はてなキーワード: う○ことは
増田の文章を読む限り、増田が「他者の好みに寛容」な人には見えない。酒飲みをDisってたりな。
それを念頭におけば、増田と嫁は似たもの同士だ。相手の好みに不寛容。
つまり、問題は「手間」じゃなくて、増田の嫁は増田の好みに対して不寛容なだけなんだよ。
心をこめて、おいしい料理を作るわけだ。一生懸命な。でもってその出来上がりは、100人いたら、まあ90人はおいしいっていう料理なわけだ。
ところがな、あんたの大事なパートナーだけはその料理にう○こかけてくれって言うわけだよ。
「おれはう○このかかった料理が大好きなんだ! 大した手間じゃないだろ? かけてくれよ!」ってな。
あんたは内心、その準備がイヤでイヤで仕方ない。一応、言われたときに渋々するわけだが、やりたくないんだ。だって
どう考えてもそれがおいしいとは思えない。それどころか家畜のえさ以下の処理をしてるようにしか思えないから。
自分が心をこめて作った料理をそんな風に扱うこと自体、激しい抵抗感があるんだよ。これはもうどうしようもないな。
それしたら相手が喜ぶということもギリギリ理解してる、そして少々手間ではあるが、できないことはない。
でも、どう考えてもそれがおいしいとは思えない。できればやめて欲しい。でもやらないと夫は不機嫌になる。
「あなたおかしいよ」の一言は、言い過ぎかと思って言えない。そういう葛藤の中ででてきた「だって…」の嫁の一言だと思ってみなよ。
大げさだと思うか? だがたとえば中国語で「冷めたご飯」は、日本で言うところの「臭い飯(=刑務所の食事の俗称)」と同じ意味がある。
冷めたご飯とう○こまみれのご飯、同じくらい、ご飯の作り手に対する敬意を欠いていると感じる人間は、いても不思議ではないし、
その程度には、増田も増田嫁も互いの好みに対して不寛容だ、と、要はそれだけの話だと思う。
というわけで、「増田を全面支持」「大した手間ではない」というあなたの反論には同意できないな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1087823
これに関係あるのかないのか分からないけど、個人的な感覚として、最近のゲームにはなかなか手が出ない。
どのゲームを見ても顔の濃いおっさんが銃か先端がギザギザのナイフを持っていて、人かエイリアンでもしっかり殺しにかかるようなゲームばっかりじゃん。
そんな物騒な道具を持ったキャラを操作しつつ「死ね死ね死ね!!!」とか叫びながらボタンかトリガーをカチカチやるゲームはやりたくないのよ。
クラッシュバンディクーにパラッパラッパー、ウンジャマラミーとかサルゲッチュとか。
見るからに可愛いけど任天堂とはひと味もふた味も違うぜ、みたいなのがたくさんあった。
それを踏まえて今のゲーム屋さんの店頭に行くと顔が濃いおっさんのゲームばかりだし、帯にはオレンジや赤でDやらZやらのマークが付いてるのが随分増えてしまった。
一方で国内のゲーム会社となるとキャラものばかりが目についてゲームとして新しそうな雰囲気は無いので、結局新しいというか今時のゲームのトレンドというのに乗ることができないままになっているように思うんだ。
そうしてゲーム全体から距離を置いているといつの間にかオープンワールドが当たり前になってきて、色々とタイトルが出てるようだけど
結局どれがどうなのかが分からないし、まーた銃ババババ血がドバーみたいなゲームなんでしょ?という反応になってしまう。
そんなところに任天堂が「いやいやこれはオープンワールドじゃないから。オープンエアーだから。」とか言いながらどこかアニメ調のゼルダを出してくるわけで、
結果的に私みたいな人間にとっては今時のゲームへの唯一の入口になるんだよ。
まあ確かに物騒な雰囲気の剣とかは多少あるけど、「いっき」の竹槍の如く畑のクワでリザルフォスの腹を突きまくる画ってのはおっさんが戦うゲームよりよっぽど気楽なもんだよ。
スプラトゥーンもそうだけど、最近海外で一般的なジャンルを私みたいなタイプの人間が遊べる窓口になっているのが今や任天堂だけというのは悲しむべき事なのかな、と。
諦めて物騒なナイフをもったおっさんのゲームでもやるか? いやいや...。
これって「崖ゲー」だよね。
オープンワールドとかオープンエアーとかはもはやどうでもいい。これは「崖ゲー」。
次の目的地を無視してとりあえずそこらへんの崖に登って、僅かな足場で休憩しつつなんとか山頂まで登るでしょ。
山頂にでかい石があったら持ち上げてコログからう○こをもらって。
で、適当に周りの風景を見回して、気になるところがあったらそこまでパラセールで滑空。
そしてまた崖を登って。この繰り返し。
「けものフレンズ」の2話でコツメカワウソが「わーい」「たーのしー」を連発しながらつまらなそうな滑り台に上がっては滑り上がっては滑りを繰り返していたような気がするけど、それの壮大なバージョンだ。
あるときは崖を登り、またあるときは斧を片手に木を切り倒す。その姿はアイカツのようでもある。濃いおっさんではアイカツ感は出ない。(各種ゲームのおっさんはジョニー別府より濃すぎる)
今回のゼルダは本当にどこでも登れるし、どこでも張り付ける。登れないところはごく僅かだ。
だから家の屋根に乗ろうとしてパラセールで飛んだら失敗して、家の壁にそのまま張り付いちゃったりする。お前はセミか。
今までゼルダで遊んでいると「この壁の上には何があるんだろう」とか思うことは本当によくあったけど、今回はその夢を全力で叶えてくれた。
過去作でのはしごを上る楽しみや蔦を移動する楽しみがそこら辺の壁や崖で実現できて、しかもその先がある。
このちょっとしたことに対する感動はこのゲームがゼルダの新作だから、というのもあると思う。
というわけで、私にとって「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」は崖ゲーであり、アイカツであり、セミだ。
最近のゲームでおっさんが銃ババババ血がドバーでなく、なおかつ崖ゲー、そしてそこそこフィールドが広いゲームが(できればPS4で)あれば教えて欲しい。
※汚い話なので、食事中の方はご遠慮ください
生理的に嫌いな人間、というのは多分誰にでもいると思う(いないという人は、もう人を超越した存在、神様のようなもので、人間を犬猫のように思っているのだろう)。
そういった人間の対処法を自分なりに考えてみた。まず前提として、本などに書いてある、相手の良いところを探してみるとか、好意的に接してみるとか、そんな孔子みたいな聖人君子の行いは最初から諦め、どのように避け、やり過ごすかだけを考える。
まず基本動作として無視をする。これはいじめとかそういう次元の話ではない。いじめは、他の人と共謀して無視することで初めていじめとなる。一人で勝手に無視する分には、その両者で意思疎通が出来てないという不具合以外は何も問題がない。例えば道端にう○こがあったとする。トイレにあれば、流すという行為で処理出来るが、道端にあった場合、無視するよりないだろう。運良くビニール袋を持っていて処理出来る状況だったとしても、9割の人は無視を選択するはずだ。生理的に無理な人間≒う○こなのだ。
次に、無視しても再度くる場合、さすがに無視していられないので2度目のアタックはこちらも対応をする。が、その際に感情を出してはいけない。邪険に扱うこと自体が、そのう○こに一定の興味を持ってしまっていることになるからだ。嫌な思いをした、という経験は頭に残りやすい。ので、極力無感情で臨む。愛情の反対は無関心である、機械のように事務的に対応すべきである。第一段階の無視も、感情を殺しやすい行為の一つである。無視していればその人間に対しては何も思わなくなるし、向こうもああ、無視されてるから近づかないでおこう、となるかもしれない。一番愚かなのは、言い争いを仕掛けたり、感情任せに暴力沙汰を起こしたり、いじめに発展させたりすることである。それはこちらが向こうを押さえ込もうとしている行為であり、そんなことをする権利も必要性もないのだ。向こうだってこっちを同じように思ってるかもしれないのだから。
基本的には、2度目の機械的に相手にする、で諍いになる確率はかなり低くなるはずだが、脈略もなく言い掛かりを付けられることもあるだろう。色々な人間がいるのだ、何が起きるかは分からない。基本的には、言い掛かりや悪口雑言は無視が正解だ。最初にいった神様じゃないが、相手を犬猫畜生だと思うことにしたほうがいい。犬が吠えただけで切れるだろうか、猫が威嚇してきて威嚇仕返すだろうか、う○こに「おめぇ臭えなぁっ!」と言うだろうか。相手は自分より劣っているから、恐怖から自己防衛のために何か吠えているんだなあ、くらいの気持ちで臨むのである。度を過ぎたことを言い出したら、感情的にならずに言い返せるなら言い返してもよい。が、普通は感情的になってしまうので、その場合は相手の言葉を録音し、上司や先生に報告しよう。なんらかの進展があるはずだ。
次に暴力をふるわれた場合、この場合は正直に言うとよく分からない。暴力をふるってくるやつは最初からふるってくる所謂いじめっ子が多く、ここでの生理的に無理な人間とは別の人種であるからだ(物理的に無理な人間、とでも言うのだろうか)。もしふるわれた場合は、先程の上に報告、が最善であるはずだが、個人的見解では、殴られても何もしないというのは現実的ではないので、逃げるか、相手がそんなに強そうでないならある程度やり返してもいいと思う。逃げれた場合は上に報告、やり返して返り討ちに出来た場合は、次また襲ってくることは考えにくいので、報告はしないでいいだろう。そして返り討ちにできていれば、相手から遠ざかってくれる可能性が高い。立っただけで流れる、ホテルのトイレのように。
色々書いてきたが、結論としては、感情を極力抑えて、相手に対して何も興味を持たなくすることが大事である。う○こは流す、嫌いな食べ物は避ける、生理的に無理な人間は無視する。言い争い、いじめ、暴力などをこちらから仕掛けるのは、相手と対等になっていることを認めている証、同じ穴の狢、同じトイレのう○こである。自分が他人に「うわっくさ!生理的に無理!」と言われたくないなら、どちらの行動を取るかはもう明白であるだろう。
※これらは全て個人的な見解であり、最善解は最初に書いた聖人君子の行いなのでしょう。また、他の対処法も無数に存在するはずなので、話半分で読んでもらえれば幸いです。
事の発端は、昨年末から原因不明の下痢軟便が続き、街の消化器化にいったら「胃潰瘍ね〜」と言われたものの「いや胃は分かったんですけど、下痢軟便といったら腸では?」と思ったが、先生があんまコミニュケーション取ってくれないタイプで、じゃあいいや、ってんで自分で内視鏡検査を予約。
しかし分からんもので、思い切って予約を取ってほどなく、半年ほど続いたお腹の不調がボタンを押したかのように収まってしまい、腸なのに肩すかしですか、と思ったもの「まあ原因がはっきりしなかったのは確かなんで、一応見とくか」という事になった次第。
ストレス社会で日々う○こを漏らしている増田・はてなー諸君である。
「ひょっとしてなにかマズい事が我が腸に起きてるやも」と思うかもしれないので、そんなときに腸をチェックできる内視鏡検査とはどのような物であるか、自分の体験を書きたいと思う。
ここでは特筆すべき事はなく、お腹の調子とか、便に血が混ざってたとかそういう事をきかれたのち、検査日を予約して、診察終了となる。
検査日は2ヶ月後なのであった。
自分の場合、お腹の問題は去っており、さらに2ヶ月後であるが、決めちまったものは仕方ないんである。
この検査食であるが、キ○ーピー謹製のレトルト食品「ジャ○フ」である。
キ○ーピーってマヨネーズとドレッシングばっかり作ってる訳じゃないんすね。
時は流れて検査前日になり、この検査食で1日過ごさねばならないのであるが、これがおかゆみたいな、よく言えば優しい、有り体に言ってしまえば味も歯触りも薄い食事で、なんか食べてるとちょっとテンションが下がってくる。
こういう食事に「わー、宇宙食みたいだー」とワクワク感を発見できる人は素敵だと思います。
この検査食の目的は腸を綺麗にする事なので、3食(+間食つき)食べ終えたら、下剤を飲んで就寝となる。
変な味がするものは、後できっちり飲む事になる。
ここで、本来ならば下剤の効果により1次う○こが出ていることが望ましいのだが、お腹というのは意外という事をきいてくれないモノで、自分は結局1次はパスして病院に向かった。
診察から時は流れて、久々にくる病院も「あー、今日ここでカメラをケツに突っ込まれるんだなー」と思って見上げると、なにか狂気の化学実験場のように見えてくる。
さて、下剤をのんで1次う○こがでなかった場合はどうするのか。
子供のとき以来久々に見る白いロケット状の錠剤は、メンタルにボディーブローを食らわしてくる。
よくよく考えると、自分でこれを入れた事はないだが、トイレで中腰になりながら「おっおっ」とポジションを探りながら四苦八苦するのと、いい歳こいて看護師さんに「すんませんケツ突き出すんで突っ込んでもらっていいですか」と言うの、どちらが良いんだろうか、と迷った挙げ句、自分で入れる事にした。
ちょっと油断して浅く突っ込むとすぐに「ただいまー」と戻ってきそうになる。
しかも俺、自分のアナルに初めて指突っ込んだよ、何だこの感触とかいろいろ邪念が沸いてきてどうにも往生したが、どうにかベストポジションを得たようで、しばらくして、晴れて腸に待機していた使途が便器にファーストインパクトを起こすことに成功した。
これでカメラを突っ込めるのか。
それで済むならこんなに楽な事はない。
大腸内視鏡検査というのは、この後、半日がかりで腸のコンディションを整えてからではないと出来ないのである。
待合室のような所に通されて、そこで待っていたのは2lの整腸剤。
これを1時間ほどかけて飲んで、あとはひたすらトイレに行きまくって腸を空にするのであるが、この整腸剤が、海水を水で割って人工甘味料を混ぜたような変な味なのだ。
一口のんでも微妙なのに、これを飲みまくらないといけないとなると「早く終わってくれねーかな」という気分になってくる。
そうこうしてるうちに、いよいよ我が腸も便意を訴えてきて、トイレへのう○このピストン輸送が始まった。
はじめはまだ固形をたもっていたそれも、回数をこなすうち、どんどん水状になってくる。
普段、肛門から液状のものがでるのは不快で仕方ないものだが、5回も6回も繰り返しているうち、「え、肛門からはシャーって出るのが普通じゃないっすか?」という気持ちになるから不思議である。
それより参るのが、こんなに肛門を酷使すると、尻が痛くてたまんない。
これについては「初回から紙をつかって拭く戦術」が失敗であったと気づき、ウォシュレットをつかおうとしたのだが、時既に遅く、破損した門への水流は、強烈なアラームをわが痛覚に送りつけてきたのであった。
諸君に助言するなら、初回からウォシュレットを最大活用すべきだ。このテクノロジーの使いどころはここである。
さて、腸がきれいになったかどうかは「目視」で、何を誰が目視するのかというと、「トイレの結果を看護師さんが目視する」のである。
この微妙な羞恥プレイも来るものがあるが、自分にとって朗報であったのは、始めは事務的で怖い感じの看護師さんに「どうですか僕のう○こ」とやっていて「まだですね、整腸剤追加です」とバッサリ切られていたのであるが、あまりに繰り返していたので、人当たりのよい看護師さんに交代になり、「うーん、もう一回いきましょうか☆」という声で幾分心が軽くなった事である。
屈辱の概念が塗り替えられる1日にあって、優しい言葉と笑顔は重要だと感じたのだった。
さて検査準備も後半に差し掛かり、いよいよ検査着に着替えると、パンツのケツに穴があいている。
こんなセクシーなパンツを履く事になるとは人生というのは分からないものだ。
ここまでくると、あきらめの境地に達してくるものの、肝心の内視鏡は鎮静剤を射たれるので、ほぼ眠ったような状態で受けるに違いなく、「はじまりゃあっという間」というのが一つの心の救いはである。
点滴だ。
こんなにう○こしてると脱水症状を起こすので、点滴で水分補給をするのだ。
これで便意がきたら最悪だ。
このガラガラを引きずって、腕からのびるチューブに気を使いながら、検査着からケツを放り出すことになる。
あまり良くない事ではあるのだろうが、なんとか便意を我慢したのであった。
本郷猛が仮面ライダーに改造されるような部屋に緊張が走るが、それも一瞬だ、鎮静剤で安らかに眠れば目が覚めた頃には改造は終わってる、違った、検査は終わっているのだ。
点滴の管を利用して鎮静剤が身体に流入してきても、一向に眠くならないのだ。
助手のメガネ君は「はい、脚をくの字に曲げて右向いてくださーい。もうちょっと『くっ』とまげてくださーい」と指示してくる。
そう、鎮静剤は意識が無くならない程度の用量で射たれるのだ。
こうなっちまうと、ケツへの意識はビンビンに残っているのであり、別のところがビンビンになりゃしないかと変な心配が頭をもたげてくるのであるが、幸いなのかなんなのか、肛門性感に目覚めるには自分はまだ青かったらしく、「うーん、女の子ってこんな感じなのかなー、変な感触だけど別に気持ちよくはねーなー。そういや結構演技するって言うよなー」などと言う事を考えたりしたのだった。
あと、なぜか目をつぶっちまった訳だが、世の女の子が事に及んで目をつぶりがちである事とは別の状態であるように思う。
検査の為にお腹のなかにガスを入れられたときに「おっおっ」といってしまったのも、エロマンガで美少女が忘我の境地に達している時の嬌声とは違うものに違いない。
ややあって先生の「特になにもないですねー」という気の抜けたような声が聞こえる。
よかった、半年前のう○こ異常は胃潰瘍、せいぜいが神経性の過敏性腸症候群でファイナルアンサーだ。
ここで眠れれば楽だろうが、そんな量の鎮静剤は射たれてないので、「そうすか、良かったです」とこれまた気の抜けたような返事を返してベットを降りたのだった。
検査をする時期には半ば意義が怪しくなっていたが、心配の種の一つが否定されたのは心が軽くなったのであった。
増田諸君、はてなーたちよ、君がもしもし思い立って、大腸内視鏡検査を受けようとおもったなら、この記が参考になれば幸いである。
保育園の開園を断念して「これはひどい」とかブコメ付けてるやつがいるけど、例外者批判(実際には批判にもなってないただの批難ばかり)も甚だしい。
次に出てくる言葉が何かと思ったら「子どもを大切にしない」だとか言うけどさ、実際に保育園か幼稚園の隣に住んでみろっつーの。
例えば航空自衛隊のある町の近くに住むと二重ガラスにする補助がもらえたりするけど、保育園にはそういう近隣住民に対しての何か配慮ってあるの?
「子どもを大切にする精神」だけを求められるのであれば、是非とも保育園の近隣に率先して住んでくれ。
とか言ったら「会社がー」「通勤がー」とか言いやがるだろ?その程度の関心しかないんだわ、そういう人たちって。
なんのためのフレックスタイム出勤だよ、と思わざるを得ないくらい朝はゆっくり寝られない。
誰だって迷惑をかけるんだったら、しかもそれが子どもであるのならば、迷惑をかけないように如何に配慮するのかってのが大人の役割なんじゃねーの?
「防音対策をしっかりする→建設費用がー」という問題が出て来て始めて国政に声を挙げられるんじゃねーの?
それ以前の批難しかできない人たちが選挙権を持っていることの方が日本の未来の暗さな気がするわ。
そういう大人ができること、配慮することを無視して「日本ノミライガー」とか、驚くほど知性を感じさせない大人という念しか懐かない。
マジで飛行場の方が静かなレベルだからね、保育園の隣に住むというのは。
そもそも子どもは騒がしい生き物なんじゃない、大人が騒がせている=元気溌剌だと勘違いしているだけなんじゃないのか。
子どもを黙らせるんじゃなくて、静かにならないのならば配慮できる理性を備えた大人が対処するものなんじゃないのか。
そういう大人だからできるもの、むしろ大人だからすべきものを全く無視して「若者ガー」とか何言ってんだ?
重要だからこそ、しっかりと環境や実状を踏まえてどうすべきかを考える。
そういう人たちが増えることを願ってやまない。
追記::
「実際に隣に住んでみろ」っていうと「極論ダ―」が現れそうだから、一応付けたしておくよ。
先にも述べたけど「実際に住め」と言われて「通勤通学ガー」と言い訳する奴らなんて、本当は「保育園」に興味なんて1マイクロもないんだ。
ただただ世間で話題になったことがらに、インテレサントなものにだけ興味を引かれて、脊髄反射的に批難する言葉が出てきているだけで頭なんて使っちゃいない。
自らの経験や周辺住民の声を聞いて、それらを踏まえてどういうことをしていくか、あるいは為していくか、それが科学的な思考であって、義務教育を終えた人が為し得る考え方なんじゃないのか?
それは面倒だし簡単にできることじゃない。
そういう面倒なことをやってまできちんと「これからどうすべきか」を考える人たちが必要なんだけど、そういうところにお金は廻らない。
このような状況を全く踏まえないですぐに「コドモガー」というのは、そういう短絡的な大人に教育されている子どもが最も不憫でならない。
追記その2::(4月12日12時ごろ)
なんか知らんけど沢山ブクマ付いてて個人的には興味深くて考えさせられるものも沢山あった。
批判は真摯に受け止めたいし、どんなコメントをくれた人でも全ての人へありがとさん!とは言っておきた。
私は口も悪けりゃ頭も悪い。挙句に文才なんて胎内に忘れてきたようなタイプなので支離滅裂な文はご寛恕いただきたい。
想定していた「私は気にならなかった」系のブコメはやっぱりあった。
もちろん他意はなくて自らの意見を述べているんだろうけど、そこで留まっていれば声としてとても重要なものだと思う。
だけど、そこから一歩進んでしまって、住宅の施設や立地などの諸条件を捨象して、結果を「神経質」というような単純化していく論の持って行き方は賢くない。
賢くないと言っているだけで、嫌いだとかダメだとか言っているわけじゃないことだけは理解して欲しい。
もはや忘却の彼方にある「民主主義ってなんだ!?」「これだ!」なんて語られてたけど、あんなのは民主主義とは言わないんじゃないかと思う。
既存のイデオロギーがあってそこに邁進していくんでもなくて多数決をするんでもない。
多種多様な生き方をしている人たちの声を聞いて、さまざまな問題を語り合って共に解決していくものなんじゃないのかな。
もちろん複雑化していくのは火を見るよりも明らかだけど、日本死ね!って感じて諦めたくねーんだわ、私はね。
そもそも何かに対して「死ね」だなんて良くも簡単に言えたもんだなとは思うけどね、私は口は悪いとは思っているけど「死ね」みたいな言葉は使わないように心がけている。
チラシの裏書きみたいなものだから、本当に散文的なものになってるんだけど、常々思うことを書いて筆を降ろしたいと思う。
日本が悪い、社会が悪いみたいなこというけどさ、そういう人たちは何と戦ってんだろね。
追記その3::(4月12日18時くらい)
チラシの裏2枚目。
色々な声が聞けるインターネッツってやっぱり素晴らしいな、と思ってる。
ブコメを読むと「すっごい頭がキレッキレ(いい意味で)な人で弟子入りしたい!」と思うものもあれば「何ちょっとこの人文盲?」って思うものもある。
そして何より感動しているのは「共存」かそういう類のキーワードを挙げている人がいること。そうなんだよ、それなんだよ、これからの時代って、と個人的に思ってる。
いずれにしても、どのブコメを読んでも個人の素晴らしい意見で、何かこう勝手にカタルシスのようなものを感じちゃってる。
ちなみに増田個人の見解として「こうしたらいいんじゃね?」みたいのは、少しだけ提示したつもり。
もちろん個人の見解(防音対策)はかなりの片手落ち、どころか飛車角を落とした感じ、あるいはキングのいないチェスみたいな(適当)
だから頭をこねくり回して考えてみたけど、これから述べるところの要約を先に言えば「私個人としての結論はない」これが答えだ。
「は?」かもしれないけれど、ソリューションへの道は集積が第一であって一人の意見に可否を付けることじゃないと思うし(震え声
まず、引っ越した先に保育園があるのと、住んでいたところに保育園ができるのとでは意味が異なる。
極端な例を出せば、基地の隣に引っ越したのか、それとも住んでいたところに基地ができるのかでは意味が異なる。
間違いなく別の観点から斬りかかってくる(例えば命の危機だとか何とかね)人がいるけれど、こういう極端な例を出さなきゃ分からない人がいるからこそ、あえて極端な例をあげてみた。
さて、既存の保育園の近隣に引っ越すということは、そういう騒音リスクも承知でなければならない。
決して安い金で引っ越すわけじゃないんだから、徹底的にリサーチが必要だ。
「やっぱり土いじりしたいっすw」ということで一階の部屋を選択し、気晴らし程度の目隠しと1mくらいの道路とフェンス一枚を隔てた向こう側が保育園だった。
演奏会の練習を夏に窓を開け放してやってくれるもんだから、夜勤明けなんて寝てらんない。
ちなみに飛行場関係では、勤務地から歩いていける方がいいじゃん!ってことで岐阜県のK市に航空自衛隊の側に部屋を借りて失敗した。
この失敗は、その町にある既存の施設がどのようなメリットとデメリットがあるのかを考えなかった、単なるリサーチ不足だ。
これに関しては、移住者である私が悪い。そこを選択したのは私だ。保育園が迷惑なんじゃない、基地が迷惑なんじゃない、自分から迷惑に飛び込んで自分から苦しむ一番ダメなパターン。
既存の保育園が足りないというのであれば新設するか、あるいは増床するかという選択になると思う。
今回の開園中止なんてのは新設するパターンだったわけで、上述した既存の保育園とは問題の質が異なる。
新設の場合は、そういうリスクを避けていた人たちに影響が及ぶ。
だから新設するのであれば説明しなくてはならないと思う(問題は賃貸に住む住民にそういう説明があるのか否かというところだけど、個人的な経験がないからどうなの?聞かせて!)
防音設備をしっかりするだとか、お迎えようの駐車場をしっかり設けるだとか、リスクを避けていた人たちがそのリスクを許容できる話をしなきゃいけないと思う。
どうでもいいよって人もいれば、敢えて保育園のない場所を選んだ人もいる可能性はなくはないからね。
こういう話をすると、いろんな考えの人が居て収拾のつかないような議論が続くっていう人もいる。
だけど、それが不毛なやりとりだなんて思わない。
自分の主張をせずに黙り込んで、いかなる困難にも耐え忍んでいくのが美徳なんだろうか。
不毛なやりとりに見えても、実はそこに斬新なアイデアがでるかもしれない。
脱線しちゃったけど、保育園を新たに開園するのであれば、その立地を選んだ条件、なぜそこでなければならなかったのか、という説明はしかるべき事だと思う。
例えば、山の中に大きな保育園を作ってバスで送迎なんて手段もできないことはないだろう。可能性という意味ではね。
経営主体が「私」、つまり利益を出さなくちゃいけない、しかも公益に供するわけだから半端な経営計画が起因して倒産して公益に損害を与えてはいけない。
そういう諸条件を吟味して「ここ!」という選択が行われるとは思うわけだけど、公共の福祉のために個人の幸福が犠牲になるってのは、いささか頂けない。
もちろんこれが国であれば、そりゃもう判例だとか出ちゃってるから「ぐぬぬ」と飲まざるを得ないこともある。
法律を作ってるのは国会だけど、その構成員は日本国民の代表であるから日本人の意思として決めた法律だ。
それに反するというのは、自分で約束したことを自分で「そんなこと言ってねーし」と言うような、無責任な人だと思う。
だけど、保育園の経営主体が「私」となれば、私人が私人の幸福追求を阻害していいのかって話にもならざるを得ないだろう。
「じゃあどうすんの?」って声が上がるのは当然で、一人で考えるよりも三人で文殊の知恵、十人なら聖徳太子やぞ!ということで、いろいろな声を発するのが大切だと思う。
それらを拾って吟味するのが、我らが国民の代表たる政治家!!だと思うんですけどねー。
裏を返せば国民の意識が政治家として表れてるだけでしょうから、政治家がう○こなら、国民もう○こなんです。
はい、私もう○こです。生きて腸に届きすぎた感じの時のう○こです。
「う○こは臭い」と当然のことを指摘して、何かを言ったつもりになったっていいじゃない。何も言わないよりはね。
当然なことかもしれないけれど、その当然なことすら声として発しないと耳を傾けて聞けない人がたくさんいるんだ。
わけ分かんなくなったかもしれないけど、既に述べたように「私の結論はない」からご寛恕ください。
海外の状況ってどうなの?っていうのは、個人的にはブラジルでの経験しかないから「海外」とひとくくりにはできないけど、すくなくとも甲高い「奇声」をあげることはなかったように記憶している。
ただそれは、たまーに迎えにいった時の状況であって、常にそうなのかは知らない。
海外での経験がなくったて、Youtubeでnursery schoolとか何とか、そういう言葉で検索してみると海外の保育園の姿が少しは分かるんじゃないかと思う。
そういうところからも学ぶところはたくさんあると思う。
ところで、どっかの昔の首相がベンサムの最大多数の最大幸福なんて言ってたけど、こんなの私はクソだと思う。
問題をすごく簡素にしてしまうから誤解の嫌いは免れないだろうけど、1億人のうち5001万人が幸せな道であれば4999万人は不幸でもいいのかな?
もちろん1か0かの二項対立で考えるべき言葉じゃないのは分かってんだけど、こうやって簡素化しないと考えられない人っているじゃない?
それでもいいって主張する多くの人は、自分がその最大多数に入れると思ってて、案外4999万人の1人になっちゃうタイプ。
今の格差社会って最大多数の最大幸福で例を挙げた5001万人と4999万人って感じになっちゃってると思わない?
最大多数の幸福のためならば少数派の幸福は侵害してもしかたないんだからね。
おわり。
「行きつけのフィギュアショップ」のススメwwwフォカヌポウwww
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。
トイレを貸してくれそうな店はない。
そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、
「すみません。お腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」
と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。すると男性は、
「いいけど、なんか見ていって。ここ、フィギュアショップだから」
と、真顔で答えた。
(この人、腹を下してる人間に何を言ってるんだ……)
フィギュアの代金をお支払する形ではダメでしょうか」と提案すると、
「じゃあ帰りに見に来て。ここはフィギュアショップで、トイレじゃないんだ」
男性はそういうと僕を店内に手招きした。
(そうなると、僕は帰りにここに寄らずに、そのまま帰ることもできるのに、
なんだかとても変わった人だなぁ)そう思いつつ、トイレを済ませると、
「では、帰りに寄らせてもらいます」そう言って僕は店を出た。
面倒だから帰ろうかなとも思った。けれど、ちょっと様子を見てみよう、
そんな気になって、僕は帰りにその店の前を通った。
ガラスがはめられたドアをそっと覗くと、
やはりというか、当然だが、この店のマスターだろう。
正直に言うと、その姿があまりにもカッコよく、様になっていて、
僕は無意識の内にドアを開けていた。
「あんた、変わってるね」と無表情に言った。
(それはおまえの方では……)と思っていると、マスターはフィギュアを出しながら続けた。
「寄らずに帰ろうと思えば帰れた。けれどあんたはここに来た。
あんたいい人だ。今日は店を休もうと思ったけど、開けてよかったよ」
そういってフィギュアスタンドに女の子のフィギュアを立てかけた
「あんたがこの店で最初に見るアイドルのフィギュアは、これが良い」
目の前に道端でコケそうになっている、何とも可愛らしいフィギュアが出された。
当時、フィギュアを全く知らなかった僕は、とりあえず値段が怖くなり、
「お幾らですか?」と財布を出しながら聞いた。マスターは
「俺は見ていけ、と言っただけで、金をとるとは言ってない
その後、僕はこのショップに足しげく通い、色々なオタクと知り合った。
そんな矢先、マスターが亡くなった。
いつだっただろうか、常連達でしっぽりフィギュアのパンツを覗いていた夜、
『楽天で知ったけどフィギュアの品揃えいいですね。僕好きです』みたいな若造が増えた
俺はそういう客は好かないんだ。機械による巡り合わせは好かないんだ」
僕も含め、何かしらおかしな巡り合わせでこの店とマスターと縁が出来た常連達は、
「では、なぜ楽天に出展を・・・」と思ったが、ネットを探し、三木谷社長に
サイトを取り下げるように頼んだりした。
けれど、三木谷社長は「出展したのはマスターの自由だ」と取り合ってくれなかった。
そんな中、マスターが暫く店を休むと言った。
今思えば、あの頃から体調が悪かったのかも知れない。
そのまま復帰の知らせのないまま、常連仲間からマスターの訃報を聞いた。
会場には見覚えのない女性の等身大フィギュアが2体ならんでいて、
マスターは自分の話を全くしない人で、「俺は既にノンコレクションだ」と言っていたので、
我々はそれが本当だとてっきり信じていた。
「これを渡すように、と言われました」と僕に1体のフィギュアを渡してきた。
何でも亡くなる少し前に、マスターが2人に、僕に渡すように言付けたそうだ。
具体的な商品名は控えるが、某アイドルゲームの永遠のセンター(17歳)と言えば、
分かる人にはその価値がわかると思う。何故こんなものを僕に、と混乱していると、
娘さんがバーで使われていた伝票を渡してきた。裏には走り書きの文字で、
そう書いてあった。
僕に人生とは何か、人付き合いとは何か、
大人になるとはどういうことかを教えてくれた、大切な空間だ。
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕は今後の人生において、もう行きつけのフィギュアショップをつくることはないと思う。
「行きつけのバー」
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。
トイレを貸してくれそうな店はない。
そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、
「すみません。お腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」
と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。すると男性は、
「いいけど、なんか飲んでって。ここ、バーだから」
と、真顔で答えた。
(この人、腹を下してる人間に何を言ってるんだ……)
お飲み物の代金をお支払する形ではダメでしょうか」と提案すると、
「じゃあ帰りに飲みに来て。ここはバーで、トイレじゃないんだ」
男性はそういうと僕を店内に手招きした。
(そうなると、僕は帰りにここに寄らずに、そのまま帰ることもできるのに、
なんだかとても変わった人だなぁ)そう思いつつ、トイレを済ませると、
「では、帰りに寄らせてもらいます」そう言って僕は店を出た。
面倒だから帰ろうかなとも思った。けれど、ちょっと様子を見てみよう、
そんな気になって、僕は帰りにその店の前を通った。
ガラスがはめられたドアをそっと覗くと、
やはりというか、当然だが、この店のマスターだろう。
正直に言うと、その姿があまりにもカッコよく、様になっていて、
僕は無意識の内にドアを開けていた。
「あんた、変わってるね」と無表情に言った。
(それはあなたの方では……)と思っていると、マスターはグラスを出しながら続けた。
「寄らずに帰ろうと思えば帰れた。けれどあんたはここに来た。
あんたいい人だ。今日は店を休もうと思ったけど、開けてよかったよ」
そういって丸氷を入れたグラスにお酒を注いだ。
目の前に琥珀色より少しばかり深く落ち着いた、何とも美しい色のお酒が出された。
当時、酒を全く知らなかった僕は、とりあえず値段が怖くなり、
「お幾らですか?」と財布を出しながら聞いた。マスターは
「俺は一杯飲んでけ、と言っただけで、金をとるとは言ってない
この一杯はプレゼントだ」と優しく笑った。
その後、僕はこのバーに足しげく通い、色々な人と知り合った。
そんな矢先、マスターが亡くなった。
いつだっただろうか、常連達でしっぽり飲んでいた夜、
『落ち着いたバーですね。僕好きです』みたいな若造が増えた
俺はそういう客は好かないんだ。機械による巡り合わせは好かないんだ」
僕も含め、何かしらおかしな巡り合わせでこの店とマスターと縁が出来た常連達は、
必死にネットを探し、掲載元に記事を取り下げるように頼んだりした。
けれど、大半のところは「言論(表現)の自由だ」と取り合ってくれなかった。
そんな中、マスターが暫く店を休むと言った。
今思えば、あの頃から体調が悪かったのかも知れない。
そのまま復帰の知らせのないまま、常連仲間からマスターの訃報を聞いた。
会場には見覚えのない女性が2人いて、話を聞くと離婚した元奥様と娘さんだった。
マスターは自分の話を全くしない人で、「俺は既に天涯孤独だ」と言っていたので、
我々はそれが本当だとてっきり信じていた。
「これを渡すように、と言われました」と僕に1本の酒を渡してきた。
何でも亡くなる少し前に、マスターが2人に、僕に渡すように言付けたそうだ。
具体的な商品名は控えるが、某日本メーカーのウイスキー(50年)と言えば、
分かる人にはその価値がわかると思う。何故こんなものを僕に、と混乱していると、
娘さんがバーで使われていた伝票を渡してきた。裏には走り書きの文字で、
そう書いてあった。
「行きつけのバー」
僕に人生とは何か、人付き合いとは何か、
大人になるとはどういうことかを教えてくれた、大切な空間だ。
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕は今後の人生において、もう行きつけのバーをつくることはないと思う。
長年悩まされてた以下のような症状がたった一日のストレッチで劇的に改善された。
・全身の倦怠感
・いくら寝ても朝がつらい
・喉がつまった感じがして声がでにくい
・顔の歪み
・肩こり
・腰痛
・消化不良
日中は仕事でPCのモニタとにらめっこ、休憩時間や移動中はスマホ、家に帰ってもタブレットやスマホ。
こんな生活をしている人は多いと思う。つまりずっと首と目を酷使する生活を送っているわけだ。
自分自身こんな生活だったから、上記のような症状は職業病もしくは現代病として仕方ないと割り切ってマッサージや毎日のストレッチでやり過ごしていた。
毎日きちんと睡眠はとっているし、食事も偏らないように意識して、適度に運動もしている。
なのにこの泥の中を進んでいるような体にまとわりつく倦怠感はなんなんだろうとずっと不思議だった。
ある日、あまりの首コリに我慢できなくて、YOUTUBEで「首 ストレッチ」で検索したところ、以下の動画がヒットした。
https://www.youtube.com/watch?v=LbtHeXRD-aw
ストレッチをやった直後、視界がひろがって呼吸が楽になる感覚があった。
次の日の朝、目覚めがこれまでになくよくて、朝からう○こモリモリ。
いままでは首の後ろを触ると血行が悪いのかひんやりとしていたのがポカポカとしている。
なぜ首コリごときがここまで全身に影響を及ぼすのかはググればいくつも見つかる。
また、胸鎖乳突筋のストレッチと併用するとさらに効果は上がるハズ。
無理は禁物だが、一日数回を何日か続けると目に見えて効果がでる人は多いと思う。
まぁ、俺の場合はたまたまこれがジャストフィットしていたというだけであって、
本当におすすめしたい。
今まで相手に対して思っていたことを書くよ!
・しかも早いんですけど
・尻にう○こついてたんですけど
・スタンプ一個で返すとかうざい
・日本語の使い方、30過ぎてるんだからいい加減ちゃんとしたら?
・あんたに甲斐甲斐しくする女たちはみんなあんたを「弟」として見てて
男としての魅力なんて全く感じてないんだよ。何勘違いしてるのかな?
・陰で色々言われてるの、気が付いてなくてほんと幸せ者だよねー。
・しかも30過ぎて派遣社員で、何の焦りも感じてないところがすごいわ
・実家から出る気ないとかも終わってるわ。お母さん、お姉ちゃん、妹と一生暮らしてれば?
そのうち大好きなお姉ちゃんも妹も嫁いでいって現実見えてくると思うよ。
・かっこつけてるその髪形、似合ってないよ。
・デブ穴開いてるところ見ちゃったよ
30過ぎて実家暮らし、シスコン、パチンカス、派遣社員とか色々終わってますからね。
付き合うまではただの実家暮らしの派遣社員くらいしかマイナス面わからなかったけどさ
付き合いが長くなればなるほど嫌いな面がたくさん見つかったよ。
私はあなたのお母さんでもなければお姉ちゃんでも妹でもないから
もう静かに離れていこうと決意しました。
そもそもLINEも既読スルーだし、もう話し合いすらしたくないだろうから。
今までありがとう。3年間返してくれ。
二年くらい前かな。朝の込み合う時間にコンビニ行ったんだわ、トイレ借りに。
そしたらさ、異様にくせーのな。くせーなーなんて思いながら女子便に向かってると男子便に行こうとしてた旦那が「うわっ!!!!」とか言い出して、「どうしたー?」って振り向くとなんか指差してるからその指の指す先を見ると、その男子トイレ、超絶狭い個室に小便器があるだけのトイレだったんだけど、そこにでかでかと溢れんばかりのう○こが鎮座してんだわ。
旦那は「よほど我慢できなかったんだろうね。」なんて笑ってたが、全然笑えねぇ掃除する奴の身にもなってやれよな。
まぁあれだろうな、かなり腹痛くてなんとかトイレまでたどり着いたのに、開けたら小便器で半泣きになったであろうウンコの主も少しかわいそうだが・・・www
よくわからんがこれは珍しいことではないの?