はてなキーワード: 基本無料とは
今やコンシューマーゲームが廃れソーシャルゲームが流行っているって言われてるけどそんな事は無いと思う。
今難しいゲームを出せばクソゲーと言われユーザーが離れてしまう。そんなことは無いと思うんだ。
あ。端的に言うとガチャが嫌いなんだよ。グラブルのガチャは9万出せば9万分のガチャ+欲しい物が一つ必ず手に入るからまだ好きよ。
別にガチャっていう形態を嫌悪してるわけじゃない。むしろアリ寄りのナシだと思ってる。基本無料のゲームだったらそりゃ別の方法でお金を回収しないといけないからね。
んで、今はコンシューマーゲームが売れないって所にピックアップすると本当に売れていないのか?と思ってファミ通.comのゲーム販売本数を見たんだ
1位プロ野球スピリッツ2019[175,189本]ーPS4
2位スーパーマリオメーカー[46,065本]ーSwitch
3位プロ野球スピリッツ2019[44,270]ーPS Vita
5位妖怪ウォッチ4ぼくらは同じ空を見上げている[9,608]ーSwitch
あれ。売れてるじゃん。ファミ通のゲーム販売本数の数え方は大型デパートやら大型家電量販店の売り上げ数を元に作られてるって話だから実際はもうちょっと増えるよね。
あれ。売れてるじゃん(2度目)。
当方最近のゲームで難しい物と言われたらダクソぐらいしか思いつかなかった。
というわけでダクソのエゴサを開始する。
まず売り上げ。
ダクソ本体+DLCの合計が全世界で236万7000本売れたって書いてある。
ミリオン商品じゃん。こんだけ売れてたらクソゲーとは言いにくいよな
DLCを購入するには本体を買ってないと購入できなかったり遊べなかったりする。遊べない物をわざわざ買う奇特な人は居ないでしょ。なのでもし購入ユーザーが全員DLCを買っていたとしても半分の118万3500本は売れているって計算。DLCは買っていないって人は必ず居るから本体の売り上げは半分以上売れている。 ミリオン商品じゃん。
んで、もし売れていたとしてもソレはクソゲーなのか?
でDARK SOULSの項目をチェック。
判定は良作&改善
パッチが当てられ判定が覆ったと見ていいのだろうか。まあそう見とこう。
ごめん力尽きた
久しぶりに同人活動を再開したものの、界隈について色々思うことがあるので筆をとる。
実名で書く勇気が無いのをどうか許して欲しい。あくまで『こういう人がいる』というペルソナ的観点から読んでください。
さて。
今の同人界隈、もうジャンルに関わらずあらゆるところで毎日『学級会』が起きている。だいたい内容は解釈違いが悪かどうか、について。これについてもう嫌と言うほどいろんな意見を見、それらが互いにぶつかっては傷つきあうところを目撃してきた。よくもまあこんな不毛なことで大切な趣味まで戦争の道具にするものだと呆れ気味ではあるのだが、その根幹にあるのは『その作品/キャラクターが好きで好きで仕方ない』というあまりにも優しい感情なのだ。どの意見にも「なるほどなぁ」と思うところが少なからずある。正義と正義のぶつかり合い、まるで何かのストーリーテーマのようだ。
私自身は結構ガチガチの解釈で固めて創作するタイプだが、それを他人に求めず黙々と作品をあげ続ける人なので解釈違いだとしても「ふーん」で流す程度である。同じ解釈を持った者と語り合いたいと思うことは多々あるのだが、私は幸せなことに、全然知らんジャンルでも私の話を真剣に聞いてくれるしなんならこちらの悩みをすっぱり解決してくれるような生涯の同人友達がいる。そのおかげもあってか『解釈違い』に対する憎悪のようなものはほとんど抱かない。
そもそも『解釈違い』は何故悪なのか?どうしてこんなに燃えるのか?
これは昨今のソーシャルゲームによく見受けられるもので、なんなら解釈違いを起こして争い合っているのは『制作会社』と『そのファンたち』である。
ちょっと前までは『公式が受け入れられなくなったらもうお前は顧客じゃない』みたいなある種の公式至上主義が主流だった。でもそれはソーシャルゲームというジャンル形態にはうまくあてはまらない。
ソシャゲ界隈で何故こんなに論争が起きるのか、これはもうソシャゲの欠点と言ってもいいんじゃないだろうか。
ソシャゲは基本無料でスマホがあれば手軽に遊べて爆発的ヒットがしやすいのが最大のポイントだろう。しかしその反面、日々のメンテナンスや更新に追われ、競争も激化した今は『いかに課金させるか』という課題が制作会社を苦しめているような気がしてならない。そしてその余裕のなさは最も大事なシナリオやキャラの同一性・統一感の喪失に繋がっている。
買い置きゲームというのはストーリーの更新はないけれど、そこには完全に完成した世界観が広がっている。更新がない代わりに永遠にその解釈が変化しない。これは解釈にうるさいオタクたちにとって楽園のような環境だ。解釈ガチガチの女は既に完結している作品や、原作者が一人の作品にハマった方が絶対幸せになれる。
ところがソシャゲはそうもいかない。毎日のようにプレイデータが届き、刻々と変化する顧客のニーズに応えようと思えば応えられる環境にある。そして『いつまで続けられるか分からない』という状況の中で出来るだけ延命をとるようなストーリー戦略を取りがちだ。連載に追いついちゃったアニメの末路みたい。うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。そういうギャンブル的側面があるのがソシャゲだ。
まー、これが一番の原因でしょう。公式vsオタクの悲しい戦争の原因。オタクvsオタクは正直個人の問題なので今回触れないです。
公式も愛がないわけじゃない。しかしオタクも十分すぎるほど愛している。
この手の問題で『自分の(主観的)解釈と違う!』という主張で怒っている人はほとんどいなくって、みんな確固たる根拠が整然と揃えられている。だからその主張はすごく
でも正しいことは、正しいという理由だけでは振りかざしていい理由にはならない。オタクなら分かるだろう、そういうキャラ見たことあるでしょ?
君たちが同じことをしてどうするのと思う。思うけど、もう今更やめられないのも分かるし、抑えきれる感情でないのも分かってしまう。
私は一切話題には触れないし、そもそも同界隈の人と一切の関わりを持たないようにしているので触れる機会もない。フォロワーがすごいいるわけでもないから発言力もない。
ただ、それだけの理由で悲しい戦争を見て見ぬ振りしている。その事実が一番苦しい。
彼女たちを見ていると『あったかもしれない自分のif』をどうしても想像してしまうのだ。何かが違えば自分も大好きだったはずのものに憎悪を向けなければならなかったかもしれないと。
これは今現実に起きていることだ。肉体的には誰も傷つかない、でもやっていることは戦争と何も変わらない。
いつからこんなに息苦しくなってしまったんだろう。どうして平和にいたはずの私は戦争の傍観者になっているんだろう。
別に私一人でどうこう出来るわけではない。結局は個人の感情だし、万人が満足できる結果なんてない。
でもこれは同人だけの問題じゃないと思う。今の日本、世の中にはそういう悪意なき悪意みたいなものがむき出しになってしまっている。
それはずっとずっと心の中に仕舞われてきた人間のイドなのかもしれない。今まで無視してきた私たちの罪かもしれない。
これからどうしたらいいんだろう。
分からない。何も。
みんな誰かを待っている。この荒んだ現実に革新的な答えをくれる誰かを。
そんなものは多分いなくて、これからもこの問題にずっと苦しむしかないんだろうな。
やだなぁ。
でもだからって創作をやめられるわけもないし今日も推しは可愛い。自CPは尊い。
それを毎日願うだけの弱い私でごめんなさい。
つまりTRPGはルールは基本無料で公開して、スマホのキャラシアプリを使ってプレイできるようにすべきってことだな。
年収600万が一つの豊かさのボーダーライン、1000万が小金持ちのボーダーラインと思ってるかもしれないが
支出も増える
貯金もしなければならない
計算してみると余裕がまるでないと気づく
それを「普通に買う」「普通に貯金する」に切り替えただけで一瞬で金が消える
600万、1000万はそういう意味で「並」「普通」でしかない
結婚相手の年収にこのくらいを望むのも、分からなくはない(普通は「共働きしよう」になると思うが)
並をゴールにしても良いけど、皆の想像するゴールは「余裕」ではないかと思う
そういう意味では600万はスタートラインにすぎないし、1000万は途中でしか無い
つまり日本の平均年収を見ると、「何だこの辛い世の中は」と言う感想しか出ない
現代においてさえ、何も買えない、何もできないが普通なんだと頭を切り替えるべきだ
※ちなみに、1000万に住宅補助などの福利厚生がつくとか、ローンなし持ち家がある、実家通い、地方住まいだと一気に余裕が出る
1000万は非常に惜しい位置にいる、しかし国内ではどれだけ優秀な人も1000万手前で飼い殺すのが一般的だし、地方で1000万は非常に厳しい
救いはほとんどない
※では豊かさの象徴はどこかと言えば「年収2000万円」もしくは「貯金5000万円」ではないかと思う
世界が変わる
ソフト代+サーバ代+回線代を支払って遊ぶ形になるのでむしろ支出が増える。
ターゲットになる層が狭い。
あまりゲームを遊ばないのでゲーム機を買うつもりはないが、スマホゲームでは満足できないという中途半端な層しかクラウドの恩恵がない。
そもそもゲーム機を持ってない基本無料に慣れきったユーザーが8千円前後のフルプライスゲームを買うのか?(おまけにクラウドの使用料もかかる)
月額1,000円程度のサブスクリプションを想像している人も多いだろうけど、そんな低価格ではまったく採算が合わないだろう。
音楽と映画でサブスクリプションが成功しているからって、他もサブスクリプションになると安易に考えている人が最近よくいる。
Kindle Ultimateの大失敗をなぜ都合よく忘れるのか。
仮にクラウドゲームが主流になったとして、大型タイトルの発売日に殺到するアクセスをどうやって処理するのか?
Youtubeからゲームに遷移できることをアピールしていたが、料金はどうやって徴収するのか?
5Gが普及したとしても遅延は解消できないのでアクション性の高いゲームにクラウドが向かないことはどうするのか?
「儲ける場所の偏在」って言えば良いのかな
例えば
・声優がアニメの仕事を安くうけて有名になって、別の仕事で儲けを出すとか
・Abemaが赤字でコンテンツ出し続けて、後からお金回収するとか
今の世の中は「その場で適正に儲ける」より、収益化の機会をずらすのが多い
(これ専門用語ありそうだけど知らん)
こういうのはまあ、市場に最適化するとそうなるというか、そうした奴が勝っちゃうからしょうがないと思う一方で
それを受け入れると、一方ですごく儲かって一方ですごく儲からないとか、相場が歪になって部分的にぶっ壊れるんだよね
そういうのを「俺は知らない」って目をつむりながら市場を作るか、どこかで一定のラインを引くかって難しい
全体の底上げをするために一部を蔑ろにするのをどこまで許容できるか
蔑ろにしても平然としてる競合に対してどう立ち向かうか
難しい
テクテクテクテクは、8億の費用をかけて、50億の売り上げを見込んでいたが
900万円しか売り上げが無かったという大爆死ゲームとなってしまった
「出来は良いが課金要素が無い」という声が多かった
https://dwango.co.jp/business/vr.html
VR事業は「二桁億くらいかけてドワンゴのメイン事業にする」と宣言されていて
VR事業の一番のウリは、HMDを使って生ライブ配信が出来るバーチャルキャストだろう
しかしバーチャルキャストは始まってから一年近く経つが、配信ランキングを見てもろくに人が集まってる放送が無い
https://virtualcast.jp/ranking/
ドワンゴはこのバーチャルキャストやnicocas実験放送で贈れるギフト((投げ銭))が大きな収益源となると想定していたが
ギフト可能配信アプリは2次元も3次元も有力ライバルが多く、nicocas実験放送も活発に使われていない
臨時取締役会にてギフトがテクテクテクテク同様に想定した売り上げを下回っていたという説明があった
これは「中に入ってる人が面白いもの」であって「見てる人が面白いもの」ではない
これでは視聴者が集まるはずがない
バーチャルキャストのほぼ上位互換のVRChatで配信をしている人たちの動画を見ても同じようなことを感じる
HMDを使いVRの世界に入って配信をする、なんて行為は、オタク系オッサンぐらいしかやろうと思わず、機材も持っておらず
そういう人たちは自分が楽しければそれでよく、視聴者なんかあまり気にしないのだろう
もちろんそのような配信者が居てもいいのだが、問題はこのタイプの配信しか見当たらないことだ
バーチャルキャスト社設立時、「ちょっと間違った未来をつくる」をコンセプトに掲げ
同時に「Kawaiiムーブ」「わちゃわちゃ」「おっさんだって美少女に」「バ美肉」「男だけの女子会」などといったキーワードもちりばめていた
つまり現状の美少女オッサンだらけでゴチャゴチャしてる配信ばかりのバーチャルキャストはビジョン通りなのだ
おっさんがおっさんに贈るケースは比較するとやはりかなり少ない
そのためギフト贈呈を増やすには女性の参加率が高くないと駄目なのだが、バーチャルキャストはビジョンからして想定してない
バーチャルキャストは最初から儲かるはずがないビジョンに向かって走っていた
最近新しく追加された新機能のVCIも、技術寄りのおっさんが喜ぶだけのもので、今もビジョン通りに進んでいる
ギフトで大きな売り上げを得られるようにするには
ビジョンから修正し道を進み直すか、世間の人々をバーチャルキャストのビジョンに追いつかせる必要がある
どちらもそれなりに長い期間が必要で、当面バーチャルキャストがギフトで大きな売り上げを得られることは無い
NHKのVTuberのど自慢や、AbemaTVのくじじゅうじでバーチャルキャストは採用されている
ただBtoCで儲けている規模の大きい会社は、BtoBで得られる程々の売り上げを会社の収益の柱とするのは難しい
バーチャルキャストは大掛かりな設備を使うものに比べ、安い機材で動かすことが出来るコストパフォーマンスがよいものではあるが
出来る映像はガクガクしてたり不自然さがあったりと、地上波クオリティとしては物足りない
ドワンゴのVR事業にはVカツ、カスタムキャストなどのアバター制作アプリも含まれている
基本無料なためダウンロード数は多いが、このアプリで作り出された著名なVTuberは存在せず
セールスランキングの低さからアプリ内課金もあまりなされておらず
多くの人はキャラを数体作成しただけで終了していることがうかがえる
バーチャルキャストが上手く回っていれば相乗効果があったかもしれない
今はお金を生み出さなくても、5年後くらいの未来に儲かる事業にするために今は基盤として技術を育てるのだからいいのだ、という声もあるだろう
しかし
などを考慮すると、ドワンゴのVR事業は今後何らかのタイミングであっさり損切りされるだろう
バーチャルキャスト社自体はBtoBの程々の利益で開発が細々と続けられるかもしれない
ただ前述のとおりVRが先行き不明なうえ、clusterなど領域が部分的に被る競合サービスが複数存在しているため
今すっかり停滞ムードになっているVTuberが今後縮小することになるとそれも危うい
エンタープライズ版の料金表は下のとおりだが
NHKはかわいそうだと思う
俺は見ることのできる環境がないからテレビ番組自体をもう10年ちょっと見てないけど、見てるんならお金払うべきでしょと毎回思う
その都度払わない理由をあれこれ上げてだから(見てるけど)払わないんだっていう意見は完全にクレーマーだし、まかり通るのは怖さを感じる
テレビは見るけどNHKは見てないから払う気はないというのは半分わかるけど、ほんとにまったく見てないのかな?って疑問はある
見てるし払ってるという人ってこういう世の中では声を出しにくいんだろうなと思う
払ってるなんて言ったら一斉にバカ扱いされてしまうのは目に見えてる
そうそう俺も払ってないんだよねと適当に話を合わせて流すしかないんだろうな
基本無料のアプリなんかも有料会員に切り替えたとか言うと馬鹿じゃねえのって言われる気がしてなかなか言えない
お金を払わずサービスを受けることが情強いの意味になってるからサービスにお金払ってるって言いにくいんだよね
なんか話が変わってしまったけど見てるなら払った方がいいと思うよ
『LEFT ALIVE』というゲームがある。日本の多くのゲーマーを満足させることができなかった。
要するに大多数のプレイヤーからクソゲーと言われている作品だ。今年のクソゲーオブザイヤーノミネート作品とまで言われている。
もちろん自分も定価で予約して買った組だが、あまりの出来にいつゲオに売りに行くべきかを考えている。
閑話休題。クソゲーが生まれる理由は多々あるだろう。ただプレイヤーである自分には関係ない。
ただゲームを論評するゲームメディアはどうだろうか。多くのプレイヤーから厳しい評価を受けている本作に対する否定的なレビューがなぜないのか。
一般のプレイヤーより早くプレイできるのだから、その内容を伝えるのがゲームメディアとしての「ジャーナリズム」だろう。それがクソゲーであってもだ。
それではなぜ批判的なレビューが書けないか。それはシンプルな話でゲームメーカーがスポンサードしているからだ。
Webのゲームメディアの収益源は広告である。Google AdSenseなどのバナー広告などである。
だがGoogle AdSenseだけで食っていけるほど景気の良い業界ではない。
そこにゲームメーカーがつけいる隙が生まれる。「そのバナー広告の欄をうちが買いますよ」と。
ゲームメーカーからすればゲームメディアを読んで自ら情報収集をするようなプレイヤーは上客だ。
ゲームの購買欲はもちろん、SNSなどでの拡散も期待できる。テレビCMより、量販店のCMより効率の良い広告枠だろう。
ゲームメディアもバナー広告なんて費じゃないほどのお金が転がり込んでくる。基本無料のビジネスを存続させるためにスポンサーは必要だ。それは地上波もフリーペーパーもなんだってそうだ。
すると何が起こるか。スポンサーに対するネガティブな事は書けなくなる。それがどんなクソゲーでも。
仮に書いたとしたらそのメーカーからは二度と広告はもらえないからだ。
ジャーナリズムとしてのゲームメディアの存在意義はどこにあるのだろうか。
提灯記事を書くのがジャーナリズムだろうか?それは地上波の通販番組と同じではないだろうか?
こうして読者から信用されなくなったゲームメディアは広告枠としての価値もなくなり、
PVも稼げない、企業からも広告がもらえない。そうしてやがて衰えて死んでしまうだろう。
ビジネスとか経済は完全な素人だから、見当ちがいなことを言ってるのかもしれない。
聞くに中国王朝のときから宝くじ(のようなもの)は存在し、漢文で宝くじは夢を買うようなもんだと言われてたらしい
それから、いわゆるガチャでSSR欲しさに様々なプレイヤーがたくさんのお金を費やすようになった。当時はデータに金を払うなんてって課金ビジネスは言われてた記憶があるけど、そこから比べれば随分受け入れられるようになったと思う。(関係ないけど、当時は基本無料ゲームが量産され高校生がゲームは無料が当然って言ったとかいう話もあった気がする…)
何回に一回の確率で得をする。確率は外れれば全額無駄になるものから、あるラインが最低でも保証されているものがある。
実態や確実なものが伴わなくても、可能性が存在するだけで人はそれに価値を見出して、対価を支払うことがある。
可能性は実態のないものである定量の価値から、可能性は大量に生み出せる。その関係は線形的ではなくて、かなり複雑なものになるけど、とりあえず何倍にもなることがわかってる。
昔からこの法則が知られてて、経済学をやっている人からすれば当然のことなのかは知らないけど、ZOZOの社長はこれを使って、限られたお金でたくさんのフォロワーを得た。たぶん、お金で同数のフォロワーを買うより安上がりだろうし、一握りの才能にかけて有名になるよりは遥かに確実なんだろう。
限られた予算からたくさんの可能性を再生して、予算以上の効果を上げるカラクリはこれによってたくさんの人の目にはっきりとした形で映ったのだと思う。
ソシャゲーは人の金を奪う.
この糞煮込み鍋の如きソフトウェアどもはプレイするためにあらゆる手段でリアルマネーを使わせる.基本無料だから云々という文句は受け付けない.なぜならこいつらが行っているのは実質第一種価格差別であり,それは最も効率よく企業が金を吸い上げるシステムであるからだ.
要するに500円で売り切れば500円以上出してもいいと思う人だけがきっちり500円払うのに対して,基本無料で無限に課金させるようにしておけば,100円くらいなら払ってもいいかなという人が0円ではなく100円払ってくれ,5000兆円課金して全部の絵柄が欲しいとぬかす豚は500円でなくちゃんと5000兆円払ってくれるのだ.500円の価値のものに5000兆円.そういうことだ.
おれはゲームが大好きだ.これまでの人生の少なくとも1割はゲームをしている時間だと思う.それくらいに好きだ.
ゲームのプラットフォームは時代とともに移り変わってきた.昔と比べればPCでゲームをするという行為も日本に馴染んできたと思う.しかしそれ以上に,スマートフォンでゲームをするという文化は日本の奥深くまで浸透している.
おれはスマホゲーを批判したいわけじゃあない.スマートフォンの携帯性や利便性とちょっとしたミニゲームの相性は抜群だし,指一本でプレイできる戦略性の高いゲームもたくさんある.
しかしスマートフォンというハードウェアの制約上,そこには間違いなく限界がある.全てのゲームが,スマホがスマホである範疇で快適にプレイできるわけではないのだ.少なくとも今の技術では.格ゲーやFPSをタッチパネルと指でまともに操作できるとは思えない.おまえらはどうせこの一文に対して「ボクたちはできるもん!ぷんぷん!」などと怒りを顕わにするだろうが,トッププレイヤーがスマホ対CS,スマホ対PCで同じゲームを対戦してスマホプレイヤーが勝つと本気で思っているなら病院に行った方が良い.プレイヤースキルは操作性の不自由を絶対に覆さない.
要するに,スマホでゲームを作る以上実現可能なことには限界があって,それを逸脱しようとしてもまがい物にしかならないということだ.
問題は,この国ではまがい物の方が売れてしまうということである.
ソシャゲー.他のゲームから丸パクリした取ってつけたようなゲームに,いつでも制作サイドで換装可能な絵を適当にひっつけ,あとは0.00000000001%の当たりを仕込んだゴミのような宝くじを実装した,それはもうまがい物としか言いようのない廃棄物に対して消費者が金を払うというシステムがこの国では完成している.笑えるような低コストで笑えるほどに利潤が得られるのだから,近視眼的に金を得たい企業が飛びつくのは必然である.
だがそれは逆に,真にゲームを愛し,真にクオリティの高い作品を世に送ろうとする者を殺す.苦労して作ったゲームが売れない.ふざけんじゃねぇよ.
おまえらがドブに捨てた金で本当に楽しく価値のあるゲームをプレイしようという気になっていたならば,もっとたくさんのゲームがその価値を認められていたに違いない.その機会を奪ったのはソシャゲーという巨悪であり,頭を使わず楽して金儲けをする企業であり,それに金を垂れ流すおまえらだ.
ここ数年この国では毎年E-Sports元年を迎えている.競技的にゲームをすることが毎年毎年毎年毎年ちょっとずつちょっとずつちょっとずつちょっとずつ市民権を得てきた.プロゲーマーの処遇に関してもまあ色々と問題があると思うが,それはまあ本題ではないので誰か詳しい人が語ればよい.
何がダメなのか.ソシャゲーとゲームが同値であるこの国において,ゲームの競技性が向上する余地が存在しないということである.
この存在する価値のないデジタルデブリ達は金さえ払えばゲームをクリアさせてくれる.意味が分からない.お前らは何のためにゲームをしているのか.
おれは人生において金に物を言わせショートカットをすることを批判したいんじゃあない.だがこれはゲームである.敢えて言うがたかがゲームである.たかがゲームで楽をして何が嬉しいんだ.
ゲームの目的は何だ.ゲーム体験の楽しさ,クリアによる達成感,ライバルとの切磋琢磨,プレイヤー内でのランキング,そういったものだろう.その過程にリアルマネーの入る余地があってはいけない.Pay2Winはゲームバランスを崩壊させるし,課金による近道はゲームというシステム自体を否定する.金を払うことが気持ちいいなら募金でもしてろ.
しかしながら,金を払うことでゲームをクリアするのが常識になったこの国では「自らの技を磨き,実力一本で強くなろう,人に勝とう」という意識が欠如してしまうのは必然である.
実際には,日本でも少なくない数のプレイヤーが上のようなマインドでゲームをプレイしているだろう.だがその数は,日本という国のゲーム人口や市場規模と比べると驚くほどに矮小だ.なぜなら未だに大多数が,げーむにまじになることを貶め,金の力で達成感を得ることを生業にしているからだ.これでは優秀な競技プレイヤーが一向に増えないのも当たり前だ.どれだけよい品種でも,畑が干からびているなら育つべくもない.
それでもお前らはお目当てのかわいいおんなのこのために金を貢ぎたいと言うかもしれない.だがその貢いだ金はどこに行くのか.クリエイターではない.制作会社だ.お前がかわいいおんなのこにいくら払おうが,そのかわいいおんなのこに魂を吹き込んだ偉大なるクリエイターはびた一文も儲からない.お前がこれまでに失ってきた巨額の資産は,直接クリエイターに絵を描いてもらうために使ったほうが良かったんじゃないか?
はっきり言って,ソシャゲーを根こそぎ刈り取るのは不可能と言っていい.パチンコに貧乏人どもが狂喜乱舞する国で,ソシャゲーとかいう脳を眠らせたまま金を垂れ流しているだけで快楽を得られるカスのような娯楽が流行るのは致し方ない.
ならばギャンブルに倣って規制を行ってはどうか,となるわけだが,ソシャゲーに対してそれを実行するのは非常に難しい.なぜならソシャゲーとそれ以外のゲームの線引きは非常に難しいからだ.
おれは課金制度を批判したいわけじゃあない.世の中には優良な有料DLC()が多数存在するし,それらには追加的に私財を投じる価値がある.だがそれらとソシャゲーの区別は余りに曖昧だ.個々のゲームを見て「これはソシャゲー」「これはソシャゲーではない」を論ずることはできるが,演繹的にソシャゲーの定義付けを行ったとして多数の例外が出ることはまず間違いない.結果的に課金制度そのものの規制につながりかねない.それはよくない.
そもそも一部を除いてソシャゲーは法に背いていない.お前らは自らの意思で合法的にじゃぶじゃぶ金を落としているのであって,それを理に適った大義名分で規制する術などありはしない.そしてそれらと優良なゲームの追加DLCとの間に線を引くことは,実質不可能である.
ご覧の通り,ソシャゲーはまごうことなきクソである.しかしそれと同時に,おれはそのクソをどうにかする術を何一つ提示できなかった.
結局,ソシャゲーという日本にはびこる病霜に対して,おれはほとんど無力だ.だからこうやって叫ぶしかない.
おまえらは、
今すぐ、
ソシャゲーをやめろ。