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はてなキーワード: 平和とは

2024-08-19

女性のいう共感はただ自己中なだけ

婚活男子は変で婚活女子はまとも

https://ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12862020971.html

1️⃣男性女性に比べて愚痴らない

2️⃣女性の方が嫌ポイントが多い

っていう回答について。

女性の方が嫌ポイントが多い」って、それは女性わがまま自己中なだけって話だよね。

女性自己中でいられるのは女性同士がお互いの自己中を許容しあってるだけで、そういうのが許される社会的構造の中で生きてるだけに過ぎない。

共感の生き物とか言うけど、共感全然してなくて、「私のわがまま聞いて!」に対して「いいよ!私のわがままも聞いて!」をやってるだけ。

その実わがままを受け入れるかどうかは別で、「主張は自由押し付け大罪」くらいのノリでしかない。

それを共感とはよく言ったもので、行動の伴わない共感は結局誰も幸せにならない。

それに対して「男性女性に比べて愚痴らない」のは、わがままを口にしたところで何も解決しないことを知っているから。

自己中心的な考えを口にしたところで却下されることはわかりきってるから口にしないだけ。

解決ありきの情報発信わがままではなくて改善案であって、事態を良くしようという前提があって発信するもの

量的な問題じゃなくて、そもそも目的が違う。

そうすると必ず出てくる指摘が、「すべての女性/男性がそうではない。」という指摘。

で、自分もそれには大いに賛同する。

何が言いたいのかと言うと、それは男女の問題ではなくて、育ってきた社会的環境構造上の問題だろうということ。

そこにジェンダーロールが大きく関わってくることは否定しない。

男性は早くから競争力必要環境に置かれて、愚痴が無力であることを学ぶ機会が多い傾向にある。

女性は天真爛漫が美徳とされて、過酷な状況からはあえて距離を置くような生活を求められる傾向にある。

仮にそうしたジェンダーロールが逆に機能する環境に置かれれば、男性だって女性らしく、女性だって男性らしく育つだけのこと。

例えば平日昼間のスーパーで人の動きなんかを見てると、あまりにも秩序が崩壊していて笑えてくる。

カート自由気ままに動き回り、通路の妨げや人の流れなんてものは一切考慮されることなく、個人が自らを常に優先する世界がある。

圧倒的に女性が多いか女性おかしいと考えがちだが、その時間帯にいる男性もそこそこひどい。

逆に平日夕方スーパーでは、男女問わずに秩序が守られていたりする。

それはつまり、そこは男女差というよりも、ただそういう時間帯にいる=それが許される環境にいる人間の傾向でしかなくて、外に出て仕事した経験の有無と比例して愚痴を言うより先に手を動かして結果を産まなければ生き残れない世界にいたかどうかの違いの証明しかない。

で、何が言いたいのかと言うと、それも時代一過性だよねということ。

戦国時代から第二次世界大戦徴兵を経て、男は外の世界で常に結果を求められる生き方強要されてきた。

結局はその名残のなかで生きているから未だにそうなだけで、今みたいに平和な世の中なら男性でも自己中な人間はいくらでも出てくるだろうし、そうした中で結果重視で活躍する女性が出てくればそれに続こうという女性も増える。

これからはそういった意味で男女差はなくなっていくはずで、それを先天的性差として開き直れば、これから先も平等なんてものが成立するわけがない。

タイトルにつられて脊髄反射せず、内容をよく読んでね。

それまで生きてきた環境の中で許されてきたものが、突然許されなくなったからと、「女性はそういうものだ。認めろ。」と騒ぐではなく、認識を正しくして解決していきましょうねという話でした。

anond:20240818234330

SNSの普及が、ファンネルという核兵器を産み出してしまった。

現代ネット平和は、核抑止力によるものと考えればよい。

「仲良い」関係が少しでも壊れると、即座にファンネルミサイルが炸裂して相手自殺へと追いやれる。

今日比較平和はてなだと思ってたけど、いつもの差別暴言大好きおばさんと煽りおじさんが入ってきて一瞬で治安終わったな

相手しないで寝た方が良いよ

2024-08-18

戦争関係施設、どこがどっち向きなのか

知覧特攻平和祈念館って靖国神社みたいなもんなの?おれはてっきり沖縄ひめゆり平和祈念館や広島平和記念資料館と同じ方向性施設だと思ってた。

メンタル病んでたんだが最近ようやく、本当に治ったんだなと実感できる。

2年前でも相当良くなったと思ってて、でもどこかへ行くのはすごく怖かったし毎日薬飲んでた。

突然ドーンと精神が落ちるからそれが怖かったし、何だかからないけど恐怖を感じてた。

考える力が落ちてたんだと思うけど、それでもどうにか普通になりたくて、2年前に旅行に行った。

でも選んだホテルがひどいホテルだった。今だったら絶対選ばないし、メンタル病む前にも良く旅行行ってたがその時でも選ばないような所。

今の私なら無理と感じるのに当時は全然平気だった。なんか全部夢の中の出来事みたい、価値観も変わっている感じ。

それを経て半年後、さらに遠くの旅行に行った。

その時はかなり良くなってて、選んだホテル普通だった。2択しかなかったけど…。

実はこの旅行にはもうひとつイベントを仕込んでて、大切な人に会う重要な日があった。

会う時は薬を飲まない状態会いたかったので、調子が良いと思った時は薬をやめてみて、薬を飲まなくても大丈夫な日を予め増やしていった(医者には黙ってた)。

薬を飲まない方が頭がすっきりする感覚があった。

ちゃんとしてなくちゃいけなかったから、ちゃんとした格好で行かなきゃいけないんだが当時の服をいま久々に着てみたら丈がまるで合ってなかった。

でも私は覚えている、この服を買った時何着も試着して鏡を見て「大丈夫だ」と確信を得てから買った。

なぜこんな変な服を買ったのか全然からない。

で、現在

現在は全く薬を飲んでいないし、かなり不安で緊張することがあっても薬を飲まずに済んでいる。

普通に戻ってるかな?と心配することすらなくなった。

メンタルを正常に保つためにやっていたこと(11時には寝る、7時に起きて朝散歩、酒は飲まない、筋トレVBVD摂取マッサージ)は今さぼっているけどそれでもメンタルは安定している。

自己否定もすっかりやんだ。

たまに今でも頭の中に嫌な感じで言葉が埋まっていくときがあるけど、それはすぐに気付けるし止まるし、ちょっと疲れてるなって気付いて早めに寝たり運動したりしてリフレッシュできてる。

お酒は好きなのがあったけど、それが買えない所に今はいるのでそれで自然と飲まなくなった。

何をするにもあの強烈な不安感が襲ってくることがないって、なんて平和なんだと思ってる。

つい誰かと比べてはしょんぼりする

ついついSNS楽しそうで自由キラキラしてる誰かと比べては

自分のできない部分にフォーカスしそうになるね

コレやってるとまじでいいことないな

自分の足りないところばっかり目につく


案外いっぱい足りてるものもあるし、ニホンは平和だし、あした食うご飯はあるし

日記はかけるし、ゲームもしたりする余裕があるのに。

それ以上持ってる人を見ては足りない気分になってくるのなんでなんだw

専守防衛戦争抑止効果がない」

古代人過ぎて泣けてくる……。

基本的現代においては「侵略NG」というコンセンサスがある。

ただしイスラエルを筆頭に横紙破りしてる国もあるが、基本的には何かしらの大義名分を作って戦争をする。

近年の例

有志連合アフガニスタン侵攻(2001-2021年)

 国連憲章第51条によって定められ、事前に国連決議必要としない集団的自衛権の発動

有志連合イラク侵攻(2003-2011年)

 国連安保理決議678号(決議1441号が履行されなかったと主張)

 ※支持国のうちオランダイギリス不適切な侵攻であったことを認めている

エチオピアアメリカソマリア侵攻(2006-2009年)

 国連安保理決議1725号による進駐

 ※ただし積極的戦争拡大について国連EUアラブ連盟非難している

ロシアウクライナ侵攻(2022年-)

 国連憲章第51条によって定められ、事前に国連決議必要としない集団的自衛権の発動

完全に大義名分が無かった例

南オセチア紛争(2008年)

 ジョージア軍のCSTO平和維持部隊への攻撃により発生

 当事国ジョージアでサーカシヴィリ大統領不適切命令が原因と決着済み

アメリカシリア不法占拠(2016年-)

 特に説明はないがアメリカ中央軍の1000人程度がシリア政府承認を得ずシリアの一部地域占領している

 イランはこれを理由アメリカ中央軍をテロ組織指定している

イスラエルヨルダン川西岸および東エルサレムへの入植(2016年-)

 国連安保理決議2334号違反

 ※アメリカ拒否権行使せず成立し、ネタニヤフ政権はこれを無視すると宣言

建前

基本的に何かしらの建前があって事を起こすと、ある程度の国際的支持が得られることがわかる。

その建前を根本から破壊するのが専守防衛だったり非武装だったりする。

攻撃できない相手に「攻撃されたので、されそうなので攻撃します」とは言えないからだ。

とは言えダメな例の通りやるやつはやるので、そういう政策を取るかどうか自体議論余地があるのは認める。

認めた上で日本のように世界10位程度の軍事費を費やしながら専守防衛を盾にするというのは、結構有用な仕組みではある。

もちろん建前を建前とするためにあれこれ工夫は必要なのだが、言うだけタダなんで積極的に用いたい。

さっさとジブチから自衛隊を引き上げて引きこもろう!

悲報NPCの皆さん、プレイヤーたる俺様に歯向かう

プレイヤーたる俺様が報われる世の中にするのが君たちNPC役割だろう?

どうして平和を脅かすようなことを言うの?

君たちの傲慢な態度は尋常じゃないよね?

なんでプレイヤー労働をしなければいけないの?

平和な世の中の構築のために尽力してね

ベーシックインカム施行してね

そうしないと、おしりぺんぺんだから

2024-08-17

第2次世界大戦で気になる戦争見方

終戦の時期になると戦争体験者が「悲惨戦争体験」を語り反戦平和を訴えるというのが繰り返し流れるが、戦争体験者がうじゃうじゃいた昭和時代も、戦争体験者が「悲惨戦争体験」を語り反戦平和を訴えるというのが当たり前だったの?戦争体験者が身近にいるなんて当たり前だからそういうコンテンツは無かった?むしろ武勇伝として語る体験者の方が多かった?

日本では第2次世界大戦太平洋戦争というのは「悲惨戦争」として反戦平和の主張の根拠になってるけど、「戦勝記念日」になっている連合国側ではただの祝い事で、反戦平和思想はない?

100%負けると分かっていても中国と塩試合させられる日本女子卓球界のリーダー

早田ひなさんが特攻平和会館に行きたくなる気持ちも分かります

中国との試合なんて男とボクシングさせられてすぐサレンダーしたイタリアの女みたいにしていい

2024-08-16

「決まり文句を憂う元特攻兵」

多くの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争。追悼の場では「尊い犠牲の上に、平和日本がある」というフレーズが使われ続けている。戦争を起こした責任が忘れられていないか――。軍国少年だった男性は憂慮している。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASS8H3K3SS8HUTIL028M.html

朝日の「季節モノ」の角度付きポエム記事を見かけて、思ったことをいくつか。有料記事なので中身は読んじゃない。

「元特攻兵の憂慮」は「平和のための尊い犠牲」という決まり文句の決まり文句性に向けられているようである

私こと団塊ジュニア祖父抑留帰りである。でも時間の経つのは早いもので、いまや兵士として戦争体験したのは、そしてそれを確かに語れるのは稀な長生きの方だけになった。あと一歩でそれは完全なる「歴史」になってしまう。ツルっとした決まり文句しか残らないのか?という危惧はよくわかる。

朝日意図は「戦争を起こした責任が忘れられていないか――。」のほうにある。日本のし戦争は悪の戦争なのだからろんりてきに言って日本戦没者は「自業自得」または「単なる巻き添え」であり「尊い犠牲」ではありえないというアホが極太マジックで書いたような単純な理屈がそこにはある。

ちょっと話逸れるが井上和彦氏とかがやる戦争美談英霊漫談みたいなのは聞くに堪えない。左翼へのカウンターのつもりなんだろうが、普通に考えて誰が国のために死にたいもんかよ。まず気の毒だし申し訳ないし、そんな気持ちよく語れたらもう嘘だろう。ましてや誇らしいだなんて、まともな神経で言えるわけがない。

だれも簡単言葉にしようのない万感込めた「尊い犠牲の上の平和」なる決まり文句だったはずだ。今後はその意味も変質していかざるを得ないが。どうしたって我々は応仁の乱犠牲者を思って泣くことができない。

ずっと昔に「きけわだつみのこえ」を巡るゴタゴタのルポを読んだ。その悲しくも美しい詩の力の影響下に、わだつみ会なる遺族会みたいなものができ、しか純粋な「慰霊」あるいは「顕彰」を意図する派閥と、彼ら戦没学徒兵はあくま侵略側であり「犬死に」であったという解釈にこだわる派閥あいだで「わだつみブランド」の争奪戦が起き…

犬死に」のドグマ今日に至るまで何の進歩もなく朝日に受け継がれているのであるだってドグマからな。

尊い犠牲」が戦争責任曖昧にするとかいうなら主語不明の「あやまちはくりかえしませぬから」はどうすんの?とかそういう議論はいさらしたくもないが。

前述の通り戦争体験者はもういなくなる。いわば戦争記憶のもの鬼籍に入っていく。現実との結び目をほどかれて「犬死にドグマ」や「誇らしい戦争美談」は文面を変えることなく軽やかにツルツルと高級なそうめんをすするがごとくに語られ続けるだろう。

その一方で世界ではリアルタイム戦火虐殺が熄みゃしないのだからどんな時代のどんな社会もそれぞれにどうかしている。

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

ネットの奴らが仕事何してんのか気になる。

特にXで毎日ダラダラ社会政治文句言ってる奴。こういう奴らはニートだと決め付けてるけど、本当のニート社会に不満を持つほどストレス溜めてないだろ。そもそも社会政治について考える知能すら無いと思う。

俺の知り合いで一人そういう系の投稿してる奴は底辺営業マンだったな。

やっぱ他の奴らも底辺職なんかな?営業とかSEとか製造とか不動産とか。


ちなみに俺は社会政治に全く不満は無い。

しろ平和に暮らさせてもろてありがとやで岸田。それと警察の人たち。

そもそも、一個人労働者が不幸なのは社会政治のせいじゃないだろ。自分努力次第やろ。

社会政治が変わったところで一個人底辺は相変わらず底辺でしょ。逆に世の中が不況でも一個人努力して収入上げたら幸せになれるだろ。

なんで自分1人の人生日本全体に関わってると思ってんだよ底辺どもは。

特攻平和会館とか靖国問題って、根本的には彼らは”かわいそう”って価値観を認めるかなんだよ

一部の右翼の人々からすれば彼が”かわいそう”っていう価値観は受け入れられないし、靖国なんかはかわいそうっていうスタンスを拒絶してる。

そして、それこそが韓国中国靖国神社への参拝に反発する理由だし、日本人でも一定数の人が批判する理由なわけ。

ここが理解できないとなぜ、亡くなった人に慰霊気持ちを表明することに反発するのかっていう疑問が生まれる。

あの方は戦争で亡くなった、かわいそうにっていう感情を持った人が集まって慰霊を行う限りだれも批判しないし、中韓別に批判はしない。

ではなぜこのかわいそうって立場を受け入れられない人がいるかっていうと、かわいそうって言ったときにはその死が避けられるべきものであり、亡くなった人は不幸であるという含意がある。

他方それを拒絶するって事は戦死者たちの死は有意義であるって事であり、また戦争自体有意義だったという評価につながるわけでそれ故に他国一定数の日本人もまた批判するわけ。

anond:20240816031709

世界予算の半分をかけて人工知能を搭載した女性型セクスロイドを作って世界平和になるんじゃないな

多分争いをやめて一致団結して理想のお人形を作る気がする

2024-08-15

NPCのみなさーん、元気でやっているかな?

君たちどうしちゃったの?なんで善行を怠るの?

その傲慢な態度、プレイヤー様に対する態度じゃないよね?

俺のようなプレイヤー様に対して歯向かうなんて、尋常じゃないよね?

平和な世の中の構築のために尽力してね

ベーシックインカム施行してね

そうしないと、おしりぺんぺんだから

anond:20240815213848

誠実な人々が一定数残っている理由は、いくつかの要因が考えられる。

まず、社会は多様な価値観ニーズ構成されているため、誠実さが求められる場面も多い。

誠実な人々は、信頼を築くことができ、それが長期的な関係成功につながることがあるのだ。

信頼はビジネス個人関係において重要資産であり、誠実さがそれを支える。

また、誠実さは個人内面的な満足感や倫理観に基づくものであり、他者との関係を豊かにする。

誠実な行動は、自己満足他者から尊敬を得ることにつながるため、誠実さを選ぶ人がいるのだ。

さらに、誠実な人々はコミュニティ社会の安定に貢献する。

誠実な行動は、他者との協力や共感を促進し、より良い社会を築く基盤となる。

社会全体が誠実さを評価する文化を持っている場合、誠実な人々が生き残りやすくなる。

最後に、誠実さは個人幸福感や精神的な健康にも寄与する。

誠実であることは、自己矛盾を避け、心の平和をもたらすことができるため、誠実な生き方を選ぶ人がいるのだ。

anond:20240815214942

それはまるで、「汚い奴が勝つ=戦争」っていう公式を作っちゃってるみたいだな。

かに歴史を振り返れば、権力争いは戦争に発展することもあるが、全てがそうなるわけじゃないだろう。

世の中には汚い手を使わず成功する人もいるんだぜ。

戦争が起きたから誠実になったって、なんだか因果関係が逆転しているような気がするな。

平和を望むからこそ誠実になるのはわかるが、戦争が誠実さを生むって、ちょっと飛躍しすぎじゃないか

戦争悲惨な結果をもたらすことが多いから、むしろそれを避けるために誠実であるべきだと思うんだが。

anond:20240815213848

汚いやつが勝ち上がるシステムは、突き詰めれば戦争になる

戦争が起きて、もっと平和社会がいいと望んだから誠実になった

[] キラキラの国と魔法使い

むかしむかし、キラキラの国という不思議な国がありました。この国では、みんなが「ピカピカ」「トキトキ」「チャリチャリン」という大切なものを持っていました。

ある日、みんなは「ピカピカ」を使って、楽しいゲームを始めました。「見て、これがすごく面白いよ!」とみんなが言いました。みんなはそのゲームに夢中になりました。

しかし、キラキラの国の外には、たくさんの売り手たちがいました。彼らはみんなの「ピカピカ」「トキトキ」「チャリチャリン」を手に入れようと、競争していました。

ある日、魔法使いが現れました。彼は「フォロフォロの魔法」を使って、みんなの心を引きつける力を持っていました。「これを見て!これが一番素晴らしいんだよ!」と彼は言いました。

魔法使いは、魔法スクリーンを通じて、キラキラの国のみんなに映像を見せました。みんなはその映像に夢中になり、魔法使いの言うことを信じるようになりました。

商売人たちは、魔法使いを使って自分アイテム宣伝し始めました。「私のが一番だよ!」「いや、こっちの方がもっと素晴らしい!」と、競争を激化させました。

みんなは魔法にかかり、どんどん自分の「ピカピカ」「トキトキ」「チャリチャリン」を使って、彼の勧めるものを手に入れようとしました。キラキラの国は、魔法使いの影響でいっぱいになりました。

戦争ますます激しくなり、魔法使いますます力を持ちました。みんなは自分の「ピカピカ」「トキトキ」「チャリチャリン」を使い果たし、何も残らなくなりました。

最終的に、キラキラの国は欲望と争いでいっぱいになり、誰も幸せではなくなりました。魔法使い魔法は、みんなの心を奪い、国をバラバラにしてしまいました。

みんなは本当に大切なものを見失ってしまいました。キラキラの国は、もう二度と平和楽しい場所には戻れませんでした。

anond:20240815203914

戦後ドイツ自由の敵に自由を与えないように

戦後日本は平和の敵に平和を与えないんだよ

日本人は、歴史的に最低約2600年(最大1.5万年以上)日本土地で『平和に』暮らしてきました。

しかしここ70年ほど、日本人が気が付かないうちにどんどん日本から迫害されております

日本人奴隷のように搾取され、土地など財産も奪われ、それを苦に自殺者も多発しています

搾取された税金等で、外国人が潤い、好き放題暴れるようになりました。

この状況を憂い、はてな匿名ダイアリーを中心にしながら日本人の団結を促して

日本を変えてゆこうと考えております

是非、活動のご支援ご協力をお願い致します。

山上徹也の青年漫画主人公感は異常

被害者が黙り続ける限り問題は起こらない。

全ての人間ヒトラーにひざまづけば第二次大戦が起こる訳がない。

少し自分のために何かを見ないようにするだけでいい。

至って平和だ。

山上徹也

まれた者、勝ち残った者、それがエゴに染まった時、己が義務を忘れた時、その富と名誉は必ず失われる事になっているんだよ。

山上徹也

ダム沿いの道で小鹿が柵から抜け出せず死んでいた。ほんの少しの手助けがあれば死なずに済んだのだろうか?

山上徹也

食い散らかした人骨の上で愛を語るより、集めた首の数を競うより、もはや誰を犠牲にする事もない死んだ人間の方が、正しいに決まってる

山上徹也

私を弱者に追いやり、その上前で今もふんぞり返る奴がいる。私が神の前に立つなら、尚の事そいつを生かしてはおけない。

山上徹也

から言っただろう、最後はいつも一人だと。頼りになるのは自分しかいないと。プライドしかないのだと。人間など屁の役にも立たんと。

山上徹也

だが言っておく。

復讐は己でやってこそ意味がある。

不思議な事に私も喉から手が出るほど銃が欲しいのだ。

何故だろうな?

山上徹也

我、一命を賭して全ての統一教会に関わる者の解放者とならん

山上徹也

https://i.imgur.com/M8OjFkg.jpeg

キモイやつを排除し続ける職場って平和なんですよ

おまわりさんが目を光らせるのはキモさがにじみ出てる奴

キモいとは平和真逆で秩序を乱すものキモものが居座るのは現状変更の試みとなるのであるだろう

上澄みとキモいが対義語なのは中学受験制なら知ってて当然

なんでダメな人ほど俺の言う通りやれとか言い出すんだろう

お前の言う通りやったらお前みたいになるから最低最悪な結果なんだが

つーか自分が失敗作だとか負け犬だっていう自覚が無いのが一番キツい

なぜそこまで自己肯定感が高いのか…

2024-08-14

Fading Afternoon の一番好きなルート

ヤクザ丸山は、30歳の時に服役し40歳出所した

刑務所内で不治の病にかかった丸山は、毎日のように吐血し近い将来死ぬ運命にある

死病を隠して組長のもとに戻ると、組は衰退し他の組に多くのシマを奪われていた

それでも組長は出所したばかりの丸山の当分の生活のために100万円を捻出してくれた

キャバクラに行った丸山は、嬢をしている元妻と再会する

30歳の時、妻に何も言わずに組のための大仕事をして10年も投獄され、その間に妻に離婚届を送られ獄中離婚していた

元妻は丸山を見て怒り、酒瓶で丸山を殴った

丸山がその後またキャバクラに行っても元妻は解雇され会えなかった

街を歩いていた丸山は、立ち止まって求人広告を見ている元妻に出会った

丸山は元妻を引き止め、罵倒してくる元妻を抱きしめ、復縁した

ヤクザ事業がまた上手く行っている丸山は家を買い、元妻に専業主婦をさせ毎晩抱いた

突然元妻が姿を消し、置き手紙には「女を預かった」と呼び出し先の住所が書かれていた

行くと、元妻は敵対する別の組の者たちに捕らえられていた

彼らは、丸山尊敬する丸山の組の組長を殺害し、街から消えて手を引けば元妻を返すと脅す

組長を殺せば元妻にはなにもしないが、果たされなければ遊んだ末に殺す、元妻は美人からそれでもいいと言う

丸山は組の事務所に行き、組長を殺害した

いかかる他の組員らも殺害し、ただでさえ残り少ない寿命を負傷で削りつつ帰宅すると元妻は約束通り無事な姿で帰されていた

丸山は元妻を連れて遠くの地方へと身を寄せた

夫妻は古びた小屋で寝食をともにし、一軒しかない飲食店に行ったり、釣りをしたり、ヤクザと無縁な平和な日々を送る

ある日に丸山はひときわ大きく咳き込んで大量に吐血し、妻に看取られながら亡くなった

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