは
あらかじめ身分を明かしておくけど、私は東京の美大(デザイン系学科、そこそこ有名)に通っている学生。
去年の夏頃からモヤモヤした思いがあったけれど、今やっと自分の中で整理がついたので書きたい。
まず専門的な知識がある(又は勉強している)人間から見たら、あれら4つは全部ダメ。
オリンピックにおけるデザインの機能っていうのは、一つは『情報をきちんと人に伝達すること』。
エンブレム候補、1cm四方に印刷してみろ、ほとんどの線が細くて消えちゃうし、なにがなんだかわからなくなるだろうが。
オリンピックって巨大なイベントなんだよ。エンブレムがでっかい垂れ幕とか巨大なスクリーンだけに表示されるって保証はないわけ。
ちっちぇえチケットだの、スポンサーのチラシだのに印刷されたり、クソ解像度の低いスマホのディスプレーに表示されるかもしれないだろ。
その時にきちんと「東京オリンピックに関する情報だな」ってわからねーとエンブレム失格なんだよ。バーカ。なんだこの細い線だの、ちっさい要素は。
後もう一つの機能は、『大会全体の視覚的な表現を、一つに統一して世界観をつくること。』
これらのエンブレム候補がCMになったり、ポスターになったり、看板になったりしていく姿を想像できるか?せいぜいエンブレムをパーツに分解して模様にできるくらいだろうが。
それに、そういう展開に関することを、作った本人たちはほとんど考えてないだろうな。この感じだと。コンセプトも全部エンブレムにしか当てはまらないことだし。
デザインコンセプトを必要としてるのはエンブレムだけじゃないんだよ。大会の視覚情報全部なんだよ。全部。
大会全体のすべてのヴィジュアルな部分を(CM、ポスター、会場の看板、チケットに至るまで全部)一つの世界観でまとめられて始めて、デザインとしての機能を満たしたっていうんだよ。
この2つめの機能がしっかりとしてないと、映像とかポスターとかを見て人が感動したり、グッズが売れたりしないし、観客とか選手の精神的な高まりとかもなくなっちまうんだよ。バーカ。
だいたいエンブレムだけ公募で考えさせてどうすんだよ。オリンピックに施さなきゃいけないデザインってエンブレムだけじゃないだろうが。
グッズだって出すし、テレビCMだってポスターだって作るだろうが。Tシャツとかの端っこにちょこんってエンブレムがくっつくだけでグッズ展開完了ってか。ふざけんな。そんなの誰が欲しいんだよ。
大会全体のデザインコンセプトが、すべての視覚的な表出物に、適応するように、俯瞰して考えられてから始めて、デザイナーとして立派なんだよ。
なんだよあの候補は。エンブレムのことしか考えてねーじゃねーか。一個一個の意匠が小綺麗だったりするだけじゃ、だめなんだよ。もっとオリンピック全体で考えろよ。
チケットにだって、会場の壁面にだってテレビCMにだって、ポスターにだって、デザインを施さなきゃいけねえんだよ。こんなエンブレムだけにおさまっちゃってて、展開性のないもんが使えるか。バカ。
あと何度も言うけど、デザインは“機能”なんだよ、“機能”。おまえらの考えるお絵描きとはわけが違うんだよ。
「私はこっちが好き〜」とか「俺はこっちが好きかな」とかどうでもいいんだよ。おまえらの感想を聞きたいんじゃないんだよ。機能的なのか否かで判断しろや。バカ。
だから、デザインっていうのは誰でもできる活動ではないんだよ。美大のデザイン科では好き勝手に絵を描いてるわけじゃないんだよ。
デザインがどうすれば十全に機能するかを学んでるんだよ。それは経済学部が経済学を学んでいたり、工学部が工学を学んでるのと同じことなんだよ。おまえらの考えるアーティスト像と一緒にすんな。
だから、デザインが機能的かどうかっていうのはプロにしかわからねえんだよ。私はまだ半人前にもなれない身だから、そういう判断を完璧にできるほどの能力はないけれど、そういった判断がプロにしかできないってことぐらいは確信持てるわ。
ネットの奴らもテレビの奴らも組織委員のやつらも、プロの仕事、キャリアをなめすぎなんだよ。本当に。
今の状況って、歴史に残る大イベントの設計の仕事を、素人・アマチュアに丸投げしてるってことなんだぞ。そのことわかってんのか。バカ。
これって、セレブリティーのためにつくる重要な料理のメニューを、クックパッドで決めたり、ジャンボジェットの運転を、「フライトシュミレーターで遊んだことあります〜」とか言うそこらへんの飛行機マニアに任せたりするようなもんだろ。
だいたい、なんでエンブレムの審査委員長が芸大の元学長なんだよ。あの人、金属工芸家だろうが。芸大のトップだったからってデザインがわかると思うなよ。
それにスポーツ選手が審査員の中にいるの本当目を疑ったわ。なんなのあれ。別に芸大の元学長は工芸のトップレベルの人物だし、スポーツ選手たちもトップレベルのスター選手なんだけど、デザインのことは何がわかるんだよ。
「なんとなくこっちがいいかな〜」とかしか言えないだろうが。逆にスポーツの監督をデザイナーがしてたり、工芸についてデザイナーが教えを垂れてたら、絶対怒りだすだろ。絶対。
あと感情任せにいい加減なポストするネット民も本当なんなんだよ。お前の好き嫌いとか本当にどうでもいいんだよ。感情で話すなよ。論理で話せよ。論理で。バーカ。
前のエンブレムも、感情で言ったら私だって好きではなかったけれど、論理(著作権法等の法的観点)からいったら全然セーフだったじゃねーかよ。だから私だってあのエンブレムのままでよかったと思うよ。
それに、一番やばいのは論理的な観点を置き去りにして、感情的になった民意(笑)にまんまと動かされちゃった組織委員会の人たちだよ。そんな非論理的なことで、大イベントのこと決めていいのかよ。バーカ。
マスコミだって、なに「ネットで探しました〜☆」みたいな情報ばっか報道してんだよ。コメンテーターの「私は招致の時のエンブレムがいいと思います〜♡」とか聞いてねえんだよ。感想ばっか言ってんじゃねえよ。
なんかもうここまでくるとオリンピックなんかどうでもいい。やめちまえよ。
感情的になって、こうやって書き留めるだけでそれをはらそうとしている、未熟な自分もバーカ。バーカ。
みんなバーカ。
バーカ。バーカ。バーカ。
奥さんから見たら
→1人育児に奔走することになり、身なりに気を使う余裕もなくなる
→女性としてみれなくなった。と言われる
→手足がないのでオナニーもできないし不倫も仕方ないよね?みたいな雰囲気
と、いうことみたいで。腹立つ。
確かにホヤホヤの赤ちゃんの世話は無理でも、お絵描きしてる子供に「上手だね」って声かけはできるよね?
1人でトイレに行くのを怖がる子について行ってあげることもできるよね?
女性を何人も口説き落とすことができるほどの話術があるなら、例え手足がなくても子供をコントロールして、しつけることもできるよ。
奥さんのことを女性として見られなくなるのは仕方ないけど、そのことを公表するなよ
奥さんにだけ「今は大変な時で俺の性欲処理をさせるのも申し訳ないから風俗でも行ってくるよ」
って言って週3で風俗通えばいいじゃん。
女と高いレストラン行ったり海外旅行行ったりする金があるなら余裕でしょ。
Twitterで旬ジャンルのイラストをぼちぼち上げてて、結構評価されて、大手さんから自発とかもらって、最初はすごく嬉しかったんだけど、最近は疲れしか感じなくなっていた。
朝起きて、今日は何描くかバスと電車の中で考えて、授業中考えたものをプリントの裏に落書きして、学校終わって帰ったらごはん食べて、食べ終えたらパソコンつけて落書きを清書して上げる。
毎日ほんとうにその繰り返しだった。ここ二ヶ月、帰ってからお絵描きしかしてなかった。自分の考えたネタや絵にいっぱい反応が来るのが嬉しくて、毎日毎日描いてた。趣味の読書も、買ったゲームも、全然しなくなった。
でもフォロワーが増えていくにつれ、人への嫉妬の気持ちがどんどん膨れ上がってきて、「私よりフォロワーの数が少ないのにこの人は私の何倍ものふぁぼをもらってる」だとか、「こんな漫画でなんでこんなに反応もらってるの」とか、そんなことばかり考えるようになった。無意識に粗探ししちゃって、前みたいに人の二次創作を純粋に楽しめなくなってしまっていた。
そんなんだからRTは当然ミュート、フォローしてる人でも嫉妬の対象になる方はミュート、最終的にはクライアント変えて「pic」で単語ミュート。同ジャンルクラスタの画像を完全にシャットアウトした。
そんでもって私も毎日毎日お絵描きしてたから、ネタの中身が段々薄くなってきていて、最近前みたいにドカンといいねが貰えなくなったなあと思ったところで、あれ私なんのためにお絵描きしてんの?ってふと思った。自己承認欲求の為にキャラを利用してるように思えてきて、(ていうか多分そうなんだけど)自分がすごく嫌になった。
なるべく毎日イラストをあげないと飽きられてしまうみたいな気持ちで追い詰められながらするお絵描きはあまり楽しくなくなっていたし、CPのdisとか、自己投影バリバリのパロとか、誘い受けタグとか、検索避けなしのオープンエロ妄想とか、そんなんばっかのフォロワーを見ているのも嫌になったし、毎日なんだかイライラしていたし、勉強もしなくなったから成績はガタ落ち。Twitterをするメリットよりもデメリットの方が明らかに大きくなっていたことに今更気づいたので、今日アカウントを消した。
これで毎日お絵描きする生活はおしまい。人の二次創作も、それに対する反応も全部見ずに済む。人に嫉妬しなくていい。人を気にせず絵を描ける。と思ったらスッとしたけど、同時にすごい喪失感に襲われて苦しくなった。現実世界の友人知人よりも遥かに多いフォロワーも、2万もいいねをもらったネタ動画も、みんな消えた。でもこのまま苦しみながらお絵描きして、勉強をおろそかにして人生を棒にふるよりかは、かなり、かなりマシだと思った。
これからもそのジャンルの絵は描いていくつもりだし、どうせなら誰かに見て欲しいので、自サイトを整備した。しばらくはそこで引きこもりながらゆっくりとお絵描きしていきたい。
ゲームの二次創作イラストを描いてタンブラーに上げている。よく出来たものはPixivにも上げる。
タンブラーは良い。投稿日時や点数の概念がない。またユーザーは主に外国人だから、どんな反応をされても彼岸の出来事だと割り切れてあまり気にならない。基本絵をチヤホヤしてくれるし。
まだ最高で120リアクション程度だが、ファンも増え続け、コンスタントに反応が貰えている。
ただ、最近疲れ始めている。
大して上手くもない自分の絵が、版権の威を借りてリアクションを稼いでいるのが申し訳なくなってくる。
さらに彼らは、そのゲームの関連イラストであればどんなクオリティのものだってリブログするんだ。
その中の一つとしてリブログされても最近あまり嬉しくない自分がいる。
また、過去の下手な絵を掘り返されてリブログされ、その絵は元記事を削除してもなおタンブラーのどこかに漂い続ける。
それがとてもつらい。
それがネットで存在することの定めだと言われたらそれまでだが。
たまげたなぁ(こなみ)
ワンドロ乗っ取りとはなんぞやと思って調べてみたけど、問題は多々あれ「乗っ取り」とは違うというのが個人的見解。
但し過去のログ全てを漁ったわけではないので認識に間違いはあるかも。
元々主催というか発案者というか(kuroneko262氏)はフリーのハッシュタグとして深夜の真剣お絵描き60分一本勝負というタグを作った。
しかし主催の好みにより、お題が東方に寄っていたので実質的には東方用のタグと言ってもおかしくない状況になっていた。
そんな中で主催がアカ凍結によりお題を出していくことが難しくなってしまう。
そのため、声を上げていた別ユーザー(Rebecca氏とモレノ氏)に主催の引継ぎをすることになった。
その後主催側(お題を出す側)とユーザー側(お題に沿って絵を描いていた側や絵を閲覧していた側など)の認識の違いから揉め事に発展。
その際の主催側の対応がよろしくないものだったため炎上レベルまで悪化、という認識。
個人的にやらかしたあれこれについては全く別の話なのでここでは取り扱わない。
主催側が発案者の発言を聞いて「そうか、東方専用タグと思ってたけど実際はそんなことはなくてフリージャンルのタグだったのか。なら別に自分の好きなジャンルのお題を出したっていいんじゃないの?」と思ったのなら、別にそれは間違ってない。
せっかくのフリージャンルのタグなんだから、勢いがあって沢山の絵師が参加してるタグなんだから、これを気に艦これ勢の皆さんも参加しましょうよ!と呼びかけるのも、確かに私欲といえば私欲だけど単体で見たら別におかしくはないと思う。
問題は、既に問題のタグが東方のタグという空気が界隈にできていたのであろうこと。
たまたま流れてきた絵とそれについていたタグを見て、なんとなくそんな感じなのかなとふわっとした認識しかしていなかった人達はフリージャンルタグだなんて知らなかったかもしれない。
ハッシュタグはそれこそ元々明確な使い方を区切っているものではないし、タグの起源なんてあまり調べたりしないだろう。
調べたとして、でも事実上今はジャンルタグだよね、と思ってた人間だっているかもしれない。
そんな中で突如別ジャンルの作品を大々的に取り上げるようになったら、確かにびっくりするだろうし、事情を知らない大勢からしたら何事かと思うのも不思議じゃない。
そこで主催側はジャンルが入り混じる状況に、元々の「ジャンルフリータグ」と別に個々の作品名をハッシュタグとして入れることで住み分けをしようとした。
ところがこれだけでは解決しない問題があった。まとめサイトに対する問題である。
件のまとめサイトは、まとめ作者は東方ジャンルのまとめのつもりだったようだ。URLに登場キャラの名前が使われているらしい。
けれど発案者にはすくなくともそれは東方限定の意識はなかったらしい(本人ツイート参照)。
二代目も「ジャンルフリーのタグを一律で纏めるサイトに東方じゃない別のジャンルが混ざることに何が問題があるのか」と思っていたのかもしれない。
ただ、まとめサイト利用側からすると、恐らくはこのタグはジャンルのものだったのだろう。だから別ジャンルが混ざるなんてありえない。
どちらが間違ってる、とも正しい、とも言い切れない、認識のずれだと思う。
まとめサイトの本来の意図ってなによ、それを言ったらタグの本来の意図をもっと考えてもらってもいいんじゃないですかねぇ、という気持ちも分からなくはない。
ただ、実情としてジャンル固有のタグとして使われていた背景をもっと重く取って、主催側はもう少し柔軟な対応を取ってもよかったと思うし、どうも発言の数々から意図的にではなかったとしても激しい言葉になっていたり煽るような言葉になっていたかもしれない。
勢いに乗りたかった、という意味で他のジャンルの力を借りたことそのものは事実だし、イベントごとの主催が露骨に私欲を出すのはろくなことにならないことが多い。
最初期と当時でタグを取り巻く状況が違っていたことに対してもっと現状に応じて動けばよかったし、タグに固執しなくてもよかったんじゃないかというのは確かにその通りなのだから。
元々フリージャンルのタグで、主催の趣味でお題が寄っていたのに、なぜ別の主催のお題の趣味に寄せてはいけないのか。
そもそも主催を引き継ぐと声を上げてくれたのはこの二人で、他の人はやろうともしなかったじゃないか。
それに、この騒動を軽々しく乗っ取りと読んでしまうと、そもそも本来はフリージャンルのタグとして使っていたはずの「深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」は東方というジャンルに「乗っ取り」されているのではないか。
そんな風にも感じるので、この騒動を乗っ取りとは言いたくない。
艦これのワンドロ騒ぎに乗じて東方のワンドロの騒ぎが蒸し返されたけどここで「乗っ取り」という大雑把な単語が使われていたのでもう少し詳しい経緯を書くことにした
「深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」はオールジャンルのタグだったけど紆余曲折のうちに東方の絵描きしか集まらないような状態になっていった
また「深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」というタグが付いた絵を自動で収集するサイトがあった
乗っとり騒ぎを起こした新しい管理人はおそらくこの収拾サイトを目当てに騒ぎを起こしただがその手口が
艦これの絵を書いてる人間に「「深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」」タグと艦これのタグを付けて絵を投稿してくれとそれまでの利用者に相談もせず呼びかけたというものであり
このタグに独断で艦これの絵だけ増やしてそのまま流行りジャンルの勢いで押し切ろうというものである
つまりオールジャンルタグに現行の利用者を無視して艦これの絵だけを増やそうとしたわけである
結局文句が集中したので今艦これが使っているワンドロのタグが新しく立ち上げられこの話は終わったのだが
これまでずっとお絵描きばかりしてきた人生だった。といっても絵を仕事にできるほどでもなくて、趣味のレベル、同人活動未満、それでもたぶん幸福だったと思う。毎日毎日次に何を描こうかと考えて、何かひとつ描き終えたら一息つくけれど、間もなく意味も無い「何かを描かなきゃ」に急かされて、一週間経たずに何かを描く。しばらく何も描かずにいると『自分はダメなやつだ』と思えてきて、慌てて次に何を描くのか考えた。私の絵はいわゆる普通の萌え絵や漫画絵の部類で、毎週少年誌を読むたびに真似できそうな技術を紙面に探した。ひまさえのあれば他人の服のしわや、自分の指の形を見ていた。
自分が格別絵が上手いとは思わない。これまでに何度か、絵の報酬に金銭を受け取った経験はあるから、少なくとも人並み(ここでの『人』とは日常的に絵を描かないひと描くひと老若男女全てを含めたものとする)以上ではあるはずだ。けれど、今日び知れ渡っているように、絵描きはすごいひとは本当にすごいのだ。だから口が裂けても、自分は絵が上手いですなんて言えない。
上を見れば、目を焼かれる。
それでも描き続けていられたのは、それでも自分の絵が好きだからで、下手なりに少しずつ上達できることが楽しかった。昔描けなかったものが、いつの間にか描けるようになったことが嬉しかった。描き上げたあとの達成感に生きた心地を感じていた。絵を描くことの他に、大した取り柄も無い(こうした鬱憤を増田に書ける程度の日本語能力くらいはあるが)。そういう風にしか生きていかれない人間なんだろうと思っていた。
今年の春に就職した。先々月あたりから仕事が忙しく、また私生活でも資格勉強などに追われた。気付けば絵を描かなくなっていた。
短期的に絵を描かなくなったこと自体はこれまでにだってあった。けれどその場合はいつも、その間ずっと『描きたい』『描かなきゃ』と強迫観念が渦巻いていて、他人のイラストを見たり漫画を読むたびに後ろめたさでいっぱいだった。
他人の絵や漫画を見ても、普通に面白い。楽しい。何も考えない時間が増えた。他人に対する嫉妬や粗探しや強迫的な向上心を忘れた私は、ただ漫然と与えられた素晴らしい二次元空間を享受し、消費し、再生産はしなかった。幸せだった。不思議なことに、幸せだった。
ずっと自分は絵を描き続けていなければダメになるタイプの人間なのだと思っていた。あるいはそうであることが、『いい年して金にもならない絵を描いている』自分への免罪符だった。私にとって絵を描くこと心は平穏に保つ術であると思っていた。創作欲というものを信じていたのだ。中学高校大学と、以前の仲間のなかには絵を描かなくなってしまう者も多く、私はそれを寂しく思っていたが、自分はそうはならないだろうと訳もなく思っていた。馬鹿らしいことに。
絵を描くことに意味もなく追われていたあの時期が、次第に思い返すに幸福には思えなくなってきていた。
あるいはこんな幻想も解けた。
先日、あまりに暇だったので、久々に絵を描いた。そして驚いた。
自分はこんなにも、モチベーションの低い世界で絵を描いていたのか、と。
下手なことに気付いた、とかではない。元より自分の画力の現在の限界なんてよくわかっているし、自分の絵が飛びぬけて上手だなんて思っていない。そういうのではなく、なんというか
と
にあまりにもかけ離れていて、そこに愕然とした。
到底自分の絵に自信を持つことはできないように思われた。絵を描くのをやめてみたら、幻想が解け、あとには多少人並み程度に絵を描けただけの人間と、やたら部屋を散らかす荷物だけが残った。昔抱いた等身大の目標も、全ては稚気じみた夢に思える。
つらい。
現在二十代後半の自分は小学校でのコンピュータ教育が始まったタイミングの世代です。
始めは「学校へコンピュータ導入しました」みたいな申し訳程度な感じだったと記憶しています。
小学校でのコンピュータ教育の内容としてはCD-ROMを配布され、ODへ挿れるとソフトウェアが書き込まれたISOが自動起動して、そのソフトウェア上でコンピュータを学ぶという形式だったはずです。
学習ソフトウェアは勝手にフルスクリーンになるわけですが、今思えば無知な小学生がOSの設定を変えてしまわない配慮だったのだと思います。
実はこのあたりの記憶は曖昧なので学習ソフトウェアの内容は以下のような感じだったはずです。
これ以外もあったような気がしなくも無いですが、前提として私は小学生男子なので興味のないものは記憶からすっぽり抜け落ちている可能性が高いです。
この中で一番出来が良いのはパラパラマンガツールで、おそらくはプレゼンテーションなどを学ばせるためのものだったのでしょう。
時代を考えるとFlashが出始めの頃でありユーザーインタフェースや機能はFlash作成ツールから影響を受けていたようです。
ポケモンの戦闘シーンを完全再現したことでクラス内でヒーロになったのでこのツールには思い入れが深いですw
感覚として元も近いFlash作成ツールはParaFla!で、ParaFla!とペイントを足して2で割ってタイムラインシーケンスが無い感じでした。
地図を学ぶゲームも比較的良い出来で、ユーザーインタフェースはシムシティな感じでしたね。思いっきり影響を受けてるようでした。
確かストーリー仕立てになっていてクリックしてるだけで進み、地図記号とか学べるんじゃなかったかなあ?と記憶が曖昧です。
この学習ソフトウェア、どうコンピュータ教育に活かされていたか?と言えば、何にも活かされていませんでした。
教師は軽くマウスやキーボードの使い方を指導するだけで、あとは良い言葉を選ぶなら生徒の自主性に任せて、変な設定等を行わないように監視しているだけでした。
どういう指導要領になっていたかは知りませんが、コンピュータによるオートメーションを過剰評価して授業もオートメーション化出来るかも?と国は考えたのでしょうか?
まあコンピュータ教育が導入された最初期ですから実験的な意味合いも多分に含まれていたと思います。
パソコンの起動方法から始まり、ローマ字入力(小学校はひらがな入力)、そしてMS Officeへと入りいます。
このあたりは民間のパソコン教室と変わりがないかも知れません。
小学校で行われていた学習のオートメーション化への期待は無惨にも崩れたらしく、教師は手取り足取り教えてくれます。
それは新規フォルダや新規ファイルの作成方法、メールやWebブラウザの使用方法、その他今現在皆さんが日常的に使うであろうソフトウェアの指導が全く無いです。
どうやら学習のオートメーション化は不可能だと気づいたため、今度は思いっきり実用に振ってMS Officeマスターを育てるという選択をしたようです。
Wordでは文字の大きさや色、背景色、ワードアートの使用法、図の挿入、印刷などが中心に指導されます。
ワードプロセッサソフトが大好きな方は気付いたと思います。そうですWordなのにマークアップの指導が一切ありません。
完全に見た目の変更の仕方と印刷だけの指導であり、Wordなのにアウトラインとか完全に無視です。
見た目中心の指導を行うことはWordと変わらないですが、Excel関数の指導に入ると関数の意味をほとんど教えず「B1へ=SUM(A1:A5)と入力してください。はいA1からA5が足された答えがB1に表示されました。次は...」といった感じです。
生徒は教師の指示通り入力するだけで応用とかそういうの全くわかりません。しっかり理解してるのは見た目の変更の仕方くらいです。
時代ですね。こうして互換性無視なオフィスファイルは作られていったのでした。国がそう教えてましたから。
あっそうそうPowerpointとかAccessは授業でやりませんでした。
端的に言うのならば同上。
しかしPowerpointが追加されました。流石にPowerpointも教えないといけないと気付いたのでしょうか?
高校によっては工業高校や商業高校、高専ではもっとマシな指導をしていた可能性はあります。
ただやっぱり社会人から見るとツッコミ入れたくなるような指導が一部で取られていたと思います。国も手探りですから。
この年齢くらいになると学校の授業で覚えたと言うよりも独学でパソコンを習得してる生徒が殆どになっていました。
全くと言って良いほど学校の授業からは得たものがなく、エロ画像探しのほうがコンピュータリテラシーを僕に与えてくれました。
そして大学時代は教授のゴリ押しからOSがWindowsからEmacsに変わりました。
はてブで小学生向けにビジュアルプログラミングScratchが流行り始めてるんだなと知ったくらいでコンピュータ教育の授業の内情がどうなっているか全く知らないです。
なので僕が少年期に受けたコンピュータ教育を前提として「こうだったら良かったのに」というのを書きます。
コンピュータを扱うにおいてデータ管理というのは非常に大事です。
何故判りやすいファイル名を付けるのか?何故フォルダを作るのか?そういうことをしっかりと指導しなくてはなりません。
とりあえず僕も誰かに教える気になって書いてみたいと思います。
今だけ使えれば良いデータはどうせ直ぐに破棄するデータなので用途に合致すればどんな風に作っても構いません。チャットやっててウケを狙うためにネットからダウンロードする時にファイル名を「a.jpg」にするとかそういうことです。どうせ消します。
注意しなければいけないのは残り2つです。残り2つは前提として後々見たり使ったりするデータです。
このデータのファイル名を「a.txt」とかにしたら何のデータか全くわかりません。
つまり後々使ったりするってことは探すってことです。探すのに判りにくいファイル名にしてたら意味もなく違うファイルを開いて探しまわることになります。最近流行の「名前重要」です。
このジャンルのデータはある特定のフォルダ(ディレクトリ)に保存すると決めておけば探すとき非常に楽です。
そのため各OSは、例えばWindowsならば「マイドキュメント」や「マイピクチャ」「マイミュージック」などを用意してくれてます(ソフトウェアも空気を読んでデフォルトの保存先をそういうのにする)。
せっかく用意してくれているので使うようにし、もし自分でフォルダを作るときは名前重要ですから判りやすいフォルダにしておきましょう。
例えばTwitterであるジャンルの話を同好の士に読んでもらいたい場合どうしますか?ハッシュタグを付けますよね?
そうやって名前を判りやすくしておけば自分以外の他人が使う時も非常に楽なのです。
「でもよく使うデータを深い階層に置いてたら面倒じゃん」っていう意見はもっともです。
実はそのために「デスクトップ」という階層や「ショートカット」があるんですね。
デスクトップがアイコンだらけの人ってたまに居ますけど、きっとそういう人はコンピュータ教育は受けたけど保存されるデータの種類を知らない人です。あなたは悪くないですコンピュータ教育が悪い。
世の中には目の見えない人が居ます。そんな人たちがコンピュータを使えるように「読み上げソフト」ってのがあります。
まあいろんな意味で"文字通り"読み上げるためのソフトウェアなわけですが、このソフトは何も編綴もないテキストデータを読み上げるとめちゃくちゃ棒読みです。
それが更に平仮名ばかりで句読点もないテキストだと読み上げソフトは棒読みで一気に読みあげて目の見えない人はものすごく聞き取りにくいです。こんなテキストは目の見える僕たちでさえ読みにくいです。
そこで僕達は漢字を使ったり句読点を使ったりして可能な限り読みやすくします。実はこれがデータの中身にとって重要なのです。
句読点は文章を判りやすくする目印ですが、これを付けることをコンピュータの世界では「マークアップ」と言います。
読み上げソフトはマークアップされた文章だと、何処がタイトルで何処が本文というのが判別できるようになり、更に強調マークアップされている部分では音量を上げたりするので目の見えない人は非常に聞き取りやすくなります。
もしここまで読んである点に気が付いた人はかなり賢いです。その点とは「目が見えないのは機械も同じ」という点です。
マークアップされた文章は機械にとっても非常に判別がしやすい文章であり、実例をあげるのであれば検索するときに使う「Google」が検索結果へWebページのタイトルを載せてくれるのも、マークアップされたタイトルを拾い上げているからなんです。
Wordでも「見出し」と指定された行は機械的に判別され、アウトライン機能で文書の管理が非常にしやすくなったりします。
PDFでも同じでアウトライン表示されたり、読み上げソフトがPDFに対応していたらマークアップに合わせて読みあげてくれます。
少しだけ専門的になりますが、データベースとして使われているCSVファイルやJSONファイルも特定の記号を使われているのでコンピュータは楽に判断できるのです。
更にしっかりとマークアップしておけばPDFを電子書籍でよく使われているEPUBに変換するなど、他形式への変換が失敗しにくくなる利点もあります。
今まで行なってきたコンピュータ教育は正直「コンピュータ教育をしてますよ」という体裁だけを保っている教育の仕方だと思います。
コンピュータが使われるようになったから教育に導入し、MS Officeが使われるようになったからMS Officeを教え、IT市場が大きくなったからプログラミングを教える。
高速に変わっていくコンピュータの状況に合わせてしっかり教育は対応して居るように見えますが、現状のコンピュータ教育が見ているのはコンピュータの上っ面だけです。だから教育も上っ面になる。
コンピュータ教育ではタブレット端末の導入を現在検討しているらしいですが、どうみてもこれは上っ面な判断です。
コンピュータで高速に変わっていってるのは上っ面だけであり基礎の部分は。ハッカーが使ってそうないわゆる黒い画面、つまり端末(コマンドプロンプト/ターミナル)の頃とあまり変わってません。
その基礎を教えずしてOfficeだのビジュアルプログラミングだのを教えても生徒が得るものは何もないと言って良いと思います。
正直この記事は総合職さんやプログラマさん、エンジニアさんから見たら「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。
その嘲笑されるような内容をコンピュータ教育はできていないわけです。
これWindowsじゃなくたって教えられること、最新ハードじゃない中古のPC-98でだって教えられること、中学生以上は持ってそうなスマホでだって教えられることです。
にきび跡、肌荒れ酷い、不細工、発達障害(ADHD)、腎臓疾患(ネフローゼ)持ち、身長170cmどまり中学受験で入った自称進学校で進級すら危うかった超低スペック高校2年生だ。
ものを作れる人がうらやましい。
しかし、自分には能力以外にも情熱も、ものを作るのが好きっていう気持ちも無いからものを作ってない。
ニコ生では絵師がお絵描きソフトとワコム製のペンタブを使ったお絵かき実況をしていた。
どうして、お絵かきをするのかと聞いたらお絵かきをしてアイデンティティを保つためだと言った。
2chに立っているワナビー(作家志望)スレやお絵かきスレを見ると「上手くならない」「どうやって上手くなって金にするか」「pixivでマイピクつかねーよ」という書き込みが目立ち
「pixivで3年間に1000作近くピカチュウの絵を投稿しているのに全くうまくなっていない奴がいる 努力なんてするもんじゃねーな」なんて書き込みもある。
嫉妬、方法論について何回も長文レスをする人間も沢山いる。とにかく鬱屈としている。
学校では萌え絵を描いている男子が同じクラスにいる。彼は「全く上手くならない」とぼやいていた。
彼は文化祭のポスターの表紙を一生懸命描いて文化祭の実行委員に提出した。
文化祭の実行委員は僕に「あいつは一生懸命描いても、下手だね かわいそう」なんて言った。採用された絵と彼の絵を比べてみると全く違う。
彼は今、あまり絵を描いていないようだ。
創作の世界では評価されないことへの苛立ちなのか負の感情で溢れているように見えた。
僕は消費するままでいいのかもしれない。
でもクリエイティブに憧れる。でも体が動かない。
以前、読書をするといいよと言うアドバイスをいただいてしばらく本読んだり、軽い統合失調症と診断済みの母親に申し込まれた塾の冬期講習などを受けてネットからはすこし離れていました
お絵描き、プログラミングをなぜしたかったかと考えた理由を少し考えてみたら「want to do」では無くて 「want to be」でした
絵が描きたいのでは無くて絵がうまくなってちやほやされたい、居場所が欲しいだけなんです
やりたい事なんて実はなくて何も良いところが無い自分になんか価値をつけようと考えていただけ
それは4年間同じ学校にいたらわかったけど勉強は自分より学校のみんなの方が出来る
勉強はやらないと死ねとか価値がないとか学歴コンプがあるのかしれない音大出の母親が騒ぎだすからやっているだけ
やりたくない事から逃げているとか言われるけど勉強はほどほどでいい
やりたいこと、才能を見つけて居場所がほしい