はてなキーワード: 精神衛生とは
先日、ようやくスプラトゥーン2で「全ルールウデマエX」に到達した。
ホコ・ヤグラ・エリアがXになっても、アサリはS+前半でもがき苦しむことが多かったのだが、
ついに上振れの機会を掴んでXになれたことは、感慨もひとしおである。
さて、皆さんはスプラトゥーンをやっていて、こう思ったことはないだろうか?
「せっかく上がったウデマエを落としたくない!」
これに対し、(実際のウデマエがどうかは別として)アドバイスをしたがる人たちは否定的である。
曰く、「そこで止めたら実力が停滞する」「実力通りなら一旦落ちてもまた上がれる」...。
もちろんその「アドバイス」に従うか否かは自分の判断であり、その結果悪影響を被っても責任は自分にある。
そこでここでは、自分が考える「ウデマエを下げたくないからガチマッチに潜らない」ことの理由を述べていく。
私がX底辺層なので、ターゲットもガチパワー2000前後の方を主としているが、
それ以下の方にも共感してもらえる部分はあるかもしれない(逆に2300以上安定みたいな方にはまったくそぐわないだろう)。
「ウデマエランクは飾り」という人がいるが、ウデマエランクは最もわかりやすい実力の指標である。
少なくとも、S+以下では個人のガチパワーが示されない以上ウデマエランクを指標とするほか無く、
広いプレイヤー層の中で実力の基準をつけるのであればやはり指標はウデマエランクとなる。
「どちらのプレイヤーがより上手か」あるいは「このプレイヤーはどの程度のレベルか」を推測する際、理想は各プレイヤーのプレイを比較することだが、
それは現実的でないし、特に異なるブキにおけるプレイングの優劣を評価することは非常に難しく、何らかのシステム的な指標に頼らざるをえない。
となれば、やはりウデマエランクは「重要かつ理解されやすい指標」であり、その最上級たる「ウデマエX」は特別なもの、と認識されるのである。
ウデマエXでは、ガチパワーとほぼ同義の「Xパワー」が付与される。
これは月替りの際にリセットされ、その際にXパワーが2000を下回った場合はS+9に降格となる。
また、月替り前でもXパワーが1900を下回ると即座にS+9に降格される。
私が考えるに、Xパワー最大の問題は「こつこつ積み上げられない(長期的に合算できない)」点である。
これはルールトップを目指すような超上級者からすれば、「いけそうな月だけ頑張る」ということができるし、
2300以上を安定して出せる層にも「下振れを引きずらない」というメリットがある。
しかしX底辺層からすると、この毎月リセットは恐怖の対象となる。
というのも、上振れによる「より高いXパワーを出せる」チャンスと、下振れによる「S+9に落ちる」というリスクの価値が釣り合っていないのである。
それは前述の通りウデマエXが特別であるという点に加え、「ゲージ制のシステムに初期ゲージ0で戻される」という不利な状況も関係してくる。
例え1975で落ちたとしても、2連勝すればだいたい戻れる...ということにはならないし、ちょっと連敗が続くと連続降格、なんてこともある。
仮にリセットがなければ、下振れと上振れは長期的に相殺されるので「実力通りならそれに見合った場所に戻れる」のは正しいが、
S+以下のゲージ制は単純な勝ち負けによる変動とはまた話が違うので、「自分の適性位置に戻れる」とは限らない。
(これに加え、「計測中は自分のガチパワーが見えないのでリスク回避しにくい」というのも問題になる)
私はマルチプレイの経験に乏しいので詳しくは言えないが、スプラトゥーンは非常に「負けの理由を他者に求めやすい」ゲームだと考える。
・プレイヤーが4人ずつのチームであること(自分以外の味方の存在)
・純粋にキル数の多寡を競うルールではないこと(単に「自分が対面上手ければいい」ではない)
・キルカメラがないこと(自分のプレイを客観視する機会がない)
・チャット等の連絡手段がないこと(視野外の戦況把握が難しい)
などなどの理由により、実際は自分のプレイにも責任の一端があるにも関わらず、
「あいつがあそこで死んだから負けた」「あいつがこう動かなかったから負けた」と思いやすい。
すると「自分は悪くないのにレートを失っている」と思い込み、フラストレーションを溜め込むことになる。
また人間には「『得すること』より『損すること』を過大に評価しがちである」という、「損失回避の法則」と呼ばれるものがあり、
これも余計にイライラを増加させる。
前述の通り、リスクとチャンスが釣り合っていないのであれば、損失への恐怖や後悔はなおさらである。
すなわち、X底辺層にとって「ガチマッチに負ける」ということは、精神衛生面からいえば大きな負担になるのである。
もしあなたが、「世界でも有数のプレイヤーになりたい」「プロゲーマーになりたい」と思っているのであれば、
前述の壁にぶち当たっても、それを乗り越える必要があるだろう。
あるいは前述の諸問題を前にしてもなお、ガチマッチが有意義と思えるのであれば、潜り続ければ良い。
ただ、私はそうやって度々リスクを冒した結果、失敗して一日を鬱屈した気分で過ごすということが何度もあった。
そういう方はおそらく他にもいらっしゃるだろう。
ガチマッチを失ったとしても、我々にはナワバリもサーモンランもある。
現状のシステムにおいて、それら代替的な手立てがあるにも関わらず、
大きなリスクを抱えてガチマッチに潜るということは、果たして有意義と言えるのだろうか?
以上、「私が全ルールウデマエXになってガチマッチを止めた理由」である。
今の環境およびシステムにおいて、X底辺層は他のプレイヤータイプ以上に失敗の恐怖に晒されている。
そんな彼らに対し、「S+落ちを恐れずガチマッチをやれ」というのは、現実およびプレイヤー感情を無視した考え方ではないだろうか。
追記:スプラトゥーン3では、「ガチマッチのルールは楽しみたいがリスクは抑えたい」という声に応えたシステムができることを望む。
具体的には以下の手法が考えられる。
・ルールはガチマッチと同じだが、ガチパワーが変動しないモード(同モードを選んだプレイヤー同士での対戦)
・毎月リセットされるXパワーと、実力の指標となるガチパワーの分離
ガチマッチのルール自体は非常にプレイし甲斐のあるもの(難解なアサリですら色々なプレイングがあり楽しい)なので、
開発スタッフが上手く工夫してくれることを願っている。
ほんまそれ
英語圏の本やサイトとかだと結構「Twitterは時間の無駄だからやめたほうがいい」「Twitterは精神衛生に悪いからやめたほうがいい」とか書かれているものがあるし、必須のインフラとまでは言えないな
自分が詳しくない分野で裏で何がされているかわからないという恐怖はご理解できますが、足りない知識を妄想で補完するのは精神衛生に良くないのでまともな教科書でも買って読んでおくとよいですよ。
お疲れ様です。
言い返せるんだったら溜めずに言い返した方が精神衛生はいいと思う("自分は離婚して私のこと片親の子供にした癖に私の性的指向には文句言うじゃん")。
でも、もしどろどろにしたくなくて疲れちゃったなら、もうさっさと逃げちゃいな。
血が繋がってることを免罪符にしちゃだめです。
割り切れないだろうけど、またいつか連絡取りたいときにとればいい。
そのときにお母様は亡くなっているかもしれないと反論があるかもしれないが、それは本人の自業自得だし、増田の行動の責任は増田が取るんだから気にしないこと。
ここ何年か推している推しがいるがもう本当にずっとつらいのでここにぶつけさせて貰う。
予め言っておきたいのは誰かに思想を押し付けて動かしたい訳でもなく過激派自慢をしたい訳でもなく学級会を開いて戦いたい訳でもない。
心身共に健康でエンジョイしているオタクの皆様におかれましては私のような気持ち悪い人間のことは無かったことにしてスルーしてお戻り頂きたい。
ただひたすらに心が狭くて性格悪いだけの人間の悪口が綴られた文章です。健全な人間は見るな。
ただ我儘なオタクが苦しんでいるのを見たい物好きがいらっしゃいましたらどうぞ。
推しは二次元キャラでここのところ長い間もうずっと他ジャンルにかまけることなく大好きで他の物が目に入らない。愛してる。
単純に推しを語る/推しを描く人間を目にするのが許せない。解釈違いへの嫌悪感なのか?分からん
私は推しのことを世界で一番に、いやもう宇宙で一番イケメンで可愛くて魅力的な人間だと思いこんでいる。
自分は多少創作を齧るオタクで、推しが大好きなのでこの気持ちをぶつけたくて絵が上手くなりたくて死ぬ気で鍛えている。まあそれはいい。
ここで出てくるのがこの厄介な感情。
分かるよ下手くその醜い嫉妬でしかないよね。でも言うところ無いからここで言います。
嫌い!!!!!私の推しくんを私より魅力的に描く人間は滅んで!!!!!!!!!!!!
私の理想と近ければ近い絵ほどもうほんとにきつい。夢嗜好持ちっぽい人間は本当にアウトです。
理不尽だね。許せ。
そして、中でも一番嫌いな人種は他担なのに推しくんのことをチラチラしてくる女。
居るんだよね。ちょっとウケる燃料が投下された時だけ急に推しの絵描き始める女。
これについては同担拒否って表記間違ってる気がする。他担拒否?違うなよく分からない。
まぁそれは置いといて、本当に本当に嫌いです。
私は推しについてはとことん知識を深めて理解したいオタクであるため、推しについての記事などが出れば追っているし裏話での設定などを漁って推しくんのことも繰り返し繰り返し見てこういう時にはこういうことをしているだとか、考察?のようなことをして楽しんだりしていて深く理解したいしそれなりにしているつもりでいる。つもりでいるだけだけど。
でもそこんじょらの女よりも推しくんのことを好きでいる自信がある。
なのに!あなたたちは今まで推しくんのこと興味なかった癖に!二次でしか楽しんでない癖に!エンジョイ感情で描くのやめてよ!!!!!!!!!!!!!!
どのツラ下げて好きです^^みたいなポーズを取ってるんだ?推しに触るなよ
一時期推しくんが凄くかっこいい衣装を着てそれなりに界隈がざわつく燃料が投下されたことがありました。私も勿論喜んだんだけど。その姿といったらもうめちゃくちゃキラキラして見えたし本当に感激した。いたく心打たれた私も下手なりに絵描いた。でも、その時に他担の人たちの絵も沢山流れてくるのが本当に耐えられなかった。
すごくすごくかっこいいもの…惚れるのは分かるよ?
ただ、今まで全然興味持ってなかったでしょ?公式のそのままの推しくんの色々な姿を見てもあなたたちは好きだと言ってなかったじゃない。どの口で推せる!とか言ってんの?
他担なのに唐突にぶっ込まれる○○(私の推し)ガチ恋bio表記とかさ。
は?こちとら心に決めた推しは推しくんしかいないしずっと推しくんの事しか考えて無いんですけど。全然メディア欄に推しくん居ないよね。グッズ買ったの?推しくんアクセは?円盤の推しくん限定特典履修しましたか?ふざけるのも大概にしろ。
はい、ただの我儘です。でもそういった人の推し絵を見かけると悔しいし涙出てくるしマジできつい。
表ではこんな当てつけみたいなこと言わないし自衛しているので許してね。いや許さなくてもいいけど。
○○夢のくせに他キャラの夢もやってるじゃん……理解できない。それでよく夢女と言えたな。
推しくんに関係ないところでやってくれれば何しようとどうでもいいがなぜか推しくん好きを騙っておきながらそのような特性を持った女をよく目にする。
本当に理解出来ないんだけど。夢ってなんなの。
私は推しくん一筋なので到底ありえない。
まあ人の思想は様々なので私がここでどんなに騒いだところで何の実りも無いよね。
私とは違う人種なので、何というか夢という単語が出ると警戒するようになった。
私はお近付きにならないようにする。
あと、あなたの○○なら見られますっていう応援?メッセージ。それ私には全然褒め言葉じゃないからな。
私は私の思想を認められたい気持ちも勿論持っているけれど、大前提で公式の推しを愛している。
だから元々公式の推しを信仰していない人に好かれたところで私の作品は公式と乖離しているんだろうなと凹むし、こんなに私が信仰している推しを『普段はあまり得意ではない』報告してくるというのが意味がわからないしそういう人間に作品を見られたというのも嫌。
こんな私にも推しに関して敵わないなと感じた人を見た経験がある。
その人はしっかりと公式の情報を追っていて、私のようにあれやこれや推し語りをする訳ではないけど、円盤の情報等を喋っていたりして一方的に信頼を寄せていた。
ある日その人は公式イベントに参加していたようで、そのイベントでの推し運に恵みに恵まれていた。そりゃもうヤバかった。
しかし。その人は何回もそのイベントの全部の回に参加しており、札で推しを掴み取っていたことを知った。
かっこいい。
時間を惜しまない根気と財布を賭けるその心意気。どこに文句がつけられようか。私は完敗した。これがファンのあるべき姿だなあとしみじみしたものだ。
こんな私だけど熱量の合う友達は欲しい。面倒くさい自分も厄介な性格もすごーく嫌。
こんなに面倒くさい性格じゃなければもっと色んな人と交流できたのかなとか思う。でも精神衛生のために今は色々と距離を置いておくのはしょうがない。
今はお財布事情が寂しいけど将来資格を取ってお財布に余裕を持たせて公式イベントで今以上に貢ぎまくって迎えに行くから待っててね推しくん。
これでも遠いところで少しでも推しのことを分かる人間が増えてくれることをいつも願っている。
あと私が最強の創作力を手に入れてやる。
チクショウ。
海外には都合3年いた。その間、向こうの学生とルームシェアをしたりもしたけど、結局打ち解けることができず、友人と呼べる存在を作ることができなかった。日本人が何人か住んでおり、彼らと時折り食事をしたりした。
それなりに歳を食っていたので、向こうで研究生活を始めようとした時には多少のスキルと知識を持っていたのだが、努力できないという資質によって、あっという間に周囲の学部生にも追い抜かれ、かといって死にものぐるいの努力をすることもできず、成長をすることができずに終わってしまった。最後に同地を離れる時には、やはり、日本を離れた時と同じように逃げ出すようにして戻ってきた。国や学問領域によって違うのだろうが、PhD未満の学生に対するお情けのような学位があり、それを貰って帰ってきた。
日本と海外での生活で二十代を失ってしまった形だが、自分の人生はこんなもんなんだろうという諦めがついたのも事実だ。学部の時には少しばかりいい成績であったことで勘違いし、自分が何ものにでもなれるような気でいた。実際にそこで着実に努力をしていれば、目指すところにたどり着けただろうとも思う。とはいえ、それができなかったことは素直に受け止めている。幸い、帰国後に滑り込みのような形で一般企業に就職し、過去の研究分野とは離れたところで普通に暮らすことができている。翌年の自分の地位を憂うことなく、また、毎月給料が振り込まれる生活というのは本当に精神衛生にとってよいものだ。
大学院をやめてしばらくは当時のことから目を背けていたが、最近は少しずつ冷静に振り返ることもできるようになった。日本にいた頃の同僚の名前を研究者の名前として見かけても、彼ら彼女らの歩みを想像して受け止められる程度にはなった。先日、コロナになる前だが、日本に戻ってから結婚して生まれた息子を連れて大学に行き、キャンパスを歩いて学食で定食を食べてきた。研究室に挨拶に行けるほどの心の整理はできていないが、こんな人生かと今は思っている。
自分で何か目標を見つけて、それに向かって努力して成長していける人は素晴らしいと思う。
その反面、意識が高い自分に酔って伊達に生きているだけの「意識高い系」の人間が死ぬほど嫌いだ。
高専で学生やってた頃にそんな人種が湧いていて辟易していたが、新卒で就職した会社の同期にもいて生理的に無理って感じになってしまった。
幸い今は身の回りにそんな人種がいない環境に来れたので平穏に暮らせているが、たまに思い出すだけで不愉快な気分になるので、ここで愚痴っておこうと思う。
それで次第にバカバカしくなって、忘れていけることを期待して。
=====
影響力がある人にやたらと引っ付いてくる。まさに金魚の糞。
同期で3人座っていたデスクで、目の前でリーダー的存在のAと腰巾着のBが延々と話しながら一緒に仕事してる中、自分だけ仕事も与えられずに自習させられてた地獄の期間が何ヶ月も続いて、毎日が惨めだった。仕方なく電話対応とか来客対応とかしようと頑張ってたけど、張り合うようにその仕事すらもBに取られていった。
結局、仲間外れのような状態のまま自分だけ配属され離れ離れになった。しばらく経ってAが久しぶりに同期で集まろうみたいな話をしてくれたけど、Bが自分の都合で一ヵ月も予定を引き延ばしてきて腹立たしくなって自分だけドタキャンしてしまった。
その後、一年くらい同期のLINEグループで相も変わらずAが発言するたびにBがすぐさま乗っかってくるような状況が続いて、次第に気持ちが死んでいき精神衛生を守るためにグループを抜けた。Slackも自分がチャンネル作ったのに自分で抜けた。
Aのことは憧れの存在として思ってたから、その分Bが占有するようになって、もう関わりたくもない人々に変わってしまったのが堪らなく悔しかった。
向こうからは「なんか知らないけど自滅した」とか「邪魔者が消えてよかった」としか思われてないんだろうな、きっと。その上、人を除け者にしてまで学生気分続けてきたくせに、意識高いマウントはしっかり取ってくるのな。自分本位すぎて笑っちゃうわ。
学生の時も似たような経験があって、その時は寮だったからさらに地獄だった。
いつも取り巻きみたいなのが大勢くっついていて、見ていて気持ち悪かった。生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
意識高い系は、その薄っぺらさ故にカリスマ性など持ち合わせていないので、結局、腰巾着に徹するしかないんだろう。
にわかオタク以下のつまらない話しかできないから、便乗するしかできない。
その癖、自分が一番かであるように偉そうに振る舞うので、図々しいとしか言いようがない。
腰巾着の分際で「他にも友達たくさんいますから(笑)」とアピールしてくるのが、さらにムカつくポイント。
こちらが腰巾着が湧いたコミュニティから離れようとすると、追いかけるようにして自分が逃げた先のコミュニティに絡みに行く。
うざいったらありゃしない。自分が嫌われている自覚はあるんだろうか。
うちの母校(というかほとんどの高専で)は定期試験の過去問を先輩達からもらって試験対策するような文化があり、意識高い系の人間はその広い人脈(笑)を使って先輩方から過去問を回収して回り、それを自分を支持してくれる人に回して人権を得る。
酷いときは、この科目はちゃんと授業受けなくていいみたいな風潮をこいつらが蔓延させていたこともあった。
真面目に授業を受けて一人で勉強してると、学校生活がバカバカしくて仕方がなくなっていった。
意識高い系は多趣味(笑)アピールも酷くて、何個も部活動を掛け持ちしてくる。
当然、自分が所属していた部活にも意識高い系が湧いてきて居場所がなくなっていく気がした。
人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
これによる実害が自衛ができないこと。名前を見るだけで悪寒が走るので、ネットだったら即ミュートしてる。
同期の意識高い系は、会社Slackの全員が見えるチャンネルでほとんどの投稿にリアクションを残している。イントラの残業超過リストに出てきたときは、名前載せるために残業してるのかとさえ思った。存在を忘れたいので、Chrome拡張作って除名するようにしたら幾分かスッキリした。
誰も聞きたくないような自慢話を、周囲に聞こえるような音量で延々と話す。キーボードの音が異様にうるさい。ここら辺はネットでよく聞く意識高い系と同じ。
意識外に置ければ自分とは関係の無い存在として割り切れるのに、度々自己主張してくる。忘れたころに顔を出してくる。もうたくさんだ。
何かと事あるごとに張り合ってくる。本当に他人と張り合うことしか頭にない感じ。
大体、同調圧力の諸悪の根源となっていたのが意識高い系だった気がする。
何か自分の好きな事について話してても、それに対する知識マウントしかしてこない。「ニッチな俺、カッコイイ(笑)」ってか。
自分の好きな事でも、マウント取りの道具にされると一気に冷めてしまう。好きな事にのめり込もうと思っても、マウンティング野郎の顔が浮かんで嫌になってしまうのが苦しかった。
「〇〇は暗記しないとダサい」「〇〇は反則」「〇〇してる方が偉い」みたいに。
ネットで謎校則がたまに話題になるけど、意識高い系の連中は我々を「自分で何が正しいことかも考えられない、言葉で服従させられる小中学生以下の人間」だとでも思っているのだろうか。
それと、うざいほど他人の真似をしてくる。自分磨きのためだったらいいけど、明らかにマウント取りのためなのでいい迷惑でしかない。
自分が何か成し遂げて褒められると、それを多人数で集まって同じ事をして張り合ってくる。
コンテストとか大会とか、何か目標を持って真剣に取り組んでる人は素直に格好いいとは思う。でも意識高い系の連中は、必要以上に群れて馴れ合いと自己顕示を目的としているので最高にダサい。
若干自意識過剰だが、こっちが好きで一人で努力してやり遂げたことをゴミ以下の馴れ合いでこなして「ハイ、俺の勝ち~~(笑)」と虚仮にされているようで、プライドをズタズタにされるような悔しさを感じた。
昔いじめられたりした時よりも、意識高い系が存在している空間にいる時の方がよっぽど居たたまれない気持ちになった。
端から見たら勝手に逆恨みしているだけかもしれないけど、生きているだけで惨めだった時期もあった。
意識高い系は、そのまま意識たかいたかーいして他界してくれればいいのになと思う。
なんかもう誰とも比べられたくないし比べてしまいたくないし、自分らしく生きられるようになりたい。
なんだかんだで今はもう身の回りに意識高い系はいないし、今後は対等な関係でいられるような人間関係が築けるといいなと思うけど、これもなかなか難しい。少なくとも、他人を自分の思い通りにさせないと気が済まない人間とはしばらく距離を置きたい。
ここまで書いたけど、別に被害者面で誰かを否定する意図は無く、自分が感じた嫌悪感を書き連ねただけ。
見返すとあまりに支離滅裂な文章だし、読み手には書いた奴に問題があるんじゃないかと思われるのも重々承知している。
コメントは最初から見る気なかったけど、ふと思い出して確認してみたら思ってたよりは反響が出てしまったようで驚いた。
スルーされるか「キチ○イキタコレww」と大喜びで揶揄されるかとしか思ってなかったから、少しでも共感してくれた人がいたのはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになった。ありがとうございます。
非難されるのも、自分の腐った妄執がそれで祓えればいいかなと思う。
詰まるところ「勝ち負けの概念しかなく、他人を無理やり自分の土俵に上げて殴って気持ちよくなってる人」が無理なんだけど、コメント見る限りそういう人はどこにでもいるんだなと諦めるしかなさそう。
この際だから、長文の言い訳とやらを書いてみることにする。こんなことをするのも、もうこれっきりにしたい。
タイトルのせいで釣りみたいになってしまったのは、本当に申し訳ない。造語でもでっち上げようかと思ったけど、「意識高い系」で検索してみて出てきた特徴があながち違ってなかったのでこのままにした。
端からノイローゼ気味な奴の愚痴として書くつもりだったし、それとなく断りを入れておいたつもりだった。「意識高い系」あるあるを期待されていた人はごめんなさい。
まあでもスタバでMac広げている人に対して「死ぬほど嫌い」は通り魔かよって思うし、マルチ商法で人生壊されたとか期待されていたのだろうか。そっちの実態はよくわからない。
ただ、過去のことなのにずっと頭の中でもやもやしてしまっていることを書き出して、自分の問題と環境の問題を切り分けたかった。
憂さ晴らししたいのが滲み出て過剰な表現をしてしまったのは反省している。無意識に他人を見下してる風なことも素直に書いて、それって恥ずかしいことだって思えるようになりたかった。もちろん全文恥ずかしいし、生きてる事自体恥ずかしい。
自分が正義だなんて言うつもりはないし、完全に主観で書いてる。悪口だけにならないようにこう言う書き方になったけど、上手くまとまらなかった。
例えば、人脈が広いっていうのは自分にも真似できない才能なのは認めるけど、こっちから見たら嫌いな奴がどこにでも居て逃げ場が無くなっていい迷惑って話。
何をするにしても張り合って来られると、常に競争させられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、自分のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてしまうようになる。
高専の闇的な話も補足すると、過去問回して勉強するのも一つの手段だとしても、仲良くても無力であるべきだと思ってる人には何も渡さずに成績を馬鹿にするだけなのが胸糞悪かったし。授業中に複数人でゲームやり続けてそれが普通みたいになってて、先生が可哀想だった。
ちなみに、自分は意識高い人は嫌いではないけど崇拝もしていないしぶっちゃけ少し苦手。「意識高い系」と「意識高い人」を区別するために、人の方を立てる言い回しをしていた。こういうと、系の方が人外みたいだけど。
できるだけマイペースに生きたかったのに、家庭の影響もあってコンプレックスの塊になってしまって、だからこそ個人的に卑怯なやり方で自尊心を満たしてるのが許せなかったのかもしれない。みんなそれぞれ頑張ってるのに、出し抜くことばっか考えてるんじゃねえよと。コンプレックスの殴り合いなんてもうしたくない。
やたらと他人の粗探ししてきて足引っ張る気満々って奴は、一緒に切磋琢磨する仲間じゃなくて意識高い系マウントマンと断定して距離を取るようにしたい。
腰巾着が湧き出したコミュニティからも離れるようにしたい。長いものに巻かれたいのが人間の性なのかもしれないけど、値踏みされるような人付き合いが嫌だった。
普通に話してても毎回途中で割り込まれて置いてきぼりにされるし、同じ環境にいて仕方なく付き合わなきゃいけなくて、こっちがいくら対等な関係を築こうとしても向こうが差を付けようとしてくるから本当に疲れる。
結局のところ、価値観が合わなかったり裏切ってきて嫌いになったりした人間と、学校や職場という長い時間一緒くたにされて拘束される環境で、執拗に自己主張され続けたらそりゃ精神的に来るよなってことだけなのかもしれない。
思い返すと、最初は全く相手にせずに気にもしなかったけど、どんどん環境が悪化して塵積で追い詰められていってダメになってしまった。
高専入ったときは、中学の荒れていた環境からようやく解放されて自分の好きな事で勉強できるんだって思ってた。でも蓋を開けたら虚栄心の塊が牛耳る環境で、馴染めなくても寮だったから逃げ場もなく過ごすしかなくてつらかった。
社会人になってから、今までの反省も踏まえて今度こそ上手くやろうと頑張って初めは仲良くできたのに、対等な関係を目指して親切にしたら図に乗って裏切られて、仕事の機会すら奪われて悲しかった。
自分が要領よく調子よく立ち回れなかったのが悪かったんだけど、自分勝手な人間が得をする環境ならそこに留まるより距離を取った方がマシだった。だけど、変なプライドと悔しさだけが誰にも話せずに残ってしまって、振り切って前に進むこともできなかった。
外堀を埋められるようなやり方をされてきたから、当時は誰も味方なんかしてくれないと思ってたし、実際マイノリティな悩みだから理解してくれる人も少なかっただろう。世の中、そんな悩みは淘汰されるしかないんだから
自称鬱病みたいに思ってたけど、今でも過敏に嫌悪感を感じてしまうなら、やっぱりちゃんとカウンセリングなり精神科なり行った方がいいのかも。
学生時代に行ってたときは、クソ親が病院の先生に成績が落ちてるから何とかしてほしいみたいなことを吹き込んだのを聞いてから嫌になって行かなくなってしまった。
大人になってから行けばまた何か違うのかもしれないけど、あそこいつもめちゃくちゃ混んでるし、今回試してみて自分の悩みを明確にして話すのもかなり労力がいるということも分かったし、何というか本当に生きるのって大変で辞めたくなる。
不安やストレスになる情報は検索しない方がいいって話をよく見るじゃん。
不安から検索するとその不安を強化するような情報ばっか集めちゃうし、それでどんどん思考が先鋭化したりエコーチェンバーになったりするし、その不安を一手で解消する陰謀論に走ったりするし、単純に精神衛生に悪いし、みたいな。
それはもっともだと思うけど、不安な物事を検索しないで我慢するのってクソ難しくないか?
胸の中で心配がどんどんグルグル回って膨らんで耐えきれないんだけど。
映画とか漫画とかゲームとかしてても、あるいはそれらの創作をしても、心配事の方でソワソワして集中できない。
カウンセリングは金もかかるし時間の自由もきかない。いのちの電話は繋がらないしそもそも深夜帯はやってない。あとこっちの話を全然理解できないことがある、たとえば不安の内容が好きなタレントが炎上して辛いとか、自分の同人サークル内の揉め事がとかの場合は非オタの人間に言ってもふわっとした反応しか返ってこない。
わからんな。
これメチャクチャわかるよ。。
今は通勤先が変わって通勤ルートが違うから無くなったんだけど、数年前に同じような目に遭っていた。
具体的には「ヘルプマークを付けている、つり革に手を伸ばすのがきつそうな中年女性」に顔を覚えられて、目の前に立たれるっていうのを繰り返されてた。。つまり、目の前に立たれて、席を譲ってもらえるのを待たれていた。
こっちは30代のとくに身体的に困難のない、妊娠もしてない女性だから、そりゃ立てなくはないけど、当たり前に座ってたいよ。始発駅から二つ目に住んでてそこから45分各停で乗りっぱなしの通勤だったから、座ってたい。座れるように早めに駅にいって電車を数本やり過ごす努力もしていた。
でもそうやって、明らかに立ってるのが身体的に大変そうな人に目の前に立たれたら、譲らざるを得ないっていうかさ…
最初は偶然かなと思ったんだけど、何回か出くわして席を譲ってるうちに、「こいつなら譲ってもらえる」って顔を覚えられたことに気づいたんだよね。。遠い位置から乗ってきて、まだ満員じゃなく隙間のある車内なのに、わたしの前めがけて立ちに来る…。それに気づいてからは寝たフリしたり車両変えたりした。幸い毎日出会うわけではなかったし、車両変えたら出会う回数は減ったんだけど、それでも見つかったら絶対にやってくる。毎度寝たフリするのも気が咎めたし、それに負けて結局譲ったりもして、この謎の精神的コストはなんなんだ?ってだんだんキレそうになってた。周りのサラリーマンで他に譲ってる人誰も見かけないことにもキレてた。
勘弁してくれ、と思ったけど、転職してその時間その路線に乗ることが無くなって、この件は終わった。すっかり忘れてたけど増田読んで思い出した。
あの「よく知らない他人に利用されてる」感、通勤って特性による乗る電車がある程度決まるゆえの逃げられない感、独特のしんどさがあるよね…。
私はルートが変わって終わった話だから結局参考にならなくて申し訳ないんだけど、「寝たフリして、増田の次に席を取ろうと待ち受けてる人たちの存在をなるべく見ない」のが一番精神衛生には良いかもしれんね。気持ちわかりすぎるのでお疲れ様って言いたくなったよ。お疲れ様だよ…。
テレワークしてる?それとも出社してる?後者の人は現場じゃないと仕事が出来ない職種かもしれないから私とエアー握手しようね。
あんまり突っ込んでは言えないからふわっとした感じで愚痴るよ。
割と大手の製造業に従事してるんだが、ここ1年で転属した部署の上司が本当にクソオブクソなんだ。不人気上司の最悪なところを全部凝縮したと言っても過言じゃない。
上司のクソな部分で1番殺意の波動が漏れそうになるのは、固有名詞を言わずに仕事の指示出しをしてくるところ。
『アレやって』『あっちどうなってる』ってやつだ。
こういう話をするとよく、「察せないお前が悪い」っていうタイプのやつもいるけど、うるせーーーーーばーーーーーーか!!!!ってだけ先に話しておくね。
そうそう、あれとかこれとかそれとか、よくそれで通じると思ったよな?って感じちゃうんだ。私は上司の嫁でもなければ母親でもないしそもそも身内でもそんな口利くやつに慈悲なんてないけども。
セクハラモラハラパワハラは通過儀礼、デスクが隣だからいっつも攻撃受けてそれを左へ受け流す毎日。
口癖はみんながよく知ってる安定の『普通は』『どう考えても』を枕詞に。
そして極めつけは、独り言と鼻歌と貧乏ゆすりが酷いのなんのって。音に過敏な人だったら20分待たずに上司の頭シバいてると思うくらいにはうるさい。控えめに言って公害。精神衛生に悪すぎて現世からボッシュートされてほしい。
この上司にこれまで何人か部下が付いていたらしいけど、みんな速攻で辞めていったのも納得。
そんなクソの部下に付いた私が無能って意見出てたら許さない。逆らわなさそうな女ってだけでピックアップされたんだよこっちは!
まあそんなこんなで1年は我慢したからいよいよ反撃に出ようと思う。
もちろん暴力は振るわないよ!昔はついつい口より先に手が出ちゃうタイプだったけど(突然のイキリ)、社会の仕組みを利用すれば自己肯定感の低い独身女でもちゃんとなんとかできるシステムあっからね!
パッションだけはしこたま詰めた愚痴だけど正直言い足りないからまた上司への隠せない衝動訪れたら書きに来るね。ご清聴ありがとうございました。
夢の中で朝起きる。家を出ていつも通りの行動をする。
ふと街中で高校の同級生に出会う。久しぶりとか言って他愛ない話をする。
人と話せて嬉しい!って思った瞬間、目が覚める、夢の中で。
なんだ、夢だったのかとめちゃくちゃ落ち込む。そしていつも通り家を出る。
すると今度は、大学の後輩にばったり出くわす。
こんな感じで何回繰り返したかはわからないけど、一度に数人出会うこともあったから十人近くと談笑したと思う。
最後にほんとうに目が覚めて、時間確認したらまだ2時間は寝れるくらいで、普段なら二度寝できるって喜ぶんだけど、寝れんかった。
こんな夢見るのが惨めで落ち着けなかった。
大学の同期たちが就職していく中、自分はだらだらと学生を続けることにした。
それまではなんとなく入ってたサークルで楽しくやってたけど、卒業後も連絡を取るような相手はいない。
自分から遊びに誘ったことはなかった。SNSで会話もあんまりしなかったし、おしゃれにも気を遣わなかった。
サークルの活動にも、周囲みたいに精力的に取り組んだりしなかった。後輩の面倒とか見たりしなかったな。
他にも原因はいっぱいありそうだけど、その結果、大学卒業後は誰とも会っていない。
週に2日だけ研究室に行って、教授や他の学生たちと最低限の会話をして過ごす。
バイトも大体おんなじ感じ。
帰って、布団に籠って、アカウント作らない範囲で閲覧できる、夢に出てきたようなひとたちのSNSを眺めてる。
自粛自粛の世の中になって、人と会えないって嘆くひとが多いらしい。SNSでも何人か言ってた。
それまでは、みんな友達と遊べて精神衛生保てていて羨ましいな~とか思ってた。
(友達付き合いって楽しいことだけじゃないのかもしれないけど、想像しかできないからわからない)
だけど、コロナ禍になって、自分が相対的に幸せになれたと思ってた。
友達に会えなくてそんなに弱るなんて、って憐れんでるつもりだった。
でも、会えなくてもオンライン飲みとか、オンラインで遊べるゲームとかたくさんあるわけで、みんななんだかんだ繋がりをもって生きてる(これもSNS覗いて知った)。勿論、対面で交流してるひとたちもいるし。
用事がなくてもLINEとかで会話してるらしい。どうやって始まるの、その会話。
やっぱり羨ましいし、今までの人付き合いについて後悔も拭い切れない。
でも、漠然と至らなかった点は思い浮かぶけど、具体的に何をすればよかったのかは考えてない。
書いてたら、また諦めがついてきた気もするけど、そう思いつつまた同じ夢をみるのかなあ。