神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年Aが自伝『絶歌』を出版した。
僕は特に読みたいわけではなかったが、いろいろあって『絶歌』を読むことになった。
はっきり言って、Aが考えてることは理解できないけど、Aは病気にかかっていると思った。
世間はその病気にかかっているAを喜ばせるかのようにAをののしる
それは少なくともAの病気をより悪化させても、Aの病気を治すことにはつながらないはずだ
例えると、膿んだ傷口を指でいじるようなものだ。
ならば、その傷口をそっとさせるように、世の人間がAをつまらないやつだ、おもしろくないやつだと考える。あるいはAがそう考えれば、
別の可能性として、世間に面白く思われようとして、また犯罪を起こすかもしれない。
しかし、僕はAがまた犯罪を起こすことはないと思う。自伝を読んだが、Aの思考は、病んでいるもののかなり普通に機能しているように思えた。
確かにAを非難したいのはよく分かる。だけど、Aが喜んでいるのはもっと恐ろしい。
その意味で、『絶歌』は広く世に出してAをけなすための道具になっただけにすぎなかったように思えた。
このごろAがサイトを開設したらしい。僕は見ていないが、