はてなキーワード: 天然パーマとは
俺は小さい頃はとても明るいムードメーカータイプだった。クラスの中心でリーダーシップを発揮して引っ張っていくタイプではなかったものの、お茶らけて人前で話すのが苦にならないタイプだった。
当時髪はさらさらだったが、濡れると林家ぺーみたいな天パになった。当時は髪質なんて全く気にしていなくて、夢にあふれ明るい子供だった。
小学生の高学年ごろ、自分が周りの生徒と比べれて剛毛なことに気づいた。大人になれば綺麗な髪質になる、きっとトリートメントとかリンスとかすればなんとかなる。そんな認識だった。
中学にあがるといっきに髪質が変化していった。剛毛の太い縮れ毛生えてきて、うねりだし、髪が爆発しだした。
卒業までの間についたあだ名は「ちん毛」「陰毛」「チリ毛」「アフロ」「堅焼きそば」「スチールウール」散々だった。
学生時代の人間関係という名のスクールカーストにおいて、こういう負のステータスである重度の天パはカーストの最底辺で生きる羽目になる。中1の頃は、持ち前の明るさでお道化ていたが、「ちん毛の癖に調子のるな」と蔑まれ、いつもニコニコヘラヘラしていた俺はフラストレーションが溜まる思春期の同級生たちの捌け口となり、「何を言ってもいい」「何をしてもいい」相手になった。文房具を投げられ、男子トイレで首を絞められた。
運動も勉強もできない俺は、このあたりで心の底から人生がどうでもよくなってしまった。頑張ったところでどうせちん毛だし、どこに行ってもこれから先こういう目に合う事も凡そ想像がつくようになった。
学校に行くのが酷く嫌だったが、親に学校での扱いを素直に言うのはもっと惨めな気持ちになって辛くなって俺が立ち直れなくなりそうだったので、その事は黙りつつも学校を休みがちになった。
俺は学生時代の同級生の事は恨んではいないけど、もしも目の前で中学の頃の同級生が死にかけていて、俺が今すぐ救急車呼ばないと死んでしまうなら、俺は素通りすると思う。
出席日数はと学力は学年でドベだったので、近所の偏差値30の高校に通うことになった。
あれって初めて観たときは流石に大爆笑したけど、どこまで真面目に考えてたのかなあと思ったり
そもそも、あれって誰の案なんだろう
基本的に紙とかで精巧に作った市街地や飛行機、基地内のセットがすごいウルトラマンで終わったんだろうけど、
だって、ウルトラマンではなく、メガネをかけた天然パーマのおっさ…、
…じゃなかった、巨大なお兄さんが登場した時点で、視聴者は我に返らされるわけだよ、強制的に
これは虚構なんだ、って
シンエヴァ観に行かないけど、あそこでウルトラマンのコスプレをしない、
巨大な?生身の人間が登場することは、完全に作品自体を根本から「ぶち壊す」行為なわけだけど、
逆にあれをやらなかったら、あの作品は伝説?にならなかったと思うんだよね
つまり、学生なのによくできた作品でした、で終わってたかもしれない
そう考えると、「八岐之大蛇の逆襲」もよくできているわけだけど、
物語の中心人物であるはずのあの女子大生とか、パペットマペットを思い出すカエル🐸の宇宙人たちとか、
それに比べて、自主制作の帰りマンは、巨大化した庵野が…、というだけで通じるという、
あと、爆発の火力で髪の毛とか顔に火傷したんだったかな
話を戻すと、あの帰りマンの時点で、
視聴者を虚構から現実に引き戻すようなことを考えてたかどうかは知らんけど、
そう考えると不思議な縁があるものだなあ、と思ったりしたのでした
「なぁにぃ?ウルトラマンなんて現実にいるわけないだろ、だとぉ?だったら、おまえがウルトラマンになれっ!!」
なんだろうけど、まあ、そういう熱い暑い解釈もできるわけだけど、
虚構を現実に引き戻す破壊力というか、皮肉というか、シニカルな感じはあったのだよなあ、
と朝からくだらないことを考えてみるのでした
そうか?男子校出身者、私の体感だとそんなに女性に攻撃的な人たちではないけどな。
だいたいなんかグレーか黒か紺か迷彩かよくわからない背景に馴染みそうな色柄の洋服を好んで着ていて、メガネをかけていて、くるくる天然パーマか短いスポーツ刈り(スポーツはしていない)で、地味で大人しくてモチャア…とした笑顔をしていて、アニメとゲームが好きで、草食を通り越してもはや自分が有機野菜みたいな畜無害な男性が多いイメージ。特に電気科とか情報系。
確かに彼らは羊のように似たような個体と群れる傾向はあるが、彼らが集まってする話の内容は現実の女性に対して性加害を加えたいというような恐ろしいものではなくガンダムのことなどいたって平和な内容だよ。
まだ若者の範疇だけど、そろそろ女の子とも言いがたくなりつつある。
世にはアラフォーでもまだきれいなかわいいお姉さんって感じの人がたくさんいるし、
わたしもまだまだお姉さんで通る見た目だと思う。だってまだ23だし。
でも確実に老いは来る。そして、それに抗って若い見た目を保つ努力はめんどくさい。
おばさんは嫌だ。ババアになりたい。だから、見習いババアを自称しはじめた。
わたしの母親は適度にズボラで適度にサバサバしていて、いいババアみを持っていると思う。強烈な天然パーマもババアみにちょっと寄与している。
ただ、外見にはそれなりに気を使っているし、気遣いもすごくできるし、ババアっていうかマダムって感じ。
最低限の気遣いやマナー、身だしなみも生きていくうえですごく重要だと思うけど、マダムというのもなんだか癪である。
近所のガキどもにババアと呼ばれて慕われて、そのたび「ババアとはなんだババアとは」ってがなるけど怒ってはいなくて、だから子どもたちもババアって呼ぶのをやめないみたいな。
喧嘩している子がいたらかっこよく仲裁してやったり、休みの日には宿題教えてやったりとかして。
その子達の親が「○○さんに向かってババアなんて失礼でしょ!」とか言ってたら「ババアはババアだからそのままでいいんですよ~あ、でも他のババアのことはババアって呼ぶなよ!」とか言いたい。
冬でも半ズボンで
さらに目を小さく細くした感じ
でも大人しいわけではなく、むしろ活発で人の嫌がる事しかしない感じだった
でも時々普通に遊んでる事もあった
でも時々○○菌と言って虐められてることもあった
でも本人は落ち込むというよりは
立ち向かって暴力をふるったり、泣き喚いて暴れるような感じだった
ヤンキー的な怖さというより、関わると面倒になりそうな頭がおかしい奴的なヤバさがあった
結婚してんのかな
俺は独身だからあいつが結婚してたら負けた感じがして嫌だなと思った
でも多分今結婚してなかったら、あいつは一生結婚できなさそうだなと思った
俺も他の人間も大抵モテ期があったり、チヤホヤされた経験があったりすると思う
こいつはそんなの経験した事あるのかな
初対面とかでニコニコ迎え入れられる事あるのかな
なんか悲しくなってきた
あの時のまま、むしろ子供の頃は多少難があっても多目に見てもらえたと思う
もうこの歳じゃそれもないだろう
母親は私が中学くらいから適応障害統合失調精神病院入り浸りの薬付け(効いてない)親戚疎遠。
弟は母親のせいで看護学校に行かされて挫折していじけてニート気味。
妹は弟を嫌って疎遠。
私は雑魚公立高校から地元公立大学(努力でなんとかなる勉強はした、青春は無かったし大学でも勉強とバイトまみれだったけど。)まで奨学金で行ったから借金まみれで、ニートな弟を引き取って二人暮らしで正社員手取り月12万程度しかないから返済も50代過ぎまでかかりそうだし大きな昇進もないそれまでない。
両親から低身長(成長期の栄養状態も悪いし祖母の介護で睡眠時間も悪かった)と天然パーマを遺伝し二分脊椎で運動も駄目。
ブサイクだし食生活も滅茶苦茶で安い炭水化物で飢えを満たしてたから肥満だし仕事のストレスで片耳も突発性難聴で聞こえないし、胃をやられてるし、高血圧でボロボロ。
友人たちは次々結婚したり順調に生きていてどんどん世界が違っていって居辛い。数名はまだ話が出来るけど置いていかれるのは時間の問題。
異性の多い職場だけど仕事に関わること以外私は存在しないかの如き扱い。仕事が多忙だし何かと他部署の人に反発される仕事だからそんな暇もないし好感度もないし金の余裕もない。
なにもないわ、人に好かれるための要素が。手牌が。結局、生きるための努力はなんの役にも立たない。
普通に生きることが目標だったのに頑張れば頑張るほど普通が遠ざかって孤独になっていく。始めからすべて間違っていた。まともに生きるために苦労したことなんて他人からは評価なんてされない。無駄だった。こんな人生で林檎の樹に水をやり続けるなんて無理だ。
空気を読んで周りに合わせてランチいったり仕事押し付けられたりしてた
でも唯一の自分の取り柄と思ってた彼氏が、自分のいないところで「あいつのとりえは下の世話くらいw節約好きとか引くww」って言ってるのを見てしまって過呼吸起こして仕事やめる
都内2LDKからギリギリ都内のやっすいアパートに引っ越してSNSも全部やめて断捨離しまくる
隣人はうるさいけどヒッピーっぽいゆるいパリピで、距離感が近くて恋してしまう
でもそこに断捨離したはずの元彼がきて、ヘアスタイルをいじってブスだの言ってずかずか部屋にも上がり込んでくる
なんとか撃退
うーん仕事やめるくらいまではよかったんだけど、隣人がイケメンパリピで都合よく新しい恋愛が始まる感じで、
2巻以降で元彼とパリピとの三角関係になる!?みたいな広告が1巻の最後にあって、
うーんそういうのは求めてなかったんだけどなあと若干残念感が出てきてしまってる
結局そっち系にもってくんかーいみたいな
とりあえず続きは読むけど
あ、そっち系には進まないのね
これで安心して読める
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-292366
◆日時:1件目・11月8日(木)午後3時30分頃◆場所:1件目・長岡京市長法寺北畠3番地付近路上◆概要:1件目・女子小学生が帰宅中、上半身を露出している女性を目撃した。◆女の特徴:1件目・30歳代、赤色と紫色のショートカット、身長160cmくらい。
◆日時:2件目11月9日(金)午後3時00分頃◆場所:2件目・長岡京市長法寺南谷4番地付近路上◆概要:2件目・女子小学生が帰宅中、上半身を露出している女性と下半身を露出している男性を目撃した。◆女の特徴:2件目・30歳代、赤色と紫色のショートカット、身長160mくらい。◆男の特徴:2件目・30歳代、黒色天然パーマ様、身長170cmくらい。
アスペ・発達障害・低IQ、吃音・アトピー・ワキガ・ひどい天然パーマ。メンヘラで性格も悪いしひとつとして良いところがないと思う。
ただただ顔だけは貶されたことがないし、ミスコンに出たりモデル崩れみたいなことも何回かやった。
中学から彼氏が途切れたことがないけど、何ヶ月かで振られるか、搾取される。
髪は毎月縮毛強制かけて健常者になってるけど、お金も時間もかかるししんどい。
正直顔なんか整形すれば変えられるんだし、顔と引き換えにマシな体と脳みそが欲しいわ。
バカでノロマだから仕事もできないしアトピーだから風俗もできない。若くて容姿が良いのに死ぬしかないって人生もったいなかったなーと思う。
ど田舎出身のおっさんだけど、40年ほど前のこと考えると知的障碍者への社会的な配慮って進歩したなと思った。
思い返せば、昔も知的障碍者は居たんだけど、「知的障碍者」なんて言葉は一般的じゃなかったから
で、そのキチガイは真昼間から田んぼ脇にぼーっとたってニタニタ笑ってるのよ。
まぁキチガイってのはそういうもんかな、って子供心に思ってた。
それが今やどうだ。授産施設が作られ、立派に仕事もできるようになっている。
もちろん当時からあったかもしれないが、ど田舎に普及するほどではなかったはずだ。
今も配慮配慮というが、社会的サポートってのは地道に進んでるもんだな、と感じた。
(現在進行形で多大な苦労があったとは思うが。)
朝ドラに峯田が出ている。峯田とは峯田和伸さんのことで、彼はGOING STEADYまたは銀杏BOYZのボーカルとして知られている。現在は俳優としても活躍し、その活動の幅を広げている。
今期のNHK朝の連続ドラマ小説「ひよっこ」で、峯田和伸さんは、消息不明になった父親を追い上京する有村架純さん演じるみね子のおじ、宗男役で出演している。宗男は茨城の片田舎でマッシュルームヘアーでバイクに乗り、ロックンロールをこよなく愛する農家のおじさんで、いつも人を笑わせている。
だがその笑顔の裏には戦争の影が……というキャラクターで、先々週、宗男が上京し過去がつまびらかになるビートルズ来日編が終わった。わたしはその録画を昨日見終わって、すごくよかったなと思ったので妹にLINEをした。感想を打ち込んでいるうちにわたしは昂ぶってしまい、真っ当な感想からは外れた見当違いな見方をしていることに気づき、はっと我に帰った。
***
時は2005年、中学1年生として迎えた冬に銀杏BOYZのアルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」が同時発売された。
北海道新聞日曜版のCDアルバム売れ筋ランキングの4位と5位にランクインしていて、聞きなれないアーティスト名に、なんだろう?と思った。BOYSではないのか?
それからすぐラジオで「青春時代」が流れだして、彼らが小学生のときに一回だけ聴いたことのあるGOING STEADYであることを知った。お小遣いで急いで「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」のほうを買って聴き込み、いたく傾倒し、「DOOR」もそれからちょっとして買った。
当時のわたしは、Mステに出ないようなバンドをラジオで聴いてCDを買うことがカッコイイと思っていた。お恥ずかしい話、今もその気持ちはあまり抜けていない。当時全盛だったMDプレイヤーを持っていなかったわたしは、ラジオとカセットテープのプレイヤーが一緒になったかさばるガジェットを常に持ち歩いていて、銀杏BOYZをいつも聴いていた。
中学生だったということで免じて許してほしいが、当時のわたしにはセックスなどとはいった歌詞が衝撃的だった。というか性とか焦燥感とかみじめな気持ちを歌にして世に出していいとは知らなかった。だから峯田和伸さん、もとい峯田は本当のことを歌っているなという気がして、信じられると思って好きだった。
友達にもたくさん貸したし、カラオケでも歌った。もしタイムマシンがあったら、おいおい、やめてAKBとかにしておけ!と言いに行きたいが、当時のわたしは今よりもなお浅はかだったので、カラオケで皆の前で銀杏BOYZを歌い、セックスなどと口にし、ぐにゃりと曲がったような気まずい空気になるのが好きだった。
***
「カラオケで銀杏BOYZとか歌うの正直やめてほしいんだよね」
と言われた。友人にとっての色々な思い出が詰まったバンドなので、目の前で歌われると複雑な気持ちになると言う。
その時は正直
「は?」
と思った。だが今のわたしもまた、自分よりかわいい女の子の口から「銀杏BOYZ」という言葉が出るとムカつくのだった。
肌がきれいだったり目が大きかったり彼氏がいたり毎日充実していそうな自分より幸せそうな女の子が、ひとたびでも峯田と言おうものなら腹がたつ。お前に峯田の何がわかるんじゃい!なんぼのもんじゃい!と思う。何人たりともわたしのまえで銀杏BOYZの話、および峯田の話をしないでほしい。ライブに行った画像をインスタに上げないでほしい。わたしの知る限り峯田のことを一番身近に思っているのはわたしでありたい。そんな自分勝手な思いが溢れて止まらなくなる。
自分でもおかしな考えだということがわかっているので、皆さまにはどうぞ好き勝手に銀杏BOYZの話をしていただき、ライブに行っていただき、インスタに画像を上げていただき、朝ドラを見て峯田って人いい演技するな〜!などと思っていただきたいのだが、心の奥底で、やめろ〜〜〜と叫びたがっている卑小な自分がいる。
***
そんな折、先々月の銀杏BOYZのライブ「東京のロック好きの集まり」に行った。これだけ勝手なことを言っておいて恐縮だが、実は初めてだった。戦争反対ツアーは実家の近所のペニーレーン24に来ていたはずだと手元にあるフライヤーにはあるが、当時はまだ室蘭に住んでいた頃だったので行けなかった。それからも本当はちょくちょく札幌に来ていたのかもしれないが行っていない。全裸になり書類送検されたことをヤフーニュースで知ったり気がついたらメンバーが峯田以外全員変わっていたりしたがよく知らない。
わたしのなかでだんだん銀杏BOYZはあまり触れちゃいけない過去へと変わっていて、ライブも気軽に行ける感じではなかったのだ。
でももういい加減成人したし、処女でもないし、峯田は朝ドラに出ているし、いくばくかの郷愁とともに軽い気持ちでライブを楽しむことができると信じていた。
***
峯田が出てきて初めて生で峯田を見た途端に涙がボロボロ出てきて止まらなかった。ステージには本物の峯田がいて、すぐにモッシュとダイブがはじまって峯田の靴がどこかへ飛んで行き、演奏が止まりやり直しになった。そしてまたモッシュ。対バンのnever young beachがさっきまで作り出していた平和な西海岸か熱海の浜辺のような景色はいずこへ?「ネバヤン初めて聴いたけどいいね〜」などと言って、からだを揺らしていたギャルは?そんな疑問が解消されるはずもなかった。
峯田は10年以上前に作った曲を、目をかっぴらいて歌っていた。あっという間に大合唱になる。わたしも全部歌えてしまい、そのことをきっかけにまた涙した。峯田〜〜〜!!!と泣きながら叫ぶ人があちらこちらにいた。四肢がちぎれそうなほど暴れる人がいた。嗚咽しすぎて座り込んでしまう女の人がいた。さながらカルト教団の様相であった。だがわたしもまた、全身の水分が出きってしまうのではないかというくらい涙が出てきてしまい、ボロボロボロボロ泣いていた。
峯田が目の前で10年以上前に何度も何度もカセットテープが伸びきってしまうくらい聴いた曲を歌っている。それだけで絶望的なほど悲しかった。恥ずかしい話だが、わたしはその時、中学生の時に部活で無視されていたことをありありと思い出していた。クラスにも同じ部活の人がいたので無視がそのまま派生して、教室でも居場所がなくなって昼休みはずっと本を読んでいた。アンブシュア(口の位置であること)を変えようとして失敗して全然トランペットを吹けなかったこととか、天然パーマなので髪型が本当にきまらなくてどうしようもなかったこととか、人に話すまでもないみじめな思い出とその時の感情がありありと思い起こされ悲しかった。もう少し上手くやれただろう、という気持ちと、でも今も上手くやれないしな、という諦めの気持ちが10年前と今を強く結びつけた。その中心に峯田がいた。
***
思うにわたしは、つらかった時に銀杏BOYZを聴きすぎていたのだろう。どれもありふれた大したことないつらさなのだが、そのせいで感情と峯田がほつれてからまり、ひき離せなくなっていた。わたしのつらい気持ち、悲しい気持ち、自分のことが嫌で消えてしまいたい気持ちが擬人化したものが、峯田その人だと認識してしまっているようだった。
峯田は、本当にしんどい時に自分もまたそうだと言って肩をさすっていてくれていた親友であり、同じようにみじめな姿をさらけ出してくれたキリストであった。少なくともわたしはそのように認識していた。勝手に。そしてライブ会場で嗚咽が止まらなくなっていたり、暴れていたり、自己のコントロールが効かなくなっている人たちもまたそうなのだなと思った。
峯田、もとい峯田和伸さんは、本当は自分のやりたい音楽は、代官山のシャレオツなカフェで静かにギターの弾き語りをするようなものだと言っていた。だが、求める人がいる限り求められる音楽をするとも言っていた。それが本気かどうかはわからない。だが最近の曲をやってもウケはイマイチで、対して10年ほど前の曲をやると客は熱狂していた。
客は皆、峯田を前にして自己憐憫におちいっていたのだと思う。つらかったとき、苦しかったとき、悲しかったとき、さみしかったときに銀杏BOYZの曲を聴いて、勝手に癒され勝手に肯定された気持ちを手放したくないのだ。
もし峯田が出てこないで、ステージには代わりに峯田の3Dのホログラムが投影され、バックでCDをかけられていても、皆変わらずギャンギャン泣いたと思う。皆、過去に囚われていた。皆にとっての峯田はつらかった過去そのものであり、みじめで変えようがない過去の自分そのものでもあった。
だから皆、銀杏BOYZを好きな他者を認めることができない。その当時の自分をどうにかしてくれなかった人間に「銀杏BOYZいいよね」とか言われてもムカつくのだ。お前に何がわかる、と思うのだ。峯田は限りなく私的で個人的な存在だった。
***
そんな峯田が朝ドラである。天下の日本放送協会だ。自分の苦酸っぱい異臭を放つような過去が、大きな顔して朝ドラである。初めて知った時、もう、まともな気持ちではいられなかった。
でも「峯田」とわたしが名づけていた人格はこの世には本当は存在しなくて、この世には峯田和伸さんしかいなかった。峯田和伸さんは、最近は映画に舞台に引っ張りだこだったので、ちゃんと素晴らしい演技ができるのだった。わたしが過去に囚われている間に、峯田和伸さんは大活躍していたのだった。というか銀杏BOYZの時点で既に大成功していたのだった。
そして今や母親や妹を含む日本中の人が峯田和伸さんをテレビで見ている。今では自然なことに思えるけれども中学生のわたしに伝えたらびっくりすると思う。裏切られたと思うかもしれない。でももしかしたら、誇らしく思うかもしれない。なんとなく、そうであってほしいなと思う。昔の自分には、ホッとしてもらいたいなと思う。
宗男はイギリス兵に助けられた命を大切に生きていて、その象徴がビートルズだと言う。ドラマを見ていると宗男は峯田そのものにしか思えない。あくまでも峯田和伸さんではなく、峯田である。
わたしが勝手に作ってしまっていた峯田というパーソナリティが、お茶の間をにぎやかし人々に受け入れられていった(ように見えた)ことは、わたしを救った。峯田和伸さんその人とはかけ離れているかもしれないが、わたしが勝手に作り上げ支えてくれたわたしのなかの峯田が、まるで時空を超え戦争すら経験しどこか浮世離れした人間となり、最後に全てを包み込むように、「だから笑って生きることに決めたんだよ」と言ったことはある種のセラピーだった。
「だから笑って生きることに決めたんだよ」の言い方はあまりにも芝居がかっていて、プロの俳優さんだったら絶対にこんな言い方はしないだろうと思ったが、とても優しく耳に響いた。わたしはこのシーンの録画を消していない。また何回も聴くと思う。それこそテープがすりきれるまで。
***
そんなこんなで銀杏BOYZの武道館公演のチケットも当選しました。またボロボロ泣いてしまいそうなので誰と行くかはまだ決めていません。楽しみです。
まだ若者の範疇だけど、そろそろ女の子とも言いがたくなりつつある。
世にはアラフォーでもまだきれいなかわいいお姉さんって感じの人がたくさんいるし、
わたしもまだまだお姉さんで通る見た目だと思う。だってまだ23だし。
でも確実に老いは来る。そして、それに抗って若い見た目を保つ努力はめんどくさい。
おばさんは嫌だ。ババアになりたい。だから、見習いババアを自称しはじめた。
わたしの母親は適度にズボラで適度にサバサバしていて、いいババアみを持っていると思う。強烈な天然パーマもババアみにちょっと寄与している。
ただ、外見にはそれなりに気を使っているし、気遣いもすごくできるし、ババアっていうかマダムって感じ。
最低限の気遣いやマナー、身だしなみも生きていくうえですごく重要だと思うけど、マダムというのもなんだか癪である。
近所のガキどもにババアと呼ばれて慕われて、そのたび「ババアとはなんだババアとは」ってがなるけど怒ってはいなくて、だから子どもたちもババアって呼ぶのをやめないみたいな。
喧嘩している子がいたらかっこよく仲裁してやったり、休みの日には宿題教えてやったりとかして。
その子達の親が「○○さんに向かってババアなんて失礼でしょ!」とか言ってたら「ババアはババアだからそのままでいいんですよ~あ、でも他のババアのことはババアって呼ぶなよ!」とか言いたい。