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『彼女は頭が悪いから』ブックトークに参加して見えた「東大」という記号の根深さ|はままり|note
ジャーナリズムや論文はともかく、小説の響く/響かないの感想というのは、読者の感受性に一任されるもの。
リアリティがなくてスッと世界観に没入できない、感情移入が難しいというのは、著者側の能力の問題のように思われる。
それが本件のようにジェンダー、人権、外国人問題のように、小説が道徳の教科書として活用されるようになった瞬間、描写が稚拙でも感情移入できなかった読者の側が悪い、道徳的反省心が足りないってことになるのか。
もはや小説家としての能力も不問とされ、あくまでテーマが全面に押し出されるのか。
それならもはや小説という表現形態と両立させることが無理矢理であって、最初からジャーナリストによる記事や当事者の手記、裁判記録などを使った方が、「誤読」を防ぐ意味でも遥かにマシなのでは?