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2023-12-15

結局のところ、人を強く結びつけるには共犯強制が一番早い

この一年というのはまさにこのことを思い知る一年だったなぁという話

ジャニーズ事務所性加害問題

バイトによる強盗事件

ビッグモーター保険金詐欺

そして今年の最後には政治家裏金問題

大義では宝塚もこれにあたり、掘り下げてみれば宗教や薬物もその手段が取り入れられている。

どれも共通していることは、トップと大なり小なり共犯関係にあるということ。

トップの罪を暴くには、自らの罪を認めないといけないという関係にある。

そりゃ発覚も遅れるわ。

具体的な方法論は要約すると大体以下のようなパターン

最初は甘い汁を吸わせる

そのうちもっと甘い汁を吸うために、ちょっとしたルール違反をさせる(甘い汁はときハラスメントだったり姿を変えることがある)

それに乗った人間には、もっと甘い汁を与えるかわりに、更に踏み込んだルール違反を行わせる

それを段々とエスカレートさせていく

そうしてルール違反によって得た甘い汁によって成り立った人間は、自らの罪を認めること=今ある富を手放すことになるために、口を閉ざす以外できなくなる。

トップの罪を暴こうとすれば、お前の罪も暴露してやるって脅されるんだからそりゃそうだ。

この「ルール違反」が、性加害だったり闇バイトだったり除草剤だったり裏金だったり。

もともと共犯になるつもりがあったわけではなく、最初は夢や金銭に釣られて手を出して、知らないうちに色々と巻き込まれているというのが大半だと思う。

たちが悪いのは分別のつかない状態人間を捕まえて、「これは悪いことではない」と言い聞かせながら相手共犯に染めていくパターン

ジャニーズなんかはまさにそうだけど、末端議員裏金問題なんかも、偉い政治家からお金渡されて「問題いから受け取れ」と言われたらそういうものかと思ってしまうだろうなぁと思った。

からといって養護するつもりはなく、それが罪だとわかった時点で悔い改めて罰を受けなさいという感想しかないのだけど。

問題洗脳と同じようなメカニズムにあって、行為ちょっとずつエスカレートさせていくことで、やばい人間しか残らないようになっているという点。

例えばビッグモーター除草剤問題なんかも、パワハラやべぇ!ってなった人間はさっさと離脱してしまう。

プレッシャーをかける側もそれを理解してて、それでもなお残る人間がいたら報酬釣り上げながら更に手段エスカレートさせていく。

そうやって勝ち抜きトーナメントみたいに、どんなことでも従う人間が勝ちを繰り返していけば立派に洗脳された共犯者が出来上がるという算段。

最初は草むしり、そのうち木の伐採

やばいって感じられる普通人間ならここで離脱する。

それでも従う人間が残れば次は除草剤。更に競い合わせるように植え込みをコンクリートで埋めさせたりする。

うその頃にはもう立派な共犯しか残ってなくて、それが正義だと信じてるから今度は更に下の人間をふるいに掛けるような行為に走る。

以下繰り返し。

これはもうヤクザ手段なんだけど、そういうのを世の中の偉い人間が当たり前にやってるっていうのは本当に日本の闇だと思うよ。

今更悪用禁止なんて白々しいことは言わないが、せめてその手段理解して、自分は巻き込まれないようにしてほしい。

嗚呼美しき日本。我々は数多の屍の上に立っている。

2023-12-07

[] 環境経済数学を学ぶステップ

数理モデリングの基礎を学んだあとで力学系に興味を持つと、自然な流れとして数理生物学という応用に興味を持つ。

典型的な応用が人間の漁獲や伐採を含めた生態系分析というものがあり、これは資源が持続可能性を持つための収穫量を見極める際に判断根拠となる。

しか歴史的に見て人口キャパティ分析する流れは、人類出生率・死亡率をコントロールするという発想に行き着き、倫理的な面で危険施策秘密裏に考案される事が多い。

ダラダラしてる ほんとーだったら働いているんだなあ今は怠け者に成り果てたけど

でもそのお陰で健康でいられる気がする、心の安寧が保たれている

ここ何年も風邪を引いていない

お金よりも地位よりも名誉よりも健康

それが財産だろ?

 

とはいえ いつまでもこのままじゃいられないんだ…

いつかぼくの森林伐採されるんですよ、身が削られてゆく

侘しいね とても侘しい

2023-11-17

anond:20231113233302

以下は、自分が把握している範囲裏紅白歌合戦2023元ネタ面白さを解説しているものではないことに注意。

(続く)

http://jiyujoho.a.la9.jp/urak23.htm

2023-10-15

anond:20231015181406

1905年明治38年3月会社としての古河鉱業経営となった。当時の明治政府富国強兵政策を背景に、銅山経営久原財閥日立鉱山住友家別子銅山とともに急速な発展を遂げた。20世紀初頭には、日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長した[1]。

しかしこの鉱山開発と製錬事業の発展の裏では、足尾山地樹木が坑木・燃料のために伐採され、掘り出した鉱石を製錬する工場から排出される煙が大気汚染引き起こしていた。荒廃した山地を水源とする渡良瀬川洪水を頻発し、製錬による廃棄物を流し、足尾山地を流れ下った流域の平地に流れ込み、水質・土壌汚染をもたらし、広範囲環境汚染公害)を引き起こした。いわゆる、足尾鉱毒事件である1891年明治24年)、田中正造による国会での発言で大きな政治問題となった。1890年代より、鉱毒予防工事渡良瀬川改修工事は行われたものの、鉱害よりも銅の生産を優先し、技術的に未熟なこともあって、鉱毒被害は収まらなかった。

2023-10-13

満員電車マナー

マナー違反してる奴より満員電車放置してる社会の方が異常でしょ・・・

さすが地方には文化がないとか言いながら金の為に外苑の森伐採しようとしてユネスコにブチ切れられるだけあるわ

東京ほんま気持ち悪い

2023-09-26

anond:20230926155744

まりは......私有財産

G&Wは、私有財産宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:

このような神聖ものは、多くの場合存在する唯一の重要かつ排他的財産形態である......神聖文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的財産も同様である。このような社会では、私有財産概念と聖なるもの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除構造なのである。(p. 159)

ここで「絶対的もの」が「私的もの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。

この混同は、著者が宗教私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的定義を持ち出している:

デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たち絶対的私有財産について語るとき、その根底にある論理社会効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。

そして著者は、アマゾン原住民仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在神聖所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋私有財産概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。

G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである現代私的所有権を、超自然存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理社会効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?

先住民活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖ものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。

デュルケムの洞察の中で最も強力なものひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるもの神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。

デュルケムが実際に主張したこと

デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブー起源説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性隔離する力は血の力であり、聖なるもの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。

デュルケムにとって、「分離」という原初的概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女親族は、彼女所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり彼女男性との付き合いからも世間から隔離した。彼女隔離は、特別儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女身体神聖ものであり、それに関する彼女選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団行為と関連して、人間意識言語文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。

もしG&Wが現代進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム洞察が、血のように赤い黄土色が、男性女性の肉体が神聖ものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代考古学説明を、いかに先取りしていたか認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)

季節的か、月的か?

さて、『万物黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたかである

人類学を学んだことのある人なら、エスキモーアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルヨーロッパ後期旧石器時代氷河期文化適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。

この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期天才政治家たちは、革命で得たもの永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである

私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類グループ狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカ進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。

権力振り子

G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要儀式は、女性月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。

コンゴ熱帯雨林では、女性たちは男性勇気潜在的支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:

単一パターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実のものと、その結果としてのさまざまな社会可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである

もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。

この最後質問は実に深いものであるしかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的認識を深めてからでなければならない。私たち先史時代祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?

結婚が恒久的なものになったとき

中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代比喩Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶもの確立している。このような社会における親族関係居住パターンは、月経排卵兄弟恋人親族関係結婚共同体連帯セックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。

このようなパターン古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロック説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係パターン結婚後の住居の多様性理解することも重要である--これも決定的に重要トピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。

非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンはるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカ狩猟採集民の女性は、母親キャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係結婚生活の間を交互に行き来する。

母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫から圧力で住居を変え、夫とその親族永住せざるを得なくなることもある。このような場合子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。

人類はいかにして「行き詰まった」のか

これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケア強制的コントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀ヨーロッパ北米のウェンダットにおける処刑拷問光景描写している。国王臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長義務モデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダット囚人に長時間拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。

そうしてG&Wは、ケア支配区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明見出したのである

私たちは、ケア支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身自由に再創造する能力私たちいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり私たちいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要ことなのだ...。

狩猟採集民の研究ジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人軍事指導者拷問者、ヨーロッパ君主経験限定し、これらの人々の心理的葛藤想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的支配することを混同してしまたからだと示唆しているようだ。

これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉提示されているだけなのだ

外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たち事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?

この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。

(続く……)

2023-09-25

再開発反対の左翼運動に巻き込まれるのが嫌で嫌で仕方がない

都内で小さい店を経営してるけど、とある再開発に反対する左翼プロ市民署名収集活動がすごい活発。

木の伐採により失われる自然ガー、小池都知事のせいでヒートアイランド現象ガー、区長デベロッパーの黒い関係ガー、

ぶっちゃけそんな離れたところの再開発計画なんて知らなかったし、木を切って整えるぐらいむしろ賛成。

 

政治的なことには意見を表明しないようにしておりますので」って濁して断ったけど、

「いやこれは政治的なことじゃないんですよ。環境問題に関するあなた個人判断を聞いているんですよ。」などと食い下がってくる。

ちょっと調べたらツイッターでも別地域のお仲間と仲良く政治活動やってる。

ほんとは逆に再開発賛成運動やりたいぐらいだけど、とにかくめんどくさい人たちとは関わりたくない。

早く再開発始めてほしい。

2023-09-21

anond:20230921203239

植物採取伐採の際に「悲鳴を上げている」のは間違いないのだけれども(ありがたいことに人類の可聴域外)、ヴィーガンの人たちがそれに従うことはないわけでな

2023-08-31

ビッグモーター街路樹

ビッグモーターは2014年に関西中古車大手ハナテン(8710)を買収している。

街路樹違法伐採アイデアはこの会社から受け継がれてるんじゃなかろうか。

ストビュー過去写真を見るとハナテン系列FCのいくつかでビッグよりも前から自然な枯死が確認できた

で、買収後に人事交流、交換などもあるはずで、ここで除草剤アイデアビッグ側に移転されたんじゃなかろうか

ビッグで枯死が出始めるは買収以降なんだよね

 

さらに考えると保険詐欺ノウハウアイデアハナテンから来てるんじゃなかろうか

2023-08-28

anond:20230828050716

それは食料についてしか論じてないだろ

石油二酸化炭素排出量、森林伐採については論じてない

2023-08-07

イオンビッグモーターにブチギレ「法的措置検討除草剤伐採の次は植栽をコンクリ舗装

女性自身記事だが、ブチギレしてないかもな。

わかっていて放置してたけど注目浴びたから、厳正に対処するとか言っただけかもしれんし。

2023-08-05

俺らが本気になれば

全ての車をゴルフボールボコって街路樹伐採することもできるんやぞ?

電動鼻毛カッターなるもの鼻毛伐採したら鼻の通りがよくなったぞ

息がしやすい。

なぜこのことをみんな俺に隠してきたんだ?

木を切ったのは俺らじゃない!東京都だ!

国立市店舗では「木が枯れたか伐採してほしい」と店から要請があり、都が安全確保のために伐採したということです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/cf56606ee261e30ddcd8efea6e05a4a940552a40

自らの手は汚さないなんて

優秀すぎる

anond:20230804223802

女装剤を撒かれて、立っている樹(意味深)も伐採(意味深)されてしまう……

2023-08-04

除草剤撒くし、伐採するし、何なら舗装までしちゃう

anond:20230804012735

https://www.asahi.com/sp/articles/ASR8362G6R83PISC009.html

国道8号街路樹勝手伐採して国交省から原状回復しろと言われてるね

元増田見解が「連中は穴開けて除草剤を注入するような面倒をするくらいなら最初から切り倒す」 ということなら仰る通りだと思う

2023-08-02

街路樹ほんとに必要と思ってる?

そもそも街路樹は木が大きくなることを知らなかった昔の役人が植えたものです。

今となれば木は大きく育ち、剪定などの管理費役所は多額の予算を計上していますが、それでも足りず大体管理不足となり苦情が来ます

なので、今新しく作る道路には基本的街路樹を植えないのが暗黙の了解となってます理由もなく植えている役人がいたら叱りつけてやってください。 

  

中古自動車屋街路樹除草剤を撒いた疑惑についてですが、街路樹管理する側の人間とすれば「うまいことやったね」ってのが本音です。

街路樹が枯れたら役所は喜んで伐採してくれるからです。

証拠にどこも植え直していないでしょ? だって街路樹いらないんですもの

(ここまで事が大きくなれば対応する振りをしますが、植え直しは絶対にしたくないはず。)

  

いらないなら全部切ればいいじゃんって思いますよね?

でも理由もなく健康な木を切ると他の街路樹も切らないといけなくなるなっちゃうんです。伐採してくれって苦情に「健康な木だから」って役所は断ってるんです。全部切る予算なんてどこにもありません。

  

でも枯れた街路樹なら話は別なんです。倒れると危ないって大義名分でいらない街路樹を一本減らす事ができるんです。だから役所は喜んで切るんです。  

  

あなたの家の前に、虫が出る、枯れ葉が家に落ちてくる、視界を妨げる邪魔街路樹はありませんか?

その木、枯れたら役所ウキウキで切ってくれますよ。

※枯れさせていいとは言ってません。

2023-07-30

anond:20230730222108

切る側の現場社長と大差ないアホの軍団から伐採命令出てもあんま気にならないんじゃないか

え、これ悪い事なん?世間騒ぎすぎじゃね差別差別ぅーーー!!って思ってる社員もかなりいると思う。アホだから

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