はてなキーワード: 暴力とは
あるゲーマーがブログではロリコンが嫌いと言いながら、当の本人は寝てる人のチンコを立たせて挿入したりしてるんだよな
嫌がってなければ性暴力に該当しないのか
あと、本人が見てるかわからんけど、見てるならこれだけは言っておく
ロリコンを生み出したくないなら、異性に対してキモイというのはしないほうがいいし、毒親になったり、子供に対する性的虐待はマジでしないほうがいい
性癖と過去の虐待経験や幼稚園から思春期の女性からいじめられた経験が合わさると、嫌がってるのを無視してでも無理やりエッチする糞ヤローが生まれる
(中には衝動性が強すぎて嫌がってることを認識できないパターンもあるけど、こっちはコンサーター、ストラテラや帰脾湯で、ある程度は治る。黄連解毒湯も執着性に効くので行けるかもしれない)
あと、ストーカーにならないように注意しな
だいぶ違うけど、桜庭一樹の『私の男』をちょっと思い出した。あるいは『ベルセルク』のガッツの義父ガンビーノか。
低学年の局部をじっくり見たりイジったりする点で義父氏の小児性愛趣味は明らか。
が、その義父からすれば、血の繋がってない姉妹を保護し養うのに、何か見返りがないと辻褄が合わないので、姉との性的結合や奉仕で合理化した……とも考えられる。
最初は暴力的ではなく、言葉で説得して自ら行為をさせているところは、罪悪感なのか知能犯なのか、家族という体を維持したかったのかはともかく、狡猾で我慢強い印象を受ける。
ただ、その先に、貴女を妊娠させたり、暴力振るったり、他の友人だか取引先にウリさせるのは余分で、愚かだ。
何かそこで仕事がうまくいかなくなる事件があったのかもしれない。
よくよく考えて見ると、義理の娘を仲間や取引先に売らせる男というのは、どう見ても集団内の下っ端で、舐められてるように思える。
仲間との飲み会で「うちには昔のオンナが置いていった、いつでもやれる娘がいる」など口を滑らせて、「じゃあ俺にもヤラせろよ」という話になったのか、「おいおいそれは犯罪だぞ、黙ってるからヤラせろ」かもしれないが、いずれにせよ下に見てないとそういうことは言われないだろう。
すると、そういう下っ端男性が仕事を回してもらうのに、そのウリ行為が必要だったのかもしれない。
人間はそれぞれ、神様から配られた手札として、体力、知性、倫理性、経済力などの能力に限界がある。
義父氏はもちろん善良で有能な保護者では無く児童性虐待犯罪者だったが、彼なりに足掻いて懸命に生きていたのかもしれない。
義父と貴女と妹は、この社会で弱者3人が利用しあう共生関係だったのかも。
もちろんトータルで貴女の犠牲が一番大きく、虐待され搾取されていたが。
穏便に暴力で躾けた方が早そう
(本文です)
________________
どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。
女ってイケてる男だろうとイジメや暴力やってるの見ると本気のドン引きする習性があるようだけど、じゃあそれを理由に異性としてNGになるかといったら「それは全く別問題。それを理由にNGになることはない」らしいし
宗教にはまるやつっていうのは、2種類おり、そのうちの良いほうにあたっているようだ。
彼らは善意を信じており、悪を信じてない。最初に教えられたことをそのまま信じちゃう人たちであり、暴力を知らず、謀略も知らず、善意から我々に教えられた教えを伝えてくる。宗教に属することでコミュニティに奉仕する喜びを感じており、そのことで人格は明るくなり、貧乏ながら(無能ではあるので金持ちはいない)充実した顔をしていたりする。
俺のような猜疑心にかたまりバカをコバカにするような、腐った魚のやる気のない目をした人種とは真逆。
このパターンの人は、教えられている内容が単なる迷信とか嘘の中に入っているうちは、特に害がない。本人個人にはむしろ助けになったりするし、こっちから圧かければ追い払うのも簡単。創価とか天理とか古めの新興宗教に多いね。
もう一つのパターンのがやばく、そいつらは、他人が知らない教えを知っている自分のために宗教をやっていて、マウントとるために教えを説いてくるし、否定されたら暴れるんだよね。
「シス女性は強者だと思います」という考え方、なんて面白い視点なんでしょう!まるでシス女性が社会のすべての恩恵を受けて、ただ座っていればいいだけの人生を歩んでいるかのように聞こえますね。ええ、もちろん、彼女たちは生まれつき特権を持っていて、性差別や社会的な期待とは無縁で、あらゆる場面で常に勝利を収める存在なんでしょう。彼女たちが職場での昇進や、家事・育児の負担に対して平等な扱いを受けていないなんて、きっと気のせいですよね?
それに、彼女たちが直面するハラスメントや暴力の脅威なんて、ただの都市伝説に過ぎないんでしょうね。もちろん、シス女性はまるで防弾チョッキを着ているかのように、あらゆる困難から守られている強者なんですから、何も心配することはないんでしょうね。本当に、素晴らしい誤解をありがとうございます!
女性:ええと、私たちは、あなたたちが性別違和を改善するために移行しなければならない男性だと思っていたのですが?
トランス活動家:いいえ、それは時代遅れで病理化しています。女性とは、その人を女性たらしめるジェンダーアイデンティティを持つからこそ女性なのです。
女性:あの、私たちは女性(female)だから女性(woman)だと思っていたのですが?
トランス活動家:いいえ、あなたが女性であるのは、あなたを女性たらしめている魔法的な女性的本質(magic womanish essence)を持っているからです。私たちもあなたと同じ、魔法的な女性的本質を持っています。ただ間違った体に入ってるだけで。
フェミニスト:それは性差別的に聞こえますね。その女性的本質とは何なのか、そしてそれがどのようにして間違った身体に入り込んでしまったのか、教えていただけませんか?なぜならそれは、奇妙で形而上学的な…
フェミニスト:科学が「魔法的な女性的本質」があると言っている???本気なの?だってフェミニズムは...
フェミニスト:ごめんなさい、何て?
トランス活動家:あなた達は私達を抑圧しており、あなた達に発言する機会はない。あなた達が発言すれば、私達は抑圧され、文字通り殺されるのです。
フェミニスト:何ですって?
トランス活動家:あなた達はシス女性で、シスの人々は私達の抑圧者です。
トランス活動家:それがあなた方の新しい名前です。ラテン語から来ていて、自分の体に一致した魔法的なジェンダーの本質(magic gender essence)を持っていることを意味します。そしてあなたの魔法的なジェンダーの本質があなたの体と一致しているから、あなたは特権を受けていて……
フェミニスト:ちょっと待ってください、女性は女性であるがゆえに抑圧されているのです。それが特権だとは……
トランス活動家:ジェンダーアイデンティティが体と一致しているから、あなたは特権を受けているのです!間違った身体に閉じ込められた苦しみを誰も知らない。それは全人類に起こったあらゆる苦痛の中で最大の苦痛であり、この苦痛を知らない人はみな特権階級であり、したがって私たちの抑圧者なのです。
フェミニスト:あー、私たちがあなた方を抑圧しているというのはよく分かりませんね、私たちはあなたを抑圧するような社会的権力はあまり持っていませんし。このジェンダーアイデンティティとかいうものについていくつか質問があるのですが……
トランス活動家:私たちが存在する権利について議論しているのですか???
フェミニスト:何ですって?いいえ、ただ尋ねたかっただけで……
トランス活動家:あなたは私たちの生存権について議論しているのです!これは文字通りの暴力だ!
フェミニスト:いやいや、ちょっと待って、私たちはただ質問しようと……
トランス活動家:私たちの存在する権利について議論するつもりはない!あなたたちは私たちを絶滅させようとしている!あなたたちは大量虐殺をする人種差別主義者と同じだ!
フェミニスト:はあ???私たちが大量虐殺をする何だって???こいつクソやばいな。ちょっと落ち着いて、これについて話し合いましょうよ。
トランス活動家:いいえ!議論はなし!議論は文字通りの暴力であり、私たちを危険にさらすものです。私達の後に続けて繰り返してーートランス女性は女性です。トランス女性は、シス女性と同じように、女性の本質を持っているから女性なのです。あなた達は肉体ゆえに女性なのではない。身体と女性であることは関係ない。
フェミニスト:さて、これはもう頭がおかしくなりそうだ、私たちは、私たちが女性であることと、私たちの身体は大いに関係があると考えているのですから。
フェミニスト:何?本質主義が悪いというのは同意するけど、それはつまり、ある種の身体を持つ人々が……
トランス活動家:違う、本質主義とは男性や女性が存在すると考えることです。
フェミニスト:うわぁ
元記事の者だけど
なんでコミュ障かっていうと、
まずいじめが発生するメカニズムっていじめのターゲットがその場の空気から逸脱した何かをしたとか、何らかの要因でいじめの主犯がターゲットをいじめる空気ができた時か、笑いを取ったり場を盛り上げるためにターゲットに間違ったアタックコミュニケーションをした時だろ
そこで取るべき正常なコミュニケーションって、
ターゲットをフォローするなりその場に亀裂が起こらないように場を収めるとか、
ターゲットが悪いことをしたなら口頭で納得させる、ターゲット側が直せなかったらグループから追放するとか、
ターゲット本人も笑えるようなウケ狙いや盛り上げ方をするとか
「人を傷つける娯楽目的の暴力」という例外を除いて、大体はいじめる側がバカで上で書いたような適切なコミュニケーションができないからいじめが発生すると考えてるわけだ
そういうやつってどっかでしっぺ返しを受けないと大人社会でやっていけないと思うし
運よくそのまま大人になって職につけてパワハラ上司になれても大人同士の人間関係で悩みがないってことはありえないと思う
だからいじめっ子は報いを受けずにのさばっているっていう意識はあんまないんだよな
「人を傷つける娯楽目的の暴力」でいじめをした奴とか、仮に世渡りがとにかくうまくて不自由せずのさばってる奴に関しても、いじめをしてきたその場で圧倒して屈服させてわからせないと、
https://x.com/streamkamala/status/1762830743997423746
英国の人権団体 Sex Mattersの委員長である法律家ナオミ・カニンガム氏の見解
この論調がこれほどまでに悪くなったのは、トランス活動家側が、社会的に・文化的な激変をもたらそうとして、通常の説得や証拠集め、議論といった段階を踏む必要が「ない」と判断したからです。
トランス活動家は、トランス女性は女性であり、トランス男性は男性であるという新しい現実を課すだけでいいと考えたんです。
そしてどんな状況でも、どんな目的でも、誰もがそれを受け入れなければならないんです。
それに対して懸念を表明する者は偏屈者として中傷され、その意見を封殺され、仕事をクビにされてもかまわない者扱いされる。
さらに悪いことに、こうした意見を表明する女性たちに対して、レイプ予告、殺害予告、恐ろしい暴力の脅迫がありました。ですから、論調が悪いのはまったくもって事実です。
この議論に参加した当初、私は、自分が女性であると言う男性やトランス女性を全ての重要なスペースに包摂し、she/herと呼んで女性代名詞を使用することに、完全に満足していました。そして、私たち全員が理解しているとおもわれる、社会的な目的のために「トランス女性は女性である」という礼儀正しい振る舞いに私たちは準じていましたが、それはここ数年で壊れてしまいました。
というのも、これが礼儀正しい「お振る舞い」だ、と言う共通認識が存在しないことを理解するようになったからです。
もっと過激な主張があるんです。トランス女性は本当に本物の女性なのだと。
今では、なぜ「言葉」がこれほど重要な全然なのかを鮮明に理解できるようになりました。というのも、もし男性アスリート、男性水泳選手、男性走者、何であれ、彼は男性であり彼が女性スポーツに出場するにあたり、男性の身体を持っていることこそが問題なのだと言うことが許されないのであれば、そういった現実的な言葉を使うことが許されないのであれば、何が問題なのかを語ることは非常に難しくなります。
例えば俺をナメ腐ってた連中、当人たちを今さら一人残さず痛めつけて、土下座までさせたとして……いや、仮に俺が負ったのと同じくらいの一生の損失を負わせたまでいったとしよう、なんなら殺した上で警察から逃げ切ったと仮定してもいい、それでも、このコンプレックスと後悔って払拭できるのかね?
自分自身が子供時代の頭で「暴力を続けるべき」と判断できなかった低能力者であることには変わりないし、
俺の失ったキャリアや気力は返ってこない。
じゃあこの先必死に努力して自分のキャリアやスキルや収入をその時の年齢の平均レベルまで取り返したとしよう、それでも10代20代の機会は返ってこないんだよね
俺は中学の頃、スクールカーストの最底辺としていじめられていたんだが、
今でも当時こうしておけばよかった、と後悔していることがある。
例えばいじめっ子の男には廊下ですれ違うだけで殴る蹴るなどの傷害を受け、
いじめっ子の女にも今にまで傷跡が残るくらい腕に爪を食い込まされる傷害を受けたり、通学カバンを泥水の中に入れられたりシャー芯を全部捨てられたりの器物損壊をされていた。
コミュニケーションとしても全員にナメられており、スクールカースト底辺としての扱いを受けていた。
暴力を自ら封じて、されるがまま逃げ続けたせいで、基本のアイデンティティとして自己肯定感が低くなってしまった。
学校という空間が終わって、子供社会のいじめから解放されたあと、
生活できる金を確保できても、大人同士のコミュニティに馴染む経験を経ても、金を払っていい女を抱いても、
「暴力の世界で戦うのを辞めた後悔」が払拭されることはなかった。
中学時代、最初のうちは不良やいじめてくるやつと殴り合いの喧嘩をしていた。
だが、早々に仕返しの連鎖が億劫に感じたのと、おおごとになると将来のキャリアで不利になると当時思ったから、
リアルタイムではイジメなんて全然我慢できたし、家庭の問題のほうがよっぽど辛かったからだ。
それが間違いだった。
たとえ内申が悪くなっても、
俺はその後、無気力人間になって、精神を病んで、高校はほぼ行かず、大学は中退した。
病気を寛解させるまでに、キャリアや実務経験がボロボロになって、
同い年の友達が家庭を持つ中、俺はいい年してバイトしながら学生レベルのスキルを無気力の中効率悪く育てている。
中学の頃は知らなかった。
いじめっ子たちが劣等感を抱えたり自己肯定感の喪失をするまで、
暴力を続けなければいけなかった。
真にキャリアに影響するのは、内申ではなく暴力の自己肯定感だった。
もちろん、育ちのいいやつは不思議と暴力を回避しながらカーストを維持して、無気力にならずに人生で成功しているのは見てきている。
でも、俺みたいに生まれが悪くて学校の勉強しかできず要領の悪いバカは、結局暴力で勝つしか自分を長期的に守る方法はないのが真理だった。
自宅安静になればいいけど、子宮頸管の短さとお腹の張りを見るに次の検診には間違いなく入院。
両親は遠方で全く頼れない状況。
なので、夫がワンオペで家事育児仕事をこなさなければならない。
悪阻中も夫はすごく頑張ってくれたけれど、近くで見てても夫は全く育児が向いてないことが解ってる。
→例えば、夫は糖質制限をしているため、子供に肉ばかり食べさせた結果、子供は腸閉塞を起こし病院に連れて行くことになった
→「咳は我慢すれば治る」というエビデンスも何もない力技を盲信しており、まだ気管支の未熟な子供にもそれを押し付けて治そうとした結果、悪阻中の3ヶ月ずっと治らず肺炎になりかけた。しかも咳をすれば「うるさい!」と大声で叱責する。
→擦り傷をロコイドを貼っておけば治るとして独断で治療した結果、とびひになって投薬が必要になった。私がとびひに気付いて指摘してもなお「子供が傷を触るからだ」と子供を責める始末。
これら、悪阻で寝込んだたった3ヶ月に起こったこと。病院なんて久々に行った。
夫は子供の責任にするだけで、己の失敗とは1mmも思ってない。間違いなく繰り返す。
夫は、最終的には相手のことは暴力で黙らせるしかないと、本当に令和を生きる人間なのか怪しい思想をしている。
表面的には「暴力は何も解決しない」と反省の弁を述べるが、何度言っても手が出てしまう。
聞けば己もそれで育てられたし、自分の兄弟も子供を殴って育ててるらしい。
子供は、そんな夫を、小さい時は恐れで言うことをきていたけど、小学生にもなれば、
それを夫は感じ取っており、俺を馬鹿にするな!と更なる暴力を生む。
最悪なのは、夫はこれで「俺は育児もできるスーパーお父さん」かなんかと己に絶対の自信を持ってしまっている。
なので基本的に私の言うことは聞かない。
私は夫をコントロールすることは諦めて、
夫を物理的に子供から遠ざけて、ワンオペでなんとか上手く家庭を回せてたと思う。
夫の暴力がひどくなるのは、
・仕事が忙しい時
なので、
ここまで書いておいてなんの説得力もないが、
よく稼ぐし家族サービスもしっかりやる努力家で子煩悩なお父さんなのだ。
ただただ、方法が空振っていて、何らかの脳機能障害で手が出てしまうのではないかと思っている。
夫は悪阻の私を必死で支えようとしていたのは感じ取れているので、私の敵ではないと認識している。
夫が暴力をせずともいられた。
ペットカメラで監視する方法を思いついたが、多分早産に良くないからこれも駄目だろう。
あとはどうしたらいいんだろう、
遠方の実家からリモートで連絡してもらうことくらいしか思いつかない。
このままでは子供の命が危ない。
なんでこんな状態なのに次の子を望んでしまったのか、夫の夢(兄弟たくさん)を叶えてあげようと思ってしまったのか
自分の愚かさ思慮の浅さを深く悔やんでいる。
でもそんなことは言ってられない。
上の子供の命も危ないけども、
あと1週間、私ができることは、ないだろうか。
・ダッチ
みんなに愛される蠱惑的な男
・アーサー
主人公 ダッチのことが大好き
両親を失いダッチを父代わりに育つ
・ホゼア
アーサーの育ての父2号でダッチのことが大好き
・ジョン
両親を失いダッチに拾われる ダッチのことが大好き
・マイカ
上のメンバーは10年以上の古株ばかりだが、サークルに最近入った新人 ダッチのことが大好き
口が悪く乱暴でダッチを取り合ってアーサーとよく揉める
20世紀が近づき秩序が生まれ「無法者」が駆逐されていった時代のアメリカが舞台
ダッチサークルは肥えた金持ちから暴力で金を巻き上げ、貧乏人たちには恵みを与える義賊的なギャングだった
しかし急速に文明が発達する中でその生き方は許されなくなり、サークルを率いるカリスマであったダッチは衰えていく
大掛かりな強盗でドカンと稼いだ後で遠くに逃げようと計画するも、強盗失敗
ダッチはその中でうっかり老婆を殺害してしまい、非戦闘員を殺めたショックでダッチはますますおかしくなっていく
金はないが遠くへ逃げ、ダッチの無根拠な「大丈夫だ、俺には計画がある」という言葉にアーサーは従うも、こいつおかしいなと察し始める
追手はどこまでも執念深くダッチを追い(多分こいつらもホモ)、逃げるために資金必要→危険な強盗→失敗、を繰り返し仲間も死んでいきサークルはボロボロ
サークルは、ホゼアが計画を立てダッチが鼓舞しアーサーが実行というのがメインだったがホゼアが殺されて無軌道な集まりになり内部崩壊していく
なぜ敵はこちらの居場所をすぐ知ることができるのか、それはマイカが敵のスパイで情報を流しているからだった
アーサーはをマイカが裏切り者だと告発するも、ダッチは最近能力を疑い冷たくなっていたアーサーよりもマイカを信じて寝取られる
それから8年、ジョンはサークルクラッシャーのマイカの居場所を突き止め山の頂上に隠れた小屋へと辿り着いた
そこにはマイカだけでなくダッチもいた
かつての輝きを失い枯れたじいさんになったダッチは、サークル崩壊後気力を失い
マイカに手籠にされ山奥で8年も二人きりの生活を強いられていた
俺のことを信じず見捨てたお前らよりマイカを取ったのだと言い、ジョンはショックを受ける
ジョンがマイカに銃を向け、ダッチがジョンに銃を向けるという緊迫した状況
ジョンはアーサーが死んだことを告げ、サークルを壊したのは裏切り者のマイカだ、マイカを信じるなと説得する
ダッチは正気に戻りマイカを殺害し、それでもジョンとよりを戻すことはできず孤独にその場を去っていった
最初はホモだと思わなかったが、激狭山小屋で二人が暮らしているのを見た瞬間こいつらはホモでホモサークルの話だったのだと全てに納得が行った
マイカの裏切りについては「明確な証拠はなく、冤罪だ」という説もある
裏切って場所教える→銃撃戦を何度もやっていたとしたら、マイカだってリスクが高く死と隣り合わせだ
金のためにそんなことできるか怪しいが、愛のためだったらできるかもしれない