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はてなキーワード: 絶歌とは

2017-08-30

雑記①】

雑記①】

真木よう子炎上→鍵垢名「騙された」→ツイ消し

北尾修一:コミケ写真集編集。8/31太田出版退職予定

CAMPFIREクラウドファンディング北尾転職先?

太田出版酒鬼薔薇聖斗絶歌出版したクソ会社

万年書房:9/1に北尾が立ち上げ予定(炎上HP削除)

6/28真木よう子Twitterデビュー

7/3:フォロワーのリプに反応し松クラ度をアピール

7/23:一松アイコンで寝ている画像ツイート

8/14:視聴率暴露ツイート(1時間後にツイ消し魚拓無し)→東スポ記事化

8/25:コミケ参戦表明、クラウドファンディングスタート

(追加:8/12コミケを見に行く)

以降、ネット上でオタクアンチオタクコミケ参戦についての泥沼抗争。

8/27:真木よう子Facebook謝罪

8/28:突如鍵垢になりアカウント名が「????騙された????」になる

8/29:アカウント削除。百万年書房ホームページ閉鎖

2017-01-13

絶歌って究極の炎上ビジネスみたいな感じだったのに

思ったほど燃えなかったな

2015-12-05

絶歌感想

衝撃的な事件だったし、単純に猟奇的事件に興味があったのもあり、

当時、小学生の僕は夢中になってニュースを見ていた。

その後インターネット少年A顔写真を見たり、まとめているサイト事件の詳細を読んだりしていた。

被害者加害者が出した本は読まなかったが、『絶歌』は発売後すぐに買い、読んだ。

読んでから随分と経ってしまったが、感想を書いてみる。

まず、サムの息子法が、とか言っている人もいるが、これに関しては現状の日本法律問題ない以上、文句言っても仕方がないことである

また、世界各国で適応されている法律ならまだしも、一部の国の一部の州でしか実施されていない法律をあげるのは、都合が良すぎる。

文章に関しては、ネットでは批判的な意見が多いが、良く書かれていると思った。少なくとも僕にはこのような文章は書けないなと思ったし、

文章力はどのように身につくのだろうかとも思った。高校大学と出て学んできた身なので、自分が恥ずかしいとも思った。

そういえば、『黒子のバスケ脅迫事件被告人意見陳述も読み応えがあったなぁ。。

中身に関してだが、この本は大きく分けて、少年院に入るまで、出た後の二部構成になっている。

少年院でどういった生活を送っていたのかも気になったので、そこが書かれていないのは残念に思った。

一部と二部では文体が異なる。一部では、少し厨二的というか、見えていた世界が人と異なるような表現が多く、少年の異常さが表されている。

二部では、淡々とした文体で書かれていて、更生されているかのような印象を持った。

しかし、これは意図的文体を変えているものだと感じられた。当時の少年時代日記がそのまま公開された。とかならこのような違いがあることも分かるが、

書いたのは現在少年Aのため、このように文体が変わるのには違和感がある。

少年A犯罪の原因は、自分性癖にあると言っている。親しかった祖母の仏壇の前で、マッサージ器を性器に当て、初めての射精した事から

死と性が関連するようになってしまったとのことだ。

猫を殺した時も、射精したし、被害者の首を自慰行為の道具としても利用したとのことであった。

しかし、同級生に対して暴力行為を振るったことは、性衝動とは一切関係ないので、性癖のみが暴力犯罪の原因とされているわけではなさそうである

また、被害者の首で自慰行為を行ってから、その後射精をしなくなった (少年院時代のみ?)という記述があったが、今現在はどういったもの対象に性を感じる

ようになっているのかが気になる。今でも死と性が関連していると思うなら、今後も事件が起きる可能性がありそう。

家族は悪くない。と書かれているところが多数あるが、客観的に見て異常。同級生暴力を振るった時の母の注意の仕方とかは、軽い喧嘩を注意するレベルで、

おかしいだろうと思った。

成人し、出所してから仕事もちゃんとしているし、生きる力が強いと感じた。また、金に対する執着もあるため、『絶歌』の印税は相当本人としては嬉しかったんじゃないかと思う。

金に困って犯罪するタイプではないと思うが、印税を与えることによって少し大人しくなるのではないかと思った。別に絶歌』を買ったことを正当化している理由ではない。

社会人生活を送っている時、同僚にインスタントカメラ写真を撮られた時、切れてそのインスタントカメラを振り払い、壊したみたいなエピソードがある。

写真に撮られることがナーバスになっているということを表したかったのだろうが、単純にキレやす人間みたいな印象を受け、恐怖を感じた。

その後、ホームページ公開したりしていて、良い体しているなとか、ナメクジ写真ダミアン・ハースト的でもう少し評価されても良いんじゃないかとも思った。

(今久々にアクセスしたらギャラリーから消えてた)

ネット上では絶歌』の批判ばかりだが、読み物としてもそれなりに楽しめるし、超有名犯罪者文章を一度読んでみるのも良いのではないかと思う。

2015-09-16

酒鬼薔薇聖斗をあまり非難しないほうがいいと思う

神戸連続児童殺傷事件犯人である元少年Aが自伝絶歌』を出版した。

僕は特に読みたいわけではなかったが、いろいろあって『絶歌』を読むことになった。

絶歌』を読んでのちょっとした感想

はっきり言って、Aが考えてることは理解できないけど、Aは病気にかかっていると思った。

僕が思うに、Aの病気は人にののしられたい、という病気

世間はその病気にかかっているAを喜ばせるかのようにAをののしる

それは少なくともAの病気をより悪化させても、Aの病気を治すことにはつながらないはずだ

例えると、膿んだ傷口を指でいじるようなものだ。

ならば、その傷口をそっとさせるように、世の人間がAをつまらないやつだ、おもしろくないやつだと考える。あるいはAがそう考えれば、

Aのおかし病気はもしかすると治るかもしれない。

別の可能性として、世間面白く思われようとして、また犯罪を起こすかもしれない。

その時は、司法がAを裁くだろう。もう少年法適用されない。

しかし、僕はAがまた犯罪を起こすことはないと思う。自伝を読んだが、Aの思考は、病んでいるもののかなり普通に機能しているように思えた。

確かにAを非難したいのはよく分かる。だけど、Aが喜んでいるのはもっと恐ろしい。

その意味で、『絶歌』は広く世に出してAをけなすための道具になっただけにすぎなかったように思えた。

このごろAがサイトを開設したらしい。僕は見ていないが、

ぜひとも、「大したことない」とか「誰でも作れそうだ」とかそんな感じでやわらかく無視してはどうだろう。

2015-09-11

「元・少年AHP」を見た小並感

絶歌」のことは知っていたが、興味がなくて読んでない。

今朝スマホ記事で、元少年Aがホームページを立ち上げたというのを読みあぁ、そう…と思いながら一通り目を通してみた。

http://www.sonzainotaerarenaitomeisa.biz/

以下、まとまらない感想

精神疾患がどうなってるのかは知らないが、なんというか…うん。現代用語辞典の「厨二病」項目には是非このサイトURL掲載することを勧めたい。Don't think, feel

地方中学生が、ビレバンで触れたサブカルに触発されて勢いで組んだギターロックバンド公式HP…みたいなビンビンのセンスよ。「実家に帰ったら母親自分黒歴史ノートを出してきた」級の恥ずかしさで、読むのも辛い。そうか。30超えてコレか。

もうこの際、社会に大きな影響を及ぼした元・殺人犯社会復帰後に自身を語ることの是非は横に置く。俺は正直、佐川一政生き方なら、あれはあれだと思っている。むしろ、語り方、語る内容に一般人のソレとは違うものがあって、なにがしかの感銘や感覚を惹起するならば、汚らわしくとも価値はある。

これを見て思ったのは、酒鬼薔薇というのは徹頭徹尾凡人だということだ。少しばかり発達し過ぎた自己愛と、ユルユルガバガバ社会性と、特殊性癖に後押しされて、たまたま勢いで若くして殺人者になってしまっただけであって、肥大した自意識の有り様や、ついうっかり「正しくオナニー」なコラージュ作品」を公開した上でページに「ギャラリー」とか名付けてしまゲロが出る様な痛々しさまで、この人は少しイタいだけのフツーのセンスの人だ。

ページタイトルが「存在の耐えられない透明さ」だった点、ミラン・クンデラ敬愛する自分は若干イラときたが、この軽薄さまでもが平凡だと思い始めると、なんとなく可哀想になった。

憐れみ他者への最大の攻撃になり得るが、自分の元・少年Aへの憐憫はそういう当て付けの悪意を表明するためのものではなく、結構本気で言っている。だってこの人は、持て余した自意識自己愛を解消する為に「元・少年Aである自分」にもうずっと縋り付かざるを得ないのだ。

そして、そうすればするほど社会との折り合いなんて付け様がないのだ。だって、僕らはこんな香ばしい元・犯罪者と関わり合いたくないのだ。

だいたいにおいて少年青年期の過剰な自意識は、社会に出た際の軋轢で徐々に削り取られたり、それに対する挑戦を通して昇華されたり、最終的には消化されなくても、その様なプロセスの中で自分とのバランスをとって大人になっていくものだけれど、彼にもうそのチャンスはないんだろうな。

だって、元・少年Aであることにしか、「異常な性癖で人を殺した」ことにしか、彼の社会的価値はないんだからもっと言えば、「アタマおかしい、少し壊れてしまった人」として憐憫と共に、一般とはかけ離れたアウトサイダーアート的な才能への他言できない憧れも集めつつ贖罪に生きる姿が人々の胸を打つ…とか何処のラノベだよ。でも、彼が自意識を支えていくには、そんな世界観で生きていくしかない。

このままこんな生き恥を垂れ流しにしていたら、ほっときサイコパスへの憧れを持ってくれたかもしれない多感な10代とかですら「あ、これは結構ッス」てなるよ。。そんで社会から隔絶されて、また謎の敗北感を抱えて再犯に走るとかの悲劇も、ワンチャンある。

願わくば、彼にもっと才能とセンスがあったら良かったのにな。こんなことを思うことすら不謹慎なんだろうけど、

得意げにナメクジ写真を撮っている彼のドヤ顔想像すると、そう願わざるを得ない。

2015-08-28

絶歌』発売前に消された「酒鬼薔薇王国管理人行方

神戸連続児童殺傷事件の加害男性が手記『絶歌』を出版した。ネット上で感想などを見ているのだが、気になっているのは情報サイト酒鬼薔薇王国」が消えてしまっていることだ。サイト製作者の「くそ餓鬼」氏にいったい何があったのか。

くそ餓鬼」氏は酒鬼薔薇聖斗殺害され、廃校の校門に晒し首にされている──これが私の想像

酒鬼薔薇王国」は酒鬼薔薇聖斗を「王」と崇めるサイトだった。サイト製作した「くそ餓鬼」氏は、犯行声明文の「ボクには国籍がない」という言葉に触発されてサイトを作ったと言っていた。「くそ餓鬼」氏が酒鬼薔薇聖斗を崇拝していたのは間違いない。

しかし、酒鬼薔薇聖斗が「くそ餓鬼」氏をどう思っていたのかは分からない。ファンなら殺しても良いと思っていたかも知れない。むしろ酒鬼薔薇王国が消えている現在くそ餓鬼」氏は殺されてしまったと考えたほうがよい。

くそ餓鬼氏は酒鬼薔薇聖斗殺害され、廃校の校門に晒し首にされている──それは妄想現実

酒鬼薔薇王国は、2ch掲示板「したらば」を使って閲覧者がコミュニケーションを取っていた。小学校のころの友人から少年院出所者まで幅広い情報が集まっていた。その情報草薙厚子さんの著作『更正2000日全記録』でも盗用されている。「くそ餓鬼」氏はその膨大な情報を以てファンの第一人者を自任していた。

しか酒鬼薔薇聖斗自身は『絶歌』で自分にとって都合の悪いことはすべて省略するという姿勢を貫いている。『絶歌』では後輩にカメラを向けられたとき衝動的にカメラ破壊したと書かれているが、実際にはそれ以外にも衝動的な暴力沙汰はあったと言われている。

くそ餓鬼」氏は酒鬼薔薇聖斗情報を集めていたがために、こうした情報も耳にしていたはずだ。そう考えてみると、『絶歌』の発売前に酒鬼薔薇聖斗によって殺されたと考えるのが自然である

くそ餓鬼氏は酒鬼薔薇聖斗殺害され、廃校の校門に晒し首にされている──

酒鬼薔薇聖斗は下手に関わってはいけない相手だったのだ。くそ餓鬼氏の御冥福を心からお祈りする。

2015-07-24

みんなあっという間に絶歌の話をするのをやめてしまった

こわい

2015-07-17

元少年Aではなく、絶歌の著者としての氏名等は法的に保護されるの?

いくら酷い犯罪を犯したとはいえ、当時未成年だった元少年Aの氏名や居住地などは少年法保護されてるから報道しちゃいけないのはわかってる。

 

でも彼は出版物を出したよね。

ベストセラー確実な著作物を自らの意思で書いたんだよね。

そのベストセラー作家としての存在は、もう少年法保護から離れちゃってるんじゃないの?

 

から週刊誌あたりが現在名乗ってる氏名や写真を入手したとしても、「ノンフィクションベストセラー作家パパラッチしただけに過ぎない」とか言い張って報道すれば通りそうな気がするんだが。

つーか今頃もう新潮だの文春だのは血眼になって探してると思うんだよね。

絶対逃げ切れないよ。

どうすんだろ。

2015-07-06

絶歌価値

酒鬼薔薇氏が、本を書くことによって彼の殺人欲求が抑えられるのだとしたら、彼には本を書き続けて欲しい。


そう考える精神科医が居ることに驚いた。

2015-07-01

クソッタレ絶歌」とかいう本を読んだけど、つまらなかった。

 1

 6月11日に、「絶歌」は発売された。その直後、この本の刊行を報道で知った遺族のうちの一人が、遺憾であるコメントを発表した。

 以来、今日に至るまで、様々な人々が—— 専門家知識人芸能人ライタークリエイターetc——、この本についてコメントをしたり、記事を発表している。

 少しだけ、どこかで見たような光景だな、と俺は思った。

 原発だ。

 震災以来、原発というのは、賛成だろうと反対だろうと、何かしらの意見を持たなければならないような問題になった。「どうでもいい」「どっちでもいい」というような態度は許されない。誰しもが原発に対して、真剣に考えなければならない(あるいは、そのフリをしなくてはならない)、そんな風潮が蔓延している。

 そんな光景に、どこか似ている、と俺は思った。この本の出版に関して、肯定的だろうと否定的だろうと、有名人(というかライタークリエイター芸能人)は、何かしらコメントをしなくてはならない。そんな雰囲気が漂っているような気がした。

 また、ネットでもあちこちで、この本のことが言及されている。その内容(というか質)も、原発に関するもの似ている。有意義ものあるけれど、ほとんどが似たり寄ったりな退屈な意見で、特にAmazonレビューに関しては、まぁ、平均的な人間の平均的な意見が読める、という以上の価値はない。

 なんというかまさに「脱法ハーブ握手会風営法放射能ダサいダンスダウンロードって言ったら負け」状態だ。

 2

 俺がこの本を読んだ理由は、端的に言えば好奇心だ。この本が発売されると知ったとき純粋に読みたいと思った。ただの好奇心

 この際だから、書いてしまおう。俺は小説を書いている。ほとんどの人は知らないと思うが、Amazonで販売出できるKDP(Kindle Direct Publishing)で発表もしている。つまり創作をする人間として、この本に興味を持った。

 この本の元になった事件は、説明するまでもなく、後のフィクションに多大な影響を与えている。俺が知っている範囲だけでも、舞城王太郎佐藤友哉あたりは確実に影響を受けているだろうし(舞城の『阿修羅ガール』に出てくる鬼畜殺人鬼グルグル魔人を知っているか?)、奥浩哉GANTZ』に出てくる西なんかは、もうまんまだ。他にも探せばたくさん出てくるだろう。

 創作をする人間として、そんな風に後のフィクションに、作家たちに影響を与えた事件当事者が書いた手記に興味を持つことは、そんなに不思議ではない、と思う。だから手に取った。ただ、これは弁解だ、言い訳だ。下世話な好奇心で読んだ、と言われても反論は出来ない。

(これは余談だが、先述したとおり、この本は6月11日に発売された。ニュースになったのも、その二三日前だったと思う。しかし、振り返って見ると、五月の終わりに、この事件モデルにした窪美澄さよならニルヴァーナ」が出ているし、そのちょっと前には、34歳になったとある小説家事件現場巡礼(?)するという内容の佐藤友哉ドグマ34」がすばる4月号に掲載されいてる。偶然か? さらに余談だが去年放映されていた、金城一紀脚本ドラマボーダー」の第三話は、殺人を犯した元少年が手記を出版しようとして遺族に殺されてしまう、といった内容だった。まぁ、偶然だろう)

 3

 事件当時、俺はまだ小学生だった。けれど、この事件のことは、やはり印象に残っている。

 俺は子供のころ、モデルガンが好きで、アクション映画などの銃撃戦のシーンを見てはひとり興奮していた。シュワルツェネッガーバンバン人間を撃ち殺しているのを観ながら熱狂している俺を見て、母親心配していた。俺も子供心に「自分は人が死ぬことになにも思わないのか」などと普通のことを普通に思っていた。平均的だ。

 そしてこの事件以降、子供によるセンセーショナル事件は、たびたび起こる。「キレる17歳」などいうキャッチコピーがつき、まるで急に少年犯罪が増えたかのように報道された。

 フィクションも影響を受ける。バスジャック事件を題材にした青山真治映画ユリイカ」などだ。

 開き直るわけではないが、俺は上記の作品たちが好きだ。だから作者に興味があるし、その作者に影響を与えた題材、事件にも興味がある。センセーショナル事件は、良くも悪くも、フィクションに影響を与えているのだ。

 ただ、報道のされ方、ニュースの選ばれ方のせいなのか、はたまた「事実小説より奇なり」なのか、現実では悲惨ニュースが相次ぐ。自然災害は仕方がないにしても、凡人には理解できない理由で、または理解できないほど身勝手理由で、色々な事件が起こる。無差別殺人闇サイト児童虐待世紀末を過ぎても、この手のニュースには事欠かない。

「近頃はありきたりのリアリズムに追いつかれそうにも見える」

 これは、とある賞の選評の一部だ。とある作品に向けられた言葉ではあるが、なんだかフィクションがひどくしらけてしまときに、この言葉がふと思い浮かぶ。

 所詮、作り物の物語では現実には勝てないのだろうか、と。

 我ながらバカなことを書いているな、とは思う。でも、俺は嫌なのだ。俺はフィクションが好きで、物語が好きで、小説が好きなのだ。だから、読むし、書いている。書いては直して、また書いている。

 この本が出たときも、似たようなことを思った。批判が溢れ出ているのに、蓋を開ければベストセラーだ。売れているからって、優れたものじゃないってことは判っている。それは音楽映画も本も同じだ。

 4

 そして、この本を読んでみた。内心ドキドキしていた。偉そうな事を言っておきながら、日本犯罪史上稀に見る(仰々しい枕詞だ)事件を起こした、当事者の手記。正直、影響を受けてしまったらどうしようか、とも思った。俺は本を読む以上、どんな本でも最大限影響を受けるつもりで読んでいる(そうでなければ読む意味なんてない)。ただ、この本だけは、少し怖かった。

 しかし、どうだろう。前半はネット揶揄されている通り、自己陶酔しきった糞ポエムだった。ガラガラライブハウス演奏しているクソみたいなバンド歌詞でも、これよりはほんの少しマシだろう。ただ、文章自体は上手いな、とも思った。読ませる文章だ。特に、後半の面会に来た弟のやり取りの場面では、ちょっとぐっと来た。少しだけ泣きそうにもなった。

 でもこれは(ここまで書いておいてなんだが)、所謂ただのお涙頂戴話だ。当たり前の反応というか、けして面白かったというわけではない。

 そう、端的に言って「つまらなかった」というのが、この本を読んでの感想だ。

 一部で神格化カリスマと化している「殺人鬼」だが、彼はつまらない、ただの普通の人だったのだ。多くのフィクションに影響を与え、ひとたび本を出版すれば大いに話題になる「あの人」は、普通人間だった。

 前半のあの糞ポエムが、それを象徴している気がした。あの稚拙で過剰な修飾表現は恐らくわざとで、そうやって過剰に飾らなければならないほど、内容は、実は普通なのだ。

 これについてはロマンポルシェロマン優光さんが書いた記事に頷ける箇所があった。

“この本には特にそういうところがないのだ。(性的偏向については代入される対象おかしいだけで数式は同じなので、対象がいくら理解できなくても根本的に理解できないというわけではない。) 普通の人が普通に想像したような話が続くだけである。 ”

 http://bucchinews.com/subcul/5203.html

 普通理由普通の狂い方をした。どこまでいっても普通だ。

 5

 少し前になるが、日曜の午前にやっている「ワイドナショー」という番組で、店の商品に爪楊枝を刺す場面をYouTube投稿した少年ニュースをやっていた。

 それを観た松本人志が、「全然おもしろくない。声も張ってないし」とコメントしていた。他の出演者は「そこですか?w」といった感じだったが、俺は、松ちゃんはこういうコメントをどんどんしていったほうが良い、と思った。

 つまり、つまらないものは、つまらないというべきなのだ。そして、松本人志のようなおもしろい人は、こういうくだらないことをする人間に向かって「全然笑えない。おもしろくない」ともっというべきなのだ

 同じ番組で、松ちゃんは、この本は読まない、といっていた。遺族の方がここまで言うのなら、と。立派な態度だと思う。下世話な好奇心で読むヤツに比べたら、遥かにマシな態度だ。

 でも、俺は松ちゃんに読んでほしい。この本を読んで、おもしろくない、と言ってほしい。

「俺に影響受けてるのかもしれへんけど、お前の本、つまんなかったで」と言ってほしいのだ。

 舞城でもユヤタンでも乙一でも、こんな本より、俺の小説のほうがおもしろいぜって言ってほしい。なにがベストセラーだ!っていってほしい。

 だから、俺は敢えて言う。

 俺の小説のほうがおもしろいぜ。

 自分に取っての本当のことを書いたのかもしれないが、ハッキリ言ってフィクションのほうがおもしろいぜ。普通理由普通の狂い方をした普通人間なんかより、グルグル魔人のほうが狂ってるぜ。なんせウンコパン三世〜♫ デレッデレ〜♫ なのだ

 だから俺は、この本を批判するならおもしろい人たちに、「つまらない!」って言葉こそ、声高に叫んで欲しい。

 6

 最後に、舞城王太郎小説の一部を引用して終わる。

 

“結局のところ、人生で起こるすべての本当のことは、陳腐薄っぺら通俗なのだ。そうじゃないことは小説の中にしかない。だから小説の中で、つまんないなあと思うとき、わりとそれが人生の本当のことを書いているってのがあって、だから小説って難しい”(舞城王太郎/パッキャラ魔道

 まったくその通りだ。

 そんで、つまんない本のことで、

 いちいち騒ぐのはやめようぜ。

 もっとおもしろい本を読もうぜ。

 もっとおもしろい本の話をしようぜ。

 ありきたりなリアリズムに、負けてたまるかっての。

 おわり。

2015-06-24

香山リカ酒鬼薔薇

香山リカ、『絶歌から元少年A」の脳の機能不全を読み解く」を読んで

http://nikkan-spa.jp/878891

  ""でかこった文章香山リカ文章から引用

  『』でかこった文章香山リカ文章を真似た私の言葉

これまでも会っていもいない橋下大阪市長人格障害扱いしたり、原発推進派を病気断罪したりと、精神科医であることを盾に言い放題で精神医学心理学地位を貶めている人物であるが、

今回の酒鬼薔薇評もなかなか香山リカでした。

段落から香山リカっぷりが爆発しているのが、酒鬼薔薇に通常の感情がないことを前提に述べたコレ↓

"その原因は、男性の脳の構造機能の特徴というか、機能不全に由来するものだろう。"

男性右脳構造機能の特徴として『感情がない』なんていう脳科学的、心理学研究存在するなら教えて頂きたい。

続いて

"せめて誰か専門家が「なぜ男性はこのような書き方をするのか」と精神医学脳科学見地から解説を加えたほうがよかった"の述べている。

から言わせれば、

『せめて誰か専門家が「香山リカはなぜこうも男性を目の敵にしているのか」と精神医学脳科学的検知から解説を加えて上げた方がいいんじゃないだろうか。』

この私の素朴な疑問に対する答えもまた、香山リカ言葉を借りるなら"何らかの脳の機能不全に基づいている"のだろうか。

香山リカ酒鬼薔薇の脳を画像検査すれば良いといったことを述べているのだが、私からも1つ提案したい。

酒鬼薔薇研究と並んで、極左反日香山リカの脳研究も執り行ってほしい。

人の政治思想は様々だが、彼女ほど極端に偏った思想思考というのは大変興味深い。

『私が香山リカに脳の機能不全がある、と確信している理由はもうひとつある。』

ツイッター乗っとり事件である

当初香山リカが書いた覚えもないと言った、文章彼女ツイッターからつぶやかれた事件があった。

後に、書いたのは間違いない。と一部ウソをついたことを認めつつも、つぶやいてはいない。と主張を変えたのである

一般人を含め、様々な人を精神病扱いしてきた香山リカだが、

自身ウソ、偽り、偽善には目もくれない精神構造は、一般人の目には異常に映る。

最後に、香山リカの文中での"男性"の使い方は後半に行くにつれ、"この男性"という表現に変わっていく。

文頭では"元少年"と書きながら、あたか男性全般の脳構造おかしいかのような文章に仕立て、

しかし、この"男性"は「he」として用いているのだという言い訳が通るように文末では"この男性"と表現を変えてきているように思える。

ここに引き合いに出して申し訳ないが田嶋陽子といい、香山リカといい問題の原因を本質と異なるもの投影するのはそろそろ止めていただきたい。

2015-06-22

俺は絶歌を読まない

それが結論。このあとに続く文章はその理由の説明なんだが、

その前に俺の作品論について語らせてくれ。

まず俺の作品論の結論は、作品作品の中で語れ、というものだ。

作者の情報不要なばかりか、もはや有害情報だとさえ考えている。


本当に面白い作品というものは、

作者についての情報が一切ない状態でも面白いはずだし、

作品本来そうあるべきだと思うんだ。

作者の情報作品を堪能した後のアクセントしかない。

作品メインディッシュであり、作者の情報はデザートだ。

デザートは最後に食べるべきだ。

まずは事前情報ゼロ作品を鑑賞する。

で、面白ければ作者は誰なのか調べる。

で、作者についてますます興味が湧いたら、

作者がどういった人物でどんな思想があってどんなことをしているのか、などを調べる。

これが正しい作品の鑑賞姿勢であると俺は強く思うよ。

JKローリング自分の素性を隠して書いた本が全然売れなかったのに、

素性晒した瞬間に爆売れしたことがあったじゃん。

作品名は忘れちゃったけど。

そういうのをみると、ああ、ねえな。って思う。

みんな本の内容なんてどうでもいいんだと。

JKローリングが書いた、それだけが重要なんだなと。

作者のプロフィール作品を鑑賞する上で一切必要ないはずだし、

必要であってはならない。

その点で増田は作者の情報が常に不詳だから作品論のあるべき形だと言えるね。


さて、そこで話を戻すが、絶歌を読まない理由

お分かりの通り、作者の素性が読む前からにわかっているからだ。

推理小説を読む前から表紙に犯人はヤスだと書いているようなもんだ。

その本が面白いかどうかではなく、どこに殺人に至った思想があったのか、そのパズルピース探しに必死になってしまうことが読む前からわかってしまっているからだ。

それは作品の正しい鑑賞姿勢では、ない。

あれを購入しているやつらは、

あれが一体どんな本なのかなんて心底どうでもいいと思っていて、

異常者が異常であるという理由カケラ作品から拾い集めたいだけなんだ。

仮にあれを殺人鬼でもなんでもないごく普通の俺が書いたとして、お前ら買う?

買わないだろ?じゃあそれはその程度の面白さってことだ。


俺は職業柄、あの本についての質問がここ最近よくくる。

あの本は読んだのか?読んでないのか?どう思うか?どんな考えを持っているのか、と。

はっきり言おう。どうでもいい。心底、どうでもいい。

あの本に一切興味はないし、興味を持つつもりもない。

いいか、作家っていうのはな、

殺さずして人殺しが書けるし、死なずして死人が書けるもんなんだよ。な?

その人がリアルで人を殺したかどうかは別に重要ではなく、

その本が、面白いかどうかが重要なんだ。

その点でいうと、あれは俺的によくなかったので手をつけないんだ。

サラリーマンが書いた、主婦が書いた、作家が書いた、素人が書いた、老人が書いた、子供が書いた、日本人が書いた、外国人が書いた、金持ちが書いた、貧乏が書いた、警察が書いた、殺人鬼が書いた。

どうでもいい。誰でもいい。

面白ければ、それでいい。


殺人鬼がどういった思考をしているのか気になるからという理由で売れてるとのことだが、俺はそういった不純な理由が嫌いだ。

人殺しなんてたまたまタイミングと状況の関係で人を実際に殺しただけであって、その他は通常の人間と一緒だろうが。

作者の情報作品には何ら影響を及ばさない。及ぼしてはいけない。

普段彼がムカデを食ってるとでも?

痰壷に入っていた白濁して塩味のする痰のかかったご飯をとろろかけご飯と称して人に食わせるととでも?

違うだろ。

まあ、アレを購入する人たちはそういう答えは求めてないんだろうけどな。

異常者は常に異常である

その答えだけを求めて買っているんだろうけどな。


サイコパス心理学流行るのもそういった理由だ。

サイコパスの異常な考え方を知ることで、

自分はそれとは違う考え方を持っていることを知る=異常ではないという安心感が得られる。

あるいは、同じような考え方を持っていることで危険香りに心躍る。

本気で自分サイコパスだと考えている人など一人もおらず、みな、サイコパスの異常な考え方は娯楽の一つであるとだけ、考えている。

彼らにとって異常者はピエロなんだ。自分達とは違う存在なんだ。

メイクを落として日常生活にごく普通に存在していて欲しくないんだ。

常に、いつ見ても、同じ時に、同じ場所で、同じように、異常であり続けて欲しいんだ。

から殺人鬼自分はごく普通人間「です」と言っても誰も理解してくれない。

ごく普通人間「でした」と言って初めて理解される。

普通人間ではない、ということを理解される。

みんな殺人鬼がどんな本を書いたかなんてどうでもよくて、

殺人鬼が書いた、ということが重要なんだ。


俺はそれが不純だから読まないという結論に至った。

既に毒されてしまたから。

読まなくても、読んだ人と同じ感想になってしまうから

ああ、これは殺人鬼が書いた本だな、って感想

読んでも読む前と同じ感想になっていることがわかっているなら、

実際に読んでも実質読んでないのと一緒じゃん。

出口への道筋がご丁寧にも蛍光ペンで塗られている迷路なんてやって何が楽しいの、ってことだよ。おわかり?

社会的価値や娯楽的な価値があったとしても、文学的価値は、ない。

2015-06-21

中川淳一郎の『絶歌書評は最悪だな。

http://anond.hatelabo.jp/20150620221518

気持ちよくわかる。

純粋に 書評を読もうと読み始めたら、

編集担当への個人的な恨みつらみばかりで、それ全然関係ないじゃんって話ばかりだった。

http://anond.hatelabo.jp/20150620221518

問:筆者である中川氏が伝えたかったことと

  元増田に伝わらなかったであろう部分を記述せよ

回答:

  中川氏は自身婚約者精神疾患による自殺で失っており、

 そのことに対する自責の念喪失感に苛まれ

 理性では自殺無関係とわかっている「完全自殺マニュアル」の 編者に対し、

 仕事クライアントであるにも関わらず「文句」をいってしまう。

 これは残された者が苛まれるであろう理不尽さや苦悩を表しており

 『絶歌』の筆者により被害にあった被害者および遺族のいる立場を暗示している。

 そしてこのことは中川氏が『絶歌』の筆者に「あぁ、何もわかっていない」という

 感情を抱いたことに理解を促すエピソードとして作用していると考える。

  元増田はこの理解が出来ておらず(もしくはブックマーク獲得のため

 わざと無視して)結果、『絶歌』の筆者を擁護する論旨を表すに至ったと考える。

 <324字>

2015-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20150620221518

自分犯罪歴のせいでまともな職につけなかったからな

絶歌2』が発売される日は近い

馬鹿じゃねえの。<中川淳一郎の『絶歌批判について>

始めに、この文章は「元少年A」や『絶歌』に対する世間の大多数と反応と「真逆の主張」であることを先に示しておく。

中川淳一郎の『絶歌書評に思うこと

馬鹿じゃねえの。

この中川淳一郎っていう奴の『絶歌』の書評( http://biz-journal.jp/2015/06/post_10431.html )を読んで、正直こう思った。

ハッキリ言うけど、お前に元少年Aや太田出版外道だなんて糾弾する資格なんてないだろ。正義ぶって勝手書評を書く前に、我が身を反省してみたらどうなんだ。

おそらく、中川淳一郎はこう思ってるんだろうな。

「この記事に誰も文句なんて言ってこない」

元少年A」は叩かれて当然の「極悪人」で、それを一刀両断している中川淳一郎は「正義告発者」だからな。

世間感情同調している中川淳一郎はきっと、どれだけ「元少年A」を扱き下ろしても大丈夫だと、そう思っているんだろう。

フザけんな。

非難してやる。ネット上の他の全員がお前の書評を褒めちぎっても、俺だけは非難してやる。

元少年Aを「外道」だと罵るお前の方がよっぽど「外道」だと、この場で主張してやる。

「人の言葉」を踏みにじる中川淳一郎

俺が最も中川淳一郎書評で怒りが沸いた部分は、元少年Aが「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いに対して答えた箇所に、コイツが吐いた感想だ。

一応、元少年Aの言葉引用しておく。前述の問いに対して、元少年Aはこう答えた。

引用

『「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなた想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」』(註:原文では「あなた自身が」の部分に傍点あり)

絶歌』の関連記事を漁っているなら見飽きた文章だろう。

で、これについて、中川淳一郎はこんな風に言っている。

引用

 あぁ、何もわかっていない……。どうしてこうも自分本位なのか。「あなた自身が苦しむから殺人はいけない」と言い、まるで自分悲劇主人公かのように「重い十字架」というエセ文学的表現を使う。人を殺してはいけない理由は、これである

「誰もが他人人権蹂躙することはできないから」
「殺された人に近しい人が悲しむから

 酒鬼薔薇被害者とその遺族よりも、自分自身加害者)の側の論理でいまだに語っている。そしてこれがやっと見つけた唯一の答えとは、非常識かつ幼稚もはなはだしい。

ハッキリ言って、頭にきた。

なんて身勝手文章だと怒りを覚えた。

何も分かってないのはお前の方だろう?

人の「本気の思い」をこんな風に平然と踏みにじる、お前の方がよっぽど外道だ。

確かに、元少年Aの答えは自分本位だよ。凶悪殺人を犯したくせに、いまだに自意識の中でしかその理由を語れてない非常識で幼稚な答えかもしれない。

だけどな、ここにあるのは『本気の思い』だよ。事件の後の全人生を通じて、元少年Aが自分の頭で考えて言葉にした「人殺しをしてはいけない」ことへの『本気の思い』だ。

どれだけ自分本位で幼稚でも、本人があの事件を起こした後に見つけてきた『自分の答え』だ。

それを、お前は踏みにじった。

「あぁ、何も分かってない・・・・・・。」なんて、さも悲哀ぶった言い方で、お前は元少年Aの言葉から耳を塞いで、「自分意見」で踏みにじったんだ。

人殺しをしてはいけない」ことに、お前の考えや正義があるのは分かったよ。客観的に見れば、お前の考えの方に正当性があるんだろう。

でも、だからって踏みにじって良いわけじゃないだろ?

他人自分の全人生をかけてたどり着いた『本気の答え』を、そんな風に無価値だと切り捨てて良い理由にはならないだろ? お前にとっては「何も分かってない」ような幼稚な意見でも、それが元少年Aにとっては「やっと見つけた正しさ」なんだぞ。

婚約者」が『自殺』している

まあ、元少年Aの「答え」なんて、他人から見たらボロ布くらいの意味しかないのは分かってるよ。

ネット上の大多数、「元少年Aや『絶歌』に対する怒りを燃やす人々」はそれでもいいよ。

だけど、中川淳一郎。お前は違う。

お前は、婚約者を亡くしているんだろう?

正直、俺には信じられない。婚約者鬱病の末の自殺で亡くしているにもかかわらず、あんな身勝手書評を書くだなんて。

一応、読んでない人のために書く。

中川淳一郎書評には、その昔、当時の婚約者自殺で亡くなった件について書かれている。

そして、その際に本人が参考にしたのが『完全自殺マニュアル』・・・・・・『絶歌』の担当編集である落合美砂が、93年に世に送り出したベストセラーとのことだ。

これだけ書くと、まるで中川淳一郎が「『完全自殺マニュアル』のせいで婚約者自殺した!」って主張してるみたいに誤解しそうだけど、そこまでは思っていないらしい。

ただ、その本が自殺した婚約者本棚の中にあって、そこに書かれた「最も推奨されている方法」で自殺したという、それだけらしい。

中川淳一郎は言っている。「彼女が死んだのは鬱病のせいである。それは間違いない」と。

そう、その婚約者自殺したのは「鬱病」のせいなんだ。

これは完全に憶測になるけれど、鬱病みたいな「心の病気」の最たる原因は「孤独」だ。

自分の抱えている問題を誰にも打ち明けられない、誰とも共有できない、そういう風に「一人でどうにかしなきゃ」という状況に追い込まれときにこそ、「鬱病」みたいな精神病に人は陥る。

もちろん、実際にその婚約者が「孤独」だったかどうかは憶測の域を出ないけれども、誰にも相談できなかったことは間違いないだろう。

そうでなきゃ、『完全自殺マニュアル』なんて買うわけはないからな。

ここで『完全自殺マニュアル』について確認しておく。

当たり前だけど、この本は自殺の「方法」を書いているだけであって、自殺を「推奨」しているわけではない。中川淳一郎引用していたけれど、太田出版の紹介文ではこうなっている。

引用

世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは、生命保険会社でも、破綻している年金制度でもない。その気になればいつでも死ねるという安心感だ! 自殺方法を克明に記し、さまざまな議論を呼んだ、聖書より役に立つ、言葉による自殺装置。」

この文章で注目すべき点は、二つ。

一つ目は、「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは」という部分。この箇所から、この本は「生きる僕ら」が「頼れる」ものを示したものであることが窺える。

二つ目は、「その気になればいつでも死ねるという安心感」という部分。この箇所からあくまでこの本は「安心感」を提供するためのものであることが窺える。

以上の点から、この『完全自殺マニュアル』はあくまで「生きるための本」であることが分かる。具体的には「自殺という『逃げ道』を示したから、後は安心して生きればいい」という本だということだ。

イメージが掴みにくい人は、『完全自殺マニュアル』を「精神科医」に喩えてみてほしい。「『いつでも安心して、私を訪ねてきて下さい』そう患者に言ったら、二度と患者は訪ねてこなかった」一度くらいこういう話を聞いたことはあるだろう。要するに、「いつでも訪ねられる」という「安心感」が重要なのであって、実際にその選択肢を取るかはさほど重要ではというないのだ。その「安心感」を提供されただけで、患者心の問題は半分くらい解決しているらしい。

おそらく、『完全自殺マニュアル』も、そういう「安心感」を提供することが目的書籍なのだろう。事実、前書きや後書きの部分には「いざとなれば自殺してしまってもいいと思えば、苦しい日常も気楽に生きていける」旨が書かれているようだ(https://ja.wikipedia.org/wiki/完全自殺マニュアル)。

というわけで、この『完全自殺マニュアル』はそういう、精神科医的な「安心感」を提供する本だ。

そんなもの本棚にあったということは、そんな「安心感」に頼らなくてはならないほど、その婚約者精神的に追い詰められていたのだろう。

普通ならば、『完全自殺マニュアル』は買って読まれた時点でその役割を全うする。

「いつでも死ねるという安心感」さえ提供してしまえば、いつでも精神科医相談できる患者のように、「生きる日常」に帰って行けるからだ。

ところが、その婚約者場合、そうはならなかった。

完全自殺マニュアル』に書かれている方法を実行して、本当にこの世から「逃げ」てしまたからだ。

その婚約者がいつ亡くなったかは分からないが、おそらく『完全自殺マニュアル』を読んですぐというわけじゃないだろう。

一度読んで、一度「日常」に帰って、そこで何かしらアクションがあったのだと思う。

そして、そこで「上手く行かなかった」からこそ、まるで精神科医に再び相談しに行く患者のように、その婚約者は『完全自殺マニュアル』に頼ってしまったはずだ。

先ほども言ったとおり、鬱病の最たる原因は「孤独」だ。

そして『完全自殺マニュアル』に頼ったことからも明らかなように、その婚約者も「誰にも相談できない」状況に陥っていたはずだ。

それが行き着くところまで行き着いて、自殺だ。

何が言いたいかっていうと、その婚約者の死因は「周囲の無理解」だということだ。

中川淳一郎本人が語っている、「(自殺の)予兆に気づけなかった」という話が象徴的だろう。「婚約者」という最も近しい立場人間ですら、本人の抱えている「問題」に気がつけなかった。

婚約者の男が居てもこの世を去らなくちゃいけないほど、自殺したその女性は「分かられていなかった」のだろう。

以上のことから、俺が言いたいのはこうだ。

他人言葉に耳を塞ぐ」ってのは、こんな風に人を鬱病になるまで追い込んで自殺させることもあるってことだ。

それを中川淳一郎は、「予兆」に気がつけず婚約者自殺させてしまったお前は、知ってるはずじゃないのか?

他人への共感理解」の欠落

にもかかわらず、中川淳一郎はよくも平然とあんな風に「人の思い」を踏みにじれるものだ。

自分婚約者を殺したかも知れない「人の話に耳を貸さない」ことを、あんな風に実行できるものだ。

元少年Aの「問いへの答え」へ呟いた感想もそうだし、『完全自殺マニュアル』の「大義名分」を語ったこともそうだ。

確かこんな風に勝手に決めつけてたな。

引用

自殺する自由はある」
「苦しい時の選択肢として、自殺もあっていいのでは」
「命の大切さを伝えたい」

 こういった大義名分は『完全自殺マニュアル』発刊にあたってはあったのだろう。

きちんと紹介文を読めば、この発言的外れであることが第三者にも明らかだろう。

完全自殺マニュアル』は、「生きるための安心感」を提供する本なんだよ。本当は自殺のためじゃない。

自分引用した箇所に書いてあったことだろうが。

婚約者が亡くなった後、「本当に後追い自殺をするつもりになり、彼女が愛読した『完全自殺マニュアル』を再度読んだ」ときに目にした前書きと後書きに、ちゃんと書いてあったはずだろうが。

どうして、他人の言っている言葉に耳を傾けない?

そういう態度にこそ自分婚約者が殺されたかも知れないことに、どうして気がつかない?

中川淳一郎の「書評」に見る、元少年Aの『絶歌』との同一性

元少年Aは外道だと、いまだに悲劇主人公ぶる幼稚な男だと、中川淳一郎はそう言った。

だけど、ハッキリ言うぞ。

お前の書評元少年Aの『絶歌』と何も変わらないからな。

元少年Aの「なぜ人殺しはいけないか」っていう問いへの答えを、お前は「自分本位」だとか「非常識」だとか「幼稚」だとか非難するけどな、お前の書評だって全く同じだ。

完全自殺マニュアル』や落合美砂への「自分本位」の勝手な決めつけ、記念パーティでの「非常識」で「幼稚」な不謹慎発言。これらは元少年Aの態度と何が違う?

酒鬼薔薇被害者とその遺族よりも、自分自身加害者)の側の論理でいまだに語っている。」ってお前は非難するけどな、だったら自分はどうなんだ?

自分婚約者自殺予兆に気がつけなかったのを棚に上げて、『完全自殺マニュアル』や落合美砂という「外的要因に」文句をつけるしかないお前の態度はどうなんだ?

「『完全自殺マニュアル』を参考に恋人自殺された、可哀想自分」を気取っているお前は、「いまだに『罪の十字架』に苦しんでいる、可哀想自分」を演出している元少年Aと何が違う?

 「悲劇主人公ぶっている」のはむしろ、今のお前の方じゃないのか。

他人言葉に一切耳を貸さない、身勝手な「自分本位さ」にまみれているお前の書評は、いまだに被害者遺族の心情に寄り添うことのできない元少年Aの「自分本位さ」と良い勝負だ。

から、まるで奇っ怪なモンスターみたいに言ってんじゃねぇ。

最後

ハッキリ言っておく。

中川淳一郎。そして、元少年Aや『絶歌』を叩きまくっているネット上の大多数の諸君

お前らがやろうとしていることは、れっきとした人殺しだ。

絶歌』という本人の言葉封殺して、元少年Aの人格否定して悦に浸るその行為は、間違いなく「一人の人間」を社会から抹殺しようとしている殺人行為だ。

かつて、どこかの誰かの婚約者自殺に追いやった「他者への無理解」を、今度はお前たちがやってるんだ。

かつて、どこかの十四歳が、か弱い十一歳の少年を殺したようなことを、今度はお前たちがやってるんだ。

元少年Aのことをお前らは「殺人犯だって言って罵るけどな、今ではお前らの方がよっぽど「元少年A」に見えるよ。




正直な話、『絶歌』なんていう「ポエム」を出版「しなくちゃいけない」くらい元少年Aを追い詰めたのは、俺たち社会の方だと思う。

本当にこの書籍出版を憎んでるなら、こんなものを出さなくて大丈夫なくらい元少年Aを社会の方が受け入れてやれ。

これが、俺の精一杯だ。

http://anond.hatelabo.jp/20150619121107

実写映画化作品を見に行くのって、少年Aの「絶歌」を買うのと似た雰囲気ある。

批判するために見たにしろ何にしろ、不届き者にお布施するのと同じ理不尽さを感じる。駄目な作品創りの共犯になるっていうか。

2015-06-18

Amazon絶歌レビュー笑った。なんかぼくちんのせいぎを発露するコーナーになってるな。

楽しそうで羨ましい。

絶歌絶対絶版にするべき

じゃないと絶交するから

酒鬼薔薇矯正され社会復帰したけどぶっ壊れたままだ

絶歌を読んだ。

この本はあの酒鬼薔薇本人が書いただけあって、ぶっ壊れた部分と、理解可能な部分がごちゃまぜに同居して読むのは疲れる。おすすめできない。

ぶっ壊れたままというのは、出所後も基本的他者への関わり方が分かってない点と、パニックに陥ったとき暴力衝動が抑えらていない点だ。さらっと描写される他者への無関心とあたりまえのように描かれる暴力描写に、とてつもない違和感を覚える。

それでも矯正されたというのは、出所後はそういう自分の弱点を認識して、他者をなんとか理解することで社会に関わっていこうという意思を感じるから。14歳の頃にはそういう姿勢はなかったと思われるので、これは矯正プログラムの成果だろう。ただ彼にとっての社会復帰とは、正解を探す作業なのだ職場の人にお茶を勧められ休憩しようと言われても「喉乾いてないからいいです」と断るのは「間違い」だと認識して正していく、それが彼の社会復帰の方法だ。その方法はやはり普通感覚社会生活とは違うので、更生していると思う反面、そのぶっ壊れ具合に衝撃をうける。

酒鬼薔薇根本的になぜあのような凶行に自分が及んだか分かっていないようだ。

理性のたがが外れて、性的衝動殺人衝動自分の行動が支配されてしまった。なぜそうなってしまったのか、自分ことなにわからない。だから理解したい。自分自分理解したい。

理解したいから、何度も何度も自分記憶を掘り起こす。何度も思い出すうちに記憶は強化されていく。過去のシーンは安っぽい比喩と装飾にあふれているが、美しく描写されるのは記憶の中の自然であり他者だ。酒鬼薔薇基本的自分関係ないものへは無関心を貫くが、自分を無条件で受け入れてくれる他者場所には強い愛情を感じる性質がある。そうしてそれを美しいものだと認識している。だから自分を受け入れた美しいものケレン味たっぷりに飾り立てて描写する。それは記憶の掘り返しが何度も繰り返され強化された証拠だと思われる。だって酒鬼薔薇が美しく描写したタンク山とか池は当時の報道で何度も観たけど、なんてことはない風景だったもの

逆に自分のことは徹底的に醜く汚いものとして描写される。美しい他者と醜い自分、この断絶が凶行の原因だと認識しているようだ。そんなこと言われて誰が納得するだろう。また文中、他の文学作品から引用が多数あるがそれも自分を知る手がかりだ。自分記憶を掘り返し、また文学作品自分投影することで、なんとかして自分理解したいのだ。

自分理解することで心の安定を図りたい、というのがこの手記を書くモチベーションになってることはたしかだろう。ひどく利己的で、被害者感情逆撫ですることは確かだけども、もともと自意識しかないぶっ壊れた人間なのだ。今の他者理解しようという姿勢矯正プログラムの成果でしかない。

ところで、この本で笑うべきでないのは十分分かっているが、どうしても笑ってしまった箇所がある。

それは彼が捜査員や検察官カウンセラーといった大人たちに最後まで内緒にしていたという、彼の中で性衝動殺人衝動が結びついた原体験だ。

小5のとき最愛バーチャンを亡くした彼は思い出に浸ろうと入ったバーチャンの部屋で電マをみつける。電源を入れ興味本位で股間に当てた彼は今までにない快感に身を震わせる。小5の彼は電マオナニーで気絶するほどイクという壮絶な精通体験を得たのだ。それはバーチャンの死と深く結びつき、性的快感と「死」が関連付けされてしまったのだ。その後も電マオナのとりこになり、その行為は強く死を意識させる冒涜的な行為であったので、それが猫殺しの時にもイッた原因になったと彼は自己分析してるのだ。

・・・・・電マオナて。そりゃ隠したくもなるよなあ・・・

この本から教訓を得られることがあるとすれば、電マは年頃の男の子の手の届かないところに保管しなければいけない、ということだろう。

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