はてなキーワード: 鉄砲とは
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反応を見る。デマがかんたんに覆されるようならそのデマは使えないから捨てる。
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デマが覆せなかったのをランクが上の、維新とか鉄砲玉議員とかコメンテーターに話させて気に食わない相手を攻撃する。
のパターンでやってきたんだけど、本当に叩いてもボロが出ない組織だったからもう空振りの連続。
で、今度は既得権益ですか。
新しいネタを持ってこれて、デマが覆せなさそうだから総理自らのたまとして使おうとしたのだろう。
単に一般庶民は学術会議はどうでもいいと思い、研究者周りは千人計画から派生した、日本の基礎研究崩壊の話にうつって、ネトウヨ界隈だけで盛り上がってるデマに反応しなかっただけじゃないですかねぇ、、、、。
リソース配分の話は確かにあるよね。夫婦共に第一子として育ったけど、向こうは裕福で一人一人に向き合った繊細な育ち方を、こちらは貧乏で苦労があってもみんなで乗り越えよう!みたいな粗い育ち方をしてたのも関係あるかも。
ご飯の時は毎回家族揃っていただきますして分け合うのが当たり前文化だった私が、結婚後に大皿で副菜出したら、旦那は鳩が豆鉄砲食ったような顔してたなって今ふと思い出した。
私は子どもともそういう家庭を築くつもりでいたんだけど、旦那は旦那で、違う温かな家庭像があるのかもしれない(でも本音は結婚前に一緒に2人目キャピキャピしてないで本音をぶつけてほしかったよ…2人目を含んだ家族計画図だってお遊びでだけど描いてたのにさ)。
既に存在している我が子が一番なのは夫婦共に確かだし、少なくとも3〜4歳差以上とは思ってたから、我が子愛でながらもう少しゆっくり考えてみる。焦らずいきます。ありがとう。
子供が「将来なりたい自分」のために頑張るのは、とても素敵なことだと思う。だから、アイドルになるために、小中学生が研修生として芸能事務所下部組織に所属することは、悪いことではないと思う。
しかし、それに大人が群がってる様子を見ると、これは児童ポルノと言われても仕方ないなと感じる。
私がそう感じた経験は2度ある。
私は既存グループのファンなので、そのグループも出演するフェスのようなイベントに参加したところ、前座として研修生のパフォーマンスがあった。
感想を短くまとめると、「ステージは盛り上がったが、私はドン引きした」。
肉体があまりにも未完成な少女たちが、露出の高い服を着て、おじさんたちにヒューヒュー言われている。その光景を見て、パフォーマンスのクオリティを判断する前に、「これはヤバい」以上の感想が浮かばなかった。
確かに、彼女らはデビューのために場数を踏まなきゃいけないし、デビューしたらミニスカートやへそ出しくらいはよくあるアイドルの衣装だから目くじらを立てるものではない。おじさんたちも、少女たちに興奮しているのではなく、彼女たちの気分を盛り下げてはいけないと思う優しさから雄叫びを上げているのかもしれない。
しかし、ヤバイのだ。一歩引いて見ると、少女に興奮するおっさんとギリギリすぎるミニスカートを履いた少女でしかないのだ。悪意のある切り取り方をされたら、アウトな匂いしかしない。いや、悪意がなかろうが、その光景の写真を撮ってSNSに上げたら、アウト方面に炎上しそうだ。
オタクがきもいから駄目なんですか?と「俺は風呂入ってますけど」と言わんばかりに眉毛ピクピクさせたオタクに詰め寄られそうだけど、たぶんキモいから駄目です。
2度目は、男性アイドル研修生のステージだ。今回は現場ではなく、Blu-rayに収録された模様である。
シチュエーションは、1度目とほぼ同じ。既存グループのコンサートの幕間。そして、衣装は水着である。
筋肉美なんて、みじんも感じさせない細っこいからだの少年たちが、半裸で水鉄砲をもってステージを駆け回る。それにファンの女性が、キャーキャー言う。
アウトだ。あれはアウトだ。田舎の小学校の全校生徒集めたみたいなラインナップの半裸の少年たち。それにキャーキャー言う女。
さらに、少年たちは歌わないし踊らない。実はカイジの鉄骨渡りを眺める富豪みたいな人が、人身売買をしてるなら納得である。色んな角度から見てもらうためには、ステージを駆け回るしかないもんな。
せめて、パフォーマンスをすればいいのに、それすらもしない。
ただ、それらも「彼らがアイドルとして成功するためには必要なプロセスだ」と言われてしまったら、私は業界に詳しくないので閉口するしかない。
ウォシュレットで一番いやらしいボタンがある。何も「おしり」などという押すのもためらわれる無遠慮なものを挙げる必要はない。私としては慎ましく乳房の先を思わせるフォルムの「止」ボタンを推したい。
我が家の「止」も多分にもれずいやらしく、私などは生来、用を足すたび用はなくともいやらしく「止」を弄くり回したものである。
その甲斐あってか近頃など「止」の端に触れただけでその切っ先は敏感に反応し、思ったより早めにウォシュレットが止まったりする。ははぁこいつこなれてきたなと用もなく便器に座り、「おしり」を押す。そして「止」を撫で回す。
しかして敏感にウォシュレットは止まる。ということもない。虚を突かれた思いだ。少し失望し「止」を押す。強めに押す。止まらない。なんの事はない、「止」は使い過ぎで壊れていたのだ。
しかし、尻に水は当たり続ける。ぼう然と座りつくす。信号が赤なら人も車も等しく止まり、青なら進む。ウォシュレットが止まらない時はどうするのか、どこかで習った記憶はない。ああコンセントを抜けばいいのかと身体をひねる。的確に尻を狙っていた水鉄砲は便器の前の壁を濡らす。どうしろと言うのだ。理不尽を背負いながらトイレットペーパーで拭き、水を流す。
毎回止めるたびにウォシュレットの尻拭いをしなければならないのだろうか?
3Dプリンターというと、すぐ銃が作れるという話をするバカがいる。なぜなら米国で銃を作ってる連中がいるからだ。が、現実的ではない。というのもこれはかなり政治的な側面があり、理解するには何でもかんでもとりあえず銃か爆発物を作って遊ぶ習性を持つ米国人についての知識も必要だ。
米国は旧英国植民地で、独立戦争によってフランスの支援で英国軍を撃退して建国し、更に南北戦争というガチの内戦を経て革命的に成立した国家だ。誰でも知っているナポレオンの生涯と重なる時期である。『ナポレオン -獅子の時代-』などの高名な歴史書で知っている人も多いと思うがこの時代には既にバリバリに銃器が存在する。つまりアメリカは、建国の神話に銃器を含むのだ。
よって、銃(特に軍用銃)というのは米国人にとって国民国家アメリカ合衆国の建国の神器に近い存在であり、主権者たる国民が銃器を所持する権利を持つのは当然のことである。天皇が三種の神器を持つ権利があって当然ないわけがないのと同じである(主上に御謀反のない限り)。当然憲法でも権利として認められているし法律でも個人の許可不要での銃器製造・所有・使用が色々と条件付きで許可されている。そして、「憲法で定められた権利を行使しよう!」という「市民なら図書館に行こうキャンペーン」くらいの気軽さで権利向上運動として銃を作る・持つ運動がある。年中やってる「1・23絶対ゆるさない緊急行動」の同類項である。その中で使われる銃は日本に訳せば「建国の神話の追体験」の要素があり必ずしも実用的な銃とは関係がない。神社に置いてある御神体の鏡の平滑度がそんなに高くないようなものである。
そんなわけで神器としての銃を作るための3Dプリンターデータというのが存在する。これらは当然、儀式的な意味の強度しかない。俺は作ったことも見たこともないし作ろうとも思わないが、破損事例については知っている。確か1発~数発で寿命を迎えるという話だ。銃器は信頼性が第一だから、スケール的には構造模型の域だ。で、「数発で寿命を迎える」という話をすると、密造したがりは「では強度を上げるのだな。実際に樹脂活用銃器がある」と謎の反論をしてくる。これには銃器の樹脂化の歴史に関する知識が必要になる。
銃器における樹脂活用の歴史は第二次世界大戦の終了直後くらいから始まる。その頃、夢の軽量新素材「プラスチック」が工業の各分野に登場し、「航空機用アルミニウム」と並んで普及し始めたのだ。それまでは機械装置の構造部品は金属、ハンドルや外装は真鍮(きわめて密度が高く重い金属である)金属が嫌なら木か革しか選択肢がなかった。当時の銃は構造部品を鋼鉄で作り重い木の覆いを付けていた。1960年代に入るとアーマライトAR-10・AR-15、のちのコルト・モデル601、米軍呼称M16ライフルが登場し、「鉄砲は鋼鉄と木で作るものだ。アルミとプラスチックなんて信用ならねえ」と散々な評価を受けた。しかしその後AR-15/M16ライフルと権利訴訟回避バージョンのAR-18は、改良を経て、現在では米四軍のM4カービン、英軍のL85(SA80)小銃、ドイツのG36小銃、日本の89式や20式小銃を含むほぼ全ての西側歩兵銃の基礎となっている。
銃身や主要部品に鋼鉄、外装にアルミニウム、銃床に樹脂を使った小銃が一般化する一方で、次なる手として主要部品のアルミ化や樹脂化が模索された。1960年代末期になると世界初のポリマーフレーム拳銃としてHK VP70が登場してまず爆死、1970年代にはシュタイヤー社(余談だが自動車メーカーのマグナ・シュタイアの類縁である)のAUG突撃銃が登場してこちらは採用、1980年代に入ると樹脂製スコップ設計者が一念発起して設計し「プラ製拳銃」として一世を風靡したグロック17が登場して一大ブームとなる。1990年代にもなればHK G36が登場し、冷間鍛造銃身基部を鋳込んだ樹脂製フレームを採用、その後端にモールドされた樹脂製マウントに樹脂製ハンドルを横から軽くネジ止めするという気の狂った設計のせいでハンドルを掴んで振り回すとそこに統合された大して見やすくもないヘンゾルト製高性能照準器の狙点がハンドルごと滑ってどんどんズレる、という問題を起こし、誰も気づかないままドイツ連邦軍に採用され大量購入され2000年代のアフガン戦争で精鋭連邦軍人に戦死者を出してアフガンの気候のせいでプラスチックの銃が根元から腐って兵が死んだとドイツ国会で炎上もするようになる。
一見すると、この半世紀で銃器は完全に樹脂化されてしまったように見える。なぜなら実際に外装はどんどん樹脂化され時代が下れば金属部分がほとんど露出することもなくなっているからだ。ここまで読んだ読者が、樹脂というのは3Dプリンターで出力できるのではなかったか? 3Dプリンターで作れるのではないか……と思っても不思議はない。
しかし、実際にはこれらの銃器では主要部品はすべて鋼鉄で作られている。新合金アルミニウムも新素材プラスチックも、鋼鉄を置き換えることはなかったのである。外装は木材からプラスチックに変わった。筐体は鋼鉄からアルミニウムやプラスチックに変わった。しかし銃身、ボルト、各部のピン、それどころかそれらを操作する把手は良くてアルミニウム、いまだに鋼鉄も珍しくない。VP70やグロック17では、銃身とスライド(上半分だ)は鋼鉄で作られ、下半分には鋼鉄パーツを金型にセットしその上から樹脂をかける方法でインナーフレームが鋳込まれている。シュタイヤーAUGでは画期的な新機軸として内部機構の一部にプラ製カバーをかけることで潤滑の必要を減らしている。共通しているのは、圧力を支える主要部品と摺動部はまず鋼鉄で作られるということだ。アルミニウムやプラスチックは確かに使われているが、その役割は形を保つ以上の機能がない比較的柔らかい部品、人間向けの外装または潤滑剤なのだ。実際にはプラスチック製の実用銃というのは未だに作られていない。
同時に、市販の家庭用3Dプリンターが金属を出力するように進化するというのもあまり現実的ではない。樹脂は150~300度で溶けるが鉄を溶かすには1500度~が求められ、今の3Dプリンターとは原理的に異なる装置が必要となるからだ。更に、銃の銃身は鍛造、切削と熱処理を経て作られるので、その設備が必要になる。出力物を鍛造切削熱処理すればよいではないか……要求される設備は3Dプリンターそのものよりも大規模であり前提が荒唐無稽になる。工業地帯に数億円を投資して製造工場を建てれば機械装置が作れる。そんな主張は議論として価値がない。そんな資源があるなら電気自動車メーカーでも立ち上げる方がまだ理にかなう。
3Dプリンターの特色は、複雑な形状を一点だけ製作できることだ。強度や製作速度ではない。容積10cm^3程度のプラスチック製品の射出成型にかかる時間は、概ね1個あたり0.3~1秒程度であろう。3Dプリンターの場合は、累積移動距離によって変わるが45分から15時間程度である。仏師の方が速い程度だ。
では、なぜプラスチック銃、そして3Dプリンターが度々取り上げられるのだろうか? 一つには、プラスチックやアルミニウムは軽量なことが理由だ。鉄の銃は重いのである! もう一つは、最初にも述べたように、「銃を製造し、所持し、使うこと」は米国民の間では建国の神話の確認と再現という神聖な意味を持つ行為とされ、そして、その神聖さを信奉している者だけがネットに英語で記事を書き、日本のコピペブログが機械翻訳で垂れ流すからだ。別に3Dプリンターだから作れるというわけではないし、適しているわけでもない。全てはここ日本において全く関係ない話なのである。
もしこれを読んだ誰かが3Dプリンターで銃を作る話やドラマ脚本をどうしても書きたいなら「3Dプリンターなら見た目は好きにできる。だが銃身が作れないはずだ。銃身をどこで入手したんだ?」という方向にでも捻ってみてはいかがだろうか、と付け加えて筆を置きたい。
18歳で地元のS市を離れて、大学入学のため東京に移り住んでから、ちょうど18年経った。元来の要領の悪さにもかかわらず、何とか仕事も頑張ってるし、幸運に恵まれて結婚してくれる相手も見つかったし、生まれた子供ももう年長さんで毎日可愛い盛りだ。
東京の暮らしは控えめに言ってとても楽しい。他所から来た旅人の視点で見回せば、こんなにもワクワクする非日常が日常に溢れているのである。どこも混んでる事と渋滞が酷い事は当初は辟易したがすぐ慣れた。
今思えば、東日本大震災の時はまだ若かったのだ、近しい人たちの安否が確認できて、一ヶ月も経てば非日常の日常は戻って来たのだ。あんなにたくさんの命が失われたのに。
コロナ禍、こんなにも長い変調の日々、絶対的な事なんて存在しないんだって、胸の中が薄ら寒くて、氷が徐々に溶けて広がっていくようだ。これまで考えもしなかったけれど、高校でちょっとだけ付き合ったあの人は今どんな風に暮らしているのかなとか、幽遊白書のエンディングを聴き始めたり。ドイツ語がわからなくてテスト前日に泣きそうになった時のこと思い出したり。
それで、今週末は必ず、家族といつもの広い公園に行って、芝生にシートを広げて、サンドイッチを食べて青空を見上げると決めたのだ。水鉄砲を持っていって遊んでもいい。だから必ず晴れてほしいと思っている。
楠永玉秀(くすながたまひで):元居戸家家臣。ある意味で主人公。武威戦国のトリックスター。武威ノ本中の忍びから監視されている。
小鯨白姫(こくじらはくき):おほHoIおほHoIと外交をになう昇国の惣領。兵科は槍折人。
馬場阿茶局(ばばあちゃのつぼね):昇国家老。居戸家家臣団の乳母役。
桜桃みやこ(おうとうみやこ):居戸家家臣。いつも三百人役(石高一万あたり兵三百を動員)で領民に優しい。
虫愛軽路(むしめづけいじ):居戸家家臣。釣り野伏の囮役が得意。
古田三目(ふるたさんもく):居戸家家臣。佩用する臑当てが左右で異なる。
鈴木神楽(すずきかぐら):居戸家家臣。トリガーハッピーな鉄砲大将。
地弥呼(ちみこ):幌生家足軽大将。東南の風を吹かせる。春画絵芝居を嗜む。
澪生狼(みぶろ):幌生家足軽大将。トリックスターを楠永玉秀と争う。
凹田米国衛門(へこだこめくにえもん):幌生家足軽大将。兎耳形兜を着用する。
カルロス・某(かるろす):南蛮商人。楠永玉秀の乱後、幌生家の御用商人に収まる。
犬縣某(いぬあがた):楠永の家来。一説によれば一門衆とも。
蟐娥光圀(じょうがみつくに):為力家の副将軍。二名の同僚を伴って諸国を漫遊する安国寺恵瓊(武威ノ本における外交僧のこと)。飢饉に備え、領民に雑草の食べ方を知らしめる。
深紅龍(しんくりゅう):元居戸家家臣。楠永と共に出奔したが、その後は距離を置いている。
蘇祝媛(そのほぎひめ):昇国組下大名。怪力の小兵。
留守麗(るすれい):幌生家足軽大将。合戦時、床机の横に打つためのかまぼこ板を置くことから、板武将と呼ばれる。家中を強力に掌握している。
義原鰭(よしはらひれ):為力家の郎党。その胴間声は敵味方を震撼させる。
松杉衿(まつすぎえり):為力家奉公衆。火計を得意とする。
舞農庫(まいのうこ):為力家一領具足。火計を受けるのが得意。
天使香取(あまつかかとり):為力家陰陽師。「遅参つかまつった!」が口癖。
縷々美大(るるよしひろ):為力家先手大将。酒を注いだ盃に蜘蛛が落ちてきた際、鬼にその盃を干させた逸話を有する。
楠永玉秀の謀略
https://anond.hatelabo.jp/20200823175138
株兎の屈辱
https://anond.hatelabo.jp/20200825185224
梟雄、楠永玉秀には押さえがたい野心があった。武威ノ本第3位の勢力である居戸家で家臣の筆頭人になる、いや惣領である小鯨白姫すら超えて下克上を成し遂げることだ。
居戸領内には全光寺と呼ばれる宗教団体が深く根を張っていた。
信徒はもんぺ姿で自分たちを統一し、家臣を深く崇める居戸家の外交にまで口を出してきた。この武威戦国時代において勢力拡大に外交は欠かせない。多少問題のある相手でも、それを呑んで資源を交換するのも武略である。
だがしかし、極端に純化された全光寺教徒は居戸家の外交戦略に異を唱え、一揆を起こした。
これにあわてて彼らを諫めようとした居戸家の家老、馬場阿茶局は政治に疎い傾奇者ゆえ口を滑らせ「もんぺ姿の狂信者」と言い放ってしまった。失言に騒擾は拡大した。その裏には、もんぺ姿に扮していそいそと全光寺に潜入する楠永玉秀の暗躍があったという。
また楠永玉秀は家中でも讒言を行い家臣を2名ほど隠居させた疑いが後世もたれている。
居戸家の力を削いだ楠永玉秀は次いで、他の家臣の茶会の翌日、能舞台の前日に、辻説法を行い、涙ながらに自分が居戸家に尽くしながら不遇の扱いを受けており、まったく報われないことを訴えた。
領主への不信が蓄積し、全光寺勢力も意気軒昂だったところに、これは効果覿面であり、領民はたちまち真っ二つに割れた。武威ノ本各地で家政の失敗があいついでいた時流もあった。楠永玉秀は南蛮商人カルロス・某に情報を握らせ、舶来品と同時に風説を流布させた。
ここで、かねてより楠永玉秀への疑惑を強めていた桜桃みやこ、虫愛軽路、古田三目の居戸三人衆が決起、楠永玉秀と合戦に及び、宗教施設でもあった居戸家の本拠は激しく炎上した。爆発的な上昇気流に火の粉は高く舞い上がり、他家を恐れ慄かせた
楠永玉秀は得意の変装をもちいて一揆の中に何食わぬ顔で潜り込み、主家への不満を煽ることで多くの領民を味方につけた。そして内乱に荒廃する居戸家を尻目に家臣の一人を誘って出奔、民衆の判官贔屓と以前の人脈を活かして勢力を急速に拡大していった。
彼の誤算は居戸家が内乱の勢いのまま滅びず、騒乱の記憶が失われなかったことであろう。滅んだ居戸家を吸収する梟雄の目論見は頓挫した。
これは居戸家の家臣、鈴木神楽が連日にわたる鉄砲の三段撃ちで前線を支え、意気消沈していた他の家臣が復帰するまで戦線を支えていたことが大きい。
滅びなかった旧主家に対して楠永玉秀は初心の讒言を忘れず、ついでに新しく関わりをもった他の家中へも讒言を市中に振りまいた。自画自賛を交えながら。
ここに一人の剣聖が登場する。目にも留まらぬ二連続の抜刀術を得意とする彼は楠永の行状を疑い、仲間と共に調査を繰り返していた。
ある日、楠永を訪れた剣聖は得意の抜刀術を披露することになり、古着を着せられた巻き藁相手に抜いた。
「……ふぅ!」
抜刀の二撃が着物を十字に切り裂き、トドメの突きが古着の背中を突き抜けた。その切っ先には何やら札がついていた。
「呉服屋帳面屋お得意様 楠永玉秀殿 納入先土倉住所○○○ ○○○ ○○○ ○○○」
「ややっ!こ、これは……!?」
その土倉は繰り返し扇動や讒言を行う者が変装の服を着て出てくることで仲間内に注目されていた土倉であった。無数にある土倉の住所が偶然一致することは考えがたい。少なくとも楠永家中の者が謀略に関わっていることは確実であった。
剣聖は「であえであえ!」する楠永玉秀の前から血路を切り開き、市中に証拠の品を晒した。自らのしたことの大きさに改めて震えながら。
楠永玉秀は謀略への関わりを否定したものの、その理路は整然とせず、急速に求心力を失っていった。
「こんなこともあろうかと東の幌生家とはよしみを通じておる。今度は飛ぶ鳥を落とす勢いの幌生家と結ぶことで成り上がってくれるわ!」
神宮外苑火災で5歳の男の子が亡くなるという痛ましい事件が起きた。最近その事件に関して被告側が無罪を主張しているという記事を見た。
それを見て多くの人は被告側にふざけるなという反応を示した。それには同意するところもある。しかし本当に問題なのは被告側だけなのかという疑問が浮かび色々考え、1つの結論に至った。
その結論とは「白熱電球は生産禁止にすべき」というものである。
その主な理由は、白熱電球の火災リスクが、特に若い世代において広く共有されたものではなく、これからの世代ではもっと悪化すると考えられるからだ。
かつて白熱電球がシェア100%の時代には白熱電球による火災事件は多発しており、その度にテレビで報道され、そのリスクに関しては周知の事実だったと思う。当然その時代においては白熱電球は生産禁止するべきではない。包丁が殺人リスクを持っているのにも関わらず生産禁止にならないのと同じ理由だ。つまり危険リスクがあっても、全国民にそのリスクが知り渡っている場合は、問題が起きても責任はその利用者に問われるため、製品そのものに責任はないのである。
しかし今はどうだろうか。10年ほどまえから電球は白熱電球からLED電球にシフトし始め、今となっては白熱電球はまったく見なくなり、白熱電球メーカーも非常に少なくなった。LED電球はより省エネルギーで熱もあまり発生しない優れた電球である。これの普及で電球による火災が発生しなくなり、報道も減ったはずである。その過程で人々の"電球"に対するイメージは過去とはうって変わり、"別に火災など発生しない安全なもの"となっただろう。そんなLED電球メインの生活を長いこと続け、電球といえばLEDというような若い世代が白熱電球を使う場合、LED電球と同じ感覚で白熱電球を扱う人の割合はおそらく低くないと考える。昔を生きた人の感覚からしたら"電球"におがくずをかけるなんてありえないことである。しかし今の若い世代にはその感覚を持ってない人が増えているということである。さらにこれから生まれてくる世代の人々ではもっと悪化するのではないだろうか。そのような時代の流れにおいて、白熱電球はますます危険なものになるのではないかと思う。まるで拳銃を水鉄砲と同じだと思い込み人に打ったらひどい事態になった、と同じレベルの事件が増えるのである。そんな時代で白熱電球のあり方には次の2つがあると考える。
1つめは白熱電球の危険度をメーカーが積極的に啓蒙すること。2つ目は白熱電球そのものを生産禁止にすることである。どちらが現実的かと言うと私は後者だと考える。その理由は、啓蒙は痛みが必ず伴わないと効果がないからである。悲しいことだが、人は反面教師がないと同じことをしてしまう。今回の痛ましい神宮の事件で向こう数年は白熱電球の危険度は広まったと思う。しかし人々が数年後にこの事件を忘れ、またこの事件を知らないさらに若い世代が出てくる時、再び同じような事件が起きるだろう。かつて人々が白熱電球に気をつけたのは火災事件が報道されたからである。今の時代は白熱電球の流通量が少ないため火災事件は昔ほどは頻発はしないから報道は少なくなる。そうすれば危険の認知度は低くなり、再び今回のような事件が起きるとう事態になる。「危険だとは知らなかった」というレベルの事件が。
白熱電球を現在も作っているメーカーはあるだろうし、その人たちには申し訳ない気持ちは ある。しかし、彼らは今の時代で白熱電球の危険性を啓蒙する責任を果たせるかというと疑問である。今や大手のメーカーはLED電球しか生産していないため、大企業の啓蒙力は期待できない。そうなればやはり禁止するしかないと私は考える。
「や、やめっ……」
察しの通り、放たれたのは聖水だ。
主成分は水と塩で、ここに聖職者の祈りを込めることで完成するらしい。
駅前でいつも何かやってる教祖がいるんで、そいつに作ってもらおうとしたんだけど断られた。
あの教祖、「うちの宗教はそういう事やってません」とか言ってたが、じゃあ何ができるんだよ。
「一張羅なんだよ、やめてくれっ」
そんなわけで、いま使っているコレは俺の手作りだった。
気休め程度にしか思っていなかったが意外にも効いているようだ。
今まで気づかなかっただけで、俺には魔を祓う力があるのかもしれない。
俺は気を良くして、今度は米袋を聖なるイメージで放り投げる。
「これでも喰らえ!」
「マスダ、その米はバラ撒かないと意味ないよ。吸血鬼は散らばったものを数える習性があって……」
そこからは皆ガムシャラに、持ってきた撃退グッズを手当たり次第に使っていく。
「私も探したんだけど、ウチにある銀製これしかなかったのよ!」
「いででで!」
形勢は一方的だったが、ドラキュラの行動次第では簡単にひっくり返るかもしれない。
何をしてくるか分からない相手だから、そもそも何もさせない必要があった。
「弱り始めたぞ」
気の抜けない攻防が続く中、いよいよドラキュラの動きが鈍った。
やるなら今だ。
「よし、木の杭だ! ハンマーを!」
「……え?」
「え?」
木の杭を持ってきたはいいが、それを打ち付ける道具を忘れていたのである。
「……火種は?」
「他に倒す方法ないのか?」
「えーと、確か首を切り落とすと再生できないらしい」
「そんな刃物、用意できねえよ」
「ま、待ってくれ! さすがに殺される謂れはないぞ!?」
俺たちが止めを刺す方法で悩んでいると、ドラキュラが命乞いを始めた。
「それにさっきからドラキュラ……って、何か勘違いしてないか?」
「往生際が悪いぞ」
「僕たちの攻撃にあれだけ苦しんでおいて人間だなんて無理があるよ」
一理あるかもしれない。
「じゃあ、この植物を自分で食べてみてよ。そしたら話くらいは聞いてやる」
「……これトリカブトじゃないか!? そもそも、これが効くのは狼男の方だろ」
え、そうなのか。
俺はミミセンの方へ顔を向けた。
「確かに元は狼男を退ける物だけど、ついでに吸血鬼にも効いたはず。銀の銃弾とかもそうだし」
なんだか間の抜けたやりとりが続き、そのおかげで俺たちは冷静さを取り戻した。
改めて男の姿を見てみると、なんだかドラキュラって風貌じゃあない。
口から覗かせる歯は並びこそ悪いものの、「牙」といえるほど鋭くはない。