2015-09-16

酒鬼薔薇聖斗をあまり非難しないほうがいいと思う

神戸連続児童殺傷事件犯人である元少年Aが自伝絶歌』を出版した。

僕は特に読みたいわけではなかったが、いろいろあって『絶歌』を読むことになった。

絶歌』を読んでのちょっとした感想

はっきり言って、Aが考えてることは理解できないけど、Aは病気にかかっていると思った。

僕が思うに、Aの病気は人にののしられたい、という病気

世間はその病気にかかっているAを喜ばせるかのようにAをののしる

それは少なくともAの病気をより悪化させても、Aの病気を治すことにはつながらないはずだ

例えると、膿んだ傷口を指でいじるようなものだ。

ならば、その傷口をそっとさせるように、世の人間がAをつまらないやつだ、おもしろくないやつだと考える。あるいはAがそう考えれば、

Aのおかし病気はもしかすると治るかもしれない。

別の可能性として、世間面白く思われようとして、また犯罪を起こすかもしれない。

その時は、司法がAを裁くだろう。もう少年法適用されない。

しかし、僕はAがまた犯罪を起こすことはないと思う。自伝を読んだが、Aの思考は、病んでいるもののかなり普通に機能しているように思えた。

確かにAを非難したいのはよく分かる。だけど、Aが喜んでいるのはもっと恐ろしい。

その意味で、『絶歌』は広く世に出してAをけなすための道具になっただけにすぎなかったように思えた。

このごろAがサイトを開設したらしい。僕は見ていないが、

ぜひとも、「大したことない」とか「誰でも作れそうだ」とかそんな感じでやわらかく無視してはどうだろう。

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