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はてなキーワード: 一夫一婦制とは

2022-10-30

anond:20221030072601

日本が本気で少子化対策するなら、います一夫一婦制をやめて、

多夫多婦制に移行すべきなんだよ。

櫻井問題でもぶっちゃけ二人と結婚できるなら何の問題にもならなかった。

多夫多婦制度検討を始めない自民党は、本気で少子化対策をするつもりがないとしか言いようがない。

2022-09-09

anond:20220909063554

これは本当で帝国議会でも一夫一婦制は国際規範であるから日本も導入すべき以上の理由がなく議論され導入されてる

一夫一婦制法令婚を廃止し再び一夫多妻一妻多夫法令婚を導入すべき

先進文明的な欧米制度と共に導入された一夫一婦制法令婚。
当時の資料を読んでも欧米一夫一婦制キリスト教文化圏下の影響によって維持されていたことに気付いているふしがない。
何なら文明国に於いて畜妾(※畜とは養うという意味)など悪風である断じていて、(当然ながら現代価値観で言う)法令婚の多様性考慮されたものじゃない。

はっきりと言ってしまえば欧米一夫一婦制法令婚は宗教由来であるにも関わらず先進文明的な制度であると誤って認識され導入されてしまった可能性が高い。

まり複数パートナーを持つのは悪だという価値観のもの欧米一夫一婦制法令婚導入以後の価値観であり歴史が浅く、宗教規範なのだ
これを令和のいまアップデートをし、男女関係なく複数パートナーを持つ権利制度として是認してはどうだろうか?

ぶっちゃけ言おう!
他人恋愛結婚なんてどうでも良いじゃねーか!」「他人浮気しようが愛人を持とうが関係ないだろ!」「異性同士でくっつこうが同性同士でくっつこうが他人恋愛結婚なんて放っておいてやれよ!」「それが婚姻自由なんじゃねーの!?

2022-06-03

anond:20220603200415

最初は乱婚してたけど性感染症流行して一夫一婦制になったらしいぞ

男は狩をして女は家にいるというのも違うらしい

女も狩しているらしいし子供の面倒は村全体で見てたみたいだ

2022-05-28

明治時代、庄屋の娘が夫のDVから逃げて上京議員財政を立て直した話

矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日天保4年4月24日〉 - 1925年大正14年6月16日)は、日本女子教育者社会事業家

肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児誕生は歓迎されず、名付け親10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰徳冨蘆花兄弟を生んでいる。蘇峰は明治大正昭和にかけての大論客、蘆花は明治大正文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。

かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。

妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事副知事兼務左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。

このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄から手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本学校生徒35名による花岡キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰徳冨蘆花も参加している。やがて熊本学校廃校になり、彼らの一部は、新島襄同志社入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンド札幌バンド横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。

明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国宣教師教育者マリア・ツルー夫人運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。

自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年築地新栄教会ディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である富久子、横井つせ子、竹崎順子洗礼を受けている。当時17歳キリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。

明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在校長理事長を兼ねた職)代理就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。

明治23年(1890年)、櫻井女学校新栄女学校合併して女子学院となり、初代院長に推される。

明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。

一方、恵まれなかった結婚生活小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。

楫子の情熱日本に止まら日本国外にも向かい明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年1925年6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。

大正時代華族の娘が50歳の男に売られた話

anond:20220526160552

2022-03-11

anond:20220311185831

「農耕社会に変わって以降の生存戦略の変化」って言う説があるみたいよ。

Wikipedia見ると面白い

一夫一婦制

2022-02-13

私は一夫一婦制法律婚って主として男を縛るためにある制度であって女性人権のためには絶対必要だと思ってるんだけど

法律婚解体を訴えるフェミニスト人達は全く逆の認識のようでビビる

あの人達、仮に本当に法律婚解体されたとしてどういう世の中になると思ってるんだろう?

どう考えても今以上に男がやりたい放題になってシングルマザーが増えるし

その結果同じ女だというだけで産まない単身女性にまでも子育て負担押し付けられる率も高くなり

単身女性の権利は虐げられる一方になると思うんだけど。

そうじゃなくて何かこうパラダイスビジョンが見えているの?それは一体どういう?

2021-12-31

anond:20211231214156

そんなこと言い始めたら一夫一婦制結婚制度だって同じじゃん

何らメリットが無かったってやりたいやつはやるでしょ

まりその考えは婚姻制度廃止

2021-10-14

anond:20211013085032

男女とも身体けが資本だった時代は女が男を選んでいた。そしてホモサピの身体はその頃からまり進化していない。ホモサピには基本的一夫一婦制が向いている。

だが、オス同士で連帯するようになり巨大な社会を築くようになり、メスがオス社会の中に取り込まれる。そしてオスが財産を溜め込むようになると、オス同士に格差がつくようになり、オスは一夫多妻制の動物のように闘争をするようになった。オスがメスを圧倒し、メスを牛馬のように財産の一部、有り体にいえば家畜化した。

ところが、ホモサピのオスとメスの身体能力は、トドのようにオスがメスを支配するほどに格差があるわけじゃない。ホモサピはアフリカサバンナを駆け回って暮らしていた時代から、あまり変わっていないのだ。

したがって、メスに富が流れる時代になれば、見かけ上の一夫多妻崩壊し、元の一夫一妻制に戻るのである

2021-10-09

anond:20211008231708

 ホモサピ以外の生き物だと基本的にメスは強いオスを選びがちなんだけど、ホモサピのメスの場合難産育児の困難さ故にオスに頼るということを覚え、オスを選ぶ基準を強さではなく優しさにしたという説がある。

 ホモサピの雌雄に体格差攻撃力の差があまりなく、オスの個体同士の差も比較的小さいのはそのためではないかという。

 とはいえ生物のメスは環境などによってオスを選ぶ基準を変えることがあるので、なんとも言えないけども。

 ホモサピは基本的一夫一婦制に向いているというが、現在、一部地域では一夫多妻制であり、そういう地域では女を物のように扱うのが普通であるし、男同士の格差も激しい。

2021-09-28

いい女もいい男も皆で共有した方が幸せになれるのでは?

西洋の真似事か何か知らないけど、何で一夫一婦制にしちゃったのよお

然るべき手続きを踏めば誰が誰とセックスしても良い社会の方が絶対幸せの総量は多くなってたはずだと思うんだよな

独占を許すな

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート4

墓場を超えた親族利他主義

交易需要供給時間的にも場所的にも一致することは稀であり、現在当たり前のように行われている交易交易に基づく経済制度ほとんどが存在し得ないほどであった。さらに、新しい家族形成、死、犯罪戦争勝敗など、親族集団にとっての重大な出来事需要供給が3回も重なることは、もっとあり得ないことであった。後述するように、一族個人は、これらのイベントの際にタイムリーに富を移転することで大きな利益を得ていた。このような富の移動は、消耗品や他の目的のために作られた道具よりも、より耐久性のある一般的な富の貯蔵庫の移動であれば、より無駄のないものであった。したがって、これらの制度使用するための耐久性のある一般的な富の貯蔵に対する需要は、貿易のものよりもさらに切実なものであった。さらに、結婚相続紛争解決、貢ぎ物などの制度は、部族間の交易よりも先に行われていた可能性があり、ほとんどの部族では交易よりも大きな富の移動が行われていた。このように、貿易よりもこれらの制度の方が、初期の原始的貨幣動機付けと育成に役立ったのである

ほとんどの狩猟採集民の部族では、この富は、とんでもなく裕福な現代人には些細なものしか思えないような形でもたらされていた。たとえば、木の道具、火打ち石や骨の道具や武器、紐につけられた貝殻、おそらく小屋寒い地域では汚れた毛皮などのコレクションである。時にはそれらをすべて身につけていたこともあった。とはいえ、これらの雑多な品々は、我々にとっての不動産株式債券と同様に、狩猟採集民にとっての富であった。狩猟採集民にとって、生きていくためには道具や、時には防寒着も必要であった。その中には、飢えに備えたり、仲間を買ったり、戦争敗戦の際に虐殺や飢えの代わりになるような、価値の高い収集品も多くあった。生き残るための資本を子孫に移すことができるのも、ホモ・サピエンスサピエンスがそれまでの動物に対して持っていた利点であるさらに、熟練した部族一族は、余った消耗品耐久性のある財産特に収集品)と交換することで、時折ではあるが生涯にわたって累積的に余剰の富を蓄積することができた。一時的な体力の優位性は、子孫のためのより永続的な体力の優位性に変換することができる。

考古学からは見えない別の富の形として、役職名があった。多くの狩猟採集民の文化では、このような社会的地位は、有形の富よりも価値があった。例えば、一族リーダー戦争部隊リーダー狩猟部隊リーダー、(近隣の一族部族特定人物との)長期的な交易パートナーシップメンバー助産師宗教的なヒーラーなどが挙げられる。収集品は富の象徴であるだけでなく、一族責任ある特権的地位称号を表すニーモニック役割果たしていた。死後、秩序を維持するためには、そのような地位継承者を迅速かつ明確に決定する必要があった。それが遅れれば悪質な争いを生むことになる。そのため、一般的行事として、安置の宴が行われた。この宴では、故人を歓待するとともに、慣習や一族の決定権者、あるいは故人の遺言によって決定された有形・無形の財産が子孫に分配された。

マルセル・モースをはじめとする人類学者が指摘しているように、近代以前の文化では他の種類の無料贈与は非常に稀であった。一見すると無償の贈り物は、実は受け取る側に暗黙の義務を課していたのである契約法が制定される以前は、この「贈り物」の暗黙の義務と、暗黙の義務が果たされなかった場合に続くコミュニティ不名誉や罰が、おそらく遅延交換における最も一般的互恵動機であり、今でも我々がお互いに行う様々な非公式好意共通している。相続やその他の親族利他主義は、現代人が「適切な贈与」と呼ぶもの、つまり受取人に義務を課さない贈与の唯一の形として広く行われていた。

初期の西洋商人宣教師は、原住民子供のような原始人と見なし、貢ぎ物の支払いを「ギフト」、取引を「ギフト交換」と呼ぶことがあった。これは、大人契約納税の義務というよりも、西洋の子供たちのクリスマス誕生日プレゼント交換に似ているかのようである。これは、偏見によるものもあるが、当時の西洋では、義務原住民が持っていない文字によって形式化されるのが普通だったという事実もある。そのため西洋人は、先住民が交換制度権利義務を表す豊富言葉を「ギフト」と訳していたのである17世紀アメリカに入植したフランス人は、より多くのインディアン部族の中に薄く散らばっていたため、これらの部族に貢ぎ物をしていたことがよくあった。それを「贈与」と呼ぶことで、そのような必要性に迫られていない他のヨーロッパ人との面目を保ち、それを臆病だと感じていたのである

モースや現代人類学者は、残念ながらこの用語を使い続けている。未開の人間子供のようなものだが、今では子供のように無邪気で、我々のような卑劣で冷酷な経済取引に身を投じることのない、道徳的に優れた生き物であるしかし、西洋では、特に取引に関する法律で使われる公式用語では、「贈与」とは義務を負わない譲渡のことを指す。現代人類学者は、我々が現代的に使っている「ギフト」という言葉の中で一般的言及している無料または非公式ギフトを全く意味していない。現代人類学者は、現代の我々がよく使う「贈り物」という言葉の中で、自由非公式な贈り物を指しているのではなく、むしろ、富の移転に関わる多種多様権利義務システムを指しているのである先史時代文化において、現代の「贈与」に似た唯一の主要な取引は、それ自体が広く認識された義務ではなく、受取人に何の義務も課されていないという点で、親や母方の親族子供の世話をしたり、相続をしたりすることであった。(例外として、地位相続すると、その地位責任特権相続人に課せられることがあった。)

ある種の家宝相続は、何世代にもわたって途切れることなく続くかもしれないが、それだけでは収集品の移動の閉ざされたループ形成することはできない。家宝は最終的に何かに使われて初めて価値を持つ。家宝は、しばしば一族間の結婚取引に使われ、収集品の閉ループサイクルを形成していた。

家庭内取引

収集品によって可能になった小さなループ取引ネットワークの初期の重要な例は、霊長類に比べて人間が子孫を育てるために行う投資はるかに大きいことと、それに関連する人間結婚制度に関するものである一族の間で取り決められた交配と子育てのための長期的な組み合わせと、富の移転を組み合わせた結婚は、人類普遍的ものであり、おそらく最初ホモ・サピエンスサピエンスにまでさかのぼることができる。

親の投資は長期的で、ほとんど一回限りのものであり、繰り返し交流する時間はない。怠慢な父親浮気をした妻との離婚は、浮気をされた側にとっては、遺伝的適性の観点から、数年分の時間無駄にすることになるのが普通である子供への忠誠と献身は、主に義理家族、つまり一族によって強制された。結婚一族間の契約であり、その中には通常、このような貞節献身約束に加えて、富の移転も含まれていた。

男性女性結婚生活にもたらす貢献度が同じであることはほとんどない。結婚相手選択氏族によって大きく左右され、氏族リーダーが選ぶことのできる人口が非常に少なかった時代には、なおさらそうであった。最も一般的には、女性の方が価値があると考えられ、花婿の一族花嫁一族花嫁代金を支払いた。それに比べて非常に珍しいのが、花嫁一族が新しいカップルに支払う「持参金」である。これは主に中世ヨーロッパインド一夫一婦制でありながら格差の大きい社会上流階級で行われていたもので、最終的には上流階級の娘よりも上流階級の息子の方が繁殖能力はるかに高いことが動機となっていた。文学は主に上流階級について書かれていたので、ヨーロッパ伝統的な物語では持参金がよく登場する。これは、人類文化圏における持参金の実際の頻度を反映したものではなく、非常に稀なものであった。

一族間の結婚は、収集品の閉ざされたサイクルを形成する可能性がある。実際、2つの氏族パートナーを交換しても、花嫁が交互に来る傾向がある限り、閉ループを維持するのに十分である。一方の氏族が他の種類の譲渡によって収集品がより豊かになった場合、その氏族はより多くの息子をより良い花嫁結婚させるか(一夫一婦制社会場合)、より多くの花嫁結婚させるか(多夫一婦制社会場合)する。結婚だけのループでは、原始的貨幣は、生殖資源の偏った移転の間に長い期間にわたって一族間の記憶と信頼を必要とすることを置き換える役割を果たすだけである

相続訴訟、貢ぎ物のように、結婚にはイベント(この場合結婚)と需要供給の3つの一致が必要である譲渡可能耐久性のある価値の蓄えがなければ、新郎一族新婦一族現在欲求を、新郎新婦間の価値ミスマッチを埋め合わせるのに十分な大きさで、しか政治的恋愛的な制約を満足させることができるかどうかは、かなり微妙なところであった。一つの解決策は、新郎またはその一族から新婦一族への継続的奉仕義務を課すことである。これは既知の文化の約15%で行われている。それよりもはるかに多い67%の文化では、新郎または新郎一族新婦一族にかなりの額の富を支払う。この花嫁代金の一部は、結婚の祝宴のために収穫された植物屠殺された動物など、すぐに使える消費物で支払われる。牧畜社会農業社会では、花嫁の対価の多くは長期的な富である家畜で支払われる。残りの部分、つまり家畜を持たない文化では通常、最も価値のある部分は、最も希少で高価で耐久性のあるペンダント指輪などの家宝で支払われる。花婿が花嫁指輪を贈り、求婚者が乙女に他の種類の宝石を贈るという西洋の習慣は、かつては実質的な富の移転であり、他の多くの文化一般的であった。約23%の文化(主に現代文化)では、実質的な富の交換はない。約6%の文化では、新郎新婦一族間で実質的な富の相互交換が行われている。花嫁一族が新婚カップルに持参金を支払う文化は約2%しかない。

残念なことに、一部の富の移転は、相続財産の贈与のような利他主義結婚の喜びとは程遠いものであった。貢ぎ物の場合は全く逆である

2021-09-05

シングルマザー推進で事実上一夫多妻的な構造社会全体がなれば?

anond:20210512094722

シングルマザー推進で事実上一夫多妻的な構造社会全体がなれば

この最大の問題は、あぶれオス(ベータオメガオス)が社会に対して非協力的になったり、あるいはユースバルジのように機能するようになってしまうこと。

また、人類発展の一因は、一夫一婦制によってあぶれオスを慰撫することによって、アルファオスに対する闘争を停止することができた結果、オスを生産的な活動に駆り立てることができたことなので、これがまず阻害されること。

ついでに、人間は数少ない「処刑」をする社会動物ですけど、この処刑対象が「独占するアルファオス」なんですよね。

しかも、オスはメスに比べて、相対的自分の命が軽く(軽くしなければ闘争に勝てなかった=遺伝的形質となった)、テロルによる秩序破壊アルファオスの討伐)に躊躇がないんです。

ここで、現代社会アンソニーブレイビクの事件のように、一人前の男が本気になれば、かなりのことをやらかすことができるので、かなりヤバい

から、もし「シングルマザー推進で事実上一夫多妻的な構造社会全体」をするとなると、あぶれオスを慰撫する機能、たとえば安価公娼制度途上国から配偶者輸入、アイドルポルノ供給強化といった策を講じるか、あるいは逆に、男性に対してテストステロンを減少させる強制的医学措置男児に対するバースコントロールテロルを防止するための厳しい監視社会といった、ディストピアSFみたいなことをせざるをえなくなると考えられますね。

2021-08-26

みんな本来性質を見失いすぎてるよね

科学万能感覚とか、

社会制度ごまかされて多くの人が本来性質を見失ってるから

いろいろ不幸なことがおこる

本来性質」を捉えた上で

「望ましい未来」を目指して、

「その間を埋める」と、いいことが起こる。

PDCAが回る。

本来性質」をごまかして、見ないで、嘘を信じて対策するから、何も得られない。

目指しているものがあるのならば、本来性質との間を埋める必要があるのだから本来性質ちゃんと見つめないといけない。

たとえば・・・

1、疫病は基本的死ぬもの

科学はそれを少なくする能力があるらしいのであり、疫病で死ぬ人をゼロにできるわけじゃない。

「死なないのが正義なのはまだいいが、

本来バタバタ死ぬもんだよね」という大前提が欠けているから、多くのことを間違ってる。

2、種を撒き続けない人間のオスは現在も淘汰されている最中

種を撒き続けない性格遺伝子は、文明以前も、文明社会になってからも、今現在も、駆逐され続けてている。

遺伝子生存競争では弱者

何度も結婚を繰り返し、あるいは、外で子供を作り、あるいは、風俗に通い続けるオスの遺伝子と、

一夫一婦制を守って生涯に子供を1−3人ぐらいしか作らない遺伝子では、2−3世代でも残存性がぜんぜん違う。

今でも民族の70%は一夫一婦制ではないし、

一晩に連続して多数のオスとセックスをするように人間のメスの体はできている。

喘ぎ声しかり。カリの大きさしかり。性交時間しかり。ピストン運動しかり。

3、哺乳類基本的子供をよく捨てる

猫も犬も動物園動物も、そもそも遺伝子には子育てが入っていない。

適当に捨てる。

人間新生児が100%新生児微笑する原因を考えてみたほうがいい。

3年に一回しか新生児を育てられない。

先に生まれ子供と、今生まれ子供、どっちを捨てるのか、人類はずっと決断をし続けてきた。

でもこれがバズる可能性は極めて低い。

みんなの心が本来性質を認めたくないからね。

2021-07-30

anond:20210729203632

原則鎖国の均衡経済だった江戸時代には、農家次男三男は、田畑をも相続できず結婚できずに長男下働きをやるか都会に出てきて丁稚奉公したりするしかなかったんだよ

人口もずっと3000万くらいで増えなかった

明治から昭和にかけての富国強兵・高度成長の時代になって一夫一婦制が推奨され、弱者男性にも奥さんがあてがわれるようになって人口は1億を超えた

日本は低成長でいいとか、がんばらないで好きなことやって暮らしたいと思う気持ちはわかるけど、それは低成長を受け入れることとイコール

日本は近隣国のいうことを受け入れて低成長でいいなんていう政党を支持する弱者男性は思慮が足りない

弱者男性こそ高圧成長経済を支持するべきなんだ

2021-06-26

anond:20210626072940

霊長類一夫多妻が多くて、モテオスはハーレム非モテは一生独身デフォ(たまにラッキースケベもある)

人間動物本能に忠実になればそうなる(古代人類遺伝子から解析するとそうなっているらしい)

経済的効率のためには一夫一婦制が優れているので無理やりそうしているだけ

凡夫遺伝子を残せることに感謝して、嫁さんの機嫌をとりましょう

2021-06-24

知の巨人立花隆先生

知の巨人立花隆先生によるウーマン・リブ批判

 文化人類学者たちの報告によれば、現代においても、アマゾンとまではいかなくても、女性上位の社会はいくつか存在するようであるしかし、地球上の大部分の社会では、我々の社会のように、男性上位になっている。これに不満をいだく一部の女性たちが、最近ウーマン・リブとやらいう運動をはじめて話題を呼んでいる。ウーマン・リブとはウーマン・リベレイション、つまり女性解放のことである

 だいたい女は男にくらべて脳細胞の数が少ないせいか(日本人場合、脳の重さの平均値・男1372.9グラム、女1242.8グラム)浅はかさと愚かしさをもってその身上とし、それがまた魅力ともなっているのだが、浅はかさもここまでくれば、いささか許しがたい。

 女性解放運動というのは、昔から禁酒運動と同じくらいポピュラーで、同じくらい成功率が低いものである理由簡単禁酒を望む酒飲みと同じくらいの比率しか解放されたいと願う女性がいないからだ。

 ウーマン・リブ指導者にはくやしいことだろうが、大多数の男が男らしくありたいと望むように、大多数の女は女らしくありたいと望んでいる。

 ある日、男らしくない男たちが大同団結して、男らしさが、侵略反革命を支える。男らしさの返上。男らしさの基準で男の優劣をきめる社会に怒りをたたきっける」とわめいてデモりだしたとしたらどうだろうか。あるいは、突然豚に知恵がついて、豚らしさの返上。豚らしさの基準で豚の優劣を決める社会に怒りをたたきつける」と、ブーブーいいだしたらどうだろうか。

 女性特有思考様式は、現実無視して議論を展開することである

 現実第一。原始、古代社会においては、母権社会アマゾン社会がかなり存在したにもかかわらず、いまは見る影もないということ。これが意味するものは、女性上位社会は、人間社会史において自然淘汰された不適応社会であるということ。社会不適応性は、その社会体制維持のために、どれだけのエネルギー必要とするかにかかっている。

 歴史上、女性は抱く女から抱かれる女へなることによって自己解放をなしとげ、現に解放された存在なのであるウーマン・リブ志向しているものは、一種先祖帰りでしかない。それはフランス王統派と同じくらいアナクロである

 ウーマン・リブ幻想をかたちづくっている現実無視の第二は、女性生理的にも心理的にも、抱くよりは抱かれることに適しているのだということに目をつぶっていることにある。人間生殖器官の構造機能を一べつしただけで、生理的に、男性能動的、女性受動的にできていることがわかろう。

 心理的には、女性心理学第一人者、ヘレーネ・ドイチェが指摘するように、女性特性ナルシシズム受動性の二語につきている。しかし、不幸なことには、ごく一部の女性は、正常な女性心理の発達を阻害されて、抱かれることより、抱くことを望むようになる。

 マリー・ボナパルトは、正常な女性は膣型であるのに対し、この種の精神的不具の女性は陰核型であるという。陰核は発生学的にいって未発達のペニスである彼女たちは、膣という素晴しい道具を持っていることを知らずに、陰核がペニスなみでないという点に欲求不満を持ちつづける。その結果は、真のオルガスムスをついに味わえないという結果になる。

 ウーマン・リブは、一夫一婦制を、女の性欲求の封じ込めと非難するが、これは彼女たちが精神的不具者であることを公表しているようなものだ。正常な女性の性心理からは、女性が自ら一夫一婦を望むものであることは、あらゆる心理学上のデータ証明している。

 多淫な女、複数男性を望む女は例外なく冷感症、不感症なのであるオルガスムス不全がニンフォマニアウーマン・リブを生むといっても過言ではない。女性が真に解放されたいと望むなら、早くオルガスムスを味わわせてくれる男を見つけることだ。そしてそのときオルガスムスを味わうためには、女は抱くことより、抱かれることが必要なのだということを忘れないことだ。

 立花隆文明の逆説 危機時代人間研究

知の巨人立花隆先生による井田真木子著「プロレス少女伝説」評

 「プロレス少女」はどうでもいいことを巧みに書いた典型のような作品である

 私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。もちろんプロレス世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである

 大宅壮一ノンフィクション賞発表 文藝春秋 平成3年5月

2021-06-17

anond:20210617222858

妥協してタイプじゃない生活力のある男と結婚する女が激減する

妻子がいなけりゃ男だって我慢して働かないよ

明治以来の日本の発展は一夫一婦制のおかげ

江戸時代農家次男以降は結婚できない人も多かったので、人口が増えなかった)

日本の衰退を望む連中に騙されてはいけない

2021-05-25

anond:20210525171445

頭がでかく進化たから発生途中で出てこないと膣がつっかえるんや。

なので十分発育する前に出産できた個体がワイらのの御先祖なんや。そのバーターとして乳幼児メンテ必要になったわけや。

メンテが大変やからメンテする母親個体を誰かがメンテせなあかんやろ?だから一夫一婦制が都合良かったんや。だからある程度までは諦めて子育てするしかないんや。

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