はてなキーワード: 観光とは
東京に来た理由はとくになく、単純に就職したくなかったから両親に無理を言って短大から東京の系列校に編入させてもらった。
印象はすごいというよりも、純粋に怖かった。ナンパすごいし、ものすごい勢いでティッシュを渡せられる。
大学も3年からだったので、サークルも入れず一緒に編入した子とばっかり一緒にいた。ゼミには入ったけど、何となく壁を感じ結局最後まで馴染めなかった。
私って意外と社交性がないんだなと生まれて初めて実感した。
就活では、一応学部が観光系だったからそっち方面の企業を受けていたけど、別にどうしても観光業界がいいわけじゃなく、高校生の時に何となく旅行が好きだったから選んだだけ。
面接では東京の女の子ってなんであんなにハキハキ受け答えできるのか、本当に不思議だった。
案の定、面接ではなかなか通らないし、日によって気分が乗らず辞退することも多々あって自己嫌悪のループ。
本当は地元で就職したかったけど、受けれる企業も少ないし、面接の度に帰るのが面倒くさくて結局2〜3回受けただけでやめてしまった。
途中から、全然受からないから一般職も受け始めたけど、やる気のなさをたぶん見抜かれ結局お祈りされて、8月以降はもはや就活をしなかった。
でも、卒業間近になってある日両親が東京に来て進路のことを聞かれたと思う。何でそんなに、印象が薄いのかというと、その後すぐにお姉ちゃんが来てめちゃくちゃ怒られた…
こんなに怒られることあるのというくらい怒られた。やっぱり、何もしてなかったのがバレていたみたい。
それで、やっぱり地元に帰るかなと考えていたんだけど、地元に帰ってもきっとパートの仕事しかないだろうし、男も地元に残っているのはあまり稼ぎが悪そうな人しか残って
ないな(東京で地元の男は大したことないなと実感した)と思って悩んでいるうちに卒業までいってしまった。
本当に優柔不断。
結局、当時働いてたアルバイトと親の仕送りでダラダラとした生活の日々。
でも、ある日またお姉ちゃんが東京に来るという話を聞いてマジ焦る。なにか言い訳をしないと思ってバイト先で仲良かった子がWEBのことを勉強していて、よく話をしていたので
そのままその話を膨らませて実はこれがやりたいと適当に話した。お姉ちゃんは意外にも感心してくれて、学校に行くように勧めて来て、学生の身分に戻りたい私はとりあえずそれに乗った。
学校は半年だったけど、結構真面目にやっていたと思う。その後、WEB系制作会社にコーダーとして運良く入社した。
とくに実力はなかったけど、女の子が珍しかったから受かったんじゃないかと今でも思う。
でも、その会社はとてもキツくてみんな帰るのが23時以降が普通で、特にエンジニアが辞めたせいで私が兼務することになった時が本当にキツかった。
Linux?、Ruby?、とかとか何それという感じ。いやいや誰か他に雇ってよと思ってたけど、断れない私の性格のせいでそのままやることに。
何だかんだ上手くいったり、いかなかったりして疲れで頭が回らない私はそのまま続行して仕事した。これが洗脳かと今になって思う笑
だけど、ちょうど案件が終わったタイミングで転職サイトに登録したら、オファーが沢山きて覚醒した。
その中で一番福利厚生が良さそうな上場企業の今度はエンジニアで内定GETして働き始めて今に至る。
たぶんこれが受かったのも女の子で珍しかったからじゃないのかな笑
なんかつらつらと書いてみたら、適当に流されてきた自分が嫌いだったけど、最近それでいっかと思うようになった。
あと今はお姉ちゃんとは仲良しです。
車にかかる税金は消費税とガソリン税(軽油やLPガス含む)のみにするべき。
取得税、自動車税や重量税などは全部廃止。
これらは不公平性があるし、ロビー活動的なものが活発になりやすい。
現状絶妙なバランスで(一見)公平性が保たれているが、どこのポジションの人が見ても公平と思っていない。
少なくなった税収は全てガソリン税に加算する。
現状、ガソリンを多く消費する人達のコストを、ほとんど消費しない人たちが負担しているので、それらを是正できる。
税金をこの消費税とガソリン税の2つに限れば消費者(特に自家用車を持っていない層)に非常に分かりやすい。
この政策の一番のメリットは、購入後はガソリン税に一本化することで、自動的に低燃費の車に減税のバイアスがかかり、放っておいても燃費が良い車が普及する。
カタログ値や国が決めた条件などに関係なく、実際の燃費(=石油の消費量)が税金の対象となるので、エコカーや軽自動車の条件の達成や分類などの余計なコストがかからない。
電気自動車にも使用電力に応じて、火力発電程度の石油換算(or 二酸化炭素排出)分の税金はかけるべきだが、絶対数がすくないので当面無税で普及を待つのもいい。
もちろん即時課税でも構わない。
自賠責についても、加入は必須なのでガソリン税に含めても良いと思う。これで無保険自動車がなくなる。
(ただし単位距離当たりではたくさん乗る人ほど事故は少ないはずなので、若干不公平感がある。)
事業などで不要な部分の税金の払い過ぎは決算時に申告し、還付。
可能性は低いと思うが、燃費追求のため、軽量化し過ぎで安全性の低い車がでるなら、今よりも規制は必要。
軽油、LPガスなどにも同様な税金はかけるので、まとめて二酸化炭素排出税なるものでもいいが名前がカッコ悪い。
できるだけ一度に移動するなど施策され、エコに進むのは良いこと。
ただし、使用の絶対量が多いので、ある程度の減税措置は必要になるかも。
だって、
イオンモールディスってるだけじゃね?
何度も繰り返すけど、
イオンモールには行かないよ。
まずきみのクソみたいな偏見を指摘するが、
東京人は田舎について興味ないし無関心という現実を受け入れて。
だって、東京人は田舎に観光などで遊びに行っても、イオンモールなんて行かないもの。
イオンモールいってけちつけてるのは、田舎から東京に出てきて帰省した田舎者だけでしょ?
東京から帰ってきたら、田舎のくそみたいな惨状にいちゃもんつけたくなるのは
だからね、イオンモールのことそんなにしらないし、そもそも興味がないの。
ファッション系のテナントはぜんぶ、なんちゃって東京ブランドばかりだし。
簡単に言うと、東京というブランドを利用していなかもんを騙しているのがイオンモールのブランド全般でしょ?
東京人は見向きも知らないし、そもそも聞いたことないブランドすら入ってるし。
僕の大好きな東京になぜこないの?なぜ憧れないの?東京だぜ!?あの東京にあこがれないなんておかしいでしょ!
みたいな感じをうけるよ
この発想はいなかものが東京出てきて、東京マンせーしてるからでしょ?
東京人は東京に憧れてないし別に大好きでもないし、あんま興味ない。
知ってる?
繰り返しになるけど、イオンモールのテナントはざっと見たけど、
それに、東京人はイオンモールに詳しくないから、ほんとどーでもいい。
それを忘れてるのは田舎者でしょ?
また繰り返すけど、
そんな盛岡市には元来豊かな食文化があることで知られている。わんこそば、冷麺、じゃじゃ麺などとりわけ麺類が豊富な土地だ。
(中略)
そんな盛岡だが、商業文化の中心地は盛岡駅前ではなく町はずれのイオンモールにある。つまりジャスコだ。だが、イオンモール盛岡もイオンモール盛岡南も、フードコートやレストランの一覧を見ると、わんこそば屋などの岩手料理の店屋は一つもないようだ。
と言うので上の「イオンモール盛岡」のリンクを押したら下の店がすぐ目に入った。
OK分かった、説明文に「盛岡名物の~云々」と言う記述が無いから気付かなかったんだな
(地元民向けにそんな説明が要る訳ないし、観光客向けでも観光ガイドなんかには必ず載ってる店だがそれは置いといて)
と思い「イオンモール盛岡南」のリンクを押したら下の店がすぐ以下同文。
いわて活菜横丁 結いの市
http://www.aeon.jp/sc/moriokaminami/shop/store/food-192.html
……えっ?こんな店名からして主張しまくってる店を存在無視??
ブログ主は比較対象として「イオンモールじゃない首都圏のモール」の例を挙げてるが、
東京スカイツリーや赤レンガ倉庫って、そりゃ観光地にあるのが観光客向けの店だけなのは当たり前だし
ブログ主の地元だと言うテラスモール湘南も大戸屋とかユニクロとかのモールのテンプレ店舗が普通にあるようだけども。
(っつーかモールとしての規模が盛岡とは比べ物にならないのでテンプレ以外の店も多いのはやはり当たり前だ)
何がしたいんだこいつ。
友達の結婚式があったので、某南国に一人で遊びに行った。何度も行ったことあったし、特にしたいこともなかったので一人でぷらぷら歩いてたら、やたら人なつっこい外人に声をかけられた。
面倒だなーとは思いつつ色々はなししてたら、観光案内してあげると言われ危険かもとは思ったものの、昔おんなじ様なシチュエーションになった時に、めちゃくちゃ断ったら「勘違いしてんなよブス」って突き飛ばされたのが若干トラウマで、「私の思い込みかも。すごくいい人なのかも」って思ってホイホイついて行ってしまった。
面倒だから端折るけど、最終的に人がまばらの夜のビーチで股に何か当てられた。あ、これが噂のバイブってやつねって思いながら相手を突き飛ばして、今すぐホテルに送れって怒鳴りまくって事なきを得た。星空を見せてあげて焚き火を囲んで、なんてロマンチックなのかしら素敵☆って女も過去にいたみたいで、それで落とせると思ったんだろうけど残念だったな。このブス子はもっとすごい夜空を毎日見てんだよ。「もうちょっと時間をかけたらやれたのかな?」ってうるせー。「君だって本心ではしたかったんだろ?濡れてたよ」とかほざいてたけど、それは単なる生理現象で性的興奮を覚えたわけではない。今まで同じ手口で旅行者を落としてきたらしいので自分に自信があったみたいだけど、ブス子にも選ぶ権利ぐらいあるわ。
レイプされなかっただけマシだし、途中で何度も体を触られたりしたのを「やめて」とは言ったけど怒らなかった自分が悪いのは重々承知。どんなにブスでも穴があるだけでヤリ捨ての対象になると学びました。私みたいなバカも中々いないと思うけど、皆も気をつけてね。
追記
ブクマでご指摘があったので、「家→ホテル」に修正しました。私の英語力もイマイチだったから、その時も言い慣れている「家」って言っちゃったんだ。
すごい叩かれると思ってたけど、温かい言葉をたくさんいただけて嬉しいです。日本人の人は強く拒否ると悪いって思ってちゃんと断りきれない人も多いと思うんだ。けど、相手からすれば罵倒されるなんて屁でもないから、日本語だろうが無茶苦茶な英語だろうが、何語でもいいから「絶対嫌だ」って言ってね。
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中国料理の調理法には数多くの流派がある。そのうち最も影響力があり、代表的なものとして社会的に公認されている料理は山東料理(魯菜)、四川料理(川菜)、広東料理(粤菜)、福建料理(閩菜)、江蘇料理、(蘇菜)、浙江料理(浙菜)、湖南料理(湘菜)、安徽料理(徽菜)があり“中国八大料理”と称されている。これらの料理系譜の独特な調理法は、調理法形成過程、その地方の歴史と切り離して語ることはできない。またその地方の地理的条件、気候条件、特産資源、飲食習慣などの影響も受けている。八大料理の擬人化表現として、江蘇、浙江料理は清楚な素面の江南美人、山東、安徽料理は古風で質朴な北方健児、広東、福建料理は風流典雅な貴公子、四川、湖南料理は造詣深く才気あふれた名士と表現されている。中国“八大料理”の調理法はそれぞれ長所を有し、長い歴史が生み出したものである。
一 山東料理(魯菜)
宋朝以降、魯菜は“北方食”の代表となった。明、清時代には魯菜が宮廷料理の主流となり、北京、天津、東北各地に対して大きな影響を与えた。現今の魯菜は済南、膠東両地方の地方料理が発展したものである。その特徴の爽やかな香り、新鮮な柔らかさ、純粋な味で世に知られ、コンソメ(清湯)とクリームスープ(奶湯)の調理法に長じ、コンソメは淡白上品、クリームスープは純白で濃厚である。済南料理は煮炒め、遠火焼き、油炒め、揚げ物に長じ、有名な料理には“糖酢(甘酸っぱい味付け)黄河鯉魚”、“九転大腸”、“湯(スープ)爆(煮炒め)双脆”、“焼海螺(ホラガイ)”、“焼牡蠣”、“烤(焙り)大蝦”、清湯燕巣“などがある。
二 四川料理(川菜)
秦末から漢初期にかけて初期的に形成され、唐、宋代に急速に発展し、明、清代にはその名声が全国に広まり、現在では世界中に四川料理レストランを見出すことができる。正統四川料理は成都、重慶両地方の料理に代表される。精選された原材料、規格の重視、主従明確な盛付けの彩り、鮮やかなハーモニーを誇っている。酸味、甘み、痺れ感、辛味、巧みな油味、濃厚な味付けが特徴で、調味料として三椒(唐辛子、胡椒、花山椒)と生姜は欠かすことができない。他地方には余り見られない辛味、酸味、痺れ感のある料理として人口に膾炙し、四川料理独特の風格は“一皿一味、百皿百味”と賞賛されている。調理法は焙り、遠火焼き、揚げ炒め、蒸し物に長じる。四川料理は総合的な味付け、濃厚なだし味に特徴があり、塩味、甘み、痺れ感、辛味、酸味の五味を基本として、さらに各種の調味料を配合し基本的家庭味、巧みな塩味、魚香味、レイシ味、複雑な妙味など23種類の複合味付けが) 確立されている。代表的な料理には“大煮干絲(干し豆腐の千切り)”、“黄燜(醤油と酒の煮込み)鰻”、“怪味鶏塊”、“麻婆豆腐”などがある。
三 広東料理(粤菜)
前漢時代にすでに粤菜の記載があり、南宋時代には皇帝付きコックが広州に随行する影響を受けた後、明清時代に急速に発展し、さらに対外通商開始後は西洋料理の長所を吸収するとともに粤菜も世界に普及し始め、現在、ニューヨーク市だけでも数千の広東料理店を数えるに至っている。広東料理は広州、潮州、東江の三地方の料理を代表として形成されている。原材料の種類は豊富で新奇を好むので変化に富み、旨み、若い柔らかさ、爽やかさ、滑らかさを重視している。一般に夏秋には淡白を求め、冬春には濃厚に傾く。味付けにはいわゆる五滋(香り、歯ざわり、臭み、滋味、濃厚さ)、六味(酸味、甘み、苦味、塩味、辛味、旨み)の別がある。調理法はソテー、揚げ物、餡かけ、煮込み、揚げ炒めなどに長じ、盛付けの彩りは重厚で、その滑らかさは飽きが来ない。蛇、ハクビシン、猫、犬、サル、ネズミなどの野生動物調理で名高く、有名な料理には“三蛇竜虎鳳大会”、“五蛇羹(濃厚な吸い物)”、“塩火局(蒸し煮)鶏”、“牡蠣油牛肉”、“烤乳猪(子豚)”、“干煎(油煎り)大蝦碌”、“冬瓜盅(杯)”などがある。
四 福建料理(閩菜)
福建料理は福建省閩候県に起源を発し、福州、泉州、アモイなどの地方料理を代表として発達してきた。その特色は色調が美しく、淡白で滋養があることで名高い。調理法は油炒め、餡かけ、ソテー、煮込みに長じ、特に“酒糟味”は独特である。福建は東南の沿海に位置しているため、ハモ、アゲマキ、イカ、イシモチ、ナマコなどの海鮮が豊富で、それらを原材料とした調理法に独自のものがある。有名な料理には“仏跳墻”、“酔糟鶏”、酸辣爛魚“、“焼片糟鶏”、太極明蝦“、清蒸加力魚”、“荔枝(レイシ)肉”などがある。
五 江蘇料理(蘇菜)
南北朝時代に発祥し、唐宋以降は浙江料理と覇を競って“南方食”の二大大黒柱となった。江蘇料理は蘇州、揚州、南京、鎮江の四大菜を代表として構成されている。濃厚さの中に淡白さを有し、ふんわりとして香り高く、スープだしは濃厚であるが嫌味が無く、口当たりは柔らかで甘みのある塩味がその特色である。調理法は煮込み、遠火焼き、蒸し焼き、油炒めに長じる。調理する時には原材料を厳選して配色、盛付けを重視し、四季の別がある。蘇州料理は甘みに特徴があり、彩りのハーモニーが素晴らしい。揚州料理は淡白で口
当たりがよく、主食材の味がうまく引き出され、切り込み法に優れて味がよく滲みこんでいる。南京、鎮江料理は濃厚な味付け、精緻な造りで、特にアヒル料理はその名が高い。有名な料理には“清湯火方”、“鴨(アヒル)包魚帳翅”、“松鼠桂魚”、西瓜鶏“、“塩水鴨”などがある。
六 浙江料理(浙菜)
杭州、寧波、紹興、温州などの地方料理を代表として発達してきた。その特徴は淡白、香り高さ、歯ざわりのよさ、若い柔らかさ、爽やかさ、旨みにある。浙江は魚、蝦類の産地であり、また山紫水明の有名な観光名勝地であるため、民間伝承の有名料理も多く、造りも精緻で変化にも富んでいる。調理法は油炒め、揚げ物、揚げ炒め、餡かけ、蒸し物に長じている。盛名を誇る料理には“西湖酢魚”、“生爆鱔片(タウナギ)”、“東坡肉”、“竜井(竜井茶)蝦仁(エビの剥き身)”、“干炸(粉衣揚げ)響鈴”、“叫化童鶏(若鶏)”、“清湯魚圓(魚のすり身団子)”、“干菜(乾燥野菜)燜肉”、“大湯黄魚(イシモチ)”、“爆墨魚(イカ)巻”、“錦繍魚絲”などがある。
七 湖南料理(湘菜)
湘江流域、洞庭湖周辺、湖南省西部の山間地帯の料理を代表として発達してきた。その特徴は材料の幅が広く、油濃く鮮やかで、唐辛子、燻製肉を多用する点にある。味付けは新鮮で香ばしく、酸味辛味が強く、柔らかく口当たりがよい。調理法は塩漬け肉、魚、燻製、蒸し焼き、蒸し物、煮込み、揚げ物、油炒めに長じる。有名料理には“腊(塩漬け肉)味合蒸”、“麻辣子鶏”、“紅煨魚翅(フカヒレ)”、“湯泡肚(臓物の胃)”、“氷糖湘蓮(蓮の実)”、“金銭魚”などがある。
八 安徽料理(徽菜)
長江沿岸、淮河沿岸、徽洲の三地方料理を代表として構成されている。その特徴は原材料選定が質朴で、火の使い方を重視し、油がきつく色鮮やかで、スープだし、原材料本来の味を維持するところにある。安徽料理は山海の珍味で名高く、南宋の頃には早くも“沙地馬蹄鱉、雪中牛尾狐”が有名料理として知られている。調理法は遠火焼き、煮込み、煮物に長じている。有名料理には“符離集焼鶏”、“火腿(ハム)炖甲魚(スッポン)”、“腌鮮桂魚”、“火腿炖鞭笋(竹の地下茎)”、“雪冬焼山鶏”、“紅焼果子狸(ハクビシン)”、“奶汁肥王魚”、“毛峰燻鰣魚(ヒラコノシロ)”などがある。
酱烧青蟹:蟹の味付煮
生炒鳝鱼片:田うなぎのこまきり炒め
红烧甲鱼:スップンの甘煮
麻婆豆腐:マーボーどうふ
樟茶肥鸭:楠の木と茶の葉でいぶした鴨
广州料理
脆皮鸡:広東式揚げ鶏
锦绣排翅:ふかのひれのうま煮
鲍鱼香茹:鮑とマシュルームのあんかけ
生炒鲜干贝:生貝柱の炒め物
中国についてアナタはきっと強く好奇心を持っていますね~(^ω^)(^ω^)(^ω^)まあ、もっと詳細の中国の基本情報は下のサイトをご参照ください。
メールアドレス:cs1@japinchina.com
バスで行く観光スポット巡りやそれに関連した番組の放映は如何なものかと思う事がある。
例えば、動物園で子羊とふれあう企画があったとして子供たちはかわいい子羊を触って愛着を持っていく。
しかしその後お昼ご飯で肉食べ放題、その中で今さっき見てきたであろう子羊がソテーされた状態で運ばれてくるのである。
これは如何なものか?
あれだけ可愛がったのに結局子供たちは子羊とふれあう事よりもラム肉の美味さに感動するのである。
これでは本末転倒ではないか。
子供が参加する動物とのふれあい企画であれば、肉の食べ放題はともかくそこで出会うであろう動物の肉は提供されるべきではないのである。
そんな事をすると子供は今後二度と動物に対して、この場合子羊に対して愛玩目的と見なくなるだろう。
それでは肉になるだけの家畜と何ら変わりない。
複数の外国語で何やら書いてあり、デジカメで撮影されたらしい店内の写真も何枚も添えてあった
破られたタペストリーには「これは○○国の人に壊されました。損害2000円」
粉々になっ瀬戸物の置物には「これは××国から来た人に壊されました。損害3800円。謝罪はありませんでした」
いくつかの定食の写真には「□□国の言葉を話す人達にこのメニューを全て食い逃げされました。損害合計3580円」
他にも、何かのジュースを撒き散らされた観光ガイドブック売り場、店員と思われる腕の青あざ、床に捨てられた紙くずなどがあった
俺の反対を押し切って、同行していた知人が店主らしい初老の男性にこの写真のネット上への掲示を提案していたが、断られた
まあ、それはそうだろう
武田信玄が「生まれて初めて海を見て、感動興奮する」シーンがあった。
鉄砲材料を入手するため、海路の出入り口を押さえたい(=駿河へ進出したい)というくだりもあった。
つまり、海を見たい、海港を獲得したい、という欲求が、武田家の領土獲得欲求になっていたのでは?とある。
この辺の欲求は、帝政ロシアが海港を欲求して南下したのに通じる。
で思ったのだが、戦国時代江戸時代は勿論、明治以降も、戦前までは
「山梨県人・長野県人では、海を見たことがない庶民が多数派だった」のではなかろうか?
先日「長野県人は戦前は滅多に海の魚を食べてなかった、海の魚の名前も知らないだろう」と投稿したが、
「そもそも海を見たことないんじゃないか?」とも思った。
もし海を見たとすれば、「徴兵されて、大陸へ送られる過程で見た」という程度じゃないかと思う。
さすがに現代では、義務教育課程での修学旅行なども普及しているので、山梨県人長野県人でも、
で、実は大陸国家である中国などでは、「海を見たことがない」という中国人が、今でも多数派らしい。
海南島に「中国のハワイ」と呼ばれるリゾート地、三亜があるが、ここには「生まれで初めて海を見たい」という
また、沿岸部の上海・天津などでは「海を見たことがある」という市民の方が多数派だが、
「海から昇る太陽」は見たことがあっても、「海へ沈む太陽」は見たことがない。
なので、彼らにとって、日本の「海へ沈む太陽」が見れるスポット(例’大阪湾)などは、抜群の観光スポットらしい。
同様に、アメリカ50州の中でも、内陸州で生まれ育った人には、今でも「海を見たことがない」人間が結構いるらしい。
恐らく、インドでも内陸(デリーなど)の方では、「海を見たことがない」インド人が多数派なのではないか?
そう考えると、実は、人類全体の中でも「海を見たことがない」人の方が、多数派なんじゃないか?という気がしている。
三井不動産は首都高を目の敵にしているのではないか、と私も感じるところがある。
コレド日本橋や日本橋三井タワーは日本橋にふさわしい景観なのかどうか。
ガラスファサード建築がアリなら首都高の高架だっていいじゃない。
日本橋三井タワーにしても、三井本館をぶち抜くように高層ビルが生えていて、ポストモダン建築のよう。
日本郵便のKITTEや明治大学のリバティタワーとか、ああいうビルも好きなのだけど。
都市の景観を考える上で、石造りの日本橋がそんなに素晴らしいものなのか分からない。
だいたい明治時代に架けられた今の日本橋を取り戻して、それが観光資源になりうるのか。
三井不動産的には、首都高の高架は「都市美観を損ねるから、五輪までに撤去すべきもの」「日本の恥」らしい。
先日モータージャーナリストの清水草一氏と「高速ジャンクションオタク」なマンガ家江川達也氏が対談してた本を読んだが、
江川氏は名古屋出身。一般道が充実してた名古屋は、逆に都市高速の出現は遅れに遅れ、江川氏在住時には都市高速は出来なかった。
上京した江川氏は首都高の「近未来性」に衝撃を受け、グルグル乗り回したという。
東京圏以外の人間に取って、あの首都高の悪名高い「カーブの連続」「ビルを縫って走行する悪路」は、逆に「近未来性」「SF性」の象徴にすらなる。
実際、首都高を紹介した動画の、海外からの評価は非常に高い。三井的観点では「都市美観の敵」だが、地方・海外的視点では、むしろ「観光資源」。
⇒なぜ、折角の「観光資源を生かす」という発想が出てこない?首都高をグルグル走行する外人・おのぼりさん向け「はとバス」があってもいいのに。
つまり、首都圏3,500万人の人口そしてインフラそのものが「世界唯一の観光資源」という発想が、決定的に欠けている。通勤ラッシュですら観光資源だ。
● 東北の観光やお土産のショッピングなども組み込まれた「観光あり」のツアーも。
是非なんかないよ。一番怖いのは忘れられることだよ。
男2人 (私24歳と、趣味の先輩37歳) で上海に来ていた。豫園でタクシーを降りると、2人組の女性 (後で聞いた話によると、22歳と36歳らしい) に中国語で声をかけられた。
カメラを持って「写真を撮る」と言っている。撮ってやると、どこだったか忘れたが、ある場所への行き方を尋ねられた。「知りません、上海人じゃないし」と答えると「じゃあどこの人なの?」と聞かれ「日本人です」と言った。
すると急にテンションが上がり、若い方は英語を勉強している学生だが、日本に観光で行ったことがあり日本語も勉強しているという。こちらも英語や中国語を勉強しているので、どうして来たのか、何しに来たのかなどを答えたりして意気投合した。
中国茶のパフォーマンスを見に行かないかと誘われ、一緒について行った。
https://www.google.co.jp/search?q=%e3%81%8a%e8%8c%b6+%e8%a9%90%e6%ac%ba+%e4%b8%8a%e6%b5%b7
先輩がクレジットカードで払った被害額は約40000円。全額持つと言われたが半分の20000円を払った。自分で痛い目を見ないとまた引っ掛かりそうだから。
約3ヶ月の滞在を終えて、2週間前にチリから日本へ帰ってきた。
半年くらい前、体調を崩してから人間関係がうまくいかなくなり仕事を辞めた。
自分には妻も子供もいるため、なんとか調子を戻して次の職につこうと思っていたが、
幸い1年程度の生活費は貯まっていたので、小さな子供と遊びながら毎日を過ごした。
子供の成長は早い、とつくづく思う。毎日接するとわからなくなるものだが、
携帯で撮った写真をふと見返すと2週間くらいでも成長を感じられた。
この成長を日々見守るだけで、突然出来てしまった空白の時間にも意味があるように思えた。
そんな日々を過ごしているうちに不思議とやる気もでてきて、そろそろ就職先を
探そうとしていた矢先、妻がせっかくの休み期間なので旅行にでも行ってきたら、
と言ってくれた。
妻は当初自分の唯一の趣味であるツーリングにでもひとりで行ってきたら、
というつもりだったらしい。体を壊す前までは1ヶ月に一度くらい温泉などへ
ツーリングに出かけていたが、たしかにもう半年以上バイクは動かしてなかった。
ただ妻にチリに旅行に行こうと思うと言った時はさすがにびっくりしていた。
現地に1週間の滞在予定。
日本から首都サンチャアゴのホテルを1泊予約しその後は現地で決めようと思っていた。
自分にしてはちょっとした冒険だった。でも就職前に、なんというか無茶をしてみようと思った。
東南アジア、行ったことはないけれど。
海が見たいなと思い、サンチャアゴで1泊した後、海岸の街ビーニャというところに移動した。
海沿いのリゾート地で人気だという。毎日特にやることもなかったが、海に行ってパンを食べたり、
散歩していたりして過ごした。
夕日がとても綺麗だった。よく参考映像などでありそうな、夕日が浜辺で遊んでいる子どもたちを
照らすそんな風景。それが目の前に広がっていた。彼らの生活の風景だった。
ベタだけど、それを見て涙が出てきた。
なんかこれでいいんじゃないかと思った。
日本で働いていた時、たしかにやりがいはあったし、体を壊す前までは
でも毎日夜遅くに帰ってきて、朝早く出る、必死に働いていまの生活を維持しなくてもいいんじゃないかと思った。
お金がなくとも、もう少し不便でも家族と過ごしたい。きれいなものをみて死にたい、
と心から思った。
よく言う、これが「おりる」というやつだろう。
チリというところは夜ちょっとおっかなくて、そんな便利でも清潔でもないけれど
人は楽しそうで何よりも夕日が綺麗で子どもたちが楽しそうな場所であること。
そしてそこにみんなで来てもいいかなと思っていること。
妻からの返事は、感傷的になっているだけだから冷静になって、だった。
妻もどちらかと言えば、いい暮らしをするというよりものんびり家族と過ごしたいと
思うような人間だが、さすがにフラッと旅行に来た場所に移住しようというのは
安易すぎると思ったようだ。それはそうだ。
すこし喧嘩のようなものになったが、最終的に妻から滞在を延長して、
もう少し考えてみればと提案してくれた。もう少し冷静になって考えて
本当によければ決めよう、ということだった。
そしてこの2週間妻と話し合った結果、自分たちは来月日本を出ることにした。
この選択が本当に正しいのかどうかわからない。
後悔するかもしれない。でも当たり前だけど、やってみないとわからない。
ひっそりとした人生だけど、幸い自分たちにはチャンスがあるんじゃないかと最近思うようになった。