はてなキーワード: 通信制高校とは
高校2年で耐え切れなくなって退学し、通信制高校に移って卒業資格は取ったけど、その後は働くのも進学するのも嫌で、数年ニート。
心配した知人が紹介してくれた仕事に転がり込んで、数年働いて、ようやく気持ちが前向きになった20代半ばになって、社会人入試で大学進学。
遅いキャンパスライフを十分に楽しんで、改めて就職できて今に至る。
逃げてる間だって辛くない訳じゃないけれど、それでも逃げたことを後悔はしていない。
あと、この世の中には、逃げた人を助けてくれる人や助けてくれる制度・組織が、知らないだけでいっぱいある。
通信制高校で卒業資格を取るのは、普通科よりもはるかに簡単だった(裏ワザと言ってもいいくらい)し、社会人入試も受験生には申し訳ないくらい楽勝(ほとんど試験勉強などしていない)だった。
ちょっとだけプライドを曲げて身近な人にSOSを発信するだけで、意外と世界は簡単に一変することがある。
自分が弱音を吐くことで、迷惑を掛けることになるかもしれないと躊躇する気持ちはよく分かるけれど、この際、多少のワガママには目を瞑ってもらおう。
世の中、大抵の人は、本気で困っている人に泣きつかれれば、まんざらでもない感じでそれなりに助けてくれるものだ。
俺も名門の中高一貫校に潜り込めた。でも、友人がいたとはいえそんなに数は多くなかったし、部活には入っていたけれど余り馴染めないまま辞めてしまった。全然楽しくなかった。
そして最後には成績が悪くなって退学したし、自殺もしようとした。笑えるだろ?俺はあなたが憂慮している最悪の未来という訳だ。
でもどうにかなる。世の中にはドロップアウトしたってどうにかなる制度が案外あるんだぜ。大学受験したいなら高認試験を受ければ良いし、通信制高校に通えば登校なんて殆どしなくていい。
名門の中高一貫校はどこも「自由」とか「個性」とか言ってやがるけど実際金太郎飴みたいな奴ばっかだぜ。皆して名門大学行きたがるからな。その割、大学でやりたい事なんて考えずに「皆が行くから行く」で進路判断を先延ばしにしてるだけの奴だって多いし、医学部入ったのに今では胡散臭い自己啓発書書いて暮らしてる奴とか、セクハラしてキャリア崩壊した奴とか、自尊心と実力が噛み合わなくて精神崩壊した奴とか、失敗例は幾らだってある。人生って面白いねー。
話が逸れたけど、今いる場所がつらいならいくらでも受け皿はあるし、他に居心地の良いコミュニティを探せば良い。逃げたいなら逃げれば良いんだよ。自分を追い詰めて精神病にでもなったら本末転倒だ。
http://anond.hatelabo.jp/20141023160653
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653
増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメも Twitter での言及も。
せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。
数々のコメントの内容の前に。
そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分が担任の経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。
自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署で仕事をしており、次年度の分掌として学級担任を希望しているという次第。
また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である分不安も大きいが自身の教員としての力量形成・キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学を卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。
で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。
学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。
これも高校の範囲でしか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である。
例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である小中学校は、公立校には基本的に地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校は学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。
柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域の中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較的生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供の幼児教育・初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHD,LD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供の教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間で教育格差が生まれるのは必然である。
そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。
そんな中で、高校教員の自分が言うのもなんだが小中学校の教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任がほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成も高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引きの通報が入ったりする。
まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校で自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。
思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます。
コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。
まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。
以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別な教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。
単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員は必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。
特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。
甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。
自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力、関係形成能力、客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団は必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10人前後の部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用な集団に属するのが良いと思う。
http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html
記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。
通信制高校も全日制高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。
まず通信制や全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。
あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導やカウンセリング、自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。
目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である。
教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校で高校生活を送り卒業することを希望したと判断し教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。
突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強の学習だけが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全に学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることなく教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。
そうだと思ってやっています。教科指導、生活指導、進路指導、全て教員の仕事です。
結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。
まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員の経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通の学校だけでなく、工農商の実業高校、定時制や単位制高校、進学校など様々な環境の学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初の経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。
ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外、田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員はわがままを言う。都心部、通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。
またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間と仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。
※個人の感想です
教育困難校は本当に、高校生とはいえその時その時の刹那的な感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。
高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験で因数分解や三角比の問題を解くことが就職につながる。
そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分で判断し学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。
感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。
そうなると学校の経営は破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業・就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供の自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校は存在する。
繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。
皆様の生活があり自分の仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります。仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます。
ちょっと前に、話題となったコレ。
誤解を恐れずに書くなら、この人は本来は大学に行くべき人ではないのではないかな?、と。
得手不得手、分不相応…どういう表現をしてもトゲがあるな;;;
とにかく、勉強があってないんだよ、きっと!!!
今は大学に行くのが当たり前になりすぎてるというか、なんというか。
言い換えると、走るのが苦手な人もいるだろうけど、まずは、みんな人生の中で1回フルマラソンやってみようか?と言われてる感じ。
なんつーか、専門系の学部や大学以外の学部に行く人が増えすぎてると思うんだよね。
で、何になるわけ?何の仕事したいのさ?
いくら少子化とはいえ、企業としても普通のホワイトカラーはもう充分です、という感じでは?
この人がなにか士業であるとか、医師であったり教師であったりの資格が必要な何かになろうとも思ってるとも思えないし、あるいはエンジニアとかを目指してるとも思えないわけで…、運良くどっかのAOにひっかかって大学生になったとしても、4年後にまた挫折する気もするんだよね。
理系の大学生ですら就職に困る時代に、どうでもイイ大学のどうでもイイ学部卒の文系の学生なんかいるのかなぁ?
なんだろ、とにかく生きていくには「学力をつけて、大学に入るのがまず大前提です」っていうのが誤解なんじゃないかな。
だったら、今からでも、どっかの親方やら師匠のトコにでも弟子入りするなり、就職してコツコツと手に職付けるなり、ラーメン屋ででも働いて、いずれ暖簾分けしてもらってラーメンビックドリームだぜ、のがいい気もするんだよねぇ。
さらに誤解を恐れずに言うならば、明らかに勉強してなかったよね、っていう人が、地元で修行なりは大変だったにせよ仕事にきっちり就いて、それなりの…といっても相当な額の車に乗って、またその車をいじる程度の余裕があって、家を建てて、たまの休日には家族連れで郊外のモールで楽しげにしてる姿なんていくらでも見られるんだよね。
東京で何者にもなれなかった自分に悶々とした日々を送るよりずっと。
とかなんとかいう意見もしょせん学歴の無い人間から発しても負け犬の遠吠えだし、仮にそれなりの学歴のある人間から発しても、お前は学歴あるじゃんってつっこまれるし、難しいよねぇ。
が話題になっているようです。書いてあることそのものには賛成ですが、だからといって、ちきりんのいうことに意味がないとは思えません。
院卒で地方都市の高校というと、トップクラスの高校で教えてるんじゃないでしょうか?自分も理系院卒です。他の院生は高校教育に関わったとしても、トップクラスの塾・高校で教えている人間が多かったのですが、自分は、普通の高校に通えない生徒が通う通信制高校サポート校のスタッフなどをしていました。現在は文系・理系ともにある中堅総合大学で教員をしながら、研究プロジェクトで高校教育の現場にも顔を出しています(ただし、教育そのものは専門ではありません)。偏差値で言うと学部によって50を超えるところと下回るところがある程度です。その世代の高校卒業者の平均に近いのではないかと思います。
その立場から言わせてもらうと、「ちきりんの言っていることには、たしかに間違いが含まれていて、突っ込みたくなる気持ちは分かるが、全体としてはちきりんに賛成」です。
今の高校の理科教育ははっきり言って機能していなません。大学の理系の授業で、必須科目、「理科総合A」の内容を前提にすることはできません。中学理科もかなり微妙ですが、キーワードくらいなら覚えていることが多いです。授業なんか聞いてないか、聞いていても覚えていない。自分は高校の教育課程を把握しているので「この内容は、高校の必須なんだけど、覚えているかな?」などと良く振るのですが、「え?なにそれ、名前すら覚えていない」という反応が多いです。彼らは、教えれば少なくともその場では理解できて、小テストに正しい答えを書く程度の理解力を持っているし、受験で使った科目や、中学理科の内容であれば、覚えていることが多いです。だけど、高校の授業について全く覚えていない。おそらく聞いていないか、かりに聞いていたとしても、小学校・中学校の理科の比べてずっと定着率が低いようなのです。
「技術立国のために科学教育が大事」とかいうけど、あたしにいくら科学教育を与えても、技術立国には一歩たりとも近づきません。
ただし、理科教育といっても、物理と生物は大きく違うし、物理の中の分野でも「この分野は得意だけど、他は興味ない」という人もいるだろうから、「生物だけは特進クラスで学ぶ」みたいに細かく分野で分ければいいと思います。
そういう現状から言うと、ちきりんの上の意見には賛成するしかありません。たしかに、そうではない「理想の理科教育」を語るの自由です。でも、文句あるなら、そうじゃないような理科教育を実現してから言えよ。現状の理科教育では、ちきりんの言うことを受け入れるしかないじゃん。っていうのが、自分の意見です。
残りの 7割の人には、今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしいです。
そこで批判されていた上の部分ですが。たしかに、批判する意見ももっともで、それに対しては何一つ再反論するつもりはありません。つまり、「生活するために必要な科学知識」と理論教育は矛盾するものではないという反論には全面的に賛成です。何より、自分が大学でやっている授業の大部分(1、2年次の基礎教育に関係するもの)は、まさに、「生活するために必要な科学知識」としての理論科学を教えるものであり、自分もそれを実践しているという自負があります。
でも、ちきりんの上の文章にはものすごくうなずいてしまいます。命題としての正しさとは関係なく、「そのように多くの人が考えてしまうような現状がある」と思うからです。
自分の授業では、しゃべっていて、反応が悪いと、その場で別の資料を出してきて、良い反応が返ってくるまで、同じ内容を繰り返し説明し続けます。カリキュラムを大幅に変更することも珍しくありません。それこそ、ちきりんが例に出したような日常の話、ニュース、芸能・・・話の引き出しをいろいろ引き出しとして持っていて、興味をもたせられるように話すわけです。ライブパフォーマンスとして授業をするように心がけています。だけど、自分が学生のときの感覚で言うと、きちんと学生の反応を見ている先生とそうじゃない先生は半々くらいかなというきがします。そして、多くの人は同意してくれると思いますが、実際問題大部分の授業は受ける側に立ってみるとつまらないです。自分だっていろいろ努力はしていますが、つまらないと思っている学生もいると思います。
科学教育に関して言うと、「聞き手の興味を持たせる」ことは、「生活するために必要な科学知識」を教えることとかなり一致します。しかし、これは一筋縄ではいかない難しいことだし、今の日本の教員には、これが得意ではない人間が多いというのは、紛うことがなき現実ではないかと思います。この現状で、
って言うのは当然の反応です。
自分はこれとほぼ同じことを塾の生徒、高校の生徒、大学の学生・・・に何度も言われました。なので、これはちきりんの特殊な意見として見るのではなく、学生・生徒たちの率直な意見として受け止めてほしいというのが、科学教育に携わってきた自分からの切実なお願いします。
もちろん、だからといって、「今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)」を教える必要はありません。今教えている内容を、「生活するために必要な科学知識」でもあることを強調するする形に変えるべきということです。これは、科学教育に携わる人間が常に取り組んでいかないといけない課題です。そして、これは今まで自分が教員としてやってきたことだし、ちきりんに対して反論していたバッタさんの意見とも一致すると思います。
他の人も言っていましたが、自分はちきりんの意見とそれに対する反論を見ていて、「これはないな」と思いました。議論が噛み合っていない。ブログに書いたことに、論理上の粗があるのは当然です。そういったことについては、作者にメールするなり、コメントするなり、あるいは別エントリーを立てるなりして、ブラッシュアップしていけば良いことです。こういうのは、普通の社会人、あるいは研究者なら普段、仕事上行っていることと同じだと思います。でも、ネットだと「議論をより良いものにするために意見を言う」ということができない人が多い。
科学を愛する者、科学に生涯を捧げた者が古今東西多数いることを知らないわけでもなかろうに、科学に対する冒涜と取られかねないような表現を用いるのは、売文屋、自己啓発屋として作戦ミスだと思います。いわゆる「炎上商法」「釣り」のつもりなのかも知れませんが。
アクセスを稼ぐためなのか、小さな問題でも、相手の議論の全部を否定したり、場合によっては、人格まで否定するようなことを書く人が多いです。そして、そのために、ネット上の議論の多くが、無駄なものになってしまっていることは、大変残念なことだと思います。
「また、あいつか、叩いてやろう」と思ってエントリーを書いたときは、「もしかして、このエントリーがネットの言論空間をダメにしているかもしれない」ということに想像力を働かせてもらえると幸いです。
正直に言うと、現在の僕の学力は高等学校普通科に換算すると1年の1学期ほどまでの学力しかない。いや、3年間ほったらかしにしていたからそれからさらに落ち、中学校程度しかないのではなかろうか。(参考程度に12月に受けた河合模試の結果を書いておくと、国英社平均して偏差値30台後半だった。)
確かに通信制の学校で、何も勉強せずに大学に通った例は、たとえば芸能人とか、ゴルフなどで優勝したとか、ケン玉で日本一になったとか「特筆すべき何か」を持ってる人ばかりだった。
いや、そんなことはありません。通信制高校の「特筆すべき何か」など持ち合わせない学生もたくさん受かっています。
いや、そんなはずはありません。もし本当にそうなら、少なくない大学が合格を出しているはずです。全滅したのなら、それはえり好みして知名度のある大学だけに絞ったのでしょう。
率直に言えば、これだけの文章を書ける人が偏差値37前後というのは信じられません。
そのランクの人たちは、そもそも活字を読み取れないのが普通で、キーボードを叩いて増田に書き込むという作業も非常に困難なことは珍しくありません。私の経験では、これだけの文章を書ける人は、国語は軽く偏差値50を超える成績を取るはずです。(偏差値50より上はよく分かりません。普段見ている人たちはほぼ全員偏差値45以下なので。)
日本橋学館大学を「ネタ」と書くほどの学歴志向があるのですから、ウチの学校にも来ないでしょうけど、できれば来てくれたらいいのになあ。一発合格ですよ!
慇懃無礼というか、丁寧な言葉の中にもところどころ他者を見下すような(人を人とも思わないような)不快な表現と、微妙に自慢するような自尊心の高さも垣間見えて、なるほど、こりゃいじめられるわと思いました。
つーか今からどこかでアルバイトなりどこかの集団に所属するなりしても多分いじめられるだろうなあと思います。だってすげー嫌なヤツって感じがするもん。
あと、「小学校のテストは授業をボンヤリ聞いてるだけで100点に近い点数が取れてた」って書いてるのに、「小学校から不登校を繰り返してた」とも書いてるけどおかしくね?
不登校繰り返してたのなら授業受けてないでしょ。話が矛盾してるじゃん。
小学校の頃は不登校でも適当に勉強してるだけでテストの点は取れてたってのならまだ分かるけどさ。
それに中学校で成績落ちたとか言ってるけど、中学程度の勉強だったら別に授業受けなくても家で勉強してればいい成績取れるでしょ。不登校だから成績落ちたってただの言い訳じゃん。内申書が悪くていい学校行けませんでしたなら分かるけど、成績が悪かったのはただ単にあなたが勉強するのをサボってたからでしょう。
高校だって同じだよ。いくら学校できちんと授業が行われてなくたって、いくらでも家で勉強できるでしょ。
それに通信制高校だってあるし、高卒認定(旧大検)取るって選択肢だってあったでしょ。なんで学校とか周りのせいにしてるわけ?勉強しなかったのもそのせいで馬鹿なのも全部自分が怠惰だったからでしょう。
28歳で職歴なしのヒキニートでどうすればいいでしょうって、はっきりいってどうしようもないですよ。実家が裕福ならともかく、そうでもなく、勉強する習慣もなく、怠惰な人間が今から人生のリカバリーするなんて99%無理です。
正社員待遇の職に就くことはほぼ不可能でしょうし、アルバイトで独り立ちして一生食っていくこともまず無理でしょう。あなたの人生は積んでますよ。
親が死んだら生活保護コースでしょうね。
今後何をすればいいのでしょうって、息を吸って吐いて、今までどおりそのまま生きてりゃいいんじゃないですか。
繰り返すけど、今から独り立ちするのはほぼ100%不可能ですよ。それくらい分かるでしょ。あとは好きに生きたら?
時の流れというのは早いもので、2013年ももう5ヶ月過ぎた。
いつもこの時期になると聞こえてくる言葉の一つに「5月病」というものがある。意味は知っている方も多いと思われるが、簡単に説明すると意気揚々と4月に飛び込んだ新しい環境に馴染めず鬱状態になったり「本当に今のままでいいのだろうか」とやけに軽く焦ってきたり(これはもしかして僕だけだったのだろうか)する精神状態のことを言うらしい。
何分僕もその頃、まだ若いというのに人生の意義や今後の進路について過剰に煩悶していた張本人であった。当時、高校1年生の頃だった。そして、なんと勝手に地方から東京に出、結果的に約3年間を無駄と化してしまったのである。
これから僕が書くのは「懺悔」の文だ。と同時に、今頃僕と同じ、正確には3年前のあの頃の僕と同じ精神状態に陥っている高校生(もしかしたら中学生も含むかもしれない)への、ちょっとした戒めの文でもある。稚拙ながら、その点ご容赦願いたい。
先に言っておくと、僕は現在とある地方の予備校生だ。まあ、タイトルからして分かるだろう。全くといっていいほど勉強していなかったから、大学なんて受かるはずもなかった。
ここまで書くと、「なんだ、予備校生なんて日本に何万人といるよ」と思われるかもしれないが、そういう類ですらない。学校でも全く勉強という勉強はしなかった、授業すらあってないようなものだったのである。
正直に言うと、現在の僕の学力は高等学校普通科に換算すると1年の1学期ほどまでの学力しかない。いや、3年間ほったらかしにしていたからそれからさらに落ち、中学校程度しかないのではなかろうか。(参考程度に12月に受けた河合模試の結果を書いておくと、国英社平均して偏差値30台後半だった。)
はい、全くもってその通り。が、気づくのが遅すぎた。
ただ単にさぼっていたというわけなのだが、学校で寝たりしていたのではない。むしろそれ以下だった。学校という学校に通ってすらいなかったのだ。あの頃の僕は本気で「勉強よりも今やるべきことがあるはずだ」と思っていたのである。「学生」なのに。
というわけで論より証拠、僕のこの3年間の動きについて、書き綴ってみようと思う。まさかこの年で自分の行いを振り返る事があるとは思わなかった。しかし、これもあの頃の僕のように著しい思い違いをしている高校生を一人でも思いとどまらせるためのものだ。
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今となっては途方もなく堕ちた僕だが、小、中とまでは何処にでもいる学生だった。高校もまずまずの進学校、といっても地方なのでその高校の偏差値も50台半ばだが、とまれ当時の僕はそれぐらいの学力はあったのである。
しかし、その僕に変貌が訪れてしまうきっかけとなる出来事が3年前、高校1年生の今頃に起こってしまう。
僕は丁度、テレビを見ていた。すると、僕と同じ高校生なのに、学校とは別に団体を作ってボランティア活動に従事したり、あるいはビジネスで大人の人と渡り合い、あるいは海外で外国の経営者や政治家と直接話し合っている高校生が特集されていた。いわゆる「意識の高い学生」である。
今ではどうやらこの言葉は大学生を主として使われているらしいが、僕の場合この意識の高い高校生を見て衝撃を受けたのである。そして、「これこそ今僕がやるべきことだ」と「気づいて」しまったのであった。
その頃の僕は大多数の同世代の例に漏れず、思春期特有の将来に対する漠然とした不安というものがあった。皆さんも「このまま何となく大学を出て、何となく会社に入って・・・というつまらない人生でいいのだろうか」と、自分の進路に悩んだ方、悩んでいる方も多いのではないだろうか。こういうのは本来時間の経過とともに治まっていくものだが、僕の場合、変にこだわりが強いせいかそれはもう延々と悩み続けた。そこに前出のスーパー高校生の登場である。
もちろん、一地方の田舎でそんな活動ができるわけはない。特集されていた高校生も、みな東京の学生だ。元々上京意識が高かった事もあったが、彼等を見てついに僕も上京を決心する。
早速両親に上京を掛けあってみたのだが、勿論のごとく変えてくるのはありきたりの言葉だった。
「なんで今なんだ」「大学出てからにしろ」「そんなこと考えてる暇があるなら勉強しろ」「その高校生は特別なんだ」「そもそも具体的に何するの?」
今となっては、実にあたり前のことだった。しかし、僕は知っていた。いや、知ってしまっていた。世の中の偉人と言われる人は皆、周囲の反対を押し切った人が成功しているのだと。
繰り返しになってしまうのだが、あの頃の僕は本当に前しか見ておらず、成功者の自伝などを読みまくり、その結果としてこれはある経営者の高校生時の状況と瓜2つだということを感じ取ってしまった。SoftBankの孫正義である。彼も高校生時代に、周囲の反対を押し切りアメリカへ行ったのだ。アメリカと東京という違いはあれど、まさしく今の僕と同じ状況ではないか。
・・・その頃の僕は気づいていなかった。1人の「成功者」と呼ばれる人物の裏では、何百人という人々が涙を飲んでいるという事実に・・・
かくして僕は、とうとう貯めていた貯金の全てを使い切り、抗議の意志を示すかのごとく断りなく一人単身で東京に行ってしまったのである。安い旅館に何日も泊まり、東京行きを正式に認めてもらうまで家には帰らないと突っぱねた。その頃、季節はもう夏になっていた。
そしてついに両親は根負けし、東京行きを認めることになった。マンションの一部屋を借り、学校にも転入届を出すことになる。
ここに、間違いがあった。転入先の高校を通信制高校にしてしまったのである。池袋駅東口をでて大通りを歩くとビルの上にでかでかと緑の看板があるあそこだ。前にも書いたが、勉強なんてそっちのけでやるべきことがある(が、はっきりとはしてなかったし結局しなかった)というのが僕の持論だったのだ。根拠のない自信である。「ただ単に勉強にあくせくするだけの高校生活では後悔する。それよりもむしろ高校生という立場を利用して、社会的にコミットしていくべきではないか」と。勿論、学習塾の類にも通わなかった。
・・・いや、「学生」の意味わかってるか?と今になって突っ込んでも、もう遅いのだ。
さて、東京に来た秋から卒業してから連れ戻される今年3月までは、すべてを語るともう読むだけで日が暮れてしまうだろうから、かいつまんでだけ説明する。
まず、多くの本を読んだ。上京する前から本は読んでいた方なのだが、上京してからは大型書店がたくさんあったこともあり、大量に購入してむさぼり読んだ。内容としては社会問題(震災、ボランティア等)や政治経済、自己啓発書、著名な経営者が書いた本などが主であった。
次に、自由に使える時間を利用して、様々な講演会に出かけた。これは東京でだからこそ出来る代物であろう。政治家、各省庁の役員、NPO団体の代表、大学教授や評論家、新聞記者さんなどが開催する講演会やシンポジウムである。僕は前もって作った名刺(といっても名前と電話番号、メールアドレスしか描いてない素朴なものだった)を持って行き、終了後に社会人に混じって名刺交換に励んだ。「学生です」と言うと「こんな若いのに立派だねえ!」と返してくれる。それが嬉しかったのか、どんどんと基本的に社会人向けの講演やシンポに出席するようになった。周りがスーツだらけの中1人洋服だとしても、全くお構いなしだった。
他にも参宮橋近くにあるいわゆる意識の高い人達がいっぱい集まる某センターに何度も紛れ込み、迷惑になるので名前は明かせないが様々な団体と交流したり付属の宿泊施設に泊まったりすることもあった。
その他にも興味のある大学の授業にひっそりと出席したりと、まあ思いついたことをそのままやってみせた。
ここまで聞いて、「何だ、結構すごい事やってんじゃん」と思った方もいるかもしれない。
確かに、当時僕が交流していた学生にはテレビや雑誌で紹介された経験もあるようなすごい人もたくさんいた。が、彼等意識の高い学生と、僕とが全然違うファクターが1つだけあったのである。
それが、「学力」だ。
僕は、一般の高校生が学校に行き、その後学習塾に行き、ヘトヘトになって帰宅して更に課題に追われているその間に、好きなまましてきただけのことだった。先述した他の学生は学校に行った上で、その他の活動もしていたのだ。この時点で差は明白だったのだが、これも今だから言えることである。
とは言え、当時の僕がいかに学力で劣っているかは、当時の僕自身も知っていたことではあった。
3年生になった。そろそろ進学先を決めねばならない。しかし、学力は無い。じゃあどうするか。
学力の無い僕にとっては大学に行く手段としては自己推薦・AOしかないわけで、実は上京した当初からそれを狙っていた。そのためにこれまでたくさんの一般高校生とは違う活動をしてきたんだ。この経験は大きいだろう・・・
とまれ、そのためには小論文や自己推薦書の練習をしなければならない。偶然にもイベントで何度も同席していたとある都立高校生が、論文対策にこれまでも同試験で多数の大学に合格者を出しているW塾を教えてくれた。
が、ここに相談に行った時に、僕のこれまでの一連の楽観的考えを一気に叩き潰される出来事が起こるのである。
推薦対策のコース説明を聞き終わり、帰宅前にアンケートを書いていた時の事だった。
「あ、〇〇高校さんなんですか。」
「ええ、そうです。」
「あの、確かそこって通信制高校でしたよね。」
「はい、そうですが。」
「・・・言いにくいことですが、通信だと推薦やAOは難しいですよ。」
考えてみれば確かにおかしな話である。「今までの画一的な学力入試にとらわれない多面性を重視した新しい入試方式(うろ覚え)」なのに、どうしてそんな差別があるのか。
そこから先は、今まで何度かこの文章の中で自分自身でつっこんできたことそのままだった。手短くまとめると、背伸びをする前に学生としての本分を果たせとのことだ。反論できなかった。呆然とするしかなかった。
しかし、今まで普通科以外の高校から合格した人もたくさんいるのではないか。苦し紛れに反論した僕に、更なる追い討ちをかける。
「何か、これだけは日本一だと誇れるものはあるか?」「何かの大会で優勝したり入賞したことはあるか?」「テレビか、ニュースで報道されたことがあるか?」「まあそうじゃなくても、せめて何かの団体を率いたり、主催をしたことがあるか?」「そもそも、東京に来た目的ははっきりしたか?」
・・・今考えると、最後は「それをはっきりさせるためにここに説明を聞きに来たんでしょ!」と反論できなくも無かったかもしれないが、その他の部分ではもはや撃沈であった。
どう帰ったかは、よく覚えていない。こんなにはっきり言われたのは、初めてだったのだ。確かに通信制の学校で、何も勉強せずに大学に通った例は、たとえば芸能人とか、ゴルフなどで優勝したとか、ケン玉で日本一になったとか「特筆すべき何か」を持ってる人ばかりだった。
だが、一般高校の場合はまた違ってくるだろう。僕も今まで、さまざまなW塾出身の合格者に出会ってきた。しかし、その人もたいてい何らかの(小さいながらも)組織の代表を務め、さらに将来に対する明確な目標や問題意識を持っていた。
冷静になって考えてみると、通信云々という前にこの時点でアウトだったのかもしれない。僕は「東京に一大決心をして来る」ということを「目的」としてしまったのだ。その後にやってきたのは皆、講演会にしてもイベントにしてもシンポジウムにしても、ほかの誰かが開催したものにただ参加したというだけ(しかもお金まで払って)の、単なる「客」だったということだ。はっきり言って「受動的」。これではダメだ。
誰が、こんな人を入学させるのだろうか。
しかも僕の場合はさらにひどく、このような活動をしていないほかの高校生を見下してさえいたのである。先述したとおり、「学生」の本分を完璧に忘却していた。当時僕が「見下していた」多くの学生は、今頃大学で楽しい生活を送っているのだろう。対して僕は予備校詰めだ。これはある種の罰なのだろうか。
話がそれた。
W塾での出来事は相当こたえたが、だからといってあきらめるわけにもいかない。これで受からなければ、とても大学には進めないのだ。僕はありとあらゆる大学の資料を取り寄せ、自己推薦書や小論文を書き出願した。やみくもに書いたわけではない。このころになると都内の有名どころの大型書店の地図は全て頭の中に入っていたから、何店舗か回って関連書籍を買い漁った。文の書き方から何まで丁寧に指導してくれていた本もあり、それも参考にしながら今までやってきたことや思ってきたことを全て提出用紙に書きなぐった。何が「お前じゃ難しい」だ。今に見ていろ。何校も受かって、鼻を明かしてやるからな。
帰ってくる不合格通知の山。僕は、目の前が真っ暗になった。今までやってきたことは何だったんだ。
伊達にW塾は毎年何十人も推薦合格者を出してきたのではなかったのである。
しかも、出願前に必要事項を記入していてわかったことなのだが、大学側が求めた記入事項にも、それを裏付ける所があった。人間性のみを見るはずなのに、通っている高校が「普通・定時・通信」のどれなのかを記入しなければいけなかったのだから。
久しぶりのスクーリング日。担任の先生に言われた。「そろそろセンターの準備はできてる?」
もう、2012年も残すところ1ヶ月だった。
12月、僕は初めてセンター模試というものを受けてみた。といっても、これは今年のセンター模試の最終回だったらしいが。
結果は、始めの方に書いたとおりだ。センターまであと1ヶ月ちょっと、このままの成績で大学に受かるなど、ドラゴン桜のカリスマ先生が今一堂に会しても不可能だろう。そもそも、勉強の習慣さえついてない。
もちろん、模試の時書いた志望校の合格可能性欄は軒並みEだった。・・・いや、1つだけA判定があったな。ちょっと前に2ちゃんねるで騒がれていて、ネタのつもりで書いたBF校、日本橋学館大学。進学させてくれなかったけど。
卒業式には、行かなかった。
よく覚えていないが、このころは全ての夢が潰えたショックで、ただひたすらに家でぼーっとしていたような気がする。
―――Check mate―――
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
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とりあえずドメインをいくつか。
http://www.taiken.ac.jp/ 本家
http://www.nihonwellness.jp 日本ウェルネススポーツ大学(体育大学)
http://www.taikenku.edu 日本ウェルネススポーツ専門学校
http://www.petandanimal.jp 日本ペット&アニマル専門学校
http://www.hiroshimawellness.jp 広島
http://www.nagoyawellness.net 名古屋
http://www.wellness-matsumoto.net 通信制高校 日本ウェルネス高等学校
http://www.wellness-school.com タイケン国際学園
学校法人が.comを取得というのがあやしい。サブドメイン運用すらしないで多数のドメインを取得運営するのは、ある種のSEO対策でしょうか?
http://pembrokepress.com/
http://pelhamprint.com/
http://peckstore.com/
http://penninck-landtheer.com/
http://peekalive.com/
関連ページへのリンクこそ張ってはいないものの、HTMLソースがとても似てる。これは他の検索結果を隠す目的なのだろうか。内容もコピペっぽいし、スパムと思われるよね。
成績は下の上くらいの私が通信制高校に進学して大学(できれば国立)に進もうというのは甘いのか 甘いよなあ
今の自分の成績、内申で行ける範囲の高校から国立大学に行くのは厳しい
そりゃ、推薦使えば地元の国立大学を狙うことはできるけども それだけはしたくない
まあ途中でどこかの全日制高校に編入してもいいんだけど
ぐだぐだ言ったって とりあえず卒業したら通信制高校行くしかないし 勉強するしかないんだけど
ねえ
通信で国立(東大京大レベルではない)目指すだけの3年間っていうのは なんだか薄いかなあ
バイトとか、何かやってもいいんだけど しっかりと目的をもってできるもの
どーせ家にいてぐだぐだしてるなら
進路だけでなくそういうことも考えておけばよかった
ああ
後悔したってしゃあないけどもね
何かやりたいことは
とりあえずは資格かな 今は英検も漢検も持っていないから何か取っておかないとな
他なにかあるかな
才覚はあるだろう。
でも、通信制高校に入って、簿記関係を一芸で取ってるから、これから大変なんじゃないかね?
観察眼とか、判断力、交渉力なんかも必要になってくるだろうし。
場数踏んだ時にどれだけ吸収できるかだと思われ。
不登校→ひきこもり→通信制高校→国立大学→就職となんとか持ち直せた私だけど、
不登校、ひきこもり期間の精神状態はひどいものだったし、私よりさらに母の方が酷かった。
小学生の時に割と出来が良かったので、その自慢の娘がひきこもったことが尋常じゃなくショックだったらしい。
そのショックを父と共有しようとしても父は人の話を聞くことができない人間なので、
母は教育相談機関を利用し、心療内科に通い、近所の人にも私のことをべらべらと喋った。
そこで母が相談相手たちから引き出してきたコメントが「女の子だからまだ良かった」。
「男の子で引きこもったら家庭内暴力に走る」「男の子は一度折れると立ち直りが厳しい」
「抑圧された男の子はきょうだいへの性的虐待の加害者になる可能性がある」
実際にそういう傾向はあるらしいけど、母がとりつかれたように「女の子で良かった」と言うのは不気味だった。
24歳女。
進学高校入学後すぐ理由不明の神経症発病。
人生最大の苦しみから、3年時に高校を中退したことでとりあえず逃げ出せた。
通信制高校で単位取得し卒業。しかしかなりのショックとその後続く自責の念。
一度目の引きこもり。
病気の症状はだいぶ軽くなった。人生うまくいくと確信していた。
自分に自信いっぱいだった。
楽しい日々。蘇った私。
しかしそれは長く続かなかった。
気がつけば高校時代の同級生は皆大学卒業し有名企業に就職・・・私は猛烈に焦る。
資格の本、専門学校の本、大学の本、留学の本など読みあさった。
あーでもないこーでもない。私はどうすればいいんだ!
焦り→超前向き、自責→超後ろ向き、この二つの巨大なパワーが交互に私を混乱させた。
「よーし頑張ればできないことない。今までの分取り返すぞ!」「もう死んだほうがいいんだ。どうにでもなれ。」
行き詰った。
そんな中私は何を思ったか半分ヤケで突然今年の3月一人東京に出た。
私は履歴書で1つ目の高校を卒業したと書いていた。ずっとそうしていた。
母親が倒れたと嘘をつき入社を取りやめた。
その反動で再び引きこもって3ヶ月。
東京で一人。
昼夜逆転だらだら生活。
再び「焦り」と「死」。
わたしはどうなるのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20090802233508
頑張ってるね。すごいと思う。
私は、両親健在、きょうだいもいるけど、まあ、両親が機能していないのでw
でも大学行きたい気持ちは変わらなかったので、通信制高校に編入して・・・とかまぁ色々あって、
結局夜間の大学に通った。学費半額!やすいやすい
最近は夜間大学減ってきてるし分野によっては全然ないので参考にならないかも知れないけど。
高校もそうだけど、大学は奨学金の種類がいっぱいあるよ。お父さんの収入がすんごいならまた別だけど。
今までの選択は間違ってないと思う。よく頑張ってきたね。
このままの状態を維持できるならいいと思うけど。
私も、フツーの家族をみると、いいなぁって思う。
両親そろってるはずなのになー、なんでだろう??って思う。
けど、しょーがないのよね。
ともに生き抜こう!
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1259384.html
橋下知事が私学助成金を打ち切った話。確かに、高校生にも、公立に行かず、安易に私学に行った責任はある。ただ、論点は、あくまで、「私学助成金」を削減するのが妥当かどうか、どうしても削減しなければやっていけないのであれば、どうやったら公平に削減できるか、というところにあるわけでしょ。論点が思いっきりずれまくっている。弁護士で、弁論のプロである橋下知事が、ずれていることに気づいていないはずがない。たぶん、ずれていることを分かってやっているのだろう。それって、ボクサーが一般人殴って遊んでいるのと同じじゃね?
確かに、彼らが高校に進学するときに、公立に行けばよかったのかもしれない。でも、中学の先生に「私立に行くしかしかない」っていわれたんでしょ。本当はそんなことないはずだよね。通信制高校とか、高卒認定試験とか、色々オプションがあるはずだよね。中学の先生が、そういうオプションを知らないはずがない。それらを知っておきながら、中学生に「市立しかない」って言ったのは、(私立高校でも、お金のことについては何とかなるだろう)っていう推測があったからでしょ。私学助成が削減されるかも、みたいな情報を流さないで、中学の先生に(何とかなるだろう)と判断させたのは、府の責任でしょ。それに、府立中学に通っていたら、府の先生が学生に間違った流したことの責任はどこにあるわけ?
だから、この話は、極論を言ってしまえば、「絶対大丈夫です」って言って買わせた株が吹っ飛んだ、というような、そういう類の話なんだよ。私学助成金を削減するにしても、「私学助成金が削減されるので、経済的困難のある学生の指導を再考してください」みたいな通知を、中学校向けに前から出しておけば、間違って私学に進む高校生はいなかったかもしれないじゃないか。
それに、私学助成金を削減することと、学生の負担が増加することは、本来別問題のはず。高校は、基本的に、入学時に提示した条件で3年間通えなかったらまずいだろ。学科の再編や統廃合の激しい大学でさえ、入学時の要綱と同じ条件で4年間過ごさせるのに。せめて、高校向けに、「今の学生が不利になることのないようお願いいたします」ぐらいの通知は出したらどうだ。
本来なら、「皆様の苦しみはよく分かった。ただ、大阪府の財政も逼迫していて、何度も考えたが、やはり、これしか方法がなかった。学生の負担が増加しないように善処してみる。」ぐらいのことを言うべきでしょ。何を言うべきかは、弁護士なら分かるはずだよ。プロなんだから。何、学生相手にムキになって、「公立に行かなかったのが悪い」だの、「自己責任だ」だの言ってんの?高校中退者がたくさん出て、就職できないまま、生活保護で大阪に居座られたら困るのは大阪だよ。生活保護は国からお金が出るから、大阪府は出さなくてよくてラッキー、とか思っているのか?それは、あまりにも近視眼的な見方だと思うけど。
弁論のプロが、高校生相手に、自己責任論を主張してボコボコにして、してやったりという顔をする。それって、詐欺師が高校生相手に詐欺を働いて「だまされたのが悪い」とか、ボクサーが高校生をぶん殴って、「鍛えていれば避けられたはずだ」とかいうのと、どうレベルだと思います。