はてなキーワード: 排他的とは
Wikipediaにもちゃんと載ってるヒョーゴスラビアについて理解している人が少なすぎる
五国はちょっと大げさだけれど、実際に神戸と明石では全然雰囲気が違うし姫路まで行くと通じない方言も出てくる
加えて淡路島や中部の農村地域、北部の豊岡は違う県と言っても過言ではないレベルで文化が違う
兵庫県を語るならこのヒョーゴスラビア状態はちゃんと前提として理解しておかないといけない
そしてこのヒョーゴスラビアのほぼ全域から支持されたのが今回の知事選で
立花が暗躍したり練り歩いてたのは三宮という非常に小さな一部の地域だけ
票数的には南部の都市部が支配的なので当選結果に影響した事実はあるだろうけれど
特に中部から北部にかけては過疎化が進んでいてネットの使用率も低く
ポスターが貼られてはいたけれど、あんな怪文書を読んで信用するほどアホな人はいない
立花もこのヒョーゴスラビアを分かっていなくて22市長に刺客を送るとかバカなことを言っているが絶対に勝てない
それぐらい神戸エリア以外の支持者は地元との密着度合いが高くて悪く言えば排他的な地域
そんなヒョーゴスラビアの知事選は、大半の県民にとって別にどうでもいいというのが実体
市長は非常に大事だが知事なんて神戸にいる人なので別に誰だろうがどうでもいい
機械翻訳より。
https://nationalpost.com/opinion/michael-higgins-the-rise-of-the-terfs-secured-trumps-victory
その答えは、一貫して女性の権利を軽視してきた意識の高い政策に対する反発なのかもしれない。生物学的な男性が女性と競い合ったり、生物学的な男性が更衣室や安全な場所、さらには刑務所にいるのを見たりして、女性たちが怒るのは当然だ。
もし女性に対する戦争があるとすれば、それは女性の権利を目覚め主義の神聖な祭壇の上で犠牲にする覚悟のある進歩主義左派によって起こされているのだ。
共和党はこれを正しく利用した。
トランプ大統領のハリス氏に対する最も注目を集めた攻撃広告の一つは、「カマラ氏の目的は彼らであって、あなたではない」という言葉で終わっている。
それはシンプルだが効果的で、文化戦争を浮き彫りにし、各党の立場を明確に描写していた。
世界中で女性参政権の獲得は長く、困難で、しばしば死を伴ってきました。アメリカとカナダで女性に参政権が与えられてから、わずか 100 年しか経っていません。
しかし、わずか数年の間に、女性たちが当然だと思っていた権利や保護の多くが剥奪されてしまった。進歩的な意識改革政策の矢面に立たされているのは女性たちなのだ。
ジャスティン・トルドーがアメリカの選挙から学べる教訓はいくつかある。しかし、おそらく最大の教訓は、実際に女性の権利のために立ち上がらない限り、自分をフェミニストと名乗っても何の意味もないということだ。
TERF(トランス排他的急進的フェミニスト)はかつては侮辱の言葉だった。今では、目覚めた政治にうんざりし、二級市民であることにうんざりした女性たちが身に着ける名誉のバッジとなっている。
「ガイジ排除」は常に健常者(いつメンの言うリベラル)にとっての正義だった事をもう忘れたのか?
前の戦争でこの国に武器を持っていない民間人の頭上に原爆を2つ落としたのは誰だったのか、もう忘れたのか??
大規模に膨れ上がった調子に乗ってるガイジ達は実力行使で排除してきたのがこの世界の健常者達なんだよ
その中で身の程を知ってる奴は保護対象として末席に加えてきただけ
動物に対する接し方と同じ
これが連中の言う「多様性」なんだよ
ガイジが勘違いしてる多様性ってのは「別け隔てなく誰にでも優しくすること」だろ?
その前提がまず間違ってるから排他的ダー!とか寝言をほざく事になる
はっきり言うが健常者達はこれからもこうしたガイジ排除の姿勢を崩す事は絶対にないよ
民主主義の選挙は所詮多数決だから数だけは多いガイジの意見がまかり通る場合があるけど
長い目で見れば実際の社会では結局正しい答えを出すのも生き残るのも権力を握るのもずっと健常者達だったからな
今回もそうなるのは目に見えている
ガイジは健常者に排除されるか或いは自らで自らを滅ぼすことしか出来ない哀れな存在なんだよ
誰にも救うことは出来ない
今後ガイジが強く暴れれば暴れる程に健常者達もガイジ排除を強く進めて過激な手段も用いる様になる
原爆を落とした時と同じ様にな
わかる。
好きなものにハマることを「沼」って呼ぶのが、なんか泥にハマって動けないみたいでちょっと重たくてネガティブな感じがする。「ハマる」って言えばいいのに、わざわざ「沼」って言うことで、自分がどれだけ深く浸かってるかをアピールしてる気がする。
自分の好きなものを他の人に勧めるのを「布教」って言うのが、なんか宗教じみてて怖い。単におすすめしてるだけのはずが、強制感があったり、「これを知らないなんて可哀想」みたいな上から目線に見えることもある。
キャラクターやシーンに対して「尊い」って言うのが、わざわざ言葉を崇高なものにして表現しようとする感じで、ちょっと大げさ。普通に「好き」とか「良い」って言えばいいのに、無理に高尚な言葉を使っている印象がある。
趣味やジャンルのコミュニティを「界隈」って呼ぶのが、ちょっと閉鎖的で排他的な感じがする。なんとなく「ここに入ってない人には分からない」みたいな雰囲気を出してるように感じて、あまりいい気がしない
好きなキャラクターやアイドルを「推し」って言うのが、一見カジュアルだけど、やたらと「推す」ことに意義を見出してる感じがして、少し重たい印象がある。「推し活」とか言い出すと、好きという気持ちを義務のように語っているように見える気がする
「尊すぎて死ぬ」という意味で使われるけど、実際に「死ぬ」わけでもないのにこの言葉を使うのはちょっと過剰なリアクションをしているように見えるし、やや大げさに聞こえる。単なる興奮を「死ぬ」という言葉で表現するのが少し引いてしまう
自分の思い描くキャラやシーンと違う解釈を見たときに使う言葉。これも、元々の意味はわかるけど、「自分の解釈こそが正しい」というスタンスを感じることがあって、ちょっと強情に見える
「ガチ」で「恋」するという意味で、アイドルやキャラクターへの強い思いを表すけど、恋愛感情を持つというよりは少し妄想じみていて、リアルとフィクションの境界が曖昧な印象を受けることがある。聞いている側からすると、ただの応援以上の執着を感じてちょっと引く
陰謀論が広まる背景には、情報の誤解やバイアス、感情的な反応が関わっていることが多いです。そのため、陰謀論を特定し、理論的に検証するためのチェックリストを作成しました。このチェックリストは、個人がある情報が陰謀論であるかどうかを判断するのに役立ちます。
• 提示された証拠が、信頼できる学術的なデータや確立された研究に基づいていないか?
• 情報源が匿名であるか、もしくは特定の意図や利害関係を持つ団体から発信されているか?
2. 反証可能性の欠如
• この理論が誤っていることを証明するための明確な基準が存在しないか?
• 反証が行われても、それを「さらなる証拠」として組み込み、理論を変えずに強化してしまう傾向があるか?
• 「彼ら」や「エリート」といった敵対者の存在を強調し、意図的に何かを隠していると主張しているか?
• 特定の個人やグループを悪意ある陰謀の主犯と決めつけ、その意図を過度に強調しているか?
• 複雑な社会問題や出来事を、極端にシンプルな原因や特定のグループのせいにしていないか?
• 「全てはこうすれば説明できる」といった形で、他の可能性を排除しているか?
• 「真実を知っている」特別なグループに属することで、他者よりも優れていると感じさせる要素があるか?
• 信頼できる専門家の意見を無視し、「専門家は信用できない」「真実は隠されている」と主張しているか?
• 事実を確立した科学的なコンセンサスに対する不信感をあおっていないか?
• 単なる偶然の一致を、何か意図的な行動の証拠として捉えていないか?
• 他の主張と矛盾する事実や情報が出てきた場合、それを無視するか、または歪曲しているか?
• 主張が「大きな秘密」や「隠された真実」に依存しているか?
• 「普通の人はこの情報を知らない」という形で排他的な姿勢をとっているか?
• この情報がソーシャルメディアや陰謀論者のコミュニティを通じて広まっているか?
• 大手の報道機関や信頼性のある情報源ではほとんど取り上げられていないか?
• 批判的思考を養う: 情報を鵜呑みにせず、事実確認を行うための批判的思考を持つことが重要です。異なる視点や反証の探求に努めましょう。
• 信頼できる情報源の活用: 学術論文や信頼できる報道機関の情報を確認し、複数の信頼できる情報源から情報を収集することを習慣化します。
• 対話の促進: 陰謀論に傾倒する人と対話を試みる際には、感情的にならず、相手の考え方を理解しつつ冷静に事実を示すことが効果的です。
• デジタルリテラシーの教育: 誤情報や陰謀論を見分けるためのデジタルリテラシー教育を推進し、より多くの人々が正確な情報にアクセスできるように支援します。
そもそもオリンピックみたいな国際的なエリートスポーツの大会は出場資格なんて素人が思いつくよりも遥かに厳密に決めていて、それに基づいて出場資格が与えられた選手が出場してるだけなのにね。それだって過剰に排他的な基準だとは思うけど、それにしたってろくに知識もないのに今更染色体がどうこう騒ぐの、差別意識以外の何に起因しているのかわからない。
岩下の新生姜に続いて、NON先生にもColabo支持者による嫌がらせの被害に遭っている
あまり表に出さないだけで、先の都知事選挙で暇を支持したクリエイターは同様の被害に遭っているのだろうと思うと暗澹たる気分になる
Colabo支持を表立って出来ない理由がこれだよ
支持者が攻撃的な割に、本体には攻撃する勇気も無いからなのか周囲を攻撃する反社ムーブをしちゃう所
そして支持者の大半がそういった行為を黙認・肯定しちゃう所だよ
Colabo含め弱者支援団体の活動を支持し、時にはカンパにも協力してた自分ですらさすがに支持者らのやってる嫌がらせは支持出来ないよ
Colabo含め弱者支援活動自体には社会的に大変意義があると今でも思っている
単に金儲けとか名声の為なら、あんな大変且つ神経をすり減らす活動は出来ないと思う
その一点においては素晴らしい理念を持った人達だと今でも信じている
でも、嫌がらせは真面目に駄目だよ
キャンセルカルチャーだなんて小洒落た横文字使ってイキってるけど、やってる事はただのクレーマー、カスハラだ
「お客さん」に強く反論出来ない、弱い立場の企業やクリエイターを狙って攻撃してるカスにしか見えない
問題になる前から、Colaboの代表や彼女の支持者がアニメや漫画の表現にクレームをつける行為は、敵を増やすだけで支持者を減らすだけなのにと内心思っていた
せっかく凄い意義のある活動をしているのに、「まーたフェミがアニメ燃やしてるよw」なんてからかわれ軽んじられる扱いがハッキリ言って許せなかったしもどかしかった
何でこんな、支持までは行かずとも反発まではしない層までも敵に回す様な態度を取り続けるんだろうって
一時的な気の迷いと思いたかったが、裁判等を通じた主張を見る限りは、Colabo及び支持者は所謂オタク表現に対し攻撃的意思を表明する事にある種の誇りや信念を持っているのだろう
自分で自分達へのヘイトを強くし、敵を増やし、自ら活動の意義を傷つけ、名声を汚している。本当に残念な事だ
それでも活動や理念には今でも意義や存在理由があるって信じているけど、表立ってColabo支持は表明出来ない
あの様なカスハラ行為や、非支持層への排他的・対立的・攻撃的姿勢までも支持しているなんて思われたく無いから
ここまで書いてふと思ったけど、騒動初期に暇にカンパしたけど今では後悔してアンチやってる人間の気分ってこんな感じなのかなって思った
前提
で