はてなキーワード: 自己肯定感とは
去年転職したのだが任される仕事のレベルや量が自分のキャパを超えている。
前の仕事とは少し違う業務内容で、自分で判断できることも少ないし、いったん任された仕事(期日はない改善タスクのようなもの)が他の仕事が手一杯で手をつけられなくて、他の人に知らぬ間に回ってたことが何回かあった。そういうことがあると落ち込んでしまう。
つい先日もそういうことがあって、何だか申し訳なくて自分はチームの負債なのではないかと思えてきた。
周りの人は飄々と仕事をしているようだ。みんな優秀で、自分みたいな田舎の貧困家庭からの成り上がりではなく東京に実家があり、有名高校、有名大学、教授の苗字で通るような有名な研究室を出ているエリートばかりだ。そこに引け目もある。
いや、実際は自分は客観的に見ると労働者としてそこまでレベルは低くない。上記のようなタスクもちらほらあるが、自分の周りでは見ないだけで忙しい人間のタスクを巻き取るなんて普通だろう。自分は他の仕事については途中で投げ出すことはないし、そこそこにやれている方だ。
相対的にみても全く仕事をしていないおじさんとか、在宅の様子を見る限りずっとサボってる先輩とか沢山いるから、少なくともチームのお荷物と言ったレベルではないことは確かなのだ。飄々と仕事をしているように見えて振られてる仕事が自分より少ないパターンの人も沢山いる。
そもそも自分が振られたタスクに手をつけられないのだって、上司のマネジメントのせいにもできる。
そうやって人のせいにしたり他と比較する事で精神を落ち着かせられることができたらどんなに楽だろうか。新卒で外資に入ってしまったせいか、成果が出せなかったことに対して執着してしまう。10のうち9できてもできなかった1に目を向けてしまう。1の成果が出せないと存在価値がないように思えてしまう。
とにかく今の職場は「一度振られた仕事が知らぬ間に他の人に巻き取られていた」ことによりなんとなく気まずくてとても居心地が悪い。(多分自分だけ)まだ一年も経っていないのに逃げ出したくなってきた。この状態で逃げられる場所なんてないのだろうけど。
興味深い。
ただ、自分の欲望レベル(言葉は悪いが見境の無さ、と言っても差し支えない)と周囲から望まれるレベルが常に反比例するわけではないというのが考慮すべき点でもあると思う。
一般的に魅力的と思われるのに自己肯定感が低く、いわゆるストライクゾーンが広すぎる状態にっている人もいれば、周囲から望まれなかろうが理想は高くある、という人もいるのではないだろうか。
供養的なアレ。わからなかった、って言うと違うのかもしれないけど。
自己肯定感が低いために意図してない方向に展開が転がっていくような、ありがちな話。
当時年齢18〜21くらい。
ナンパっていうのがよくわかってなかった。いやナンパという言葉はしってた。でも突然お茶しませんか〜っていわれるイメージだし女といえど、自分みたいな垢抜けない見た目よくないメンヘラに声かけてくる人いるとは思わないし。
しかも自分の趣味絡みのことから話が始まると思ってなかった。ライブハウスのそばで声かけられたのだけど、当時趣味の友達いなくてそれが寂しくて、だからこの声かけてきた男性についていっちゃった。ツイッターみてるとこの界隈の趣味友は男女関係ない感じだったし。
歩きながら話してみるとこのひとと自分の趣味はちょびっと近いけど違った。そこで別れればよかったんだけどね。
はじめはカラオケにでも行く? という話になったけど土地勘なかったから相手のペースに乗せられて相手の家にいくことになった。
でもふつうカフェとかサイゼとか適当な飯屋行かない? ライブ後で21時過ぎとかだしあんま店あいてなかったのかな。川崎ってそんな田舎か? マクドナルドかなんかによったようなきもしなくもない。
このとき、女ひとりでおそらく一人暮らし男の家は危ないのでは? 土地勘もないし…、とは思ったんだけど、まぁ自意識過剰だよな家で茶でもしばいて話でもするのかなと思い直したんだ(掲示板で女叩きを見すぎてこちらの認知がおかしくなってたのもある。だれが根暗デブス相手に欲情するかよ、的な発言を内面化していた)
そして家についてなんやかんややり取りがあって、今日はもう寝ようと言われた。こっちはライブでそれなりにぐちゃぐちゃなのだが…と頭の片隅で思ってるうちに一組しか無い布団に引きずり込まれた。
そのうち下着に手を突っ込んで体を触ってきた。気味が悪かった。手を押しのけたり、やめてほしいと言い続けた。
そのうちにもしかして処女? とかきかれたので、そうですだからむりむりとマッジで拒否ったらそのひとは手を止めて、そのうちそのひとは寝た。自分は一睡もできず、始発の電車を検索して早く時間がすぎるように祈っていた。
そういう意味ではマシな部類だったんだろうね。最悪の場合犯されて殺されてたわけだし。
垢抜けてない女を連れ込みたいくらいには寂しかったんかな。でもすまんな寄り添ってはやれんのだわ、今日朝イチ講義あるので風呂も入りたいしと始発で帰宅して連絡先削除して自宅で泣いた。
それからしばらくずっと落ち込んだ。インターネットにはついて行く女が悪いみたいな記述が山ほどあった。最悪殺されるわけだからまあわからなくもない。
いやでも、最初に、初対面ですがあなたがよければ今日はセックスをしたいですってちゃんと言えよ。騙すみたいにしたうえに雰囲気で流そうとすんな。
このときは男は狼と思え、知らない人にはついて行くな、が正解だったわけだけど、当時知り合いに似たことやられてたら全然疑わずについていっちゃったと思うし、これって肝心のなんでついてっちゃだめなのか、ってとこを聞いたことなかった気がする。自分は。
男は狼なのよ、気をつけなさい〜とか言う歌を幼少期に繰り返し聞いてたけど意味わかんなかったし(凶暴な性格的な意味かと)
少女漫画や恋愛小説(恋空とかもあったね…)をあんまりよまなかったかわりに、BLは読んでたけどこういうタイプのは遭遇したことなかったと思う。
男女も男男も女女も人外も、恋とか愛とかは友情や信頼ベースのが好きだったから、行きずりの関係というのがなんというか意識の外側だった。
その後異性の友人に、もう遅いからうちの部屋泊まってけば? もちろん変な意味じゃなくて!(なおこいつは酔っ払っている) といわれたときは、向こうにその気はなかったのかもしれないがちゃんと断りました。普通に電車あったし、友人にすっぴんを見せたくなかったというのも大きい。
これのほかに、大昔に意味わからん理由でクラスの女にいじめられたり、就職後女上司から言葉のサンドバッグにされたあと突然優しくされたり、路上でしらんおっさんに痴漢にあったりして、結局初遭遇の人には男女問わずはじめから信用度にマイナス補正をかけるという着地をしました。これは結果だけみればよかったのだろうか。
非モテに苦しむ増田(https://anond.hatelabo.jp/20201006215439)を読んだので俺も書こうかな。
毎日散歩するんだよね。2時間くらい。病気が少し良くなってきて社会復帰した頃に始めて、もう10年近く歩いてる。
季節や時間によって雰囲気ががらっと変わる景色とか、差し込む夕日に照らされた木々とか、面と向かって話すと絶対馬の合わなさそうなオバちゃんやおっさんが頑張って歩いてる姿とか、いいと思うんだよ。
大嫌いだった歩きたばこも、まあ散歩してるんなら家で吸ってるよりは健康的なのかねという気もしたりして。
何年も毎日決まった場所で見ていたシャム猫がふらっと見なくなって、今年の夏は超えられなかったか、と寂しくしていたら、数日前に少しズレたところでおっさんに撫でられてるのを見てほっとしたりとかさ。
折り返し地点にしてる湖のある大きな公園ではいつ行っても子供達やカップルが楽しそうに遊んでいて、気取った格好でギター弾きながら歌ってる人がいる日はちょっと長居して耳を傾けてるし、ヤンキーっぽい子らがやってるスケボーを遠くから見るのも悪くない。
中間地点にある中くらいの公園でやたら多く集まって屯してる犬の飼い主達には少し眉をひそめちゃうけどね。
昔から、俺はどこに行って何をやっても「ズレた人間」なんだけどさ。容姿だけじゃなく行動もね。
タイトルでは「非モテ」なんて書いたけど、ホモソーシャルなコミュニティにも溶け込めた試しなんてないよ。
そのくせ独りぼっちは嫌だったから、ウザがられても必死に周囲について行こうとして、上手くいかなくて自滅したりして。
親や実家がヤバかったり虚言癖があったりしたのもいけなかったんだろうな。学生時代は黒歴史を量産してたよ。
女性との関係なんてもう笑っちゃうくらい接点ないから、今では自分の性器が排尿とオナニー以外に用途があるなんて信じられないくらいだ。
昔はそういうのを嘆いて「俺は不幸なんだ」と絶望したものだけどね。
こう言っちゃ何だけど、体力がいるんだよね。絶望って。
親に依存して狭いコミュニティの中で毎日息苦しかった頃には何も考えず絶望出来てたけど、周囲が自分にそれほど目を向けなくなるとエネルギーが足りなくてね。
まあ、「あれ?俺普通じゃね?」とか勘違いして痛い目を見た後には多少補充されるんだけど。
でも20代の頃になんとなく気付いちゃったんだよね。「世界って本当はこんなにゆるかったんだなあ」って。
先に書いた散歩で見る世界もそうだし、こうしてネットで見る世界もそうだし。わざわざ近付いて行って交流したり自分と比較する必要なんてなくて、美しいものは素直に美しいと思える外野でいいんだ、って。
綺麗な女性を見たら「おお、美人!」とか「カッケー」とか「エロいなー」とか思っとけばそれでいいじゃん、と。
お付き合いしたりセックス出来ないからといってその人の価値が低くなるわけじゃないんだよな。こちらとしては視界に入るだけで眼福なんだからそう悪い話じゃない。
まあこんな事、口に出したらセクハラだし男からすら軽蔑されるから内心だけだけどね。
自分に期待してあれが出来ないこれも出来ないと思うより、色々なものや人を遠くから見て、自分以外の何かに面白いとかスゲーとか感じてた方が幸せだと思うんだよ。
そういうものを無邪気に追っかけてる内に自分の趣味や生き甲斐が増えていたりするし。
よく「自己肯定感」って言うけどさ、あれは「自分に興味がなくてどうでもいいから能天気に肯定出来る」って話なんじゃないかとすら思う。
元記事にブクマがついたので、前回の続き的なものを書いていきます。
前回は小野氏と環氏、二人のリベラルの非モテ論に欠ける視点がある。それは身体が持つ生来的な欲望で、社会規範と同様に異性から好かれたいという欲求に対して大きな影響を及ぼしているという視点。なので、人が異性から好かれたい欲求や子孫を持ちたい欲求を持つことは人間として当たり前だと書いた。
もう一つ、最近の研究でわかってきた人間の当たり前の事を書くと、社会的動物として人間は他人を幸せにすると自分も幸せに感じる動物であるということである。
生涯のパートナー候補としての異性を欲求し、それを得ることに嬉しいと感じ、そしてパートナー同士がお互いを喜ばせることにより幸福感を感じるのは、そのように脳がプログラムされているのである。
経済的に豊かで一人暮らしが容易な先進国の日本より、経済的発展途上国だが人間関係が濃いのフィジーのほうが主観的幸福度ランキングで勝っているのはそのためだ。
パートナーを持たなくても他のことで幸せを感じることもできるが、非モテがパートナーが見つからず他者を幸せにすることが困難であることが苦しみに感じるのは生来的に当たり前の事なのだ。
では今回は非モテがその苦しみに対してどのように対処していけば良いのか考えていく。
これは非モテに対する悩みの深さが人によって異なるので一概には言及できない問題である。
各人固有の悩みがあるだろうし、それらの苦難に対してどう対応していくかも様々だ。
とはいえ「人それぞれ」と突き放すのもどうかと思うので、ここでは悩みの大きさを軽中重と分けて色々考えていきたい。
軽度の非モテは自分の非モテを軽く自虐できるくらい深くは悩んでいない。
なんなら出会いの機会さえあれば、自ら行動し非モテでなくなる可能性もある。
そもそも一人でいることが然程苦ではなく、一人も良いんだけど恋人ができればもっと良いよなと思う程度だ。
"生涯独身世代"と呼称される人々は2030年には男性の30%程度、女性の25%程度まで増えると予測されている。
それほど数の非モテたちは自分なりの幸せを見つけ、それなりに独身人生を楽しんでいくだろう。
とはいえ、その一部は男女共にチャンスが有れば非モテから抜け出したいとも思ってる。
もしあなたがそんな非モテなら、日常のルーチンから一歩を抜け出し、恋人を作る行動を起こしてみるのも手かもしれない。
また、あなたにそのような友人がいて相談されたら、同じようにバートナーを探している人を紹介してあげれば良い結果が生まれるかもしれない。
中度の非モテは自らのコミュニケーション能力の低さから、異性を幸福にし、好みの異性に好意を持たれることは困難だと悩み、非モテの状態にコンプレックスを感じている。
またそのような自分自身の状態から自らの力だけで抜け出すのは難しいと考えている。
もしくは自分自身では対処できないと自覚している問題にも関わらず、他人に助けを求めることを恥だと考えているかもしれない。
もし貴方がそのような非モテであったら、他人に助けを求めることは恥ではないと伝えたい。
自分の欠点を悪く思うことで余計ネガティブなループに陥ると、自分の力だけでその苦しい状態から抜け出すのは困難だ。
友人等他人に相談し、しっかり自己肯定感を高めていけば自信も付き、ネガティブな状態より異性に好かれやすくなるだろう。
またあなたが中度の非モテに相談されたならば、単純に出会いを紹介するだけでなく、その非モテのパートナー候補の異性と理想的な関係を持てるようにアドバイスをしてあげて欲しい。
重度の非モテは心の健康が損なわれた状態、またはその一歩手前の状態にある。
非モテの状態に強くストレスを感じ、受け入れがたい苦痛や不安にさらされ、無意識に防衛機制を働かせている。
自分の自我を守るため、自分の欠点を他人のせいにしたり、他人に攻撃になったりする。
心の専門機関に行き、カウンセリングを受けるのがベストであろう。
もしも貴方の周りにそのような非モテが居たら、とても厄介に映るだろうがさらなる非難や刺激を与えることはどうか避けて欲しい。
もしもそのような非モテが貴方の大切な友人であるなら、どうか説得して彼等を病院に連れて行って欲しい。それが私の願いだ。
最後に。
人の悩みは十人十色で、上記のコメントは全く貴方には当てはまらず頓珍漢な文章に映っているだろう。
非モテが苦しいのは当たり前だし、人間は他者との繋がりによって幸福を感じる動物だ。
自分の苦しみを客観視し、その状態を良い方向の持っていくのは簡単ではないが、貴方の人生が1ミリでも良い状態になることを願っている。
さぁ第3回非モテダービー、ゲート開いてスタートが切られました!
KKOもまずまずのスタートを切ってさぁ正面スタンド前を通っての先行争い
そして腐女子が2番手、外を通りまして自己肯定感無し男、内を通って女を宛がえ男と年齢=彼女いない歴も前から、そして現在前から6番手ゼッケン8番のKKOが行っています
1コーナーのカーブに入っていきましたが陰キャキモオタが大逃げをまたまた打ちます
ご覧のような距離がついて陰キャキモオタが現在先頭逃げています
13番の年齢=彼女いない歴、その後ろちょっとここも間があいています、10番の腐女子が行っています、南関東大井の腐女子
そしてその後ろには12番の自己肯定感無し男、そしてKKOがおります
現在1200の標識通過して58秒台、まずまず早いペースで陰キャキモオタが飛ばしている、その後ろに女を宛がえ男!
さぁしかしこの場内のどよめきは陰キャキモオタのとにかく逃げ!
何馬身開いているかとても実況では今の段階ではわからないぐらい大きく大きく差を付けて逃げていっています!
さぁ早くも陰キャキモオタだけが4コーナーのカーブに入ってきました
先頭陰キャキモオタ、そして年齢=彼女いない歴が伸びる!腐女子、その外を通ってKKOはとどかないか?KKOこれはもう無理!
11番の陰キャキモオタ!見事に決めたぞ逃亡者陰キャキモオタ!
グレードⅢを見事2戦続けて逃げ切りました!
これはただの自分の観測範囲の傾向なんですけど非モテ男性はセックスできる=承認が得られないことが辛いと感じているのに対し非モテ女は男から愛されることや他人にチヤホヤされることに強い承認欲求がないよね。そもそも「モテない」ことがあまり問題ではなく見た目により明らかな罵倒を受けたり差別を受けていることが問題なんだよね。
そう考えると女の方が普通に生きてても罵倒を浴びせられるので辛そう。承認欲求強い男は自己肯定感くらいセルフでやれよと思う。
今、金がないと思うことあまりないのだが、孤独感と未来への不安で満たされない気持ちになる。
学生時代は、友達もいたし、未来への希望もあった。だが、金がないのと承認欲求の高さで自己肯定感の低さで満たされていなかった。
この日記は今日「マイ日記」というアプリで完全プライベートで書きはじめたものだが、思いのほか長文が書けたのでこのクソを人に浴びせかけるとどういう心の動きになるか、どんな文句を言われるか発達障害者(ADHD)が認識の歪みを治したい半分好奇心半分で匿名ダイアリーに投稿するものである。
日記をつけることにした。このアプリはタイトルをつけなくていいのが良い。タイトルは頭を使う。それはともかく、非常にダラダラした1日だった。昼夜逆転し、やる気が起きず、テレワーク始業の時間になってようやく眠気が来るという有様だった。寝てはいけないとは思いつつ、そのモチベーションが保てずAmazonプライムをダラダラ見ながらというか聴きながら就寝。
14時あたりに起きるがこの体たらくに罪悪感、金曜から返信していない取引先から怒られる恐怖(実際この程度の遅れで怒る人間はいないが、見てるのに返信していないという罪悪感が被害妄想を駆り立てる)、全力を出しても生活を立ち直す未来がみえない絶望などから、今やるべきことを無視してまたAmazonプライムを観る。
コンサータが切れそうなので病院を予約したが、上記の理由と「黙って業務時間中に行くのは会社に悪い」という謎の罪悪感が伴ってやはり動けない。散々現実逃避でサボってたくせにである。
いや、単純に億劫なだけなのを「会社に悪い」という後付の理由で真人間っぽく取り繕っているだけだな。自分への言い訳だ。なんとなく頭の片隅では見苦しい言い訳だと感じつつも、結局はこの期に及んでいい人ぶりたいんだなという事実に今気づいて少し発見だった。さらに、日記でこれを赤裸々に書くことで自虐的な気持ち良さにも浸っているのかもしれない。そういうのは思春期の学生のときに卒業しとけよ。と別の自分が突っ込んでいる。でもこれは赤裸々に書くものと決めたから。
というわけで、とてつもなく億劫だったのでとりあえず気持ちの良いことをとオナニーに逃げる。野原ひろみさんのエロ漫画でシコりつつ決め手にかけるのでエンジェル倶楽部を流し見するも結局は中途半端はところでイく。「こんな世界に生きれたら」と願った。
その後一服して遅れつつも心療内科に行きコンサータをもらう。27から36に増えた。これでなんとか動けるようになれば良いのだが…。とは感じつつも同時に薬に頼るのも限界があるという事実が脳裏にへばりついている。
今日の進歩はこの日記をつけようと思ったことだ。日本語がおかしくてもいいので思考を客観的に見れるよう、ハードルを低く設定して続けていきたい。「今日はダメだった」の一言でもいい。日記が書けないほどのモチベーションの低下がみられるという事実が記録されるからだ。(この理屈だと何も書かなくても事実として書けなかった、という記録が残ることにはなるのだがそれはあまりにもその日を思い出すきっかけがなさすぎる)
あまり「頑張らなきゃ」と思わないように意識したい。てにをはや語尾の統一、表記揺れなどは気にしなくていい。ここに至っては自由なのだから、自分でその拙さを許せるかどうかだけだ。(とはいいつつ、見直して流石に変だと思うところはちょっと直してしまう)
しかし初日で単なる思いつきにも関わらず、(あるいは初日だから?)誰にも見せなくていいという気楽さからか結構長文が書ける。これは意外だった。自分の中は空っぽだと思っていたが、他人に相談するより吐き出すほうが向いているタイプなのかもしれない。既にもっともっと書きたいと思っているが、この気持ちが続くかというと謎である。寝て起きるとリセットされるのが常だから。むしろ家に帰ったら別のことがしたくなるだろう。そのほうが楽だから。場に気分が左右されすぎだ。自分がない。アイデンティティを得たい。
※結果、家に帰る途中でコンビニの寿司と豚汁を買い、タバコを吸いこの日記の追記をしている。金ないのに寿司なんか買うな自制心ないボケナスと思いつつ、追記するモチベが保てているのは褒めたい。これから深夜までサボった分の仕事も取り戻そうと思っているし。
だけど、思えば中学のころから辛い気持ちを吐き出すために絵を描いていた。僕の表現の本質は排泄なのだ。うんこを他人にぶっかけるわけにはいかない。この年になって自覚するとは、頭が悪いにもほどがあるな。自分の文章をみてすこしすっきりするのは「こんな大きいうんこした」という満足感と相似するものだろう。
昔からクリエイターに向いているとアールキャップなどでも診断されるが、今のエンターテイメントは数が多すぎてレッドオーシャンだし、全体的に洗練されすぎていて、上質な作品さえも話題性がないと見てもらえない。この手の診断のクリエイターとは社会不適合者の言い換えであることは理解している。
というか、クリエイターはたいてい締め切りがあって、よほどの大物であるか、かけがえのない技術がない場合はクライアントの要望や市場を的確に把握しつつも個性を出す必要があるので、普通のサラリーマンよりコミュ力や自制心が必要だと思うのだが。なぜ社会不適合な解答をするとクリエイターを勧められるのか。検査を作ってる人間はクリエイティブな仕事の内実をきちんと理解しているのか?発想力や企画力が必要だからこれじゃない?知らんけど。レベルにしか思えないのだが。
しかし、小学生のころはアホだがよく笑い、運動も好きで、友達も結構いてなおかつ可愛げがあったと思うのに、どうしてこうなった。理由は明白、中高時代の荒んだ生活のせいなのだが。
中学校に行くのが本当に嫌だった。不良に弄られる、遊びで殴られる恐怖に支配されていた。また、小学校時代の友人たちがどんどん環境に適応していき、若干の攻撃性を帯びていくのも嫌だった。とは言っても不良になったわけでもなく、一般的にみて普通だったのだが。超個人的な細かい部分の変化だ。ちょっと口が悪くなったりメダルゲームの競馬で遊んだりエロくなったりしただけだ。むしろそれはポジティブなことで、健全でたくましい成長と言い換えてもいい。僕が自意識だけ肥大して、強くなれなかっただけだ。
なにはともあれここで自己肯定感(自己肯定感なのかな?ともかく人格形成において何かしらの重要な要素が欠落したのはたしかだ。なにもやる気が起きなくなった。)がなくなり根暗となる。
それを引きずり高校に進学したあと友達が出来ず、マイナーなジャンルの音楽を聴いてアイデンティティを保っていた。良さは全然わかってなかったのに、みんなにないものをもっていると思いたかった。いわゆる中二病というやつだ。実際、あんなに聴いていたのに曲の展開や歌詞などうろ覚えだ。下手するとそのジャンルの有名なバンド名も出てこない時がある。聴いていたというより聞き流していた。
三年になると優しいオタクたちが仲間に入れてくれたが、彼らのパッとしなさに内心見下していたので「僕はこいつらとは違う」と一線引いていた。客観的に見れば同じどころか僕のほうが気色悪くてヤバいやつなのに。今でも交流はあるものの、話が合わなさすぎてやはり見下している部分があるのは否定できない。というか、純朴すぎて自分が社会不適合者であるにもかかわらず「社会でやっていけているのだろうか…」と最悪すぎる心配をしている。何目線なんだ。いや、最悪すぎると自虐して予防線を張るのやめたほうがいいよとまたもや別の自分が言っている。はあ。
大学に関しては楽しかったと思わないと自分が保てない。実際はコミュ障すぎてサークルでも「そこにいた」だけなのだが、それを弄ってもらえたおかげでなんとなく存在感は出せていた気がするので、青春は経験した、というカウントにしておきたい。そうしないと僕の人生悲惨すぎるので。彼女はいなかったが。ただ、尊敬できる人間には少なからず出会えた。うーん、こんな赤裸々な日記でも大学生活に関しては脳のリミッターが解除しきれず、曖昧に擁護してしまっている。恐らく尊敬出来る人たちと同種の人間なんだと思いたい心が、まだある。
話しはエンタメに戻るが、昔も話題性が重要というところは変わらないかもしれないが、私小説は排泄に近い表現がゴロゴロあるからなあ。とはいっても、詳しくはないからイメージの話だ。したり顔である「からなあ」じゃあない。しかし昔のほうが荒っぽい、素材そのままみたいな表現が許されていたのはたしかだろう。
売れる売れないはともかくとして有効なデータなど取れないし、今ほど娯楽が多くないのでともかく試してみようという機運と余裕があっただろうと思われる。知らんけどきっとそうだろう。そのかわり、働き方はめちゃくちゃだっただろうけど。その荒っぽさにはついていけなかっただろうから、どっちにしろ詰んでいる。というか、そもそもクリエイターなれるほど上等なクソは捻り出せない。そんな面白人間ではないし、根気もこだわりもない。
僕はどこへ向かい、どこに落ち着くのだろう。一生落ち着かないのかもしれない(むしろそれが濃厚である。なんせ学歴も私立文系偏差値50程度、仕事もできない、生活も破綻している発達障害者なのだから)今日も明日も多少の見栄と死の恐怖によって死んだように生きている。本能と少しばかりの社会性によって辛うじて生かされている。タバコを吸ってゆるやかに自殺しているが、体調が悪化するとやめてしまうことの繰り返しだ。
こんな中途半端な自分でもどうか、少しでも幸せな人生になりますように。わがままにも祈らざるを得ない。アーメン。
ああ、掃除をしなければ。
コロナやら何やらで職場で全員カウンセリングを受ける事になった
あまり年の変わらない女性カウンセラーに何か悩みや困っている事はないかと聞かれ、特になかったけど何となく将来が不安と言うのを絞り出した
その為には自分を許す事
と言われた
許すも何も特に自分に対して何も怒ってはいないなぁと思ったのでそれを言うと
と聞かれて良く良く考えたら1人だけいる
それを伝えると
とか
その人のどんなところが嫌なんですか?
その人はあなたにとってどんな人ですか?
とかいろいろ言われているうちに腹が立って来て気持ち悪くなり涙が出た
何でそいつを許すんだよ
何十年も前の事を初めて会った女に急に無理やり思い出さされて涙が出た
泣いても良いんですよ、その人を、あなたを許してあげなさい
とか言い出して本当にムカついたので
レイプした人を許すんですか?
と聞いたら顔色が変わりなんで早く言わないのかと言われた
初めて会ったおまえに急にそんな話するかよ
その後は
何十年も前の事で私はもう大丈夫だしその時に適切に対処している
と言うと
とか言われてなんとかして
心療内科と契約してるカウンセラーらしいけど私がマジでメンタル弱い人とか弱い時だったらこいつ引き金でって事もあり得るだろ
こんな人がカウンセラーやってていいの
こう言う
困ってない人を無理やり困らせて自分が助けてあげた感じにしたがる人
って何て呼ぶの?こういう人最近多い気がする
書いてある状況から考えると「承認欲求とか自己肯定感を満たすためにセックスに走った」と俺も思う。
だけど現代って「安易にセックスに頼るな」とか「本当に結婚していいのか」とかを面と向かって言うと、言い方にもよるけどめちゃくちゃ嫌がられるじゃん。
誰が言い出したのか知らないけど「他人の意見は気にしないで自分の人生を生きよう」、みたいな言説で満ち溢れているし。
その結果、判断力が未熟な人たちはどんどん搾り取られていってるわけでしょ。
会社でメンタル休職を繰り返してた40くらいの女性社員がデキ婚してそのまま休職理由が産休育休に変わった
自分もメンタル休職を経験していて、調子が上向いてきたら気晴らしに外出するのもいいんじゃないかなと思う方なんだけど
性欲だけは回復しなかったんだよね、人と深く関わりたくない気持ちの方が大きかったし
メンタルが不安定なこんな自分が家庭とか子供とか無理でしょと思ってずっと独身だし10年以上恋人いなくてセックスもしていない
で、冒頭に書いたメンタル休職を繰り返しながらデキ婚した会社の人
「セックスする気力はあるんだ〜」みたいな話じゃなくて、承認欲求とか自己肯定感を満たすためにセックスに走ったのでは?と妙な心配をしてしまう
どうなんだろう
いずれも実らなかったので、愛というよりは恋とか欲望・羨望の類の感情で終わってしまった。
それ以外、何度も誰かと付き合って、しまいには結婚までして気づいたのは自分には「人を愛する才能がない」ということだった。
多分だけど、誰かを愛するのにも才能が必要だ。
愛を与えるべき場所を見出して、許容して、心を許していかなければならない。
自分にはそれがとてつもなく難しいことなんだとこの三十余年の人生で気づいてしまった。
まず、一途に誰かを愛すのができない。
持って一年。それ以降は相手一人じゃ満足できないのでいわゆる浮気だの不倫だの必ずしてしまう。
失う恐怖とかまぁ無くもないし浮気バレてひどい目にもあったが、一人だけに固定するのが苦痛。
どんなにいいひとだなと思っても、ささいなことで一気に嫌いになるのもよくある話。
自分にとって不都合な点を粗探しするのはおそらく他人よりだいぶ得意だ。
傷つけたい願望が強い。
喜んでいる顔も嫌いじゃないけれど、悲しそうな顔の方がずっと好きだ。
これは自分にとって最も難しい。
相手を受け入れることに対して、筆舌に尽くし難い異物感がある。
自分を侵されたという感じでは無く、相手の認めてほしそうな面構えも含めて全部嫌気が差す。
じゃあ愛だの恋だの浮ついた話がないかといえばそういうわけじゃない。
むしろ周りを見回すかぎり、多い方なんじゃと感じる。
体の関係だけなら3桁いくし、そのうちの7割ぐらいの相手はちゃんと好いてた。
割とすぐ誰かを好きになる方だと思うし、そもそもセックス経たらよほどのことがない限り独占欲をはらむ「好き」な感情が生まれるのだ。
これはめちゃくちゃ普通というか、そこにいたるまでのハードルは結構低いから、自分の好きそうなタイプであれば軽率に好きになることが多々ある。
でもそこから先がなかなかどうして難しい。
あんなに好きだったのに、しばらく経つと情や慣れだけになる。
もう目移りしているし、愛を育む関係とか下手くそすぎてやる気にすらならない。
とどのつまり、ものすごくコミュニケーション能力が欠落している人間なんじゃないかと思い始めた。
自己肯定感が低いとか、そこらじゅうに落ちてる理由はまあ否定しないし、自覚がないから他人にどう言われようと構わない。
でも、一生こんな非建設的な人間関係しか築いていけないというのは、自分でもどうかなあ、なんだかなあと感じる。
できることなら愛し愛されたいし、長期にわたって安寧を感じるような関係を築きたい。
難しい。
人を愛するって難しい。
公助はゴミ箱じゃないぞ?クソなペット飼いと同じく責任感と情緒に問題がある
メンヘラがメンヘラを再生産する負のループはどこかで止まると良いなって思う
近所の人 「お宅のペットがいつでもどこでもうるさい。ノーリードが怖い」
クソ飼い主「あ?ウチのペットがうるさい?生き物がうるさいのは当たり前だし!ウチの子は噛んだりしないし!神経過ぎ!しつけ?虐待コワー」
近所の人 「お宅の子どもがいつでもどこでもうるさい。道路で遊んでいる、我が家の前でボール遊びしているのが、危なくて怖い」
クソ親「あ?ウチの子がうるさい?子がうるさいのは当たり前だし!ウチの子は車が通らない道路で遊んでるし!窓を割らないように気を付けてるし!神経過ぎ!しつけ?虐待コワー」
名無し 「じゃあせめて最後まで付き添ってやれ。良い環境を用意してやるのが一番だが、愛情受けて最後まで過ごせるならガス処分されるよりは良い最後だろう」
クソ飼い主 「仕事だし!!そもそも付き添ってたら俺はいつ遊んだらいいの?!俺の人生はないの?」
クソ飼い主「出来の悪いペットなんかいらなかった、俺の人生はペットのせいで散々だ」
クソ親 「子どもが不登校/学習進度についていけない になった!!サポートする金ない!!」
名無し「じゃあせめて学習に付き添ってやれ。良い環境を用意してやるのが一番だが、愛情受けて過ごせるなら自己肯定感の欠如は起きないはずだ」
かつては職場のエース 昇進も早い方だった 満を持して回ってきた重要な役割 HSPっぽい性質が災いして 人間関係や期待、プレッシャーに耐えきれず 鬱になった 通院するようになった
その後はネガティブさが自分を覆うようになり ネガティブなダークサイドに堕ちた それが10年前
その後10年間
ひたすらに雑用 それしかできなかった 自信を失い 居場所が見つけられなかった なんとか居場所を確保しようともがいてきた しかし10年も立つと別世界
周囲はどんどん昇進し 自分の目線から見える風景は 全く変わってしまった もともと高くない自己肯定感は 底まで落ち 認知も歪んできた
これは闇堕ちなのか
HSPを感じてるみんなは どうかこうにはならないで