2014-03-02

中南米チリにいた

約3ヶ月の滞在を終えて、2週間前にチリから日本へ帰ってきた。

半年くらい前、体調を崩してから人間関係がうまくいかなくなり仕事を辞めた。

自分には妻も子供もいるため、なんとか調子を戻して次の職につこうと思っていたが、

幸い1年程度の生活費は貯まっていたので、小さな子供と遊びながら毎日を過ごした。

子供の成長は早い、とつくづく思う。毎日接するとわからなくなるものだが、

携帯で撮った写真をふと見返すと2週間くらいでも成長を感じられた。

この成長を日々見守るだけで、突然出来てしまった空白の時間にも意味があるように思えた。

そんな日々を過ごしているうちに不思議とやる気もでてきて、そろそろ就職先を

探そうとしていた矢先、妻がせっかくの休み期間なので旅行にでも行ってきたら、

と言ってくれた。

妻は当初自分の唯一の趣味であるツーリングにでもひとりで行ってきたら、

というつもりだったらしい。体を壊す前までは1ヶ月に一度くらい温泉などへ

ツーリングに出かけていたが、たしかにもう半年以上バイクは動かしてなかった。

でもその2週間後、中南米チリにいた。

なぜチリにしたかはあまり覚えていない。

ただ妻にチリ旅行に行こうと思うと言った時はさすがにびっくりしていた。

海外なんていままで韓国しか行ったことがないのだ。

現地に1週間の滞在予定。

日本から首都サンチャアゴのホテルを1泊予約しその後は現地で決めようと思っていた。

自分にしてはちょっとした冒険だった。でも就職前に、なんというか無茶をしてみようと思った。


チリでまず驚いたのは空気だった。

排気ガスが多く、東南アジアのようなところだなと思った。

東南アジア、行ったことはないけれど。

海が見たいなと思い、サンチャアゴで1泊した後、海岸の街ビーニャというところに移動した。

海沿いのリゾート地で人気だという。毎日特にやることもなかったが、海に行ってパンを食べたり、

散歩していたりして過ごした。

夕日がとても綺麗だった。よく参考映像などでありそうな、夕日が浜辺で遊んでいる子どもたちを

照らすそんな風景。それが目の前に広がっていた。彼らの生活風景だった。

ベタだけど、それを見て涙が出てきた。

なんかこれでいいんじゃないかと思った。

日本で働いていた時、たしかやりがいはあったし、体を壊す前までは

なんとうか向上心というか、やる気みたいなものもあった。

でも毎日夜遅くに帰ってきて、朝早く出る、必死に働いていまの生活を維持しなくてもいいんじゃないかと思った。

お金がなくとも、もう少し不便でも家族と過ごしたい。きれいなものをみて死にたい

と心から思った。

よく言う、これが「おりる」というやつだろう。

滞在の最終夜、妻に電話をした。

チリというところは夜ちょっとおっかなくて、そんな便利でも清潔でもないけれど

人は楽しそうで何よりも夕日が綺麗で子どもたちが楽しそうな場所であること。

そしてそこにみんなで来てもいいかなと思っていること。

からの返事は、感傷的になっているだけだから冷静になって、だった。

妻もどちらかと言えば、いい暮らしをするというよりものんびり家族と過ごしたいと

思うような人間だが、さすがにフラッと旅行に来た場所移住しようというのは

安易すぎると思ったようだ。それはそうだ。

すこし喧嘩のようなものになったが、最終的に妻から滞在を延長して、

もう少し考えてみればと提案してくれた。もう少し冷静になって考えて

本当によければ決めよう、ということだった。

結果2週間前までの3ヶ月間、ほとんどチリ滞在していた。

そしてこの2週間妻と話し合った結果、自分たちは来月日本を出ることにした。

ひとまず観光ビザで住む場所のあたりをつけるつもりだ。

この選択が本当に正しいのかどうかわからない。

後悔するかもしれない。でも当たり前だけど、やってみないとわからない。

ひっそりとした人生だけど、幸い自分たちにはチャンスがあるんじゃないかと最近思うようになった。

逃げれる場所があるから

まだ「おりる」場所があるから

逃げる場所がある自分たちの世代は、感謝しなくてはならないと本当に思った。

いまはまだ「おりる」場所がありそうだから

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