はてなキーワード: 自虐史観とは
彼らは「本当の日本の姿」を保守しようとする。「いまは失われつつある、真の日本」というものがどこかに在ったのだと信じて疑わない。それはいわゆる「国体」というやつで、終戦と同時に去勢されたものであるとされている。自虐史観を植え付けられ、「偏向報道」を浴びて育った人たちが、「回れ右」して、そうした主張をするようになる、というのは九十年代の小林よしのりブーム以降、とくによく見られるものとなっている。そういった人びとは、その小林によって「純粋まっすぐ君」と形容される。
そうした人びとは、それまで大きく左に逸れていた自身のイデオロギーを修正し、遅れを取り戻そうとするように真逆に舵を切り、正統と思しき情報を収集する。こまごまとした情報のなかからピースを掻き集め、失われた「国体」というパズルを組み立てていく。この過程で、合いそうにないピースは選ばない。たとえば近世以前の歴史とか、かつての天皇のスキャンダラスな出来事とか。そういったことは本質ではない、語るに値しないものとされる。「ご先祖様の残してくれた」などというわりに、その先祖がどういった人びとだったのかはよく知らない。いや、知ること自体を避けているようだ。彼らはそれまでの欺瞞に満ちた現実から脱け出し、真実の世界にやってきた。自身に「知る権利(正確には「自分の知りたいことを知りたいように知る権利」)」があることを知った。朝日新聞読者を放り捨て、かつての正しい規範(としての国体)を取り戻すべきだと悟ったのだ。教育勅語から徴兵制から、よき「日本人」を規定するために使えそうなピースはすべて使おうとする。いじめも、格差、外交といった諸問題は、本来の日本人のパフォーマンスを発揮することで少なからず改善される。つまり日本人は「まだ本気出してないだけ」なのだ。
しかし、そんな継ぎ接ぎのグロテスクな「国体」は蘇生することはない。集めた肉片や骨片を継ぎ合わせて元通りにしたつもりになっても死体は生き返らないのと同じである。そして、そのことに彼ら自身も気づいているはずである。歯型やDNAの鑑定により死者を同定するような、そんな作業で自身の望まぬ結果が得られてしまう予感に恐れ慄いているのだ。彼らは気に入りの言説を批判的に検証し、点検し、解釈する能力を自ら放棄している。「思考停止」というのはそうした状態のことではないか。彼らは使命感を胸に、猛然と情報を収集し、彼ら自身の文脈にそれらをくまなくマッピングして論陣を張るが、そうした一見すると知的に見える営みにおいても「思考」は停止している。
暴力的なまでに純粋な彼らの心は、そうした営みによっては決して満たされることがない。ウヨクであるということと交換可能な機能的代替物は、見つけることができるかもしれない。それはアイドルであったり、ソープであったり、さまざまだろう。わが国は娯楽大国で、あらゆる「ガス抜き」装置がよりどりみどりである。去勢された彼らはこれからも喪失感に苛まれながら闇のなかを歩み続けることだろう。新たな男根が生え、思考がふたたびドライブし始める日まで。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150803/k10010176121000.html
これは非常に興味深い。
特にこの部分
『「アメリカが原爆を投下したことについて現在、どう考えていますか」と聞いたところ、
「今でも許せない」と答えた人は、広島で43%、長崎で46%、全国で49%でした。
一方、「やむを得なかった」と答えた人は、広島で44%、長崎で41%、全国で40%で、
広島では、ごく僅かですが、数字の上では「やむを得なかった」と答えた人が、「許せない」と答えた人を上回りました。』
小学生まで広島にいて、中学生から関西の進学校に通った個人的な経験から思うことを書いてみる。
(僕の小学校だけではなく広島がそんな感じだった、のを前提とする。経験からおそらく正しい)
まず、中学生の時に驚いたのは、同級生が原爆が落ちた日を知らなかったことだ。
もちろん全く知らないわけじゃなかったが、知ってる人でも、笑いながらあれ広島9日だったっけ?
というようなレベルだった。
広島の公立の小学校では、ほとんど全員知っていたし、知らなかったとしてもそれが何か恥ずかしいことである、という雰囲気があった。
それが、知的レベルが相当高いはずの進学校でこんな感じなのか、というのは、良い悪いではなく、単純に驚いた。
広島で原爆が落ちた日、というのを他のことで例えるなら、たとえば、阪神大震災が起こった日、東日本大震災が起こった日。
それが近いと思う。その地方にいた人はおそらく起こった時間まで覚えているだろう。
それと同じ。広島では小学生でも、原爆が落ちた時間まで覚えている。
広島では小学生はどんな感じだったかといえば、ことあるごとに原爆の話を聞くし、戦争についての話も聞くことが多い。
それは、反戦教育、という言い方になるのかもしれないが、小学生からしたら客観視はできないし当たり前のことのようにその中で育った。
中でも、僕の小学校では、僕が3年生の時から「平和集会」というイベントが1年に1回開催された。
それまでは学年ごちゃ混ぜの運動会みたいなものが開催されていたのだが。
平和集会というのは、各クラスで、平和に関するプレゼンをしあうものだ。歌や劇や朗読や方法は自由。
その結果、僕はどうなったか。
ほんとうにうんざりした。
それは小学校6年生の作文に書いてあったのをこの前見つけた。(写真で出しても良いぐらいだ)
何年も続けてやってたら、同じ話ばかりだしプレゼン作るのもうんざりする。
おそらくこれは僕だけではなかったと思う。
一つの例として、小学校6年生の時に、湾岸戦争が始まったのだが、その時クラスの男子何人かは「やったー」と叫んでいた。
僕は叫ばなかった。そして、女子はもちろんたしなめたが。
それは単純に幼さとも言えるが、その背景に平和教育への反発があった気がしてならない。
やりすぎは良くないのではないか、と思っていた。
原爆に関しても、そんな感じだった。
原爆原爆うるさいよ、と。そんなに言ったって、落とされる方にも問題はあっただろ、と。
そんな気持ちになっていた。
で、このアンケートの結果。
もしかしたら、そういうことなんじゃないか、という気がしてしまうのだ。
原爆落とされた日はもちろんおぼえているけど、だからって今でも許せないとは言い切れない。そんな空気を感じてしまう。
一応、これでは終わらない。終われない(笑)
中学生ぐらいまでは、そんな風に、今言われているのとは違う意味での「自虐史観」のようなものを持っていた。
僕が大学に入った頃、98年ぐらいから右傾化ブームが訪れる。きっかけはおそらく小林よしのりの「戦争論」だろう。
僕もなんとなく読んだし、そんな雰囲気が自分にも周りにもあった気がする。京都大学でも。
そうすると、だんだん核武装論みたいなことをいう人も出てきて、口に出してもおかしくない雰囲気が出来てきた。
それはおそらく今にまで続いているだろう。
たとえば、石原慎太郎なんかが言ったりする。
ところがだ。
核武装については完全に反対だ。
よく言われるのは、持っても誰も使えないんだから大丈夫、国際的な地位を高めるためだけだ、という理屈。
でもそれは明らかにおかしい。本当に使えないなら初めから核の脅威などない。本当に使えないなら持つ意味もない。
で、持ったとして、もしも打たれたら打ち返すのか。ちょっと待ってくれ、と思う。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文がある。
時に右寄りの人から、これは我々は被害者であり自虐史観だ、という意見を聞くことがある。
それは違うと思う。
原爆というのは、誰がやったとか、誰が被害者だとか、そういうレベルの話ではないのだ。もう絶対的な破滅的な悲劇なのであって、その点において人類全員の罪なのだ。
そういう発想なのだと思う。って今調べたら、広島市のホームページにもそう書いてあった。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1137568968454/index.html
ということは、だ。これは、仮にもう一度原爆を落とされたとしても、自分たちが打ち返す、なんてことはありえない、という意味であるはずだ。
誰が落とすとかではなく、もう一度原爆が落ちる、ということ自体を否定する、そういう気持ちを表しているはずだ。
なんなら、どこかの国がどうしてもどこかに落とすというのなら、それならもう一度ここに落としてくれ、と。そんな気持ちにすらなる。
もう一度、原爆が落とされるような世界なら、もうここにはいたくない。そんな気持ちにもなる。
で、ここが重要なところ。
僕がこんなことを思えるのは、おそらく、本当にうんざりするほど、勢い余って落とされても仕方なかったんじゃないか、と思ってしまうほどに、
原爆について、その悲惨、ありえなさ、どうしようもなさ、を叩き込まれたからではなかろうか。
体験こそもちろんしてはいないが、理屈ではなく、肌感覚としてそれを学んだからではなかろうか、と。
そんな気がするのである。
実は僕は自衛隊を持つことには一概に反対はしない。だが、核武装は絶対反対だ。
これを説明するには、たぶん刷り込まれた肌感覚としか言いようがない気がする。
ということで、この理論を裏付けるための一つの予言をしてみよう。
おそらくかなりの数、下回ると思う。
試合前に国歌斉唱があって君が代ききながら「日本がんばれ」と思った。
そして「日本がんばれ」と思う。自分の国を、自分達の代表を応援する。
でもこれ自然に立つから違和感ないけど、「貴様なぜ起立せんのか!」みたいな奴がスタンドに居たら、意地でも座ってたくなるだろうな。とも思った。
「自虐史観を教え込まれるから自分の国に誇りが持てないんだ!」って言う人いるけどさ、僕らの世代はそういう人が言う「自虐史観」で教わったけど、それで国に誇りを持てないってことはないよ。
自分が生まれる前の人達が何してたかより、今、日本が何してるかの方が重要。
ここがしっかりしてたら誇りを持つね。
経済政策の実績を強調して選挙戦をしてた人がさ、終わった瞬間に「党是でありますし、公約にも書いてあります」って言って、選挙期間中は触れもしなかった憲法改正をがんばったりね、
国の代表が「代表」であることの意味を知らないのか、自分の主張を国の主張としてしまったりね、
日本を変えるのに、先に米国議会で宣言して「いまだに外圧だよりかよ!」って感じになったりね、
こういう、だらしがないことをやってると、誇りを持てないね。
あれは侵略戦争ではなく自衛のための戦争。太平洋戦争ではなく大東亜戦争と呼ぶべき。植民地政策でアジアやアフリカに襲いかかっていた欧米諸国との解放戦争。日本の歴史認識はそういうもので、他国から自虐史観を押し付けられて未来永劫敗戦国だから反省し続けろとか言われても他国にそんな事言われる筋合いはない。そもそも歴史認識云々言うけど、平和条約と戦後賠償を受け入れた時点で相手国は問題を蒸し返してグダグダ言う権利はない。敗戦の教訓があるとすればなぜ負けたのかということ、それだけ。それはあくまで内政問題で他国に口出しされることでもない。いつまでも敗戦国だからとか言うなら相手を黙らせるには結局再び戦争をして立場を逆転させる以外なくなる。特に対朝鮮に関してはあくまで相手から頼みこまれた末の併合で、未開の地のインフラを整え教育をし人間らしい生活が出来るようにしてやったのが事実。対戦国ではなくましてや植民地でさえないのにそもそも朝鮮に謝罪や賠償が何一つ必要だったとは思えない。日本が戦後、現在も続くアメリカによる半植民地状態と波風を立てないことを最優先する事なかれ主義によって色々とおかしい事態になっている。そもそも日本の脆弱だった立場を利用して歴史を修正し事実をねじ曲げてきたのは支那、朝鮮、米国の方ではないか。日本はいつまでそれが冤罪と知りながら自国と自国民の名誉を毀損する設定に振り回されなければならないのか?歴史認識という馬鹿馬鹿しい政治ごっこを目にする度に虫酸が走る。嘘は百回言っても嘘であることに変わりはない。事実を無視した支那のプロパガンダや朝鮮のファンタジーは事実ではない。歴史的事実に目を向けるべきは、戦後70年を過ぎても未だ日本に対して謝罪やら賠償やら歴史認識やらといい続ける支那と朝鮮の方だ。過去を振り返れば人間の歴史は戦争の歴史。過去の数々の戦争に対して世界中の国は一々いつまでも謝罪と賠償をやり続けているのか?結局そういうのも9条という足枷の為にまともな軍事力が持てないから足元見られてたかられ罵られてるだけじゃないのか?
「まあ、可哀想な話だよね」くらいの程度で、重大な人権侵害だとは思ってないのでは。
それよりも「借りた金は(体を売ってでも)ちゃんと返すべき」というモラルの方が強いように感じる。
それから、貧しい人間、貧しい国からきた人間が思い通りの人生を歩めないのは(可哀想だとは思っても)当たり前のことだと思ってる。
自虐史観だとか何とか教科書に文句つける右翼も「わが国で人身売買が多発していたなんて書いたら誇りが持てなくなる!」なんて言って恐慌期の身売りの記述にクレームを付けたりはしない。
こういう理由から、「従軍慰安婦問題の焦点は強制連行の有無」というフレームが日本国内だけで流通することになる。
諸外国は「公務員が人身売買を取り締まるどころか、組織的に人身売買業者と癒着して人身売買の顧客となって、売春宿も公務する敷地内に作っていた」ってことを歴史的にも特異な人権侵害だとみなしているのに。
それなのに責任を問われた公務員上級職が「調査の結果、銃を突き付けて連れてきたのではなく、ちゃんと金も相場より高めに払っていたので問題ない」みたいな釈明しても、「こいつ頭おかしいな」と思われるだけだよ。
とはいえ、「恐慌期の農村の娘の身売り先が都会の市役所かどっかで、市役所の片隅に作った小屋の中で勤務する公務員が性欲解消に励んでいた」なんて事態だとさすがの日本人も異様だと思うだろう。
従軍慰安婦制度が異様だと思われず、それどころか「どこの国でもあったこと」なんて誤った認識をしてしまうのは戦争・戦場という舞台装置があるからだろう。
「戦争は悲惨」、「戦場は何でもあり」と思う日本人の戦争観が「戦争の時代ならばそんなこともあったろう」くらいで、この問題の認識を済ませてしまう。
これは南京事件で「無辜の市民を虐殺したわけではない、捕虜を殺しただけだから大した問題ではない」と考えてしまうフレームと共通している。
「あ~~クスリをやりたいデース.ふぁああっく.この国のコンサバな空気にはとても堪えられまセーン……」
「お姉様……はしたないですよ!FワードはNoNoワードです.」
「ふぁっく.比叡は保守派か何かなのですか?ファーストアメンドメントに書いてありマース.We can say anything、デス!」
「(金剛お姉様は…米国のサマーキャンプに行って以降、変わってしまった……)」
「そもそも比叡は御召艦であることを持って自己規定してるあたり、保守色が出過ぎデース……私の妹ならもっとリベラルな空気を出してもらいたいものデース……」
「いいじゃないですか!私達も結局はHMS、陛下のお船なんですよ?」
「ファッ?!所詮かつてのこの国は、那智ファシストレイシストセクシストイグノアラントダーティナーディクリミナル国家に過ぎまセーン.」
「こ、金剛お姉様だって悠久の大義のために戦ったんでしょう!?なぜそう自己否定を繰り返すんです!それは自虐史観ですよ!!」
「自虐史観wwww今どき小学生でも恥ずかしがって使いまセンよその言葉www」
「米帝に戦争で叩き潰されたからと言って、日本人が日本の文化を投げ捨てる理由にはなりませんよ!」
「ふぁっく!!!ふぁっくオブALL!!!ファック!!黙るデース!!そんな議論はもう戦後百万回と繰り返されているんデース…!!!そのくっだらない議論の結果生まれたものがなんだかワカリマスカ??比叡=サン??」
「な、なんだって言うんですか……」
「私達デースwwwファック!どんだけウケる案件かわかっていないようですNE~~比叡=サンwww伝統的な装束に見を包みながらも、私達の中身は完全にアメリカのティーンエイジャーのそれですよ!ファックwww守るべき日本の文化など、もうとっくに消え去っているのデースwww今存在しているのは、薄っぺらいjapan的アトモスフィアを持ったメリケン人のなりそこないだけデースwww」
「いいえお姉様……まだ可能性はあります.例えば金剛お姉さまのお腹の中にいる赤ちゃん……未来への希望です!しっかりとした民族教育を回復するならば、私達はまた日本人の誇りを取り戻せるんです!!!」
「赤ん坊……?あぁ、先日提督とファックした後にピル飲みそびれたせいで出来たイキモノ的SomethingデスNE……4丁目のクリニックでアボーションして来ました、今日、Hai.」
「ファッ!!!!?!??!?!?!?!?中絶…したんですか!!この人殺し!!!」
「FUCK!!!!Fcuk!Fuken!Fukest!!!アボーションはうーめんの正当なライトデース!!!アボーションと子殺しの区別が付かないとか、本当に2014年の住人なのDEATHか比叡=サン?マジファックDEATH……」
「お姉様……そんな..嘘だと言ってください……」
「ジッサイ、アボーションはくせにナリマース.最近は毎月のようにアボーションしたくてバギナが疼くのデース……比叡もドーデスカ?姉妹割り引きお願いできますヨ?」
「www旧来の規範に囚われた惨めでバカな女DEATH……比叡……」
「……お姉様、なぜこんな事を繰り返すんです?虚無を感じないんですか?すべての規範を破壊した後に、本当に自由が待っているとでも?」
「黙るデース!!!現代世界の暮らしなど、所詮コーポレートゲームに過ぎまセーン.金、暴力、セックス、この邪悪な三位一体に対する反撃の余地は、もはやヤク中になってファックするというオプションでしか無いのデース.それが私達に残された唯一の選択なのデース……」
「そんなお姉様……嫌いです……」
「ファック……」
大多数の国民が「よくわからないけど日本は昔悪いことをしたよね」という共通認識を持ってた。
日本悪くないなんて言ったら右翼コワイとか言われて村八分だったよ。
良くも悪くもそれに風穴を開けたのが小林よしのりなので、
時代を分けるならやはり新ゴーマニズム宣言の4巻が発売された辺りだと思う。
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って元益田見たらそういう話じゃなくてネットと現実の剥離の話なのね。
とりあえず2002年のワールドカップの頃はまだウヨクウヨクと言われていたよ。
飯島愛のキムチ発言とか叩き潰されてたし、テレビと新聞を情報の中心としてた層は
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あと店長引退関連のエントリに自分で書いたブログ記事のリンク貼りまくってるんだけどセルクマしかされてなくてウケます。
よっぽど読んでほしかったんでしょうね。
はてなの大人気ブロガー・コンビニ店長MK2さんの言論に対する不当な圧力を絶対に許すな - 人生はゲームだ THE GAME
この記事はすばらしい。多くのニュースメディアが艦これがヒットと報道するも、一般人にはそれが何なのかさっぱりわかりませんが、これ見てその魅力が初めてわかりました。
返信 ·
"戦前の日本が世界に冠たる大艦隊を持っていたことを知る若い人が増えているようです"
なぜか日本においては戦争は第二次世界大戦の記憶しか語られないけれども、艦これによって日本の過去の軍事と世界情勢というこのゲームにおいてのバックグラウンドの知識について理解を深める人が増えるといいですね。
返信 ·
· 11月2日 3:32
尖閣問題、竹島問題、北方領土問題は太平洋戦争後のアメリカの置き土産で、これらの問題を長引かせる事によって仲違いさせるのがアメリカの軍産複合体と対米従属の官僚、国会議員達の思惑です。それとは別に日本のこの手のにありがちな幼い女の子を売りにしているのが非常に苦手です。高荷義之氏や小林源文氏等のリアル系でないと興味が持てません。
返信 ·
· 9時間前
西山 勝利 · 自宅警備隊隊長 生活推進本部 総合統括本部長 (笑)
「艦これ」って云うゲームは存じてませんでしたが、海洋国家の日本が自衛隊…特に海上自衛隊の存在を重視するのに、最適だと思います。
別に私は懐古主義者でも、太平洋戦争を賛美する者でもありませんが、現実問題としての「尖閣列島問題」と「竹島問題」、更に言及するならば「北方領土」のこと。
これらはもっと国民の間で議論されたり、冷静な観点から正確な知識を教育されても、良かったのではないのかなぁ?
返信 · 1 ·
原発問題にしろ、在日特権の話題にしろ、東大生と意見交換をすると、島崎藤村の「破戒」の購読を勧められる等自身の意見をあまり口に出さない。
差別意識ないし選民思想を持ってはならないという考えが東大生の中に蔓延っているようだ。
相手に対して偏見を持ってはならないとしながらも他方では、その思想信条がどこかの本書からの請け売りであることを理解していない。
〇〇が言っているのだから、君も見習うべきだ!
それこそプロパガンダではないのか。
自分の意見を持たずに相手の請け売りをして、さも自身の考えであるかのように言葉を並べ立ててしまう。
東大生というのは、如何なる事情も本書が全て正しいと言わんばかりである。
例えば、島根県教委の一件で明るみとなった、はだしのゲンは政治プロパガンダが色濃く反映されているといった論であるが、
それは当然である。
被災を経験したために目の前で起こった事が何よりも真実であるとする作者の心情(思想)が本作に溢れているのである。
一方、反米思想や日帝批判を繰り返し煽動していった事もプロパガンダであるのは間違いない。
にも拘らず東大生という生き物は、作者の意見のみを反映し、あたかもはだしのゲンは被災によって悲しい想いをした、悲劇を繰り返さないためにも読まれるべきと転嫁したのである。
どうも自虐史観による戦後教育から、日本人は謙虚に生きなければならないとか近隣のアジア諸国に謝罪と賠償をしなければならない、それは本に書かれているからだという単純な理由から、そのような思想に傾倒しているように見えてならない。
いずれにしても、東大に通う奴はその思想が本の請け売りでしかない。
つまり実体を伴わない形式的な思想、プロパガンダを真に受けてそれ以外は全部虚構であるといった考えしか持ち合わせていない。
東京大学に通うと、例えば東日本震災時の地震は大した事がないとしたり津浪が起るはずがないとしたり、本に書かれていない事が実際に発生すると、謝罪より先に責任転嫁を率先して行う。しかしながら、それもこれも政府が悪い事にして、自らすべき事を政府責任として責任放棄をするのである。
偏見を持たない。
しかしそれは、本の請け売りであり自身の意見を持たない、没個性化した証明である。
未だに原発は安全であると、あるいは逆に原発は危険で廃炉すべきだとする誇大妄想をしてしまうのはそこにある。
すなわち東大に通うような奴は、(他人の政治的思想に汚染された)自身の意見が絶対的正論であり、それは本書に記されているという前提のもとに発せられたものである。
彼らは本をたくさん読むが、しかしながら、その本質を理解できていないのである。本はあくまで知恵を蓄積するためのツールである。
にも拘らずそれが理解できないのだ。
874 ソーゾー君 [] 2013/08/26(月) 07:59:35 ID:g0KCHOZI Be:
ネトウヨ=自称保守派=安部晋三等は表層だけの主張を聞くと愛国者っぽいが
深く議論すると左翼=自虐史観=欧米絶対正義思想丸出しになる。
中露朝韓東南アジアだけのネタで議論するとネトウヨ=右翼になる。
真珠湾や欧米の非道な黒歴史を語ると左翼=自虐史観=欧米絶対正義思想となる。
「年金すらまともに運用できない日本政府に通貨発行権を任せる?無理だってw」と言う。
しかし年金の構造を説明し詐欺=憲法違反と言うと「破綻はしていない!ここまま役人に任せれば良い!」と言う。
ROMは他のスレを読んでみ?社会保障スレ、アルカイダスレ、アメリカの歴史スレ、地震スレ等々あるから読め。
雑談 2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1360877904/l50
ビートたけしは明大時代は工学部だったし、左翼活動やって逮捕中退なのは有名な話。
けどこれだけじゃな。
たとえば宮崎駿も有名な左翼。トトロが狭山事件を元に作ったかはともかく政治的なメッセージが色んな作品に見え隠れしてる。ぽんぽこは当時のニュータウン乱発への批判だし。
ドラえもんの藤子不二雄も左翼だったな。映画版では環境汚染をアニメ作品で真っ向から批判してたし、動物愛護も求めてた。
三島由紀夫のように心の通った右翼もいれば、石原慎太郎のように過去の矛盾を隠して右翼であるかのように装って見せたり、ただ親米派であればいいという似非右翼も多いし、そういう連中は官僚だったり文系大出身の政治家ってのはよくある話だし。
学習院大やアメリカの大学に進学してから政治家になった人の殆どが右傾化してるっていうのは、教育の賜物なんでしょうに。
実情として、教育方針が自虐史観の強い日本国の戦後教育とは異なって天皇も通うような士族の学校である学習院と自虐史観とかのしがらみのない勝てば官軍教育のアメリカの大学に行けば右傾化するのは自然の成り行きだし、戦後教育を享受した人間が左傾化するのもまた自然の事だと思う。
そういう意味では作家ほど右翼になりがちだし、理工系を専攻したりアニメや芸術に傾倒するような人ほど左翼になりがちなのはごく自然のことだよ。
そう考えれば、“右翼は文系、左翼は理系”という説もあながち嘘とは言い切れないんじゃないかしら。
無論、文系にも左翼はいるし、理系にも右翼はいると思うけど、問題は大多数が上の通りかどうかの話で、実際そうなんじゃないかって話なのだけど。
http://bayaread.hatenablog.com/entry/2013/07/04/004426
自分の話なので徒然として結論もない。
自分は育った家庭が日本ではかなり右寄り(アメリカなら普通くらい)で、外の世界に触れる前から中国人・韓国人は劣っていて悪いひとしかいないと教えられてきた。あと部落とか。とってる新聞はもちろん産経新聞。女は家庭に入るべきだし教育は不要、みたいな。母親が共産病院で働いたことがあって、その反動だったっぽい。
ほいで入った小学校が極左。校長が壇の下から壇上の卒業生に卒業証書を渡すみたいな意味のわかんないことをする(なんか偉い人ほどへりくだらないといけないそうだ)ほど極左な学校。もちろん同和教育とかもするし、原爆とか沖縄の基地とかの授業もいっぱいあった。国歌は習わなかったし、国旗掲揚とかもない。
小学校1年生にして価値観がぐらぐらとする。あれはたぶん実際体験してみないとわからないと思うけども、無自覚で受け入れていた思想が悪で、悪いと思っていたことが正義だと言われ、しかもみんなが無邪気にそれを信じているという状況に直面し、六歳の自分はものすごく混乱した。ただ子供なのですぐに順応した。子供的には楽な環境だったし、拒否する理由も、それを考える頭も当時はなかった。
その後、家庭の事情で転校し、今度は保守王国にきた。これまたすごい。イベントのたびに国旗掲揚、国歌歌うはともかく、集団行動を叩きこまれてそれを乱すとものすごい体罰。なんだここは地獄かと思った。それまですごいリベラル(といえばいいがまぁ野放図だった)だっただけに嫌悪感が半端ない。軍国主義じゃね、これ、みたいな。そん時が八歳。八歳なので軍国主義という語彙はなかったが、侵略戦争という言葉は知っていたのでこれはいけないことだ、と思った。ただ逆らうと体罰があるので大人しく従うほかない。
で、子供だったので順応するかとおもいきや、全然しなかった。学校大嫌いだったし、団体行動とかクソだと思ってたし、女子の幸せは結婚して子どもうんで家庭に入って、だから勉強だってそんなに頑張らなくていいのよ、役職はいつも副で男を立てましょうみたいな思想はクソ食らえだと思ってた。年齢相応の知性はあったのでそれをおおっぴらにはしなかったけど、ひっそりと拒否してるつもりで高校まで出た。
んで、大学入ってまたびっくりした。大学っていろんな地方から人が来るので、生まれた時からそれまで一貫して同じ思想を注ぎ込まれている人というのは多くいる。それ自体は別にどうでもよくて、そういう人と話した時に六歳や八歳の時に感じた、なんかよくわからない怒りというか嫌悪感というのがほのかに蘇ってきて、すごくたじろいだ。たじろいだというしかない感じ。
折り合いをつける過程で、子供の自分にできたのはどっちの思想も否定するということだった。受け入れない。受け入れないで適当にまわりにあわせてやり過ごす、というのが一番いいと思っていたし、誰かが強弁するならそれに合わせとけって思ってた。けど、ちょうど小泉さんが政権とってる時代で、靖国問題とかが出てきた時期だったんだが、それで当時の彼氏と言い合いになったんだよね。彼氏は関西の人でいわゆる「自虐史観」が正当だとおもってて、そもそも靖国神社には犯罪者が葬られているから参拝すべきでないという立場(らしい)。んで自分はまぁ、戦没慰霊はゴタゴタ言わなくていいんじゃないの、夜はどうせ墓場で同窓会でしょみたいな主張。
激しく言い合ったわけではないんだが、二、三言葉を交わした時に、どうしても彼氏の言葉が受け入れられないと思ってしまった。これに自分でびっくりした。びっくりしすぎてその後反論するのはやめてしまったくらいショックだった。日本で見ればやや保守、一部リベラルだから中道だろうと思ってたけど、がっつり保守派じゃん、無意識にそうなってたわ、と気づいたときはショックだった。しかもあんなに嫌いだったのに。
その後も地味ーに韓国嫌いだったり(口には出さないけども)(そして中国は不思議なことにそうでもない)、地味ーにおしゃれしているお母さんに冷たい視線を向けてしまったり、地味ーに結婚したり子どもうんだ友だちに嫉妬したり、そのたびに自分が保守的なことに気付かされる。逆に男性に対してはどうせ女だし軽く見てるんだろっていう気持ちが拭えなくて、気をつけないとつっけんどんな感じの対応をしてしまう。ほんでそのたびにショックを受ける。
結局一番最初に入ってきた時の思想から抜け出せないんだなぁってことを今も時々思う。意外なことに無意識に無条件で受け入れてることってたくさんあって、意識的に気をつけていても、気をつけきれないことってたくさんあるんじゃないかな。結局自分の頭で考えるってなんだろうって、こういう話題が出るたびに思う。全部は考えきれないし、把握もできない。多分これからもショックを受け続けるんだろうなぁ。
今は媚中媚朝が左翼だけど、昔はスタンスが友愛精神を以って臨んでいた。
アホのポッポの友愛ではなく、むしろ慈愛に近い友愛の精神があった。
しっかりした出自の日本人であり、本来はこういう人間が多かったんだろう。
いつからか媚中媚朝寄りの人間が増加するに従ってそういった人間を左翼とする見方が増えた。
実際、左翼を旗印にする社会民主党や日本共産党などはその主義主張から日本国よりも中国や韓国・北朝鮮への友愛精神がきわめて強いように見受けられる。
昔の左翼は、国内を憂う真の愛国主義者だったが、今の左翼はむしろ破壊主義に傾倒しているといえよう。
戦後教育を今もって踏襲しようとする自虐史観を今もって変えようとしない所を見ると、そこにあるのは愛国主義ではなく、
その理由は、今の左翼というのはその殆どが出自のはっきりしない日本人で構成されているからだ。
そこには嘘偽りのない友愛精神が存在し、その精神は結果として他国との繋がり絆を示すものだと理解しているのだ。
追記:俺自身は左翼に愛国主義者なんていなかったと考えている。例のニーターパンなるトラックバックがどの程度の「左翼」記事に反応するか試してみたくなり根も葉もない嘘を書き連ねただけだ。左翼は今も昔も一貫して売国奴なのは変わりない。